「生まれたことをどう考えるか 」船木 英哲 (著)
   * 「生まれたことをどう考えるか」は、人生の根本的問いかけ
 学生時代から、この根本問題を考えてきたが、そう簡単ではない。しかし、「何を馬鹿な!猿が生まれて
きたことに意味があるかを考えるのと同じ。意味など後付の屁理屈」と決め付けることもできる。
この問いかけは、「人生を如何に生きるか」に通じる。 フランクルの「人は良く遊び、良く働き、良く学ぶため
生まれてきた」を一番気に入っているが、これに「良く休む」を加えると、ベストに思えるが。
実際、生まれてきた理由などないはず。
  まずは、ーアマゾンの内容説明よりー 
《 生まれるとはどういうことか、(生まれ、生きる主体である)心とは何かの問題を追うことで、
 人間や世界の存在を考察し洗い直し、生まれたことに意味はあるのかどうか、意味があるとすれば
 それは何か、どういうものが考えられるのかの問いに迫ったものである。・・・(本文より) 》 
  ーその一部を抜粋してみるが、最初から最後まで、似たような内容が続くー
≪ ◇ほんのわずかな時間、意図的に呼吸をしないことはできるが、わたしの心臓や肺が動き、わたしが呼吸する
 ということは、わたしが意識的に作り出していることではない。わたしが眠っている、わたしの意識のない間も、
心臓はわたしの体の中で規則正しく動きつづける。わたしの意識の状態に関わりなく、呼吸、さらには、体温調節、
消化、酵素の分泌など生命維持に必要な営みは行われている。生きているということは、生きている各人の意識とは
別なところで成り立っている。自分が生きているということは、根本的に自分が作り出しているようなことではない。
◇ わたしは生きるか死ぬかを選択し、その選択通りに実行することができる。もちろん自ら死ぬという選択、
 実行には、多大な困難が伴うであろうが、場合によっては、意を決し行うこともできる。わたしは現在生きる
選択をし、骨を折りながらそれを実行しているが、だからといって、わたしは自分の力で自分の生からすべて作り
出しているのではない。何かによってわたしが生きられるような状況があるから、わたしは生きてゆけるのであり、
生きるか死ぬかの選択ができるような状況にもあるのである。
◇ わたしが他の場所に生まれず、わたしの生まれた地に生まれたこと、100年前や500年前ではなく、
 わたしの生まれたときに生まれたこと、他の人間を親とせず、わたしの両親のもとに生まれたこと、さらには、
わたしが男であり、日本人として生まれたこと、他の生き物としてではなくや人間であったこと、また、他ならぬ
このわたし、この自分であり、わたし固有のDNAをもっていること、死すべきものであることなどは、わたしの
作り出したことではなく、わたしに与えられたものとしてわたしにあることである。わたしは今挙げたような
制約の中、抗えない何かで生きることを決定付けられている。生まれること、そして、どういうものとして
生まれるかは、生まれる者の自由にはならない。そして、わたしはいずれ死ぬように決定付けられている。・・≫
 ▼ 生まれてきたことが偶然か、必然かの問題もある。この論は、唯心論の人生感を面白半分に読むに丁度良い
内容か。偶然生まれ、必然的に死んでいく、ただそれだけと割切れないのが人生である。自分の人生は自分しか
生きることが出来ない。その自分の世界こそ、全てと考えれば著者の言わんとすることが理解できるが。
「ただ、生まれ、子づくりを楽しみ、死んでいくだけ」で、充分と思えば充分だが。それでも、求めただけ、
生まれ生きたことに意味が出ることも確か。ところで、『なぜ、自分は生まれ、生かされたのだろう?』
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4602, 閑話小題 ーまず千円だけ持って買い物に!
2013年10月22日(火)
  * 年金暮らしの知恵 ーまず千円を持って買い物に行きなさい!
