* 随想日記も、6千回超え
 千回単位を超えた度に、その時々の実感を書いてきた。この16年と数ヶ月の間、
‘テーマ探し’が、遊びの柱になっている。 凡庸な者が書上げるには、膨大の
時間とエネルギーを使うしかないのが最大の利点になるが、時おり何も浮かばず、
茫然とする。 この下地が20歳半ばにあった。卒業の直後に感じたことは、
「長い人生で、多くの経験をするのだろうが、それを高めるため、現場体験や、
情報をコンパクトに纏める能力( =経験を言葉に変換し、起承転結に完結する
物語化する技能)こそが重要と… そこで会社を辞め、産能大に籍を置き、KJ
法や、創造工学の書を独学で学んで、辿りついたのが、ハガキ大のカード二枚を
ホチキスでとめファイルにし、カードに感想文などを書き、その間に新聞やメモ
を挟み、カードボックスに分類して放りこむシステムである。それそのままが、
個人HPであり、ブログになっている。 16年前に、ネット上のブログとして公開、
外部脳として、活用している。 情報収集に検索と、ネットサーフィンが非常に
有効に働いている。まだ、ブログが出揃う前後で、パソコン教室で「個人のHP」
の共同制作を通して、ネットに別世界をつくり始めていた。現在でも、細菌対策
のバックアップの役割として続いている。これは、ブログ閲覧の10分の1以下
だが、当初からの閲覧者が根強く存在している。6千回も続くのは、それなりの
軌跡があってのこと。批判・批評なら誰も出来るが… 好きにならなきゃ無理。
 2つの合計、350人前後の閲覧者が、今年に入って500人近くに増えた。
少しでも力を抜くと、即、減るため… 抜くに抜けないのが実情。結果、馬鹿
丸出しになる。自覚をしているため、平気だが… 
 要するに、「ライフワークになってしまった」ということ。
――
2014/11/22
閑話小題 ー今日で5000回!
   * この随想日記も5千回
 気持ちを入れた文章は足跡として残る上に、過去の同月同日に、再び、
その時の自分と出会える。5千回は、以前より大きな目安としていたので、
やはり感慨が深い。とにかく続けることだが・・
 この随想日記と、50回の海外ツアー(来年達成)と、新潟駅前事業が、
この30年の大きな行蔵だが、これ、何の価値(意味)があるの?と、改めて
問いなおせば、何もない。ただ、ひたすら生きてきた中で、これがあっただけ。
面白く、厳しい場面が多くあったが、悔いは無い。いや、そう思うしかない。
 読み返すと千回までが大変だったのが見てとれる。 5分遅れでアップできな
かったことが一回あったが、我ながら五千回もよく続いたもの! 
 学生時代に日記と、卒論を書いた以外は、社内報に二月に一度、書く以外は、
殆ど書くことはなかった。それまで本を読みっぱなしで、ダイアリーにメモ書き
で残す以外、感想も、要約も書き残すこともなく、一番大切なことをしてなかった
ことに気づいていた。そこでHPの存在を知り、記憶の雑記帳としてネット上に
公開すればと、思い立った。そこに、通勤途中に開業したばかりのパソコン教室
を見つけて本格的にのめりこんで行った。当時は、まだブログの出だしの頃で、
手作りのHPだった。それが、今でも、エンピツの「随想日記」と、「分類」
として続いている。 そして7年前に、この二つのフォロー用に始めた「はてな
のブログに、読み手の殆どが移動してしまった。そのことに気づいたのが一月前。 
13年の日時もあって、「ヤフー」のブログを加えると、300人の閲覧。
もっとも、最大のファンは、同月・同日の自分と、未来の自分だが。
アップをした瞬間、その全てを忘れるため、読み返すと奇妙な気持ちになる。
なるほど、言葉は言霊! 「その瞬間の自分は、集中すればしただけ残るんだ!」
を、読み返すと分かる。ーまずは初回からー
――
4000, 4000回の随想日記
2012年03月08日(木)
 千、二千、三千回目に、それぞれの感想を書いてきた。旅行中も「書きだめ」
をしたのを知人に頼んでアップをしていたのでほぼ休まず書いてきた。自分でも
11年近く四千も連続して書いたと驚いている。次は五千が目標になるが、四千回
を契機に、時どき休むことにする。 また五千回に到達した時点で半年位は休む
つもりである。この程度の文章は誰でも書けるが、一応自分で納得した内容を
書き続けるのは大変である。充実感があり、習慣化したから可能だった。
「チョット聞いてよ。こんなことがあったよ!」という長屋のハッツァンが、
クマサンに自慢気に話している感じである。もちろん、自分のために整理し知識と
して残すのが目的だが、せっかくの獲物?を共有することで、学び続ける動機づけ
にしている。気楽に、面白可笑しく、バカ丸出しで、地頭で、書いたため、その
まま伝わっていたはず。それも四千ともなると、自分の脳内そのものでもある。 
自分の貯めた文章を毎朝、同月同日分を読む楽しみは格別。今では、その日書いた
分を含めると11年分の同日の自分に出会っている。書いたことも、その内容も、
ほぼ忘れた文章が、早朝に読み返すのは不思議で奇妙な感覚になる。だから倒産
とか、それに関わる嫌な日々も、この御陰で毎朝、心が洗われる。文章を起承転結
