ー「地球大進化 第2回 知られざる“生命の星”の秘密」ー
   * 二度の大爆発
生命の絶滅の危機をもたらした大爆発をネットで検索し、まとめてみた。
≪ 二度の全球凍結の後、さらに二度の地球規模の大爆発で、生物は
  大きな岐路に立たされる。
・まずは、内側からの爆発である。 2億5000万年前には地球内部マントルから
巨大な熱の固まりが一気に突き上げる大噴火があった。生物も実に90%以上が
絶滅するという、史上最大の絶滅をもたらし、絶滅のふちに追い詰められた。
その試練の後、恐竜の支配、哺乳類の誕生があり、それらの大量絶滅後に、生物
の化石がほとんど見つからない空白の時代が長く続いた。
 しかし、この大変動がその後の生物の世界に劇的な変化を促すことになる。
大量絶滅から1億年後の世界、つまり今から1億5千万年前(ジュラ紀後期)には、
生物の世界に起きた劇的な変化、それは巨大な爬虫類、恐竜の出現である。
これは30mの体長を誇る草食恐竜、アパトサウルス。そして、この時代の白獣
の王となった肉食恐竜、アロサウルス。こうした恐竜たちは他の生物を大きく
上回る高い活動能力を持っていたと考えられている。一方この頃の私たちの祖先
は、恐竜に怯えながら暮らすネズミのように小さな姿に変えて、かって繁栄を
極めた面影はありません。なぜ私たちの祖先に代わって爬虫類が巨大化し、
地球を支配することになったか。それが大量絶滅後の生物の進化をめぐる大きな
謎となっています。そして、次は外(宇宙)の隕石の衝突へと続く・・
・次は、外側からの爆発。 メキシコのユカタン半島にあるチクシュルーブ・
クレーターは、約6,500万年前に地球に巨大隕石が衝突してできたものである。 
クレーターの直径は約100〜300km、深さ15〜25km、衝突した隕石の大きさは直径
約10km、衝突時のエネルギーは広島型原爆の50億倍を超えたと推定されている。
これで、恐竜が絶滅したといわれる。それで餌でしかなかった小型の生命が、
生延びる機会を与えられ、これが類人猿を生み出す切欠にもなった。 ≫
▼ 生命は、地球規模の大変動に適応させるため、己を変え続けることで、
生延びてきた。しかし、最近では、都市化が端的に示しているとおり、
環境を人間に合わせて変える道を選んできた。それを文化・文明というらしいが、
その結果に一つが、オゾン層の破壊による温暖化問題や、核兵器使用による
人類自滅の可能性、などが出てきた。今世紀中に人類は、死滅する可能性すら
あるという。人類という、地球にとって「ガン」が、文明に隠された爆弾で、
大爆発する可能性があっても何ら不思議でない事態が生じてきた。
・・・・・・
2014年07月31日(木)
4886,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー44
   * つれづれに 〜赤いカップ制度(仕事のゲーム化)    
 話は実家の量販店時代に戻る。 まずチェーンストアの統一伝票を導入
して部門別管理を採り入れた経緯を以前に書いたが、その後日談になる。 
その「仕事のゲーム化」とは・・・
【 まず本店ビルを建てかえ、部門別管理をゲーム化した『赤いカップ制度』
 を始めた。そして劇画のような?日々になっていった。まず部門責任者と、
それぞれ年次売上予算と利益予算を決め、それを月次、日次予算に落とす。
そして各部門単位のレコードの曲を決め、予算達成をすると総務に連絡、店内
に、その曲流す。それで社員の誰もが、どの部門が達成したかを知る。
早い部門だと、日祭日などでは、二時間もしないうちに流れることもある。
逆に、流れない部門は、一週間、二週間経っても流れない。その上、車座に
並んだ朝礼で、成績順に並ぶ。更に月次で一番営業成績の悪いところが、
一ヶ月間、15分の早出で店頭掃除をする。早出代として毎日千円、月3万円を
割り出し、ベストの部門全員に近くの趣味の店のコーヒーカップ・シリーズを、
景品として贈呈。 逆にワースト部門は、真っ赤に塗ったカップを、売場の
何処かに置いておく。(これを現金にするとリアルな競争になるため、若い人が
楽しめて仕事が出来るように配慮をした。)結果、担当の能力が明確に現出する
ため、不振の責任者は追込まれる。これに利益率を換算した結果が明示される。
そのため、責任者は堪ったものでない。その上、週初めのチーフ会議も成績順に
並ぶ・・ 仕入が当てればよいが、外れると、パートまで・・ 担当者には
仕入れ権限も大幅に与えられているため、それぞれが商店主のようなもの・・ 】
▼ 必死さが生み出した仕組みである。都会のファッション専門街ビルは、
 活性化のため、不振店を自動的に排除をするシステムで競わせているが、
同じようなもの。 私が辞めた後に、反動でピンク一色になったのも当然。
桃色は同時に赤色(赤字)も?伴うから始末が悪い・・ 
 35年前、こんなこともありました! とにかく必死だったが、面白かった!
