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* 火が出たを、「屁」が出たと言い間違い
『徹子の部屋』に出演した時の小池都知事のエピソードが面白い。
《 ニュースを読んでいたら、何か会場が異様な雰囲気に変った。何人かが
血相を変えてスタジオの外に飛び出していった。 何事だろうと思ったが、
ニュースを言い終えた後に知ったのが、、家から「火」が出たを、「屁」が
出たと言ったらしい。大声で笑うのを我慢が出来なくなったスタッフが、
笑いをこらえてスタジオの外に飛び出して行った。》という逸話。
彼女が言うと何かリアル過ぎて、その時の情景が浮ぶようだ。
* 何か変 ?
真偽は定かではないが… 先日の北朝鮮によるミサイルの失敗、アメリカの
衛星からの電磁波による軍事技術の影響では?と、思惑有りそうな元米軍関係者
の発言があった。
いま一つ、空母カール・ビンソンを中心とする艦隊が現在、朝鮮半島 向けて
航行しているが、何故か遅れている。Xディ(4/25、4/27?)に合わせた戦略的
圧迫とみることも可能。ソウル市へのミサイル攻撃の危惧以外、北朝鮮の脅威は
何もない。大陸間弾道弾の完成前に叩く必要性があるとすれば、今がチャンス。
北朝鮮にとって、中長期的に日・米・韓連合に勝てるとは思っていない。
核弾頭つき長距離ミサイルの完成を待つのみ。 ならば目先、沈黙を保つか、
軍事クーデターによる暗殺か、戦争の選択肢になる。とすると、沈黙になるが。
ロシアのプーチン、何故か沈黙。アメリカ大統領の当選に加担し、北朝鮮の
親指人形化を目指しているようだ。最も効果的なのは、アメリカと北朝鮮の
全面戦争ともなれば、唯一誇れる軍事産業が潤う上に、アメリカの衰退に拍車を
かけることになる。その隙に中東へ影響力が増やすことが可能になる。
これから4月末は、フランス大統領選挙も含め、目が離せない。一つ間違えると、
世界の動乱が大きく拡大することになる。
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5517,閑話小題 〜「ここはロドスだ、ここで跳べ」
2016年04月23日(土)
* 「ここはロドスだ、ここで跳べ!」
ロジックだけで、論理を実行のプロセスに移せない人に対する言葉が、これ。
時どき面白い男を紹介されるのが、「夢や構想は立派だが、何故か手順に落と
せず、どの社会でも浮いている一人」。よくよく話を聞くと、他者の影の批判
から出発した夢でしかない。要するに熟成された構想でない。そこまでは、
誰もが考えるが、問題は熟成。「ほら」も、時として必要としても・・
〜ネット検索より〜
≪ イソップ寓話に収められた「ほら吹き男」の話に出てくる言葉。
古代競技のある選手が、遠征先から帰ってきて自慢話をし、
「おれはロドス島では、五輪選手も及ばないような大跳躍をした。
皆がロドス島へ行くことがあれば、その大跳躍を見た観客が快く証言して
くれるだろう」、と言ったところ、それを聞いていた一人が、
「そんな証言は要らない。君が大跳躍をしたと言うなら、ここがロドスだ、
ここで跳べ」と言った、という逸話。 この寓話からどんな教訓を読みとるか
についてはさまざまな解釈があるようで、最も素直な読み方は、「手っ取り早い
方法で証明できることについてくどくどと論じる必要はない」ということで、
「論より証拠」に近い意味になるでしょうか。また、「実力を出さなければ
ならない場面で出せないのは、真の実力ではない」といった教訓を読みとる
のも一般的なようです。ヘーゲルやマルクスは、それぞれの自著の中で
上記のイソップ寓話からこの言葉を引用しています。 ≫
▼ 「私に任せてくれたら、機会に恵まれたら、と目を他に向ける前に、
まず現在、取組んでいることに専念すること」を示している。何処かに
理想郷を求めるのではなく、実現された仕組みを足場に、自分の能力を発揮
すべしということ。「今、ここで、私」が跳ばないで何時、跳べるのか。
で、跳ばないまま、留まり、初老性鬱病になった挙句、流離うゾンビの群れに
加わり毒を吐く。これも、立派な人生だが、遅くない、そこから跳びなさい!
