* 人生を憎めば、人生は憎しみを返す
 「あなたが人生を憎めば、人生は憎しみを返す」。これを「人生を愛せば、人生はあなたを愛し返す」と
言い直すことが出来る。現在の私の状況は、まさに、この二つの間で揺れ動いていい筈だが、しかし・・
この状況を肯定することで何とか平静を保っている。不幸系の人は、まず憎しみを持った受止め方をする。
 何でマイナーな考えを持つか?よく観察すると、育った環境が大きく左右している。
まず、親を憎むことが、そのまま自分の人生を憎むことなる。「本人や子供の相方には、両親に愛され
育った上に、運がある人かを第一にして見分けなさい」という。子供の頃から20歳代までに、プラス・
マイナスの両極端の世界を垣間見てきた。やはり金持ち喧嘩せずである。異性に惹かれるのは、自分と
違った面を持つ人。しかし、それは短期間だけで、長い目で見れば、性格の不一致になる。そこから憎しみが
湧き出てて、その争いが子供に大きく影響する。その結果、子供は両親を憎むことになる。97%の夫婦間が
実質破綻をしている?というが、子供はたまったものではない!
「されど、妻(夫)を愛す。人生を愛す!」が、人生を生抜く要諦ということか。
   * 飛行機の座席に垣間見える社会構造
 飛行機は、集約された社会構造が、そのまま露出する場所。見てみないふりをするしかない。
飛行機の座席のランクには、一般的にファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラスがある。
 ーその料金体系といえばー (欧州の場合)
・エコノミー:    12万〜50万(12万は格安、50万は割引の無い正規運賃で、サーチャージ込み)
・プレミアムエコノミー: 20万〜50万(本来はエコノミーの正規料金を支払っている人に対するサービス)
ビジネスクラス:   36万〜90万(90万は割引の無い正規料金)
・ ファーストクラス:  150万前後(割引料金は基本的にありません)
 私のような格安パックツアーは、大型機の後部座席が主で、旅行代理店が年間契約で3万5千〜7万円の
格安で仕入れ契約をする。だから少々、窮屈を我慢をすれば格安旅行が可能になる。ちなみにホテルも、
観光シーズンのピークを除けば、三分の一、五分の一の仕入れが可能。 だから、パックツアーに慣れて、
使いこなせば、結構、価値ある旅行が可能になっている。 私は格安パックツアーもあって、エコノミーだが、
たまたま満席で、ビジネスクラスを5〜6回、一度だけラッキーなことにファーストクラスに乗ったことがある。
4分の1の確率で、窓側3人席に家内と2人になるが、ほぼビジネスと同じ環境?になる。
 露骨な格差を目前で見せつけられても、そこは、非日常世界で、瞑想には最適な時空である。
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4604, 人生で大切なことは雨が教えてくれた ー1
2013年10月24日(木)
            「人生で大切なことは雨が教えてくれた 」ドミニック・ローホー (著),
 このところ、台風の影響もあり雨の日が多い。どうしても雨は憂鬱な気分になりがちだが、日本列島は地勢的
にみて、雨量の多さが、豊かさをもたらしている。著者はフランス生まれのフランス育ち。パリのソルボンヌ大学
出て、日本在住三〇年。米国のミズリー大学、日本では佛教大学で教鞭を取っている。彼女は、日本の多湿な雨に、
特性を見出している。この本は、雨読にはピッタリの内容。図書館の借入は、買うほどでない丁度良い本に
出会えるから良い。    ー内容紹介ーより
 今日、雨はどんな世界に誘ってくれただろうか――
生活のリズムを少し減速して、憂鬱も希望も深く味わう、雨との付き合い方
 雨が好きな人は少ない。 でも雨は私たちの精神、感情、人生を隠喩している。ある時は私たちをエネルギーで
満たし、ある時は憂鬱な気分にし、ある時は希望、または静かな省察の時を与えてくれる。雨は私たちの生活の
リズムを減速させ、内観すること、または精神生活をより豊かに深めようにも働きかけてくれる。 
雨には意味、そして存在感がある。まるで生身の体と声、そして心があるみたいだ。
雨はまさに、ミクロとマクロといった二つの無限の世界が共鳴し合い、合流する境界に在るのだ。
雨を避けては通れない。それならば、いっそのこと雨を好きになってみては?
