「野心のすすめ」林真理子
   * 野心という山登り
 創業の準備を含め45年間、その最後は、この様だったが、何故か後悔はない。野心があったからこそ
出来た様々な成功と、挫折経験は何物にも変えがたい。 自分の限界の壁が常に目の前に立ち上がっていて、
何時も溜息をついていた。 野心を持っていると、「棒ほど願えば針ほど叶う」になる。棒ほど願わなくては
針ほども叶わないのである。創業の頃は、高度成長期という絶好の環境があった。それに、条件づくりに
父が陰で協力をしてくれたこともあった。野心は志と似ている。自分では志と思っても、人から見れば
野心というのだろう。何かに志をたてると、それが高く、大きいほど、その差が見えてくる。そして、途中で、
頓挫させるような難関が次々と立上がってくる。しかし、今さら、後は引けないという瀬戸際で、壁が崩れ、
内在した力が沸々と湧き出てくる。 ー以下の内容が、野心を解りやすく要約している。  
≪ 野心を持って努力をし続けるのは、本を読むことにも似ています。本を読み始めると、自分はどれほど
 無知なんだろうとか、この分野を知らないのはまずいなあとか、この先また別の本を読んでみたいなと思う。
努力をする人にはいろいろなページが開いてくるんです。反対に、本をまったく読まない人は、何を読めば
いいかわからないし、そもそも本の存在すら意識下に入ってこない。
 自分はこういう人生を送りたいという目標を決めたら、歯を食いしばってでも頑張ってみることです。
野心が山登りだとすると、少し登り始めると、頂上がどんなに遠いかがわかってくる。少しクラッとするような
場所まで来て、下を覗いてみると、登山口の駐車場ではみんなが無邪気にキャッキャッ楽しそうに群れている。
でも、自分はぜったいその場所にはもう下りたくないと思う。自分はこの先、あの高いところまで登れるんだ
ろうかという不安を常に抱えながら、ズルズルと下に落ちたくないから常に手を抜けない。
 なぜ、わざわざ辛い思いをしてまで山登りを続けられるのでしょうか。それは、必死で登って来た場所から
見る景色があまりに美しく、素晴らしい眺めを自分の力で手に入れて味わう満足感と幸福をすでに一度知って
しまったからです。そうなったら最後、もっと美しい景色が見たい、もっと満足したい、もっと幸福を
味わいたい、と、さらに上へ上へと登りたくなる。
 平地で遊んでいる人間には一生見えない美しい景色、野心を持って努力をした人間だけが知る幸福はあります。
もちろん辛い試練だって待っているかもしれないけれど、野心という山を登ろうとする心の持ちようで、人生は
必ず大きく変わってくる。チャレンジしたからこそ初めて手に入れることのできる、でっかい幸福が待っている。
人の一生は短いのです。挑戦し続ける人生への第一歩を踏み出してくださる方が、増えることを祈ります。
さあ、山に登ろう! ≫
▼ 「やってしまったことの後悔は、日ごと小さくなるが、やらなかったことの後悔は日ごと大きくなる」の
 彼女のモットーが、良い。三年前の経験で、つくづく思ったことは、山の麓で遊んでいた人たちほど、
攻撃してきたこと。特に、城下町の体質が、人間関係に縛られ一生を棒にふった人の割合が多い。それが、
他人の血で、自分の一生を棒にふったという傷口を洗おうとしている姿」に、私には見えていた。
 しかし、実際に、人生の夕暮れ近くになって、それも有り! 山登りの景色も、麓の景色も、大して
変わりはしないことに気づいてきた。 しかし、麓でも何かにチャレンジしてないと、麓の美しさ、面白さに
気づかない。何はともあれ、何かに挑み、闘い、変化する中で、人生は面白くなる。
せっかく、地球に知的生物としての80年を頂いたのだから! 有りがたく頂戴しないと!
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4603, 閑話小題 ー呆けも大変だけど・・
2013年10月23日(水)
   * 呆けも大変だけど、しっかりしているのも?
 幼馴染と酒を飲んでいた時、何気ない話から、相方には90歳を過ぎた義母と三人暮らしという。
「ボケはあるの?」と聞くと、「全くない!」という。その時、自然と昔の記憶が湧き出てきた。
{ 私の母親が痴呆症になって5年半で亡くなったが、それは大変だった。亡くなる半年ぐらい前のこと、
 元旅館の女将をしていた母の最も親しかった92歳の友人が、実娘に付き添われて数十年ぶりに訪ねてきた。
最期のお別れという空気が、そこに漂っていたが、呆けは全くなく元気そのもの。 家内が台所で、こっそりと、
「呆けもなく、元気で良いですね」とこぼすと、娘さん、「なに言っているのよ、元気は元気で、そりゃ大変! 
