* 人生の意味のコペルニクス的転回
  〜主語を入れ替えるか、逆照射をするか
 ・カントは、認識について、「対象が意識を規定するのではなく、意識が
 対象を規定する」と、「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に
従う」と、コペルニクス的転換を示した。
・かってテーマとして取上げたが、フランクルは、アウシュビッツで、
『私が人生の意味を問う』のではなくて、
『私自身が人生から問われたものとして体験される』と、転換してみせた。
この逆照射の視点から、人間の尊厳の問題が提示される。
『生きるとは、人間としての尊厳を大事にすること』と。
・『幸福とは、上手くいったからなるのではなく、幸福だから上手くいく』
という、幸福論がある。学生時代に、ある2つのグループに属したことが
あったが、上記の通りである。彼らは、明るく、物事に動じず、教養があり、
気楽で、積極果敢の要素を多く持っていた。
  〜フランクの哲学をネット検索〜
≪ 「 私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」
 そう言って生きることをやめようとした囚人に、フランクルは説く。
「他人によって取り替えることができないこと、かけがえのないあなたを
待っている仕事、待っている愛する人がいる。人生はあなたからあるものを
期待している」と。 フランクルたち囚人は、そのすざましい生活において、
生きるための「なぜ」を常に問わなければならなかった。そして、生活目的
を意識する。 目的が無くなったととたん存在の意味も消えてしまいます。
拠り所が無くなった人は死んでしまうのです。
 そして、生きのびるために、人生の意味をひっくり返した。
『人生から何をわれわれは期待できるか』が、問題ではなくて、
『人生が何をわれわれから期待しているか』が、問題なのだと。
『私が人生の意味を問う』のではなくて、『私自身が人生から問われたもの』
として体験される。人生は、私に毎日毎時問いを提出し、私はその問いに、
詮索や口先だけでなくて、正しい行為によって応答しなければならない。
「われわれ」「私」と「人生」を入れ替えることで、まったく違う世界を
出現させたのです。≫  ー別の検索結果はー
≪「生きる意味」は強制収容所の中でのみ必要だったのではなく、強制収容所
 は単なる野蛮な装置ではなく、凝縮された異形の近現代でもあった。
人生の無意味さに悩み、人生の意味に憔悴する「時代の精神病理」は、
これから近現代が極まろうとしている21世紀において、ますます世界を覆って
いるのではないか。これは、飽食と並ぶ先進国病理ではなく、近現代の成り
ゆく果ての病理としてとらえるべきではないかと。「ぜいたく病」ではなく
必然の摩擦ではないのかと。
「およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味が
あるはず。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも
生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という
存在ははじめて完全なものになるのだ。」 池田香代子訳『夜と霧』より≫
▼ フランクル強制収容所の経験の後で書くこと自体が、そぐわないが、
 私自身にも、かって心の変化があった。どん底の時節に、沸いて出た言葉が、
『この最悪の状況は、私にとっての最高の状況ではないか。最悪と思っている
現在こそが、事業に耐える力を培っている。何を勘違いしているのだろう』
 という心の大転換だった。5年前の会社整理の時に思ったことは、
『この結果に意味(価値)がある。事業の準備から、創業、会社清算の一連
を含めた45年間の一括りを、「学び、遊び、働き」のきり口で物語化して捉え、
自分で納得できれば、それで充分。他者の視線、批判に惑わされることはない』
である。で、直後に、シリーズのテーマとして、ここで書いていた。 
 残ったのは充実感だけだが、それで十分。 ・・として思うしかない!