新潟駅前シリーズも、卑怯ツアーも含め、殆どの人は、こういう面白みの
極みを経験しないで死んでいくようだ。 周囲は大変だったのだろうが・・
会社整理の極みゲーム後は、75歳に想定した死の壁が待っている。
どうゲーム化するかだが、これは大変! 余命三ヶ月で、リンゲルの大量投与?
で、何故か、一年前の文章に続く。 
ーー
2013年07月31日(水)
4519, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー5             
      『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 日本エッセストクラブ編の‘11年版ベストエッセイ集’の「老いた人、瀕死の
人にも希望を」が、二人の説を裏付ける内容。医師も若い時には、その不条理に
思い悩むが、何時の間に、その世界に染まってしまう恐ろしい世界でもある。  
  ーまずは、冒頭の一部を抜粋してみるー
《 * 老いた人、瀕死の人にも希望を  ー榊睦子
 この春、研修医になって独立した息子が忙しい勤務の間を縫って帰って来た。
元気がない。就職したての頃の笑顔が消えている。「仕事はどう?」と水を向けると。
「愚者さんの最期を看取ったよ」と息子。「薬が殺したようなもんだ。」 
どきりとする。息子の話によると、その六十代の終末期の癌患者は、1%の成功例
しかない治療薬を処方された直後に亡くなったという。もちろん主治医は患者を
救う努力を続けて来たし、患者と家族との間でインフォームド・コンセンも
なされている。主治医には何の落ち度もないのだが、息子は、善意の陰に見え
隠れするもの ーその治療薬の臨床例を増やしたい、百に一つの成功の快感を
味わいたいーを見落としてはいなかった。彼は立場上、主治医に対して異を
唱えることのできなかった自分を責めているのである。
「希望」はすべての人にある。余命幾許もない人にもあるはず。この患者は、
もしかしたら、それを奪われてしまったかも知れない。それから数ヶ月経って
息子から衝撃的話を聞いた。同僚の研修医が自死を遂げたという。原因は不明。
大変、優秀であったその研修医は、「笑顔しか思い出せない」と息子が言うほど、
明るく穏やかな人。彼に一体何が起きたのだろうか。
 次は看護師をしていた娘から聞いた話。白血病の末期であったその少女は、
亡くたる数日前に、窓の外に自分がいると言って怯えはじめたが、次第に落ち
着きをとり戻し「お母さん、がっかりしないでね。泣かないでね」と母に言った
後、昏睡状態に陥り、眠るように亡くなったという。少女はその生涯で一番大事
な仕事ー母を慰め励ますことーをやりとげて逝ったのである。
死に行く人にも希望はある。それは前途洋々たる人の場合、桁遠いに重く
大きい悲願と言っても良いのでなかろうか。・・・ ≫
▼一%の成功事例しかない治療薬を提示すること自体問題だが、同じ死ぬなら、
それに挑戦するかの判断は本人次第。当事者になってみなければ分からないこと
だが、私ならどうだろう?早く逝けるなら前倒し?・・ 医師も難しい職業。
人間は全て、死んでしまう。結局は延命の手助け。これも必要だが必ず限界
がある。その上、ビジネスの要素も関わってくる。現状の医師と病院システム
で中では、自分が判断するしかない。
・・・・・・
2012-07-31
もうこれは世界大恐慌 ー
          「もうこれは世界大恐慌」朝倉慶著
  * あの債権は、何処にいったのか?
