『旅人よ どの街で死ぬか。〜「男の美眺」』
                   (伊集院静 2017年)から。
   * 旅、あるいは人生について
 私の人生を振返って、一番良かったことは世界中を旅してきたこと。
それも8割かたは家内同伴である。その良さは秘・異郷世界の非日常に、
家庭の日常を持ち込むこと。 日常そのままを、非日常の世界を持ち
込む奇妙な感覚は絶妙。エンジェルフォールの滝への大きはテント場
に次男と、家内と共にハンモックで泊まった、あの奇妙な経験… 
  ところで、こんな有様でも、私は自分の人生を気にいっている。
・まずは経済成長の真只中の昭和40年代と20歳代が重なり、些細だが
 アップスケールできたこと。
・次は、45年の「起承転結」の結が、最後はアンハッピー?としても、
 充実した手応えがあり『ご覧のとおり、そのまま結構!』で…
・45年モノの事業人生も然り、(果たして、これが事業か否かもある)
・趣味では、30年にわたるロングランの世界秘異郷ツアー。
・40年モノで、早朝のウォーキング+ポタリング(チャリ散歩)の継続。
・50年モノでは、居酒屋+カラオケスナック+宴会遊びの行蔵。
 そして、読書… 
・シネマ館や、自宅での映画・ドラマ数千分の観賞… これは40年モノ。
  ◉ 何はともあれ、質量的に秘異郷旅行が特に … 
どれもこれも、充分に満足しているが、アマチュアというより素人レベル。
これらを光とすれば、その背後には、その時々に「生老病死」の大きな
闇が口を広げていた。不幸、絶望、涙あればこそ、幸福感が光り輝くもの。
世界の光景の感動は、魂に刻印されて、永遠に残す力を持つ。

 プロローグの「旅人よ、旅人よ、至福あらんことを」の冒頭がよい。
≪ ◉ あなたが何歳かわかりませんが、私たちはこの世に生れてきて、
 やってみなくてはならないことが幾つかあるとおもってます。
少しオーバーかもしれませんが、それをせずして死ぬということは、
生きることの冒瀆ではないかと思います。
 それを‘恋愛と言うロマンチストもいるでしょうし… 
 素晴らしい音楽を聞くことであると…
 美味しいワインを飲むことだという人も…
 人生の伴侶を見つけることという人だと言い切る人もいる。
そして、私にとって、この世に生まれれてきて、これをしなくてはならない
と思えるのは、断然、旅です。>
<◉ 近世のヨーロッパで、グランドツアーという名称がつけられた旅が流行
したとき、その謳い文句は「人間として生まれてきて、もっとも至福なことは、
旅をすることである」とありました。…それでも私は旅をしたことで私の体に、
記憶に、今もきちんと埋めこまれている旅の日々が他の行動では決して得る
ことのできなかったことを、確信できます。出来ることなら、生涯旅を続ける
ことができたなら、と今でも思ってます。         24-25p
◉ 私の旅の基本とはどんなものか。…すべてを実感だけで捉るのが私のやり方。
 〜そのいい例が第五章のポーランドアウシュビッツの旅です。 …
その街に足を踏み入れ、あてどなく彷徨すれば、皆さんの身体のなかに、
その街は生き続けます。それが旅の至福を得るということです。 30p
◉ なぜ軟弱なのか?それは連るむからである。一人で歩かないからである。
 ”弧”となりえないからである。〜”弧”を知るにはどうすればいいか。
さまようことである。旅をすることである。    34p
◉ 想定する生には限界がある。所詮、人が頭で考えるものには限界がある。
 想定を超えるものは、予期せぬことに出逢うことからしか生まれない。43p>

