* 自転車に乗ってとうとう6年目  火野正平
 「文芸春秋・4月号」に火野正平の『自転車に乗ってとうとう6年目』があった。
私自身が、8年目になるので、これに触発され始めたのではない。兎にも角にも、
直に川辺の自然の中を電動アシストの力を借りて、疾走するのは、この上なく
気持ちがよい。 車輪付のグライダーに乗ったようである。
 数年前から、NHK/BSで、朝食を食べながら、この番組を観るのが
日常になっている。あの目線で、土手を突っ走った直後のため、何か、延長上
にいるような錯覚をすることシバシバ。 人懐こい火野の生の声が聞こえて
きそうな文章である。  〜全文を2回に分けて紹介する。
【 最初にNHKプロデューサーの企画を聞いた時、「アホちゃうか」と思ったよ。
普通、火野正平にこんなの頼まないでしょ(笑)。俺が自転車に乗って日本全国を
旅する番組『にっぽん縦断こころ旅』(NHKBSプレミアム)も、今年の三日からの
放送でとうとう六年目。去年の秋に通算五百日を突破したから、一年で百日は
自転車に乗っている。六十六歳でこれだけ乗っている人は、なかなかいないだろ。
確かに自転車は子どものころは好きやった。12歳からこの仕事をやっているけど、
子役で稼いだギャラの大半を自転車につぎ込んでいた。中学・高校では毎日
乗っていたし、サイクリングクラブにも入っていた。大阪の豊中に住んでいた
から、六甲山にもよう上ったな。
 だから番組で久々に自転車に乗ったときも、段差があるとこでは必ず尻を
浮かせていたし、体重移動も自然に出来ていた。スタッフはお尻が痛いって
言っていたけど、俺は痛くなったことはない。俺のケツが凄いのか?って思った
けど、体が覚えていたからなんだろうな。もちろん坂道はしんどい。大山の
鍵掛峠なんて「行くとこやない」って、スタッフもみんな愚痴っていたもの。
 自慢できるのは、これだけ乗っていてコケたことがないこと。昔はかなり
危ない運転をしていたけど、いまコケたら大怪我するかもしれないから、だいぶ
気をつけてる。若い頃はスピードが出すぎて、このまま行くと崖から落ちちやう
から、わざとコケて止める、なんてこともしていた。いま考えると恐ろしなるな。
自転車だと車じゃ見えないものが見える。風も、気温も、雨も感じることが
出来る。道端に虫がいたらそれも分かる。この番組は視聴者から貰ったお便りに
書かれている「こころの風景」を探しに行くのがメインテーマだけど、自転車
だからこそ見つけられる場所もある。たまに「何これ?」っていう場所もある
けどな。単なる路地の曲一がり角とか(笑)。   〜次回に続く〜 】 
▼ 最近、いやに多いのが、同月同日分の内容が、偶然にして出来すぎでは
ないか思えるほど、テーマが同じか、続きものとして被ることが多い。恐らく、
脳には自覚できない何かがあるのだろう。 なんだろう、これは? それと、
あの「布置」という偶然。人生の節目で、己の心の血を、私の傷口に直接的に
ぬり付けてきた、大部分の、当人か家族に、病気か事故が生じるのは?
 この年齢になれば、家庭内に、病気や事故の一つ二つはあって然るべきだが。
 数日以内に、「復讐するは我にあり」のテーマを書いてみる。
それにしても、ここまでシリアスの偶然の一致は、我ながら気持ちが悪い?
 いや、気持ちが良い!

・・・・・・
5199,閑話小題 〜にほん縦断こころ旅 
2015年06月09日(火)
 4月〜11月までの8ヶ月間、雨天以外の毎朝6時半から7時半まで
ポタリング(自転車散歩)を続けて、はや、6年数ヶ月になる。
家に帰った直後、NHK:BS『にほん縦断こころ旅』を見るのが日課である。
通りすがりの車の中から、『いつも見てますよ!』と声が掛けられる。
NHKの印籠を持った『水戸黄門』一行様の行列が、親しみをふりまいて
通り過ぎていく。火野正平は人懐こい風貌、性格が特徴。 町、村の小さな
食堂の食事の場面が地域性があってよい。また、それぞれの地区の人の暖かい
触れ合いも色を添えている。 先日、一人家さきで、休んでいる火野の隣に、
何気なく座って話しかけてきた80歳過ぎ?の老人との会話がよい。
 話の切欠に、老人が、『私の歳が幾つにみえますか?』に対し、
火野が、『そういうには、見た目より、遥かに歳をくっているでしょう』に、
『91歳です』と。確かに10歳は若く見えた・・ 老人は気なく人生を語る。
『戦争で、満州に4年間、抑留され、昭和24年、24歳の時に帰国した。
マイナス30〜40℃には・・』 火野は、『昭和24年は、丁度、自分が
産まれた年だ』と答えていた。 人に歴史ありで、何とも印象に残った会話。
 ーところで、NHKのHPから、この番組の案内をコピーしてみたー
≪  目指すのは、あなただけの「こころの風景」
 俳優・火野正平さんが相棒・チャリオ(自転車)に乗って日本全国を走ります!
