* オウム教の大量死刑で
麻原はじめ、7人のオウム教徒が処刑された時には、中国地区で大豪雨が。
そして今回の6人の死刑で、この不自然な台風発生と、東京拘置所のある関東を
通って名古屋拘置所のある近畿地区に逆走し中国地区を抜けていった。
東から西への逆風は気象庁始まって以来、初めて。前の大雨の土砂崩れの地区を
狙いすましたようなコースである。 これは「意味ある偶然の一致?」。
この2つの災害と、オウムの死刑執行を結びつけるべきでないだろうが…
それにしても出来過ぎ? こじ付けといえば、それまで。
≪ オウム真理教は、平成元年の坂本弁護士一家殺害事件や平成6年の
松本サリン事件、平成7年の地下鉄サリン事件など数々の事件を引き起こし、
合わせて29人が死亡、およそ6500人が被害に遭った。
平成7年3月から始まった強制捜査では192人が起訴され、首謀者とされた
松本元死刑囚など13人の死刑が確定した。
一部の元信者が逃亡を続けたため刑事裁判は長期化したが、ことし1月に
地下鉄サリン事件などに関わった高橋克也受刑者の上告が退けられたことで
終結し、死刑囚が事件について証言を求められる機会がなくなった。
その後、一部の死刑囚は東京拘置所から全国5か所の拘置所や拘置支所へ
移送され、今月6日、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚ら7人に
刑が執行された。
ほかの6人は、東京拘置所、名古屋拘置所、仙台拘置支所に収容されていたが、
法務省によると、26日午前、刑を執行したという。教団に対する強制捜査
から23年余りがたち、教団の死刑囚全員に刑が執行された。≫
ー―
寅:八つぁんに聞くけどさ、こんなことを、言うと「変じゃないか?」と
言われるけど、偶然の一致にしても出来過ぎじゃない。「意味ある偶然の一致」
の手の話なら、得意分野でしょう。 実際のところ、如何?
八:東京拘置所のある関東まで一度行って、そこから逆コースを辿るんじゃ、
何かのサインと仮説をたてやすいね。でも、集団によるヒステリックで、自然
現象を発生させることは非科学的だね。それより、そのタイミングに自然に
合致した刑の執行とすると、何にも不思議ではない。「意味ある偶然の一致」
とは、本来、そういうもの。
寅:それにしても、宗教団体がさ、サリンテロはないよ!誇大妄想もいいところ。
熊:寅が言われるまで、全く関連して考えてなかったね。言われれば、やはり
何かを感じるけどね。ネット上だから、あまり深い問答をしない方がいいよ。
寅:カルトだし、公安もピリピリしているからね。20年以上経過した現在、
早々に、消し去る必要は、あったね。
八:最近、何か変な力が自分の内部で動き出したので、今回の件に気づいたの。
半年に一度は、クラス会とか、ジムで、露骨な嫌がらせに合うの。そこで、
二日かけて、100回、全身全霊で首を削ぎ落すイメージを持つの。そうすると、
怒りの繰返しから解放されるの。でも、1〜2年後に、対象者か、身辺に異変が
起こるの。元もと異変を抱えているから、わざわざ、私に仕掛けてきただけだが。
熊:ほぼ、8〜9割方は、そうだよな。でも、コジツケもあるね。これを自分も
真似をして遣りだしたが、良いね、これ! スッキリするしね。
寅:どうも、最近、俺が変なのは、熊のせいかい? 嫌味を言うと、数日、
変な目つきをしてさ、その後、スッキリした顔をしていたな。
熊:御前の場合、その都度、念を入れて200回はしているよ…。 冗談、冗談!