 ○雨がもたらす感動 ○雨が奏でる音楽 ○雨の香りとその感触 ○自宅で雨を愉しむ ○雨の日の外出 …ほか
  [レビューより]
{ 一言でいえば、雨の愛しみ方について書かれた本。「降り止まない雨はない」という言い方をされて忌避される
 雨だが、この本を読んでみると子供の頃の雨への新鮮な感覚を思い出す。砂利道に降り始めた雨と土の匂い、
雨は何処から降ってくるのかを確かめるために雨天のなか、天を仰いだこと、夕立の清々しさ、長靴で水たまりを
選んで歩いた記憶。それは私にとっては両親、祖父母に愛されて育った記憶へと繋がり、安らかさへと導かれるものだ。
この本は「何の変哲もないものに喜びを見出す」というローホー氏の真髄の一つだろうと思うし、この本を読んで
雨の日を楽しめるようになれば、人生の不自由からまた一つ開放される様に思う。雨の休日には本棚から取り出して
読み返したい本。誰でも人生は自由なのだなと改めて思った。次回作を心待ちにしている。}
▼ ここで、「雨を好きになり、雨を眺め、雨音に耳を澄ますようになると、不思議と一瞬一瞬をより深く、
 存在意識を持ちながら味わえるようになる。」と述べているが、やはり老齢期に、独り、昔を思い出しながら、
深くため息をつく味わいが嬉しい。「雨は私たちの内面の自由への扉を開き、詩情、また「超越」という概念にも
  気づかせてくれる。雨は現在に生きることの大切さ、自然の制御できない性格なども分からせてくれる。
  そう、自然をより美しく、そして自然を私たちに合わせるのでなく、私たちが自然に合わせるようにと、
  雨は私たちに喚起しているのだ。」の、最後の結びの言葉がよい。  ーつづく
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4229,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー4
2012年10月24日(水)
「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 戦国時代の日本にティーバッグがあった!
≪ ティーバッグは、まず紅茶にはじまり、最近では日本茶やウーロン茶など、さまざまな種類が発売されている。
ティーバッグのはじまりは一〇〇年ほど前のニューヨークである。トマス・サリハンという紅茶の商人が紅茶葉の
サンプルを絹の袋に入れておいたところ、顧客の一人が誤ってそれにお湯を注いで飲んでしまった。それをヒント
にして一杯ずつの小分けにして売り出されたのだ。一方、日本では、早くも戦国時代のころからティーバッグがあった。
もっとも、中身はお茶ではなく薬だったが仕組みは同じである。戦乱の続く当時、刀や槍で受けた傷を治療する
「金創医」と呼ばれる医者たちが活躍していた。戦場ではのんびり薬を煎じている暇などない。
そこで金創医たちは、細かく刻んだ薬草を配合して布の袋に入れ、熱湯を注ぐだけで短時間のうちに薬が抽出できる
ようにしておいた。これは「振り出し薬」と呼ぼれ、携帯にも便利なので、武士たちも重宝していた。金創医は、
平和な時には産科医をしている者が多かった。戦場の傷之お産は、大量の出血を処置するという点で共通していた。
今でも、婦人病の漢方薬に袋に入ったものがよくあるのは、金創医が処方していた名残である。≫
▼ 必要は発明の母というが、人間は必要に応じて知恵が出てくるもの。即席ラーメンが発売された当初、日清の
 チキンラーメンがあった。お湯を注ぐだけで三分で手軽に食べることが出来た。しかし、当時ベトナム戦争で、
 ベトナム兵や、ゲリラのベトコンの携帯食として大いに売れたという。彼らは戦場で、それをカジリ食べていた。
 学生時代の昼飯として、よく食べていた。
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3864, 嘘みたいな本当の話 −2
2011年10月24日(月)             
  * さかさまな世界-            「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」     
 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに踏み込む足裏が痛い。右手をそっと
