* なんとまあ、上手い命名のこと
新十両に(岩崎改め)翔猿〈とびざる)が昇進した。小柄で曲者の特徴を
一言で、「翔猿」とは、さすがである。一度聞いたら、二度と忘れないほどの
四股名。うまく命名できれば四股名でも人気度が違ってくる。この四股名で、
「宇良」並みの、人気力士になる可能性を予感できるのは何故だろうか。
これに匹敵する「宇良」の四股名を考えてみた。「麗」もいいが、「宇良良」。
これは、春うららを感じさせるキャラをイメージして。この裏の受けを狙って、
「猿飛」も悪くないが、二番煎じの感がするが、話題になり、これも強烈。
遠藤が「清水川」と予定されているというが、爽やかなイメージの「春風山」
も悪くないが、強そうではない。「地雷也」「五右衛門」ぐらいでよい。
新潟出身の「小柳」が、「豊山」の四股名になったと同時に大負けをした。
先代と先先代のヤワなイメージで、取組相手の方が勝ちそうな感がする。
エジプト出身に「大砂嵐」がいるが、これは上々の命名。
昔、「岩風」という小兵力士がいたが、低い姿勢でもぐり込んでシブトク
勝ちをとる戦法だった。鏡餅のような腹の「鏡里」という横綱がいた。
四股名こそ、広告代理店に頼んで貰えばよい。
何といっても一番は、本人の精進による実績もあるが、「大鵬」。
ところで白鵬は、柏戸と大鵬の「柏」と「鵬」をイメージで、「拍鵬」
では面白くないと、「白鵬」に落ち着いた逸話がある。これも本人の
実績もあって、ベストの部類。
「宇良」、今思いついたのが<一撃> 何か、相手は嫌な感じを持つ?
小さいから、むしろ一撃でやられるか?
・・・・・・
5570,突然、余命宣告を受けました ー?
2016年06月15日(水)
〜 『あの世へ逝く力』小林玖仁男著
図書館の「返却コーナー」で、<あの世へ逝く力>というタイトルの本に
目が吸寄せられた。この数日、歌舞伎役者・海老蔵の妻の進行性乳癌が
報道されていることもある。70歳をこえた我身にとって、いつ何時、余命宣告
をされても不思議でない。 「まえがき」冒頭から、死に直面した著者の悲鳴
が、そのまま、言葉に転換されている。24年前、これに近い経験をした。
将来が突然抉り取られたような絶望と恐怖感は思い出すのも憚れる。
以下は、まさに同じ感覚。特に、夜半の布団での恐怖は! 天国も地獄も、
まさに現世にあった。ここで、「時計の針が、未来ではなく終りを刻み始めて
確実に分かったことがあります。」と、実感そのままを述べている。そこで、
死に物狂いで天国巡りをして、地獄1つに、天国3つの割合にもっていくしか
なかった。 死が現実問題になると、火事場の馬鹿力が湧出てくる。で、ホテル
を過剰投資を楽しみすぎて、在庫オーバーの遠因をつくったオマケもついた。
〜その辺りから〜
≪ ある日病が発見され、突然、余命宣告を受けました。通っていた糖尿病
クリニックでのレントゲン検査で、「肺が黒い」と言われ、大学病院を紹介され、
ここで「間質性肺炎」と診断されたのです。肺壁が壊れていき、呼吸をするのが
困難になっていく病。助かる見込みのない進行性の難病。早ければ二年半ほどで
死に至ると知りました。混乱の中、私はペンを執って、心の動揺をそのまま書き
取り始めました。メモをとったり書いたりするのは得意な作業。
手を動かしていれば気が紛れる…。何よりも、そうしなければ精神のバランスを
保てなかったからです。最初に聞かされた医師の話や、それに対して自分が
どうショックを受けたかということも、思い出せる限り書きました。・・(略)
時計の針が、未来ではなく終りを刻み始めて確実に分かったことがあります。
「漠然」と流れていた日々の時間が、突如、「凝縮」した時間へ転換したのです。
限られた時間をどう有意義に過ごすかを真剣に考え、自分の人生を満足するもの
にどう仕上げるか、そのことにのみ神経が集中していきました。これだけは
やっておきたいこと、何が何でも叶えたいこと、どうしても欲しい物、最後に
行きたい場所…。時間が無い、失敗できない、という緊張感の中で、優先課題が
はっきり見えてきます。死に方を考えるとは、生き方を考ることでもあります。≫
▼ 数年前に、近所の家内と親しかった友人が、この病気で亡くなった。
家内が参列した葬式の主人挨拶が壮絶。 故人が呼吸困難になって、、
『オトウサン、苦しい、助けて!』と、泣き叫んでいたが、何もしてやれない
ジレンマ。 何度か、夢の世界に没頭し、呼吸困難になった経験があるが、
呼吸困難の苦しみと恐怖は並大抵でない。誰もが通らなければならない死に際
の断末魔の苦しみ。遠くない将来、私も通らなければ道、恐ろしい限りである。
この恐怖感があればこそ、以来、40回の秘境・異郷旅行と、この5570回の
随想日記を続けた原動力になっていいた。 何せ、誰もが直ぐに死ぬのだから。
「いま、ここ、わたし」を生きなければ! 生まれてきた甲斐がない。
・・・・・・
5205,個々にとっての人生は、永遠である!
