『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 書き出しについて―人はみな万世一系
 日経新聞の『私の履歴書』は、まず出自から始まる。全く知らない人から
みれば、当然だろう。アメリカは移民の国のため、その出自は、様々で複雑。
そうこう考えると、哲学ではないが存在の不思議に驚かされる。
いま、ここに、自分が存在するのは必然か、偶然か? 〜その辺りから〜
≪ 自分史の第一歩はまず、自分の出自について一言するところからはじめる
 のが常道である。それが常道だが、具体的にどう書くか。ここに見るように、
具体的な書き出しはさまざまだ。親のことからはじめてもいい。家系のことから
はじめてもいい。人間みな親があってはじめて生まれてくる。親にはそのまた親
があって・・ という具合に、人は誰でも、先祖というものを引きずって、
この世に生を受けている。
 人のDNA(遺伝情報)はすべて先祖から引きつがれている。よく天皇の家系の
尊さの表現として、「万世一系」という言葉が使われるが、万世一系なのは
天皇家だけではない。その人に伝わっているDNAに着目し、そのもとを次々に
たどっていけば、それはそれで結果的にたった一つの系統に帰着するから、
「人はみなその人なりの万世一系の遺伝情報の流れを引きずってそこにいる」
ということができる。
 人間の形質はすべてもとをただせば、その人のDNAに行きつくわけだから、
自分という人間のメーキング・オブを語ろうと思うなら、有名な家系であろうと
なかろうと、先祖のことに多少とも言及するべきである。あなた自身、自分の
中に先祖の血を感じないとしても、あなたがそこに一人の人間として存在して
いるという事実それ自体が、あなたの中にある先祖の血の存在を証明している。
 ・・(略)
 自分史を書くにあたって、親ないし家系のことから話をはじめるというのは、
最も一般的な書き方だが、それは人間関係の本質から考えてもっともなこと。
そう思ったら、そのために必要な準備作業をちょっとしておくとよい。
親ないし、親戚の人で、一族の歴史に詳しい人に、あれこれ質問して話を
聞いておくのである。親のことは自分の記憶で書けるだろうが、家系のこと、
一族のこととなると、必ずしもそうではないだろう。わからないことは、
知っている人から話を聞くにかぎる。一族の中にはたいてい一人くらい、
一族の歴史に詳しい人がいるはずだから、そういう人を探しあてて、根掘り
葉掘り話を聞くのである。 ともかく、個人の記憶の範囲で自分史を書くか、
一族の歴史にまで話をちょっと広げるかで、自分史の厚みが決定的にちがって
くるということは覚えておいたほうがよい。≫
▼ 子供の頃から、末っ子のためか、何時も両親の傍にいたこともあり、
 それぞれの家庭の話しを聞いて育った。家庭内には様々な問題がある。
父親が晩年、家系に興味を持ち、近くの小千谷市近郊の池津村の27代
続いた本家筋を訪ねてきた話しを聞いた記憶がある。当時は、それが
どうしたとしか思わなかったが。わけの分からない郷土研究家とかいう
人物にガセネタの、高田城の出城の『鮫が城の元城主』とかいう家系と
聞かされ、喜んで信じていた。最近、ネットで調べたら、堀井と堀江の
間違えだった。その似非?郷土研究家の書いたコピーがあるが、その間違い
を当然知っていたはず。姉たちが、それを信じ吹聴していたのは何だった?