でまとめるのはプロならいざしらず、気力が無いと無理。 但し、一度、その習慣
をつければしめたもの。 しかしブログに字数制限があるため、当日分の書いた分
だけ、過去に書いた文章をカットする。それが、身を切る思いになる。
しかし、それが好い加減な文章を書くと数年もしないうちに、自分の手で削除する
ことになるので、内容の質を落とせなくなる効用がある。 文は、一度書き、
アップすると、あとに戻せない。何気なく書いたために明らかに傷をつけた人が
何人かいる。 注意はしているが、厳重な注意が必要だが、それが見えなくなって
しまう。時系列に書き続けていると、ある意味で、メモ帳、雑記帳にもなるが、
毎日、書き連ね、別ボックスに分類すると、違った意味で、価値が出来てくる。
また分類ボックスの一番下に、過去に書いた文章の検索が可能になっている。 
時々、検索をすると、キーワードの入った文章が出てくる。もし、秘境旅行、と
入れれば、過去に書いた文章が時系列に出てくる。これは記憶の検索になる。
――
3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
 この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣
だから続けているだけ。確かに、続けているとプラスにはなる。考えざるを得ない
からである。それと、常に何か書く材料がないか注意を周囲に向けるようになった。 
その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。書く
ことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の
白袴で…? ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 
なるほど、今回も同じような気持ちである。ふと、気づいたが、自分とは時間の
経過と同時に広がっているということ。それと、心の底の変わらない‘X’が
魂ということになる。
ーー
1000, \(~o~)/千日の随想日記!
2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。
更に旅行をしていて休んだ一回分の日にちを加えると約35〜40が合わない。
調べてみると206〜222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて
一千回の到着日とすることにした。あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」の
つもりで書いてきた(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。
父親や、祖父がこのような文章を残していたら、実際のところ面白いだろう。
いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が間違いなく
変った。一日一日が本当に充実したのだ。50人位の人に毎日読まれていると思う
と、誰かに見守られているような感覚になる。作家などの物書きが必死になって
書くのも解るような気がする。

 死ぬ前に全てを消し去っていくのもよいし、また書き残すもよいのだろう。
いずれにしても50年以上は残らないのだろう。いや死んだと同時に消滅して
しまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと 一番勉強になり良いのが、自分であること。
・テーマ探しに46時中頭が1杯
・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し
・誤字と矛盾をさがす
そのプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。
といってこの程度の内容であるが。
 ス〜と書ける日はよいが、全く書けない日がある。
それでも何とか書くからよいのだ。
書きつづけていると、自分自身が変っていくのが良く解る。
書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。
書き重ねて、それを読み返すことは内面の深層に入り込むことになる。
深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなって
きたが。来年からは「閑話休題」や「あはははは」とか、ソフトな内容を挿ん
だり、土日を休むとかして、今のエネルギーを半分にしようと思っている?
このまま続けると、ある日突然「や〜めた!」ということになりそうだ。
千回千回と思いながら、書き続けてきたのだから、やはり転換期だ。
来年は待ったなしにリストラー事業構造の転換の年、頭を仕事に
切り替え集中しなくてはならない。
 それとも、「2千回2千回!」と唱えなおそうか?
どうなるか?自分でもわかりません。
 ー本当に読んでいただいて有り難うございました!

