* つれづれに 〜居候は肩身が狭い
・さて、今日より大相撲。一年のうち4分の1が興業している。
大相撲のある日々と、開かれてない日という位な感覚?である。
今場所は、若手の有望な力士が上位に集中。 昨日の初日だけで3大関
横綱が負けてしまった。荒れる名古屋場所の言葉とおり面白くなりそうだ。

・梅雨の大山は越えたようだが、何か鬱陶しいと、気分までふさぐ。
一昨日、スポーツジムで、キーの電池切れのためエンジンがかからず、
充電してあるスペアキーを取りに自宅へと歩きかけると、目前に、タクシー
がいたため事情を話し、家とSCの往復を頼むと、「自分がなおせるのでは」
と 見てもらった結果、程なく、エンジンがかり、ことなきを得た。その後、
バッテリーもあがり気味のため、わざわざ見附まで昼飯をかねて行ってきた。

・居間のTVが完全に寿命。7年3ヶ月になるが。家内共々、平均10時間は
みていたためか、諦めがついた。東芝の『レグザ』だが、これが大当たり。
去年暮れには、寝室のTVを入替えたが、これも満足出来るもの… 
 このレグザと、有機TVの買え替えには、メーカーの販促の5万円の
更なる値引きがあり、ネット通販で一番安いのを目安に掛け合ったところ、
49万8千が、税込みで35万円まで大幅ダウンに、こち方が呆気にとられた。
息子が先日、新潟駅前の「ヨドバシ」で交渉したが、新型のため値引きなしと
言われたとか。
 昨年暮れは、長岡市内と新潟駅前と、10回以上、見て回り、最後に、
ジョーシン」に、そのプロセスを話して、「今までの20年近くのTVと
冷蔵庫、洗濯機の全て、この店で買っている」と殺し文句、実績を根拠に交渉
すると、思惑通りに最安値で終わる。 問題は、そのプロセスを楽しむこと。
 資金を出す家内は当初、不満顔だったが、思いの外の大幅値引きと、鮮明な
画面に、その後はダンマリ。 寝室が私の専用TV、居間は家内が優先の棲み
分け、というところ。 としても大きい出費の度には居候は肩身が狭い。
 〜で、再び偶然、以下の文脈に続いていく。

・・・・・・
5595,閑話小題 〜貧しさだけは
2016年07月10日(日)
 最近、老人の貧困問題が取り上げられている。そういえば以前、経営していた
会社で、辞めていった女子社員の家庭内問題について、書いたことを思い出し、
ブログ内検索をしたところ、10年ほど前のテーマにあった。(下にコピー)
そこに出てきた母娘以外は、年齢からして殆ど亡くなっている?のだろう。
 嫁・小姑・姑・舅問題などが絡まった複雑な問題だが、その背景は貧困。
豊かさは一瞬で崩れさるが、それを築くには、長年の、何世代の労苦が必要。
情報化社会で、豊かな者は、より豊かに。貧しい人の人は、より貧しくなる
傾向にある。他人事ではない。何とかセフティーネット で事なきを得ているが。
10年前とはいえ、よく、こんな文章を書いていたものと・・ 
 本人には「白馬の騎士」が必要なのだろうが。 先日、読んだ本に、
<「玉の輿」は、元もと幻想。その相手と苦労した結果、豊かそうになること
 なら、有りうるが。>とあった。その結果、貧しくなる事例は有りうるのか。
 適齢期の決断で、何とか、踏みとどまった中で、一番の理由は、バランス。
短期適応、長期不適応の惨状を、あまりに多く見せられていた。
  〜そのコピーから
――――
2006/10/18
2024, ある家庭の事情
               才八∋ウ_〆(∀`●)
これからの内容は本人の同意を得て書いている。(本人の同意なくして
書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、裏切り行為になる。
本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書いてください!」
とのこと・・)
そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題
(嫁・小姑など家に存在する)不条理と貧困である。
Aさんの話を聞くうちに浮かび上がってきた奥行きの深い話。
どこの家にも、このような問題はあるが、あまりにも気の毒な構図である。
それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが浮かび上がってくる。
        〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ
ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー  (以下、敬称は略す)
・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区の実家に出戻る。
・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD
 (80歳代前半)がいる。 家は、それほど大きな家でない。
・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。
 そしてAは女子短大を卒業、新潟(私の会社)に就職して5年目になる。
 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職。
・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。
 去年から働きに出れなくなり収入も途絶えた。
・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが
 崩れてしまった。子供二人が家を出ていったことと、母親Fが働けないため
 収入が途絶えたことで、弱い立場の陥り、その結果、鬱病になりかけている。
・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は
 重度の鬱病になり廃人になってしまう。A一人の収入では母親を引き取れない。
 そこが地獄絵図の世界としても、その家に帰らないと母は間違いなく潰れる。
――――
という内容である。 露骨に言ってしまえば、
 ・「行かず後家」と、
 ・その実家に「出戻ってきた母」と、
 ・嫁の立場の「お祖母さん」と、
 ・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、織り成す小さな
‘葛藤ドラマ’である。
Aは華やかではないが、キリッとした美形で、浮いた話は全く無い。
この実家4人の関係の、それぞれの立場が「針のむしろ」。
・「叔母E」にしても、頼るのは弟のBしかいない、
・「家長B」も連れ合いのCと、姉Dと、娘Fとの間で神経をすり減らし
・「嫁の立場C」も、小姑Dとの同居自体が地獄である上に、
  旦那Bと娘Fとの間に立って神経はボロボロのはず。
  小姑Dが生きている限り、80歳近くになっても嫁の立場は変わらない。
・母親Fは家をでて、娘か息子の元にいくと、お婆ちゃんCと小姑Dの
 バランスが崩れる。

