閑話小題 ~あの人は?

f:id:horii888888:20200930055806j:plain

f:id:horii888888:20200930055858j:plain

    * 人生色いろ!
 一月ほど前のこと。スーパーで酒とツマミを購入し出口に向かったところ、
見すぼらしい??が歩いてきた。その時にハッとした。見たことがある顔。
そう。実家の会社に勤めていて、私の同級生と社内結婚をした女性…?
地味で真面目そうな女性。父への報告が、『真面目で、実直。嫁にしないと、
損と思えたから!』 商人の父でも『連れを損得で判断し、公言するのは、
ドウだろう?』 適切な語彙が浮かばなかったのだろうが… 言葉は重要!
としても異様な姿かたち。 いくら何で違うだろうと、その後、何度か思い
だしたが、思いだす程に当人じゃないかと! 同級生は2年前に鬼籍に入った
と聞いていた! 同級生は、9年前の同窓会に出席をしていた。重度の成人病とか
で10歳は老けてみえていたが、アンハッピーの様相! 姉夫婦の受けハンで自宅
を売却せざるを得なくなったと… 「なら、然もありなん!」と! 
何やら娑婆には??が彷徨っている。 他人の空似であって欲しいが…
 私ことでもあるが、事業など起こすものではない!血と汗と涙の情念で、
その歩道が固められている。両親の後姿から学んだのは
  <当たれば天国。外れると地獄!>
でも「そういうものと割切れば、後味さえ悪さを最小にすれば、面白いこと、
この上ない。血刀を引提て駆け回っていれば、他者は傷つき、汚れる。
後味が何とかは言っていられない。 いや、だから事前に後味を考えて、
いなければ、ならないということ! 積極7に、消極3だろうか!

・・・・・・
2019年09月30日(月
6773,閑話小題 ~74歳の同期会の現実
    * 前期高齢者の区分の最終年の同期会
 74歳が44名も集った中学の同期会も、若い人たちからみれば、どう見えた?
大学の卒50周年記念は300人。総長は「これだけの御年寄りの会も「ギネスもの」
と! こういう会は、恵まれた人生を過ごしてきた人たちしか出席できない実情
もあるが…
中学の同期会は、集合時間が9月28日(土曜)の16時。 クラス別のテーブルに
分かれての会。連合いが亡くなっているか、寝込んでいる人が… ガン、脳溢血、
転倒で、辛うじて出席している人も多々… 段々と我身にも? この年代が44人
も集まれば、起こって然るべき病気、事故が、そのまま現われ出ている。
「人生は75歳が大きな区切り」を実感。 「好いところは60歳まで」。
50歳、60歳、65歳、70歳、そして75歳と、胸突き八丁の峠が続く。
後期高齢者の年齢は、病そのものと実感する。「先に逝ったもの勝ち」も然り。
御迎えの方が、むしろ有難い年齢になりつつある。これまで、「老いの悲しみ」
について多く書いてきた。シリアス過ぎる内容だが、それでも直視しなければ。
質の良い老々介護など有りようがない。生きてきたように死んでいくとか。
 さあ、良質な人生だったか? 良く遊び、学び、働き、良く休息してきたか?
死んでしまえば、それまでよ! 幸せそうだったのが、そのまま人生にスライド
しているような。 結局、家庭の土壌の問題ですか。中学は分類される前ゆえに、
それはそれは! 社会の縮図として現前するのも、シリアスと言えばシリアス。
 終わってしまえば皆、同じとしても、人生のセンスの良さそうな人ばかり? 
やはり、良い年代に生まれて、人生を謳歌出来たということ… 幸せは幸せを
呼び込んでくる。 例外もあるが… 
 ところで、来年は後期高齢者への祝賀会? 再来年は、喜寿の祝い?
――――
2018/04/28
閑話小題 ~平均介護年齢に、あと半年で、
   * 72歳、あと半年で平均介護年齢に!
 男の平均寿命が80歳、介護年齢が7年というから、あと半年で平均介護年齢に。
周囲を見渡すところ、同年代の3割が鬼籍にはいっているので、健康体でいるのは、
同年代で3分の1になった。半分なら分かるが。もう、この時節に到来したのか。
 
