『自分のための人生』(ウエイン・W・ダイアー)
   ★ 自分の問題を自ら解決する
 創業を20歳時に決意してから、65歳までの45年間、その道を歩いてきた。
その割には、大波のうねりに引きこまれることが少なかった。事業規模を
小さく集中したことと、事業清算を前倒しも含めて、結果はともあれ、
比較的無難? だった。 事業の基本設計を入念にたてたこともある。 
 構想した事業の絵図から、計画を練上げ、起業し、実業し、最後の清算
までの一サイクルの手ごたえがあったためか、後悔の念は少ない。
 ダイア―が言わんとするのは、「創業の心構え」と類似している。 
父が常日頃、語っていたことと、私の実感とも重なる。〜その辺りから抜粋〜
≪ 自分がやりたいことを思いっきりやって、後悔のない人生を送るには、
 どうすればいいのか。 大きく二つの主張がある。
・一つは、『人生のあらゆる問題はすべて自分で選択、解決することができる』。
“自分の感情を人のせいにするというのはまさに間違った選択で、すべての
感情は自分の考え方、見方を深めることによって全部選択できるもの”。
・もう一つは、『今日一日を徹底的に大切に生きる』。
私たちに存在しているのは、「今」この瞬間だけ。過去や未来は、
どこを探しても見つからない。あるのは、私たちの頭の中だけ。
真の意味で「自分のために」生きるための心得が必要。
  こういう話がある。
 ある心配性の人がいた。近所の人が「今日はいいお天気ですね」と挨拶
したら、その心配性の人は「こんなにいい天気が続くんじゃ、傘屋をやっている
息子は困るだろうなあ」と答えた。その次に雨の日に、「今日は雨が降って、
息子さんの商売にいいでしょう」と挨拶したら、今度は「いや、娘の嫁ぎ先は
ビヤガーデンをやっているから、困るだろうなあ」と言った。
 まったく同じシチュエーションでも、雨が降ったときは傘屋をやっている
息子にはいいなと考え、天気になったら、ビヤガーデンの経営者に嫁に行って
いる娘にはいいと考えられる。 これは極端な例だが、すべてのことは考え方
によってガラリと違って見えるものである。したがって、よい天気、悪い天気
というのも、受止め方といってもいい。
 つゆ時に雨が降るのは、農家にとって本当はよい天気である。あるいは読書
好きな人なら、雨が降る日のほうが落ち着いてよく読めるということもある。
つまり、雨が降る日とかよく晴れた日とかがあるだけであって、よい天気、
悪い天気というのはその本質について考えればまったく無意味な言葉である。≫
▼ 人生を振返ると、最悪の渦中に、最善なチャンスがあった。逆にピーク時に
 重大な判断ミスをしていた。結果は、10年以上経たないと判明しない。
『今日一日を徹底的の大切に生きる』の問題である。 目標を明確にして、
少しキツメなスケジュールをたて、面白可笑しく実践していけば、一日を充実
して生きることが出来る。 少し、内海を忘れて、外海に出たり、自分の洞窟
(内面)で生きたら! そのためには舟を船に造り替えが必要か。今さら無理?

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5323, ウェブ2・0」はどこへ消えた? ー?
2015年10月11日(日)       
       ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー古市憲寿
                  『新潮45』〜悪夢の21世紀 より
  * 懐かしいウエブ2・0
 もう10年近く前になるが、梅田望夫の『ウェブ進化論』と、佐々木俊尚
『ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点』などを読んで、ネット時代
の明るい未来を信じて現在に至っている。ところが、梅田ブログも7年前から更新
されておらず、マスコミから消えてしまった。何かあったのだろうかと思って
いたところ、『新潮45』の特集の中で、ーウェブ2・0」はどこへ消えた?ー 
というテーマで、古市憲寿という若い学者の手記があった。 それによると、
ネットの未来に明るい側面をうたい上げた梅田が、ネット上で衆愚?に総攻撃
を受け、嫌気をさしたのが消えた理由。考えてみれば、衆愚はネット社会だけ
でなく、社会の大部分を占めている現実がある。 知的側面でも中流下流
対比、65%対35%が、10%対90%に下流が激増したようだ。その彼らを尊重する
のが民主主義というから始末が悪い。 ネットは気違い(衆愚)に刃物でしか
ないのか? という問いかけである。 〜その辺りを抜粋〜
≪(p48) 10年ほど前、「ウェブ2。0」という言葉が流行したことがある。
 多くの人が情報の受け手に過ぎなかった「ウェブー1・0」時代が終わり、
「みんな」が情報発信者になれる時代が訪れた、という騒がれ方をしていた。