・・・・・・






5641,閑話小題 〜ジムに異変が!




2016年08月25日(木)





    * 通っているジムが活気づいてきた
 駅東口の、ダイエーが入居していたビルの最上階にあった、ジム最大手の
コナミスポーツジム」が7月末で撤退。大量の難民?が、歩いて15分の
私の通う「ホリディ」に移動してきた。 何か「ホリディ」とは人相が違う、
街中の衆という感が強い。 不景気もあってか、ジムの経営も大変のようだ。 
但し、「ホリディ」は、最新の施設もあってか、会員数が安定している。
 人気の「ヨガ」エアロが常に満席。 競合対策で?「平日・昼間会員」枠で、
二年前まで週に3回だったのが、現在は6回に増えている。 増えた枠は、
外部のヨガ専門の先生だけでなく、エアロのインストラクターが、見よう
見まねの指導を始めたが、それはそれなりに? 時に週4回参加もあるが、
週3回が私には最適。 4年半も続けた結果、腰痛からくる腰の重みが、
かなり軽くなっている。 これで、3〜4割は増えたようだ。これは大きい!
 ところで、スポーツジムの大手は、どうなっているかと検索すると、
最大手の「コナミ」が750億円。次が「セントラル」が半分近くの500億、
ルネサンスが420億」、「ホリデイ」が10位で100億。それぞれの戦略を
持っている。 「ホリディ」は<初心者向け>が売り。
平成26年のフィットネス業界の数値は次のとおり。
 市場規模:4,316億円
 施設数 :4,375軒
 会員数 :4,193,706人となっています。
この数値を元に推計すると、1施設あたりの年間売上高は約1億円。
会員数は約1,000人になる。「ホリディ」は私の推測だが1,500〜2000人、
売上は1億2〜5千万。 コナミ撤退もあって、地域NO1。
 こういう装置産業は、後だしジャンケンが勝つ。 満足度90点。
  まあ、日々、お幸せなことで! 

・・・・・・
5276,閑話小題 〜静かなる恐慌が表立ってきたか
2015年08月25日(火)
   * 株価、世界同時安が
 ここで、世界は静かな世界恐慌に既に入っていると、くり返し述べてきた。
リーマンショック以来、アメリカのドルの供給量が三倍。円は二年前の二倍に
なったが、ドルの為替値は、変わらず。円は、三分の二になった。
こういう歪な不自然なことには自然淘汰が、起こって当然である。
その発火点が中国か、ギリシャか、日本か、北になるのかだったが。
「暴落しそうな企業は、株式市場での売買停止が可能」とは、知らなかった。
これでは、国内外の投資家は、引くのは当然である。私のHPの内部検索で、
去年春に、以下の内容が出てきた。我ながら真面目なものだ。
≪ 2014/02/10 閑話小題 〜時どき、10年前から現在を振り返えり〜
   * 時どき、10年前から現在を振り返えって見えてくるのは!
 株式のチャート見るように、その時どきから、5、10年間を振り返えると
思いもよらない事件に遭遇していることが分る。では2004年2月〜2014年2月
まで、何が起きたか?を調べると想像を絶することばかり。 先の10年間は、
これらより遥かに大きな自然災害と経済震災に遭遇することになるが、
これだけは起きてから分かること。 時系列であげると!
