ー『自分を超える法』ピーター・セイジ著ー
* コピーライティングの基本
個人HPを14年5ヶ月、「はてな」ブログを開設をして8年になる。
ほぼ休むことなく続いてきたのは、マイナスの数倍のプラスを実感するため。
上京してまで、『資産防衛セミナー』に通った内容を大口借入れの銀行担当に
見られ?、貸剥しされそうになったり、ビュアーの悪意の視線を実感しても、
それも大事な視線と割切り続けてきた。その内容を後から読み返すと、自分の
枠が、クッキリと見えてくる。そして、「だから何だ?」「なぜ拘る?」
「遠くから見れば所詮、砂利の石ころ!」と、我を振り返る。
〜その辺りから〜
≪・「文字離れの時代」など言われることもありますが、とんでもない!
今日ほど、メール・ブログ・FaseBook・メールマガジン・HPなどで、
文字を読んだり書いたりする時間が長くなっている時代は、ありません。
つまり、もはや、すべての人にとって「コピーライティング(文章を書くこと)」
は、最重要の項目であり、「成功に欠かせない要因」となっている
☆ コピーライティングの基本ポイント14
1.ポジティブに
2.相手にしてほしいことを伝える
3.特定の人に向けて書く
4.サービスを提供し、リスクを回避する
5.より多くを語るほど、より多く売れる
6.自慢しない
7.見出しの目的は、興味のある人々を見極めること
8.好奇心を誘う
9.具体的に
10.あなたのストーリーをすべて話す
11.写真を賢く使う
12.商品(文章)は最良のセールスパーソンである
13.テストで証明する
14.効果が出ている文章は変えてはいけない
――
・あなたがよいコピーを書きたいのであれば、自分の広告を読み直し、
書き手ではなく、「読み手として自分自身に次の3つを問いかけること」。
●【1】 だから何なの?
●【2】 そんなこと、どうでもいいでしょう?
●【3】 私にどういう関係があるの?
・「1年で1億稼げる」より「1週間に192万円稼げる」と表現する
広告における一番の問題は「信頼性」です。
・「ベネフィット」を明確にすると、よい反応が得られる(中略)
「このノートパソコンは12インチと、小さいサイズだ」というのは特徴で、
ベネフィットは、特徴のあとに「だから、……」をつけたときに出てくるもの
を指します。つまち、「だから、このノートパソコンは、カバンに入りやすく、
持ち運びしやすい」というのがベネフィット(利益)です。
・成功者のコピー(真似)をしたいという人は成功者をコピーをしたい
のではなく、成功者が得ている結果をコピーしたいだけなのです。
あなたは、「誰かになる」必要はありません
・人の行動を起こすスキルは、もっとも高い報酬がもらえるスキルです
▼ 昨年の秋に、日野啓三著『創造する心ー書くことの秘儀』の感想文を
書いていた(下にコピー)。 学生時代の日記を読み返すにつけ、書き残す
価値、意味を考えさせられる。それが人生の境目であれば、そこに存在して
いた自分の心が、そのまま焼きついている。もっともっと、書き残しておけば
良かったが、後の祭り。その点で、ブログは重要な働きがある。
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2005年11月03日(木)
1675, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−1
−読書日記
「創造する心 日野啓三対談集」につづいて、図書館から
日野啓三著「自薦エッセイ集 魂の光景」を借りてきた。
読めば読むほど、日野啓三の深い洞察に驚きざるを得ない。
数年前に亡くなったが、1990年代、60歳代に入ってから大きな
手術をし、死と向き合うことによって、一段と深い所に達したようだ。
心の奥底に、先祖たちの、生物のあらゆる記憶の存在を感じている。