「エッ、それ、誰のこと?」「いや、全ての人です! 安心してください?」
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5152,閑話小題 〜常識とは
2015年04月23日(木)
* 常識とは何か
アインシュタインの言葉に、『常識とは、18歳までに仕入れたもろもろの
先入観のコレクションである』がある。人生を振返ってみると、まさに先入観
の破壊の連続。 地方の田舎から上京をして、右も左も分からず、多くの壁に
ぶつかり、その都度、先入観の壁が一つずつ叩き壊れていった。
あれだけ必死に挑んだにもかかわらず失敗と挫折の連続。 何故だろう?
そこで考えたのが、己のの無知、無能の自覚である。実際に多くの挫折を経験
をすれば、認めるしかない。その底から立上り、一歩を踏出すためには膨大な
エネルギーを使った末の知恵を絞り出すしかない。バカの壁の認識と、破壊
である。挫折とは創造前の破壊になる。21歳の夏の‘欧州一ヶ月間の旅行’で、
自分を取囲んでいた壁が粉々に崩壊された。そこで見たのは、西欧文化の深さ。
その西欧からみえた「極東の黄色人種の私」という存在。日本すら知らない、
自分すら知らない私の自覚。あの経験はプラス・マイナス両面で大きな節目。
経験と知識と、それから捻り出す知恵が、人生にとって、最も大事な要素で
あることを実感した。それぞれの国と地域には、そこの常識がある。
それは、そこの常識だが、一歩、二歩離れると、それは非常識でしかない。
常識が悪いというのではない。常識は必要条件であって、絶対条件ではない
ことの自覚を常に持ち続けることが必要ということ。
18歳までに仕入れたもろもろの先入観のコレクションこそが、人生の壁に
なっていることを、早々、気づく必要があるということ。そういう常識の
持ち主の人たちの中で、一生を終えるのも人生。鳥瞰するのも人生である。
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4787,閑話小題 ー倒産よもやま話 〜�
2014年04月23日(水)
* 綺麗に止めたい、のですが!
実際に自分が当事者になって感じたことは、自分もそうだったが、
他人の卑下の視線と、いい加減さ。地場の中で単一価値観しか持ち得ぬ人の
「上から目線」が、漫画的で面白いといえば面白いが、経験する前の自分は、
こんなもの。倒産といえば、【夜逃げ、自殺、家庭不和による離婚、計画倒産、
連鎖倒産、社会的抹殺】などが思い当たる。娑婆からみれば、良い倒産、
悪い倒産など関係なく、差別対象で、成るほど!と、実感する日々!
弁護士に依頼したことは「30年間、会社取引は綺麗にしてきたので
『立つ鳥跡を濁さずで』終えたい!」に対し、「倒産に綺麗も汚いもない。
あるのは、良い倒産と悪い倒産だけ。今の状態は、それは可能。点数でいえば、
100点はあり得ない。せいぜいで70点!その手伝いをするのが弁護士の役割」と。
「ならば、その70点でお願いします!」で、方針が決まった。 結果は概ね
70〜80点と自己評価。弁護士も、その方針とおり動いてくれ、事業物件の、
全ての買い手がついた。 自宅も、家内が購入を希望し、名義が家内に移って、
現在に至って、今では使用人扱い! 抵当などのの弁済平均が全国平均11%に
対して、40%弱の弁済で、無事終了。一般債権も、労働債権もほぼゼロ。
役員と社員の退職金も規定の7〜8割は支払うことが出来た。
中小企業は、万一に備えて事業主の連れ合いに給与を支払い、厚生年金と
健康保険をかけて、残りを本人名義の預金にする。これが「間接保険」になる。
特に、長期の設備投資には必要条件というより絶対条件になるが、これが
装置事業でないと、その備えをしていない。それと妻など家族に、連帯保証人
にしないのも長年の知恵。 私の場合、40年近く、給与の一割を目安に家内の
給与にしていた。これが、今では、命綱になっている。孫子の攻守の鶴翼の
構えである。 思わぬ震災クラスの社会変動を、家系として経験してきたから
こそ出来たこと。更に保険に入る代わりに、家内名義の預金を40年近く続けて
いたが、塵も積もれば(小)山。 ケセラセラでは、生きられないが、これを
もって計画倒産と巷の噂! 弁護士に、「私の場合でも計画倒産?」と聞いた
ところ、「倒産には、計画倒産と計画的倒産があり、長年にわたり備えるのは、
それ以前の体質の話。『金持父さん、貧乏父さん』という本があったが、
もじって『良い父さん(倒産)、悪い父さん』が基準の言葉。 世間的には、