聞いているだけで、小説のような深い煉獄のような世界が見えてくる。
おまけに、「長生きの家系で年寄り三人は10年は最低生きそうだ」という。
更に、Bは‘独身?で外にいる息子’を呼び寄せるつもりだという。

結局は、本人Aは会社を辞め、新潟を引き上げ実家に帰って働く決断をした。
感心するのは、本人はアパートで質素な生活をしながら、母親に仕送りして、
短大時代の奨学金を5年かけて全て返したことだ。
赤貧の生活だったのではなかろうか?

その上に、その実家に母親を助けるために帰るという心情である。
若い女性でなければ手を貸してやりたい位である。
現在彼女にとって必要なのは、「白馬の騎士」である。
その姿勢を貫いていれば、必ず現れるはずだが・・・
田舎に引っ込んでしまうとチャンスは狭まるだろう・・・

私が当人だったら、どうするだろうか?
生きの良いうち?に、理解してくれる伴侶を探すだろう・・必ずいるはず!
「今どき家に縛られるのはどうか?」などとかいう問題ではない。
それか難しいだろうが、母親の結婚相手を探すのも一案である。

先日、一家を惨殺して投身自殺をした主婦の事件があったが、
永年の蓄積したドロドロしたものがガス爆発したのだろう?
あまりにも気の毒なFさんに心をこめて、「明るく生き抜いて欲しい」と
願うばかりである。この状況で明るく生きるのは難しいだろうが・・
それより、「生きているだけでも幸せである」ことに気がついて欲しい。

どこの家庭にも、このような話は親戚筋の中に幾つかあるが、
あまりに設定が・・・・
   
そのために宗教がある。「生長の家」「天理教」あたりを勧める。
天の理や、仏教の教えを噛み砕いて教えてくれるからだ。
苦しみが深いほど、救いも大きくなる。
こういう場合に、「何で既存の仏教の寺は勧められないのだろう?」
坊様には、それが解ってない!
                (*^ワ^*)i バイバイ
――――
▼ 当時は、当主のお祖父さんに問題ありと思っていたが、古希も過ぎ、
 改めて考えみるに、この状況で、身内が何とか助けあう当主の姿勢は、
人間として、崇高ではないかと、思えるようになっている。小さな家に、
本人が帰った上に、叔父が同居となると、6人は、やはり過剰になるか。

