<『しあわせ仮説』ージョナサン・ハイト著>
   * 酔払いモンゴル人の顛末を解剖すると…
 マスコミの餌食になっている、‘酔払いモンゴル人の顛末’、先日、
借りてきた本の「象(感情)と、象使い(理性)の喩え」を思い出した。
外国に出稼ぎにきたモンゴル人が、出かけ先の神事を建前にした格闘家が、
同国人の飲み会で、象使いと象そのものが酩酊した結果の暴力沙汰。傍から
すれば、暴力沙汰だが、本人たちには、殴り、叩き合うのが仕事。悪いこと
に、改革を気どった、元・アイドル系横綱の親方が、巡業部長の立場を忘れて、
警察に告訴。国際的暴力沙汰として報じられる始末。さて、落としどころは?
 〜ネット検索による解説より〜
≪・ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの意志
 や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」
と表現する。自分自身の行動について、理性にもある程度はコントロールする力が
あるが、主導権は感情に握られている。「私は手綱を握り、あっちへ引っ張ったり、
こっちへ引っ張ったりして、象に回れ、止まれ、進めなどと命令することが出来る。
象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。
象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」
 仏陀プラトンフロイトは、感情を動物(野生の象や馬車)にたとえて、
理性の役割は感情を制御し運転することだとしたが、20世紀以前の人物である
彼らは数多くの家畜動物に囲まれて生きており、自分よりも大きな生物に自分の
意思を伝える苦労を理解していたはずである。象と象使いのメタファーには、
意志の力によって感情を制御することは難しい(ほとんど不可能)という意味と、
感情は意志からは自律しており意志よりも優れた判断をすることが多い、という
意味が含まれている。(p.9-14)
・ハイトは、プラトンよりも、「理性は情緒の奴隷にすぎず、そうあるべきで
あり、情緒に奉仕し、服従する以外の役目を望むことはけっしてできない」と
したヒュームの方が真実に近い、と考えている。(p.31)
・心の処理システムは「制御されたプロセス」(理性)と「自動化されたプロセス」
(感情)とに分けられている。 制御されたプロセスは言語を使用しながら意識の
中心舞台で働き、自動化されたプロセスは無意識的に働く。例えば、飛行機に乗ら
なければ行けない時に、何時に家を出るかを考えたり、空港までの移動手段を選択
することは、制御されたプロセスによって行なわれる。一方で、いざ家から出かけて、
空港まで車を運転していくときに行なわれる、呼吸・まばたき・ギアの操作・車間
距離をとること、他のドライバーへのしかめ面、などはいずれも意識して行なうもの
ではなく、自動化されたプロセスによって行なわれる。大半の心理プロセスは自動的
なものである。制御されたプロセスには、一度に一つのことしか考えられないという
限界があるが、自動的なプロセスは一度に多くのことをこなすことができる。
・自動化されたプロセスの歴史は長く、6億年以上前に動物が最初に脳を持った
ときから続いている。目的を見失わずに長距離を移動する鳥類や、仲間と協力して
戦う社会性を持つアリたちなど、非常に洗練された自動化プロセスが発達していた。
人間の自動化プロセスも歴史に裏打ちされたものであり、優れている。一方、
制御されたプロセスはヒト科が言語を獲得した数万年〜数百万年の歴史しか持たず、
まだまだ未完成である。安価なコンピュータでも、論理や数学やチェスなどでは、
人間よりも優れている。一方で、どれほど高価なロボットでも「森を通り抜ける」
という課題では、6歳児にも負ける。 (p.22-31)  ≫

▼ モンゴル人に番付上位を寡占されて10数年経過する。数百、数千年の間、
 肉食をしてきたモンゴル人とは体質が違い、本来、勝てないのが自然の理。
当然、貴乃花親方が、彼らを番付通り優遇する現大相撲体制に不満を持って当然。
この問題は根が深い。日本人の深層に、二度の蒙古襲来がある。何とか台風の
御蔭で制圧されずに済んだが、神風を吹かせた筈の神様の祭りの余興の相撲に、
モンゴル人が参戦し、上位番付を10年以上も制圧されてしまった。
で、体制の批判勢力の頭の貴乃花親方の弟子のモンゴル力士に陰湿で、激しい
暴力沙汰である。 象も、象使いも、暴れ出したのである。象の一番の本質は
『怒り』。そこに、何とか誤魔化し横綱にした稀勢の里も、力不足で早期引退?
