閑話小題 ~ふと人生を見渡せば…

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   * 同世代(男)の4人に1人が鬼籍に
◉ そろそろ、鬼籍に入る順番が来そうだが、まだ数年は大丈夫か?
 同世代の故人は大よそ4人に1人! 生きてるため、<人は先、我は後!>。
40年前に新潟駅前でビジネス・ホテルを創業から30年…。 10年前にリーマン
ショックで事業継続を断念したが、事業清算を創業当時から組込んでいたため、
何とか軟着陸で済んだ。 冷戦の終戦バブル崩壊! 9・11テロ! 中越地震
柏崎・刈羽地震! リーマンショックと東北大震災には驚いたが、更に、この
パンデミックである! 激変しているが、身辺の日常生活は変わってない。

◉ 新潟駅前のホテル立上げ時の仕事上の生存者は半数は鬼籍に入ってしまった。
 <歳月、人を待たず>の言葉どおり、アッという間だ。とはいえ、40年である。
…殆どが癌か、脳梗塞… 学生時代の同期生も同じ。それも、あと7~8年で、
半数になる! そこには私も!確かに老いは進んでいる。昭和は遠くなりにけり!
 
◉ この様でも、自分の人生を気にいってはいる!が、それでも後悔と自責の念
 が強く残る。マイナス面と思える側面が2~3割程度だが、憶えているのは+面
のことだけ! 実感として、実家に、時代に、恵まれていたのが大きい。何故か、
金銭面と、友人関係、特に高度成長時代の右上りの時代(20歳~40歳半ば)は、
恵まれていた! しかし、努力の割に、いま一のアップスケールに欠けた。
成長曲線が鈍ったのは、遊び好きだったため? これだけ面白かった手応えが
あるのは、有難い! 

◉ 何やら遺書風な内容だが、このテーマ日記が、その趣が強い。毎日、思いの
 ままに書き続けて、改めて読返すと、思いもしなかった行蔵に出くわす。
一ぱい一ぱいに生きてきた見返りも、その時には気付かなくても、振返ると、
確かにそこにあった。その逆もだが… 老いの気弱さもあるのだろうが、
自分の人生が愛おしく思えてならない! 思いを現実に移動すると、+-面が
立ち現われて、それが分化する。老いの時節は、それらを統合し、納得する
ために、神(自然)が与えた猶予期間ではなかろうか! 納得し、諦念して…
それも、一瞬の生臭い風と供に消えていく。

・・・・・・
6760,閑話小題 ~木島佳苗という生き方 ー1
2019年09月18日(水)
   * 連続不審死事件の木島佳苗
 酷い事件ということより、あの風貌で、何でまた男たちが次々と騙され、
殺されたのかの疑問が残った事件。心理学者の香山リカ入不二基義の対談が、
何とも、木島佳苗という人物構造を炙り出していた。
 ところが、昨年1月、3度目の獄中結婚を果たし、しかもその相手が
週刊新潮』のデスクX氏であることが判明した。 
  ~ネット検索によると、
<X氏は、木嶋死刑囚のブログ「木嶋佳苗拘置所日記」で“王子”として
 たびたび登場した人物。書簡のやり取りを通して、結婚に至ったという。
香山リカと哲学者の対談集『明るい哲学の練習』の中の‘入不二基義’との
対談で、この妖怪のような女に触れている。 
   ~なかなかな深堀りの内容である~