後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。
大学に入学して初めてのバイト先。 苛立った僕はその後、事務員の女性たちに愚癒をこぼした。
「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと届かないんですもん。
ただでさえ洋式のスタイルに慣れきっているので、和式はたまらなくつらいんですよ」
僕の話を一通り聞いたあと、事務員たちは顔を見合わせる。ひとりの事務員が切り出した。
「あの……トイレヅトベーパーなら、後方ではなく前方にあるはずなんですが…ー」     東京都 サトゲン
  * シンデレラ
 会社帰りに神田駅の西口で、階段につまずいて片方のハイヒールを落としてしまった・・・
拾おうと振り返ると、落ちたはずのハイヒールは私の足元にあり、次の瞬間、ストン、と私の足に納まっていた。
同時に、私の足元でひざまずいていた男の人が立ち上がり、去っていくのが見えた。
我に返り慌てて振り返ったが、無数のサラリーマンの後ろ姿があるだけでした。       岐阜県 横山奈津子
 * 洗濯バサミ
 我が家は山の上にある。 物干し台の横をいつもトンビがが通り過ぎる。
今朝、洗濯物を干そうとしたら、カゴのなかに、見たこともない洗濯バサミがひとつ入っていた。  長崎県 トンビ
 ▼ 片足のハイヒールを落とした瞬間、手にして足元で履かせるタイミングは、一生に一回あるかないか。
  こういう思いもかけない偶然は、誰も経験しているが誰かに話すチャンスがないだけ。それにしても奇遇である。
  「洗濯バサミ」、これもあり得る話。 野生の鳥は思いもよらない頭脳を持っている。そうでなくては、
  四季の変化のなかで生き抜くことは出来ない。 こういう話は純真に聞き入れる方だ。
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3499, 経済予測脳で人生が変わる
2010年10月24日(日)
 ≪経済予測脳で人生が変わる!―仕事も投資も成功できる「起こりえる未来」の読み方 ≫ 中原 圭介 (著)
 ー内容紹介ー
 経済予測脳はすべての人に求められている! 日本はいまだ「失われた30年」の道半ば。
これからの厳しい時代を軽快に生き抜くためには、起こりえる未来を予測して、事前に手を打っておくことが必要。
経済予測脳をもっていれば、誤った情報やアテにならないエコノミストの経済予測に振り回される必要はない。
自分自身の経済予測脳で、「本当に起こりえる未来」を見据えた人生の選択が可能になる。
それができる人と、できない人とでは、どちらが豊かな人生を送ることができるのか。
 〜 大まかにいえば、
≪ 経済を予測するには、経済学だけではなく人文科学を学ぶこと。特に混沌とした時代には、時代
そのものの本質と、変化をジックリと見極め、それに適合しながら生きぬかなければならない。そのため、
*「歴史学」を学ぶことにより、過去を振り返り未来に向けてどう進むべきかを考える力を養い
*「心理学」で、経済の非合理的な(=人間的な)動きを理解し予想することができるようにして、
*「哲学」で、社会の本質的な構造と、それがどのように変化しているのかを捉えるようになる。
 経済学は合理的に行動する人を前提にしているが、人と社会は非合理的な側面が含まれるため、
色いろな基礎教養をベースの上で経済の先行きを読まなければならない。≫ というところか。
・・今度の世界的金融恐慌は、100年、250年に一度の衝撃的事件であり、そう見えすえれば根底から
経済予測が違ってくる。その背景には本格的情報化社会の到来がある。これがグーテンベルグ印刷以来というより、
人間が言葉を持ちはじめた20万年来の革命的変化をもたらす。その代表例としてネットなどの情報手段の革命。
そのことを、明確に把握していないと、現在の状況を見間違ってしまう。 この本は内容的には目新しいことは
言ってないが・・・ 世界恐慌という事実を見極めて、根底から考えを変えなさい!」をテーマにしているが、
 それを心に留めさせるだけで充分の価値がある。 そう、この事件は20世紀初頭の第一次世界大戦世界恐慌