エッセストの岸本葉子の『ちょっと早めの老い支度』の中で、対談相手のファイナンシャル・プランナーの一言が
印象的。「セミナーで、まず言うことは、年金内で暮らすためには食品から始めること。スーパーに千円だけを
持っていき、買い物を一週間続けることを勧めています。それが出来ないならカゴを持たないで買い物をしてください。
カゴを持たないと沢山、持てないから、どうしも買わなければならないものから買う。そうすると本当に必要なものが
わかってきます。習慣を変えるに、買い方を変えるしかないです。」 シビアな話だが、体で憶える第一歩。
 私は週一回、酒とツマミの買出しをする。大たいカート一杯で4千円前後。これと週二回のランチと、週一の
シネマと、月1〜2度の飲み会に金を使うが、この持ち出しの金は、家内からの小遣い。 元はといえば、出処は
40年与えてきた給与の一部?それで今や発言権は三分の一。この二年の身の回りの買物は、ジャケット三枚、
ジーンズ二本、電動アシスト自転車iPad、7千円のカシオのデジカメ。これだけ買えば十分? こんなもの? 
その都度、小言をいわれるが、さほど欲しい物がないのは年齢のせい? 欲しいものは殆ど手に入れてきたため? 
財布には必ず、5万以上は入れている。使わなくても心が豊か?にするため。これで心豊かというから、安いもの。
年金暮らしの貧しい内容になってきたが・・ そこで昨日、車に財布を置いて、千円だけ持ってスーパーで買物を
したが、気持ちは千円分の視線で、心はプアー。財産を使い切り、まず楽しみ、貧乏を楽しむのも面白いのかも。
他人事でない、自分のことか!それでも心はリッチ? 楽しんだ実感と行蔵があるのは強い。 
日々、是、好日、いや口実か。 年金暮しも、楽むしかない。
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4227,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー2
2012年10月22日(月)
   * 饅頭は諸葛孔明のトッサの機転から生まれた    ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪ 饅頭の起源はなんと中国の三国志の時代にまで遡る。蜀の軍師であった諸葛亮孔明は、ある地域で人の頭を
人身御供として捧げ、川の神を鎮めるという風習を目にした。これをみかねた諸葛亮は、機転を利かして、小麦粉の
皮に豚や羊の肉を入れたものを人頭に見立てて神に捧げ、いけにえの代わりとした。これが饅頭のルーツである。
それ以来、饅頭は料理として中国人の食卓にも浸透し、主食の一つとして食べられるようになった。まんじゅうの
「じゅう」の字を「頭」と書くのはここからきている。当初は蛮人の頭の意味から「蛮頭」が用いられたが、
のちに「饅」の字を使うようになり「饅頭」になったといわれている。
諸葛亮が機転を利かせて誕生した饅頭が、日本に伝わったのは一四世紀。1341年に宋から渡来した林浄因
(のちに塩瀬姓を名乗る)が作った「奈良饅頭」が、日本で最初の饅頭とされている。中国の饅頭は中に肉や
野菜を入れるのが普通だったが、浄因は肉食が許されない僧侶のために、小豆を煮詰め、甘葛の甘味を加えた
館を入れた饅頭を考案した。≫
 ▼ まさか饅頭に、こんな起源が隠されているとは思っていなかった。
   * 海軍大将・東郷平八郎の注文で"誕生した肉じゃが  ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
≪東郷は、イギリスに七年間留学していたことがあり、日本に帰国してからも、かの地で食したビーフシチュウの
味が忘れられなかった。日本でもあの味を味わいたいと部下に調理を命じたが、明治時代の日本では、ビーフ
シチュウに欠かせないバターやワインがなかなか手に入らない。そこで部下は、砂糖、醤油、ごま油を使い、
牛肉とじゃがいも、玉ねぎを煮込んでみた。こうしてでき上がったのが、今でいう「肉じゃが」だったのだ。
ビーフシチューとは似ても似つかないが、これが意外と美味であった。しかも、当時の海軍の船員たちは
長い航海のうちにビタミンが不足に陥り、脚気壊血病になる者が多かったが、じゃがいもや玉ねぎはビタミンが