≪◉ 香山リカ: 木島佳苗という連続不審死事件の犯人。沢山の愛人がいて、
 そのうちの何人かを殺害に至った罪に問われていた。 仕事で、あの人の
裁判傍聴に行きましたが、一回いったら、あまりに興味深くなり、その後、
3回ぐらい、傍聴にいきました。彼女は、やはりネット上ではすごく自分を
演出していました。美人の料理研究家で、ピアノが上手で、アップした写真も
実にうまい角度で撮っていて、それだけ見ると凄い美人なんです。文章も上手
くて、メールで男の人をその気にさせていたらしいけど、それはネットだけでは、
駄目で会わないと最後にお金にならない。多くの人は、ブスでデブの彼女に、
何でまた?と疑問をもったはず。 …ところが、この人の裁判を傍聴していて、
ネット上の彼女と文章とイメージが完璧だということ。それに傍聴席から聞こ
えてくる声がすごくきれいなんです。あと、手書きの字がきれいなんです。
そんなこんだで、報道された写真の見た目の印象なんか、どうでもよく思える
ようになってしまう。あそこまで、自分のイメージを固めると、生身の身体って、
もしかしたら、最後はどうでもよくなってしまう、気にならなくなる。
デブでブスの印象が消えてしまう感じに襲われる。

◉ 入不二: 彼女のブログを読んだことがあるが、それを踏まえて、手書きの
文字が非常に美しくて、声がきれいという点は、彼女の怪しい魅力を支える上で
ポイントでしょうね。文字や声の美しさは、身体の延長線の一部で、単なる
イメージや印象ではなく、むしろ「生身」に近いのではないでしょうか。
しかも、声や文字という身体は、顔のつくりや、体系とは違って、元から切り
離して使うことができる「生身」。彼女のブログを読んで感じられた文章の
感触もまた、その延長上にある「もう一つの身体」のようだと思いました。
ひょっとすると、ブス、デブは小さいことで、「総合的な身体」が、生なましく
感じられるならは、その欠点が、他の美しさを際立てることになる。
こういうことを使いこなせる人だったのでは? そのアンバランスのギャップが、
魅力を増していたのでは。逆に現実の顔とか体って大したものじゃないのかな、と。

◉ 香山リカ: 顔や体は、人間にとって一番かどうかは別として、かなり
重たい要素に違いないと思っていたが、実は、そうでもないかもしれない。
他の要素が揃っていれば、消すことがことが出来るんだと… ≫

 ―
▼ 18年5ヶ月も、毎日、欠かさず材料集めを含めると、3時間もフロー状態
で、エネルギーを持って書き続けていると、魂のボディのような気分になって
しまう。それも、連日、可能な限り同月同日の過去文を目に通していると、
<現実の自分は、その一部分>という気分になってしまっているためか、
いやに納得…
『家についていっていいですか』に現われたキャバクラ嬢が、
「私にには、内なるファンクラブがあって、ランク付けがあるの… 
客とは枕はしないけど、会員は格別大事にするの』と、宣っていた。 
内なる声で『どのように格別に大事にする?』と、思ったが、そこは、魔界。
日夜、タヌキと狐の化かし合いが続く?
 木島佳苗の職業は「詐欺」で、毎日の仕事は、新規開拓の顧客確保と、会員の
フォローっていうところか。熟成した相手には保険金をかけて… 手順とおりに。
 ところで一般の素人娘にも、その要素を兼ね備えて、男たちを手玉にとる。
初心な男などイチコロ。何せ、『週刊新潮』のディスクも、アッサリと、落とす
のだから。 名古屋の花嫁学校の授業内容のシリアスさに、驚いたことがある。
男を獲物と見たて、その漁り場と、魚の見分け方と、確保の方法と手順を熟女?
の講師が、丹念に教える。 ところが名古屋なればこそ、だが。これで一生が
決まるのだから、それはそれは!
 「人生、そう甘いものじゃない」なぞ解り示すには、彼女らには土台、無理。
慶応、上智、青山などの共学校に入って、探すのが手っ取り早いが、土台のない
女子には… 男女の仲は、当たるも八卦、当たらないも八卦。 これだけは、
添えてみて、初めて理解する。桃色吐息が、黄色になり、赤になり、黒色吐息に
なるに瞬間か、一生かけて知るかは、それぞれ。 最後は、『般若心経』ですか。