 そして第二次世界大戦の一連の断層より遥かに大きな事態を認識しなければならない。 
  特に、茹で蛙の日本は、である。  
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3124,生きる幻想 死ぬ幻想  ー5
2009年10月24日(土)
   ー何でまた原理主義者は死を恐れず自爆テロをするのかー
 以下の部分で、その原理を説明している。 これでは多神教が敵うわけがない。
 それにしてもイスラム教はイヤな宗教と思ってしまうのも、多神教の日本人だからだろう。
 彼らも恐ろしい神が控えていると絶対言明として刷り込まれていれば、どうもこうもない。
 ー 終末論 ー  P-29
岸田 ▲終末論というのは、単に世界が終わってしまうということとは少し違うのですね。
  終末論はユダヤ教からずっとあるのですが、ユダヤ教の場合は、メシアが降りてきて、唯一の神を信じて
  律法を守ってきた自分たちを窮状から救ってくれる、という思想です。これもまた、奴隷の宗教ということから
  出てくるのです。奴隷として差別され、虐待されている人々は、なぜわれわれがそういう目に
  あわなければならないのかという不満を常に抱いている。
小滝 ▼ユダヤ教は現世的集団救済で、いつか「万軍の主」が派遣したメシアが降りてきて政治権力を握るということになる。
  そもそもユダヤ人は、幾度も周囲の強国に占領されて、国土を失っているんです。ですから彼らの切なる願いは、
  メシアがやってきて、周囲に負けない立派な国を作るということなんです。ただし強力な国を作りたいという
  願いはありますが、全世界をユダヤ教}色にしてやろうとは考えない。そういう意味ではキリスト教イスラームより
  はるかに内向的です。 彼らの考えは、異教徒や異邦入の存在を前提に成り立っているのです。
岸田 ▼ユダヤ教キリスト教の根本的違いとは、ユダヤ教では終末でやってくるのは現世的な救いなのですが、
  キリスト教では幻想的にというか、非現世的な神の国を設定して、それが終末に到来するというふうに考えるところです。
  Q  ▼ユダヤ教ではメシアが降臨した後もこの世界が続くんですね。
小滝 ▲そういう意味では徹底して現世的な宗教で、あの世は基本的にはないのです。少なくとも旧約には書かれてない。
   ーー
 ー イスラムの天国 ー  p−35
小滝 イスラムの終末のビジョンははっきりしている。やがてとんでもない天変地異が起こって、この世界は破局を迎える。
 その時にアッラーの前に引き出され律法を守ったか守らなかったかで、天国か地獄に分けられる。
 で、死者たちは、それまでずっと眠ったような状態でいて、終末が来た時に生前の肉体で甦って、裁きを受けるのです。
 だからイスラームでは火葬は御法度。裁きも具体的で、ちょっと御伽話みたいですが、それぞれの人の左右の両肩に天使がいて、
ちゃんと律法を守ったら、それが天使によって記帳され、さぼったら、これまた記帳されていくんです。
 裁きのときはその双方の記帳が天秤に乗せられて、右肩が下がったら天国行きで皮対は地獄行きです。
 裁きは一回かぎりで、地獄から天国に行くということはできません。そのときは現世はなくなってしまい、
 天国と地獄になるのです。『コーラン』には天国の様子もちゃんと描写してあります。ただし男の天国しか書かれていない。
 そこは緑のしたたるオアシスのようなところで、七十二人の処女が侍ってていて、いくら飲んでも酔っぱらわない
 美味な酒がしこたま飲める。 それでは女性が天国に行った場合はどうなるかは書かれていない。
 ただし、殉教者は最後の審番は免除なのです。血だらけの姿をアッラーに見せれば、それで天国行きという事になります。
 ですから殉教者は葬式の際には、血だらけの生々しい埋葬をします。偉いウラマーでも、少しは律法を破ったことがあるから、
 最後の審判は怖いのです。 でも、殉教者はストレートにパスなのです。だから殉教したい人が多くなる。
   〜〜
これらを読んでいると、天国とは「幻想論」を絵に描いたようなもの。ニャロメの赤塚など、この程度の天国を十二分に味わったはず。
日本のプチブルも彼らのいう天国の門前にいるようなもの。と、思うのも多神教徒の浅はかさか! 天国はアラブの地の貧乏人の夢か!  