で、これも丁度良く、以下に続いていく。

 ・・・・・・
2911,人生は作品である
2009年03月25日(水)
「人間にとって、その人生は作品である」これは司馬遼太郎の言葉である。 
「人間には志がある。その志の味が、人間の味である」という言葉もある。
 身近で亡くなった両親の生き様を見てきてつくづくと、人生は作品という
ことが理解できる。そして生きている限りは未完であるところが、ミソ。 
死んだ時に完成するが、その時は自分にとって関係ないことになるから絶妙。
哲学では人生を「劇場」に喩え、その役割配置から、その真理を突き詰めていく。
それぞれが人生劇場では主役。 それは第三者が口挟むことでない。 
本人の意志に従う物語。従って還暦を迎える頃になると、その物語の辻褄
合わせが始る。シナリオ、主演が自分であり、観客の一人も自分。 
だから面白いのであり、悲しくもある。 自分で悲劇の場面と思っても第三者
の目からみれば喜劇に思える。(逆も言える)
 年齢を重ねて分別がついてきて、人生を振り返ると顔から火が出ること度々。
主役は次から次へと襲ってくる難問を乗り越えるのが役割。 難問そのものの
内容が物語を決めることになる。だから、問題に対して嘆いてはならない。
(自分の火種もあるが)問題と本人の意志が自分の人生の作品を決定する。 
 キュープラー・ロスは<人生劇場は「レッスン=学び」であると看破> 
 (以下、字数制限のためカット 2015年3月25日)

・・・・・・
5123,「魂」の思想史 ー③
2015年03月25日(水)
     〜「魂」の思想史: 近代の異端者とともに ー酒井健 (著)
   * ソクラテスを魅惑する魂
 ソクラテスといえば、「魂の鍛錬」「対話術」「無知の知」がキーワード。
魂とは「神的でダイモン的な何か」として、その鍛錬を説く。〜その辺りから〜
≪(p17) ソクラテス自身に最も人知の限界を意識させたのは、ほかならぬ
 彼の内部から立ち上がってくる声。いくら知ろうと思っても認識できない。
声といっても、明確に言葉を発するわけでなく、いつ心のなかに発生するかも
分からない正体不明の存在です。自分のなかに棲む謎の他者。分からないまま
現れて自分を翻弄する何ものか。この声は自分を毒したと正義のソクラテス
強弁していますが、はたしてそうだったのでしょうか。
 この声が国事への公的参加をソクラテスに拒ませたのはたしかに正しかった
と思われます。しかし彼が公的な場にいようと、私的な活動の場にいようと、
あの「神的でダイモン的な何か」は曖昧な動きを呈します。しっかり動かない
既存の制度、慣習、信仰とは反りのあわない暖昧な動きです。そして彼の意識
の底で果ての知れない広がりを呈しています。大きな魂と呼んでもいいでしょう。
彼の「無知の知」の教説、彼の正義、心、そして自分自身のものと彼が考えて
いた魂は、この大きな魂と表裏一体になっていて、しかもその底から、大きな
魂を定かには見えないかたちで溢れ出るにまかせていたと思えてくるのです。
そのことは、はたしてソクラテスにとってよいことだったのでしょうか。
無知を人に悟らせるのは間違ったことではありません。立派な正義です。
しかしソクラテスの言動は正論であると同時に正論を超える何かを放っていた。
彼を死なせるほどにです。公開裁判で、彼は、五百一人の民衆裁判官に対し、
まるで自分を有罪へ、そして死刑へ、煽り立てるように挑発的正論をぶった。≫
▼ ネット検索に(ソクラテス ダイモン)と入力すると、
 <ソクラテスは、自然に際して合理的思考を、対話・議論には論理性を重視
するが、その一方で内面にダイモンという神霊の声を聞いて茫然自失の態に陥る
ことが多かったと言われます。ダイモンは『善なる神霊あるいは悪なる神霊』
とされますが、その実態は詳らかではなく、ソクラテスの意識に突如飛来する
神秘的現象であり、ソクラテス自身には『内なる道徳律を示す声』のような
認識が為されていたようで、自らが道徳律に反する悪しき行為を為そうとする
時に『それを為すべからず』といった形でダイモンの合図がやってきた。
現代の脳神経科学的な見地からは、てんかん発作に近い意識消失を起こしたと
されます。しかし、ソクラテスの脳内現象とダイモンの出現を結びつけて、
