〜ニーチェ「超」入門〜白取春彦
    * 本能こそ命の力だ
 学生時代に、「理性とは、本能を抑えることでなく、逆に活かし、
コントロールすることだ」という言葉に驚いたことがある。
「本能こそ命の力だ」こそ、ニーチェの一番言いたかったことだろう。
「良く遊び、良く学び、良く働く」を、本能に従ってなせ、ということ。
   〜その辺りから抜粋(p120)
≪ ・本能は動物的なものであり、人間的なものから遠いという。
 本能は理性よりもはるかに下にあるものだという。
 高度な文化生活にそぐわないものだという。
 本能のままに生きるのはよくないものだという。
 本能をおとしめたのはキリスト教ではなく、キリスト教の神学だ。
 かたよりのない哲学的思考に未熟であった神学者たちは、
 欲望のままに生きることと本能の働きを取り違えてきた。
・欲望こそ、本能とはまったく関係のないものだ。
 欲望とは、自分の嗜好に合わせて選んだうえで手に入れようとすることだ。
 本能は、欲望せずに、欲求する。欲求は生命維持のために働く力だ。
 だから、喉が渇いてたまらない場合、欲望はどうしても炭酸飲料を飲みたい
 と強く求める。あくまで好みで選択するのだ。
・その一方で、本能の働きである欲求は、とにかく水分なら何でもかまわない
 と求める。泥水でも、小便でもいいから、喉をうるおしたいと求めるのだ。
 本能は純粋なのだ。命をつなぐためにのみ人を根底から動かしているものだ。
 二ーチェはこのことをよく知っていて、本能こそ人間の最大の理性だとした。
 その表現だけでは一種の反語に聞こえるが、真実そのままの表現なのだ。
・セックスもまた本能が要求するものだ。
 キリスト教神学では、性交は子供をさずかるためのものだから快感を求める
 べきではない、とした。しかし、快感の喜びがあるからこそ、射精と受精が
 可能になるのだ。そしてまた、そういう行為を愛し合うことだと名づけるのは
 ごまかしではない。本能も含めて全身で愛し合うからこそ、人間は生命を
 維持し、今までつないでこられたのだ。それが本来の人間的な喜びでなくて
 何であろう。
・人が反射的に危険や死を避けるのも本能の働きだ。ふと身をかわしたり、
 頭を守ったりする。それは知や理性によって習得されたものではない。
 本能が働いたための重要な動作だ。道徳というものが導く価値判断においても
 そうだ。道徳の価値判断が隠し持っているのは、こっちの選択や行為のほうが
 人間社会にとって有利という功利性だ。そこに、理由や根拠がある。・・(略) 
・実は、現代人を苦しめているものの多くは知や理性というものの無駄な働き。
 頭を働かせるほどに悩みは深くなる。想像、予想、記憶が私たちを苦しめる。
 これこれすればどうなる、あれをしたからこうなった。どうやれば上手くいくか。
 これから何をすべきか。こういった頭の働きがわたしたちの悩みをいくらでも
 発芽させているのだ。それよりも、もっと素直に、本能を尊重して今を生きる
 べきではないのか。苦しみも楽しみもすべて受けとめて満足しているのが、
 本来の生き方ではないだろうか。それはかつての英雄とか支配者の堂々とした
 生き方だったのだ。・・ ≫
▼ 情報化社会は、本能の働きを強くも、弱くもする。情報の「情」の働きが、
 薄くなり、それが本能を弱めている。かって人間の本能を、空を飛びかう
蛇として「龍」を想像上つくり上げた。土着の蛇が天空を飛びかう力を内なる
本能として、イメージとしてつくりあげた。それが、世界中の行き来のない
ところで、独立して自然発生的に作られたところが、不思議といえば不思議。
私の、一匹の蚊の中に、40億年の生命の歴史が入っている。
それを引継いでいるのが、本能なら、「本能こそ命の力」は当然のこと。
それを中庸し、コントロールするのが欧米ではアッラー、東洋では「世間様」。
・・・・・・
4900,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー47
2014年08月14日(木)
  * マイホーム購入ローンの落し穴からから見えたホテル倒産原因!