神秘思想に非常に近いところにいる。 しかし同時に心の奥底に、
神秘思想のところがありながら、「意識は脳の働きである」という
意識を明確に持ったまま、心の奥深い世界を描写している。
印象に深い章から抜粋しながら考えてみる。
ー「書くことの秘儀」ー
”小説を書くってことは、なにひとつ実在しないところから、
リアリティを生み出すことだ、”
”だが死は恐怖であると同時に、生をより自覚的に劇的に物語的に、
悲壮の輝かしく喜ばしいものと痛感させる条件ではなかっただろうか。
死者を弔い。祖霊、神霊への祈り、祭り。
それに伴う様々な建築物、道具、装備品の洗練。 歌と壁画。
食って寝て性交をして子供を育てる以上の膨大な事柄が、
われわれの生を満たすようになったのだ、意識と言葉の進化によって。
一口に言語といっても、他人とのコミュニケーションのための話し言葉と、
ひとり物思い思考しその過程と結論を刻みつける書き言葉とは、
ほとんど異質なものである。 新人を、その抽象的・象徴的能力を
特徴づけるのは、書き言葉とその洗練である。
”「書くことは、話し言葉の領域とは違う領域からやってくる」
「当人は口をきかない、別の人格の言葉なのだ」
本当に、このことはとても微妙で重要だ。
<「別の人格」とは何のことか>ユングは「神話的元型」といった。
インディアンの祈祷師マツゥスは「沈黙の知」といった。”
”自分自身の言葉で自分自身の想念、思考、予感、物語を書く人は、
よく知っているはずだ―文章を書き進んで自然にふしぎな加速度がついて、
自分の内部がどんどんめくれ上がって、何者かに乗り移られたような状態に
なる瞬間があることを。 以後、自分はいわば巫女のように、自動筆記機械
のように、その正体不明の何者かの、言葉以前の暗い想念のエネルギーの
ゆらぎを言葉に翻訳するような具合になることを。”
”少し落ち着いて考えてみれば、”自分の言葉”などないのだ。何万何十
万年の間に数え切れぬ人々の体験と感情と思考が折り重なり、まといつき、
溶けてはまた固まってでき上がってきた言葉の連なりのシステムがある。
ただしとても曖昧で重層的なシステムだ。”
”より自分に近く言葉を使う人の方が、もの言わぬ「別の人格」あるいは
「沈黙の知」に、つまり自分を超える何者かに近づき触れることができる。
心ならずも近き触れて、その無言者の代弁ないし通訳になってしまう。”
”自覚的に書く人―書く前からわかっていることを他人に伝えるためにではなく、
書くことによって自分の奥の、あるいは夜の果ての何かを呼び出して、自分を、
世界を少しでも意識化しようとして書く人、すなわち職業的にではなく運命的に
”書く人”である人=作家にとって、書くという事態はそういうことである。
神秘的とまで言わないにしても、逆説的、背理的な異様なことである。
彼あるいは彼女を駆立て支えるものは、そのように<自分のために書くことが
(特定の読者層に向かって書く作家より)、より普遍的な声に至るであろう>
という信念というより信仰に近いものだ。”
”少なくとも結果の保証のない賭け。
賭け金は自分でもよく分からない自分の生涯の体験の闇の奥行と自己判定
不能の才能。確実に失われるのは、保証された人生の幾つもの現実、
その安定と安心。”
ー
読んでいるといつの間にか、深い心の底に導かれてしまっている。
[深いことを書くこと]は、読者を深いところに導くことになる。
・・・・・・・
2004年11月03日(水)
1310, 23歳の日記−3
ー卒業式の思い出ー
大学の卒業式の写真が数枚残っているが、その前後の事や詳細の記憶は
殆ど無かった。ところが、この日記で当日の記憶が鮮明に蘇ってきた。
最終の学校の卒業は、人生の大きな境い目であるその記念日の記憶は、
大事なことと読んでいて実感する、それも年齢を重ねれば重ねるほど。
幼稚園、小学校、中学校、高校とその日のことは憶えている。
その日の父親の気持ちが、今あらためて振り返ってみると少しは
