「基底欠損」を、ネット検索すると
≪ ■概要
基底欠損とはBasicFaultの日本語訳で、「基本的信頼感の欠如」を意味する。
基本的信頼感とは人間の根源的な信頼関係であり、お母さんと赤ちゃんのような
何物にも代えがたい関係を言います。この基本的信頼感がしっかり形成されて
いますと、精神的にも情緒的にも安定した状態でいられます。
基底欠損はこの基本的信頼感がうまく形成できていない状態で、そのせいで、
世の中や他者に対して信頼をおくことが難しい状態をいう。言い換えれば、
世の中や他者に自分の身を預けて安心することがなかなかできません。
パーソナリティ障害では、情緒不安定パーソナリティや境界性人格障害など、
この基底欠損がみられる。 とあった。
――
名越が山田洋次との対話で、「寅さんのように幼少期に愛されずに育ったため、
恋愛などで相手と関係を構築できなくなることを基底欠損という」と述べ、
山田監督に、「もし僕が寅さんに『基底欠損ですよ』って言ったら、
『てめえさしずめインテリだな!』って返されますかね」と聞いたところ、
山田は「いや、『俺は基底欠損ってんだそうだ』って、自慢するんだろうね。」
と答えていた。 名越の一映画ファン兼心理学者のマドンナ=女優評も面白い。
・吉永小百合「謙虚で清純で、優しくて気高い、でもどこまでも頑固で
人から影響を受けない性質」
・竹下景子「かわいらしいけれどもどこか野暮ったく、知的だけれども控えめな
『ザ・日本女性』」
・都はるみ「芸を売って生きる女の悲哀、色気、さすらう人生が匂ってくる」
マドンナ・リリー役を演じた浅丘ルリ子については、ない。≫ とあった。
▼ さしずめ私は「基底肥大」と前に書いたが、基底欠損と、基底肥大が入り
乱れた歪な性格になる。親の愛情こそ必要なのが人間。その絶対量が、その
人の人生を決めることになる。 何故か、長女のA型の女性に引かれるのは、
優しさと、芯の強さを母親代わりに求めるためか。「この人の、基底欠損、
基底肥大は何か?」と知るだけで、その人となりを知ることができる。
ところで、日本の基底欠損、基底肥大は何かを、今度、考えてみる。
・・・・・・
5196,閑話小題 〜ギリシャが?
2015年06月06日(土)
* ギリシャがユーロから離脱?
ギリシャ危機が再燃している。TVで、現地経済の実態をレポートしていたが、
かなり深刻のようだ。厳しすぎる財政再建を批判し当選したチプラス首相は、
欧州連合(EU)の財政再建路線と衝突し、このまま対立が続けば、ギリシャは
財政破綻とユーロ離脱に追い込まれるのではないかと見られる。
ーネット検索で、最新レポートをみつけたー
≪ なんでも賭けの対象としてしまうロンドンのブックメーカーでは、
ギリシャがユーロに残って財政再建を果たすのか、それともユーロ離脱をする
のかの賭けが成立しなくなったという。ギリシャがユーロにとどまることに
賭ける人が殆どいないからだ。ギリシャが現在の路線を強行し、欧州諸国が
それに妥協しないかぎり、ギリシャは財政破綻になり、ユーロ離脱になる。
2012年の危機の時には、こうした破綻シナリオは回避された。ギリシャの
当時の政府が、現在のチプラス政権よりは厳しい財政再建を受け入れる姿勢を
示したことがある。 こちらの方が重要かもしれないが、2012年の時点では
ギリシャが財政破綻・ユーロ離脱になれば、それがスペインやポルトガルなどの
国に波及する危険が大きかったからだ。もしそのようなことが起きれば、ユーロ
の仕組みそのものが維持できなくなるかもしれない。その場合には、ドイツや
フランスなど健全財政の国だけで、以前より縮小したユーロの制度を再度構築
すべきであるというような議論さえ出ていた。 では今回はどうだろうか。
今回は2012年とは状況がだいぶ違うと言う人も多い。スペインやポルトガルなど
で、財政再建がだいぶ進んできたからだ。ギリシャ国内では何が起きたのだろう。
財政再建するため、歳入を増やすことと歳出を削ることの両方をしなくては
いけない。歳入増は増税しかない。消費税などの税率を引き上げ、また税金徴収
もこれまで以上に厳しく行う。ギリシャでは節税や脱税に近い行為が横行して
いたと言われるが、こうしたところにもメスを入れざるをえない。増税も国民
には厳しいものだっただろうが、歳出削減はより国民の生活を直撃した。
年金が削られ支給開始年齢が引き上げられる。公務員が大幅に解雇され、
医療や介護や教育などの予算も大幅にカットされる。これまで当たり前のように
考えられていた公共サービスが受けられなくなるのだ。 財政再建は重要だが、
