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4年半前からはスポーツジムとiPad、6年前には電動アシスト自転車、
20年前からはパソコン、30年前からは海外パックツアーの、新たなシステムと
して生活習慣に取り入れた。それは私たちを、マシーン、場を含めた波動が
繋がる‘共愉’へと導いてくれる。‘飲み会’も、数多のシステムの一つ。
これをウィーンの哲学者・イバン・イリイチが「コンビビアル(convivial)
として使った言葉である。 〜ネット検索による説明から・・
◎《 コンビビアルな道具といえば、一言で言えば、「自由」を具体的に
「具体化」するための、たとえば、ハサミなど小物から、自転車、更には
システムも含む。彼が優れているのは、彼が優れているのは、これを
人間関係だけでなく、小物、システム、場に広げたこと。イリイチが
言いたいのは、道具を、媒体を介した峻厳関係である。意味合いとしては、
友愛もしくは歓喜も含まれており、「快楽」が含まれている。「禁欲」とは
意味合いが違っている。そして、ネット社会の浮かんでは消えていく接合と
分離において「コンビビアリティ」が見出されている。》 〜他にも〜
◎《 気心が知れた仲間同士が、和気あいあいと共に円卓を囲み愉しく飲み
食いして宴をしている様子を示す意味合いの日常語。思想家イワン・イリイチ
が説いたconvivialityは"共愉"と訳された。食べるの大好きだけど、一人では
美味しくない。会話があって味わえるもののほうが喜びが大きい。会話の中で、
波動というか周波数というか、そういうのを感じて、しかも互いの波動が合う
瞬間がたまにあります。"なにか"が生まれる瞬間。結論と行き着いた先は、
そのときは形になってない事や立派な成果物じゃないこともあるが、それまで
の間にお互いがお互いを引き出しあっている。会話は産婆術=educationの語源。
たまたまそこにある要素によって全然別の話ができあがったり、色んなものが
引き出されたり、偶然が重なって何か見えたり、狙ってなくてすごい笑える
発言が出たりします。なにかが生まれるまでの共愉が実は、妊娠する=concpet
の語源としているのです。そういえば一人で盛り上るはあんまり無いですよね。
日本フランス料理会におけるソースの名人 Chez Innoのシェフ、井上旭氏。
酔いながら語った中で聞いた言葉があります。「ワイン飲むってのは、
和飲なんです。和飲、是楽(ワイン、これたのし)。」 ワインを飲みながら、
間柄(和)が深まり、ワインを飲み愉しんだ時間を通じて、関係(和)が広がる。》
▼ 飲み会が楽しい理由は、気心が知れた者が共に卓を囲み‘共愉’することで、
「自由」を「具体化」するからである。前の会社で30年、年に4〜5回は宴会を
開いていた。それが陽気な面白い集まりで、社員や、取引先の遊びなれた
宴会部長と大騒ぎをするが、それは手馴れたもの。宴会の酒の失敗は殆どない?
SJのエアロも、国内外のパックツアーも、集団でこそ格安で、気楽に‘共愉’
出来るシステム。結果は、どうであれ、装置産業の利点の有余る時間の中で、
多くの‘共愉’と、今、思いついた逆語、‘独愉’を十分に味わってきた。
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2002/12/03
忘年会
開業の年から毎年行われている会社の名物が忘年会である。
昨夜がその忘年会であった。
社内中心の新年会もあったが6^7年前からは行われてない。
とにかく盛り上がる。大体50人前後が出席する。
若い女子社員を先頭に一次会では座敷ゲームが行われる。
そのゲームでとにかく酒を飲ませるのがミソの様だ。
そこで最高潮になる。
今年のように大不況でも盛り上がりは最高潮だ。
お客さんがだいたい7割を占めるが、ほとんど人が営業か
営業経験者の為、遊び上手でうまく盛り上げてくれる。
昨夜も最高潮に盛り上がった。
毎年その日にボーナスを出すので、社員も気持ちが盛り上がっている。
とにかく若い人のエネルギーがよい。
時代時代により色々な忘年会の思い出がある。
急性アルコールで入院した人もいる。
この忘年会で初めて年末の到来を実感する。
〜過去に書いた文章をコピーしておきます。
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H0905 宴会好き!