神霊としてのダイモンは幻影に過ぎないと科学的判断で切り捨ては出来ますが、
心的リアリティとして『内面的な良心や倫理観の象徴としての神霊』は実在した
こともまた事実です。> とある。彼は、一切の著書を残さず、その言説は、
弟子のプラトンによるもの。欧州の発生の地で、2千5百年前のギリシャで、
こういう議論が戦われていたとは、驚きである!それにつけても私の脳は・・
 ー思いまどうことはない、人生は無意味なのだ ーサマーセット・モーム
・・・・・・
4758,閑話小題 ー冒険家の憂鬱
2014年03月25日(火)
 ーベスト・エッセイ2012ー探検家の憂鬱 角幡唯介
  * 35歳の冒険家の憂鬱 
 ある随想集で見つけた少し哀しい話題。友人に晩婚の人が何人かいたが、
35歳ぎりぎりで結婚をした。モテ過ぎの人は、女性が逆に敬遠するようだ。
以前、女性の適齢期をクリスマスケーキに例えた時期があった。
22、23をピークに、24、25と日毎に価値が下がっていく。現在は違うが、女性の
職場には、23歳停年制の暗黙の戒律があった。若くて綺麗な娘が毎年、入社して
人気が日毎、凋落するのに耐えられない。そこで、早めに本命を掴んでおいて、
あとは少しでも良いのを探す! が、最後は、この程度と諦めて結婚していく。
著者は、35歳男の婚活についての本音だから、納得させられる!ーまずは、抜粋ー
《 婚活女からみた人間の価値判断の基準は意外と単純なところにあり、男で
 いうと34歳と35歳の間に引かれるラインが、それにあたるのではないか。
つまり女性陣の多くは私の年齢を聞いた瞬間、頭の中で四捨五入して、35歳は
40歳側の人間ーおっさんーという仮借なきカテゴライズをしているような気が
するのだ。さらに悪いことに私は探検家という日本で数人しかいない珍しい
肩書を名乗っている。名刺的には「ノンフィクション作家・探検家」としている
のだが、ノンフィクション作家などという普通の肩書は探検家を前にすると、
アマゾン州にそそぐタパジョス川みたいなもので、ほぼ存在しないに等しい。
そのことを証明するように、私はこれまで何度も、どんな文章を書いているん
ですかと質問されたことがない。聞かれるのは、どんなところに行ってるんです
か、そこで何をするんですか、何のためにそんなことするんですか、マゾか
サドかといえばマゾですか、といった質問ばかりなのだ。 ・・ 酒も入って
気持ちよくなってくると、ついついキャバクラにいるような気分になってきて、
あることないことをペラペラしゃべってしまう。やれ雪崩に三回埋まって死に
そうな目に遭ったとか、チベットで滑落して九死に一生を得たとかの話を
お酒の力を借りて講談調で話すのだ。面白いことに、そういう話をすると女性
の目は必ず変わる。もはや場の主役に躍り出たような気分になっている私は、
その目の色の変化を肯定的に捉え、今、女たちは俺のことを男の中の男だと
思っている、などと有頂天になるが、実際のところ女性陣の目の色が変わった
のは、私を男の中の男だと思い始めたからではなく、対象外と思い始めたから
であることにはその場では決して気がつかない。翌日に次回の約束を取り付け
ようと、お気に入りの女性に意気揚々とメールを出し、数日待っても返事が
来なかった時に初めて気がつく。コンパに来る女性は通常、交際相手を求めて
いるから、四十歳の側に属した探検家を名乗る、安定的な生活基盤がない
どころか生存基盤すら危うい男をつきあう対象と見なすわけがないのだ。
もし年齢と職業がネックになっているという推測が正しいのであれば、長年
憧れてきた世間的な幸せを私が享受する可能性は、いよいよしぼんでいく。》
▼ 私自身の経験では、それが27歳。21歳から26歳までは、終戦直後の生まれ
 のため、同年代の数が極端に少ない上に、数歳下の数が異常に多いため、
在庫からして非常に有利の状況。その割に?だったが、それでも早いうちから
声がかかっていた? しかし、姉4人の最低ラインがあるため、クリアーする
相手は、なかなか見当たらない。要は、さほど持てなかっただけだが、
27歳になると同時に、塩を引くように、声がかからなくなった。ここが潮時と、
思った矢先、紹介されたのが家内である。家内も同じような動機だった? 
