『あの世へ逝く力』 小林玖仁男著
   * 言葉のチカラが、心を救う
 言葉の力は絶大である。【心の傷を通して、あなたの優しさが沁みてくる】
死に直面したからこそ、人と心の優しさを敏感に感受できるのである。死に対し
ても、[正・中心・一点・無]に向合っていけば、無限の慈愛を得ることが出来る。
後ろ向きになるほど、恐怖心は大きく圧し掛かってくる。あの世に逝くのにも
力が必要のようだ。しかし、全身脱力で。
≪ 恐怖感が薄らいでくると、徐々に死の覚悟らしきものが見えてきました。
 それは友人たちをはじめとする多くの人の言葉に支えられた(ている)からでも
あります。濁流に呑み込まれそうな私を引き上げてくれ、どうかすると叫び
駆け出したくなるほどの際どい精神状態を、何とか押しとどめてくれました。
・「悪魔と取引してでも生きることを考えてみて」 友人。
・「父も間質性肺炎だったが苦しいのは最後の一週間。なら他の死も同じ」友人。
・「これからは、なるべく僕がそばにいて支えるようにします。それに小林さん
 からは、まだまだ吸収したいものがたくさんあるから、横で盗みたいんです」
                           知人の息子さん。
・「神社仏閣は、当時の陰陽師が決めたパワースポット、行けば落ち着きます」
 「我慢せず泣き喚いたほうが楽になる。私が手を貸しますから」ライフコーチ。
・「夕日の没れるが如し(万事休む時である)」鹿島神宮のおみくじ「凶」の言葉。
・「小林さんがどう死を達観しようが、僕はまだ認めないですから」大学の後輩。
・「大変なことがあると自分が大きく変われますよ」占い師。
・「ふるさとに行かれたことはとても良かうたですよ」占い師。
・「小林さんは新しいステージに立った。死を覚悟したから、生を大切に
  生きられます」占い師。
・「気持ちと、運気と、医療と、努力が整えば、より長く生きられます」占い師。
・「求めなさい、そうすれば必ず与えられます」教会の牧師。

・「笑えば必ず、病気は持ちこたえられます」ライフコーチ。
・「もう、ろくでないことなんか、なぁ〜も気にせんでよかと。たっぷり
 お金を用意して世界一周クルーズでも行ったらよか。ところで、死ぬにも
 お金がかかるけたい。あんた大丈夫?」博多の知人女性。
こういう言葉の全部が私を勇気づけ、奮い立たせ、「死の覚悟づくり」を
手助けてくれました。≫
▼ 父親は余命宣告どおり、一年で亡くなった。その間、自分の心と、母親を
 観察をしていたが、最愛の人とはいえ、あくまで他人事。その刹那さの一部も
引受けることなど出来はしない。そうと思わないと、精神のバランスを保てない。
子宮の管に巻かれ息苦しい苦痛の中から産まれ、最期も一人、管にまかれ七転
八倒の中で死んでいく。生まれるも一人、死ぬも一人である。最期の一週間は、
もう生きていたくなくなるほど、苦しめばよい。そう割切るしかない。
 元気な身体と、良好な精神状態で、出来る限り生きたいが、時期がきたら、
早々、逝くのも悪くない。40、50代で亡くなった人には、少し早めに逝かれたと
思っていたが、そうでもなかった? 当人にとって、丁度良かった? 
 偶然だが、で、以下に続く!
――――
5208,「自分」という言葉自体が「自然の分身」
2015年06月18日(木)
      『人はなぜ、同じ過ちを繰り返すのか』堤未果:佐治晴夫対談
 * 世界を通して私自身のことを学ばされる
    こだまでしょうか  〜金子みすず
< 「遊ぼう」っていうと    「遊ぼう」っていう。
  「ばか」っていうと     「ばか」っていう。
  「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。
   そうして、あとで さみしくなって、
  「ごめんね」っていうと   「ごめんね」っていう。
  こだまでしょうか  > 
≪ 佐治:人間という生きものは何か?の答えは自分で考えていても
 何も出てこない。「自分を包括する宇宙を知ることで、人間というのが
 見えてくる。 私たちは自分の顔を自分で見ることはできません。
 相手の顔は見えるけれど、自分の顔は鏡に映しても左右反対ですし、
 小さい粒子の集合体である写真がそのまま自分の顔だともいえない。
 だからあえていえば、私の表情は、あなたの表情のなかに見るしかない、
 ということになりますね。あなたの表情を見て、私の表情を推測している。
堤:相手がいてこそ、自分のことがわかる。鏡なんですね.