 数少ない地元の酒のみ友達と、去年の暮れ以来、4ヶ月間も連絡がなかった。
30数年来、初めての間隔のため心配をしていたが、先週末に連絡があり、久々に
カフェテラスで会ったところ、「自宅近くで転倒、複雑骨折をして手術をして
1ヶ月間の入院後、自宅で1ヶ月あまり療養していたという。運転は、ままならず、
カフェには奥さから車で送ってもらい、帰りは私が映画館への道すがら自宅近くに…。
リハビリが週に2回。介護4というからただ事ではない。あと数ヶ月で78歳。
 
 介護には、要支援が2段階、要介護が5段階合計7段階がある。その6番目とは、
かなり深刻な状況。 握力が弱くなり、コーヒーカップを持つのが、精一杯。
複雑骨折の手術と、その苦痛は並み大抵でないと話が続く…。
介護用電動リクライニングベッドを月800円で借り受け、寝起きしている…。
75歳が体調の節目で、その後3年は右下りの一方と…。その上に複雑骨折。
 転勤、リタイアなどで酒友が次々と減り、最後の?一人も… ただし生命力が
ある人なので、回復してくるはずだが。私自身の75歳への峠道は厳しい寒風が
吹きそうだと…。
 
 年末に行われる大学の同級会も、毎年、一人二人倒れて不参加組が… 
小・中・高校と同様に、他のクラスか、学部が加わる「同期会」に変わってる。
何処も、三大疾患、連合いの死などの厳しい現実の話ばかり。その中で、酒友の
ような転倒による負傷が多いと聞いていたが、よりによって。それも室内の躓き
のケースが。進学するほど健康寿命が高かったのも、前期高齢年齢まで。
兄姉、その相方も、去年、一昨年と、一人ずつ欠けはじめてきた。生存年齢が
80歳なら、然もありなん。 今までは、「人は先、ワシは後」だったが、私の
順番も遠くないのか? 古希の壁は無事超えられたが、問題は、後期高齢者
区分の2年半後(75歳)。
 
 身近に、その辺りが私の終末の目安と宣言してきたが、さて如何なることか!
「あと千日の晩御飯」など思いもよらなかった。ここまでくると「べきことを、
べき時に、べくすべくしてきたのが、良かった」と自身を慰めるしかない。 

ところが最近、情報化社会への激変現象ウォッチッグ体験が面白くて面白くて、
死に欲(いや生き欲か)が出てきて… 
 追) 何故か、丁度よい過去文が次々とつづく。
   何か、宴会そのものの人生のような…  
  …そういうことにしておこうか! 