弱いのを横綱にするからである。これでは、興業の主催の執行部も大変!  
 でも余興とすれば、「際物」の最高のパフォーマンス!
横綱も、一人の酔っ払いと見れば、夢も希望もないバカな大男。
  <我が内なる判事>は、かく宣う。
 ・今さらだが、大相撲にとって朝青龍が悪過ぎた!
 ・まず、立合い時の「張り手」を禁じ手にすべし。
 ・貴乃花にも、問題あり。引退に値する。
 ・気の毒だが、日馬富士は引退、不起訴で、帰国!
 ・外国人力士の入門制限を更に厳しく。
 ・大相撲協会の特別待遇を廃止すべし… 。
「でも、これはこれで面白いから、いいじゃないですか。何を馬鹿なことを!」
『大相撲』から『OO!SUMOU』と思いたくなるが、「侍文化」そのままの
『大相撲』だからこそ、面白く味わいがある。

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5729,つれづれに哲学 〜上部構造・下部構造
2016年11月21日(月)
  * マルクス唯物史観〜【上部構造】【下部構造】
 最近、マルクス唯物史観が見直されている。そこで、ネット検索をすると、
基本概念の【上部構造】【下部構造】について、以下のようにあった。
≪【上部構造、下部構造」とは、マルクス主義史的唯物論の基本的概念。
 政治的・法律的諸制度と、それに照応する社会の政治的・法律的・宗教的・
道徳的・哲学的・芸術的意識形態(イデオロギー)をさす語。 
それは、ある発展段階の社会の経済的構造(土台=下部構造)に規定され、
一定範囲内でそれに反作用を及ぼすとされる。】  他に、
史的唯物論では、社会的・政治的・精神的生活過程として具現する上部構造
と、経済的構造としての土台との間に、前者の後者に対する能動的反作用や両者
弁証法的相互作用も主張されるが、土台の規定的役割、つまり、経済的構造
こそが特定の社会全体のあり方を最終的に決定するという点が強調される。
したがって、生産手段の所有関係といった生産関係に関して階級対立が存続
する限り、政治における支配と被支配をめぐる階級闘争も存続するとされ、
社会変革の根本的課題も土台に即して提起されることになる。また、上部構造
イデオロギー的性格をもち、主観的要素が強いのに対して、土台にかかわる
物質的変革は自然科学的・客観的確定性をもつとも主張される。】≫
――
▼ この社会構造を、個々の意識構造に置換えて考えてみる。
 下部構造の経済構造としての土台、貯蓄と収入が、上部構造の、社会的・
政治的・精神的生活を決める。「恒産あって恒心あり」の「恒産」が下部構造、
「恒心」が上部構造にあたる。情報化社会では、その恒産が、情報によって
得られるチャンスが増している。世界を相手に一発当てさえすれば、地球規模
の対象から利益を得やすくなる。問題は、それを如何に見つけるか。人生を
振返ると、節目にチャンスの芽を見つけてきた。土壇場になると、火事場の
馬鹿力が脳に働き、チャンスの芽に気づく。「恒産失い、恒心生ず」になる。
ドラッガーのいう「機会の開発」を魂で取組まざるを得なくなるからだ。
 人間としての「下部構造」の肥大も何だが、上部構造の肥大も何である!