それを同じに見ているが、似て、非なるもの」との解りやすい回答。
それを前提に、あの卑しい目線の底の浅さが見え、それが気持ちを大きく支える。
成るほど、人間は自分の範囲でしか事象を解釈できない。そういう自分自身も
同じことだが。日頃から教養、特に哲学、歴史を学んでいないと、こうなる。
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4420, 暴走老人! −3
2013年04月23日(火)
* 孤立化する空間 「暴走老人! 」藤原 智美 (著)
近所をみても一人住まい老人の家が目立っている。去年には孤独死の老婆が
死後発見された。二年前には、その隣の老夫婦の奥さんが自死。独り住まいの
弧族が目立って多い。そういう我家も何時、いずれ弧族になる? 近くに
スーパーや、コンビ二があるので、不便はないのだろうが・・ スマート
フォンの普及は便利な反面、人と人との係わりを最小にする。また、年寄りは
情報機器を使いこなせるかどうかで二分される。使いこなせない人の疎外感は、
より大きく膨らむ。とはいえ、孤立した老人が不幸か?というと、これだけは
当人しか分からない。大家族の中の孤立の方が不幸のケースもある。
現在、毎日、書斎に4ー5時間はパソコンか読書をしている。それを孤立とは
言わない。問題は、孤立した空間で楽しめるか。≪ かつて農漁村、都市の
商店街のような場所には、仕事や土地(地域)を通じた共同性が存在した。
一方、郊外住宅地に仕事を基盤とした共同性を求めることは不可能だ。
そこは仕事場とは切り離された、文字通り「ペツドタウン」である。
しかも長い時聞をかけて発展した町ではない。そのほとんどが、計画的に一気
に造られたきわめて人工的な町である。当然、造成地という白いキャンバスには、
地域社会の秩序となる規範など存在しなかった。数世代、数十世代にわたって
造られていった町のように、受け渡される土地に根ざした約束事もない。
郊外に暮らし始めた人々は、同質性(家族構成、年齢、収入は似たり寄ったりの
ある家をそなえていた。 彼ら核家族は、古い家父長制や地域共同体の縛りから
自由な新しい家族像、核家族を中心としたマイホーム主義を実践した。
だがそれは一方で、地域社会の力を極端に弱める結果になった。それぞれの
核家族が均質な力をもった存在として、新たな土地で生活をスタートさせる。
彼らを束ねる地域の「権威」もなく、関係の秩序が成立していないその時点で、
互いが強い主張を始める生活はきわめて不安定化する。住みにくい、ストレス
な場所になるだろう。その状況で新住人たちが選択したのは、なるだけ隣人と
かかわらないことだった。互い干渉しないことで、新興住宅地はかろうじで
暮らしの場所となったのだ。(略)・・ 鳥瞰してみると、そこにあるのは
各戸に孤立して存在する家庭群落だった。群れていても、関係しないという
どこか矛盾した場所が郊外である。やがて明らかになったのは、孤立する家が
内部では個室によっでさらに分節化され、家族もまた個人として孤立している
という像だった。新興住宅地は二重に分節化され、最後は個人に行き着く。
それが「孤独な郊外」の本質。だが地域社会が衰弱、家族が孤立する構図は
郊外だけにあるのでない。都市近郊の団地からスタートした「孤独な郊外」は、
都心部の集合住宅にもおよび、今では農村地帯も孤独な郊外化は進んでいる。
こうして日本中の住宅地から地域社会はしだいに姿を消していった。
そして非地域社会化をいち早くスタートさせた郊外住宅地は、現在著しい
疲弊の姿をさらしている。多くは「ふるさと化」が失敗し、二代、三代と
住みつづけ、新しい規範を生みだすこともなかった。最近では大都市圏で、
都心回帰がさらに郊外住宅地の疲弊を早めている。住まいから次世代が
消えた老人世帯は、家そのものが個室化した。・・・≫
▼ 平櫛田中の言葉「子供しかるな来た道じゃ、年より笑うな行く道じゃ・
行く道・来る道一人道・これから通る今日の道。今やれねば誰がやる・
わしがやらねば誰が やる」がある。これは【「子供叱るな来た道だもの、
年寄り笑うな行く道だもの、来た道行く道二人旅、これから通る今日の道、
通り直しのできぬ道」作者不詳。妙好人(=浄土宗の信徒の誰か)】を、
言い換えたものと思われる。この位の意志がなければ、生きてはいけない。
そういう私も何時の間に、その年寄りの仲間入り。年齢に気持ちが
追いついていけない日々を孤立化した書斎で、過ごしている!