八:問題はさ、無心で怒りをこめて、打ち落とすことさ。それで、解決すればね。
ここで言いたいのは、オウムの死刑囚が13人も、全身全霊で日本という国家に、
怒り心頭で呪ったら、この程度のことは可能ではないか?ということ。
私の場合、信濃川の大橋の上で、地球の芯に向かってエネルギーの補充をして
いるイメージを持って… これ凄いエネルギー。でも現象化が二年後だからね。
大家:御前の良くないのは、この一連を楽しんでいることさ。でも、合理的だね。
八つぁんの心象風景も貧しいね。もっと、豊かなイメージを持てないのかね。
八:リタイアまでの20数年は、秘・異郷ツアーで、バッサと、削ぎ落とせたが、
今ではね… それでも、TVでYouTubeなどの行き先の映像を見て楽しめるしね。
寅:寝室に連日、籠って、TVを嬉しそうな声を出してさ… 楽しそうじゃないか。
でも、俺なら変になるな…
八:『3:10:60:27の法則』のさ、「3」だけを取り出して、紡いだスケジュール
がね、非常に効果的に動いているからね。あと僅か?の残された人生なら、
「3」を最優先して毎日を過ごさないとね。
神様:こんなバカな事、書くもんじゃございません! ったく、この男!
・・・・・・
5615,かわいい自分に旅させた ー?
2016年07月30日(土)
<『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
* かわいい自分に旅させた 〜A
40〜50歳代にかけて40回、合計51回。家内と遇わせて?90回、海外旅行に
出かけたが、その殆ど格安パックツアー。 夫婦で月あたり10万の贅沢。
10万×360回。一点豪華主義?で 何とか可能にしてきた。凡そ家屋敷一軒分。
あと5回で家内と合計で、100回になるが、年、二回なら可能だが、無理?
肉体的には、厳しいだろうが、問題は気力と、体力と、?。
10億円の現金と、どちらを選ぶかといえば、間違いなく旅行を選ぶ。
では100億なら、どうする? さあ、どうだろう? 旅行可能が5年とみて、
半分の50億、年に10億を使ってみたいが、私には無理か。そうこう考えると、
10億の価値は充分あった実感がする。「かわいい自分に旅させよ」のフレーズ
は、さすが作家。 別腹の人生が、そこにもう一つあるような。
≪ 私は感動を求めて旅に出る。いや、あえて求めずとも旅は必ず感動を
もたらしてくれる。感動に出会ったとき、日ごろ金や時間や手間を惜しんで
旅せぬ自分を愚かしく思う。誰のためでなく、かわいい自分のために旅する
のである。 先人たちは不便な旅をしていた。しかしその一方で、悠長で
あるがゆえ深い旅の味わいを知っていたはずである。
今やその気になりさえすれぽ、日本中どこであろうとあらかた日帰りが
できるのだが、その手軽さ気軽さのおかげで私たちは、まるで漫然と映像でも
眺めるような旅をするようになった。
非日常の世界を訪れ、感動する。本物に触れ、五感をふるわせる。
先人たちの不便で悠長な旅、あるいは知らぬことぱかりの子供のころに体験した
旅とは、そうしたものであった。もし今日の旅の便利さはそのままに、本来の
そうした感動を得ることのできる旅があるとしたら、どんなにすばらしいだろう。
より深い日本を求めて旅に出たい。いにしえの旅人と刻を同じくし、溜息を
分かち合えるような、深く美しい日本にめぐりあいたい。 私たちは生まれ
育ったふるさとについて、知らないことが多すぎるのだから。≫
――
▼ 旅は、非日常の世界であり、日常と違った世界が別次元で流れている。
そして、自分の世界も、その一つでしかないことを教えてくれる。
それと、感動である。「ここ、いま、じぶん」を、感動は焼き付けてくれる。
「この感動を、ほぼ大部分の人は、知らないで死んでいくのだ。もしかして、
自分も、その一人だったかもしれない!」という激しい感情と、その世界との
同化である。この「かわいい自分には旅させよ」のフレーズのとおり、この
感動を、自分に与えてくれのは自分だけである。 〜つづく
・・・・・・
4885,閑話小題 ーこの20年間最大の変化とは? 〜2
2014年07月30日(水)
ー『スマホの次に流行るものは』岡田斗司夫ーより
* 20年後には、どうなっている?