この両者共ども卑小なのが、娑婆の「世間様」 肥大、いや肥満が「トランプ」

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5364,閑話小題 〜親父と息子の確執
2015年11月21日(土)
   * 親父と息子の確執
 学生時代の友人に暫くぶりにあって話している中で、長男の話になると、
大部分の顔色が変わる。 触れて欲しくないようである。いずれの家庭内
にも何らかの問題がある。それが、夫婦仲の不和や、嫁姑、嫁小姑だったり、
父親と息子との確執などが絡みあってである。自営業をしている場合、それが
マイナスに働くと、致命傷になるケースが多い。先日、全国的ニュースにも
なった服部学園の場合、長男の詐欺行為となると、いかんともし難い問題。
その逮捕に至る葛藤は、地獄の業火に焼かれるほどだろう。地元最大手の関連
会社の社長だっが同級生が、派手な社交界で、遊行費を使いすぎて裁判沙汰に
なったことがあった。雇われならまだしも、これが親子となると、複雑だ。
父親と長男の確執と、嫁姑の関係は、人類の永遠のテーマ。
   * 腰痛と、圧縮パンツ
 数年前、次男から、『父の日』にスポーツ用靴下の『圧縮靴下』を二足、
プレゼントしてもらった。早速、履くと脚全体が軽くなったようで、使い心地
がよく、週一回は使っていた。ところで、数ヶ月前から慢性の腰痛が重くなり、
何かないかとネットで調べてみたところ、『圧縮パンツ』『圧縮タイツ』なる
ものの存在を知り、早速、取り寄せて使い出している。パンツかタイツの
どちらかの判断に迷ったが、圧縮靴下があるので、廉く済み、はきやすい
『圧縮パンツ』なるものにした。税抜き1980円である。
茶封筒に収まる薄いパンツで、「何これ?」と思ったが、身に着けると、
圧縮度が凄い。今では違和感が少なくなった。「身に着けるとタイムが
上がる、不思議な水泳パンツが、これか」と、着けてみて気づいた。 
あまりに締め付けが強いので、時間とともに、気分が悪くなるのではと、
心配しながら、『圧縮靴下』と共に身につけ、ポーツジムで使用したが、
時間とともに馴染んできて、今のところ問題ない。とはいえ、腰痛は、
良くなる兆しがない。
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4999,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜�
2014年11月21日(金)
             ー私が語り伝えたかったこと〜河合隼雄著ー 
   * 般若心経の勧め ~(-ノ-)/Ωチーン
 般若心経を暗記をして30年近く経った。この間に、数十人に暗記を勧めた。
当時、息子二人も毎朝の仏前の読経をきいて、面白がって暗記をした。何万回、
唱えたことだろう。唱えた分そのままが、心の底に蓄積されている感がする。
 今は、数日に一度だが、唱えること自体に意味と実感している。ポイントは、
ゆっくりと、一言一言を区切ること。 創造工学の中山正和の講演で、
『運を強くしたいなら、般若心経を暗記しなさい』という勧めを受け、必死で
憶えた。これは一度憶えてしまえば、汽車待ちのベンチや、夜半に眠れない時
など、唱えることが出来て、頭がクリアーになる。 ーその辺りからー  
≪ 会社で出世して係長から課長になっておめでたいのは確かだが、見方を
変えれば係長級のストレスからさらに大きな課長級ストレスを抱えることにも
なる。それほどの大ストレスを癒すには通常の意識レベルを、違うレベルの
意識に持っていくという作業がすごく大事になる。そのため何をすればよいか
といえば、一番簡単な方法の一つが毎日、「般若心経」を唱えることなんです。
訳はわからなくていい。とにかく唱える。そこで大事なことは、へたに解釈
してはいけないこと。ただ、ありがたいと思うことが大事なんです。 
また、例えば会社でも、朝みんなで社訓を唱えたりするでしょう。
あれだって意味を考えてなくて怒鳴るから効果があるのです。
まともに考えたら馬鹿臭くなるのではないでしょうか。
 ーそういう意味で、「教育勅語」などは、その典型だったわけですね。
そうですね。僕ら、小学校のとき、何にも意味わからないことを聞いて
全部暗記してました。 ーある種の呪文なんですね。
 そうです。現代人には、ある意味でそういうものがなくなってしまった。
いわゆる近代主義というのは呪文を全部否定したわけです。呪文を否定して
何でも意味を考えて、何でもわかると考えてしまった。そうすること自体が
すごいストレスを生み出してしまった。つまり「般若心経」を例に取れば、
それをわかろうとするのではなくて、単に唱えることに意義、つまり心を癒す
作用がある、ということですね。 ただ、それで完全にわかったと思ったら、
もう駄目だと思います。理解するより唱ることに意味がある。「般若心経」は。
‘ありがたい’と思うことが大切だ、ということです。(p178)  ≫
▼ 「般若心経」を唱えている間は、別時空に入ったような感覚がする。
《現象は、五感は夢幻でしかない、それを自覚しなさい》ということ。
南無阿弥陀仏》《南無妙法蓮華経》《南無観世音》も一心に唱えている時は、