▼ 旅好きが、旅好きの人のために書いた本。何度も何度も、ここでテーマと
 してきた。その感動は、それぞれ年代の人生の横糸として織り込まれている。
――――
2016/08/01
かわいい自分に旅させよ ー?
         <『かわいい自分には旅させよ』浅田次郎著>
   * かわいい自分に旅させよ 〜B
 40歳代に入って直ぐの頃、『年一回の海外に出ること』を決めた。
そして、半ばも過ぎた頃、それを年二回に切り替えた。20歳から20数年間、
ストレスの多い「創業」の為の転進を繰り返してきた。何事も現実に直面
すると、火事場のバカ力が生じてくる。その奇跡に近い偶然を拾い上げて、
その場を切り抜ける。しかしストレスは並大抵ではない。その沈殿がピーク
になっていった頃である。その解消剤にツアーのストレスと感動が、合理的で
あることに気づいた。早朝の読書習慣と、散歩、そして、海外ツアーが、
何とか、自分を支えてくれた。 半年単位、一年単位で、そのストレスを、
払い落とすしかない。そこで、「秘境・異郷ツアー」のストレスで、それを
削ぎとるしかなかった。それが、結果として、心の、いや魂の財産になった。
 〜以下の部分は、「苦労でなくなった旅を、自分に与えよ」と勧める。
 ≪ 「かわいい子には旅をさせよ」という格言は、今や死語であろう。
 かつては苦労の代名詞であった旅行も、世の中がすっかり便利になった今日
では娯楽の王者となってしまった。もしかしたら今の若者たちは、この言葉の
意味を「かわいい子には娯楽を与えよ」と曲解しているかもしれぬ。
 たしかに旅は苦労ではなくなった。ただし、経験としての価値が損われた
わけではない。人間は経験によってたゆまぬ成長をとげるものであるから、
苦労を伴わずに経験を得ることのできる今日の旅は、子供よりもむしろ大人に
とっても好ましいかたちになったと言える。この福音に甘んじぬ手はあるまい。
「かわいい自分には旅をさせよ」である。金だの時間だの手間だのと、旅に
出かけぬ理由を思いつくのは簡単だが、よく考えてみれぽ金は貯めるものでは
なく使うものであり、時間はあるなしではなく作るものであり、手間を惜しむ
は怠惰の異名に過ぎない。つまり旅に出てはならぬ合理的な理由は、実は何も
ないのである。 ≫
▼ 秘境への旅の決断と実行は、非常に抵抗が生じる。まず、家内が、激しく
 抵抗する。そこで一人参加を決意すると、家内も渋々、決意するパターンの
繰り返し。で、抵抗感が強いほど、その内容は、濃厚で味わい深い物語になる。
しかし、極限を超えた経験のオンパレード、可愛い自分へのプレゼントになる。