20年前は、Windows95の発売直前であり、まだパソコンも、ネットも、
携帯電話も普及したての頃。スマートフォンも、タブレットPCもなく、ノート
PCが普及を始めて5年ほど経った頃である。それが今ではスマートフォンと
タブレットPC。 これは未来学者も想像すら出来なかった優れもの。
それからして20年後の予測など、考えられないはずがない。
ー以下の箇所は、既に現在進行のものが多いー
≪・二十年後は検索がさらに滑らかになり、何かを思い出したとき、それが
本当に自分の記億なのか、ネット上のデータなのか、区別がつかなくなる。
SF的にいうと「脳の外部化」だ。これからスマホは、腕時計やメガネのように
ウエアラブルで身に着けるようになる。さらに小型化すれば、肉体の一部に
埋め込まれるかもしれない。情報は画面で見るのでなく、プロジェクターで
外部に映し出される。会議で紙の資料を配らなくても、視線と連動して
目の前のテーブル上に文字や絵が投影される。そうなると現実の光景と、
ヴァーチャルな画像とが共存するのが当たり前になる。
・二十年後の地球は、人口が増えすぎて資源が底をつき、経済は低迷して、
あらゆる人が貧乏になっている。資源とエネルギーは最小限にし、情報だけは
ありあまるほど使うのがカッコイイ平均した生き方になる。その次には、限り
ある時間をいかに大切に使うかもかっこよくなる。その時代は、実際に活動する
のでなく、やった気になることで満たされる。自分でエベレストに登るのでなく、
そのヴァーチャル映像を自宅で眺め、疑似体験するのが楽しみになる。
数万人に1人ぐらいは、手間と時間と金をかけて実体験するが、ヴァーチャル
映像の感動に比ぺてせいぜい五割増しが限度という具合。それなら、ほとんど
コストをかけずに疑似体験したほうがいいことになる ・・・(略) ≫
▼ 年金生活と年齢もあるが、以前ほど海外旅行に行きたいと思わなくなった
のは、これまで行った先の写真と 映像をネットで手軽に見ることで擬似体験が
出来ることがある。実際に現地に行った上、ネットで検索したベストのブログの
写真や映像を見ると、その何割かを追体験をした錯覚が起き、記憶そのものが
書き換えられる。二度、三度の繰返しで、擬似旅行体験が、よりリアルになる。
またシネマではヴァーチャル世界が年々迫力を大幅に増し、実体験より遥かに
刺激的になっている! またスマホとタブレットのネット情報を、大型TVにも
映し出すことが可能になった。物価は上っても、ヴァーチャル情報の値段は
下がり続けるため、疑似体験の価値が限りなく高くなる。インスタントラーメン
を食べながら、高級レストランの食事場面を見て、満足するしかない時代。
缶ビールとツマミをスーパーで買って、居間で「酒場放浪記」で日本各地の
居酒屋で、レポーターと供に、店内の客と一緒に飲んでいる気になっている
視聴者と同じようなもの。これは未来でなく、現在、既に起こっている現象。
目を凝らしてみれば未来は既に起こっている。気がつくかつかないかである。
・・・・・・
5250,全球凍結 〜地球大進化46億年 ー?