心が魂の世界とつながっている。魂とは一心不乱に対象に没入している時の
心の状態をいう。ひたすら、念仏や、般若心経を唱えている時こそ、自分が
自分になる。 南無..(-人-) Д│
――
 H0605
般若心経のすすめ
 十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で、
般若心経のすばらしさを聞いて一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回、
唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須。二人の子供ま毎朝の
仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。十年間の経験より
(私の実体験より)直観した事を列記すると
�自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
�心臓音に波長があっている(リズム)
�α波がくみこまれている
�“念”がこの中に入っている
�お寺・神社等で唱えるとTPOとして、
 その場のイメージが鮮明に残る
�情報雑念等を切断、整理をする働きがあり、
 結果として“運=無意識の判断”を左右する
�これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき、
 自己の中にその中空がつくられる
�夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
 立花隆と宇宙飛行士との対話の中で
「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬に、
キリストや仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」
のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で、
少しでも近づける様な気がする。
――
2001年06月11日(月)
[49] 一期は夢 ただ狂え

世の中はチロルにすぐる チロリチロリ
 何ともなやなう 何ともなやなう  浮世は風波の一葉よ
 何ともなやなう 何ともなやなう  人生70古代稀なリ
 ただ何事もかごとも  夢幻や水の泡
 笹の葉に置く露の間に あじきなの世や
    夢幻や南無三宝
 燻む人は見られぬ 夢の夢の夢の世を 現がおして
 何しょうぞ くずんで 一期は夢よ ただ狂へ
                閑吟抄
470〜480年位前、富士山の近くに庵を開いていた名も知らぬ男が
古今集をまねてつくった歌の一つ。‘人生など一瞬でしかない。なら
狂ったようにしたいことをして生きたいものだ’と言う内容である。
今年の年賀状にこの一節を載せたほど、感じろところがあった内容だ。
500年前この無名の男の人生‐過去に何があったのだろうか?
今500年の時空を越えて、激しく共感するのはなぜか!
・・・・・・ 
4632, 夫婦格差社会 〜どういう男女が結婚するのか ー3
2013年11月21日(木)
      『夫婦格差社会 - 二極化する結婚のかたち』橘木 俊詔(著)
  * 早慶・東大卒のお相手の学歴は?
《夫から見た場合、妻の大学カテゴリーは大きくぱらついている。
 ところが女性を基準にすると、別の結果が見えてくる。 まず、同じ
グループの大学を卒業した組み合わせが非常に多い。具体的大学名までは
分らないが、同大学の男性と結婚する人が多いのであろう。
「旧帝一工(旧帝大.一橋大・東工大)グループに注目すると、同グループの
男性の比率が約64%に達する。次いで「その他の国公立大」「GMARCH(先述の
MARCHに学習院を加える)や「関関同立(関西、関西学院同志社立命館)ほか」
という比較的入試の難易度が高い大学卒の男性が続く。・・名門大学とされる
「旧帝一工」「早慶」の両グループを卒業した女性は、同グループを卒業した
男性との結婚を望み、実現させている。そうした夫婦は、パワーカップル
代表例である。ただ、それらの大学で学ぶ女性の数は男性と比べ少ないので、
彼女たちに選ばれなかった同グループの男性は、他の大学を卒業した女性と
結婚することになる。これが男性側から見た、女性の出身大学の散らばりの
理由である。・・
 東大卒の105名の女性の場合、同窓の東大が70人と三分の二を占め、他の
国立を含めると、94名で、9割を占める。男性の東大卒19名のうち、東大卒
女性は少ないが、短大4名、大卒13名と高学歴が多い。御茶ノ水、津田塾、
フェリス、上智、慶応、ハーバードと難関のところが多い。》
▼ 難関校の女子は女性比率が低いため、よりどりで、三分の二が同じ大学生
 と結婚。男の方は一流女子大生と結婚に至るケースが多い。女性の場合、
まず家柄、大学のブランド、相性、次に容姿の順になっていく。それさえ
気にしなければ、それぞれの勤め先には、地場の美しい魅力的女性がいる。
20代前半は花の時節。とはいえ、一生抱えるとなると?その人を知ろうと
したら奥さん(旦那)を見ろ!という。その人、相応の相手とすると? 