解かってくる。写真も大事だが、気持ちの記録はもっと大事である。
それにもっと早く気がついていれば、日記を書き続けておくべきだった。
読み返していて感じることは、
「若いということは、若いというだけで光り輝いている」ことだ。
不安定で、歪がまだあっても、あらゆる可能性があるのが若い時の特徴。
それが悩みになるが、その悩むということがよいのだ。
それも振り返ってみて初めて気がつく。
ー1969年 3月24日ー
卒業式に出席する為に、8時半起床、10時半に四日市から東京に向け出発。
15時前に東京駅に到着する。大学時代の友人の川崎に電話を入れる。
一科目、追試が残っていて、それが及第しないと卒業できないのだが、
大丈夫だった。絶対に大丈夫と思っていたが、本当に良かった。
万一の時は、就職もオジャンになってしまう。 その足で、寮に行く。
佐藤君は居なかったが、残してあった荷物は娯楽室にあった。その荷物を
持って、千葉の検見川にある(三番目の姉)優子さんの家に泊めてもらう
ために向かう。父が私の卒業式の為、来ている。何か父も嬉しそうだ。
恐らく、最後の子供を無事卒業させたという安堵感だろう。
父に言ってはならないことをズケズケといってしまった。
「このままの仕事では、必ず淘汰されるのでは!」とか。父は何か
悲しそうな顔をした。本当に何をやっているのか、自分を怒鳴りつけたい。
それも自分の卒業式にわざわざ出てきてくれたのに。
「親父よ、私はまだまだ未熟なのだ。ご免なさい!」本当に恥ずかしい。
ー3月25日ー
7時半に起床。
今日は卒業式だ。8時過ぎに近くに住んでいる(4女)姉の礼子さんがくる。
父と私に会う為だ。私は寮に行かなくてはならないので、父より一歩先に
家を出る。寮で大家の奥さんに挨拶をする。
丁度その時、佐藤君とバッタリ会う。
最後の握手をする。初めは親しかったが、途中から行き違いが出た。
しかし、気持を何時も通じていた。良い寮での同僚であった。
佐藤よ、ありがとう。これで壊れた関係を元に戻せたようだ。
これで恐らく会うこともないと思うが、良い友人に恵まれた。
さて、その後父と待ち合わせて、大学に行く。
これが本当に、本当に最後の最後の行事になってしまった。
まずは深井に会う。新橋しのだ寿司の御曹司で、無神経だったが
何ともいえない暖かさがあった。彼も興奮気味であった。
その後、武澤先生に会う。父を紹介した後、父ともども記念写真を撮る。
武澤先生には、言いたいだけいい、その結論を出さずしまいであった。
その後、河村、外山、石川、奥野、兼古、広瀬、皆が居た。
本当に最後ということで涙を浮かべて最後の握手をする。
彼らとも、もう二度と会えないのだろう。 思い出の深い校庭である。
ここが日本かと思われるような何ともいえないアメリカ的な雰囲気があった。
父が、私のところに多くの友人が次々挨拶に来るので唖然としてみている。
父は何か取り残されているようだった。しかし、それより全ての友人に
挨拶をする方が先である。卒業式は、一人一人が壇上に上がって,
総長から直接卒業証書を手渡された。その後、全員で校歌を歌い無事終了。
そして、学食に集まり、ビールで乾杯をして、コップを床に叩きつける。
これで学生時代とお別れという儀式である。
そして学校を後にする。ところが面白い現象がおきた。
ふと見ると、歩いているのが、入学当時のグループの兼古と奥野と
広瀬の4人なのだ。最後はそこに収まったということだ。
兼古は千葉の方向ということで、駅前の喫茶サルビアで思い出話と、
今後の人生について話し合う。そして電車で千葉の検見川まで一緒に
帰ってくる。これで、完全に学生時代は終わってしまった。
良い学生時代であった。そして、良い卒業式であった。
これだけ、素晴らしい!と思えるというのは、一生の宝になる。
明日から再び現実が待っている。
・・・・・・
4937,閑話小題 ー娑婆は苦しいと思うが・・・