――――
2016/05/02
若者よ、外に出よ! ー ? 世界の祭り             
   * 祭りから世界を知る
『若者よ、まず楽しさを経験しろ!』である。「嬉しい、楽しい」という
感情が、人間を突き動かすことになる。ゲームでも、ミニ祭りの飲み会でもよい。
その極地が街レベルで行われる祭り、それも世界的祭りの楽しさを知ること。
 世界最大の祭りといえばクリスマスだが、ど派手な祭りの、ブラジル
の「リオのカーニバル」と、北スペイン「牛追い祭り」を体験してみた。
その熱狂の渦が全ての人を恍惚に誘う。この2週間の北スペインのバスツアー
は、これまでのツアーのベスト5に入れることが出来る。祭りは、原始人の頃
から営なわれていたことは壁絵から推察される。生き抜く苦労と、その憂さ
晴らしは、古代も現代も同じ。祭りには時代の文化が現れ出る。
 大相撲も神事で行われていたのが始りだった。 祭りは実に楽しい! 
が、その背後には、普段の地道な生活が必要である。
≪ ☆ パンプローナ牛追い祭り(2002/09/07 記)
 今朝9時半より、衛星TVで今年のサン・フェルミン祭を放映していた。
もし神様が一日だけもう一度同じ日を与えてくれるといったら、4年前の
この祭りの最終日を間違いなく選ぶだろう。今年は例年になく多くの負傷者
が出たようだ。今日の番組は毎朝の牛追いに絞った8日間の内容の為、毎年
放映される中でも特に迫力があった。初めから最後まで手に汗を握る内容だ。
 この祭りはヘミングウエーの「日はまた昇る」で舞台になり世界に一躍
知られるようになった。
 この期間ー7月上旬の8日間、町中の人が白い服に赤の腰巻の布を巻き、
赤いネッカチーフをつける。パンプローナの出身者の多くが帰ってくる。
毎朝6頭の闘牛とそれを先導する虚勢牛6頭の合計12頭が闘牛場に向かう
街の道路に放たれる。毎日異なるドラマを生みながら熱狂を8日間重ねる。
その6頭の闘牛が毎日おこなわれる。4年前その最終日の闘牛をみたが、
会場が異様な熱狂に包まれていた。 その牛の前を走るエニシエロが、勇気
試しになる。19世紀半ばからこの祭りが始まり、闘牛とか牛追いは途中
からその祭りに加わった。
 ーユーラシア旅行社でいくと、市役所広場の前の4階の部屋から
  最終日のエンデングと牛追いが見れる。
――――
4年前の「北スペインの旅」−より抜粋ー  
 …この中で一番のハイライトがパンプローナの“牛追い祭り”であった。
延々8日間にわたって毎夜、闘牛が行われる。その牛を毎朝、市役所から
闘牛場へ、町中を追い上げる。その前を街の若者が走って、度胸試しをする。
死人が出ることがあるという。我々が着いたその日が最終日の為、最高の盛り
上がりであった。夜の闘牛もその為か異常な熱狂を会場にただよわせていた。
これこそ正しくスペインと思われた。
 深夜の十二時に向けたファイナルギャザリングが、一生の思い出になる
感動的場面であった。市役所前に数千の群集がロウソクを手に持って集まり、
ロウソクをかざしながら歌い踊るのだ。 彼らが心の底からパンプローナ
愛しているのがよくわかる。民家の4Fの一室を借りて見たのだが、光の海を
見ているようであった。トランペットやバイオリン・タイコの楽団の演奏に
あわせて歌を全員が歌っている。
 キリスト教で祭りを集団で祝うのはスペインだけといわれている。
イスラムキリスト教が融合して、神聖かつ感動的・熱狂的なお祭り騒ぎ
なのである。このような宗教的感動的場面に出会ったのは初めての経験。
この場面に出会っただけでもこの旅行は充分の価値があった。
一生の心の財産になった。 ≫
――――
≪ ☆ リオのカーニバル(2003/04/23)
 この時期になると例年、NHKハイビジョンでその内容が放映される。
毎年三月の初旬に開かれ,約一月後に放映されている。
何とも派手で陽気で豪華で楽しい!
8年前にいって、その雰囲気を知っているから、観ていても楽しいのだろう。
違うのは音量の大きさと、会場の熱気が直接伝わっていることだ。
 TVを観ていると、会場に行っているような錯覚をしてしまう。
以前にも書いたものを後でコピーしておくが、なかなか奥行きが深い。
ブラジルではTVなどで生中継される全国的な行事なっている。
今回、あるチームの準備などの内幕をドキュメント風に紹介していた。
80分の持ち時間の演技のために一年間の準備をする。
 審査項目が10項目あり、それを細かく説明していた。
・テーマ曲の良し悪し
・打楽器ーバテリアの内容
・テーマの紹介のパフォーマンス
・同じ衣装のダンス隊のダンス
・山車の美しさ、テーマの解りやすさ、迫力
・チームの旗手の踊り
・そのチームの女王の観客へのアピールと反応等々ある。
プロの演出者を雇い、その年のテーマにそって
カーニバルとサンバと山車や音楽や衣装が組み合わされる。
今年もなかなかの出来であった。
数回再放送でやるから、何回もみるつもりである。