創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのがこの回数になった!
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけて
よく飲んだものだ。もともと私の父が宴会好きであった。
酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50〜60人の会を開いていた。
これが私の4〜5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。
今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位
だった。芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返して
いると思うと“三つ子魂”何やらである。
当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。
今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、
その上をあたかもサ−カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、
痴呆で亡くなった。
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2002/04/02
新入社員歓迎会
毎年この時期におこなわれ、非常に毎年盛り上がる。
当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、
歓迎会がさらに盛り上がる。
2〜3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。
お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。
まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。
その辺を調整しながら、盛り上げる。しかし面白いことこの上ない。
若い人のエネルギーを戴く感じである。若いということは、本当にいいこと。
とにかく明るい! 花が咲いたという例えがピッタシである。
それと時代に左右されている。彼等はとにかく携帯電話世代だ。
意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。
新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。
反面、孤独という一番大切な世界を知らない。
宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると
以前事実に近い事があったのではと、イメージが湧く。
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2005/08/12
1592, 幇間ー太鼓もち
幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの
宴会が開かれていた。そのため年末が子供ながら楽しみであった。
芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。
といって長岡あたりではプロの太鼓もちはいない。
近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。
通称「八木漬物屋のオヤジ」である。
彼がいないと場がしらけるほど存在感があった。
映画で観る幇間そのもので、芸者の三味線に合わせて色いろな芸があった。
それをキッカケに、他の人の芸が出てくる。家族や従業員・取引先など
50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。
幼稚園の頃から日本酒を判らないようにコッソリと飲んだ記憶がある。
幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。座敷に呼ばれて、芸者と
同じように旦那衆におべっかを使って機嫌をとるのが仕事である。
落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出して
いる技を持っている男芸者である。愛嬌があって、人から何か好かれる
魅力がなければならない。そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。
人間は誰でも、褒められ威張りたいものである。
太鼓もちは、その辺を熟知しており徹底的に自分を蔑みながらお客を持ち上げる。
これは余程の持って生まれた天性が無ければ勤まらない仕事である。
もう亡くなったが俳優の三木のり平の太鼓もちは絶品であった。
一度でよいから、この太鼓もちをやってみたいが、無理である。
営業のベテランは、その要素を経験から充分持っている人が多い。
話のキッカケは何か褒めることから始る。
それも自然に、いつの間にか持ち上げられてしまう。
現在、プロの太鼓もちは、ほぼ絶滅?
下町の旦那が余興で踊りなどを演じている位という。
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4948, 閑話小題 ー逸ノ城の太腿は92センチ
2014年10月01日(水)
* 逸ノ城の太腿は92センチ
どえらい新人が大相撲に入ってきた。白鵬が「俺より強い」といったとか、
双葉山以来の逸材とか。21歳で入門して5場所目の今場所で、一横綱・二大関
を敗った。白鵬まで敗れていたら不甲斐ない、というより大相撲の全面否定にも
なっていたところ。白鵬が何とか勝って面目を保ったが・・ 来場所と、
次の場所に12勝を上げると大関。そうすると、来年中の横綱もありうるが、そ
うは甘くない? 太腿が92センチもあるというから、
少し肥満気味の人の腰周りと同じ。それでいてバランスが取れている。
初の草牧のゲル育ちというが、こんな体格の男に日本人が敵う訳がない。
既に大相撲は蒙古勢に上位を多く占められ、次の大物二人が上がってきている。
面白いといえば面白いが・・ 問題は怪我!
* 人間は他人と同じになろうとして、自分の4分の3を失う
「人は他人と同じになろうとして、自分の4分の3を失ってしまう」は、
ショーペンハウアーの言葉。何世紀も農耕社会が主だった島国では、まず他人
と同じになることが生活の知恵。 だからこそ「和同の精神=和して同ぜず」
が必要になるのだが、人は自然に流れる。情報社会では、自分の好きな分野を
生かすことが可能になってきたが、反面、情報の大波の中で、最善と思われる
一部の情報に洗脳される傾向が強くなる。 他人と同じになろうとするのは、
自分の頭で考えないから。自分で考えを深めれば、自然、他と同じにならない。
それにしても、本当に考えな人が多い! 石ころが個性個性といっても、
所詮、集めてみれば砂利でしかない。それより、人と比較しないことだ!