2014年09月20日(土)
* つれづれに 〜厳しさを増す娑婆
土地を含めた2億の資本で創業、30数億の箱物事業を楽しめた実感がある
ため、それぞれを立ち上げ、軌道に乗せた段階で元を取っていた実感がある。
これは、実際に経験しないと、理解できないだろうが。
『それにしても面白かった!』という感覚は、後味を良くする。
それと、「立つ鳥、後を濁さず」もある。傍から見れば濁していたのだろう。
最初の依頼時に「綺麗に事業を終えたい」に対し、弁護士が言ったのが、
「綺麗汚いは有得ない。あるのは、良い倒産、悪い倒産だけ!」終えて振返ると、
まさに、そのとおり。 前もって最悪の事態に整えていれば、目先は好調だが、
備えのない事業体より、遥かに良いと思うが?危機管理のある中小は、私の知る
限りで一割もないのでは。今さら遅いとしても、『事前の一策は、事後の
100策より勝る』で、やれることは、しておくべきでないか。ここで、
円安になってきたのは、日本の政治体制の甘さが表立ってきた要因もある。
更なる消費税2%アップが、消費低迷で、怪しくなってきた。以前の事業で、
この3%の消費税アップと、灯油等の値上りは、厳しいはず。会社も、家庭も、
支出を更に絞めてくるためだ。アベノミクスで、公共事業は潤っているようだが、
この不況下、甘い仕事は少なくなっている。この三年半の間、経営に疎い家内の
口癖は「事業を早々、断念して良かった!」。SC内の店の転廃業や、スーパー
の店頭に値動きから、その厳しさが分かるという。分かった
ようなことを書いているが、実際、ソフトランディング出来たのは、紙一重。
事業など、まして創業など、すべきでない!
『元手の2億を地道に5億にするより、30数億に膨らまして楽しみ、使い
果した人生も悪くない』と、独り嘯いている私も、バカそのもの・・ そう思う
しかないし、その甘塩っぱい感覚の日々。箱物事業には、有余ったオマケ(時間)
があった! そのオマケを最大限に楽しんだ収穫が、『ま、これでもいいか!』。
・・・・・・
4570, 変えてみよう! 記憶とのつきあいかた ー5
2013年09月20日(金)
* 万能薬としての「語り直し」
『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』高橋 雅延(著)
実際に、その立場にならないと見えてこないことが殆どである。だから、
上に立つものほど多くの経験を要する。一線から退いてみて、事業目線から
みた社会と、そのバイアスから解き放されてみえてくる社会とは大違い。
人それぞれが自分に都合の良い物語を作っている。「盗人にも三分の理」と、
最初から見切ればよい。「記憶は嘘をつく」というが、元々、記憶する
以前の事象を都合良く解釈している。その記憶を変えるためには、語り直しを
するしかない。早稲田二部(夜間)があった学生時代に、寮の隣部屋の友人に
彼女が出来たところ、急にアルバイトを始めて苦学生に変身したのである。
彼女に二部在学の言い訳のため、これも、語り直し? まずはー次の箇所から
≪ 自分が親になって初めて親の苦労がわかるとか、教える立場になって
初めて教える者の大変さがわかる、などと言われることがある。どちらも、
親となり教える立場にいる私自身にとっては、心の底から納得できることだ。
つまり、その人の立ち位置によつて、同じできごとでもちがって解釈できる
のである。そのため、過去のどんなできごとも、必ずちがってみることが
できることを、肝に銘じておくことが必要だ。その上で、ある過去のできごと
について、その意味づけを変えるためには、そのできごとを、それまでとは
違うことばで語り直さなければならない。世間には「時間が癒す」という
言いまわしがある。そこで、見過ごされがちなことだが、「時間が癒す」のは、
単に時間が過ぎ去るからではない。時間が過ぎ去る間に、人はそのできごと