その日の旅の目的地を決めるのは、みなさんから寄せられたお手紙です。
「人生を変えた忘れられない風景」「大切な人との出会いの場所」
「こころに刻まれた音や香りの情景」「ずっと残したいふるさとの景色」など、
お手紙に書かれたエピソードをもとに、ひとりひとりの心に大切にしまってある
「こころの風景」を訪ねます。 たくさんの人々と出会い、上り坂にあえぎ、
下り坂に笑う、ぶっつけ本番の旅。(時にはチャリオをつれて、電車やバス、
船、軽トラック!?にも乗ります。)そして1日の旅の終わりには、どんな
「こころの風景」が待っているのか?これまで4年で8,188kmを走破し、
404日間(※)旅してきました。5年目の春は和歌山をスタートし、東海、
そして関東へ。東北の太平洋側を通って北海道を目指す14週間の旅です。≫
▼ 『世界まち歩き』という番組があるが、これは、世界の街を気ままに
 歩いた現場感覚を大事にした内容だが、火野正平・目線の自転車の道路から
みた光景がよい。自分の代わりに、自転車で、各地を見て廻ってくれる感覚が、
親しみを感じさせる。自転車で完走するのではなく、ところどころ、バスや
電車で繋ぐことも抵抗感が全くない。伴走の4人を含めて5台の自転車一行。
他に、地元のNHKのワゴンが、別目線で一行を遠めで撮影している。
 毎朝の一時間の自転車散歩、実感は、あんなもの。ただ違うのは、
早朝であること、毎日、同じ風景であること、そして独りということ。
長距離用サイクリング自転車に対し、私のは、電動アシストクロス自転車。
iPodで音楽を聴いていること。 同じことは、独りごとを言っていること。
 自然を楽しみ、味わっていること! 
・・・・・・
4834,つれづれに ーミニ物語の効用
2014年06月09日(月)
   * ミニ物語の効用
 連日、随想日記を13年も書いてきた効用で、頭の中で、気楽に考え事を
楽しめるようになった。人は誰もしているのだろうが、ミニテーマを決め、
サブテーマと、キーワードを幾つか思い浮かべ、その言葉の羅列を繰返す。
一種の黙想だが、これが頭と心の整理に良い。
 ここでライブで、その実例をしてみる。
【 テーマはー今朝方の夢ー 夜半、というより朝方になるが、寝床で目を
 醒ますと、そこは学生時代の寮の部屋。まさか!と思い、ジッと部屋を観察
すると、やはり当時の部屋。これは、間違いなく夢。しかし、どうも、現実の
ような感じもする。すると、私は誰かの居住部分に無断で寝ていることになる。
まずいとしても、これは夢?それにしても懐かしい!と思っていると、何時の
間にか、そこの学生が、近くに寝ている。そうこうして夢からさめ、ウトウト
した後、覚醒した。現在の随日のテーマ「事業人生を決心して45年、の語り直し」
を書いているが、過去の折折を思い出すに、当時の具体的イメージの細部を
引っ張り出し、糸口にすれば、色いろ思い出されるのでは!と思い至った。
これは、過去の思い出だけでなく、近未来の計画も、可能のはず・・】と。
 そんな暇があったら、TVでドラマか、旅番組を見ていた方が良いと思う
だろうが、目の前の現象を言語化するのも、面白いもの。 NHK朝ドラの
花子とアン』のハナが、想像の翼を広げて、その文章化を楽しんでいる場面
が度々、出てくるが、それを自分でも身に着ければ、より心が豊かになる。
度が過ぎると、私のような変人、奇人になる?
   * マークX・ジオ
 先週末の土曜の午後、中古だが、マークX・ジオがとどく。家内がオーナー
だが、22年ぶりの車・・ 「車好きの55歳以上向けの多機能が、売り」だが、
実際には、その層には、受けなかったようだ。去年の秋に生産中止になって、
殆ど見かけないことと、荷台にスポーツ自転車を乗せ、近隣の山や海辺で
ミニサイクリングが可能なことが決めてになった。納車後に、初めて乗ったが、
やはり試乗してみるのが筋。 果たして、自転車を乗せて何処かに行って
乗りまわす?どうだろう。燃費がリッター12キロというから、ソアラ
1・5倍の距離を走るが・・ 年齢もあって、もう近くしか乗ることもない。 
もう一つ選定で、自宅と車のバランスもあった。その辺の陰口?まで吟味
すると、こんなところ?  やはり、スポーツ車だったか?