 3千万円の住宅で、純資産(自己資本)5百万の場合、2千5百万が銀行
ローンになる。バランスシートの右側の資金欄からみると、契約をした瞬間、
自己資本の5百万が消滅する現実を殆どの人は自覚してない。住宅メーカーの
利益分の上乗せてあるのが消えるだけで、元もと、その価値でしかない。 
その程度ならマシで、もっと損をしているケースが殆どと見てよい。
要は、買った瞬間に、新規住宅は‘中古住宅’になり、市場的には当然、
3〜5割引になって当然である。22年間のっていた、ソアラが、そうである。
中古車フェアの目玉で、入口近くに展示していたのを衝動買いをしたが、
二千キロ乗っていたが、親とのトラブルで返品されたもの。値段は三分の二以下。  
その上に、デフレなら、年々の値下がり額がローンの支払い額を大きく上回る。
バブル崩壊時期に、それが日本中に多くの悲劇をもたらした。資産の急激な減少
に対し、返済の負債の減少額が追いつかず、資産バランスが崩れてしまい、
資産のすべてを売っても借金を返せない事態になる。 
 私の事業の最期では、ホテル債権資産売却後の残債が20%も残った。
30億の投資が、僅か4億円の売却額である。その間に、20億の返済は済んで
いたのに、である。元もと、その中の6億がゼネコン・シンジケートの撥ねられ、
あとは、金利と、実態とかけ離れた税制の矛盾などもある。最期の年度前まで、
全ての年度が営業黒字で、この結果である。更に激しい資産デフレとくれば・・
これからしても、10年〜15年目での事業転売こそが、正しかったことになる。
 住宅ローンに話が戻るが、「30年近くローンを払い続けて、完済。
定年になって残るのは、上物は査定ゼロのボロ家(廃棄だけで200万は掛かる
)と、土地。 そこで、「私の人生は何だった?」と、唖然とする。
「だったら、新しい貸家を渡り歩いた方が、遥かに良かった」という思いになる。
これが比較的恵まれていた中産階級としたら、大不況になるのは当然。
これがデフレの恐ろしさ! 住宅メーカーは、『家賃分の支払いを、そのまま、
住宅ローンに転用すれば』の甘言で勧誘するが、実は、大きな落し穴があること
に気づかない。逆に、ハイパーインフレの場合、それは逆に働くため、この見方は
一概に正しいとは、言えない。この上に、資産デフレと、物価デフレが直撃をし、
この有様になった我が身だが、今さら後悔も何もない! ポートフォリオ
考え方を、資産だけでなく、夫婦間にも取入れておくのが長期投資のポイント。
たとえば、「土地は妻名義、建物は夫名義」とか、まあ、離婚もありうるから、
その方が危険? で、失業や転職などで住宅ローンを支払えなくなった場合? 
ローンの返済をストップをして、一度、不良債権にすると、競売にかかる直前に、
半値か、半値八掛の値で、交渉が必ず来る。そこで、子供か親戚などに買って
もらえばよい。それで借財が半分以下になる。私の抵当に入っていた住宅は、
家内に、買って貰ったが、今では居候の身。 割切れば、娑婆は面白い!
・・・・・・
4533, 閑話小題 ー花火が途中で中止、残った花火はどうなる?
2013年08月14日(水)
   * 花火が途中で中止、残った花火はどうなる?