ーー以前書いた文章をコピーしておきますーー
H0703  ブラジル旅行記
 “行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で
行われており、四日間全国がお祭りの為休みとなる。
その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれなのである。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15〜16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー800mを80分の
持時間で踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で
厳格に審査され、その年の優勝等順位があらそわれる。

 そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。我々のTV
新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに
細分化され統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉を
かけてつくる。その作曲も採点の大きなポイントになるという。
一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで延々と踊りの行進が続く。
観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。

 上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び行進がおこなわれて優勝
チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれ
ており、東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
ブラジルの印象として残ったイメージとしてのキーワードを書くと“サッカーと
“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”そして
汚職まみれの国”である。さらに加えるなら“まずしさ”である。≫

――――
▼ 祭りは、普段の質素倹約した単調な生活の憂さ晴らしのための爆発の
『晴れ』を集団で楽しむ娯楽。特に、イタリア、スペインのラテン系の国の
祭りは歴史があって、ど派手。日常からの集団トリップの一端に触れるだけで
充分に価値がある。そこには、セックスと血と死の匂いが、漂っていた。
 リオのカーニバルには、「カーニバル・チルドレン」が、結果として誕生し、
捨てられ、ストリート・チルドレンになるという。

――――
2016/03/22
閑話小題 〜51回の海外ツアーで ー?
   * 世界の絵画
 ベルギーのフランドル地方の古都ゲントの大聖堂にある
『フランドルの祭壇画』を、以前にみてきたが、立花隆が、死ぬ前にみて
おきたいと、わざわざみにいった絵画。この絵画はスペイン圏では、非常に
有名で、スペインから毎日、特急が出ているという。教会の定位置には、模写
の絵画飾られていて、特別のコーナーに本物が防弾ガラスの中に、監視の中で
飾られていた。模写のコーナーでは写真撮影はオッケーだが、本物のコーナー
では不可。少女が賛美歌を歌っている表情に、それぞれの内面が出ていてよい。
 ルーベンスの『夜景』と、エル・グレコの『オルガス伯爵の埋葬』、
ダビンチの『モナリザ』、ベラスケスの『ラス・メニーナス』、
ボッチィチェリの『春』、ゴッホの『ひまわり』、ピカソの『ゲルニカ』と、
このファン・エイクの『フランドルの祭壇画』を見れたのだから、これで良し
としなければ。 絵画といえば、スペイン、英国、オランダ、ベルギー、
イタリアである。 一枚の絵画の中に、さまざまな思惑、情報が詰込まれている。
ひとつ『夜景』を取上げると、ここに出てくる人たちは、自分の姿を後世に
残すため、この絵画を特注したという。 〜『夜景』をネット検索すると
《 レンブラントに発注した18人の名は中央右後方の盾に描かれている。
 その他、鼓手、少女、少年などが絵の中には描かれたほか、左側には絵が
切り詰められる前はあと2人ほどの傍観者が描かれていた。この時の支払いや
受注の記録は全く残っていないが、発注者たちの記録によれば各人が
100ギルダー、計1,600ギルダーレンブラントに払われた。これは当時の
肖像画の報酬としては大きな額である。
 絵画は次の三つの要素のために有名である。
・まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、
・次に光と影の効果的な使用、
・そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画
 動きの要素を取り入れたことである。
『夜警』はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成した。
この絵は題名となった(火縄銃手組合による)市民自警団)が出動する瞬間
を描いている。・・一斉に人々が動き始めたため、その下では犬が吠えたて、
左には少年が走り回っている。各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、
多様な表情を見せて、隊員の動きが交錯して画面に興奮を生み出している。
いずれも体の一部分しか画面に映されておらず、全身が描かれているのは
3人のみ。》とある。 絵画を描かれる背景の意味などを知るか知らないかで、
捉え方が全く違ってくる。芸術とは、そういうことである。