・2004年に、中越地震スマトラ沖地震
・2007年に、中越沖地震
・2008年には、ミャンマーでサイクロンで死者・行方不明は13万4千人以上。
 5月12日- 中国で四川大地震発生。M8.0、累計で4千万人以上が被災し、
 6万9千人が死亡。米国でリーマンショックが発生。
・2008年9月15日 − リーマンショック
・2009年1月20日 - バラク・オバマアメリカ合衆国建国以来、
 初の黒人大統領とし第44代米国合衆国大統領に就任。
・2010年には、チリとハイチで大地震。ハイチでは30万以上が死亡。
・2011年に、東北大地震で2万人近くが亡くなり、福島第二原子炉が破壊された。
 チュニジアジャスミン革命が各国に波及し、アラブ各国で独裁政権に対する
 デモに発展。エジプトでムバーラク政権が崩壊、リビアNATOが軍事介入し
 半年間の内戦の末にカダフィ政権が崩壊した。(アラブの春)アルカーイダ
 の最高指導者とされるウサーマ・ビン・ラーディンが、パキスタン
 アボッターバードにて米国の特殊部隊との銃撃戦の末に殺害される。
▽ 東北大地震の直後、私の事業もあっけなく消滅。 時系列でみると、
 10年前に、こんな予測をしても誰も信じない。が、現実には次々に起きている。 
とすると、2014/02〜2024/02年は、さらに大きな自然震災、経済災害があるはず。
それを前提に対策を立てておく必要がある。まさか地元の中越地区に二度も、
地震があるなど思いもよらなかった。いま考えられるのは、首都直下型地震
南海トラフ地震、富士山の噴火の可能性が高い。また静かな世界恐慌?が
表立ってくるのも自然の成りゆき。その中で、情報革命が劇的に進んでいる。 
パソコンがスマフォや、タブレット型に収まるとは、当時は考えられないこと。
次の10年は、メガネ型、腕時計、ジャケットなどの身体の一部になる装着式。
危険な大震災の可能性と、反面、面白い時代になる。ブラックスワンがいるが、
大部分はホワイトスワン。 私個人としてのブラックスワンは、「死」。
5分5分、いや6分が到来? で、その日のための予習を楽しんでいる。
一応、やりたいことは、やり終えた実感は、小さい範囲としても、気が楽。 
それも吹っ飛ぶのだろうが。 ≫  〜以下は、2015年8月25日・記
▼ 後記)中国のバブル経済の崩壊は、世界恐慌が表立ってくるのか、どうか?
 見ものである。一線に立っていれば、由々しき出来事に夜も眠れない?
昨日の夕方、NHK:BSで、『中国の製造業崩壊現場』を、再放送をしていた。
人件コストアップのため、カンボジアに工場移転をしたところ、カンボジア
人件費が高騰し、人民レベルの質の問題もあり、当てが外れたという内容。
 中国経済と、その株式市場の崩壊の影響は、リーマンショックとは、
レベルが違う! 一年、二年かけて、世界の株価が、現在の半値か、
3分の1の可能性もある。目先は、一時的には平成を保つとしても・・
・・・・・・
4911,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー50
2014年08月25日(月)
   * 総括の総括 ー小さな物語のまとめー
 HP内検索で調べてみたら、2年半前の春先に『事業生活39年の総括』
『シングルイン、31年間の総括』と、二つ似たようなテーマで7〜10回
シリーズで書いていた。しかし、それを全く忘れて、これを書き続けた。
45年と、6年〜14年間延びた分、今回は準備期間の15年間を重点的に
書いてある。(重なりが多いが) 無事、ハッピーエンドで事業が終わって
いたら、在り来りの成功物語でしかないし、この3つのシリーズは書くことは
なかっただろう。この結果なればこそ物語を再編成をしなければ、45年間を
受け入れることが出来なくなるためだ。創めるまで、こんな準備をし、半狂乱?
になって全てを注ぎ生きてきた。それぞれの場面には、それぞれ多面性があり、
重く、複雑な問題が、次々と生じてくる。 時には、直ぐにでも投げ出し、
逃げたくなるような、ドロドロしたものが覆いかぶさる。しかし、重みに
耐えているうちに、それは何時の間に解消していることが多い。そこに必死に
立向かっていた自分が間違いなく、いた。この物語を語らずには、死ぬに死ね
ない思いがある。これは誰の人生でも同じ。 書き残すか残こさないかである。 
書き残せば、遺言にない、かつ自分への弔辞にもなる。 
『ご覧の通り、そのまま結構!』で、これ以上でも以下でもない自分の姿が、
そのまま現れ出ている。私生活では、読書、ウォーキングかポタリング
事業、秘境ツアーが大きく占めている。 素晴らしい仲間に恵まれ、何とか、
ここまで辿り着いたが、結果は?? それでも、悔いは少ない。
10数年前のつくった辞世の句?『有難う 面白かった 悔いは無し』がある。
 「遊び、学び、働き、ぼんやり(中空)」と分け自己満足度を総括をすると、
遊びー80点、学びー80点、働きー40点、ぼんやりー80点。平均で70点。
甘いのは分かってはいるが! バブルと、その崩壊に対する認識の甘さが、
働きの自己評価を大きく下げてしまった。それもひとつの小さな小さな物語。 
手がけたホテルを一つの生命体とすると、「新しい経営陣と、前オーナーと
管理者の総入れ替えと、借金の6割カットのリストラ」になる。 
新潟駅再開発で、二つのホテル棟が買収が予定されているため、何とか、
それまで持ちこたえれば採算に合う?という思惑があればこそ、新オーナーは、
決断したのだろう。問題は、経営母体の体力になる。私は、20年かけて、
衰弱をしたが。このシリーズ、今回が一つの区切り。あとは、「つれずれに」
で、書き加えていくつもりである。結局は『珍獣』止まりだったが、こんなもの!