 「隅田川花火大会」が7月27日にあり、2020年の東京五輪招致を祈願
してオリンピックをイメージした花火などが打ち上げられたが、雷雨のため開始
から約30分後に中止になった。同大会が中止となったのは初めて。三分一も
上げないうちに中止ということで、貧乏人の私たちは気になるところ。
その疑問を朝日新聞で取り上げていた。隅田川の花火の場合、保険が80万円が
かけてあり、実損はない。 筒に花火を入れて置くため雨で湿気てしまい再利用
は不可能。化学薬品で処理した後に水で流すという。隅田川の場合、6千数百万
の実損は保険屋が受ける。火師も当日は冷ひやだろう。
   * お盆か〜
 お盆については毎年のように書いているが、早朝の三つのお寺の墓参りと、
夕方の改めて家内との菩提寺への墓参り。盆・暮の実家帰りの大移動も日本の
風物になっている。中国も旧正月前後の40日間で延べ31億人が鉄道、バス、
飛行機などの交通機関を利用するそうだ。日本も時代は変わって、墓参りも
以前ほど重きをおかなくなってきている。私など、仏間の一角にパソコンデスク
を置いて、一日4時間以上もいるので、今さら墓参りの必要もない。墓参りを
何故するか?の哲学的質問に、「故人を偲ぶとき、他に行くところが無いため」
というのがある。実家に仏壇があり、盆暮は昔からの長期休暇で帰省も東洋的。 
寺への挨拶も、家族形態が家から個人に重心が移っており、以前ほどの重さが
なくなった。時間的には一年の3分2だが、気持ちの上では折り返しになる。
我家は、正月には一家が集まるが、盆は兄夫婦がくるだけ。年寄のレジャーの
趣むきということか。その中で、寺院経営も年々、厳しさを増しているだろう。
私自身、このHPが墓とみなし、死後の墓参りより生存中の墓参りをしてもらって
いるので、今さらお盆という気持ちが強い。しかし、先祖供養も必要である。
・・・・・・
4158, 閑話小題 ーアイスキャンディー
2012年08月14日(火)
    * 今日は御盆二日目
 先日から御盆のため民族大移動が国内外に向け始まった。
13日は早朝、三つの寺、夜は菩提寺に二度目の墓参り。盆暮れは日本特有の
恒例の里帰りも良い風習である。不景気で世相が暗くなるほど、こういう行事は
大事にされる。しかし家族主義から個人主義へと考え方が変わる中で、こういう
風習も廃れるのは避けられない。 ところで墓とは何だろうか? 
多宗教の日本人にとっての心の拠りどころ。最後は、あそこに入るという共同
幻想があり、祖先の霊が眠っていてイメージがある。私は自分のHPを墓場と
みたて、死んだ後より生前供養に毎日来てもらうイメージがある。
ところで百年、二百年先には、家の墓が残っているかというと、旧家意外は、
ほとんど残っていない。本家の墓があるが、一人息子は独身で、やはり百年? 
昨日も、両親に因縁があった無縁墓に花一輪をたてお参りをしてきたが、
これも百年。ところで御盆の13日の早朝、オリンピックの閉会式のためか
人も疎ら。こんなことは初めてである。閉会式の方が優先ということ。
お寺も不況業種の典型である。
* アイスキャンディー
 子供の頃、街中の「行楽」というラーメン屋のアイスキャンディが夏の名物で、
アズキアイスとミルクアイスの二種類があった。今は店も無くなり、私が知る
限り一軒だけ昔のスタイルのキャンディ屋が残っている。10年位前になるが、
たまたま、熱暑の中、雁木通りを歩いていて見つけ、10本買って帰ったことが
あった。 ところで一昨日、近くのスポーツジムの帰りにスーパーに寄った
ところ、オバサンが美味しそうにキャンディーを頬張りながら出てきた。 
買物を終え出口近くに行くと、サービスカウンターでキャンディーを売っていた。
オバサンを見なければ見逃していたが、5本買って家に帰って食べてみたが、
思ったより小ぶりで味は今イチ。それにしても、子供の頃に食べた行楽の
アイスキャンディーは美味しかった!