・・・・・・
6032,閑話小題 ~ハイデッガーの「世人」とは?
2017年09月19日(火)
  * またまた同じテーマで…
 地方都市に住んでいるため行動範囲が狭くなってしまう上に、対話できる相手
が少ない憂さ晴らしで、これを書いているところもある。 先日、「世間」に
ついての文章を書上げ、アップをしようとした直前に、「ネット内検索」に
「世間」と入れたところ、4ヶ月前に、酷似した批評が書いてあったため、
疲れがドッと出たが、急遽、他のテーマを書上げた… 。
前のテーマの内容も、ほぼ同じ語り口。そこで、この二つを比較するのも愛嬌と、
そのまま、提示することにした。 問題は、以前の方が力が入っていること?
 ところが、昨日の同月同日の過去文に、 <『コトの本質』松井孝典著>の
「世間論」。これが本質をついている。<世間とは、リアルの社会を内部モデル
化した様相>と見切れば、これで充分のはずだが、何故か、書きたくなるのが
「世間」。同レベルで、閑のためか。 アウトサイダーを気どっても、所詮は
先祖様からの枝葉の存在でしかない。しかし、「誰にとっても生地は聖地」。
そこは汚してはならない生活圏。分かってはいるが、一度、得た自由の感覚を、
今さら変えることは出来ない。で、…私の内部モデルの心象風景は、とある
地方の「城下町モデル」。全国、いや全県的普遍性とネタの新鮮さに欠けるが、 
娑婆の味が沁みている。  
<『あの人、いま、どうなった(が~?)』『あのバカ、今ではさ~!』と、
城下町鴨が、今日もガーガーとガ鳴りたてる。> これが私の内部モデル。