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4046, 閑話小題 ー癲癇について
2012年04月23日(月)
* 癲癇とは
先日、京都で癲癇持病の交通事故で多くの死傷者が出た。発作時には
気を失うというから恐ろしい。 以前も似た事故があった。持病を持った人
にとって働く範囲が決まってくるため本人にとって大変な病。 国内に
120に一人、100万人が患者というから、身近にもいたはずだが何故か
具体的に知らない。10年ほど前のこと。突然、バスの後部座席で後ろの人に
両手で全力で肩を掴まれた。 その時に何が起きたか理解できず、前屈みに
立ち上がり、その手を払いのけた。そして振り返り怒ろうとしたが硬直している。
何かの発作が起きたと判断して騒ぎにはしなかった。次のバスステーションで、
その中年女性が何事もなかったように降りていった。それが癲癇ではないか?
と、思うに数日ほどかかった。今回、100万人も存在していることに驚いた。
100人万といえば、リウマチ患者と同じ。患者本人は人前に出ず可能の限り
隠すので表面化していないという。
* 悲しきかな、人生は!
先日、連帯保証をしている関係で自宅は家内の物件になり、私は宿六に。
弁護士曰く、「爪を切らた貰われてきた飼い猫のように大人しく従順に生き
延びるしかない!」と辛辣。 無理? とすると!
* フランス大統領が交代?
フランス大統領選挙でサルコジが落選の様相である。5月6日で決選投票で
交代にでもなったら、ユーロ危機が大きく再燃する。世界経済は毎日がスリル
とサスペンスの日々である。 時の権力者がギリシャ、イタリア、スペイン
などPIIGSを救いざるを得ないのは解る!日米欧の、どこもかしこも際どい状況。
中国も首脳交代で怪しげな権力闘争が表面化してきた。年末の韓国とアメリカ
の大統領選挙もある。
・・・・・・
3680, 節目どきに ー9
2011年04月23日(土)
* ふと、思うこと
まだ何が自分に起きていることが、分かってないのかもしれない。
廃業、倒産と慌しく現象だけは移り変わっていくが、何か他人様から
「奇妙なもの」に見られているような、これまでの視線とは全く違うような・・
それはそれで仕方がない。経済震災・自然震災としても、倒産は倒産。
それでも、新潟・長岡と職・住が別だったので半分は助かってはいるが。
これから起こる経済動乱を考えると、一年だろう。銀行債権以外の一般債権
などは、ほぼ迷惑をかけないで済んだが、一般の人は、そのことを知らない。
家内も含め、二人とも厚生年金に40年以上入っていたので、今日明日の生活
の心配はない。弁護士がいうに、「現時点で3割が終了、債権の9割9分以上が
銀行債権で、一般債権を、ほぼ完済しているので、これまでは順調。手続きから
して二年が目安。」 それにしても私自身に、自分の立場に何の疚しさと、
暗さがないのが問題。「これだけは、経済震災と自然震災で、私の力の及ぶ
ことでない」という思いがあるし、実際に、そうだ。 あんまりケロッとして
いるので、30年来の税理事務所の担当に「貴方は、自分の置かれた立場が
全く分かってない!」と注意された。それも分かるが、「じゃあ、どうすれば
良かったのですか?」という内語が、何処かで沸いてくる。 それらしく、
していろ! ということか。しかし時間の経過と同時に、気持ちがジワジワと
追い詰められていくのが分かる。自然災害も含め、それぞれ全国民の問題だが。
・・・・・・・
3315, アポリアと空とぼけ
2010年04月23日(金)
「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
*アポリアと空とぼけ P−36
対話によって突き落とされるこの困惑の状態は<アポリア>と呼ばれる。
それは、どこにも進むことができない行き詰まり、途(アポロ)のないあり様を
意味する。ソクラテスの吟味にさらされ、アポリアに落いった者は、対話相手
メノンが告白するよるように、あたかも「痺れエイ」に刺されたように感ずる。
対話相手は心も口もしびれて何も言えなくなってしまう。このような対話に
おいてソクラテスは、問いかけ、議論を導く主導者の役割をはたす。しかし