新井市近郊の出城に訪ねていったが、山の上の砦のような跡でしかない。
・・・・・・
5031,ポジティブ・サイコロジー ー②
2014年12月23日(火)
 『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著)
  * よいこと3つの記録を
 「よいこと3つの記録の継続」は、シンプルで簡単そうだが、継続というと、
なかなか難しい。刺激と変化がない生活で、少年のように探すとなると・・
 そのうちに、よいことを意識してするようになる? 感動、感激、感謝を
加えても、それでもなかなか。面白いのは面白いが・・ーその辺りから抜粋ー
≪ 毎日、一日の終わりに、その日うまくいった3つのことを書き留める習慣
を持つこと! ・・私たちは、よいことについてはあまり考えず、思慮深い
(意識的)感謝の気持ちがもたらす潜在的な利益を見逃しているのだ。
よいことについて説明を求めることで、「より深い」思考へと人々を導く
ことになる。 この演習についての指示は次の通りだ。
【 毎日、一日の終わりに、夕食後または眠りに就く前に、その日うまくいった
三つの出来事を書き留めてみよう。それを一週間、毎晩同じようにやってみよう。
あなたが書き留める三つのことは、重要性が比較的低いものでもよいし
(「今日は夫が仕事帰りに、私の大好きなアイスクリームをデザートに買って
きてくれた」)(「私の姉が健康な男の赤ちゃんを出産したばかりだ」)。
それぞれポジティブな出来事を書き出した後、次の問いにあなた自身の言葉で
答えてみよう。 「このよいことはなぜ起きたのだろう?」たとえば、あなたの
夫がアイスクリームを買ってきてくれたことについて、「彼は本当に思いやり
のある人だから」あるいは「私が職場から彼に忘れずに電話して、帰りにお店に
立ち寄ってくれるよう念を押したから」と推測するかもしれない。
なぜ、あなたのお姉さんが健康な男の赤ちゃんを産むことができたかと問えば、
「神さまが姉を見守っていてくれたから」あるいは「姉は・妊娠中にきちんと
した生活をしていたから」と説明するかもしれない。この演習に関する私たち
独自の調査では、自分がありがたいと思う事柄を数え上げることで、引き続き
最長6ヶ月間、幸福感が増大すると同時に抑うつの症状が軽減するのを発見した≫
▼ 一番、簡単なことは、褒めること、挨拶、感謝を言葉に出すことだが、
 一度、サバンナの生活に入ると・・ それでも、何とか続けると変化が現れる
のだろう。書くことが無かったら、新しい知識とか、変わった出来事とかを
書けばよい。ポジティブ3対ネガティブ1、への意識変化の第一歩として、
最も重要なことだが・・ 始めて3日になるが、まず一週間、次に一ヶ月間、
続けてみようか。それにしても、面白い習慣である。ところで、悪いこと
なら幾らでも湧き出てくるのに、良いこととなると・・ なんだろう、これ?
・・・・・・
4664, 閑話小題 ー我家、今だエアコンを使わず
2013年12月23日(月)
   * この冬、今だエアコンを使わず
 別に意識をしてエアコンを入れない訳ではないが、この冬、我家は今だ
エアコンを一度も入れてない。仏間の書斎コーナーに、パソコンか読書のため
4時間は籠っているが、ここはエアコンはない。そこでハロゲンヒーターと、
電気アンカ、着る炬燵、加湿器を組み合わせている。それでも寒い。居間では、
炬燵に、加湿器と、着る炬燵?を組合わせると、エアコン暖房の必要がない。
冬期間の電気代が月3万円になるため、その無駄に家内は神経質。終日、TV、
暖房、24時間風呂、台所と使えば、一日千円は当然といえば当然。 
スポーツセンターに、昼晩二回、十時間もいる人が何人も居るようだ。
風呂、TVに、エアロに、マッサージの電気光熱、水道代を考えると十二分に
元が取れている。殆どの会員が、週1〜2回しか行かないので、手持ち時間の
多い人は、非常に買得。 この時期、摂氏5度を下まると、エアコンを入れる
ことになるが、今だに入れてない。それを楽しんでいるところが面白いが、
寒さなれがあるから出来るのだろう。
   * 加湿器
 吹き出している水蒸気だから、てっきり高温の水蒸気と思っていた。
中からはグツグツ音がして、そこを見ると水滴が跳ね上がっているので瞬間湯沸
機能に見えたが、実は超音波を当て微粒子にした水蒸気を送りだす「超音波式」。
そのため、熱くならず少ない消費電力で高い加湿能力を発揮が可能になっている。
考えてみたら雲も霧も高熱ではない。この水源にアロマを加えて匂いを
楽しむことも出来る。考えたものである。
   * 新築の隣家に家族が引っ越してきた
 隣の新築家に一昨日、家族が引っ越してきた。40代?の夫婦に、小学生と、
中学か高校の娘さん二人の四人が連れ立って挨拶に来た。家内が留守で私が対応