 不思議でたまらないのが、リーマンショックの原因となった不良債権の行方。
バージン、ケイマン諸島は、世界の金持ちが金融口座をつくって脱税をするもの
と思っていたが、不良債権を塩漬けにする基地でもあった。そこに飛ばして
おけば、鉄の塊に金粉を塗装して置いておくようなもので、実際の金か鉄の塊
かの調査権が及ばない。 永久に隠しておけば良いが、そうはいかない。
もしかして永久に抹殺して封印して置くことも可能なのだろうか。どうだろう?
そうすると、6京円の不良債権は大変だと不安がっている私たちの方が無知と
いうことになる。どうなっているのか金融の世界は?
 ーその辺の記載をコピーしてみるー
≪20年前のバブル期に大損した損失は今だ表に出てこない。
このオリンパスの粉飾はたった一社特有のことなのだろうか? オリンパス
使ったタックスヘイブン、バージン諸島、ケイマン諸島には大金持ちの資金だけ
でなく、隠れ借金が膨大に隠されている。日本のバブル崩壊の100倍のスケールと
いわれたリーマンショック後、巧みに封印され隠されてきた欧米金融機関の膨大な
不良債権も、やはりこれらタックスヘイブンに眠っている? ジェットコースター
のように激しく上下したオリンパス株は、なぜあれほど上下に動いたのでしょうか?、
裏に何かあるのでしょうか? すべての矛盾が複合的に絡み合っています。
様々な点が線に結ばれる時、いよいよ資本主義という世界の屋台骨が怒濤のごとく
崩れ去るのです。恐ろしくも激しい、驚愕するような大変化のドラマが始まろう
としています。一体昔の損失はどこに消えたのでしょうか? リーマンショック
の後、欧州では大々的に会計制度を変更しました。当時レベル3と呼ばれた証券化
商品でしたが、このレベル3の商品に関しては時価評価をする必要がない、と欧州
当局はお墨付きを与えたのです。通常サブブライムローンを含んだ証券商品は
当時ではほとんど無価値と判定されていたのですが、いわゆる金融破綻を避ける
ための当局の緊急措置として時価評価したら欧州のほとんどの金融機関は
実は債務超過となるからです。≫
▼ 世界中の政府が口裏を合わせて、地下深く隠して表に出さないと合意して
 いたら、短・中期的は表に出ないで済む。要は、金メッキをした金と分かって
いても、それを本物の金として認め、金庫を開けない約束を国家単位で決めれば、
それで通ってしまうのが金融の世界ということなのか。1千兆円の日本の国債
永久国債にして塩漬けにする手がある。金利が上がったら、その分の永久国債
刷ればよい。何せ永久に返済無用。何時か破綻が来るというが、そんなのは
知ったことはない、というのがその時点時点の権力者である。日本のバブル崩壊
は、大部分の都銀と、幾つかの証券会社と、多くの会社が倒産、吸収合併で
消えて無くなった。やはり何時までも隠し通せる訳がないのが現実である。 
私も既に世界は恐慌に入っているという論である。
・・・・
3779, ユング ー13
2011年07月31日(日)
     * 箱庭療法 ー2
  ☆ ゲニウス・ロキ <その場所や土地に宿る「精霊」>
 どの村、国にも聖地があるが、殆どの家に仏間と祭壇がある。家だけでなく、
守護霊が、それぞれの人間の魂にいるという説がある。それを箱庭の中に表出
させるのだから、興味がわいてくる。人間の脳は、20億年以上の生物の進化が
創り出した得体の知れない機能の塊。 箱庭の作品の写真をネットで見ると、
底知れぬ人間の潜在意識の奥行きの深さの一端を見ることができる。
≪ ーつづきー 「箱庭療法」では、「ゲニウス・ロキ」を重要視する。 
 古代ローマの思想では「ゲニウス」は「精霊」、「ロキ」は「土地」を
表していた。「ゲニウス・ロキ」で、<その場所や土地に宿る「精霊」>の意味。
その時その場に宿った力(精霊)が、無意識の深層心理の神話的な力と結びつき、
それが創造力となり箱庭」に表現される。この「ゲニウス・ロキ」を実現する
ことが、治療者の「見守る」行為。実際になにもしないが、大きな精神力が必要。
「見守る」とは言っても、治療者ではない一般の人が「見守る」のとは、異なる。
「箱庭」になにも表現されないセッションでも、治療者が作り出した
ゲニウス・ロキ」のなかで、患者の内面では変化が起きてくる。それが、二回
以降のセッションで現われてきます。初めの数回のセッションでは落ち着きがない
被験者も、その数を重ねることで、徐々にまとまりのある箱庭を作るようになる。
箱庭という守られた空間に自分の気持ちを繰り返し表現することで、その課題が