深く考えるのは止めておく。 若い女性は、自己評価が思いのほか高い。
その自覚を持たない人が多い。 そのため?行かず後家を多く見かける。
秘境ツアーで見かけるが、それは大変な人。プライドが高く、唯我独尊、
傷つきやすく・・ 2〜3回に一度はいる。自分も同じか? 話を戻す。
パワーカップルといえば、20数年前、東京のパレスホテルの経営セミナーの
夕食の時、隣席の人と名刺交換をした。グリーハウスという全国有数の企業
の社内食堂を受託する給食ビジネスを展開していて、飲食業界では有名人。
駅などで見かける「サボテン」という豚カツ店、デリカのチェーンも
展開している。セミナーでは、可能な限り気楽に名刺交換をするのが慣わし。
異種業種からの情報が入るためである。私の名刺を見て、「私の家内は、
実は柏崎出身なのですよ!」というので、「私もです。柏崎には親戚や、
仲人がいるのでよく知ってます。どちらの娘さんですか?」と聞くと、
「ブルボンです」と。「私の仲人とブルボンの社長が幼馴染で、非常に
親しくしていると、聞いてます。ところで何処で知り合ったのですか?」に、
「母が慶大のOB女子会の役員をしていて親しくなったのが家内の母親。
その関係で・・」大手のオーナー会社トップのパワーカップル?である。
で、衰退系の会社?まず昼飯から合理化をするからだ!そういうこと!
・・・・・・
4267, つれづれに ー衆院選・政治談議
2012年11月21日(水)
   * 次の内閣は安部首相で、石原が副首相か
消去法からすると、まず民主が消え、自民も駄目、公明、共産、社民は論外。
その他のミニ政党も烏合の衆の範囲。そうすると日本維新の会しかない。
中心人物二人が東京都と大阪市の首長として改革した実績が光っている。
その実績をもって二人が国政を改革をするというなら、期待するのは当然の理。 
おそらく、自民が180〜200票で、維新の会が80〜100票前後で、「安部首相、
石原が副首相」か、逆の「石原首相で、安部副首相」の超保守的強権内閣の
可能性が出てきた。こうなると、改憲や領土問題などで一挙に中国や韓国との
間に摩擦が生じる。また、国内的にみても荒療治が行われることになる。 
公明党も、時の権力に擦り寄るのは自明。ここで強大な救国内閣という名の下
に思い切った荒治療をすべき時期でもある。一歩退いて改めて日本を、世界を
みると、実相が鮮明に見えてくる。日本は既にEUのPIIGS並みに陥って
いる。ここで本気に改革しなくては周辺各国から狙い撃ち状態になる。いや、
既になっている。 国家非常事態の特別立法をつくり超権力を持って腐った
病巣を切り捨てるべき時節。 野田首相は、それでも真ともだったが民主党
3年あまりは酷かった! しかし、このところ安部が、政権をとったら国債
日銀の引き取りをさせるという。これを始めたら国家滅亡といわれていた。
個人国債も同じだ。自民だけには政権をとらせてはならないが、では誰がと
いうと、石原と安部しか見あたらない。どちらにしても先行き真っ暗である。 
安部・自民は時代の逆戻りという感が非常に悪い。国民には自民党への
トラウマが根強く残っていることを、彼らは分かっているのだろうか? 