・・・・・
4467,ガン闘病と刑務所暮らし、どっちがきついか
2013年06月09日(日)
 昨日の午後のタカジンのバラエティで、ホリエモンが特別出演した、
「タカジンのガン入院とホリエモンの刑務所暮らしの、どちらがきついか」
の質問に対して笑い飛ばす内容。1年2ケ月の闘病と、1年9ヶ月の獄房生活
の厳しさ、さてどちらか? 前者は多くの人が通る道だが、生命危機の瀬戸際。
後者は、期限付きだが、普通の人にとって特殊な経験で、興味という面で、
ホリエモンの体験談の方が圧倒的に面白い。まあ、関西系のTV番組としても、
各質問が下ネタなどエゲツナイ。 −要点をまとめると
・体重がホリエモンが30キロ減に対し、タカジンは10キロあまり。 
 それは入院と獄内の規則正しい食事と運動量の差。
・現在、ブログの会員がいて、会費840円で、会員1万(有料会員6千)人。 
 これだけで既に月五百万が入ってくる。
・2年半の実刑に対して1年9ヶ月で出所したが、入獄後半年の頃、これが、
 あと二年も続くと思った時と、夜半に死を考えた時が辛かったという。
・地獄の沙汰も金次第。獄内の楽しみは読書、それが買えるかが、大きい。
・楽しみは大相撲のTV観戦と、慰問のショー、それと知人などの面会。
 何がしたいかというと、気心のしれた人との雑談。分かるような気がする。
・「お金は道具」と過って言っていたが、その考えは変わりませんか?
  の質門には、「基本は変わらない」。
・「先のことを考えず、過去の良かったことを思い出し日々を過ごす方が
 良いと聞いていたので、そのようにしていた」とも。
・「極限の中で、何か自分に気づいたことは?」の質問に、
 「忍耐強い自分に驚いた」と。
・獄内で、幾つかの事業プランをたててある。やはり、その衝動は大きい。
▼ 私も倒産という特異体験をして、2年3ヵ月経った。二人ほどでは
 ないが、やはり白眼の中、甘くない日々。失意平然としているつもりだが、
頼れるのは、自分の気持ちだけ。まずは「ウツ」対策。早朝のミニサイクリング
とスポーツジムで三時間の運動と、この随想日記と、幾つかの習慣を淡々と
コナスことで、むしろ健康的であるが、やはり特異体験である。
それにしても、堂々と、自分を曝け出せるホリエモンには驚かされる。
ホリエモンのブログ、一ヶ月無料というから、会員に入ってみようか・・
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4093、私は完全な本 "日本の自殺"ー1を作った
2012年6月9日(土)
 先日、何気なく文芸春秋3月号を借りてきた。この号は二月に図書館内で
田中慎弥芥川賞受賞作品を読んだ。しかし、トップに取り上げていた論文を
見逃してしまった。最初は最近書かれた内容と思っていた。その内容が的を
得ているので冒頭に戻って見直すと、何と37年前に文芸春秋で掲載された
論文と知り衝撃を受けてしまった。今年一月の朝日新聞の一面で、これを取り
上げた主筆が瞠目したという内容。著者は「共同執筆・グループ1984年」。 
そこに添えられていた要約=「1975年、小誌にある論文が掲載された、それは
高度経済成長を遂げ、繁栄を謳歌する日本に迫る内部崩壊の危機に警鐘をならす
ものだった。それから37年、朝日新聞若宮啓文主筆が1月10日朝刊の一面で、
この論文に注目し、「『日本の自殺』がかってなく現実味を帯びて感じられる」
と、今なお「予言」の響きを失わない論文を再考していた。
 ーまずは、小見出しを拾ってみる
1 日本没落の予感      
2 ローマ帝国滅亡との類似点  
3 日本が直面する困難    
4 危機は日本人の内部にある 
5 豊かさの代償       
6 現代文明がもたらす幼稚化  
7 デマによる集団ヒステリー 
8 情報の洪水が人間を劣化させる
9 自殺のイデオロギー    
10 戦後民主主義の弊害
11 没落を阻止するために、
 この見出しだけでも、現在の日本の現状分析の項目そのもの。 
敗戦後、日本は物質的に歴史的な復興をしてきたが、精神的には、ほとんど
敗者のまま。現在の日本はギリシャ並み?か、それ以下に荒廃した魂で、茫然
自失の状態である。次回から、見出しごとに、要点を書き出してみる。