むしろ・・}その時の一期一会の二人の姿が、現在でも頭に焼きついている。看護十年は、される方も、するほうも、
大変である。「呆けは老いの苦痛を和らげるため神が与えし精神状態」という。呆けないで余生を楽しむのも
芸のうち、ということ。
   * 米国のデフォルト危機
 米国のデフォルト、何とか乗り越えたが、その信用失墜は大きい。計画的世界恐慌、このタイミングがベストに
思えたが? まずシリア爆撃に目先を向け、そのドサクサにデフォルトだったのでは?国家戦略からして、オバマ
二期目の二年目。やるべき仕事はデフォルト? 来年の2月7日まで先延ばしたが、まだまだチャンスは続く。
日本と同じく国債増発しか予算が組めないため、増発をするしかない。がん末期のリンゲル投入と同じで、死ぬまで
続けるか、恐慌を起こし精算しかない。そのプロセスを踏まない限り、米国債を出し続けるしかない。 
水面下では静かなる経済恐慌が既に起きている。更に深刻なのが日本。特に地方の惨状は、ここで何度も書いている。
その上、世界恐慌が表立ってきたら、どうなるのか。まずハイパーインフレとすると、年金生活者は? 
今や何が起きても不思議でない。我が身は自分でしか守れない。「まさか!」は起こってからでは遅いが備えは可能。
「まさか!」が、危ない。私の「まさか!」は、リーマン。備えてはいたが、現実に起こると「まさか」が、
「まさか」でなくなる。その典型が、「まさか!東京電力が」・・一万円前後していた株価が、今では500円、
これも国家管理になればゼロの可能性がある。安定株の筆頭だったのに。
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4228,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー3
2012年10月23日(火)
* 鮫子の形の由来
 餃子も、清の銀貨の「馬蹄銀」の形からきているという。まあ、面白いものだ。
≪ 中国では、日常のお惣菜としてだけでなく、お正月の三が日にも縁起ものとして餃子を食べるしきたりがある。
 その理由は、あの独特の形にある。鮫子の形は、清の時代まで中国で流通していた銀貨である「馬蹄銀」の形から
きている。そのため鮫子は「富貴」「多子」の縁起をかついだおめでたい食べものだと考えられてきた。中国では、
年の初めに鮫子を食べると一年間お金に困らずに暮らせ、財をなすことにも通じるといわれている。中国における
鮫子は、まさに日本の「おせち料理」のような存在であるといえるのだ。 それでは鮫子の発祥地はいったい
中国のどの辺りなのだろう。じつは比較的最近の一九六八年、新彊ウイグル自治区トルファンにあるアスタナ
遺跡で、なんと唐の時代の鮫子の化石らしきものが発見された。この発見により、このトルファンの地が餃子の
起源と考えられている。この化石は、トルファンに展示されている≫
    * 瓶詰めはナポレオンのアイデア募集から生まれた
≪ 瓶詰めはナポレオンがアイデアを募集し、多くの応募の中から入選したのが食品加工業者アぺールの発案した
 瓶詰めという方法だった。その作り方は、瓶に調理した食料を詰めて、これをコルク栓と針金で完全密閉する。
そのあと湯せん鍋で沸騰加熱して殺菌するという方法だ。これなら食材を新鮮なまま持ち運ぶことができる。
この瓶詰めは画期的な保存方法として注目され、アペールは莫大な賞金を手にした。ナポレオンの快進撃を支えた
瓶詰めは、ほぼ同時期にイギリスで発明された缶話めとともに、今でも人々の食卓を支え続けている。≫
▼ 要は、食品のパッケージ化を考えたということ。樽詰めを更に小さく個人用パッケーかに詰替えたことになる。
 最近、コンビニが勢いづいているが、これも、スーパーの家族用の品ぞろいから、個人用のパッケージ化商品を
中心にしたことが、消費者の支持を受けたことになる。
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3863, ‘なりたいものになれ!ゲーム’か? 人生は
2011年10月23日(日)
「なりたいものになれるのは、なろうとした者だけだ。」という道理もある。反対に、「なりたいものになるな。
なれるものになれ。」というのもある。脳科学では、「人間は本来、なれないものは最初からなりたいとは思わない」
という。日本人がイギリス首相になろうと思わないし、ケンブリッジ大教授になりたいと は思わない。
何となくなりたいと思う理想のイメージの人にはなれるのが道理。人間は無意識のうちに自己能力の限界設定を
しているはず。ある有名な人に、「気後れしないで、翼を広げなさい。そして、なりたいものになりなさい」と