だから、著者の悩みが分かるのである。先行きどうなるか分からない事業を
創業をするといっても、何の手掛かりもない。誰も、結婚相手として認めない
当時の私の状況に似ている? 結婚の時節は、それぞれあり、それを逃すと・・  
生涯独身が男3人に1人、女4人に1人の時代が来つつある厳しい時代である。
特に女性は、相手の選択で大きく人生が変わってくるから・・
・・・・・・
4391、大衆は何も考えない
2013年03月25日(月)
    * 劇場版「相棒の映画感想
 一年前から、平日の16時から刑事モノ「相棒」の再放送をみているが、
物語に捻りと味わいがあって面白い。一昨日、その劇場版をシネマで見てきた。 
 ーまずは、専用サイトの内容よりー
【‘謎のデータ’がネット上にバラ撒かれ、削除された・・。
 直後、燃え残った数十枚の一万円札と死体が発見された現場で、捜査一課刑事
・伊丹とサイバー犯罪対策課専門捜査官・岩月は出会った。死体は東京明和銀行
本店システム部の中山雄吾。ネットに不正アクセスし、機密情報を流していた
疑いでサイバー犯罪対策課にマークされていた。殺人事件として真実を追う
伊丹、不正アクセス容疑を追う岩月。いがみ合いながらも、共に捜査を進めて
いく二人だったが、目に見えない圧力に曝され、捜査は行き詰っていく・・。】  
 ー私の主観で要約するとー
≪ 官僚が銀行閉鎖の「Xデー」を策定・計画していた。が、その内容が
 ネット上に流され、それを知った暴力団関係のトレーダーが、そのXデーを
知ろうとして偶発的に告発者を殺してしまう。しかし官僚たちと政治家と警察
トップが、銀行閉鎖の計画を知られるのを阻止するため捜査妨害する。公然と
マスコミに出てしまえば、その日がXデーになってしまうからだ。 
キプロスで偶然、銀行閉鎖騒ぎがあったこともあり、銀行の取付け騒ぎや
銀行閉鎖計画に現実味が感じられる内容。金融庁などの各省官僚と政治家の
打ち合わせの中の言葉が、辛らつ、かつ真実を含んでいる。
 ・国民は、厳しい現実を示されるより、甘い将来の絵図を求めている。
 ・難しい真実より、簡単な嘘を好む。
 ・現在が、そのまま将来も続くと信じて疑わない。
  現在何が起こっているか知ろうとしない。 等々、
アベノミクスに両手を上げて喜んでいる愚衆を、そのまま言い当てている。
貨幣も国債も信用があってこそ通用する。誰も信用しなくなったら只の紙切れ。
映画とはいえ、現在進行形のアベノミクスを批判している。アベノミクス
Xデーを早める必要性も確かにある。何れにせよ、一度、焼け野原にしてから
立て直さなければならないならば。それにしても、あまりに国民は無知と
(私を含め)思い知る。少し逸れるが、このオバマの中東訪問で、
「シリアへの攻撃と、イスラエルのイラン核施設攻撃のXデーの相互確認が
あった」という仮説を立て二人の会見をみると、近々に始まると思えたが。
・・・・・・
4017, 事業生活39年の、独り語り ー5
2012年03月25日(日)
 最初に事業として手がけたのは、ジャスコを辞めて、一年間の遊学時に
見つけておいた千葉市郊外の千城台の更地。父は自分の死期を悟り、ビル建設
の助言を通した父の経験則の直伝の日々になっていた。準備に入って10ヶ月後
に父は亡くなった。千城台ビルの完成前5ヶ月前である。「千葉シリーズ」は、
ビル建設の一年半と、 実務の二年間の合計三年六ヶ月取り組んだことになる。 
この三年半も熾烈の日々。(20歳〜40歳までは、常に似たようだったが。)