 別記)『分類』の中の「行蔵ーこんな経験をしてみた」の中に、3つの総括
シリーズが収めてある! 一番、楽しんで読んでいるのが私とすれば、
幸せなこと。癒し、というより何だろう、これ。 ムンクの『叫び』?
・・・・・
4544, ヨガの瞑想と死者のポーズ
2013年08月25日(日)
   * ヨガに参加して一年半、経過したが
 スポーツジムのスタジオでのヨガ教室に週2回、1回につき50分間、
参加をして一年半になる。ジムの盆暮の特別休暇以外で休んだのは7〜8回位
とすると、140回は参加したことになる。毎回、50人の定員はほぼ満席で、
30分前までに行き、参加の予約チップを確保しなければならない。
で、二回は遅れて不参加の事があった。火曜と木曜日の午後で、30代半ば?
の女性インストラクターは、それぞれ別。私の見立てで能力、人気も同程度? 
2人ともヨガが大好き人間で、それに負けないほど、教えること自体が楽しくて
仕方がないようだ。40坪位のスタジオに50人が一同でヨガをする様は異様
の光景。正面には全面カガミがあり、見た目は100人の姿が視界に入るから、
なお迫力がある。横60センチ、縦120センチ位のフィットネスマットの上で
百種類のポーズのうち、一回につき10数種類はする。そこで言うのは、
「周りの人の視線は無視してください。 マットの上は、それぞれの全宇宙。
独りの世界の入って下さい。他人ではなく自分と向き合って下さい。」と。 
スタジオはカーテンで外の光が遮られ、照明を落とした薄暗い中、チャンドラ
などヨガの空気にピッタリの音楽が流れ、数分でヨガ世界に引き込まれる。
そこで、直ぐに家で取り入れたのが、瞑想と、死者のポーズである。
死者のポーズは、仰向けの瞑想と思えばよい。仰向けになって。両目を閉じ、
両腕と両足は少し大の字気味に開き、全身の力を抜いて、チャンドラの音に
気持ちを向け、戦場の死者のように横たわるイメージを持つ。
毎回、最後の5〜10分は仕上げに行うが、これが疲れを取ってくれる。
ここで感じるのが「大人数の中の、ひとり」。気持ちの集中で、殆ど他人を
気にすることがなく半睡状態になる。それは、一時間の睡眠の効果に当たる。 
仏壇前の、早朝の瞑想は30分、死者のポーズは、やはり午前9時〜20分間、
行う。夜半に目が覚めた時に、大の字になって、気持ちをヨガをしていると
思えば、それをしていることになる。問題は、呼吸を小波、中波、大波が
岸辺に打ち寄せるイメージですること。何事もそうだが、続けること。
この二つだけでなく、他にもヨガのポーズがチョットした仕種の中に入る。
居間でTVを見ている合間に大の字の姿勢で、両手、両足を目一杯伸すとか、
歩いている時に背筋を伸すとか・・・ 

・・・・・・
4169, 老年行動学 ー5
2012年08月25日(土)             
  * 老生自覚       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)  
≪自らの老いを自覚することを「老性自覚」と呼び、老性自覚には
 「内からの自覚」と「外からの自覚」あります。
△ 内からの自覚には、物が見えにくくなったり耳が遠くなったりする
 「五感の能力低下」、しわや白髪が増える、歯が抜けるなどの「身体的徴候」、
 もの忘れが増えたり、計算が遅くなったり、根気がなくなったりする
 「精神的な減退」などがあります。
△ 一方、外からの自覚には、子どもの成長や孫の誕生、配偶者や友人の死、
 定年退職、他者からの老人扱いなど、「社会的なできごとや経験」があります。
このような老性自覚は、「老い」にネガティブな意味だけでなく、ポジティブな
意味も感じていた時代には、当たり前のこととして、自然に受け入れられていた
のかもしれません。しかし今は、そうではありません。第1章で述べたとおり、