したが、新しい家に引っ越してきたウキウキ感が漂っていた。下の子どもが巣立つ
までが、家族にとって一番良い時である。終の住まいの新築の家は、天国の仮の
カタチというが・・ そうすると私は、両親の終の住まい、そのまま40年近く
住んでいたことになる。精神的には非常に安定している。
・・・・・・
4299, 「国の借金」新常識 −2
2012年12月23日(日)                 
  * 破綻国家は飛躍する   「国の借金」新常識  ー廣宮 孝信  
 思い切った切り口である。破綻のどこが悪いという。「現在の事態のどこが
悪いか!」と私が開き直るようなもの。駄目なものは駄目なら、思い切った
手術をしてしまえという。 ここで破綻国家のプラスマイナスのプラス面を捉え、
戦後日本の世界史に残る破綻から世界二位の経済大国に立ち直った偉業を事例を
取り上げている。 1945年に第二次大戦で、徹底的に破壊されたが、たったの
8年で以前の規模まで回復し、50年でアメリカに肩を並べる規模まで回復した。
アルゼンチンの破綻もそう。日本の規模からすると借金が一年で700兆円も
増えたが、失業率が3年で破綻前に、実質GDPも4年で破綻前に回復して
アルゼンチンの奇跡といわれている。アイスランドも1年で日本規模からみて
300兆円も借金が増えたが失業率は8・5%。インフレもハイパーにならず、
21%で打ち止めだった。2000年以降で破綻した国々9ヶ国が、日本や
アメリカより成長している事実がある。ロシアも二度も破綻しているに
かかわらず、ソ連崩壊から16年間で16倍も急成長をしている。破綻こそ、
絶好の投資チャンスという典型的事例である。要は、開き直れ、国債を無尽蔵に
刷りまくれ、後は野となれ山となれ、というのだから・・・
  * 「国の借金が大変」は、終末信仰
 1929年のアメリカ政府の支出は、いまの日本の15兆円。それを、7年後に倍以上
の40兆円、第二次大戦時には今の日本でいえば380兆円にまで増やしたとき、
失業率は大恐慌前に戻すことができた。それでもハイパーインフレにならず、
10%程度までしか上がらなかった。 GDPを増やし、我々の給料を増すには、
政府が支出を増やす必要がある。不況時には迷わず政府支出を増すべき!国の
借金をいたずらに恐れると、いつまでも不況から抜け出すことができないし、給料
も減っていく。破綻もやむなしである。ただし、あくまで、国内で賄うことが前提。
  * 人口減がデフレ原因は間違い
 人口が減っていてもインフレになっている事例は数多くみられる。
旧ソ連圏の国々に多い。アメリカの建国から130年間に数百万から一億人
(20倍)に増加したが、物価は殆ど上がらなかった事例をみても、人口増は
インフレの決定的要因でない。それより、政府の支出規模の方が、経済成長や
インフレとの関連が高い。「国の借金は大変」の最大の犠牲者は若者・・ 
▼ この辺は、かなり強引な論理。インフレは弱者、貧困層に一番初めに直撃、
 中小・零細の多くは金利高騰で即死だろう。弱肉強食を更に推し進めることに
なるが、グローバル化の潮流では、致しかたがないのか? 自民党の大勝は、
大きな政策の舵取りが変わるとみてよい。
 ・・・・・・
3924, 今年の総括  ー断層
2011年12月23日(金)
 今年の総括といえば、会社の倒産と東北大震災である。 
これが突出したので他は考えられないほどである。実際は「延命した恐慌」だが。 
そうこうあって自宅が生活の中心となり、会社通いがスポーツジム通いにとって
変わった。日常という点ではiPadを購入したことも衝撃的であった。
有線の机上のiMacに、タブレットのiPadが加わって、パソコン上で
ゲームや読書をする生活スタイルが加わった。その上、ネット・サーフィンの
機会も格段に多くなった。10年後に振り返った時、今年は大きな節目だった
ことは間違いない。何ごとも、渦中に入ると無我夢中で腹が据わるもの。
 問題は、決断する間際と直後である。気持ちを、その中心点に集中し続ける
ことで、問題の多くは解決できる。同級会などの付き合いも、そのまま出席をし
気持ちを前向きにしていた。 露骨の白眼視を何度か感じたが、その都度
「このシラミ!」と唱えると、対象が本当にシラミに思えてくる。兄や姉の
倒産時に、親密に相談に乗っていたので、取引業者や従業員など関係者への迷惑
を最小にし、引き際を綺麗にすることが最優先と手順に入った。 が、それでも
恨みを買ったようだ。当然である。節目、引き際の決断は、一瞬の間。
あの瞬間の見極めは間違ってなかったと思うしかない。それと東北大震災。
この震災は、まだ迷いのあった決断を後押しをした。 しかし直接原因は、
リーマンショックである。その直後から止むことのない売上げ減。10年前の