・・・・・・
2016/04/04
閑話小題 ~『男って、定年になったらいらないのよね!』~①
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 産業廃棄物の末路
 第二の人生の準備のない人の末路は哀れである。
この言葉は、著者の淳一が、老後の生き方の講演で、聞こえてきた言葉。
リタイア後、邪魔者扱いされている団塊世代の夫に対する、奥方の、
『男って、定年になったらいらないのよね!』が、耳に聞こえてくるようだ。
私自身が、その一人だからこそ身にしみる。ただ、少し離れた仏間に、書斎・
兼パソコン・コーナーをつくって棲み分けて、何とかバランスがとれている。 
また日中は、互いに違ったスポーツ・ジムや図書館に行ったり、別行動が多く、
それで丁度良い間隔が出来ている。 一般的に、夫は妻より7~8年も早死に
するが、これも長年の仕事からくる磨耗の結果。
 雄ライオンも、支配下の群れを、何時か、より強いのに敗れて乗っ取られた
後は、離れライオンとしての野垂れ死が待っている。先日、旅行帰り立寄った
居酒屋で、何処かのOBらしきグループ7~8人が、不在の元同僚の悪口が、
襖を隔て聞こえてきた。退職後も、会社の首輪と紐を付けたまま集まって、
昔の傷口を舐めあっている姿が、痛ましい、というより何とも哀れ。
定年後の寂しさを紛らしているようだが、せっかく解放されて、自由を謳歌
できるのに、今さら何だろう? 飼い主の家が全世界で、それも仕方がない
といえば、ないが。 こういう人が、四六時中、家でゴロゴロしていたら
連れあいは、地獄。そういう私も大同小異。 それでも一日単位では、
スポーツジム、図書館、早朝の一時間のミニ・サイクリングに。週単位で、
シネマと、月単位では、何処かの飲み会に。年単位は、家内の鞄持ちの旅行と、
何とかバランスを保っているだけ。
 一般的に、夫が驚くのが妻の外出の多様さという。何せ、長年の主婦歴と、
横に繋がる人間関係の幅が違う。『あの人、息子の小学校時代の友達の母親
で気が合うの』とか、『今日は大学の同郷OB会の幹事の打ち合わせ』とか、
地元密着型。ところが、男は縦社会の他動型ロボットで、指示をされないと、
動けないのが多い。「自由の不自由」で、自失呆然。 家に篭るが、妻から
家から追い出されて、午前は図書館か、公設のSJ辺り。午後からはSCの
ベンチで、人通りを眺める日々。これが慣れると悪くないらしい。
 そこで、小遣い格差と教養格差がシリアスに出てくる。   ーつづく
 ――――
2016/04/05
閑話小題 ~『男って、定年になったらいらないのよね!』~②
           『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 出かけようにも、何処に? 
 『男って、定年になったらいらないのよね!』 リタイア後に、
こんな言葉を投げかけられたら夫は、グサッとくる。これに近い言葉を
週一は投げかけられているが、長年かけられたら生きる気力がなくなる。
 著者は私より12歳年上。この本を発行した2年後に80歳で亡くなった。
私にとって、70歳代を生きる道標のような内容。75歳からの後期高齢期は、
右下がり一方で厳しいらしい。 教訓として、あと5年間、捨身で生きろ!
~世田谷区内の高齢者10万人のデーターによると、
・65歳以上の高齢者の4人に3人は、自宅内から一歩も外に出ない。
・近所付き合いは、「ほとんど付き合いがない」「挨拶をする程度」が6割弱。
都会の高齢者、特に男性は家に篭りきりで、外には滅多に出かけないため、
急速にボケるらしい。外に出かけようとしても、何処に行っていいか分からない
上に、手持ちの金が少なく、足腰が痛んだりして外出が億劫になる。
 それに比べ女性のキャリアが長いため、日々を楽しんでいる。
 ここで、著者は妻の禁句として、『どこかに出かけたら』の言葉。
これを言われると、すべての夫は居たたまらなくなり、「うるさい!」と、
言いたいが、その気力もなくなり、それが痴呆化を促す。だから、人生設計に
ライフワークを長年かけてつくっておく必要がある。 そこで、『自伝』の作成
を勧める。誰のための自叙伝でなく、自分のための自叙伝と割切ってしまえば、
過去の思い出は、次々と湧き出てくる。
 独立独歩で生きてきたので、リタイア以後の生活に全く戸惑うことはないし、