佐治:そこに宇宙の研究の目的があるというわけですね。繰り返しますが、
 自分のごとを知るためには、自分を包括している宇宙のことを知ること。
 それによって自分が見えてくる。それが宇宙研究の目的です。
堤:私は昔あたまでっかちな理想に燃えていて、国連で働いていたころは、
 いろいうな悪いものを排除したり、世界を転換させなければ平和はこない
 と思いこんでいました。でもジャーナリストになり、取材していくと、
 二人の人のなかにも善と悪が同じくらいあって、一つの国のなかにも
 善と悪があることに気づかされた。広く世界を見ようとするほどに、結局
 自分自身と向きあわされる。世界を通してじつは私自身のことを学ばされる。
佐治:当然ですね。それを数学の言葉でいうと、フラクタル(どんな微小な
 部分をとっても全体に相似している)構造だということになるのでしょうね。
 全体のものは自分という部分にすべて投影されているということ。世界って
 そういうふうにできているわけです。そうでなければ世界というのは物理的に
 存在しえない。木の全体像を考えれば、全部、Y字形の枝の分岐でできているで
 しょう。その分岐の仕方によって松の木になったり桜の木になったりしている。
 木をよく見ると、全体もY字形になっているし、枝も葉っぱもY字形になっている。
 つまり、全体というのは、部分のなかに投影されているというのが、数学的に
 見た世界像です。全体を見ることによって、自分がわかるということですね。≫
▼ 心の合せ鏡を持つ必要性をいっている。世界を、宇宙を合せ鏡にして、己を
 知ることだ。逆に、己を合せ鏡にして世界を見ると、歪んだ小さな自分の分が
 見えてくる。「こだまでしょうか」の、幼児の問いかけが、そうである。
 内語で、さて「遊ぼうか」と問いかけ、そう「遊ぼうか」と。
「今日は、寝てようか」といえば、「そうだ、寝てよう」と。
「俺って馬鹿か」というと、「つくづく俺って馬鹿だ」と返ってくる。
「これで良かったのかな」といえば、「今さら、仕方がない」と、ブツブツ。
・・・・・・
4843,「事業人生を決心して45年」の語り直しー17
2014年06月18日(水)
   * 二店を、経営委託に! そして、実家に
『出たいというなら、出ていけばよい!』と、私も、母と兄の意見も同じ
だったが、それでも妥協策を探したが、 事態は深刻になっていた。そして、
母、姉、兄と、私が最後の話合いをしたが、姉は頑なに出ていく、という。
姉夫婦が最後は折れてくると思っていたことを、しばらく後に、姉夫婦と行動を
伴にした社員が、「どの道、直ぐに必ず帰ってくる」と、話していたことから知る。 
姉夫婦のピークは、僅か二年で終わった! Uターンが決まると、問題は、
開店したばかりの二店の問題。そこは大手チェーン店の利点が出てくる。
養老乃滝も、ベーカリーも、「金が無いが独立した店舗運営の希望者」は
幾らもいる筈。そこで、まず、蝶理のベーカリーの担当に、「二店で80万で
経営受託する人がいないですか?」とぶつけた。すると、「自分が間接的だが
受託する!」と、話は簡単に決まった。彼が受けなくとも、両方の本部は、
希望者を直ぐに探し出した筈だが。私には渡りに舟。その後、二年もしない内に、
他の空きスペースが埋まって、ビル経営としては上出来の結果となって、五千万
投資の貸ビルが、年の家賃が千七百万までになっていた。 その五年後には、
銀行を通して一億で売り抜けた。ビル経営の視点でも、この事態がプラスに働いた。 
そして、九月初旬に千葉から長岡に戻ってきた。まず、実兄と「本店か、支店か、
どっちを受け持つ」かと、相談すると、兄が「自分は、そのまま支店を、本店を
御前に任せる」という。 本来は、兄が本店に乗り込むのが筋だが、本店に自ら
乗り込むのは気が引けたようだ。入って直ぐに尻込みをするのが分った。
そこは既存社員の冷やかな空気が色濃く残っていた。さっそく、一人ずつ、
別室に呼び出しての話合いからの出発。そこに、私への不信感が大きく根付いて
いることを知る。彼らには、私は悪役の張本人。それでも残ってくれただけで、
充分であった。 さて、どれから手をつけるかである。
 地元銀行の北銀と大光相互は、義兄に感化され、倒産寸前と判断していた中、
メインを北銀から、当時の都銀の「太陽銀行」に変更。これは、私と実兄の仲人
をした営業担当で、この一連で相談にのってもらった因縁から。会計事務所も、
税理事務所から、会計事務所に変更。実感は、生まれ育った商家の真っ只中に、
20年ぶりに落下傘で舞い降りたような不思議な感覚。 数ヶ月もしないうち、
全てが面白くなり、水を得た魚のようになっていた。そこは10歳まで生活を
していた生家。火がつくのは当然といえば当然。4年半後、役割が終えての
自らの総括は、達成感では、120点。 ジャスコ、千葉、長岡、新潟も、
「引き(時)」であった。(新潟は、最後の最後で、引きが、遅かった?)