2015年07月30日(木)
ー「地球大進化 第1回 知られざる“生命の星”の秘密」2004年11月22日分ー
の再放送を先日見たが、これが、面白い! 〜まず、その内容説明より〜
《 私たちの「母なる地球」は小惑星の衝突・融合で生まれ、海洋蒸発や
全球凍結等の大変動を経てきた「荒ぶる星」だった。40億年前に、微生物で
始まった生命は、大変動を乗り越え、酸素を作り、目に見える大きさにまで進化
してきた。そのたくましさを幅広い取材で描く。》
* 二度の全球凍結
生命が現在に至るまで多くの試練があった。二度の全球凍結と、二度の大爆発。
(二度の大爆発は次回に取上げるが)、初めの全球凍結を乗越えるため、
「真核生物」が生まれでた。その凍りついた氷が解けて、海がうまれ、そこから
生命が進化していった。新しい全球凍結では、「多細胞生物」が生まれた。
何事も、克服できないと思われる困難に自らを劇的に変化させ(進化)、
生命は生延びてきた。 〜その辺りから〜
≪40億年の生命の歴史のなかで、80%以上の時間、私たちの祖先は微生物の
ままだった。では、なぜ大きくなったのか。その謎に迫る「全球凍結」仮説が注目を
集める。全球凍結とは、二度、地球全体が赤道付近も含め完全に氷床に覆われた
状態のこと。その二度というのは、22-24億年前と、6−7億年前のこと。
不思議なことに、どちらの出来事も生物進化の重要な局面と時期的に一致する。
古いほうの全球凍結は、「真核生物」(簡単に言えば細菌以外の生物)の、
新しいほうの全球凍結は、「多細胞生物」の出現と一致するのです。
そして、そのどちらも酸素濃度の急激な上昇が生物進化の鍵を握っていたのでは
ないかと考えられています。この二回、地球はすべて凍りついた時に、光合成
による酸素が、空気中のメタンを激減させ、温室効果を低下させたからだ。
しかしこの危機が、長い進化の停滞を打ち破った。全球凍結後、一転して高熱
になった地球では、光合成が活発化し、そこで作られた酸素を利用して、生物は
コラーゲンを大量生産するようになったのだ。コラーゲンが細胞の接着剤となり、
生命は大型化を可能にした。≫
▼ この番組で、科学者は、「地球の生命は、この2度にわたる全球凍結の
大変動がなかったら、今でもバクテリア以上に進化していなかった可能性がある。
動物は現れず、微生物だけの世界になっていたかも知れない」という。
生物黎明の太古の時から、地球は環境大変動システムで、生き延びる生命を
選別してきた。宇宙、地球、大自然、そして生命は、知れば知るほど面白い!
・・・・・・
5980,閑話小題 〜知恵という名の書物の第一章は、正直である
2017年07月30日(日)
【自分を磨く言葉 本田季伸著】より
* 知恵という名の書物の第一章は「正直」である 〜ジェファーソン
毎日、16年以上、これを書き続けていると、何もかもを素直に書くしかない。
問題は、正直に書くことで、暴露的内容も出てくることである。その上に、
日常の感情が正直に現れ出て、かなり際どいことを書いたのだろう。
ここで著者が、
【 最高の自己実現を果たすには、人と自分に正直になり、自らの野心のために
「不誠実な行動」をしないことです。 なぜなら、人格を向上させ、どんな時
でも内なる心に従い、「正しい選択」をし、「誠実な対応」を心掛けていれば、
誤った方向に道を踏み外すことがないからである。
自分の信念と相いれない言葉を使ったり、無責任な行動をとらないことを固く
誓うことが、多くの人の心をつかみ、沢山の幸運を招き入れる「マスターキー」
となるのです。】という。
▼ 正直であることが、時として悪い結果を生むことになるが、「我が上なる
星空と、我が内なる道徳法則、我はこの二つに畏敬の念を抱いてやまない」
と、カントの墓石に刻まれているが… 内なる道徳法則が確たるものかどうか。
――
* 小さな約束を守る
【 肝心な点は、小さなことでも約束をして守るようにすれば、より大きな
約束を守る能力が高まることである。 〜スティーブン・R・コヴィー 】
▼ 会社清算とはいえ、会社を倒産させた当事者として、返済の約束を破った
事実は事実。経済社会では、大きな落伍者としての烙印を押される。65歳を
過ぎて、今さら再起など考えもしないが、最後の着地の失敗は… とはいえ、
何事も受止め方しだい。約束といえば、会合や待合わせ時間の約束。
これは、その人そのものが端的に現れ出る「小さな約束」である。
1人の遅刻は、待っている人数分が掛け合わされることさえ、自覚できてない
現れである。「10分前が基本」の社会常識を知らない最たるもの。異質社会の