2015年06月15日(月)
『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談
* 自分は自然の一部分である
<生まれる前の記憶がなく、一人称(自分)の死をみることが出来なければ、
その人にとっての人生は最初も、最後もない「永遠」ということかも知れない>
といいうことは、各自の人生は、永遠の時空の中の一点の光ということになる。
それからして、「自分とは、自然の中の一部分」が、論理的に納得される。
≪ 佐治: メリカのネイティブの考えている神はキリスト教徒とは違って、
神道というか、わたしたちの感覚に近いです。彼らは、人が死ぬということを
「姿はなくなったけれど、鳥になったりしている。いまはたまたまこういう
姿になっているが、魂は不滅のものだ。だから死を恐れることはない」
という。川は先祖の血液なのだとか。どれも自分の体の一部として自然
そのものと一体になっているんですね。
堤:「自分は自然の一部だ」と感じると、死が怖くなくなると?
佐治: と、いうことでしょうね。彼らも人が亡くなることはもちろん悲しく、
みんなで弔いをするけれど、死は人間の姿をしていたことへの終結宣言で、
次があるということです。・・
堤: 私は父の死を前にしたときは、なかなか受け入れられませんでした。
佐治: いままで息をしていた人が、姿はそのままだけれども息をしていない。
モノになってしまったというのは、なかなか受け入れられないものです。
自分で自分の顔を見ることができないように、人は自分の死を見ることが
できない。見ることができるのは、他者の死だけです。となると、誕生前の
記憶がないとすれば、その人にとっての人生とは、初めもなければ終わりも
ない「永遠」だということになるのかもしれない。しかも、その人が残した
ものは、現世の人々によって引継がれて?それが人生というものなんでしょう。
佐治: 世のなかは対極のものからできています。「生きるとはどういうことか」
を知るためには、「死ぬ」ことがどういうことか知る必要がある。
対極から考えていかなければわからない。死を知るには、じゅうぶん生きて
みないとわからないと、いうことですね。先ほどもいいましたが、他者の死と
身内の死では感じ方にものすごく落差があるので、身内の死を経験していなけ
れば人への慰め方もわからない。悲しんでいる人には、ただ黙って寄り添う
しかないでしょう。寄り添うことが究極の愛ですからね。何もできない自分は
無力ではあるけれど、相手にただひたすら寄り添うことはできますよね。 ≫
▼ 死とは、「生前の状態に戻ること」を知れば、さほど深刻になることもない。
だからこそ、生きているうち、一期一会で生きなければならない。
「自分は(自)然の一部(分)である」であるならば、自分の死、個々にとって
の人生は永遠だが、小さな入替わりでしかない。真剣に考えても考え損になる?
としても、考えなければ、そのことさえ気づかず終えてしまう。ふぅヾ(´ε`;)ゝ
・・・・・・
2014年06月15日(日)
4840,閑話小題 ーワールドサッカーのジンクス
* 3964の法則なら、今年のW杯優勝はウルグアイ!?