9・11テロで3割減、リーマンショックで、更に半減し、10年前の三分の一
まで落ち込んでしまった。 更に東北大震災で三割減が予測されれば、事業と
して成立しなくなったと判断をせざるを得ない。この事態で来年に控えている
世界恐慌の大断層を乗り越えらると考えるほど楽観論者ではない。 
 今年は、世界的にも、欧州の経済危機、アラブの春という北アフリカ
独裁国家の崩壊ドミノ、東北大震災、最後は、北朝鮮のドン様の突然死である。
どれもこれも、大事件である。しかしビック・イヤーは来年である。 ロシア、
アメリカ、中国、韓国の首相と大統領の交代の年である。 更に今年、何とか
延命をした欧州発世界恐慌の発生の可能性が高い。地震後、三年が過ぎ、津波
押し寄せ、海岸線の立ち位置の私の事業が押し流れた。その一瞬の間際に高台に
逃げた。そこで見えているのが津波の本体。 今年中にくるはずだった津波が、
来年、海岸線の防波堤を遥かに超え、やってくる。避難先の山の手の住人は
自分に大丈夫と安心しているが、仕事や親戚が海辺にあることを忘れている。
三年前に起こった、近未来。
・・・・・・・
3559, 閑話小題 ー死について
2010年12月23日(木)
  * 「生が終われば、死も終わる」
 ある「死」の特集の雑誌にあった言葉「生が終われば、死も終わる」
が心に残った。「一人称の死」を砕いた言葉である。身ちかな二人称の死は
あっても、一人称=私、の死はない。したがって「私の生が終われば死も終わる」
ということ。それを一言で言い表した言葉。このことから「生が始り、死も始る」
という理が見えてくる。生があるからこそ、死がある。「死んでしまえば、
それまでよ」という言葉もある。父が親戚の葬式で何時も言っていた。
これは生者の目線の代表的な言葉。その言葉の背後には、「他人の死から、
生きているうちが華。人生を可能な限り生きなければ」という、思いがある。 
  * 人間の死因
 日本では、毎年大よそ百万人が亡くなっている。死因は、病気、自殺、他殺、
そして災害による。そのうち、95パーセントが病死、自殺は3パー、交通事故
などの災害と他殺が残りになる。もっとも、それは死のキッカケであって、
真の死因は産まれてきたこと。いずれにしても死ぬ。百万人が産まれ、百万人が
死んで人口は減りも増えもしなかったが、数年前から人口減が始った。
  * 同じ年代の死
 私の同学年の男性では、平均して2割ほど亡くなっている。中学は25%、
30年来の高校三年の同級会の出席者の20パーセント、大学のゼミ同期6人は0。 
進学につれて死亡率が低くなっている。従姉妹で父方をみると、兄姉を含め30人
の従兄弟(従姉妹)がいるが、平均年齢が72歳で12人が亡くなっている。
4割である。私の兄姉も私含め9人のうち4人が亡くなっている。生存している
平均年齢は70歳。父方は癌系で、糖尿は少ない。40過ぎの死亡が殆どそれ。
死を恐れるのは「やり残したことがある」が、「虚無」への不安と並んで心底に
ある。やり残したことを、やり尽くしたところで同じでしかない。虚無になり
ようもないのに、そのイメージを恐れる。プッツン、いや、プチ!か?それは。
これもイメージ。
 ・・・・・・・・
3184, 久々のジョーク ー7
 2009年12月23日(水)
たまには、全く下らないと一笑される駄洒落も良いだろう。
 * 駄洒落問答
問 使うとき使わないで、使わないとき使うものは?   答  風呂のふた。
問 かけるときにひくものは?             答  電話帳。
問 同じものだけど、見る人によって違うものは?    答  鏡。
問 東京の上野公園にある西郷の銅像。 東向きでしょうか西向きでしょうか? 
                   答 夏向き 浴衣を着ていたから
問 トンボとハチが東西に分かれて戦争しました。どちらが東軍だったか?     
                   答、トンボ。 2×4が8 (西がハチ)。
問 シユーベルトの好きな飲物は、どんな果実から作られる? 答 ミカンセイ
問 年を取ればとるほど若くみえるものは?      答 アルバムの写真。
問 寒くなればなるほどあつくなるものは       答 氷。
問 世界中でいちばん赤ん坊の多い国はどこ?答 ニュージ(乳児)ランド。
問 トイレに咲く花は                   答 スイセン
問 モ一ゼの好きなお酒?                 答 水割り。
問 ビールにもあつくしたものがある。何というビール? 答 燗ピール。
問 飲むと感動する酒は?                 答 ジン。
問 笑いがとまらなくなる酒は?           答 エピスピール。
 ー面白くない?  それでは!