プログやmixiといったソーシャルネットワークがブームになり、ウィキペディア
などの集合知が注目を集あていた時代のこと。2006年にベストセラーになった
梅田望夫の『ウェブ進化論』によると、ネット上のコンテンツは玉石混合という。
しかしそれを集合愚と断じてしまうのは早計である。 これから一般人が表現を
するハードルはどんどん下がっていく。すると母集団が増え、良いコンテンツの
割合も自然と上がっていく。さらに個人の趣味に合わせ情報を提供するシステム
が高度化していくだろう。要はテクノロジーの力によって、理想的な総表現社会
が実現されていく夢を梅田は語っていた。確かに有象無象のネットユーザー
の「表現」と、テクノロジーの組み合わせが、人々の役に立つことがある。
 僕が一番参考にしているネット上での集合知は「価格・oom」だ。
専門性が必要とされず、主観が介在する余地が少ない情報を集める時、ネット上
での集合知は威力を発揮する。「価格・com」のミソは価格という、誰が見ても
比較しやすい情報を集約している点にある。価格よりもやや客観性が落ちるが、
使用者による商品レビューも参考になる場合が多い。電化製品を使うのに専門性
なんていらないし、思想信条が評価に大きな影響を及ぼすとは思えない。
専門性ともイデオロギーとも無縁の領域で、ネットの集合知は大いに役に立つ。
だが電化製品よりも個人の趣向や経済状態が反映されやすい食の分野になると、
集合知は少しずつ怪しくなってくる。通常の雑誌では無理だろう詳細な情報や
写真が掲載されている「食ベログ」。だが星の数や食に対する判定になると
当たり外れが多い。さらに難しいのは医療や法律といった高度に専門的な分野。
共に本来は長期間、高等教育機関に通わないと専門家になれない領域。
しかしネット上には自称専門家による怪しい情報が盗れている。 たとえば
Yahoo!知恵袋」の医療情報などは、本当に玉石混合。「牛乳で免疫力を高める」
とか「めかぶ、を食べると代謝が高まる」とか、あらゆる食品が体にいいことに
なっている。そうか、牛乳やめかぶを食べればいいのかと思ったら、今度は
「牛乳は毒。飲んでいるのは日本人くらい」といった自称専門家説にぶち当たる。≫
▼ みんなが情報発信者になれば社会が豊かになる?と、梅田望夫が明るい
 未来を謳い上げたが、現実はゴミ知識と炎上騒ぎのバカ騒ぎ。当の本人も、
その馬鹿馬鹿しさに、姿を消してしまった。その衆愚の一人が、この私。
飽きもせず、毎日、数時間もかけ、頭の中身をネットに公開している。
利点もあるがマイナス面があまりに多過ぎる。が、暇潰しには丁度よい代物。
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閑話小題 ー"老後破産"の現実
2014年10月11日(土)
*「老人漂流社会 "老後破産”の現実」
 家内が青い顔をして、昨夜放送の「老人漂流社会 "老後破産”の現実」
を見たが、ショックだった、録画に入れてあるから、見てみたら!と言う。 
で、早速みたみたが・・  ーNHKのHPよりー
≪まず「都内の80代男性、年金支給日の前になると現金が底をつく。
 月10万円の年金。アパートの家賃6万円。「まさかこんなんなると思わない
ですねえ」3年前にガンを患い治療する80代男性、医療費が重い負担。
月3万円の預金を取り崩して生活。≫
≪ 区内の独居高齢者は4700人。相談員は11人。対策が追いつかない。
 区のアンケート調査では、年金だけでは安心して暮らせないという声が。
アパートで一人暮らしする田代さん83歳。年金月10万円。家賃6万円。
残額4万円。家賃の安い住宅に引っ越そうにも引越し代がない ≫
≪ 秋田県。高齢化率が31.6%。とくに高齢化が進む湯沢市
 コメ農家をしていた西館さん84歳。いまは田んぼは親戚に任せている。
年金は月2万5000円。夫は15年前病気で亡くなった。心筋梗塞で倒れ、
10年あまり入退院を繰り返し。医療費の支払いで、年金の保険料を払えず。
故郷を離れ嫁いだ嫁に会うこともできない。「余裕ないでしょ。だから
自分のもらった年金でどこまでやっていけるかって考えるの」湯沢市
一人暮らしの高齢者は約3000人。西館さん、食費に回す金がほとんどない。
おかずの材料は野山に取りに行く。「フキは干したら柔らかくなる」
光熱費を払うと生活費は1万円。食費は月4000円しか使わないと決めている。
「魚は、田んぼに流れてくる水でとってきた。金かからないでしょ、
自分でとってくるんだから」心臓に狭心症の持病があり、発作がいつ起こる
かわからない。発作を抑える薬は、街の中心部まで1時間かけて病院に通い
受け取る。次に発作が起きれば危険だという。≫
▼ こういう人が、身近に人知れず多くいる。私自身も、一つ判断を
 間違えば同じような身の上。これは、生老病死の問題そのもの。
何か身につまされてしまった。しかし、死んでしまえば、皆、同じ!