・・・・・・
4476, 閑話小題 ーオノマトペ
2013年06月18日(火)
 6月11日のNHKの情報番組「クローズアップ現代」で、「にっこり」「ドキッ」
などのオノマトペの魅力を取り上げていた。擬声、擬音語には、その背後の豊か
な情報を伝達する力があるという。 ーNHKのHPによるとー
≪ 「ぐにゃり」に「ほっこり」。「ぱみゅぱみゅ」に「じぇじぇじぇ」。
 今、私たちの身の回りでオノマトぺ=擬音語、擬態語が急速に増えている。 
  放送では、
* トップスポーツの現場から。「“べちょべちょ”」「“ぬめぬめ”」
* 新製品の開発を模索する企業でも。「“ガシガシ”」
* ロボットの人工知能の研究現場まで、“どどどどっ”
 と熱い視線を集めているのです。人を引き付ける理由は、オノマトペ
持つ音の爆弾とも言われる、“ドキッ”とする力。オノマトペは、普通の言葉
とは比べものにならない豊かな情報量を持っていることが明らかになった。
言語学者は、「普通の言語では、そぎ落されてしまったものが全部、オノマトペ
の中に引きずり込まれて凝縮する。」 大手コンビニチェーン 広報
「“もちっと”ホットケーキや、“もちもち”くるみパンが、人気があります。」
商品名に、“もちもち”と付けると、売り上げが5倍に増える。そんな都市伝説
のようなうわさが、駆け巡っているという。大手コンビニチェーンの広報では、
「“ふんわり”とか、“サクッ”としていない商品は、比較的“もちっと”。」
おいしいを感じる言葉のアンケート調査でも、“もちもち”や、“もっちり”
がどんどん急上昇する一方で、“コシのある”や“舌ざわりのよい”は、
“ひゅるひゅるっと”急降下。短く直感的に伝わるオノマトぺがランキングを
席けん。オノマトペは、“パキッと”堅いイメージのある国会でも増殖・・ ≫
▼ 小泉元首相が、一言コメントで、国民の‘考えない層’の取り込みで世論を
 巧く誘導したが、「一言実感売り手コメント」とも言える。ツイッターの発信は、
現場感覚のオノマトペのようなもの。スマートフォンタブレットの情報端末も、
現場感覚のオノマトペを親しみやすくしている。早朝の信濃川の土手の、ある場所
で「あ〜あ、清清するな!」と独り呟いているが、これも、それか。 変わった
スナックの名前に、‘ひとり静か’‘それから’‘そこ’‘どん底’などあるが、
オノマトペのニュアンスの店名が増えてくるだろう。で、「面白スナック名」と
検索したら、「まぬけ」「あくびちゃん」「夜光虫」「団地妻」「メロメロ」
「あんたが大統領」「スナックとしま」(池袋にある)「いい娘(こ)銀行」
「居酒屋どんぶり勘定」。 そこで考えついた面白いスナック名・・
{化け猫、寄生虫、からおけ音痴、娑婆娑婆、ここそこあそこ、ノミスケべイ}。
とっておきは、「ま、いいか!」以前、新潟駅前にあった? 
「へっくしょん」「ずぼずぼ」「プッツン」も? 