浮かび上がる。それは、あくまで遊びの中で行われる。遊びの中には、成長を
するための要素が多く含まれている。≫
▼ その箱庭が、玩具の配列で、精霊が浮かび上がってくる。箱庭の解釈は、
 大ざっぱにいうと、左半分が内面を、右半分は外面を、手前から上に向かって
現在から未来へと向かう。ところで、聖地は典型的なゲニウス・ロキが在る
ところに存在している。その周辺には必ずといってよいほど、岩場が存在する。
ピラミッド、中南米の古代聖地、ギリシャの神殿、エルサレムなどは、その典型。 
もう一つは立地上、民族の存続上に大きな戦略的拠点でもあるが。
箱庭療法、一度は、やってみたいものだが。
 ・・・・・・・
2010年07月31日(土)
3414, 「憎国心のすすめ」
 18年の海外生活から帰国した著者が大分の山中に居を構えて5年、変わり
果てた祖国・日本を憂えている。ここで、ひとりの地元青年とのやり取りを
通して、日本再生には愛国心ではなく憎むという感情、いわば「憎国心」
が必須と説く。最近は著者の見方にかなり感化されてしまったが、老化から
くるマイナーの見方でもある。しかし「憎国心のすすめ」は極論になるが、
それで日本人にアメリカの間接統治を知らせたいのである。
それを前提にしないと国家改革など不可能である。日本は、いまだ長年に
わたった洗脳で思考停止状態にある。その実態に憎悪心を滾らせないと、
真の己の姿が見えないというのは至極当然のこと。
  ―印象的な部分をランダムに書き出してみた―
《 愛ではない。この日本を救うのはむしろ、憎むという感情、いわば憎国心!
 ・・・ 愛するために憎む。想うために考える。この日本を。「俺の仕事の
動機はいつも怒りと愛だ」と私は無理に続ける。「悶死したくなるような怒りの
先に愛が見える。そのとき、仕事をする情熱が生まれ、行動の意味が完結する」
「ははぁ・・・」「日本に帰ってきてから、怒りはほとんど極限に達している。
でも、その先の愛は見えない。だから、もっと、徹底的に憎国心を高ぶらせる」
「ゾー・コ・ク・シ・ン・・・ですか」「無論そんな日本語はない。
いま、とっさに考えついた。愛国心の相対だ」「ははぁ・・・」
「憎国心さえもっと鍛えれば、もしかすると、死ぬ前に、もう一度この国を
愛することができるかもしれない」》
《 日本人を一言で要約すれば<考えない>ということであり、―ジャップ
(日本人の蔑称)は考えないという特殊能力を持っている、ということになる。
人間が考えないでいられるというのは、ムズカシイ以上に実にありえない
不思議な才能であり、特殊の才能である、特異能力とも呼べるものであり、
貴重な力となりうるからである。<考える>という根本は、まず疑問が無くては
ならない、それからしてジャップには無い。次に推理、次に分析、最後は統合。
この4段階、どれもない。疑問がないのは、比較感覚がないからということ
になる。比較がないから、考えない。・・・・ 》
《 中村元「日本人の思惟方法」の引用からー
(日本人は)西洋人の目には、シナ人などよりはるかに浅薄な印象を与える。
日本人自身は世界の文化を総合したつもりでいるが、じつは単なる
便宜主義的な無反省な折衷混合状態に陥っているおそれが少なくない。》
更に著者は日本人を嘆く。
《 「一言で言えば日本人は他律的な民族だということである。それは縄文から
 続くわれわれの本性だったのだ。他律とは、(自分の意志によるのではなく、
他からの命令や束縛によって行動すること)であり、カントの用語によれば、
意志が理性の命令でなく、感性の自然的欲望によって規定されること、である。」
「すべて。そして誰かが操作している。このにほんじんの本性を、骨の髄まで
他律的であることを知っている誰かが、どこかの国が、どこかの民族が、
その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長、推進させ、摂取し、操っている。
そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人々は気づかないか?」》
 ー著者の視点で人生を振り返ってみると、アメリカの属国としての
  価値観を疑いもせず、あくせく生きてきただけ?になる。
・・・・・・・・
2009年07月31日(金)
 3039,「自信を与えてくれた人」
 何気なく見ていたブログに紹介してあった一文。世の中には心を打つ色いろな
出会いがあるもの。本人にとって何にも替えがたい自信になったろうし、前向き
にさせてくれる出会いである。ネットで調べたら、この人の漫画は何度も目にした
