* 前回、書いた疑似家族
 先週分の録画『家についていってイイですか』の内実に驚いた。
何気なく声をかけた老人のアパートの一室に入ると、そこには思いもよらぬ
ドラマのような世界があった。 再び概要を書くと… 
<・78歳の老人のアパートの一室に血縁のない4人が住む。老人はバツ2。
・娘は最近、養女縁組をしたばかりの精神病経験を持つバツ2の女と、
 その男友達(29歳)。
・それと養女の友達という精薄(3〜4歳の精神状態)の20歳位の娘。 
その若い娘と、老人と、男友達との男女関係がないという。生活は、年金と、
生活保護が収入源。これも疑似家族? 男友達が時々、暴れるが、その痕跡が
壁にあったが、それでも比較的平穏に暮らしているという。寂しい独居老人が、
行くあてのない三人を親代わりに面倒をみている姿が、『万引き家族』の家主
の老女と同じ。>

▼ 小さな二間のアパート一室。何かしら哲学的、文学的な設定である。
 そこに80歳に近い老人の優しい心持が何とも良い。足の踏み場がない狭い空間
の中で、身寄りのない赤の他人が寄添う。まずは、この養女の心根。夫換わりの男友達と、
3〜4歳レベルの精神薄弱の年頃の友人を母性本能で抱え込む姿に動物的愛の姿が露出する。 
 そろそろ?熟れ時の若い女。 問題は男友達の間隔。かなり危険な状況。
80歳近い老人も、何時、病気で倒れるか分からない年齢。
何時なんどき崩れるかもしれない愛の積み木のよう。今どきに、これほど時代掛かった
環境が、現にそこにある。一歩、家庭内に入ると、何れの世界にもあるタイトロープの世界。
気付く気づかないかだけ。 老いも病とすると、ここには病人だけ存在する。露出された愛
と無知と、人の営みが現にある。独居老人より、遥かに良い生活環境? 
 学生時代の25室の「青雲寮」。戸板一枚しかない部屋(施錠可能)に、毎日、入れ代わり
立ち代わり誰かが入ってきて、日々の経験と、悩みを話す。寮全体が、疑似家族のような、
自分の潜在意識のような働きがあった。その経験があればこそ、この疑似家族の温かさが
伝わってくる。

追文: 写真は軽井沢の「友愛山荘」の庭での何かのパーティのスナップ。
 同寮の2人とも早大だが、卒業と同時にウィーン大学の交換学生制度を使い留学していった。
 私は創業期のスーパーの世界へ。それぞれが夢を持って空を見上げていた時代であった。