言われ一念発起した人の手記がある。翼を広げ羽ばたいていると、いつか風が吹き「なりたいものに、なれる」という。
「なりたい」と真に思わなければ、なりたい自分になれる訳がない。 逆に「なりたいものになるな。
なれるものになれ。」というのは、【某セミナー】の教え。≪ 「なりたくたってなれない。 でも、なりたいと
思っているのがそもそも間違い。」 そもそも、なれないものに多大に努力をつぎ込むのは愚か者のすることです。 
なれないものとは、ネガティブなものの事ではありません。自分に合っていないもの。本来の自分を殺してしまう
生きかたをいいます。いくらあこがれの外人さんがいるからって、日本人なんだからなれないに決まってます。
ところが「髪を染めれば」とか「カラーコンタクトを入れれば」・・とかドンドン付け足し、自分がなくなっていく。≫
 これも道理で、「漠然とコンプレックの心理トリックで本来の自分の姿とは違った「なりたいもの」の仮面を作り
上げてしまう愚」を説いている。これは逆に、勝手に作り上げている見識の範囲で固まってしまう可能性もあり、
しっかりした指導者か見識が必要。しかし真になりたいものを見つけ、それに向かって翼を広げれば、風が何時か
吹き、その目的とするところに連れて行くのも道理。「棒ほど祈れば、針ほど叶う」ということ。そして、
時間の蓄積が針を棒に変えてしまう。 なりたいと願うことは、エネルギーをそこに集中していることになる。
やはり、真から自分が望んでいることなら、やはり、なりたいものに、なっていく。司法試験に多くの人が挑み、
そして大多数の人が挫折していく。しかし、その中で合格するのは、なりたいと思った人。しかし一生をかけても
合格できない人が大部分になる。人生、色いろである。なりたいものゲームか人生は?それだけでないはずだが。
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3498, 高橋信次の娘・佳子のいう〈魂〉とは
2010年10月23日(土)
  先日の読売新聞の一面に高橋信次の娘の高橋佳子の著書広告があった。
 高橋信次といえばGLAの教祖で、何冊かを20歳代に読んだ記憶がある。
 ーまずはウキィペディアによると
≪ 10歳頃(1937年頃)から現在で言う「幽体離脱」現象のような霊現象を体験するようになり、その肉体の
 自分とは違う霊体の自分を「もう一人の自分」と呼び、その現象に幼心に疑問を持ち、以来約32年間、電子工学や
物理学等の自然科学を修めつつ探求を続けた。しかし、従来の宗教書を読もうとはせずに、独自の探求を続けた・・≫
ウキィペディアには、彼とGLAの詳細がこと細かく書かれている。それより、彼女の魂の解釈が分かりやすい。
  ー概要と印象的な部分を私の主観でマトメテみたー
*敗北の時代ー現在の日本は、困難な時代である。高度成長以降、バブルの崩壊から嘘のように元気を失っている。
 財政赤字は900兆以上にもなり、収入は日ごと目減りを、老後を支えるはずの年金は崩壊の危機に直面している。
 自殺者は3万人を10年以上続けており、明るい話題は陰を潜めている。
*最大の危機は「冒険」の喪失ー 何より問題は、未来に希望が持てなくなり、
 新しい挑戦が出来なくなっているからだ。
*人間には外界に左右されない内なる可能性があるー そのためには、今までにない生き方に挑戦するとき、
 前向きな挑戦は本当に想像を絶するほどの違いが出てくる。人間の中には、未知の可能性がある。
*「人間は魂の存在」が出発点 ―「人間は魂の存在として受けとめること」−>「人間は肉体と魂から成り立つ」こと。
 まず人間の肉体は、地球上の生命進化の究極の姿を現す叡智に満ちたもの。この世界の物質をつくる元素は星の中で
 生成され、星が終焉を迎えるとき、超新星爆発で宇宙に散らばったものから出来ていて。その延長が肉体である。
 その魂の方はどうかというと、魂は心とつながり、 さらにその深奥に広がる存在である。肉体の基である外宇宙が
 百億光年以上のとてつもない広がりを抱いているものならば、 これに劣らない広大の内宇宙をもたらしている。
 仏教の一念三千という言葉は、その広がりを示している。私たちの心・想いは、平和で満ち足りた天上界から
 苦しみばかりの地獄界まで、あらゆる世界に通じています。その魂の抱いている内宇宙とは、それにとどまらない。 
 魂の次元は過去・現在・未来が一つになり、自他を超えるもの。魂とは、この人生だけでなく、永遠の生命として
 経験してきた幾度もの人生の記憶と限りない智慧を湛えた存在であり、私たちを超えた無意識の膨大な経験と
 記憶の貯蔵庫、宇宙の源という次元に繋がっています。あらゆる生命と存在を一つに結びつける、つながりと
 絆が張り巡らされたどの宇宙を、≪ユニバース≫と呼ぶ。 その≪ユニバース≫こそ、計り知れない