ソクラテスは、対話をかわしながら、自らはその事柄について「知らない」、
つまり、自らもアポリアにあると主張する。その一方で、対話によってアポリア
へと追いやられ、無知を突きつけられた人は、言葉によって鋭く矛盾をついて
論駁するソクラテスが、その問いの答えを実ははじめから知っているのでは
ないかと推測する。さもなかったら、どうしてこれほど鮮やかに、相手の無知を
あばき出すことができるのであろう? しかし、そうしたなかであくまで
「自分もあなたと同じように、知らない」と言いはるソクラテスに、やりこめ
られた相手は、しばしば怒りをぶつける。 ソクラテスは本当は知って質問
しているのに、しらばくれてわざと知らないふりをし、意地悪にも人々の無知を
あばき立てよろこんでいるのであると。 人々はこうして、ソクラテスを
「空とぼけ」の人と呼んだ。「空とぼけ」が、対話するソクラテスの謎を
あらわす言葉となったのである。 だが、ソクラテスの対話を空とぼけ、つまり、
本当は知っているのに知らないふりをしているとみなすのは、対話する相手や
対話を見ている人であり、ソクラテス自身は空とぼけているわけではない。
▼ 学生時代の卒業の年に人事関連のゼミと出会い、そこでの学びの中で、
自分は何にも知らないという事実を突きつけられ、呆然自失状態。
「学生時代にモット知識を得ておくべきだった!」と、頭がグチャグチャ状態。
その結果、悩み苦しんだ結論として、死ぬまで学び続けること。
何があっても、一日ニ時間の読書を自分に課せることだった。しかし、
最近気づいたことだが、「グチャグチャと、学び続ける決心」そのことが学生
時代の一番の学習効果だったこと。ゼミの教授の方針に乗ってしまった
ことになる。「自分は何も知らない」という思い込みが「アポリア」として
プラトン、いやソクラテスが2500年も前に看破していたのである。
15人のゼミの人たちの議論から、「何も知らない自分を一年かけ知った
ことになった。」 本当に有難いことである。 で、このザマ?
人は人、我は我。 「全て人生は無知の馬鹿踊り」と思えば、楽なもの。
自分は違う? 貴方だけはね!
・・・・・・・
2940,レーシック専門眼科医院 ー2
2009年04月23日(木)
視力の矯正方法には、メガネ、コンタクトレンズ、の他に、
レザー手術、有水晶体眼内レンズ、オルソケラトロジーがある。
・レザー手術は、レザーで角膜の形を変えてしまうもの
・有水晶体眼内レンズは、角膜と水晶体の間に、コンタクト・レンズ
を入れて矯正する方法。
・オルソケラトロジーは、寝ている間にハードコンタクトを入れ角膜に
クセをつけてしまう方法である。レザーや、有水晶眼内レンズを入れたり
すると、ドライアイになりやすい欠点もあるという。
今回の短い先生との会話を再現してみよう。
・私の質問、 レザーや、有水晶体眼内レンズの失敗確率は?
先生の答え、 数千分の一
・質問、 失敗したり、上手くいかなかった時は、どうなるんですか?
答え 出血をしたり、レンズがずれたり、黴菌が入って炎症が
起きたりするケースがあります。
・質問 もしも初期の白内障を取ってもらって、レザーで矯正をしたときの
中期的なマイナスは何ですか。
答え 早ければ早いほど、次の段階、緑内障に移行する時期が
早まることになります。
・質問 私の今の段階での手術は、先生は勧めますか?
答え 私は元々、手術は最後の手段で、本来はすべきでないというのが
持論です。今回の場合は、手術は勧めません!何を選ぶかは本人次第。
・質問 もし、手術をしたときに眼の度数が進んだり、
白内障が再度出るのですか。
答え もちろん、度数は同じく進み、白内障も出てきます。
更に緑内障になる可能性も早くなります。
・質問 近視の進行を止める薬が開発されたと聞きましたが、実際に、どう?
答え あれは、過大評価で、殆ど効きません。出しても良いですが、
効かないものを出すこともないでしょう。
▼ 以上であったが、それにしても良心的な先生であった。身近な二人の経験者
が同じような忠告をしてくれていたが、「緑内障への移行が早くなる」と、
「貴方の体質は極力、手術をしない方がよい」が、今回の断念の決め手である。