ワールドサッカーにも多々、ジンクスがある。先日、TVで“3964の法則”
を紹介していた。そこで、ワールドサッカーのジンクスをネットで調べてみた。
●《 “3964の法則”では、優勝はウルグアイ
4年に1度のサッカーの祭典には、2回以上優勝した国の優勝
年度を足すと「3964」という数字になる都市伝説が存在する。
この「ワールドカップ 3964の法則」
サッカーワールドカップには3964のジンクスというものがある。
ワールドカップで過去に優勝した国は、過去の優勝年の年度と
現在の年度を合計すると3964のジンクスになるという有名な法則である。
アルゼンチン:1978+1986=3964 ブラジル:1970+1994=3964
ドイツ :1974+1990=3964 :1962+2002=3964
:1958+2006=3964
さらに「2002年日韓共催ワールドカップ」の決勝戦が開催れた日産スタジアム
のブラジル代表の控え室に使われた部屋のホワイトボートにはそこに戦術が
かかれたとともに 3964−1962=2002と残されていてブラジルの優勝年が、
その年。2002年ワールドカップは3964の法則により自分達が勝つという事。
この控え室とホワイトボードは現在でも大切に保管されている。
さて2014年はワールドカップ開催の年だが 法則に従うと3964−2014=1950。
1950年のワールドカップは 1位ウルグアイ 2位ブラジル 3位スウェーデン
4位スペイン。このチームのどれかが優勝となるのでは?と予想されております。》
●《 数々あると言われているワールドカップのジンクス。前回大会で、
スペインが優勝し歴史的快挙ともいえるほどのジンクスを打ち破ってくれた。
例えば有名どころでいうと…
・欧州以外で開催されたW杯は南米勢が優勝する
・1962年以来、欧州勢と南米勢が交互に優勝している
・圧倒的な優勝候補は優勝できない などなど。
しかし、それでもいまだ破られていないジンクスは多数あります。それは…
・欧州勢と南米製以外でW杯の決勝に進出した国はない
・北中米・南米のW杯で欧州勢が優勝したことはない
・前年度バロンドールを排出した国は優勝できない
・コンフェデ優勝国は翌年のW杯で優勝したことはない 》
▼ 面白いが、昨日はスペイン対オランダ。一昨日は、ブラジル対
クロアチアを観戦。今日はイタリア対イングランド戦と、日本対コート
ジボワール戦をTV観戦予定。日本は、FIFAランク46位。
コートジボワールは23位で、決して甘い相手ではない。
・・・・・
4473, 閑話小題 ースポーツジム、500回
2013年06月15日(土)
* スポーツジム、500回
スポーツジムに通い始めて2年2ヶ月あまり経つ。数日前に、フロントで
「今日で5百回になります」と言われ、幾かの選択制のサービス券を貰った。
上京などの小旅行以外と公休日の金曜以外は、ほぼ毎日通ってきた結果である。
噂話に余念のない‘砒素の塊のような口煩そうな御婆さんを数人見かけるが、
「平日昼の5日間コース}ということもあり、中年主婦と、スナックなど夜間
の商売とみられる人が中心。ランニングマシーンとサイクリングマシーン
50台と、エアロビ、それと円座でインストラクターのもと12名が各種
マシーンとステップ台を交互にこなすイージーラインと、30種類位の
マシーンのコーナーと、プールと、サウナと風呂、マッサージルーム、
ロビーが組み合わされている。地元では、私が通っているホリデイが最新の施設
で、一番の人気。月20日、年間240日弱位として、二年二ヶ月で500回。
若い女性のインストラクターの明るい声の中でのイージーラインや、ヨガに
参加しているだけで、気持ちが明るくなる。近くに丁度よい施設がタイミング
良く出来たもの。一回のヨガだけで千五百円の価値を実感、月に9回としても、
充分に元を取っている。月に六千円、日にすると三百円は充分価値がある。
午後に、人に干渉されることなく、一人で行って、幾つかをこなして、
気ままに帰ってこれるのが良い。私にとって理想的システムといってよい。
スポーツジム、土日と夜に会員が集中するので、平日の昼は老人と主婦にとって、
楽々と長時間滞は在しても問題ない。アメリカから来たシステムだろう。
家内の新潟の友人は、10時にオニギリを持って出かけ、16時まで滞在する。
光熱費は節約できるし、毎日リゾート地にいるようだと。私は平均二時間が目安。
軽く会釈する人が数人だけ。
地元にはスポーツジムは、ホリデイ、カーブス、ルネッサンス、NASなどがある。
駅前のヨーカ堂のスポーツジムは、女性用のイージーラインだけを絞ったのも
あるようだ。家内は週二日、イオン内のSJにバスで通っている。一度、生活圏
から出れるのが、良いという。砒素の嫌な視線を何度か感じ川西のジムにと、
見学に行ったことがあった。ガソリンだけでも一万はかかるので、
決心出来なかったが。
・・・・・・・
閑話小題 ー自転車のパンク
2012年6月15日(金)
* 自転車のパンク
4〜11月まで八ヶ月間、毎朝一時間もポタリングをしていると、
年に二回はパンクをする。たまたま土砂降りの時にパンクをし、ズブ濡れで
自転車を引いて帰って来たこともある。それも付きものと割り切っている。
一回のパンクの修理代が千〜千二百円で、店によって違う。昨日もパンクを
したので近くの自転車屋で修理をした。世間話に、市内の自転車屋の数を
聞いたところ、「百軒あった店が今では三十軒になってしまった。
4kのため次世代が店を継ぎたがらない」という。店売りの自転車はHCや、
スーパーが大量販売するため、価格競争に負け、修理だけとか。
パンクの修理時間は平均、20分。それで千二百円は悪くないが、私の見立て
では一日4〜5人。 奥さんがパートをする兼業商家なら何とかなるのだろう。
* 書見台
iPadタテがあるなら本立て(=書見台)があってよい筈と、調べたら、
あるある。江戸時代の学者が正座をし書見台に向かい読書をしている絵を
見かけるが、その卓上版があった。元もと在ったのだろうが、この歳で初めて
書見台の存在に気づくとは。隠れたブームになっているというから、一般的
ではなかったようだ。 それにしても楽で良い。 机上では両手で支えるか、
下に置いて斜め上から読んでいた。 現代書見台は、小さな衝立に立て、
下の両側をバネで抑える仕組みで、両手を使わないで済む。
メモをとる時とか、デジカメに記録に残す時などに便利である。
これにiPadを立てて使えるため、既に必需品になっている。
* ギリシャがどうなるのか?