それをあまりに拙速に行おうとすれば景気が失速してしまう。景気失速は税収の
縮小にもつながりかねないので、一時的には財政再建の負荷はさらに重くなる。
ギリシャのデフォルトを回避するために、救済団(トロイカ=EU、ECB、
IMF)とギリシャ政府で、瀬戸際交渉が続いている。6月5日、12日、
16日、19日とIMFへの返済が続くため、切迫感が強まってきた。更に、
スペインの選挙で反緊縮を掲げる党が躍進したことで、南欧諸国への「政治的」
伝染が危惧される。ギリシャ政権はドイツに対して第2世界大戦時のドイツ
ナチス占領に対する賠償金として36兆円を請求する暴挙に打って出た
(不思議なことにこの金額はギリシャがこれまでEUやIMFから受けた支援額に近い
数字であり、この賠償金でこれまでの支援をチャラと目論んでいることが明白)≫
▼ ネット(録画)のレポートで、教会が市民に救いの手を差し出している姿を
映し出していた。【4月下旬、アテネ市内カリフェア地区にある聖ニコラス教会
を訪れた。教会には、貧しい人たちに温かい食事を提供する「スープ・キッチン」
がある。午前中に訪れると、教会の裏手にあるプレハブ小屋から、いいにおいが
漂ってきた。ガス台には大鍋がいくつも並び、大型オーブンにも焼たて料理が
用意されている。この日のメインはローストチキンで、パスタやチーズ、パン
など添えられていた。イリニ・スピリダクさん(82)は、数年前に夫が亡く
なってから、月337ユーロ(約4万6000円)の年金で1人で暮らしている。
「教会のおかげでなんとか生きている。電話、暖房代、電気代も払えない。
ああ、早く死にたい」と嘆いた。 ナディアさん(45)は、病院で清掃員
として働いていたが、5年前に債務危機が深刻化した際に失業した。
建設作業員の夫も職がなく、教会から食料をもらうことで家族4人がなんとか
生活している。「チプラス政権が何かするのを待っている。子どものために
いい方向に向かってほしい。」】・・と。 いずれ、デフォルトがある!
〜また、偶然だが、6年前にギリシャ問題について書いていた。
――――
3359, ギリシャ問題の深層
2010年06月06日(日)
現在、欧州ではギリシャを発端にしてPIIGS(豚ども)といわれる
ラテン系を中心にした国々の金融破綻が問題になっている。アメリカ発の金融
恐慌が欧州に飛び火をし危険な状態になっている。 ギリシャがユーロ通貨圏に
入りたかった理由は、防衛面(イスラム教諸国に隣接)と(万年金融破の)
金融面があった。 02年ユーロ通貨加盟を検討していた際、
「財政赤字をGDPの3%に抑えなければならない」というハードルがあった。
そこにゴールドマン・サックスが「とにかく財政赤字の帳尻を合わせる施策を」と、
エサを差し出した。 追い詰められたギリシャ政府はその誘いにのってしまった
(当時の政権は現政権と同じパソック、首相はシミティス。現首相パパンドレウ
は当時の外務大臣)。財政赤字を3%以下に抑える“魔法”(虚偽)と引き換えに、
GSは観光国としては大きな収入源に目をつけた。ギリシャが空港税の30年分の
収益と将来の宝くじなどの収入を差し出すなどの契約を交わした。
ギリシャにとっては加盟さえすれば当時のギリシャの外国からの借入金利が
13〜4パーセントから、3〜4パーセントに引き下げることが可能になる。
加盟の結果、さらにお金を低金利で借りまくった結果が深刻な財政危機である。
加盟のための粉飾決算をしていたのである。そのことを国民はなんの説明も
受けていない。 その上に、ある日突然の「財政破綻寸前宣言」である。
ゴールドマン・サックスはこのような誘いを他にも、複数国に持ちかけていた。
ギリシャの公務員は4人に1人もいて、国民も納税意識が非常に低い。
それをドイツ、フランスから合理化を要求されると拒否反応を示して国家レべル
のゼネストに入る。4人に1人が公務員だから、どうにも抑えようがない。
ドイツからみれば、「単独であれば1〜2パーセントの金利で済むものを、
まともに働かないギリシャと同じ金利を払う必要があるのか?」と、不満が
出るのは当然のこと。 ドイツ、フランスにとって、アメリカの対抗上、
欧州連合の共通通貨のユーロの価値の創造が必要である。しかし、ギリシャ、
イタリア、スペインなどの国家の存在。「何で私たちの血の滲むような苦労を、
御前らの様な怠け者のためにしなければならないのか、まっぴらだ!」となる。
ラテン系の南欧だけでない、東には、まだ共産主義の計画経済ボケをした東欧
諸国がある。彼らにも多額の借金がある。彼らは自由競争と今さらいわれても!