・・・・・・
2014/02/27
閑話小題 ー年金生活者になって垣間みえてくる貧困問題? 
 年金生活に入って、事業人生の気の張りも緩み、かわり映えのない日々が続く。
年金生活になれば、娑婆ッケも抜け、今さら欲しいモノも、してみたいコトもない。
還暦までが人生の面白いところ。あとは、自然の流れに身を委ねて、日々、面白、
可笑しく生きることを心掛けるしかない。生活に心配ない収入があるかないかだが、
自然に適応するから不思議。同世代が、二ヶ月後から古希になる。
残された人生の期間が、あと平均10年になる。そのうち9年間が介護を必要、
というから、そう甘くはない。比較的恵まれた環境の生涯だったが、ここにきて、
周辺が寒々とした空気になってきた。貧困問題である。以前も書いたが、世界と
比較した相対的貧困問題である。この東北震災の影響が今後、さらに深刻になり、
日本は貧乏国になることは避けられない。 以前にも少し取り上げたが、
 ーその辺りをネットでみるとー
《 日本の貧困率についての最新のデータ、OECDの2009年の統計によれば、
 日本の相対的貧困率は16.0%で、この年に調査された中では、イスラエル21%、
トルコ19.3%、チリ18.5%に次いで4番目に相対的貧困が高い。同年調査された
韓国(15.3%)よりも高い率である。2009年には調査されなかったが、かねて
貧困率が高いアメリカ合衆国が17.3%(2010年)、メキシコが20.4%(2010年)。 
日本より貧困率が高いメキシコ、トルコ、チリはいずれもOECDには加盟しているが、
先進国と言える経済力ではないため、日本は先進国の中でイスラエル
アメリカに次いで3番目に貧困率が高い国になる。逆に西欧諸国は大半が10%以下、
全調査国中最も低いスウェーデンデンマーク5.3%を筆頭に、北欧の貧困率が低い。
 厚生労働省の調査では、日本の相対的貧困は2009年の時点で16.0%は、データが
存在する1985年以降で最も高い数値。2007年の国民生活基礎調査で、日本の2006年
可処分所得の中央値(254万円)の半分(127万円)未満が、相対的貧困率の対象
となる。これは、単身者では手取り所得が127万円、2人世帯で180万円、
3人世帯で224万円、4人世帯で254万円に相当。日本は、かっての調査では北欧諸国
並みの水準で「一億総中流」と言われたが、1980年代半ばから2000年にかけて
貧富格差が拡大し相対的貧困が増大した。なお、ジニ係数相対的貧困率
定義が異るので一概に比較は出来ないが、単身世帯を含めたすべての世帯に
おける年間可処分所得(等価可処分所得)のジニ係数で国内格差をみると日本は
アメリカ・イギリス・カナダ・オーストラリアの英語圏諸国より格差が小さく、
フランス・ドイツとほぼ同程度の格差であった。相対的貧困率は、1980年代半ば
から上昇している。この上昇には、預貯金や不動産を所有しつつ収入は年金しか
ない「高齢化」や「単身世帯の増加」、1990年代からの「勤労者層の格差拡大」
が影響を与えている。「勤労者層の格差拡大」を詳しくみると、正規労働者に
おける格差が拡大していない一方で、正規労働者に比べ賃金が低い非正規労働者
が増加、また非正規労働者間の格差が拡大しており、これが「勤労者層の
格差拡大」の主要因。》と、やはり深刻である。
▼ 年金生活に入って、家にいるケースが多い上に、見栄など、どうでも良い
 年齢だが、それでも思わぬ出費が次々かさむ。リーマンショックによる静かな
恐慌と、大震災による影響で、マイナスの影響を受けるのは、貧困層。我われ
世代は「良い時代」を生きてきたが、これからは「悪い時代」に生きることに。 
良い時代を知らないから、それが当り前?