――――
2016/04/30
若者よ、外に出よ! ー?                 
   * 学生時代は、人生の砂場遊び〜  
 人生も古希を過ぎて一年、人生をある程度達観視出来るようになってきた。
両親、家族、そして時代背景からして、非常に恵まれていた。特に、20、
30歳代が高度成長期の真只中、時代の波間を順調に泳ぐことが出来ていた。
 50歳代後半から65歳までは、9・11テロ、中越地震刈羽地震
リーマンショックの直撃を受け、止めが3・11東北大地震となり、事業閉鎖に
至ったが、何とか、最悪の事態はさけることが出来た。で、「人生のどの辺り
が一番良かったか?」と問われると、「20〜45歳までは、どこもかしこも、
良かった」としか言いようがない。それでも、敢えて言えば学生時代、それも
3年、4年の2年間である。学生時代は、社会的ステータスなどを一切問わず、
様々な人との出会いが出来た。そこで、一番に恵まれていたのが暇である。
≪ ー暇な大学生活のすすめー   『人生の教科書』 なかにし礼
 4年制大学への進学を強くすすめたい。・・ 出てすぐ、さあ給料だ、
保険だ、家賃だ、働け、といった生活になることを4年間遅らせられるという
ことは、素晴らしいことだ。大学での4年間、この期間は純粋に友達と付き合い、
笑い、遊び、そして家に帰ったら本を読み、という、当然学生がそうあるべき
生活を送ることがとにかく大事だと思う。特に、本を読むこと。それが学生の
本分なのだから。試験問題に取り組み、解答を見て悩んだりする。その行為自体
は生活とは全然関係がない。しかしそういう生活と無縁なことをすることに
よって、実生活には必要ではないけれど、人間にとって大事な何かが養われて、
培われていく。そして大学生活が終わると突然「生きるために必要なのは」
という生活になるわけだが、そうなったときに忘れなくても済む何かを、
4年間もあれば学べるはずだ。だから大学へは行ったほうがいい。
これはもう、心からそう思う。 ≫
▼ 学生時代はモラトリアムという。この意味とは「執行猶予期間」で、
 これを人生にあてはまるのならば、「実際には成熟した身体を持っている
のに、社会にはまだでず、社会に出るまでの猶予期間」になる。
大学生活とは社会に出るための準備の場で、社会人への執行猶予期間になる。
そこで、自分を見つめ、自分の人生の目的を見つけるため、様々な読書、
各地の様々な人との付合いをし、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を知り、その後の
人生を充実させることだ。人生でやりたいこと、方向を、主体的に探し、努力
することが重要だ。そう人生は、公園の砂場遊び、箱庭遊びのようなもの。
 読返してみて、文章化しておいた価値・意義を、つくづく実感する。
―――
2001/12/20
青雲寮(わが青春)
私が学生時代過ごした寮ー青雲寮のことを書いてみよう 。
場所は飯田橋から都電で新宿への中間 、新宿の牛込柳町にあり
早稲田南町のバス停にも近い住宅地であった。
また、歩いて15分ほどで、四谷や、早大、神楽坂などに行けた。

早稲田大学の理事の自宅の庭にあり牛小屋のような造りで、
古くきたないL字型の24〜5室の寮であった。
早稲田の学生が3分の1,あとは各大学の在学生で占められていた。
そこからは代議士(渡部恒三)や県会議員が数人ずつ出ており、
汚い棲家でもけっこう皆プライドはもっていた。

全国からの出身者のため個性的な人間の集まりであった。
今でも年数回、そこに今でも住んでいる夢を見る。
月に数回は10人位集まり酒を買ってきて飲んでいた。
誰か必ず部屋に遊びに来ている状態で、あまり勉強に良い環境とは
言えないが人間勉強という意味で非常に良かった。

自民党の総裁の鳩山一郎系のいきがかかっていた。
思いもよらない先輩がいて、よく赤坂とかあの頃の学生では行けない所に
飲みにつれてもらったりした。音羽鳩山御殿も数回行った憶えがある。
その関係で軽井沢の友愛山荘に長期の休みにアルバイトに行ったりしていた。
そこで学生時代の大きい財産になった欧州旅行のきっかけもできた。

その寮は一緒に生活をしている事もあってか、癖が強い人間が多かった。
私生活がお互い丸見え、どうしてもアラが見えてしまう、と同時にサル山と同じ
勢力争いがあって結構それが面白かった。ホモあり、女狂い有り、哲学専攻で
いつも一人ニヤニヤぶつぶつ言っている先輩あり。真面目のいやみな先輩あり、
学生運動の闘士有り、今考えてみてもかなりおもしろい寮であった。

学生時代はこの寮と武澤ゼミと欧州旅行とクラブを除いては考えられないが、
いい経験をした寮であった。私の大学の友人の間でも、この寮の存在―
特に汚い馬小屋風の寮で珍しがられていた。 父がこの寮に卒業の八ヵ月
前にきて、翌月から仕送りを二倍に上げてくれた事で、いかに凄いか
想像出来るのでは。               2001/05/24