について何度も考え、悩み、さらには新しいことをする。このことによって、
元のできごとの意味づけ、語りかたが変わるからなのだ。 私は、くも膜下
出血で倒れる二年前に、アキレス腱断裂により、ニカ月間、松葉杖の生活を
送ったことがある。どこに行くにも、何をするにも、苦労ばかりの辛い日々。
しかし同時に、あのとき数々の苦労を重ねる中で、障害をもつ人の気持ちが
少しは実感できた。その意味で、後からは「よい経験だった」と語り直している。
もちろん、くも膜下出血の体験も同じだ。あのできごとがなければ、
それ以前の私と同じように、命や人生について深く考えることもなく、
生きていただろう。そう思うことで、今となっては「あの体験こそ、自分に
とってかけがえない宝物だ」と、胸を張って語り直すことができる。
最後に、フランシス・マクナブという臨床心理学者の言葉を引用しておく。
できれば、何度も繰返し味わってほしい。「記憶をつくり変えたり、それを
遠ざけたりするのは無理なことである。 略)…しかし、つねに私たちは、
自分の苦悩、自分自身の内的経験、自分自身の精神の経過を処理しているわけ
である。それは過去とよばれる客観体ではなく、現在とよばれる主観的経験。
変える必要があるのは、誰か他の人間ではない。最も大きく影響されるのは、
私たち自身。記憶をぬぐい去ることはできないが、記憶の有りようを変える
ことは可能であることを、私たちは知っている。」 》
▼ 私も色いろあって、思いもよらない結果、オセロの白が、全て黒になった
ようなもの。そこで現在、過去の要素を元に物語を語り直しを独りしてきた。
これこそ、「日々是好日」から、「ヒビ、これ口実」の辻褄合わせ。
その辺りの自分の心の浅ましさがいじましい。それも、自覚をしていれば
良いが、全く自覚なしでやるのが人間。
・・・・・・
4195, 呪いの時代 ー12
2012年09月20日(木)
* 「片づかなさ」の人間性
ー第8章 これからを生き延びる智恵
贈物を貰った場合、何かを返さない限り気持ちの中に、「片づかなさ」が残る。
これが人間社会とサル社会との差。私はビジネスの場面で、それを徹底して
カットしてきたが、私的場面でも何時の間に持ち込んでいたようだ。
これが、つくづく間違いだったと反省していること。結局、人との付き合いは
贈り贈られで成り立っている。 それにしても「贈り物」とそれに対する
「反対給付(お返し)」が、人間たる由縁とは。以下は ーその辺の抜粋ー
≪ 人類学者マルセル・モースはその著書『贈与論』のなかで、贈与論の主題
を端的にこうまとめています。「受け取った贈り物に対して、その返礼を
義務づける法的経済的規則は何であるか。贈られた物に潜むどんな力が、受け
取った人にその返礼をさせるのか」 モースも、マリノフスキーも、
レヴィ=ストロースも、「贈り物」とそれに対する「反対給付」が人間集団を
形成する本質的なカだとみなしている点では共通しています。贈り物をされると
「お返し」をしないと気持ちが片づかない。人間性とは、すべての装飾を剥ぎ
取って言えば「贈り物をもらうと、お返しをしないと『悪いこと』が起きそうな
気がする」という「負積感」のこと。いや、ほんとに。だから、この「負債感」
を持たないものは人間ではない。そう言い切っていいと思います。
「贈り物」というと、僕たちはふつうお中元お歳暮のようなかたちのあるもの、
価値のあるもの、実用性のあるものを思い浮かべます。でも贈り物はそれには
尽くされません。というか、贈り物というのは「価値あるもの」を贈ることでは
ないからです。そうではなくて、「これは贈り物だ」と思った人がそう思った
瞬間に価値は生成する。そういうふうに順逆の狂ったかたちで贈与という
儀礼はつくられる。例えば、挨拶というのはある種の贈り物。
「おはよう」と誰かに呼びかけられる。僕たちはそれを聴くとこちらも