・・・・・・
5230,閑話小題 〜古希を過ぎると!
2015年07月10日(金)
   * 中国が変と言われてきたが、ついに? 〜?
 知らなかったが、一昨日の中国の株式市場で、半数近くの銘柄が、商い
ストップになった。暴落しそうな会社が、それを阻止するために、自主的に、
売買を停止する権利があり、それを実施したため、半数の商いがなかったため。
こういう狼狽の投げ売りには、目先は有効に働くが、大きなウネリを止めることは
不可能である。それにしても一年で株価が2・5倍の方が、よほど異常であり、
その反動があって当然。株主の8割が一般投資家(日本は2割強)というから、
大暴落が起きたら、国家そのものが大揺れになる。また、信用取引が三倍まで
可能で、当り前のように行われているという。当面は腕力で抑えるだろうが、
次のステージが、どうなるか。 昨日は、世界中が固唾をのんだ一日だった。
   * 古希を過ぎると・・
 一昨日、スポーツジムの行くため、車に乗ろうとしたがドアが開かない。 
さて、どうしようか?と迷った。バッテリーがあがったようだ。
・ カード会社の「ロードサービス」か、
・ 自動車保険に電話をしようか、
・ 購入会社トヨペットのサービス部門か?  と迷ったあげく、
何を血迷ったか? トヨペットに、「どうも、バッテリーが切れたようで・・」
と、電話をしたのが間違いの元。早速、サービスが新しいバッテリーを持ってきて、
既存のものが寿命かどうかも確認なしで新しいのに交換し、「2万5千円」の請求。
電話で「バッテリーが変」といえば、相手は商売。交換依頼と解釈して当然?
「まだ、年金受給者の自覚が足りない」と、家内に嫌味をいわれ・・
「一年点検時」にバッテリー交換の時期といわれていたような? その辺りの記憶
は曖昧だが・・ まあ、緩んでいるということ! 年金暮し、こういうのが効く!
・・・・・・
4865,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー33
2014年07月10日(木)
  * つれづれに 〜事業を通した「力と、遊びと、学びと、その背後の闇」
 事業を通して多くを学んだ。その一つが金沢でのこと。追込まれ、気持ちが
深く沈んでいた時、内なる声が浮かんできた。「私は、ここに学びに来ている。
順調で満足しているより、この事態こそが学びではないか。こんな惨めな状態は
二度と経験はできない。現状がマイナスほど、逆にプラスになるはず。
そんなことも分からないのか!」と。そこで現象を改め見直すと、全てが違って
見えてきた。逆境は学び、順境は遊びと、割り切ればよいということか。
3年前も、そのことを思い出し、「こんな経験、二度とない。倒産の当事者に
成りきって、今すべきことを一つずつ処理をしろ」の、内なる声にしたがい
冷静?に取組めた。これは、節目時の対処を何度か経験してきたこともある・・ 
それをみていた、月次経理監査で30年、来社をしていた税理事務所のJさん
曰く、「楽しんでいますね!貴方は現在、何が起き、どういう立場にいるか
分かっていない?」と、呆れ顔。 それに「分かっていないのは彼方!」とも
言えない。偽悪的にいえば「これで創業から終わりまで起承転結の全てを経験
できる! これは立上げからの行蔵を持った私の45年の最期の仕上げ!」
の気持ちが、身体も心も自由にしてくれていた。 表立った心は沈んでも、
こころ根まで折ることはない。痩せ我慢としても、冷たい視線?に対し、
逆照射をしているしかないが。
 ブラックスワンの長期的対策をしてない中小企業の9割?以上の方々が、
その視線で、面白おかしく中傷している自分の姿が分からないのが、ブラック
ジョーク。 他人には、隠れた45年が見えないし、見ることもない。学び、
遊び、働きと、それらから解き放された自由な心、の4分類で考えると、人生が
鳥瞰して見えてくる。 「学び」を切口にすると、マイナスの出来事が真逆に
見えてくる。「遊び」も同じ、現象そのものを遊べばよい。失敗も、遊びで
括ると、ケセラセラ!に、思える。「働き」で括ると、戦略的失敗も、無我夢中
だから・・になる。全てが意味(価値)づけが可能ということ。この3つの
括りも、宇宙的括りの解き放された自由な切口で、包み込めばよい。
死んで3日もすれば、300年前、死んだのと同じになるのだから。
 人生の鳥瞰は面白い!