現代人は老いを感じると、暦年齢を主観年齢に合わせるべく、アンチエイジング
に励みます。また、身体の状態も75 歳〜80歳ぐらいまであまり下がらずにきて、
最後の数年でガックと落ちるのが今の老人です。日本人の場合、介護が必要に
なるのは平均して寿命の1割、7年間か8年間程度なのです。つまり現代の日本人
には、極端にいえば老年期がなく、壮年期のあと直ぐに死と向かい合う時期が
やってくるのです。このことは「死に対する準備ができない」ことを意味します。
老性自覚を自然に受け入れ、心も体も徐々に老いていった時代には、
自身が老人になることや死ぬことを、自然に受け入られたのだと思います。≫
▼ 人は脳卒中や心臓発作などで病院に運び込まれたり、死に直面する病気に
 直面し逃げ場のない状態に追い込まれた時や、自信を失ったときにガックと
老いるのである。老人は自分が失敗したことで自信を失うのではなく、周囲が、
それを繰り返し指摘することで生きる気力を失うことが多い。だから周囲は、
これに気づく必要があるが、現実は甘くはない。少くとも服装と言葉と運動量は
注意しておく必要がある。「一年後は無いかもしれない!」を常に意識しているが
・・それでも一期一会の気持が甘くなる。仏壇に祖父の遺影があるが、私より
10歳若い57歳時だが、80歳近くに見える。目先を精一杯生きるしか
ないが、果たして死に際、冷静でいられるのだろうか? 
充分生きたので静かに逝きたいが、所詮、無理。
・・・・・・
3804, iPadを買った
2011年08月25日(木)
 タブレットPC、来年春のiPad3が出てから買おうかどうか迷っていたが、
思いたったが吉日で、三日前に購入。去年から八月に買うと決めていたが、
この春先の騒動で、それどころではなかった。ここで気持ちも落ち着いて
きたことと、「iPadバカ」というタイトルの本を読んだのがキッカケとなった。 
そこで実際に手に取ると、成るほど面白い。感想として、これはモバイル携帯
が大きくなったというより、無線のタッチ式タブレットパソコン。
パソコンでゲームをしたことは皆無だが、今度はゲームなどソフトを
ダウンロードして、使いこなしてみたい。タブレット(バインダー)で
持ち運びが簡単で、無線であることが、これまでと違った感覚。ベッドや車内
などで、気楽にウェブ上の新聞やニュース、ブログなどを見ることができる。 
パソコンの前に座り、電源をオン、ヤフーのHPにアクセス・・ 等々を、
タッチだけで出来るので手軽にネット世界に入れる。しかも板状で、何処へ
でも持っていける。 まだ使い始めて数日なので、門前から一歩を踏み込んだ
ばかりだが、これは日常の必需品になる。初期投資がゼロ円、ランニング・
コストが5千円が高いか安いかは、その人によるだろうが、新聞を止めて
少し生活を切り詰めれば何とかなる?少し重いのが気がかり。あとは本を
自動的にめくり、スキャンしてくれる器械でも出現すれば良いが。
新聞・雑誌がタブレット式パソコンなどの端末の出現で淘汰されるといわれて
いるが、実際に手元に使ってみて、その流れになると確信。先日、近くの
ステーキチェーンでランチの写真を撮っていたら、フロアーの女性が来て、
「写真を何に使うのですか?」と、聞かれた。(HPに写真が多く掲載されて
いるので、競合店の視察とも思ってもいないはず)「ブログに、気に入った
ランチを時々載せているので、これも」と答ると、暫くして再びやって来て、
「店長がブログを見たいので、ブログ名を教えてもらえますか」という。 
少し躊躇したが、教えたところ、厨房の辺りから、「出てきた出てきた」
と小さな声。モバイル携帯で早速、何人かで見ているようだった。
そういう時代になったのだ。 薄型タブレット、無線、ツイッターなどで、
誰でも直ぐに情報が繋がると、現実社会の上にネット社会が覆いかぶさる
時代が現実に、こういうカタチでやってきた。 面白い時代である。