・・・・・・
4102、私は完全な本 "日本の自殺"ー6を作った
2012年6月18日(月)
  * 危機は日本人の内部にある
 日本人内部の危機は、敗戦後のアメリカによる日本隷属化政策によって
つくられた精神が生み出したもの。戦後民主主義は自由、民主、平等主義の
上面だけを咀嚼した代物。そのため、時間と共に矛盾が大きく出ているのである。
バブル崩壊9・11テロ、9・15のリーマンショック、そして東北大震災
の影響をモロに受けてしまった日本は、ここで大きな試練に立たされている。
そして、世界恐慌に入ろうとしている現在、更なる崩壊が進んでいる。
【 ローマ帝国に関して言えば、社会内部からの自壊は、
 ◎世界国家の心臓部の繁栄 ↓ ◎豊かさの代償としての放縦と堕落 ↓
 ◎共同体の崩壊と大衆社会化状況の出現 ↓
 ◎「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」 ↓ 
 ◎増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力の喪失 ↓
 ◎エゴと悪平等主義の氾濫 ↓ ◎社会解体 というプロセスで進行した。
この自壊のプロセスは驚くほど現在の日本(1975年当時)の社会過程と類似
している。日本の没落の危険は資源問題や輸出市場などの客観的、外部的、物質的
制約条件のなかに存するのではなく、日本社会の内部的、主体的、精神的、社会的
条件のなかにこそひそんでいるのである。没落の真の危険は、日本人がこの危機や
試練を正確に認識する能力を失いつつあることのなかに、この危機や試練に挑戦
しようという創造性と建設的思考を衰弱させつつあることのなかに、日本人が
部分を見て全体をみることができなくなり、短期のことしか考えず、長期の未来を
考えることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自壊していく
危険のなかに、存するというべきなのである。豊かさも便利さも、そして情報化、
都市化、大衆化、福祉、自由、民主主義、平和なども、現代文明が高く掲げて
きたプラスの諸価値を含んでいたが、人間社会の出来事になんらのマイナスを
伴わない絶対的プラスは存在しえない。自然科学と同様である。節度を越え、
調和を喪失したとき、それは突如としてマイナスに変わる。それは、資源問題、
公害問題を通じて少しずつ理解されている。豊かさ、福祉、自由、平和、平等など
に実は恐るべきマイナスの副作用が現れることについて、自覚を欠くとき、福祉
国家は人間と社会を堕落させ、自由は無秩序と放縦に転化し、民主主義は全体主義
と衆愚社会をもたらすであろう。没落の原因は、外的要因ではなく、むしろ内的
要因にあることを繰り返し述べている。外的要因については、それをはっきりと
捉えることができるので、意思さえあれば対処可能なのかも知れないが、内的要因
については、まずもって自覚できない、このため要因をはっきりと捉えることが
できない、そのため対処することが非常に難しい、ということなのか。】
▼ ローマ帝国の自壊は、37年前の日本というより現在の日本の自壊の姿。
 ここで、「この問題は決して克服できない問題でない」とあるが、結果として
果たして克服してきたか疑問である。問題は、ここに書いてあるとおり
「日本人がこの危機や試練を正確に認識する能力を失いつつある」ことである。
その上にグローバル化による価値観の多様化もある。
日本の自滅は文明の自滅でもある。
 
・・・・・
3736, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜10
2011年06月18日(土)
   * 具体的な弁論は? ー ミロのビーナスの腕       
         『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
【 それから私は、開発業者の利益のために美しいジャクソン・ボー・バレー
 の木々を伐採して醜い宅地にしてしまうことに対する反対論を述べた。
「はじめにお話をさせてください。ミロのビーナスはパリのルーブル美術館
所蔵される前、ベネチア芸術の美術商の手に入りました。この時すでに、この像
は人々の注目の的でした。そのポーズと着衣の優美なひだがこのビーナスに非常な
気品を与え、完壁な芸術作品から発せられる力をすべて持ち合わせた傑作でした。
人々はこの像を見るために遠くからやって来ました。そして時がたつにつれ、
像の人気が高まるにつれ、像には手を触れたすべての女性を美しくする力が
あると考えられるようになりました。美術商は、このビーナスの小さなかけらが
ほしいという大衆の要求を利用すれば、大もうけできることに気づきました。
ビーナスを見ようとたくさんの女牲がはるばる長旅をしてやって来て、小さな
かけらだけでもぜひ手に入れたいと願いました。持っていれぽ美しくなれると
信じていたのです。美術商はある計画を立てました。石膏でビーナスのコピーを