経験が少ないため。小銭と同じく、まずは約束時間に神経を配ること。
最後の最後、大きな約束を破った私には、何も言えないが。
金と時間に関して、関西系は特に厳しく、東北、北陸は甘い。
・・・・・・
4518, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー8
2013年07月30日(火)
『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
* 「断食往生」の具体的工程
人生など考えてみれば、日々、緩慢なる自殺行為の積み重ね、それが病となって
死に至る。とはいえ、それが中途半端のため、直接、自殺するのも問題を残す。
そこで断食で餓死という方法=「断食往生」もある。
ー まずはその部分を抜粋して、考えてみようー
《 まず、基本的には、現在の、死に際に医療が濃厚に介入する「医療死」では
なく、子どもの頃に接した年寄りの死に方、何百万年と続いていたご先祖様の
死に方、「自然死」が希望です。ぼけたり、寝たきりが年余にわたれば、わが家
は家庭崩壊してしまいます。 そこで、タイミングがむずかしいのですが、
完全にぼけ切る前に、山折哲雄さんの提唱する「断食往生」ができないかを
考えています。具体的な工程は、山折さんは教えてないので、中村流に考え、
まとめた「事前指示」が表5。西行さんのように「死に時」が察知できれば、
非常に楽だと思います。できるだけ体内サインに敏感になれるよう、できるだけ
自然に任せて様子をみるというトレーニングを積むようにしています。
○ 中村流「断食往生」の具体的工程
一、五穀絶ち 7日間 二、十穀絶ち 7日間
三、木食 7日間(木食は木の実だけを食べること) 四、水断ち 7日間
これを見ると、すぐ顔色を変えて、医者ともあろうものが自殺を勧めるとは何事
かと、威丈高になる建前論者がいますが、大丈夫です。日本人の自殺願望という
のは、いっそひと思いにとか、注射一本でというせっかちなものです。
このようにほぼ一ヵ月もかけてというのには、よほど強靭な精神力が必要です。
そんな日本人は、極めて稀でしょう。なぜ7日間にしたかには理由があります。
比叡山延暦寺の修行の中に、千日回峰行がありますが、その7百日目位の時に、
断眠、断食、断水の「籠山行」があります。そして、水断ちは9日間以上やると
危ないという言い伝えがあるということを聞いたのと、老人ホームで、一滴の水
も身体に入らなくなって亡くなるまで、7日〜10日が多いという事実を重ねた結果。
延命治療に間しては、日本尊厳死協会の「いっさいの」ではなく、個別に
「心肺蘇生」「人工呼吸器」「人工透析」「人工栄養」「輸液」に関して指示
しています。 心臓は、もう70年以上も生きているんです。
原因のいかんを問わず、ひとたび停止すれば、そのままでいいのです。》
▼ 30年の間のホテル営業で、様々な自殺があった。警察からは泊めた方も
当事者として自殺者の動機とか事情が知らされる。自殺者にとって、この世は
苦海で、死ぬだけの理由はそれぞれに十分にある。誰も自殺などしたくない、
死ぬしかない理由が、あるから死ぬのである。 数日後、体調が悪くなって、
「あと三ヶ月です!」と言われれば、死ぬまでの間は地獄。そうこう考えると、
断食往生などの自死も真剣に想定しなければ。大往生など諦め、もがきながら
逝くのも自然だが。
・・・・・・
3778, ユング ー12
2011年07月30日(土)
* 箱庭療法 ー1
ユングといえば(日本では)河合隼雄、砂遊び療法を箱庭療法に発展させた人。
彼の著書で、その概要は知ることになった。一種の創造療法だろう。幼児の頃、
砂場で山を作ったり、幼稚園で初めて手にしたクレヨンで我を忘れて家や
動物の絵を描いた、あの頃に立ち返り、用意されたオモチャの植物や動物で、
思いのまま自分の内的世界を表現することで、自分の中の何かにつながる方法。
その辺のことを、あるHPに分かりやすくマトメテあった。
まずは、その部分をコピーしてみた。
≪「箱庭療法」は、1929年、イギリスの小児科医ローエンフェルトが、
子供のための心理療法として考え出したもの。 ユング派の心理療法家ドラ・
カルフが「砂遊び療法」として発展させた。 後に、日本の心理療法の第一人者
であり、ユング派心理療法家でもある河合隼雄氏が日本に持込み「箱庭療法」
と名づけた。 その方法はいたって簡単。52cm×72cm、高さ7cmの
長方形の箱に砂を入れます。さらに、動物や植物、建物などの様々なおもちゃ、
人形などを用意し、適当な場所においておきます。患者は、箱庭のなかに、