――――
2010年09月02日(木)
* 初めての21歳の欧州旅行 ー3
 初回の欧州旅行で、帰国して半年間は自失呆然状態であった。 
自分の心が粉々に粉砕されてしまったようだ。カルチャーショックである。
今から思うと、これが良かった。両親から受け継がれていた小さな世界の
価値観が根こそぎ壊れたのである。それと「自分は東洋の小さな島国・日本の
黄色人種」という目線を得たことである。これをキッカケとして、根こそぎ
自分を変えなければ学生時代の4年の自由時間を与えられた価値がないと気づく。 
それと社会、世界は、不平等で格差であること。世界には豊かな人種と国家が
あり、反対に貧しい人種と国家が満ちている。その中で生きていく自分を作る
基礎を学生時代に培わなければと、気づいたのである。とにかく世界は広く、
深い一端をみた。 話は戻るが、ロマンチック街道から見た、川添に展開する
お城と、景色。それと、早朝にスイスに霧の中から見えたレマン湖とスイスの
渓谷の美しさに言葉を失ったことを思い出す。 毎日にように、これまで、
想像すらできない光景を、これでもか、これでもかと見せられるのだから・・ 
当時、中高年の人で、あまりのカルチャーショックで精神の異常をきたす人が
多いと聞いた。現在のように、写真に、テレビの旅番組に、ニュースに、
映画の背景として過剰に入ってくる時代ではない。私のように、中高校の白黒
の小さな写真でしか見たことがないものを、次から次へと見れば、感動の蓄積で、
脳が変になって当然である。 幕末の獅子たちで、当時、欧米渡航経験があるか
ないかで、動乱の中で大きく、その後を左右したというが、当時の彼らは欧米
の社会を驚愕の目で見てきて近代国家の絵図を描いたのである。
時代も、スケールも、全く違うが、それでも21歳での経験として、
大きな財産になっている。

――――
2002/12/05
ある時間の断片-15
  1968年10月5日  土曜日
昨夜飲み過ぎせいか頭が痛い。
10時に深井に電話をするが、アユに用とかでお流れ。
集団デートお流れ。小作の方にしておけばよかった。
その後、酒井君が部屋にきて疎外論から人間関係論について
話し合う。かなり哲学づいているようだ。

深井が部屋にくる。車を持っていると行動範囲が広い。
新橋の深井の自宅に行く。親父に紹介される。
40店舗を持っている新橋しのだ寿司の社長だ。
私に興味があるみたいであった。

食事をした後、彼と東名高速で横浜・板付へドライブをする。
あまり面白くなかった。帰寮後、ボクシングの世界戦をみる。
小林が一方的に勝つ、つまらない試合であった。
その後食事に行く。
TVを見ていると市川さんが飲みに誘いにくる。
寮の近くの「三浦」という行きつけのスナックへ行く。
帰寮の後夜半の2時に寝る。
明日からは本格的に卒論に集中しなくては。

・・・・・・
2002年11月08日(金)
574, つれづれに-学生時代のこと

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」
という題で書き写している。そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っている。
記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。

変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。
今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。

学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活
・武澤ゼミと卒論
・欧州の一ヶ月の旅行
・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出
・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出
・合コンや合宿などなど

結構多くの構成が重なっている。
この4年間が人生の圧縮であった。
物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、出来事は数え切れない
ほどのことがあった。

脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが
私の場合創業を目指していたこともあり、刺激の強い20年間であった。

武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。
高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。

毎日日記の中で色々な友人と語っている内容は、これからどういう
生き方をしようかという内容と、批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。
・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。
・自分で事業を起こしてやろう。

そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。
如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。
何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった

・・・・・・
002年11月09日(土)
575, つれづれに学生時代のこと  ー2

現在、学生時代の日記を書き写していることは意味のあることだ。
ユングは「人生に午前の人生と午後の人生がある」といっている。
その価値観はまるで違う物差しになる。

今の私は午後の人生の学生期にある。
それで敢えて「学生時代の日記を書くことで、これからの
午後の人生の設計の基礎を考えようとしている」事になる。

若い時には仕事や家庭創りや物質など外に見出そうとした。
午後はその時に見出されなかった事や、人生全体の何かを
自分の中に見出していく時期だ。

そのことは「夜と霧」を書いた心理学者のフランクルもいっている。
コペルニクス的視点の大逆転人生に何を求めるのでなく、
人生が何を求めているかの追求」である。

人生の意味の完成というと難しいのかもしれない。午後の人生を
余白でなく、新しいページの書き込みの過程として捉えると解る。

その意味で学生時代を省みるのは理のある行為である。可能な限り
行動し、知り、新しいものを開拓していく設計図の再構築が必要
ということ。

その下敷きとして学生時代の日記を見てみると違う視点が生まれる。
別に難しい事をいっていない。両親がそれをしっかりやって死んで
いったモデルがある。

・・・・・・
2002/10/27
ある時間の断片ー7 
        1968年   9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。
13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。
近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。

思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。
メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。
それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。

夜から早速議論をはじめる。
課題は「遊び」。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」
「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊び
ー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。

終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と飲んでいると、
武澤先生がこられる。
その後夜半の12時半に寝る。
―――
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。
背景にベトナム戦争、大学紛争、そして高度成長期の真っ最中
でもあった。歌ももう二度とこういう時期は来ないというほど名曲が
生まれていた。

その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。
夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、大阪のメリヤス問屋
に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という
禅寺に一ヶ月にも行っていた。そして自宅に帰った後の日記である。

学生時代の十数年間の総括の時期であり、
また新しい世界への旅たちの直前であった。
この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。
いろいろの人との邂逅と喧嘩と別れの時期でも合った。

寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が付いて
なかった。寮にゼミに教授クラブに友人に恵まれていた。
赤面する場面は当然カットして写している。

大学で学んだ事は、本を読む事、他人の話を聞きとること、議論を
する事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。
人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー

父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、
あまりの凄さに同情したのだ。でも楽しい生活であった。
友人が吹き付けるようによって来た。
一人になれないのが悩みでもあった。あの孤独の都会生活で最後に
は友人が吹き付けるように集まったのは本当に良い青春の財産だ。

・・・・・・
5245,ペットの話
2015年07月25日(土)
 居間の座いすの、障子とガラス戸一枚越しのサッシで囲まれたベランダに、
籠に入ったインコが鎮座している。30数年間、代々にわたって10羽目になる。
平均滞在3年になるが、殆どが逃げていくか、病気で死ぬ。現在のインコの
滞在は4年半。一代前の中型のコガネインコは、頭が良くて懐いていたが、
一年半で病死をした。現在のインコは、オウム科で最小の型で、性格が穏やか。
とにかく癒される。 以下の哲学者のペットに対する指摘が分かりやすい。
   * ペットは教師    ーニーチェ「超」入門ー白取春彦著ーより
≪ 本当の教師はさまざまな角度から能力を自覚する契機を与えてくれる人だ。
 知識など二の次にすぎない。日陰に押し込められている能力を解放さえさせて
くれれば、必要な知識などはおのずと吸収されてくるものだからだ。
そして、そういう真の教師は生身の人間とは限らない。
 書物である場合も多いだろう。風景かもしれない。一皿の料理かもしれない。
ある見知らの人間の態度かもしれない。飼い犬かもしれない。
 犬が教師になるかもしれないというのは隠喩でも皮肉でもない。
人が犬などのペットを飼うのは、本能という自然にしたがういさぎよい態度に
魅了されるからだ。動物はいつも今を生きている。来るべき時間に起きること
を想像して心配したりしない。過去を振り返って悩んだりしない。つねに今を
受けとめて生きている。空腹ならば食べ、空腹でなければ餌に見向きもしない。
素直に本能にしたがい、恥じることもない。欲望を明瞭に露出する。
それでいて、自分だけよければいいという態度をとらない。
喜ぶときは素直に喜ぶ。しかし、多少の我慢とあきらめも知っている。
彼らは真っ直ぐに生きているのだ。 人間もまたそういう生き方に
あこがれている気持ちがあるから、ペットを飼う。
 ペットの癒しというのは、自然に生きることを見せてくれるからなのだ。
その意味で、一匹の犬でさえも、わたしたちの良き教師になりえるのだ。
もちろんそこには、人間が押し込めているものを解放してくれる働きがある。
これこそ、教師と呼ばれるものの最大条件ではなかったか。≫
▼ インコの「ピーコ」、鳴き声の呼びかけで振向くと、たった一つの芸、
『連続枝回転』を3〜8回、最高で50数回もする。居間の席を立って何処か
に行こうとすると、「行くな!」という意思表示と、朝の餌ねだりの回転が、
何とも愛らしい。思いたって餌をやると、必死に食べている途中に、ハッとし、
食事を中断して、枝に移動、回転をする。気持ちが真っすで、今を生きている。
 ペットから、ニーチェに飛躍するが、 〜ニーチェを語る一節から〜
『要するに、世界は無価値、無意味なものだ。この言い方は一見して絶望的な
感じを与えるものだが、人が世界に意味を与え続けている意味で、今の生こそ
が光源なのだと気づかせてくれるものである。』と、ペットは人に教える。