「日本の自殺」を、「我々(私)の自滅」と置き換えて読むと、身に覚えの
あることばかり。我々は、私は緑の原野で何をしてきたのだろうか。
欧米が主導してきた文明とは何だったのか。
・・・・・・
3727, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー  〜�
2011年06月09日(木)
         『議論に絶対に負けない法』ーゲーリー・スペンス著
 ただ好きなことをすればよいのではなく、シナリオにそった周到な準備が
あることは、言うまでもない。以下の部分は、この本の中の一番の要の部分。 
よく調べ、勉強し、実践し、準備の上で何事にものぞめば、準備を遊びになる
まで熱中しろ、ということ。そこまで集中した相手に勝つには、並大抵でない。
【  * 私が百戦百勝している最大の秘訣
  準備! そこから魔法がはじまる!だが、私がそう言うと、若い弁護士は
当てが外れたような顔をする。彼らは労働と呼ばれる退屈なものを迂回できる
ような、楽な方法を知りたがるが、本当の準備は労働ではないと彼らに説明
できればいいのだが・・ 準備とは、創造する喜びだ。準備とは人生を苦労して
前進すること、悩みながら生きていくこと、波に揉まれながら生きていくこと、
 人生を喜んで引き受けること、人生を自分自身に塗りつけること、人生を
生きることである。モーツアルトに労働したことがあるかと尋ねたら、
おそらくノーと答えたのではないだろうか。だが彼の人生、彼の呼吸が、
彼の音楽だった。不朽の音譜という形でなされた彼の議論は、人生のすべてを
費やした周到な準備の成果だった。並はずれたIQを持っているが準備をするほど
賢明ではない人よりも、力強い議論の準備を整えている普通の人になりたい。
準備とは、あくまでも「心の底」の栄養だ。 結局、天才とは脳細胞の幸運な
並び方を言うのではない。天才とは、エネルギー、単に何かに向けられた
エネルギーにすぎない。 天才とは準備なのだ。 議論の準備をしている時、
私は労働をしていない。この本を書く時も労働をしていない。遊んでいるのだ。
準備をしている時の私は子供。子供だから遊びに飽きることはない。
子供だから自分本位で、熱中していて、ひたすら遊びを楽しもうとしている。
子供だから、遊ぶという仕事に忙しい蜂や蝶や鳥と同じように、夢中になり、
大いに喜び、好奇心にあふれ、胸を躍らせる。 ネズパース族のスモーホール
酋長が言ったように、「子供は決して労働をしてはならない。労働するものは
夢を見ることできない。そして知恵は夢のなかで得られるものなのだ」 
あなたは共同経営者に会社の方針を変えることを納得させ、そして勝ちたいのだ
ろうか。 配偶者に話をして転職に同意させ、そして勝ちたいのだろうか。
暗審員に自分の主張は正いことを納得させたいのだろうか。それなら、よく調ぺ、
勉強し、実践し、準備しなさい。遊びなさい。議論の準備をしなさい。
自分の考えをくわしく書きなさい。 新しいアイディアが魔法の穴から飛び
出してくるのを注意して見ていなさい。議論に関して知っておかなけばならない
ことが何かだけではなく、人類の歴史上、最も興味深い人物ーつまり、あなに
ついて知らなければならないことは何かを発見した時の気分を味わいなさい。 
 私はいまだに他の弁護士から「スペンスさん、あなたは法廷でどんな魔法を
使うんですかと聞かれる。以前、私は暗審員に催眠術をかけたということで
被告側のリーダー的な人から訴えられた。私は裁判所からこの計略に加わる
よう命令されたに違いない、と彼は陪審員に論じた。】
▼ まず第一歩は、何ごとも準備から始る。サエゼリアには、あれだけの客席が
 あるのに、ホールには一人、厨房に一人か二人。あれは、セントラルキッチン
で、ほぼ店の厨房で加工しなくてもよいまで、準備がされているためだ。
スーパーより、ある意味で合理的なのかもしれない。飲食店は、開店前に大方の
仕込をして、更に開店した後の暇の時間に、ピーク時の為の準備をしている。
 居酒屋チェーン店の強いところは、チェーン全体の力で、その仕掛け作りが
してあるから強いのである。 人間も同じ。
 ・・・・・・・
3362, すでに世界は恐慌に突入した ー3
2010年06月09日(水)
  * アメリカの公共事業は、戦争!