17日から数日間はギリシャから目が離せない。ギリシャ国民がユーロ圏
から離脱するかどうかの再度の国民投票になる。もし離脱になれば、世界恐慌
のキッカケになる可能性が出る。予測は5分5分だが、悪いことにスペインの
三段階の格下げ発表だ。いまやPIIGSのモグラ叩きの様相であう。何時まで持つか
だが、一度火がついてしまえば、世界恐慌が吹き荒れる。その惨状は、想像すら
できないほど深刻という。後は野となれ山となれ、だが、衰弱化しきった
日本は外国から狙われること必定。どうも世界の動乱期での日本の小選挙制度の
仕組みが適正でなかったようだ。その意味で、ここで日本も一度、現在の枠組み
を変えるしかなく、政治動乱の過程を踏む必要がある。
まずは、この一週間は国内外の政治経済から目が離せない。
・・・・・・・
3733, 閑話小題
2011年06月15日(水)
* 衣替えのアイロンがけ
この時期になると、半袖のポロやTシャツなどを箪笥から出して、アイロン
かけをする。(家内は一切無視? ったく!) 風呂敷から出して、新鮮な空気
に触れさせ、霧吹きで水分を含ませアイロンを軽くかけると、見る見るうちに
シャツが姿を変える。無機物のシャツが、あたかも生き物のように変わるから
面白い。人の手を入れると元気になるのは植物やペットなら、尚のこと。
新鮮な空気、水分、熱など自分自身に我々は入れているだろうか?。
それだけではない、知識も入れ替えをしないと。「新婚さんいらっしゃい」
というバラエティーで、夫はアイロンがけが趣味というのがいた・・
それって、奥さんがするんじゃ?
* ハイボールの語源
日本では、ウイスキーのソーダ割りだけをこう呼ぶのが一般的。
もともと、あらゆる酒がベースで、ソーダやトニックウォーターなどの炭酸飲料
や、水、フレッシュジュースなどアルコールの含まれていない飲料で割ったもの
をハイボールと言う。語源について諸説ある。
<1> 開拓時代のアメリカで、蒸気機関車による長距離移動のときに、途中で
水の補給のための停車の際、棒の先にボールをつけたものを掲げて合図した。
そのときに、ウイスキーのソーダ割りのサービスがあったことが、語源という。
<2> 同じく開拓時代のアメリカにて。当時鉄道ではアドバルーンのボール信号が
一般的に使用され、ボールがあがっていれば go、あがっていなければ
don't go 。 当時は、インディアンの襲撃が頻繁にあり、そこまで行って
よいかどうかの判断もあった。
その無事に感謝をして水で割ったウィスキーを飲んだのが語源とか、
他に炭酸の泡が揚がっていく様から「ボール信号」という説もある。
<3> イギリスのゴルフ場のカウンターでウイスキーを飲んでいた人が、
急に自分の打つ順が来たことを知らされ、そばにあったソーダにウイスキー
をあけ飲んだところ非常においしかった。そこに、たまたまハイ・ボールが
飛んできた、それが語源だという説。早くいえば、ハイボールは
「飲みやすいカクテルの代名詞」。サントリーが数年前から角瓶との組み合わ
せの「角ハイボール」を大々的に宣伝を始めた。人気の背景には飲みやすさに
加え、老舗企業の戦略もある。それにしても、イメージ広告に人は弱い。