・・・・・・
4139, 元始、ママは太陽であった ー2
2012年07月25日(水)
  * スナックは「未知なる異空間の社交場」
 著者の言葉そのままに、何処の店も似たかよったりである。
この長期不況のため、客足は激減、スナックの数も同様である。
何とか存続しているのは、昔からの店で固定客を掴んでいる店だが、
話は不景気の話ばかり。やはり還暦過ぎると、以前のような元気は減退、
それにつれて回数も減っている。それでも月に平均二回は通っているが一晩
3〜4軒のハシゴが2〜3軒で帰ってくる。高度成長期の一時期を除くと、
スナックは儲かる仕事ではなくなった。まあ、よく維持していると感心する。 
 一部をコピーする。
≪ 日本全国にスナックはたぶん15万軒ぐらいある。15万軒の扉の中で、
 毎晩『つぐない』や『銀恋』や『麦畑』や『津軽海峡冬景色』が何万回も
歌われて、何十万人もの家族が、何十万人もの家長のママを囲んで和気藹々
夜を楽しんでいる。家に帰れば別の家族が待っているママもいるし、ひとり
暮らしのマスターもいる。 店の中では一緒に遊べる家庭があって、飲んだり
歌ったり、お腹すいたら焼きウドン作ってみんなで食べたり、「今度はどこの
温泉に行こうかなど盛り上がったりしている。この数年でやたぶん200軒以上の
スナックに足を運んできたが、裕福なママやマスターなんて一人もいなかった。
「儲けを考えたら、こんなことやってませんよ」というのは、僕がいままで
インタビューで、一番よく聞いた言葉のひとつ。でも、そこには別の「幸せ」
と呼ぶのは大げさかもしれないけれど、こころのコリをほぐしてくれる温い
なにかが、確かにあった。有名スポーツ選手を射止あたり、年収、何億という
女社長になったり、名家の女家長どして君臨したりオンナ道の「勝ぢ方」にも
いろいろあるのだろう。でも、もし僕がいい年したオバサンだったとしたら、
気の良い常連たちに恵まれた、場末の小さなスナックのママでいる以上の
幸せは、なかなか思いつかない。 ところで一説によると、日本で一番多い
スナック名は「来夢来人」(ライムライト)という。ネットによると、
その名前のママが四人揃ってライムライト・サミットが開かれたといか。
不景気話が中心だったと思うが?・・ スナックを「未知の異空間の社交場に
人生の酸いも甘いも知り尽くしたママが待っていると考えるか、酔っ払い相手
の怪しげな空間として捉えるか」でスナックの価値(意味)も変ってくる。 
カフェやバー、こじゃれたレストランがない町は日本中にたくさんあるけれど、
スナックのない町は殆んどない。共通の異空間を人を求めているのだ。≫
▼ そういえば、タンザニアの年越しに行ったスナックが印象的だった。
 タクシードライバーを中心にした小さな村の中に10坪位の掘っ立て小屋
だが、カウンターがあり、テーブルと椅子が5〜6あるスナック。
そこに30歳位のグラマーの現地人ママがいて、年末の年越しのため10人位
が焼肉パーティーをしていた。私たち日本人5人が、そこに加わり大騒ぎ、
しかし、10メートル先にはハイエナが数匹、唸り声をあげていた。
タンザニアの片田舎にも日本と同じようなスナックが存在していること
自体が奇妙な気持ちだった。スナック、そこは漆黒の異次元の寂しさを
紛らわす共同空間でもある。
・・・・・・
5975,閑話小題 〜学びことが好きな人はわずか10%
2017年07月25日(火)
            【自分を磨く言葉 本田季伸著】より
   * 学びことが好きな人はわずか10%、
 ≪「ハーバード・ビジネス・レビュー」によると、学ぶことが好きな人は、
全体の10%程度に留まり、90%の人は社会人になると、勉強すらしないのが
現状。一方、10%の人は、仕事にしろライフワークを見つけ出し自分を追い
込んで、鍛えているため、自らの中に強みを見つけ、それを楽しんでいる。≫
▼ 90%に意識を向け「世間様」という方が本末転倒で馬鹿みたい…
 情報化社会へ激変する中、情報と知識は簡単に入手できる。自分の生きる
意味(価値)を知り、自己変革を続けないと、折角、地球に生を受けたのに
勿体ないじゃないかと生き急いできたが… 根源的自己問答を重ね、生きる
意味を確認するかしないかで… そうして周囲を見直すと、数限りの材料が
転がっている?  映画プロジューサーのジョージ・ルーカスの、
『全ての人が何らかの檻に入れられている。でもドアの鍵はいつも開いている』
のとおり、何が好きなのか、何が強みかを知るため学び続け、外に出る
しかない。その蓄積の差そのままが、現在の私たちの現前に突き付けられる。
私たち檻の住人の、外側の人に対する視線が何とも微笑ましくも悲しい。
檻の外に出た人は、失敗して、がっかりするかもしれないが、外に出ないで
何もしなければ間違いなく悲観絶望する。 一期一会の垂直にたつ瞬時
(感動、感激、感謝)のために、学び続ける必要がある。
 「死んでしまえば、それまでよ!」としても…  