この選挙で、日本の将来は大きき変わることになる。ご隠居の視線で
劇場型政治と割り切っている分には面白いが、壊滅は、どうも・・
 ・・・・・・
3892, 顔を哲学する
2011年11月21日(月)
 家中心の生活に入って8ヶ月になろうとしているが、平日のバラエティー
は化粧とァッションを取り扱った番組が多い。それほど顔が大事にしては、
「何故、これほどまでして人は化粧をするのか」という疑問と、答えをあまり
聞かない。顔について哲学した学者といえば、レビィナスである。
顔は、その人の魂の表出でもある。 特に女性は、そのバランスの釣り合い
(美系)によって人生さえ変えてしまう力がある。全身の肉体のバランスが、
そのまま顔に集約されて出てくるからだろう。口は女性の性器に鼻は乳房?を
表現しているという。顔面の評価認識は時代と、国により変化している。
また脳の中にそれ専用の部位があることから、生物的に有意な機能があると
考えられる。美醜の存在は、それが単にコミュニケーションのためだけでなく、
身体機能や脳機能の優劣選択のシンボルとなっている。そのことは目は脳、
鼻は肺、口は胃と同じ細胞から分裂して形成される事から推察される
(だから胃が荒れると唇も荒れる)。美人を優れた男が獲得する事が続けば、
結果的に身体的な強さと顔の美しさが相関するようになるのが当然である。
その意味で顔は、その人の家系の表出と見てよい。韓国では、女性の整形は
ごく普通のように行われている。整形も、化粧も、顔のバランスの崩れを
修正し、美形に近づける。顔の中で眼だけが、内臓が露出している。
目は脳の細胞と同じで、人の心が、そのまま現れ出てしまう。だから女性は
目元、睫毛、眉毛に注意する。イスラム教徒の女性が、ベールで顔を隠すが、
欧米人が酷く嫌い、恐る。顔・形を隠すからである。また、双子を除けば
万人、それぞれ違っている。その人の認証のサインである。
そうこう考えると、顔・形に、特に女性が集中するのは至極当然である。 
それと姿勢があるが、これも年齢と共に崩れていく。
 ・・・・・・
3527, 円高より深刻な国力低下
2010年11月21日(日)
 18日の産経新聞の一面の「日本の未来を考える」で、
東大の伊藤元重教授の「円高より深刻な国力低下」の論説がよい。 
  ーこの内容を大ざっぱにまとめるとー
≪ 現在の円高は1995年に比べると、アメリカの物価などを考慮すると、
 30〜40パーの円高に過ぎない。しかし、産業界の実情を聞くと、
どうも、その時のレートより今の方がきつそうだ。それを考えると、15年間で
日本の経済力が落ちてしまったのではないか。言い換えると、周辺国の競争力
が上ったのである。これは、円高を嘆くより、経済力、国力の低下を嘆か
なければならない。≫と言うのだ。 この20年間、海外に出て、日本に
帰ってきて、新聞と週刊誌を飛行場で買って読むが、年々、紙面から出てくる
エネルギーが目だって落ちている実感がしていた。最近は、それも慣れて、
それすら感じない。 様子が変わったのがバブルの崩壊からである。
一度、1995年に持ち直したに見えたが、数年もしないうち、再び下がり基調に
なってしまった。金融再編成で都市銀行が、三つになったり、証券会社が
淘汰された時期。そこに、2001年のリーマンショックである。
そこで、まず地方の弱体化が本格化した。その間に、関東・東海地区は、
金融と輸出で大きく潤ったが、地方は弱肉強食の弱肉になってしまった。
そして、2008年のリーマンショックで、関東と東海に原爆ニ発が落とされた位
の大打撃を被った。しかし、同時にとって、地方の更なる衰弱になっていった。
悪いことに自民党の自滅で、民主党が政権を取ってしまい、更に国力が削ぎ
落とされてしまった。これで、まだ大底についてないのが実情で、この数年で
大底が待っている。そして、二番底の可能性がある。それを前提に現在を、
そして、この20年、30年を振り返ると、アメリカによる、日本の愚民化
政策が見えてくる。それが現状と、数年先に予測されるだろう惨状である。
大学生の半分近くの就職先が見つからない事態を、10年、20年前に誰が予測
しただろう。この地方経済の惨状もである。高度経済成長の時代の陽気さと、
現在の暗い世相の段差が分かればこそ、国力の低下を嘆くのであって、それを
知らない若人たちは、こんなものと思っているのか。まだ円高だからよいが、
円安になったら、国力の衰退など言っていられなくなる。