ことがあったが、軽妙な暖かい人物像を描いている。その「元気を与えてくれた人」
は、数寄屋橋の絵の中の何かに共振をしたのだろう。その絵に感動し十五年後に
買い求めた人と、その絵を見てみたいもの。
《 あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。私は数寄屋橋で風景画
 を描いていました。ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころ。
私の描いた油絵を、大勢の人が見て通るんですが一人だけ、三十分も一時間も
そばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。
そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。
「あなたは忘れているかもしれないが、私はあのとき住所をたずねたものです。
あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。こんどようやく
家を新築したので、ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容。
その頃のぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンとぼくの手もとに
あったんです。しかも、何度もぼくは住所を変わったんで、その人は苦労して
見つけてくれたに違いない。ぼくは感激しましたね。さっそくその人と
いっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。》 ー鈴木義司
鈴木義司=読売新聞の夕刊の4コママンガを描いている漫画家、
 2004年7月17日午後2時45分に死去。享年75歳。むかしテレビ番組
「四コママンガ道場 お笑いマンガ道場」に出ていた》
▼ 享年が75歳で、この文章は42歳の時の文章とすると、亡くなる33年前の
 1971年頃の文章になる。絵を描いていたのが、その20年前というから1951年
ということになる。岸恵子の『君の名は』が1953〜54年、その二年前に数寄屋橋
で絵を描いていたのである。 新築の家の絵に欲しいというところが良い。
この逸話の中から、それぞれの人生が浮き上がって見えてくる。
 ・・・・・・・・・
2008年07月31日(木)
 iPoneについて
いずれにしても、これは凄い。少しオーバーに言えば1〜2ヶ月で、
私の中の何かが変化するだろう。情報機器を幾つか持っている。そのお陰で
・インターネットを楽しみ、「勉強」もしている。
デジタルカメラを常時、鞄に入れている、散歩にも持っていく。
・2千曲入力してあるiPodも持ち歩いている。 ・携帯電話を身につけている。
・会社の机の前と、自宅の居間の机にもiMac(机上型のパソコン)が置いてある。
 それが全て、携帯電話を少し大きくした、このマシーンに入っているである。
「それなら、携帯電話があるじゃないか」というが、これはパソコンを基点
としている。超小型パソコンに、多くのデジタル機器の機能が入っているのが凄い。
更に、GPSナビゲーションまで入っている。新聞や、マックのHPで、このデモン
ストレーションの映像を見たり、モーニングショーでキャスターが操作をして
いるのを見たが、自分の手にとって腹を据えてみると、その凄さと深さが見える。 
半年前にiPodを実際に使ってみて驚いた。 手持ちの200枚のCD(2000曲)
が、マッチ箱位の薄いマシーンに、全て入ってしまった。パソコンに一度入力を
してしまえば、何時でもマッチ箱に出し入れ自由である。ところが、それさえも、
このマシーンは機能の一部として入っている。 いま一つ、タッチパネル
+ワイヤレス+超小型の総合効果が、パソコンのストレスを大幅に減らしている。
このストレス・フリーが最大のネックである。携帯電話が、固定電話から我々を
解き放ってくれた。それと同じことが、今度はパソコンでも起きている。
大型コンピューターがパソコンになり、ノートパソコンになり、モバイル
パソコンになり今度はこれである。 これには母機のパソコンに対する子機と
いう位置づけは殆どない。(iPodなどの機能を使う時はあるが)これも三年も
しないうちにと、古くさい原始的なマシーンになっている? まずは、これを
使いこなすことから始めないと。何かSFの世界を垣間見ているよう。 
 若者が、モバイルパソコンに、如何反応するか楽しみである。