・・・・・・
5610,閑話小題 〜神様の働き
2016年07月25日(月)
    * 神様の働き
 出所は忘れたが、最近、面白い逸話を知った。
【 災害に会った人に、次々と、逃げるように促す人たちを尻目に、
「必ず神様が助けてくださる」と、その場に残ったため、死ぬ羽目になった人が、
天国で、神様に「何ゆえにお助けにならなかったのですか」と愚痴を言うと、
「何人も逃げろと人を通して言いましたよ」と神様が答えた!】。
 なかなか含蓄のある言葉である。5年前から、半年に1度は、見知らぬ人を
含め、嫌味、罵声が飛んでくる。今では慣れたもので心の治癒期間の予測が
可能になっている。一般債権も、労務債権もほぼ無し、自ら清算したことなど、
一般は知る由がない。そこで平然とするしかないが、やはり心は乱れる。
 何度か繰返しているうち。『これは、何かを伝えようとする神の声?とする
と、これは何だろう』と、その都度、考えるようになっている。それは、神様が
己の歪みに光を当ててくれていることに気づかされた。意味があると思えば、
何かが見えてくる。その上、蓄群のそれぞれに神様が、「復讐するは我(神)
にあり」と、具体的な蓄群への罰の事例を見せてくれている。 これが面白い。
ものは考えよう。『神は自らを助ける者を助ける』と同じ道理。学び続けている
こともあり動揺は最小だが、普通なら居た堪れないだろう、これは。
 それにしても、蓄群は程度が、あまりに酷い。『蓄群、珍獣を笑う!
そして、珍獣、群蓄を笑う!』ということか。
〔蓄群=羊のように只管群れることしか出来ない一群。その結果、何も考えない〕
  