・・・・・・
3793, スポーツジムの景色 −3
2011年08月14日(日)
 4ヶ月でのジムの運動効果はどうか?というと、体重は元もと早朝の
ウォーキングと、サイクリングの効果で、適正体重を20年以上は保っていた。
そのため、減増はないが、頬の弛みは無くなり体調は非常によい。二年前に
3〜4年に一度の重い腰痛になってから、色々の腰痛対策の工夫をしたプラス
効果は出ていた。 しかし4月からの午前中のサイクリングを含めた三時間の
運動は、これまでの足腰の関節を鍛えなおすに効果的。この数年来、足腰の
関節が固まった感じが、このジム通いで半分はとれたようだ。 あと4ヶ月後
の年内には、さらに一絞りした身体が出来ているはず。ジムでは、常に各種
エアロビックと、イージーライン(インストラクターの指導下、6つの器械と
ステップ台で運動を繰りかえし一周する)などプログラムが開かれている。 
別にマッサージルームか、ランニングマシーンか、筋トレマシーンで独自に
過ごせる。時に昼をマタイダときは、外出も可能。 謹慎の身?にとって、
昼間に息抜きできる場所が存在しているのが有難い。喫茶店替わりである。 
これはアメリカで出来上がったサービス業態だろう。  
 ースポーツクラブをウィキペディアで検索すると
【 スポーツクラブは、各種の運動施設と専門の指導員を有する施設。
 フィットネスクラブとも呼ばれる。定義は明確ではないが、たとえば
日本の経済産業省の特定サービス産業実態調査におけるフィットネスクラブ
の定義は、「室内プール、トレーニングジム、スタジオなど室内の運動施設を
有し、インストラクター、トレーナーなどの指導員を配置し、会員にスポーツ、
体力向上などのトレーニング方法などを教授する事業所」とされ、室内プール
の他に室内運動施設を有しない事業所は除外するとされている。】
▼ 私の通っている「ホリデイ」は、これにサウナ、風呂、マッサージルーム
 が加わっている。またランニングマシーンはTVつきである。ポイントは施設に
多くの種類の施設を備え会員数を集めること。今月から極端に会員数が減った
ため?、値段を平均一割程度下げてきた。この施設も半年以上もかけて完成した。
しかし完成して僅かで東北大震災の直撃である。大型設備投資の難しさを
他山の石として見ていることになる。 漫画喫茶はモバイル携帯電話と、
iPadなどのタブレット型パソコンが直撃している。いずれにしても恐慌である。
 ・・・・・・・
3428, 今日、我が家に新しいテレビが
2010年08月14日(土)
 八年近く使ったテレビを、地デジの切り替えとエコポイントもあり、
ここで切り替えることにした。そのため今年に入ってから「どの機種を
買おうか、何時買うか」をゲーム感覚で、家電店、そしてネットで集中した。 
昨年からはバックライトのLed方式のTVが最近、家電売り場で目立っていて、
買うならこれと決めていた。 ところが、この春のエコポイント制限期限が
終了間じかになると、3Dテレビが脚光を浴びてきた。既存のTVを売り切った
後に、これ。 そうすると今度は3Dテレビに気持ちが移った。
(字数制限のためカット2012年8月14日) 
 ・・・・・・・・
3053,人を殺すということはどういうことか −2
2009年08月14日(金)
「人を殺すとはどういうことか―長期LB級刑務所・殺人犯の告白」美達大和著
 現役無期懲役受刑者の言葉だけに、一言一言が重く深く響いてくる。受刑者の
大部分が罪など悔いてないのである。犬や獣のような連中が殆どで、自分の欲望
のためなら他者の生命は全く価値も尊厳も感じないと暴露する。照魔境で照らすと、
多くの悪魔の姿が映っているに違いない人たち。著者は、ここで罪の深さを知り、
カントなどの哲学書から「天上の輝く星、そして内なる良心」の重要性を語る。 
「内なる良心に目覚めることこそ殺人の罪を償う道」であることを獣のような
仲間をみて実感する。
 P−10ー 生命を奪うということは、生命だけでなく過去の記憶や未来の
希望も全て破壊し尽すということ。それ以外にも、さまざまな負の感情を植え
付け、歳月の経過と共に風化させるどころか、増殖させてしまうことに気がつき
愕然としました。・・私は殺人には償う術はないと思っていますが、それでは
どのように生きればいいのかについて、懊悩してきました。・・考え続けるほど、
人間の原初的な善の心の発掘が必要だと知りました。・・・「獄」という字は、
獣や犬がものを言うと書きますが、実際に生活してみると、そのとおりでした。
正常な感覚を持っている者は本当に少ないのです。
 P−250ー 私はここで服役するまで、人はもっと自省し学習すると
思っていましたが、現実は違いました。(字数制限のためカット2010年8月14日)