豊富なので、その予防にもなる。当時は肉じゃがではなく、「甘煮」と呼ばれたこの料理は、まず海軍で人気の
献立となった。一般家庭に普及したのはずっとあとで、昭和五〇年代に入ってからのことだった。肉じゃがの
ルーツは東郷風のピーフシチウだったのである。≫  
 ▼ 肉ジャガが和風シチューのつもりで作ったものとは、居酒屋ネタとして丁度よい。
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3862, 嘘みたいな本当の話
2011年10月22日(土)
 図書館で見つけた「嘘みたいな本当の話」の本の題名、ここのテーマで取り上げたような気がして調べたら、
「H0505 小説のような本当の話!」というテーマであった。 この本は多くの人の実体験の特集で面白いが、
それでは私というと、これらより面白いものが、幾らでも出てくる。とはいえ、それは自分自身のことだから
言えることだけで、第三者の見方は違うだろうし、150あまりのショートストーリーは、それぞれの味がある。 
人生には、誰もが多くの思いもよらない経験をするもの。考えてみたら、自分が、いま、ここに存在している
ことが嘘みたいである。 両親の出会い、そして数億の精子と、卵子が出合うことも、両親の両親、そして
先祖の出会いの重なりの結果、はじめて現在の自分がある。 そういう難しい話は、この本の本題ではない。
何処にでもある、ちょっとした世間話的な信じられないような経験の披瀝である。
 この本の面白い嘘みたいな本当の話の紹介の前に、私の世間話的なそれを書いてみる。
   ー かなりショートにまとめてみた。
 * 7年ほど前になるが、オーストリアの、とある観光地の街中で何気なく空を眺めると、カラスの一群と
   鳩の一群が入り乱れて闘っていた。見ていたのは数分だったが、カラスと鳩の群れの闘いなど、
   滅多にみれるものでない。「外国には外国の鳥世界があるのか」と、何となく思ったことを覚えている。
 * その頃の話だが、早朝、土手を散歩していたところ、ある家に繋がれていた身体はデカイが、
   幼さの残っているゴールデンリトリバーと、偶然に目が合った。 思わず、ヨッと右手をあげ声をかけると、
   何と、その犬も右手、いや右足をあげた。 オテの、条件反射だったのだろうが、何か奇妙な気持ちになった。
 * 雀と燕の巣をめぐる争いに出会ったことがある。バイパス下のトンネルにある燕の巣に、越冬の留守に
   雀が住んでいた。そこに春先に燕が帰ってきて、その巣をめぐってツガイ同士が争っている場面に出くわした。 
   雀には、多くの仲間が遠くからピーピーとけたたましく騒いでいる。 数分で、見届けないで散歩を続けたが、
   翌日見ると、そこから雀が顔を出していた。驚きは、嘘のような場面に出会った時に生じる心の状態である。
   とすると、初めての体験、経験は「嘘のような出会い」になる。
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3497, お金の教養 −3
2010年10月22日(金)
                    ーお金の教養ー「お金の仕組み」 泉正人著
  * 何が「浪費」で、何が「投資」か
 何もかもが節約ばかりでは人生は面白くない。それでは貯蓄が目的になっては、お金の本来の価値を
楽しむことはできない。価値あるものにはしっかり使い、価値のないものは、使わないというルールが必要。
著者は日常使う小さなお金を、使い方によって、「投資」と「消費」と「浪費」の三種類に分けている。
・買ったものが、払った以上の価値がある=「投資」
・買ったものが、払った額と同じ価値がある=「消費」
・買ったものが、払った額以下の価値しかない=「浪費」
 これは分かりやすい。 私の場合、海外旅行は、払った5〜10倍の価値は充分にあった心底思っている。
飲んでまわって三軒目以降は払った額の半分以下か零と思うことが多い。 これは浪費。
土曜日など家内といく居酒屋などの飲食店は払った同額の価値だから、消費。 そう具体的にみると、
それぞれの意味が実感できる。 時に浪費の方が有意義?のことがあるが、ただ酒に飲まれている方が多い。
テレビ、パソコンは投資。 昼飯は消費。 本は大部分は投資。 週刊誌は消費で、月刊誌の文藝春秋は投資?消費?