そのビル内で、居酒屋の養老の滝1122号店と、焼きたてのセンチュリー・
ベーカリーをオープンさせた。恐いもの知らずで、捨て身でよくやった!もの。
ただ無我夢中であった。 その時、実家でトラブル発生。急遽、店舗二店とも
知人の伝手で経営委託をして長岡にUターン。危ない綱渡りである。
人間にはイザというと、自分で決め込んだ能力を遥かに超えた力が湧き出てくる
ことを、この経験から知った。ビル投資5千万に対し一億で売り抜けたが、新潟
のホテル開設資金の資本金になった。千葉の千城台ジャスコ勤務の後に産能大
に通っていた時に確保したもの。 新聞で県の住宅供給公社が造成した団地の
商業地区の売却を目にしたのが始まり。ところで父は、実家の事業に携っている
婿取りの姉夫婦と、実兄と、私の関係を心配をしていた。 そのため亡くなる
数年前に突然、家に呼び出され、会社の株式と、主だった会社名義の土地を、
私と、母と、兄と、姉に、4等分の相続を宣言し、名義を変えてしまった。
これがトラブルのタネ。その時、姉夫婦は呆然自失。父は地方名士志向の姉夫婦
を見限っていた。ところが父の死後、生前贈与以外の父名義の財産を姉夫婦が
都合良く分配していた。その上、間接的に「母親と、兄と、私の会社株式を
自分たちに譲れ!」と迫ってきた。 それ以前に、「父の死後の社長は母親」
という父の遺言書を無視をして、母を説得、義兄が社長になっていた。 
私は「乗取り陰謀」と激しく、それを認めた母親をなじっていた。それもあり、
私が千城台ビルで、二軒目の焼きたてパン屋を開店した直後に、「主だった
従業員を引き連れて出る。それとも・・」と迫ってきた。御家騒動の勃発。 
起こるべきして起こった騒動だが、母と実兄は、二人の豹変に動転し、怒り
心頭だが、私には、想定とおり。 大学を出てからの熾烈な日々が、
「この程度の問題処理など朝飯前!」ぐらいにしか思えなくなっていた。
千葉の知人に相談したら丁度良い人を知っていた。 急遽、その人と経営委託
をして実家に戻ることになった。これも丁度良い、節目。しかし朝飯前と思って
いたが、ここも過酷な日々が待っていた。地方名士を自認していた姉夫婦の
後釜に、馬鹿息子がクーデターを起こして帰ってきたという街の冷たい視線と
流布の中で、私にとっては第二の創業。姉夫婦にとって、手際よくUターン
するとは思ってもいなかったようだ。それより我慢を重ねてきた母の激怒が、
全て。 私もイザという時の見極め(正中心一点無)は、持っていた。
・・・・・・・
3651, 地震 ―つれづれに  ー11
2011年03月25日(金)
 * 凍りついてしまった経済
  この地震で、日本経済は凍りついてしまった。 
・リゾートホテルは歓送迎会がほぼキャンセル。駅前ホテルもビジネス客は皆無。 
・生鮮野菜も恐ろしくて、他産地物でも敬遠。水はペットボトルしか安心できない。
・知人の子供が住宅の契約直前になって、業者の方から契約を断ってきたという。
 資材が入手出来るかどうか混沌として、期限までに住宅の完成が確約できない。
 その場合、遅延金を払わなくてはならないので、当面契約は出来ないのが事由。 
・飲食店も期末期首の稼ぎ時に、歓送迎会の予約がほぼストップ。
・甥っ子が宇都宮でチェーンのファッション店に勤めているが、全く商品が売れ
 なくなり頭を抱えているとか。  これでは、経済恐慌になってしまう。
空中の放射能が雨と一緒に浄水場に注ぎ込み、水道水が汚染されたということは、