 ここで著者は、「アメリカの公共事業は戦争だ」という。 これまでは
イラクとアフガンで、これからはイランか北朝鮮か、それとも中国あたり? 
兵器の在庫処分が必要になるからである。軍事産業という公共事業は、常に
戦争をしておかないと世界各国の需要が喚起出来ない。 第二次世界大戦時の
日本の真珠湾攻撃は、あきらかにアメリカによって追い込まれたもの。彼等に
とって願ったり叶ったり。そこで日本人の一般人までが数百万人も虐殺された。
度重なる東京大空襲、広島・長崎の原子爆弾による殺りく。その大部分が
一般人を狙った非道の攻撃である。そして朝鮮戦争ベトナム戦争、冷戦に
よる軍事力の強化等の需要。その間に、アフガン、イラク戦争、今度ねらうは、
北朝鮮かイラン。民族紛争のタネなら世界中に満ちている。まずは北朝鮮
仕掛けてくる可能性が充分にある。これまでは世界はアメリカよりの情報に
コントロールされていたが、情報化で色いろな情報が入手可能になった。 
アメリカはニクソンがドルの金への交換を止めたと宣言した辺りから、
金融を戦争の武器にすることに気づいた。
 (字数制限のためカット 2012年6月9日)
 ・・・・・・・・
2987,縁は異なもの ー4
 2009年06月09日(火)
 河合隼雄が取り上げている次の青山二郎の言葉が熾烈である。
「魂というものが本当にあるものなら、陶器に外形の形の上に現われずには
おかない」とは、これは美術全般に言えることである。いや、商売にしても、
演劇にしても何事にもいえること。さらに、「精神は認めたが、精神的なものは
認めない」とは、グサリと来る言葉である。
  ーその河合の語っている部分をコピーしてみるー
【憶憬や心酔、それは一面的な「主観」の世界なのである。そんなのは、
没個性的客観と同様に「何物も生みはしないのである」。主観と客観、現実と
虚妄などと、一般に区別されるものの皮膜の間に、確かな「存在」がある。
それを私は「たましい」と呼んでいる。私は「美」とは無縁と言っていいほどの
生き方をしてきたが、心理療法という仕事をしていると、たましいの真実に触れる
体験をする。あるいは、そうせざるを得ないことになる。そのようなところから、
白洲さんの作品のなかの「美」への理解が、少しずつひろがってきたと思っている。 
たましいと言えば、白洲さんの『いまなぜ青山ニ郎なのか』には次のような印象的
な言葉がある。青山二郎は陶器の鑑定においては天才的と言っていい人であった。
その青山ニ郎について白洲さんは「青山さんが偉いのは、『写真で見れば解る』
鑑賞陶器から、『写真で見ても解らない』陶器の真髄、いわば形の中にある魂を
求めたことにある」と言う。そして、「人間でも、陶器でも、たしかに魂は
見えないところにかくれているが、もし本当に存在するものならば、それは外側
の形の上に現われずにはおかない。それが青山ニ郎の信仰であった。」 
これに続いて、青山二郎は「精神は尊重したが『精神的』なものは認めなかった。 
意味も、精神も、すべて形に現われる。現われなければそんなものは空な言葉に
過ぎないと信じていたからだ。」という烈しい言葉が語られる。
『精神的』なもの言いが「精神」そのものを覆い隠してしまうのである。 
我われ心理学者はなどといわれる人間は、「心理的」や「心」そのものを見え
なくしているのではないか、と反省させられる。】
 〜〜以上だが、
 世界の主だった美術館で有名な作品の前で思わず竦むことがある。
作家の魂が直に伝わってくるからである。直近では、ロンドンの美術館で
ゴッホの「ひまわり」の前で、独りで5分位、立ちすくんでしまった。
絵を通して、ゴッホの燃え上がるようなエネルギー(魂)が直接伝わってくる。
だから世界の名だたる美術館に人は押し寄せるのである。 「お宝鑑定団」で、
陶器の鑑定で映像を通しても本物と偽者は一目で大体わかる。
(そっくり真似た‘写し’は無理だが)これは子供の頃より父と古物商で数限り
の陶器を見てきたため。色・形に品格が出ていて、見た瞬間に分かるのである。
・・・・・・・・・
2623, 『12の口癖』 成功者たちの幸運を呼び込む言葉。 ?2
2008年06月09日(月)      ー読書日記
 それでは ?「失敗者たちの不幸を呼び込む言葉ー
            『12の口癖』」を書いてみよう
   ー私をマイナスにする『12の口癖』ー