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4591, 2050年の世界 ー18 
2013年10月11日(金)
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
                  〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 地球温暖化も人類にとって切実な問題になってきた。大地震津波、異常
気象なども、地球温暖化と関連した現象。これまでの後進国が経済発展で、
国民の生活が底上げされることになると、エネルギーの大量消費が避けられなく、
それが地球温暖化に拍車をかけることになる。
しかし、時の権力者は、目先のことしか考えない。
  * 第七章 地球は本当に温暖化するか ーのまとめ
・気候変動について現時点で正確に予想する方法は確立されていない。
 エネルギーのポートフォリオがどう変わるか、経済成長がどうなるのか、
 気候の変化によって人間が対策を講ずることなど、様々な不確定要因が
 多すぎるためである。
・しかし、全体として人間が活動する結果としての二酸化炭素の増加は、
 温暖化に結びつくということはコンセンサスとしてあり、だからこそ、
 これまで先進国が音頭をとって、二酸化炭素排出削減の試みがなされてきた。
・1992年のリオデジャネイロ地球サミットで案出された国連気候変動枠組条約
 この条約の署名国1ほぼすべての国1は、危険な気候変動を止めることを表明。
・第二の進展は、1997年の同条約の会議で合意された京都議定書
 富裕諸国はこの議定書のもと、2003年の二酸化炭素排出量について、
 それぞれの数値目標を達成することを表明した。しかし各国の数値目標には
 ほとんど強制力がなくなり意形成を主導したアメリカは議会の批准を得られず
 不参加となってしまった
・2009年のコペンハーゲン会議はこのような状況をさらに前進させ、京都議定書
 よりもっと野心的な数値目標を、富裕諸国だけでなくすべての国々に掲げさせる
 はずだったが失敗に終わった。その理由は、新興国が経済成長を達成するため
 には、二酸化炭素をこれまで以上に排出せざるをえないという背景がある。
・そうした中、2010年のメキシコのカンクン会議で中国が、2020年までに経済の
 炭素集約度を四〇〜四五パー削減すると表明した。これは、GDP当たりの二酸化
 炭素排出量を、二〇〇五年水準の半分強まで減らすことを意味する。中国では、
 福島原発事故で、原子力への信頼が揺らいでいるのにもかかわらず、新しい
 原子力発電所を増設。風力発電など再生可能エネルギーへの投資も増加。
・温暖化で北極は、夏の間は海になるという将来が予想される。海水部が増える
 ことにより、海洋地下資源開発の促進、あるいは新たな漁獲域の出現など
 大きな変化があるだろう。
・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。
 成層圏にこのエアロゾルを人為的に注入することによって温暖化を防ぐ案が
 あるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクがあるため
 実現はしないだろう。
▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。
 その結果、温暖化問題が、より深刻化していく悪魔の循環が、日々、大きく
なっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題に
なっていた。「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、
このままでは、現実問題になってくる。
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4216, 開国という強迫観念 ー3
2012年10月11日(木)                      
 * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? 
      ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思
 Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的
城下町の世界。とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れること
だった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の視線だった。新潟市でさえ
外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国。 
住居を長岡、事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。
それも首都圏から見れば似たようなもの。それを逆照射してみると、世界という
より欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような世界と同じ。
5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、
その文化の高さに驚いた。当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼす
ほどの近代化された軍隊だった。世界>東京>地方の図式は、こと日本において、
決して当てはまらないのである。  ーその辺を抜粋してみるー
≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は
「国際化」の象徴であり、外へ開かれた都市でした。東京へ行くことは、
また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいる
ことは内向きで閉鎖的な部族民に甘んじることなのです。そして、この場合、
「東京」が普遍的な「世界」を象徴するならば、「地方」や「田舎」は特異な
「日本」そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を
聞いて「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で連想するのは、
田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方でのいささか窮屈な生活だったりする。
だから、確かにここにはかなり「複雑」な事情があります。このことを突きつめて
ゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。「開国の論理」とは、
まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の
近代化とはまさしく「田舎」を捨てて「都会」をとろうとしたのでした。
「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化の論理そのもの
といってもよい。日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、
これを捨てる、もしくはこれを「都市化」することだったのです。この同じ論理を
もう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。「世界」=「都市」、
「日本」=「田舎」と見なせば、ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、
さもなければ「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的
文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、まさに一進歩」した
「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫
▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。
 その出身者も、地方からの旅行者を「おのぼり」と蔑んでみている。
当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方
出身者に向ける。地方の人も、自然と固定観念に染み付き、自虐の念になる。
しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。
大方が気がつくには死期が迫った時。
・・・・・・
3851, ツレがうつになりまして −2
2011年10月11日(火)
 この映画のストーリは、暗い中にも何か仄々とした明るさがある。
欝になるサラリーマンの屈折した心は実際、こんなものではない。学生時代の
友人の商社マンが丁度、ホテルの創業時から新潟支店に勤務になって以来、
古町などで15年ほど隔月ごとに飲んでいたが、半分以上は人間関係の愚痴の
聞き役。支店長が変わる度に全神経が新しい支店長との人間関係の構築に
向いてしまう。それも数値責任を達成した上だから、たまったものでない。
トイレの中での男の号泣を何度も聞いてきたというが、具体的な上司の辛らつな
虐めの言葉は、耳を覆いたくなるほど辛いという。主人公も、外資系の会社で、
リストラ、効率化、顧客主義、徹底したコスト削減、顧客のクレーム処理で
神経を磨り潰す。几帳面で、生真面目で、誠実な人柄の主人公が、ある日突然、
鬱病が表立つ。そして、会社を辞めて家で引篭もりに入った主人公は、ただ
死にたいと思うようになる。物語りは実録のためか見ている者を引き込む。
 ノンビリしている伴侶の晴子が、生活費も底につき、自分の漫画の連載を
打ち止めになった出版会社の担当に「ツレがうつになりまして、お願いします、
仕事を下さい」と懇願したのが、タイトルになっている。たまたま、その同僚が、
欝になり人生論などを扱う部門に配置換えになっていた。その必死さにうたれた
担当が、その人を紹介し、それが、この「ツレがうつになりまして」を書く
キッカケになる。 この大不況の中で、どの企業も合理化、リストラなどで、
ウツに追い込まれる人が多い現在、タイミング的に丁度良い題材になった。
他人事ではない、私も半年前に会社を倒産させている。倒産の苦しみは生易しく
ない。事業を立ち上げ準備が15年、事業期間が30年、合計45年の会社を
自分の手で潰すのだから、ただならぬ事。思いもよらぬ事象も当然起きてくる。
その嫌な経験でも、それを事業の一連として味わい、反面、その自分の姿を
冷笑している心の奥の視線もある。当初の三ヶ月は、夜に布団に入るのが
恐ろしいほど。三時間ほど熟睡した深夜の1時から3時に眼が覚めて、
あれこれの思いが巡る。それが連日となると、鉛のような気分に襲われる。 
大部分の経験者が、この鉛の気分に押し潰され打ちのめされているのだろう。
それも時間が解決してくれることは経験上分かっているが、その重い気分は
言葉で言い難い。事業を興し、上手くいっている時は、この世の春。
しかし、ある時点から転落するように成績が落ち込み始めたら鉛の日々になる。 
それでも手元資金が完全枯渇する前に、止める決意が出来たのは不幸中の幸い。 
ここで欝になった主人公が、出版後、講演での言葉が印象的である。
≪ 私は、この経験から、「あ・と・で」という言葉を大事にしています。 
あせらないの「あ」、自分を特別扱いしないの「と」、できることからやるの
「で」、3つ合わせて「あ・と・で」≫と。 
 仕事の手順からみたら、全く逆だが、欝体質の人には大切である。 
生真面目すぎ、挫折経験の免疫が無い人が危ない。 ーつづく
 ・・・・・・・
3486, つれづれに ー閑話小題
2010年10月11日(月)
   * ガラパゴスに戻って
 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモ
の携帯に切り替えて7日が経つ。二年前にiPhoneに切り替えたドコモの
携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 
で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になった
こと、画面が大きくなったこと、カメラが810万画素になり、タッチ式に
なったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。
他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、
ということで今の機種を選定した。しかし他機種で4〜5万を出したものなら、
その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。
   * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減
 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、
2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、1994年のピークの664万円に比べ
2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり
続けている。世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働き
に出たり労働時間を延長したこと、などがある。増税などを含めると、世帯の
収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、団塊
世代の大量の定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行
とともに日本経済はますますダウンしていく。おそらく10年で、更に2〜3割
以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が300〜350万円に
なると、勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。 反面、
それほどの貧困感は出ることはないだろう。中古市場や、フリー(不用品の
無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を融通しあう
システムがネットを通して働くからだ。貧乏だが、最低限のモノや情報には
不自由しない時代になっていく。