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4581, 2050年の世界 ー11
2013年10月01日(火)
「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
〜英『エコノミスト』編集部 (著)
第十四章 経済とビジネス ーのまとめ
・一九五〇年代の統制資本主義の時代にはマイナーな理論とみられた
シュンペータの理論は、その後の現実の歴史によって、最も影響力のある
経済理論に押し上げらた。
・一九五六〜八一年までは、『フォーチュン』誌が選ぶ五〇〇社のリスト
のうち、年平均で二四社が脱落していた。 一九八二〜二〇〇六年には
脱落組が四〇社に増えいる。
・ことにインターネットの発明・普及によるグローバリゼーションは
シュンペータの言う創造的破壊のスピードを高めている。想像も
できない技術革新により、これまでのビジネスのやり方が陳腐化し、
固執していた企業は淘汰され、新企業が生まれる。
・製造業では、大量生産の方法が開発された一九二〇年代以来の、
大きな技術革新よってその現場は変貌をとげるであろう。可能性がある
ひとつの技術として 3D印刷技術があげられる。
・他にも、あらゆる物がネットと常時接続するようになり、そのネット
ワークがわたしたちの生活を変える。ロボットの技術革新によってこれまで
人間にできなかった作業ができるようになる。あるいは電子秘書の機能を
持つ自律型のソフトウェアができることで、仕事の効率化が起きるなど、
様々な技術革新による経済の変化が予想される。
・先進国にいちはやく追いつきたいという新興国経済の要求も様々な技術革新
を生むだろう。一気に九〇パーセントものコストを削減するような工程の
開発によって、先進国の商品市場もがらりと変わる。
・契約型の雇用者が、複数の企業にみずからの技能を売るようになるなど、
会社の形態もより複雑化する。
・様々な技術革新にともない、グローバル市場においては、知識階級に富が
偏在するようになり、労働者の勤務はグローバル化でより過酷化する。
・しかし総じて言えば、「資本家の功績というのは、女王にもっと絹の靴下
を供給することではなく、それを女子工員たちの手が届く場所に持ち込んだ
ことにある」とのシュンベーターの言葉どおりに、人々は創造的破壊の
荒波のなか恩恵を受ける。
▼ 工程といえば、隣家のプレハブ住宅工事。まず3〜4Mの杭打ち工事。
ビルや工場建設などの基礎工事を住宅に応用。ミニ杭の打ち込みから三週間、
一切の工事がなく、その後、床底の部分を小さな重機で二日間で掘り込み、
そこにプレハブの床と杭を結び始めた。ビル工事の小型版である。
パソコンを手の平に押し込んだスマートフォンの普及で、世界は創造的破壊で
大きく変化を始めた。「まさか、一番かたいビジネスと思っていた事業が、
この結果になるとは!」が、全てのビジネスで生じてくる。情報化は創造と
破壊のサイクルを短くするが、消費者にとってはプラスになる。
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4206, 閑話小題 ーキモカワキャラ
2012年10月01日(月)
* キモカワキャラ
TVで石破幹事長を評して「キモカワキャラ」と言っていた。
的確な一言フレーズを作るもの。顔はコワモテだが、一度話し始めると、
ソフトで、そのギャップが可愛らしく見える辺りを凝縮した言葉。
本人が聞いたら傷つくだろう。中年から熟年の何割かのベビーフェイス顔は、
この言葉に当てはまる。この言葉から連想できるのは、「キモバカキャラ」
「イモカワキャラ」「キモカマキャラ」「キモマジキャラ」「キモギャルキャラ」
などある。 角栄は、ギタギタしていて汚職の利権漁りのイメージが強いので
「キモギタキャラ」。 ネット社会のB層には、的確な「一言フレーズ」で
如何に発信するかだが、虐めに使われるから問題になる。
この一言フレーズで切り捨てられ、切り捨てるのが現代である。
* ギリシャ、イタリアは近未来の日本?