という気持ちが残っている。欧州連合が、果たして維持できるかどうかの
土壇場である。 今度の恐慌は、20世紀に残されてきた問題が一挙に噴出、
その破壊であるから、20年は最低でもかかってしまう。
・・・・・・
4831,「事業人生を決心して45年」の語り直しー9
2014年06月06日(金)
* ドン底の気分の最中、父親が末期癌に!
金沢の「いとはん」に1年3ヶ月ほど経ったある日、実家の一番上の姉から
電話が入る。「父が検査で悪性の胃ガンが発見、緊急手術のため東京女子医大
に入院することになった。手術は、ガンの権威の、中山医師が執刀するが、かなり
厳しい事態」という。その瞬間、頭は真っ白。父あればこその自分。20歳辺りから、
ほぼ私の希望を聞き入れ賛同をしてくれて、当時も、自らの育成プログラムの
一貫として金沢で学んでいた。その父が、もしものことがあれば、現在の実家の
事業の力関係は根本から崩れる。父親も、万一のことを考えて、実兄と私のため、
主だった財産の生前贈与をしてあるが、当時の自分は、経験不足。
父が亡くなれば、根本的に地盤が大きく傾いてしまう。ただ、手術が成功する
ことを祈るしかなかった。そして、手術の一週間後、東京女子医大に休暇をとって
見舞いに行くと、母は洗濯物を干すと言って私を屋上に連れ出すが、躊躇をして
何も言わない。その雰囲気からみて、長くはない事を悟る。後で知ったが、
多くの臓器を取り除いたが余命一年。 そして、一月もしないうち、
父親が退院、私も、父の指示で、実家に戻ることになる。
色いろあったが、金沢は、あまり良い思い出はないが、それでも、綱渡りの
日々の中、面白い日々が続いていた。 何処の世界にいっても、独り、美味い
居酒屋と面白いスナックを見つけ出し遊ぶ術は学生時代から身につけていた。
これで大いに助かったが・・ 何故か女性に関しては、縛られることが大嫌いで、
適当に漂っているのが好き。幼児の頃から実家の女子社員とか、姉たちの盛りを
過ぎた変容を多く見ているため、今は綺麗だが、その後の・・ それなら、
浅く広く、ふわふわと、適当に、を保っていた方が面白い。
しかし金沢も、あの辺りが限界。 彼氏持ちの同僚が、急に誘ってる?と、
その2ヶ月後、結婚で辞めていった。最近になって、それがマリンブルーの
なせる業というのが解ったが、当時は、女は恐ろしい!と、思っていた。
女の職場では、同僚と浮いた話は絶対タブーのため、フワフワするしかなかった。
一人、2〜3回のお茶とか居酒屋が、少し危険だが、適当な距離があればこそ、
良かったことになる。その辺りは、誰も熟知している? 長岡藩と加賀藩とは、
歴史の深さが全く違う!それが、そのまま女性の魅力に、そのまま出ている。
派手だが、堅実で、保守的で、他所ものには親切だが、地元には、その承認を
得ると徹底的にいたわるが、細かいタブーで縛られている点は、似ているが、
より厳しい。そして、急遽実家に!父親の余命一年の事態と、私のUターンで、
静かな小さな池が大きく揺れることになる。どこにもある御家騒動の始まり。
争いの種は、それぞれの立場にとっての理不尽が、怒りと争いの発端になる。
ーこれも偶然だが9年前の同月同日に、金沢のことを書いていた。ー
やはり、何かがあるのだろうか? 偶然とは面白いもの。
その前年も、同じ偶然があった。
・・・・・・
4464,余命半年 −2
2013年06月06日(木)
「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
* 遺伝子からみれば、古い個体は新しい個体のため消え去るのが運命
人生なら良いが、何時までも会社にへばり付き、新しい目を摘み取る人、
それを、自分で気づいてないからタチが悪い。「老兵は、ただ黙って去るのみ」