――
4935,コトの本質 ー5
2014年09月18日(木)
               『コトの本質』松井孝典
 * 世間とは、リアルの社会を内部モデル化した様相            
これまでの『世間』の解釈で一番、納得できた言葉が、
「社会=リアル、世間=社会を内部モデル化したバーチャル」である。
社会との関わりあいで、世間という内部モデルが、バーチャルにつくり
上げられる。たかがバーチャル、されどバーチャル。リアルとは、
ほど遠いが気にかかる虚構世界である。  ーその辺りから
≪ 社会という言葉と、世間という言葉があります。我々が人としてその集団
 の中で生きていくうえの、その集団のあるがままの外界を、たとえば社会と
呼ぶとします。社会は現に存在する外界です。社会と世間は同列ではありません。
私にとって、世間とは、脳の中につくられる社会を投影した内部モデルです。
世間というのは、したがってリアルなものではなく、バーチャルなものです。
世間をどのように見ているかは、私の内部モデルとして、社会をどう投影して
考えているかということに関わってます。世間というものは、私の言葉で
いえば人間圏そのものともいえます。それは概念化された世界です。
人の営みの、しきたり化されているようなところから、価値観から何から、
全部ひっくるめての世間でしょう。だから、あるがままのリアルな社会とは、
少し違います。人間圏のリアルの側面としての社会については、絶えず
観察をして、世間という私の内部モデルを更新してます。・・
社会と交わるたびに、人間圏の諸々の情報が膨らんでいきます。すなわち、
内部モデルの細部が、どんどんできてくるのです。社会と関わるたびに、
世間というモデルが作り変えられるのです。 ≫
▼ 日本人、とりわけ地方の地域社会は、世間という長年積み重ねられた
 地域偏見が一種の宗教のように、それぞれを縛り付けて、それがバーチャル
であることさえ気づかず人生を終える。だからライフワークを持っていないと、
自分を見失ってしまう。バーチャルの世間に埋没すると、ライフワークの価値が
見えなくなる。だから、城下町は、文化度が高い人と、低俗の人との二極分化が
明確になってしまう。一般的に、低俗の人を世間というが、誰もが、どこかに
兼備えているから始末が悪い。それが年をとるにつれ老醜として露出する。
老いることは、恐しい! さらに、老いた群れは、醜く恐しい!
――
   ~次は、先日の文章から~
  ハイデッガーの「世人」とは?
≪  * 日常性と非本来的な生き方
 ここで何度も、「世間」について書いてきた。成行きから、30歳近くで、
出身地にUターンをしたが、沈みこまない対策として、アウトサイダーに徹する
ことを決心して40年も経過した。 新潟市長岡市の住職分離をしていたこと
もあり、世間様とかいう「世人」に最小の接触で済んだが、6年前から、住だけ
になり、生活環境が違ってきた。 周囲には、私も含めて「老人」の割合が多い。
「閑居」の「閑」の字のとおり、心の周囲に塀を囲み、厳格なほど?の日程を
熟すことで、何とか「門の中の木」の下、日々を過ごすイメージを保っている。
 そこで、役立つのが‘ハイデッガー’‘カント’‘ニーチェ’の哲学や、
ドラッガー’の合理主義の思想。 特に、ハイデッガーの「世人論」が良い。
地方だけでなく、それぞれの世界には「世人」が住む。知らずに、この「世人」
に毒され、一生を成す術を潰され過ごすことになる。
  ~ネットで、‘ハイデッガー’を検索すると…
≪・ハイデガーは、<我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけではない。
 我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのかを真剣
には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日その日を
他人や物(道具)との関わりの中で生きている>と。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と呼び、
人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きているとする。
人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じように
「物事を考える個性のない平均的な生き方」をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は 人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 ・世人の特徴は次の二つにまとめられる:
① 平均性 :シマウマのように同じ図柄の生き方
② 免責 :この語には、責任免除、責任回避という二つの意味が含まれている。
 この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、特定の
 行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。この免責
の好例は、恐らく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛だろう。それは
一向に捗らない。その理由は明らかである。私がやめても、どうにもならない。
皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を転嫁し、自分の行為
に目をつぶる。 このとき、世間や他人が自分の保証人になっている。世間は、
そのようなことは、皆がやっているという理由で、個人の責任を免責する。
 では、世間とは、いったい誰をさすのだろうか。それは誰でもない。つまり、
世間は、個人の行為を保証する。しかし、保証人としての責任を負う者は、誰も
いない。世間は、他人の責任を免除してくれるが、責任は負わない。こういう
性格を持ち、世間に埋もれて生きる生き方が、世人の日常的なあり方である。
 ハイデガーによれば、世人は、目先のものに気を奪われ、平均的な考えに従い
無責任に行動し、自分自身の存在を真剣に考えない。しかし人は、あるとき、
自分自身の存在を意識し、なぜ自分が存在するのかを問い、非本来的な生き方
から、本来的な生き方をするようになる。では、いつ人は、自分自身のあり方を
真剣に考えるようになるのだろうか。それは、他ならぬ自分自身の死に直面した
ときである。他人の死ではなく、自分自身の死に直面することによって、人は
自分自身の人生の有限性に気づき、そこで初めて自分が生きていること、自分
自身が存在していることの重みを自覚し、自分自身のあり方を真剣に考える。≫