ギリシャ、スペイン、そしてイタリアで起こっている恐慌に近い事態は、
近将来の日本? 5〜6年先の日本の事態。南欧の近未来には、何かのキッカケ
で凄惨な国家破綻になる可能性がある。それでも、国民は国家に頼るしかなく、
急激な締めつけに反発、事態は悪化を辿る。それは日本も同じ。スペインの
25歳までの若年労働者の失業率が過半数を超えているというが、現に日本の
高卒、大卒の三分の一が正規社員の就職が出来ず、就職したとしても三年も
しないうちに三分の一は辞めてしまうため、若者の半分はフリーター状態。
将来の日本が思いやられる。60才以上が預金総額の6割を持ち、40才以下が、
その10分の1の6%しか預金がないため、消費は減る一方。適齢期の女性
の結婚相手の収入希望が6百万。そんな相手は少ないため未婚が増加している。
厳しい時代になった。互いに自己限界の設定をシビアにすればよいものを、
と思っても「たった一度の人生に誰かが何処かで待っている」という洗脳が
なされて抜け出せない。隣国に中国、韓国があり、競争相手は韓国男性、
中国女性になりつつある。2ランク上なら私なら考える。
* つれづれに
血圧が、毎日通っているスポーツジムにあるため計る習慣がついている。
毎日、大きくブレルため、高血圧かどうか戸惑っている。また運動する前と
後と、食事の直後では20は違ってくる。120〜160前半、平均すると
135で、高血圧かどうか微妙である。中高年の八割が高血圧というから、
一般からすれば平均だろう。 冬時期を除けば一日三時間も運動をして、
この数値。晩酌を減らせば、直ぐに下がるのは分かっているが・・
これも以前に書いたことだが、今、自然に頭に浮かぶことは、こんなこと。
・・・・・・・
3841, 閑話小題
2011年10月01日(土)
* まず、50冊の本を業者に送付
iPadなどのタブレットPCの普及と同時に、手持ちの本をデジタル化を
する動きが出てきている。本の裁断機と自動スキャン機を買って、手持ちの本
を一万冊をiPadに入力した人の「iPadバカ」という本をネットで購入し、
読んだが、その手間など自分には無理と諦めていた。ところが、最近、マスコミ
で、「スキャンの代行業者が出現、出版元や作家からクレーム」という報道を
知り調べたら、業者は溢れるほどあった。裁断機とスキャンを準備し、ネットで
誘導すれば誰でも何時でも参入可能。半月前に思い切って、まず50冊を選定し、
いざ業者に送ろうかとしたが、何かが引っかかって、箱につめたままにしていた。
ともかく50冊をと思い切って業者に送付した。一週間後には完成するが、
送ってしまった本は、二度と戻らない。それが正しい判断かどうかは、
一年後にならないと分からないこと。とはいえ本棚に並んでいても、それが
図書館にある本と、何処が違うのかというと、あまり違わないのも事実。
金を出して読んだ本は本気で読むから買うのである。本棚に置いておくのは、
それと時を共にした愛着と、再読するため。それがパソコンに入っただけと、
割り切ってしまえば良いだけだが・・ 考えあぐねて、とにもかくにも
送付することにした。
* つれづれに 一昨日は、中学校の同期会
中学校の同級会が開かれ出席してきたが、今年に入って二回目である。
出席は11名。この数年は、年に二回は開かれている。春から私の生活圏が
小さくなった分、それはそれで有難い。あいも変わらず女性は元気が良い。
帰ってみれば午前様。店は何処もガラガラで、よくやっていると老婆心が出る。
男5人の出席のうち、中小企業の社長は3人。背中の重しが取れた分、天使の
ように気持ちが軽くなった。そのため現役の人と接すると、何かエネルギー負け
を感じるのは仕方がない。プラマイ、ゼロ。一線で働くということは、それ自体
が歪みの増大になっていることに、最近になって気づいた次第。それが個性である。
ところで高校の同級会、去年も、今年も開かれてない。一昨年、私とMが幹事で、
恒例でその年の幹事が次の幹事を指名して持ちまわるシステムになっているが、
任命責任がないでない。この時期は、むしろ行われないほうが良い。
娑婆はシャバシャバか!