・・・・・・
4513, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー7
2013年07月25日(木)
           『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 著者そのままを私の事前指示書にしたいぐらいだ。そこで早速、図書館から
借りていたこの本を、アマゾンで注文をした。その本に、自分の希望を書いた
ポストイットを貼り付け、仏壇の引き出しに入れておけば、それがそのまま
指示書になる。そして気が向いたらまとめてブログの分類コーナーを作り、
張り付けておけば良い。 実際のところ、気がすすまないのか、面白いのか。 
死際を考えると、すべきこと。ーまずは、その指示書からー
≪  ー 事前指示書(その1)ー    2006年9月17日2 中村仁
「医療死」より「自然死」が好みのため、意識不明や正常な判断力が失われた
場合、下記を希望する(ぼけた時は、ぼける直前に「断食死」を
敢行するつもりだが、タイミングを外す場合も考慮して)。
1 できる限り救急車を呼ばない
1 脳の実質に損傷ありと予想される場合は、開頭手術は辞退する
1 原因のいかんを問わず一度心臓が停止すれば蘇生術は施さない
1 人工透析はしない
1 経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考え、中心静脈栄養、
  末梢静脈輸液は行わない
1 不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければ
  その時点で取外して差し支えない
   ー 事前指示(その2)ー
1 使い古しの臓器は提供しない
1 葬儀式は簡素に家族だけで、遠方の者には連絡せずとも良し、
  葬儀会館使用も可
1 読経、死後戒名は不要
1 告別式不要、供花、香典は辞退すること
1 死体処理は完全に灰にするか、凍結乾燥粉砕で肥料にせよ
  (もし、偲ぶよすがが欲しければ、髪の毛か下の毛を刈り取るべし)
1 年忌法要、墓石詣リは不要(但し、死体処理が希望通りにならず、骨が
  残れば、死後戒名、年忌法要行うも苦しからず、墓石詣リも勝手たるべし)≫
▼【一切の延命処置を拒否し、葬式は密葬。坊様の読経も墓も必要としない。
 骨は、先祖の墓に読経なしで、家族の手だけで入れて欲しい。】これが私に
似合っている。父の口癖が「死んでしまえば、それまでよ」。 死ななくても、
「いつ何時、何ごとも、一期一会、瞬時過ぎれば、それまでよ」である。