作って、そのあと本物のビーナスを粉々に壊してしまおうと考えたのです。
粉々にしてそのかけらを売れば、この芸術作品をまるごと売るよりも、はるかに
巨額のお金が転がり込むほずだと思ったからでした。そこで彼は、大金槌を
持っている職人たちをビーナスが飾ってある自分の店に呼び出しました。
「粉々に壊せ。壊して、千個のかけらにしろ」。彼は命令しました。
彼がはじめという合図をしようと腕を上げ、それを振り下ろそうとしたちょうど
その時、目に見えない剣に切られたかのように、彼の腕が体から切り落とされた。
それと同時に、ミロのビーナスの反対側の手も切り落とされました。
肉の腕と石の腕、二本の腕が床に落ちて十宇の形を作りました。
それはビーナスは決して壊されてはならないという神のお告げだ、と職人たちは
思いました。それから間もなく、ミロのビーナスルーブル美術館のものになり、
今日にいたるまで、美しいものを愛するすべての人のために大切に保存されて
いるのです」 私は少しのあいだ黙った。部屋はしいんとしている。 
 人々の顔はビーナスの顔のように無表情だ。私は続けた。「この谷は、単なる
人間の彫刻家が創造したものではありません。この谷は、神様がお創りになった
芸術作品なのです。事実を把握しているであろう世界的な旅行家の多くは、
そびえ立つ孤峰と汚されていない湖がいくつもあるこの谷は、世界で最も美しい
谷だと宣言しています。かつてミロのビーナスが私欲のために彼女を破壊しよう
とした強欲な美術商の手にあったのと同じように、この谷も皆さんの手のなかに
あるのです」 私は演壇を降りた。・・・・ 】
▼ 自然破壊の是非の裁判で、こんな逸話を出されたら開発業者は、
 勝てるはずがない。ミロのビーナスのこの逸話、聞いたことがあるような、
ないような? ネットで調べても、この話は出てこない。片方の腕に林檎を
持っていたという説がある。
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3371, 込み込み六千八百円のホテル
2010年06月18日(金)
 先日、久しぶりに取引先の業者が事務所に遊びに来て言うに
「湯沢の手前にある大湯温泉に行ってきたが、料理に飲み放題、カラオケで
歌い放題で全部で六千八百円だった。仲間10人で土日の高速代金の千円を
利用し分乗したのでドライブがてら二日間で一万円でお釣りがきた」という。
 (字数の関係でカット2014年6月18日)
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2996,定年か〜  ー1
2009年06月18日(木)
  「うれしい定年 さびしい定年」ー 55歳からの賢い生き方ー北 連一(著)   
 還暦を過ぎてからの年賀葉書に、
「無事定年を向かえ、悠々自適の毎日を過ごしています」とか、地元のスナック
などで偶然あった高校時代の顔見知りに「いや〜サンデー毎日も疲れるよ」と
言われ、その意味も最初は分からず、解釈してもらって分かる次第。
特にサラリーマンを無事平穏に過ごしてきた人は定年後の日々を切り替えるのは
大変だろうと察する。私の知人は、殆どが現役なので、深刻な話はまだ聞こえては
来ないが、従兄弟などの親戚からは戸惑いが伝わってくる。群れから離れて奥さん
1人相手か、独りで生活せざるを得ない厳しい現実が起こる。そして、まずは
「老人性うつ病」が襲ってくる。これは抉らすと危ない。現在の私も少し
うつ病」気味である? とにかくムカツク。いや、恐慌下の売上不振か。 
そんな折、先日図書館で、この本を見つけたが、切実さが直に伝わってくる内容。
具体的に定年後の人間関係、それも一番の難敵の奥さんとの力関係を取り上げる。
ヤット、会社の人間関係から解放されたと同時に、新たに小さな家での息の詰まる
ような関係。「定年退職後初めて人間になった」「毎日が正月」と喜ぶ人がいる
一方。「定年葬」と悲観に暮れる人もいる。 この本は「定年退職前後はこう
いうもの」と、飲み屋でグチを聞いているようで、いやに納得する。 
【 定年前に‘やっておいてよかったことは’料理ができるようになっていた,
遊び仲間がいる,ローンが終わっていた,書斎と書庫を持っていた,娘たちを
追い出したことだと吐露する。‘やっておけばよかったことは’,会社離れを
する前に,定年後のシミュレーションをやっておく,妻とのコミュニケーション
をとっておく,熱中できる趣味を持つこと、だという 】
 こういう人生もあるのかというような内容だが「定年の敵は女房だ!」という
人のケースなど、深刻な内容も赤裸々に取り上げている。8人兄姉の末っ子だった
ことや、親戚に多くの従兄弟たちの生き様がみえる立ち位置に居たことから、
「人生の敵(ミカタ)は女房」というのは深く肯けるが。その辺は、受け止め方
の問題ということ。 孤独に対する訓練を長年かけて訓練をしてきたかどうかが、
最大の問題ということ。それと、家庭菜園や読書などの独り遊びが出来るかどうか。
 それと「ハッピーエンドなど、妄想でしかないと、割り切ること」である。