  (以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
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2819, 閑話小題
 2008年12月23日(火)
 *ジャストインタイム
トヨタのジャスト・イン・タイムこそ、派遣社員の存在理由だった。
それが現在の不況からみえてきた。ある評論家が言っていたことだが、
「必要な時に、必要なだけ、それ以外の在庫を持たない」
がジャスト・イン・タイムのシステム。
        (以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
 *巣籠りが、この正月のキーワードだと
新潟などの雪国では、冬季では当たり前のことだが、この金融恐慌で日本中が
巣籠りという。知人が「この正月、配達の寿司屋の予約が異常に多いらしい。
巣籠りを決め込むみたい」といっていた。
(以下字数の関係でカット2011年12月23日) 
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2007年12月23日(日)
 2454, 「ブログ」について
一年前にブログを2つ開設したが中途半端の状態にしていた。
しかし「ブログ」への移行への焦りがあったが、何かタイミングを待っていた。
ブログへの移行のキッカケは、第三者の悪戯だろうと思っていた。(作り上げた
特製のHPに対する愛着もあったが)そして「バード・ウォッチング」へ?
H系のサイトの書き込みがあった。丁度良いと腹をくくって、まずは、
それから移行することにした。問題は、どのサイトのブログを選ぶかである。 
(字数制限のためカット09年12月23日)
・・・・・・・
2006年12月23日(土)
 2090, 人生は生きるに値するか? 
『人生が生きるに値するかどうか』は、哲学上最大の問題になる。 
値しないとして自殺した作家も多々いる。思想家ではショーペンアウアーは
『生きるに値しない!』と言い切った。しかし彼は長寿であったが・・・!
ショーペンハウアーのように値しないというなら、生きているだけ無駄として
捨ててかかるしかない。「生きるに値しないからこそ、価値あるものへ転換する
ことが人生である!」という情熱が湧いてくるか?それぞれの考え方がある。
私の場合は、もちろん『生きるに値する』であるが、どうも世の中、そうでも
ない人が多くいる。 生きるに値するかどうかは、その人の生きかたであり
「生きる意味を求めていけば、人生は生きるに値するのは当然」。
意味=価値であるから「人生に意味をもとめること=人生に価値をもとめること」
になり、「求めよ、さらば与えられん」のとおりの価値が出てくる。
「よく働き、よく学び、よく遊ぶこと、そして常に‘一歩日常から外に出る時間
を持つこと’。この4つのそれぞれに価値を見出し、冷静に掘り下げていくこと」 
このことが「私の生きるの値する」。まあ、そんな難しいことを言わないでも、
「人生なんぞ『飯食て、糞して、死ぬだけ』じゃないか、 こんなもの!
生きるに値してもしなくとも、それが何ほどのもの。生前があり、生まれ、
そして生き、生前に戻るだけ、他に美味い酒を飲んで、上さんの顔を見て幸せと
思い、寝て、楽しい夢でもみて、仕事を楽しんで、人の価値など考えなければ、
それで最高ではないか!」でよいものを。 そこでだ、「お前さんの人生は生きる
に値した?」というと難しいから、「人生で元とった?」と近くの遊び人だった
不動産屋の親父(10年近く前に亡くなったが)に聞いたことがあった。
よくぞ聴いてくれたという顔をして(´ー`)y-~「とったとった十二分にとった!」
という返事。同じ質問を呆けて亡くなる前の母親に同じ頃に聞いたところ、
やはり「充分すぎるほどとりました!」との返事。「生きるに値するか」と、
「生きた元をとったか」は確かに違う! しかし、「生きるに値するか」の
質問よりも人生の価値を考える時に深い問いになる。 人生の元をとったか?は
ー充分人生を生きたか?と同じ。ショウペンハウアーは、人生は生きるに値しない
という嫌世家だが、その慰めは芸術で一時期でも紛らわせることができるとした。
このような難しい問題を気楽に扱うこと自体に問題がある。答えなどある訳がない
のも解っている。しかし、これは生涯自問自答していかなければならない問題。
しかし、あと三ヶ月の命と宣言され逃れようもない事態に追い込まれて
「貴方の人生、生きるに値したのですか?」と、あと一週間で間違いなく死ぬ人
に問われたら、真実どう思うだろうか?「  」しかないないだろ(^3)〜♪
《 生きる価値があるかって?「真剣に生きてきた事実の前にそんな愚問は質問
 に値しない!クソして寝ろ!この馬鹿野朗!!」というのが、私の現在の答え。
《本当か?本当にそんなことが、いえるのか? 》
《たいして真剣に生きてこない御前に相応しくない》
と、心奥の声が聞こえてくる!