である。死も時節がある。 ただ悄然と消えていきたいもの。ーその辺りからー
≪ 科学の発展は、おそらく一つの答えを用意したと思われる。つまり人間は
生物であり、だからこそ本能が、 正確に言えば遺伝子が、「生きるように」
「殖やすように」そして「死ぬように」命じているという考えである。
生物は遺伝子によってマッピングされて出来上がっている。遺伝子は自らが
生き残るために様々な戦略を取る。別の遺伝子と組み合わさって、さらに
優れた遺伝子となるのもその一つの戦略である。そのためには、生物に交配して
もらわねばならない。だから遺伝子によって形作られた本能に従い、生物は
交配し、子孫を残し、種を繁栄・存続するように「なっている」のである。
要するに、生きるとは、遺伝子の命じるままに従い、結果として「その種の
繁栄のために動く」あるいは「その種の繁栄のために動かされること」である。
遺伝子を残し、遺伝子をより良いものにして、その遺伝子が長く存続できるよう
にすることが遺伝子の欲求であり、それが本能に刷り込まれている。だから皆、
相手を求め、おまけとして快楽が付いて来る交配を行い、危険を冒して子供を
産み、子供が一人で生きられるまでは惜しみない愛情を注ぐ。
それはすべて、「人類という種を生き長らえさせる(人類の遺伝子を残し続ける)」
ためなのである。 この考えによると、死が到来するのも理解できる。
まず交配が行われて新しい個体ができれば、親の遺伝子は子に受け継がれる。
しかも遺伝子の容れ物(肉体)も新しくなっているし、遺伝子の組み合わせに
よってより優秀な個体が生まれているかもしれない。そうすれば少なくとも
「自分の遺伝子を残す」という目的を、遺伝子は果たしたことになる。
つまり古い遺伝子や容れ物は要らなくなる。だから、多くの動物は生殖期後、
長い時間を生きずに死んでしまう。生殖という非常に大事な役目を終えて
しまった以上、もう他に大きな役割はないのである。次に、もし「死」が訪れ
なければ、限られた空間に、個体は限度を超えて殖えてしまうであろう。
そうすれば、結局その生物の相当数は淘汰されなければならない。 ≫
▼ 死ぬのは自然の摂理、それに従うしかない。その時になり慌てふためくが、
諦めきれないのが知識を持った私たち。「余命半年!」と宣言された時の
衝撃は、計り知れない。昼の間は、まだよいが、独り夜半に目が覚めて、
その恐怖との 闘いは生き地獄だろう。死ぬのが怖いが、余命半年と
悟った時から死ぬまでの苦痛が恐ろしい。だから準備が必要になる。
・・・・・・
4090, 老いの見本帳ーダークサイト −10
2012年6月6日(水)
「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
* 老いを受け入れる
60歳前後に初老性鬱病の人になる人が多い。人生に充実感が無く、
未練や不満が渦巻いて恨みの気持ちが、世の中から落伍した感情として被害者
意識が生まれる。それが定年などで独りで判断しなければならなくなると、
異様な自己中心的いじましい行為が現れ出る。それは「尊厳を保った肯定的老人」
とは程遠い姿である。次の文章は、高度成長期を竜宮城と見立てた
団塊世代を浦島とみるとよい。
≪ 【浜辺の煙】 浦島太郎の昔話は、なかなか不気味な物語である。
竜宮城の快楽の日々はともかくとして、浜辺に戻ってきたら様子がおかしい。
家々の住まいも景色も微妙に変わり、知っている人は誰もいない。わずか数日を
竜宮城で過ごしただけだった筈なのに、驚くほどの年月が故郷では経過していた。
太郎はすっかり世の流れに取残され、強烈な違和感と孤独感とを味わうことになる。
さらに二段構えの不幸として、玉手箱の煙で太郎は老いさらばえてしまう。