・・・・・・・
4880,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー43
2014年07月25日(金)
   * チェーンストアの組織論の特徴
 チェーンストア組織論の特徴は「3階層」「5職能」 で表現される。
 (少し専門的な内容になるが)
★ 「3階層」 とは<トップ><スペシャリスト><ワーカー> の階層。
 階層を増やさず、可能な限りフラットにし、ミドル・マネジメントを
 増やさないシンプルな組織が特徴。 
 ○ スペシャリストは、それぞれの専門で、店舗なら多くの店の運営を、
  バイヤーなら、各部門の仕入れ経験をこなし、それぞれの商品の専門
 キャリアを多く持っている人をいう。売場では、多くの店と売場を
 経験した店長、次長がスペシャリストに入る。
 ○ ワーカーは、マニュアルに従って作業をする職階の人で、ノンキャリア
 社員、パート、アルバイト。ところが、情報機器の進化で、現場段階の
 ワーカーと、スペシャリストの区分が曖昧になっている。
  スペシャリストの技能が情報機器で簡単に使えるようになっているため。
★ 「5職能」 とは横割りを5つに増やし トップの下で
 <スタッフ> ※トップのためのスタッフ
 <サービス>
 <ライン・スタッフ>    
 <クリエイティブ・ライン> (商品部)〜仕入れ担当で、一般的にバイヤー
 <オペレーション・ライン> (店舗、加工、物流施設の運営)
  の機能で分担する組織である。
▼ 旧来型の組織論のライン、スタッフ、サービスの3職能を、3階層、5職能
で理論付けが特徴! 目新のが<ライン・スタッフ>=ラインのためのスタッフ。 
クリエイティブ・ラインやオペレション・ライン(マネジャー)に付くスタッフ
のこと。ラインの業務プロセス作り、カイゼン、有益な情報・データの提供など
でサポートするスペシャリスト。 これらは、チェーンストア統一伝票システム
から成立した部門別管理と、それぞれのマニュアルが、ベースになる。
それぞれの教育計画は、社員と幹部の登用試験制度と、配転計画のキャリアから
成立する。トップ育成計画と、スペシャリスト育成教育、正社員教育システムに
則って、それぞれ行われる。特にトップ教育は、本人以外には知らされずに
行われるメニューがある。職能として、スタッフとして、新規出店の開発部門、
経営計画作成、サービスの財務などの配転の中で育てられる!
官僚のキャリアの育成計画は、この計画にそって出世競争の中で勝ち残った者が
選択されるのと同じ。右上がりの時代ならよいが、右下がりになると、配転計画
段階で、多くが排除されていくしかない。私自身は、自ら10年目に行うべき
配転計画の判断ミスをしてしまった。それも、自分の限界と割りきるしかないが・・ 
高度経済成長時代の鬼っ子ということか。

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3773, 閑話小題 ー今場所は面白い大相撲
2011年07月25日(月)
  * 今場所は面白い!
 大相撲、今場所は、いやに面白い!相撲はプロレスと同じでないとしても
「現在も談合の臭い強い○○業界?」と酷似した世界。いずれにしても数年内に、
これまでの延長上の事件が発覚、「現在の相撲協会は解体、根本的出直しの事態
になる」こと必定。「税金免除の談合社会も終わりをつげる」可能性を孕んでいる。
しかし、少なくとも今場所は八百長はやりつらい。で、まず「あの方」が引退に
追い込まれた。この場所全体を俯瞰すると三十代半ばの力士達の、勝率が極端に
良くない。興行上、大関以上に日本人は一人は必要。そこで来場所から、何の引退
の替わりに日本力士が大関になる筋書きになってはいたが、今場所は難しい。で、
・・ 全体が阿吽の呼吸で場所全体の筋書きを創作するといえば、恰好がよいが、
阿吽の談合が大相撲の本来の伝統?「それを今さら何をいっているか!」が、
彼ら役者(親方を含め)の言い分である。それをいっては御終いだが、
事実は事実。現在の協会が解体されれば、国技?を前提にした税金免除だけでなく、
これまでの備蓄金も没収される。せっかく日本的伝統を長年かけ、つくり上げて
きた親方制度の蜜が吸えなくなるため、親方衆が保守的になるのは当然。 
で、今場所は、どうも、こうも、「僕らは、そうすれば良いの?」が、露出して
いるから、これほど面白い場所はなかった。今場所は、優勝は大関日馬富士
大関に一歩及ばなかった一人を含めた関脇の三人が、大関に向けて一線に並んだ。 
また、八百長で20数名の力士が追放された効果で、若手が一挙に十両・幕内に。 
地位は人を作るで、数場所で、それなりの実力が備わってくるはず。
その怪我の功名で、相撲が俄然面白くなってきた。この傾向は数年は続くだろう。
有望な力士も、古参に苛められ若いうちに、その力が発揮しないうちに枯れて
しまうのが、これまでのパターン。その上に、貸し借り、金銭のやり取りで
昇進が決まってくるから関取になったと同時に変になってしまう。その意味で
当面は大相撲は復活するだろう。 若手有望力士の台頭がテーマでキャンペーン
をはれば良い。ということは古参力士の大量引退劇が始り、相撲自体が新鮮に。 
何処の世界も同じ。老兵は消え去るのみか!