先ほど説明したおもちゃや人形を自由に使って、遊びながら自分の内的世界を
表現していきます。ここでは、治療者は、特になにもしません。患者を見守る
役に徹します。この「見守る」ことには、深い意味が込められています。
治療者は「見守る」という行為を通して、患者の状態を深く理解していきます。
また、患者は治療者に見守られていることで、安心して自分自身の内面を表現
することができます。1回の治療単位をセッションといいますが、患者が箱庭を
見つめるだけで、なにも表現しないセッションもあります。ただ砂にさわって
砂遊びをしているだけのセッションもあります。こんなセッションのときでも、
治療者は特に指示をしないで、見守り続けます。 ーつづく ≫
▼ 人生を俯瞰すれば、箱庭みたいなもの。色々なオモチャを掻き集めて、
自分の庭に配置する。それを、小さな箱内でやるのだから、面白いといえば
面白い。言語というと、その限界で真の気持ちが表現できないが、玩具を箱庭に
気ままに配置すると、自分の中の精霊が知らないうちに心の底から湧き出て
きても何ら不思議ではない。私は家庭菜園は知らないが、そこには、箱庭的な
面白さがあるはず。他に遊戯療法というのがある。これは遊びを通して悩みや
問題を表現し、子供の心理的な問題に取り組み、課題を乗り越える。
この場合、次から次へと玩具を変えて落ち着きのないケースが多くなる。
言葉や絵となると、その表現に限界ができるが、玩具の組み合わせは、それを
取り除き具体的なモノを組み合わせることで自分の心が表現される。
この随想日記は、言葉の箱庭?になるのか?
・・・・・・・・
3413, 中学校同期会 −65歳
2010年07月30日(金)
まだ65歳まで半年あるが、先日、長岡郊外にある蓬平温泉で中学校・同期
の会が開催された。出席者が67人で約2割が出席をした。この年齢では2割弱が
亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している「あの世の会」と思うと
一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名の名が
呼び上げられ、黙祷をした。5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、
三分の一の110名の出席者。4割減ったことになる。60歳を過ぎると年々、
老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、何らかの問題が肉体に
出てくる時期にはいった。今回の同級生に卒業以来初ての出席の女性が2人いたが、
どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には懐かしさのあまり
泣いていた人がいた。私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、
頻繁にクラス会を開かれていた。20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ
毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、転居をしたために、
還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから
可能なのだろう。 男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、
まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。それにしても、65歳は長く
生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、
そのことが目的である。それで充分。しかし、恵まれている人は何処までも
恵まれており、そうでない人は、そこから抜け出せないのが人生。九州など
県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほど合点がいく。
通ってきた道で出会うことは、奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの
宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を重ねるごと実感。
幹事は大変である。とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!