部下を介して何かをするのより、一長一短があっても、自分の手足でする方が、
物事がはかどる。 以前から実行してストレス解消になっているのが、週一の
酒とツマミと飲料の買い物。買物症候群という精神質症があるが、私のは小さな
ストレス解消。それと嫌なことがあった時の「百均」の買物。一時間で、7~8個も
買えば、心が晴れる。 高齢期は特に『おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなしものは 心なりけり』の高杉晋作の言葉のように生きるしかない。 
目を凝らすと、面白いこと、楽しいこと、知りたいことが、あまりに多い。 
如何に馬鹿の壁のため、それに気づかなかった?か。
「犬も歩けば 棒にあたる」と、成るほど、昔の人は良いことをいった。
 ――――
2016/04/06
 閑話小題 ~『男って、定年になったらいらないのよね!』~③
            『老いかたレッスン』渡辺淳一著 より
   * 70歳代、特に後半は、すざましい!
「70歳代、特に後半は、すざましい!」は、医師である著者からみて、私の
同世代からみて、充分に頷ける。 数ヶ月前に70歳代になって感じたことは、
「(3年を見据えた)一年単位でしか、人生計画を立てられない」という実感。
後方から迫ってきた己の死が、真正面から迫りくるような感覚は、やはり60歳代
とは、全く違う。 人生の峠から見えてきた風景も、寒々としてきた。 
  ~その辺りから~  
≪ 六十代で運動して、体力をつけるのも悪くはないが、外に出てさまざまな
 人と触れ合い、話し合うのは、それ以上に明るく、若返らせるはずである。
 そして七十代、これはなってみて改めてわかるが、すさまじい世代である。
すさまじいとはなにか。これをあえて具体的にいうと、日々、確実に老いて
弱っていく年代、とでもいおうか。
 その前、六十代は老いるとはいえ、まだ鍛えようによっては伸びる、
強くなる余地もないわけではなかった。しかし、七十代はすべて下るだけ。
あれ、こんなことができなくなった、これも無理かと、不可能なことが増える
ばかり。といって、努力しても無駄。 かくして、ここからは「諦めの時代」、
老いてやがて死ぬ、そのための準備期間といえなくもない。
 こう書くと、人生の末期、暗いだけの時代、と思うかもしれないが、
そうともいいきれない。 このすべて終わりに向かって傾き出す、このときに、
とてつもない発想にとりつかれ、動き出すことがある。 たとえば、突然、
動物や植物に異様に熱中したり、今迄と全然、別の仕事に全力を注ぎこんだり、
激しい恋に溺れたり。
 七十代の高齢者とは思えぬ、激しい行為に熱中する人が少なくない。
そう、わたしも七十代後半になって、突然、自らの不能、インポテンツに
ついて書こうと、思いついたけど。これも、七十代の狂気かも。
賀寿のなかで、七十七歳を喜寿としているが、なにをやらかすか知れない、
狂寿としたらどうだろう。とにかく人生、長く生きてみるとそれなりに
妙味に富み、面白いものですよ。 ≫
▼ 夜半に目が覚めて、フッと自分の死を考えることがあるが、ここにきて、
 それが、リアルなフラッシュの塊と、生きてきた人生が小さな丸=(。)
に凝縮して、それが更に点(.)になり、無限の極小になり、消滅していく
イメージが出てくる。 そして我に返ると、その微小の人生が愛しく思える。
その点の中には、両親、亡くなった兄姉、因縁のあった知人たち、恩師が
リアルに生きている。そして行蔵が詰まっている。 我が人生、万歳。
我が両親、万歳。我が恩師、万歳。我が因縁在りし恩人たち、万歳。
残された人生に、万歳。 考えてみれば、『人生はそのものが狂寿』である。
「誰の?」「すべての!」 だったら、せめて心の底で、狂喜乱舞したら?
考えたことが無かった? なら、考えてみたら! 考えている? 本当に?
バカバカしい? バカになってみてから言ってみたら! で、『男はつらいよ
を見たら!「泣いても笑っても、同じ空」。「狂っても正気でも、同じ空」。
「エライコッチャ、エライコッチャ、同じアフォなら踊らな、ソンソン」か。
それが面倒だから、ウタタネ寝をしている。それもありか! で、残された
時間を、どうしようか? うたた寝で、心の中で狂喜乱舞か、これまでの
人生で培った材料を駆使して、燃焼するか? それもこれも、今さらか。