――――
2016/03/20
閑話小題 〜51回の海外ツアーで
   * 海外ツアーのテーマの棚卸
 51回の海外ツアーに参加してきたが、その行蔵は何ものにも代え難い財産。
知れば知るほど、世界は広く深いことが解る。10回目辺りから秘境・異郷ツアー
に重心移動をしたが、10年ほど前からは欧州中心になっている。リタイアー後、
諸事情で家内の鞄持ち?のカタチだが、何はともあれ、行けるだけで充分。
「行けるうちに、行けるところに、行っていて良かった」と実感する。
・大陸別では、アメリカ大陸、オーストラリア大陸ユーラシア大陸、インド
 大陸、アフリカ大陸があるが、万遍なく行くのと、一つに絞り込む選択がある。
・他に、テーマを、文明、文化、山脈、滝、氷河、平原、クルーズ、お祭り、
 有名ホテル巡りなどのテーマを決めて周る人がいる。 〜テーマとして・・
☆ まずは文化。 ツアーの過半数以上は、何処かの首都を経由地として一泊。
 そこには、名だたる美術館や・博物館のコースが組み込まれていて、その国の
名画や工芸品、遺跡などで発掘された国宝クラスの古美術品が展示されている。
それらを、み続けているうちに、門前の小僧、その魅力に取込まれてしまった。 
上野界隈の美術館で、その数点の展示で長蛇の列になる名画などが、数多く
展示されて、間近で見られるのが良い。 文化の一つに、各地の料理がある。
それぞれ各地の特色ある味が、そのまま染み出ていて実に美味しい。と同時に、
日本料理の美味しさに改めて気づくことになる。 文化といえば、お祭り。
北スペインのパンプローナ牛追い祭りと、リオのカーニバルの熱狂がよい。
☆ 次に文明。古代の遺跡の7割がエジプトのナイル流域にあるというが、
 これには圧倒される。他にアフリカ、中東の遺跡郡、中南米の遺跡群もよい。
圧倒的なのが、古代エジプトと、ポンペイと、シリアの遺跡群。そこには数百年、
数千の時空を超えた当時の人たちの息づかいが聞こえてくるようである。
石文明は、それが、そのまま残している。
☆ 何といっても大自然の景観! アフリカ、インド、北米、南米、北欧、
 アルプス連峰、ヒマラヤ連峰などの大自然の景観も圧倒的である。そこは、
文化・文明の数千年の時間とは違う、数万、数百万、数億単位の時間がある。
 行蔵とは、よくいったもの。 以下は12年前のテーマだから、51回と
すると、3年分、行ってないことになる。 世界的パンデミック騒ぎとか、
5年前の節目時などの件で、行けなかったが、それより、年齢からくる気力、
体力、金力?などの衰え。外側(辺境)から、内側(欧米圏)になっているが、
これはこれで、面白い! ライフワークとしての世界観光も、限界点になって
きたが、移動が動くホテルのクルーズ・ツアーがある。しかし年金暮らしには
チトきつい。「生きているうち、元気なうち」と思って、はや、20年、いや
25年になる。なら、あと5年を貫き通せば満点のライフワークになるが。

・・・・・
2004/11/19
ーー地域別分類ーー
アメリカ大陸』

中南米
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)    −1995・02  
「22」ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)         ー1996・06  
「23」べネゼイラ・(ギアナ高地)            ー1997・08
「34」メキシコ                     ー2001.01
「39」パタゴニア                    ー2002・12

ー北米
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「7」カナダ・ナイアガラの旅 ー個人           ー1987・08
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス            ー1987・06
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)     −1989・04 
「13」カナダ・ロッキーの旅 ー会社           −1990・05
「40」アラスカ                     ー2003・07

ーーーーー
『欧州』
ーーーーー
「1」欧州30日一周                    ー1967・07
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅     ー1989・12
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)       ー1991・08 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12
「25」北スペイン パンプローナ              ー1998・07 
「30」ノルウエー・トロムソ               ー1999・12 
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ            ー2001・06
「38」スイス                      ー2002・07
「41」アイスランド                   ー2003・10
「42」オーストリア                   ー2004・08