 広がりと深さを抱いている私たちの母胎であり、だからこそ、私たち人間は、宇宙=ユニバースに通じる
 ゆたかな智慧によって 自らが進化するだけでなく、世界と光の共鳴を果たせる存在となる。
*魂が引き出す宇宙=ユニバースの世界 ―我われは偶然が支配する科学的世界観の下では、自分が意味もなく
 生まれ、世界とは特別なつながりはないと思っているかもしれない。しかし、そうではなく魂の次元に気づいた時、
 みな「つながり」によって生かされる「絆」の塊となる。その絆の基、宇宙の源には、私たちが拠るべき、
 全ての解答と青写真が湛えられている。
 〜〜
解)魂について、これだけ明快に説明している文章も珍しい。「魂とは、生前、死後に
 自他を超えて広がる広大なる内宇宙の基につながっている」は、神秘的、宗教的である。
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3123, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー4
2009年10月23日(金)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)         ー読書日記
 宗教は「死に対する恐怖を軽減する役割」が大である。死がやがて訪れることを知ってしまったので、
 その恐怖こそ、人類が長年にわたって個々人が乗り越えなければ壁であった。 
 一神教は、それを利用して神というラージXに対する恐怖を洗脳し、バラバラの人心を一つにしようとした。
 エジプトの奴隷が集団でイスラエルの地に逃げてきたから、その奴隷には恐怖心を植え付け煽るしかない。
  −以下の部分は、その辺の事情を分かりやすく述べている。
  * 恐怖の神 * P-24
岸田:一神教は「対神恐怖」の宗教だと以前から言っている。唯一神を奉じる人々は、神という主人の奴隷であって、
 戒律に違反すると、神から厳しい処分を受ける。この恐怖が一神教徒の行動の規範です。彼等はあまりにも神が
 恐ろしいので、神以外のものが恐ろしくなくってしまい、平気で無関係な人間を軽んじてしまう。彼らが尊重するのは
 同じ神を信じる人間だけ。そこから、キリスト教徒ではない先住民や、異教徒に対する虐殺が由来する。神は主人、
 人間は奴隷であって、奴隷は主人の命に従わなくてはならないのです。そうしないと酷い目にあわされてしまう。
 自殺など、とんでもないことです。一神教の文明圏で自殺が厳禁されている理由は、奴隷には自殺の権利などない。
 自殺は神との契約を破棄することなので、最大の違反です。奴隷が主人の命である律法を守っていれば、
 主人は『救い手』を遣わして、奴隷たちを窮状から救い、万人の主にしてくれる。それが一神教の基本テーマです。
小滝:これに対して日本人は対人恐怖症なのです。社会で相手の信頼関係の中で「じゃあ、そうしましょう」
 となるのです。約束を破らないのは、彼に悪いとか世間での自分の評価を気にするからです。
 しかし一神教徒は神に叱られるから約束を守るのです。
岸田:対神恐怖と言うのは、それが共有されれば、人間の行動を規制するのに非常に役立つもの。
小滝:彼らにとって、異教徒というのは、同じ神に誓うという条件を満たせない者たちなので相互の信頼関係を
 結べないのです。異教徒の契約は常に仮契約でしかない。その辺に一神教徒の異教徒への非道の原因があるようです。
 ▼ アメリカという一神教国が多神教国を冷酷な割り切りの視点でコントロールしている背景を上記からも
  知ることが出来る。
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2758, 仏文学者が、この一連の「金融恐慌」を書くと!
 2008年10月23日(木)
仏文学者の鹿島茂毎日新聞の文化欄に「株価暴落ー最悪は次の最悪の前兆ー1929年の再来か」と題して
書いていた。経済学者でもなく金融関係者でもない文学者が書くと‘凄いこと’を文学調にアッサリと書き上げる。
1929年の金融恐慌では株価の下げは波状的に、最悪は次の最悪の前兆として押し寄せ、それが三年に及んでいる。 
 (字数制限のためカット 2010年10月23日) 
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2007年10月23日(火)
 2394, 恥はかかせろ、いじめはなくすな −2
 戸塚宏も、何人かの人を死なせて6年間刑務所の中で過ごしてきた男である。
もちろん死なせた自責の念も常に自分の良心の呵責もあるだろう。
そして檻の中で、教育とは何か身体を張って考えたはずである。だから、これだけのことが言えるのである。