故郷へ帰った浦島太郎を、現代における「老い」のアナロジーとしてみるとどうで
あろうか。孤独死だとか家族の崩壊、地縁血縁の希薄化といった問題はある一方、
今や「老い方」を知らない世代が雪崩を打って老いに突入しようとしている。
エレガントな、ナチュラルな、さりげない老いの作法や見当すらつかないものの、
それこそ数を頼んでどさくさまぎれに「これが今どきの老人だ!」とばかりに、
賑やかに事態を乗り切ってしまえそうな気もするのである。
ストーンズだってとっくに六十歳を過ぎてるぜ、といった調子で。つまり老いに
孤独や寂蓼感はつきものだけれども、考えようによっては、結構アナーキーな
ノリで老年期に身を投じられるのではないか。そんな妙に楽観的な気分もどこか
心の中に居座っているのである。だから独りで浜辺に停む浦島太郎のイメージに
我々自身は重ならずに済むかもしれない。その一方、玉手箱の恐怖の方が我々
にはリアルではないか。玉手箱なんか開けなければいいといった話ではあるまい。
生理的な老化のみならず、諦めや気落ちや悲しみや絶望が、玉手箱の煙となって
我々を老け込ませる。アンチ・エイジングなどと称して誤魔化そうとしても、
玉手箱の煙は我々の心の中にまで染み込んでくるだろう。 ≫
▼ 浦島太郎の教訓は、時代の現象に浮かれ、飲めや歌えで生きてきた人が、
何かのキッカケで自分の老いに気づかされ、周囲を見渡すと若いときの友人は
亡くなっていて、独り残されていた現実に呆然とする、ということ。
あの玉手箱と、ケムリは何の例えだろうか。玉手箱は、それまで生きてきた
時空での行蔵、煙は時間?だろうか。
・・・・・・・
3724, 全米N0・1弁護士の勝ち抜きセオリー 〜�
2011年06月06日(月)
『議論に絶対に負けない法』ー ゲーリー・スペンス著
10数年ほど前に読んだ本だが強烈な印象が残っている。 軽そうな題名だが、
内容は重厚で味がある。全米1の弁護士が書いた「議論の勝ち方というより
人生の勝ち方のセオリー」の本。アメリカ的プラグマチズムとして読めばよい。
しかし、生の法廷の中で勝ち抜いてきた人生のセオリーの凄みも見逃せない。
とにかく、面白い本である。 4〜5年に一度の割りに三十数年来の友人が、
人生の大きな分岐点の決断の問題や、経営上の深刻な悩みを持ち込んでくる。
私の場合、自分のこととなると何?だが、ひと様の事となると、冷静な答えを
出すことが出来る?と自負をしている。学生時代の武澤ゼミの特訓と百数十回
以上のセミナーの蓄積もある。数年前も、「実は現在、属している会社が吸収
合併した会社のことで裁判沙汰になる。自分は現在、その専任になっているが、
どうしたらよいか助言して欲しい」とのこと。「2〜3千万レベルか、数億
レベルか、それによって私の聞き方と答えが違ってくる?」と言うと、
「もちろん後者で、前回、そこを買収するときに相談をしてもらったが、
その買収後に派生した問題」とのこと。これ以上は書けないが、直ぐに、
この本を思い出し紹介をした。内容は、ほぼ忘れていたが、残っていた記憶で
「一に準備、二に準備、三、四がなくて、五に準備。それも戦いの構えを時間を
かけて作っていく準備を説いている。それと正攻法を第一に、問題の中心点に
全エネルギーをそそぐこと。それと自分のサイドの勝ちの物語を作ること」が
書いてある等、自然にスラスラと言葉が出てきた。その意味で、この本を消化
していた。考えてみると、この本、孫子の兵法そのもの。
「勝つための構えを充分に備えておけば、勝利は自ずと決まってくる」のは道理。
分かりやすくいえば勝ちの陣形をコツコツ作ること。アメリカの現代哲学的な
考えの枝葉の一例とみると、法廷闘争の中で勝ち抜いてきた弁護士の自信に
満ちた論理が見えてくる。