ーーーーーーーーー
『アフリカ・中近東』
ーーーーーーーーー

ーアフリカ
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10 
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)   −1996・02  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)  ー1997・12  
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「37」西アフリカーコート−ジボアール
    ・ガーナ・ベナントーゴ              ー2002・03
ー中近東
                   
「31」シリア・ヨルダン・レバノン             ー2000・04 
「28」イスラエル                    ー1999・04 


ーーーーーーーーー
『アジア・オセアニア
ーーーーーーーーー
ーアジア
「6」香港の旅                      ー1986・10  
「9」中国(北京・けいりん・上海)            ー1988.09  
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「26」北インド                     ー1998・10 
「27」ネパール                     ー1998・02
「32」パキスタン・中国                 ー2000・06 
「36」ベトナム                     ー2001・11

オセアニア
「3」ハワイの旅                     ー1978・08 
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11  
「19」ニュージーランド(クウィーンズタウン・
  バンジージャンップ・ミルフォードサウンド)      −1995・05  


・・・・・・
・・・・・・

2004/11/01
海外旅行ー履歴

「42」オーストリア                    2004・08
「41」アイスランド                   ー2003・10
「40」アラスカ                      2003・07
「39」パタゴニア                    ー2002・12
「38」スイス                       2002・07

「37」西アフリカーコート−ジボアール
     ・ガーナ・ベナントーゴ              2002・03
「36」ベトナム                     ー2001・11
「35」北欧ーロシア-スカンジナビァ             2001・06
「34」メキシコ                      2001.01
「33]モッロコ                      ー2000.11 
「32」パキスタン・中国                   2000・06  
「31」シリア・ヨルダン・レバノン              2000・04  
「30」ノルウエー                    ー1999・12 
「29」ケニア・ヌー                        ・08 
「28」イスラエル                         ・04 
「27」ネパール                          ・02
「26」北インド                    ー1998・10   
「25」 北スペイン                        ・07  
「24」タンザニア(ウンゴロウンゴロ・セレゲッテイ高原)ー1997・12  
「23」 べネゼイラ・(ギアナ高地)                ・08
「22」 ペルー・(マチュピチ・チチカカ湖)       ー1996・06   
「21」エジプト・トルコ(カルナック神殿・ ピラミット)      ・02   
「20] 南アフリカ(ビクトリアの滝・チョベ国立公園・喜望峰)ー1995・10  
「19」ニュージイランド
  (クウィーンズタウン・ バンジージャンップ・ミルフォードサウン)                                                        ・05  
「18」ブラジル(リオのカーニバルイグアスの滝)        ・
「17」ケニヤ(ナクル湖・マサイマラ・アンボセリ )     ー1994・06 
「16」ドイツ・パリ(ライン川下り・ロマンチック街道)  ー1993・12 
「15」フィジー(コマ島・ )              ー1992・11
「14」スペイン1周の旅 
   (アンダルシア・アルハンブラ宮殿・闘牛)      ー1991・08  
「13」カナダ・ロッキーの旅                  ・05
「12」香港クルージング                 ー1990・07 
「11」アメリカ・ペガサス(ボストン・アトランタ)        ・04     
「10」スペイン・イタリア・パリ・ヘルシンキの旅    ー1989・12   
「9」 中国(北京・けいりん・上海)          ー1988.09   
「8」アメリカ西海岸SC・ペガサス                ・06
「7」カナダ・ナイアガラの旅              ー1987・08    
「6」香港の旅                      ー1986・10          
「5」ハワイの旅                     ー1983・08
「4」ハワイの旅                     ー1980・08 
「3」ハワイの旅                     ー1978・08  
「2」アメリカ・商業界                  ー1976・07
「1」欧州30日一周                    ー1967・07