・・・・・・・・
2759, ソロスは警告する −3
2008年10月24日(金)
 ー要点をまとめると、以下の通りになるー
 この書でソロスは現代金融理論そのものに疑問を投げかける。
* 「金融市場のさまざまな変数は均衡値に向かって収斂する傾向がある」という経済学上のパラダイムは偽りでしかないと、
 ソロス自身の哲学を築き上げるが、カール・ポパーの『開かれた社会とその敵』に影響されたとしている。
 ポパーは"開かれた社会"を「人間は究極の真理には到達し得ず、異なった考え方や利害を抱えた成員同士の
              平和共存を可能にする制度が必要であると認めているような社会」であると定義している。
* これからソロスは彼独自の哲学を育てた。 彼のキーワードは、「再帰性」と「可謬性」。
 ・「再帰性」とは 【人は世界の一部であるために、世界を完全に理解し得ない。 世界に対し操作を加えたとき、
  観測される世界はさっきまであった世界とは異なっているからである。 さらに、究極の真理あるいは確実な情報は
  人間の手の届かぬところにあるという前提を踏まえたうえで、「誤解」がいかにして歴史を動かすのかを探求する理論。】
 ・「可謬性」とは、【人は常に間違っている可能性がある。確実なものなど存在しない。 】
  これを行動経済学の観点から解釈し応用していった。 彼は、誤謬の可能性ではなく、人間は間違うもの!と断定している。
* 現在の経済は1929年の大恐慌以来最悪の状態になりつつあり、ドルを国際基軸通貨とした信用膨張時代が終焉を迎えている。(中略)  
 ソロスの分析では、この超バブルには他のすべてのバブルと同じく、人々が誤った投資行動を続ける原因になった
「支配的なトレンド」と「支配的な誤謬」が存在した、という。「支配的なトレンド」とは信用膨張、つまり信用マネーの肥大化であり、
 「支配的な誤謬」とは、十九世紀には自由放任と呼ばれた、市場には一切規制を加えるべきではないという市場原理主義である。
* ソロスは、サブプライムはトリガー(状態変化の引きがね、となる信号)に過ぎず、「信用マネー」と「市場原理主義」という、
 信仰といっても良いほどの巨大な"誤り"が、そのメッキを剥がされつつあり、臨界点に達したとき、四半世紀以上にわたって
 成長してきた超バブルがはじける、と警告している。
  ーP-53 の以下の部分が再帰性について、解りやすく説明してあるー
●ー人間の誤解は社会に大きな影響を与えるー
再帰性」は、参加者の見方と、事象そのもののありようとの間に成り立つ、一種の循環性、両者の間の双方向的なフィードバックが
生み出す円環だと見ることが可能である。 
  (字数の制限の関係でカット09年10月24日)
・・・・・・・・・
2007年10月24日(水)
2395, 恥をかかせろ、いじめはなくすな ー3        *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
  (以下、字数の関係でカット09年10月24日)