「おはよう」と言わなければならないという強い返礼義務を感じます。
負債感と言ってもいい。同じ言葉を返さないと気持ちが片づかない。
挨拶した方もそうです。挨拶したけど返礼がないということになると、気持ち
が片づかない。片づかないどころか、心に傷を負います。どうしてでしょう。
たしかに、「おはよう」というのは「今日一日があなたにとってよき日で
ありますように」という『予祝』の意味をもつ言葉です。 ≫
▼ 家のインコ、餌を与えると、取って置きの「枝の連続回転芸」をする。
それも食べている合間に思いついたように挟んで芸をする。これも餌という
贈り物に対する「お返し」に思えるが、動物的直感ということか。朝の恒例の
サイクリングで、すれ違いざまに「おはようございます」と言われ、返事を、
しそこなった後に残る気まずさは、何時までも残る。与えるは、アンドという
意味がある。与え与えられることで、アンドという結びつきが積重なっていく。
「負債感」が少ない人が、あまりに多いが、自分はどうだろう。
・・・・・
3830, 毒を溜めない! 日々
2011年09月20日(火)
30年前から腰痛対策のため早朝のウォーキングを始め、20年前からは
平日一時間、日祭日二時間を目標にしていた。しかし二年前に、電動アシスト
自転車に切り替え、信濃川の長岡大橋〜大手大橋一周に切り替えた。続けて
いると自分の全身から毒素が抜けていくのが実感できる。たまに休んだ翌日に
歩いた後、二日分の毒素が抜けたの分かる。その毒は活性酸素だろう。
近年、肉体的に毒素を体内に入れない、溜めないことを目指す女性誌で
馴染みになっている「デトックス」がある。
そこで、ー「デトックス」をネット辞書でみるとー
【 デトックスは「解毒」や「浄化」という意味で、人間の体内にたまった
重金属や、余分なミネラルなどを取り除く健康法。体調がよくなる、肌が
若返る、生活習慣病の予防となる、などの効果があるといわれている。
従来の健康法はサプリメントなどによって足りない栄養素を補うという足し算
方式だったが、これは余分なものを取り除く引き算方式。人間の体内には、
食品や水道水などを通じて鉛やアルミニウム、ヒ素などが細胞のタンパク質
などとくっついて蓄積されており、これらはわずかな量でも体に悪影響を及ぼす
ことが、最近の研究でわかっている。脂肪を分解する酵素の働きを妨げるため、
ダイエットがしにくくなることも指摘されており、これらを体内にためない
ためには、効率よく排出する食事に心がける必要があるという。
ゴボウやコンニャクなどに含まれる食物繊維は、余分なミネラルが体内に取り
込まれるのを防ぐ働きがある。タマネギやリンゴ、コリアンダー、ニラ、
ニンニクなどは、重金属をとらえて体外に排出する。】
▼ 早朝の運動で体内に溜まった毒素を出すと、ストレスの半分は軽減する。
それとは別に肉体に溜まった重金属や、余分なミネラルを取り除くことも
大事なことも分かる。白砂糖と缶コーヒーは毒と聞いていたので、この10数
年間は殆ど口にいれてない。それからして缶ビールも良くないはず。
半年前の転換期から一番気をつけたのが、ストレスによる精神的毒素。
一つ間違えば命取り。その為に運動量を二倍と考えて、「スポーツジム」
通いで、二時間の運動をプラスすることにした。週二日のジムの休みは、
市営の施設内のジムに通い、休みは月1〜2回にしている。
毒は精神統合失調症とか、ガン、糖尿、女性はリュウマチを誘発する。
さらに毒は老化と病を前倒しにする。 スポーツジムの八割は、未病より、
既病の人の方が多い。むしろレジャーランドと割り切って、未病対策で来た
ほうがよいようだ。 人は自分では気づかない毒が精神も肉体も歪めている。
ストレッチを続けていると、つくづく腰の(全身の重圧で)歪みが分かる。
老化は足腰から弱るようだ。 歳をとるにつれ全身が黒ずんでくるが、
これ老化? 既に毒の塊?