ただならぬこと。この福島第一原発の河口付近の海から安全基準の127倍の
放射性物質が発見されたと、読売が一面トップで報じていた。
それから連想されるのが魚の汚染。近海ものの魚も危ないとしたら、何を口に
したらよいのか?恐ろしい限りである。そろそろ農家は田植の準備に入る時期に
入ったが、収穫の秋口に、米が売れるかどうか心配だろう。 
売れるのは、外米と古古米だけという奇妙な現象になることすらある。
一日一日が放射能漏れの深刻さを露呈するニュースであれば、
景気は悪くなる一方のは当然だろう。
  * 奇妙な数字の一致
 9.11は9時46分、神戸は早朝の5時46分、そして、
この3.11は14時46分。偶然だろうが、46分が一緒!
 いま一つが  2001年 09.11
       + 2011年 03.11
       =  012年 12.22 は マヤの歴の終わりの日。   
 偶然の一致だが面白い!
 ・・・・・・・・
3286, デフレの実感
 2010年03月25日(木)
  2月末より本格的デフレ・インスパイラルに入ったようだ。
 内容を面白くするため少しオーバーな表現かどうかは??。
・先日、3月でエコポイントのタイム・リミットということで、買って7年半
 経つ50インチのTVの買い替えを考えて大型家電を三店舗まわってみた。 
 今度は65インチの薄型TVで、4〜5年前は100万前後していた。
 数年もすれば50万を割るだろうと思っていたが、何とエコポイントを差し
 引いて30万円。隣にあった一番ホットのLEDのシャープの60インチが
 37万円である。 信じられない!である。もし本気になれば、あと数万円は
 下げられる? 現在のTVはパイオニアのPDPで充分に満足している。 
 今でも画質は、現在の店頭のものと遜色ない。しかし地上波への変更が
 (特殊なので)数万のマシーンを入れないと映らないという。そこで、少し
 心が動いたが、このデフレの中で一年後には更に下がると判断し、この機会の
 購入は止めにした。次はデジカメとビデオカメラ、これも値崩れが激しい。
 新商品になる度に新しい機能が加えられ、値段が安くなる。
・アパートの値崩れも激しい。現在は三万円代の中での価格競争になっており、
 5万代に入ると、よほど間取りの良いものしか入り手がないという。自宅の
 まん前の20世帯以上ある二軒のアパートは、この数年で数軒しか居なくなった。
 築20年は経っている割りに値段が高いためだろうが??。 大東建託とかいう
 20年入居一括借上げの会社があるが、以前から会社が倒産するリスクを
 オーナーは考えていないと懸念していた。こういう時節h、特に危険である。
・建築関係も、ますます価格競争が激しくなり、ギリギリの状態が続いている。 
 中小は、特に厳しく、何とか助成金で食いつないでいるが、必ずクラッシュが
 あるはず。店をまわっても、元気の良いところは、業態としてディスカウント
 を長年かけて作り上げてきたところ。100円ショップ、ユニクロニトリ
 サエゼリア、回転寿司、蔦屋など。それも店舗がスーパーストア(超大型店)。 
 デフレ・スパイラルは、ハイパーインフレの露払いである。後ろに控えている
 ハイパーインフレが恐ろしいのである。これが国家破綻という奴だ。
 一度、ガラガラポンと破綻させないと、あの世界に撒き散らされた猛毒は排除
 は出来ない。それがリアルに動き出してきたということ! 事実は事実である。