▼ 世人そのもののような男が、「進行ガン」が発見され動転して、世界観が
 一転して哲学的になったいた。 26歳の頃、父親が余命1年の末期ガンが発見
され、修行先の金沢から呼び戻されて、父の生への心の渇きの一端に触れること
に相成った。この学びは、人生感を一変させてくれた。「何はともあれ、死んで
しまえば、それまで。世間、世界は夢幻。出来るうちに、好きなことを、好きな
だけ、すればよい!」
 創業を目指すということは、全て直接、自分に責任がかかる。言訳する位なら、
平凡な人生に甘んじればよい。それを乗越えるには、常日頃から、考え、考えて、
考えなければならない。学ぶほど、生きるほど哲学的になるのは、ごく当然。
 「死」こそ、非日常性で、虚構の世界を壊す、今を出現させてくれる。≫
――
  ーさらに4ヶ月前のテーマと内容ー
≪ 2016/05/14  哲学者は、世間人を、「世人(せじん)」という
   * 日常性と非本来的な生き方
 人間は一般的に、規格人間の生き方を良しとし、平均的に、責任を持つこと
なく、生きようとする。世間とは、こういう生き方を良しとし、人と違った
生き方を蛇蝎のごとく嫌う。人生は非日常の中から、新しい世界が広がる。
しかし、人は日常の繰り返しを好しとする。ハイデッガーは、人間の持った、
その習性を真正面に取上げている。 ~ネットで、「世人」を検索すると~
≪ ハイデガーによると、我々は、常に自分の存在を考えて生きているわけでは
 ない。我々は、仕事やその他の関心事に気を取られ、自分がなぜ存在するのか
を真剣には考えない。我々は、自分が存在することを当然のこととし、その日
その日を他人や物(道具)との関わりの中で生きている。
 ハイデガーは、このような人間の日常的なあり方を「非本来的なあり方」と
呼び、人は自分の存在の意味を問うことなく日常性の中に埋没して生きている
とする。人間は、普段この日常性の中で、他人と同じように行動し他人と同じ
ように物事を考える個性のない平均的な生き方をする。
 ハイデガーは、このように他の人と同じように物事を考え、同じように振る
舞う人を、世人(das Man)を名づけている。世人という語は、固有名詞ではなく、
不特定多数の人々を表す普通名詞として使われている。 世人は、いわば流行を
追っている人である。世人は、皆と同じ服装をし、皆と同じように振る舞う個性
のない人である。このことは、サラリーマンや制服姿の人たちによく当てはまる。
彼らは、ほとんど同じ服を着、いつものように決まった仕事をし、一日を、いや
一生を終えていく。世人は、人並みの人生を生きる。このような世人のあり方は、
ハイデガーの生きていた頃ばかりでなく、今日の社会にも見られよう。
我々は、社会の定めた規格に沿い、同じ言葉を喋り、人並みの着こなしをし、
人並みに振る舞い、人並みの生活をする没個性的な規格人間である。
 世人の特徴は次の二つにまとめられる:
① 平均性 Durchschnittlichkeit
② 免責 Entlastung:この語には、責任免除、責任回避という
 二つの意味が含まれている。
  この二つの特徴をもう少し詳しく述べていよう。
・平均性は、いま述べた通り、皆と同じように考え、同じように振る舞う
 規格人間の状態を指す。
・免責とは、皆が同じことを考え、同じことを行なっているのだから、
 特定の行為に対し、一個人が責任を取る必要はないということを意味する。
 この免責の好例は、おそらく、地球温暖化防止のための自動車の運転の自粛。
 それは一向にはかどらない。その理由は明らか。私ひとりがやめても、どう
 にもならない。皆がやっているから。人は、平均的な考え(偏見)に責任を
 転嫁し、自分の行為に目をつぶる。 ≫
▼ 知性とは、教養とは、規格人間に埋没した己に気づく知識の質量のこと。
 決して、同調するための情報ではない。常々、「世間」を取上げ、埋没して
いる自分を何とか救い上げてはいるが、平均性を求め、責任回避をしている。
『和同の精神』という、長岡高校の精神がある。和すれど、同じない心がけ。
「世人」にも、その属している質もあろうが。情報化社会が、「情報世人」
(いま、私が創った言葉)たる、何も考えられない俗人を生み出している。
しかし、最も格差を生む、情報の質量の格差は大幅に改善されることも事実。
「世間の、どこが悪い」「世人のどこが悪い」というと、小さい世界の中に
閉じ込められている自分に気づかないこと。いや気づかない方が良いのかも。
 で、また偶然だが、丁度よく、以下の内容に続く。