これは実際に買って読んでから分かること。去年買った電気アシスト自転車と海老反り器械と腰叩きマシーンは投資。 
両親から捨て金を使うな!と教えられたのは、価値のあるなしを意識して金を使えということ。
関西人は概ねこれに徹している。 マイホームは思い切って良い家を買うが、普段の生活は質実剛健にする。
 金の使い方だけでなく、著者はこれを時間について当てはめている。 英会話の勉強に当てている時間や、
健康のためのスポーツは投資の時間。 休みの日に、何をやっていたか記憶のない時間が浪費。
睡眠は、それが人間が生きるため必要な時間で(必要経費として)投資になる。一年を振り返って、
あれは良かったと思える時間が投資である。 そういう視点で「金と時間」の使い方をチェックしてみると面白い。
長期的投資と短期投資にも分けられる。浪費が入った三つが混合するから面白いもの。浪費と思っていただけの
ことが実は投資だったり、投資と思っていたことが浪費だったりする。これは時間がたってみないと分からない。
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3122, 生きる幻想 死ぬ幻想  ー3
2009年10月22日(木)
 「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
 中世に西欧の国々が世界を拡大していく過程で、構造主義ではないが、決して南米や東洋より優れている
のではなく、逆に劣っているのを知ることになる。 勝っているのは人殺しの技術だけ。そこで西欧人は自分たちの
方が優れていると、信じたと思ったのである。同じ神を信じると認めあった仲間内では、平等とか隣人愛を言うが、
そこから外れた者については、公然と差別をし、何をしてもよいことになる。人間扱いされなかった奴隷たちが
救いの神として唯一絶対の神を信仰したが、その神は復讐の神だったからである。現在、原理主義者が平気で
テロを仕掛けるのも、この辺の事情による。 ー以下の部分は、その辺のことを詳しく書いているー
 * 大航海のカルチャーショックと、ペスト発生の由来 (P−13)
Q: 西欧キリスト教文明が、十一世紀以来、イスラームと敵対していたというお話ですが、その後、大航海
 時代から帝国主義と、猛烈に世界に進出していきますね。そしてその際にきわめて大規模な虐殺が起こっている。
岸田: 大航海時代でアフリカ、アジア、アメリカ、インドなどに出ていったのですが、その結果、ヨーロッパ人は
 ますます劣等感と敗北感が募ったと思います。 誰だって、ふるさとの地で何とか暮らしていけていれば、決して
 ふるさとを捨てて遠い外国なんかへ行きたいとは思わないものですが、当時のヨーロッパ人はヨーロッパに安住
 できないいろいろな事情がありました。人口の四分の一から三分の一が死んだと言われる十四世紀半ばのペストの
 大流行、打ち続く飢饅、宗教的迫害など。ヨーロッパ人自身は、進取の精神で広く世界へと進出したと思っている
 ようですが、他の大陸へ出掛けていった連中は、客観的には、命からがら逃げ出した難民でした。 
 十五世紀の終わり頃は、ヨーロッパよりインドや中国のほうがはるかに文化的にも経済的にも上で、豊かな生活を
 していたのですね。 ヨーロッパの難民たちは、世界を知ることによって、ヨーロッパがいかに遅れていて劣って
 いるかを発見したのです。 その劣等感というか敗北感をひっくり返すというのが、近代ヨーロッパ人の植民地主義
 支えた情熱なんですよ。 われわれのほうが遅れている、劣っていると感じて、それ以後のヨーロッパ人は、
 われわれのほうが上なんだ、優秀なんだということを証明しようと必死でした。それ以後、彼らが、何かにつけて、
 ヨーロッパのほうが進歩していると繰り返し繰り返ししつこく主張したがったのも、この必死の努力の表れでした。
小滝: ペストのことで一言注釈しておけば、あれもキリスト教に原因があるんです。 当時は修道院があちこちにでき、
 実に多くの成人男子が修道院に入っていたそうです。その食糧をまかなうために、大規模な森林伐採をやったのです。
 さらに森林伐採には宗教的な意昧もあって、森を残しておくと、土着的な精霊信仰が生き残って、異端や異教が
 生まれるので、キリスト教を広めるという意味でも森林を伐採した。そうしたらフクロウとか蛇とかがいなくなって
 野ネズミが大発生し、それにペスト菌を持ったノミやダニが寄生したもので、大流行を引きおこしていった。
 〜〜
  現在、アメリカをはじめ西欧文明が基礎から揺らいでいるが、この辺の一神教が主導してきた文明の行き詰まり。
 そして、これからは中国、インド、東南アジアの文明が必然的に世界をリードしていくしかない。
 アメリカの属国として戦後の経済成長を続けてきた日本も、ここで大転換期をむかえたのである。
 ・・・・・・・・・
2757, 今後のノーベル賞の有力候補は?
 2008年10月22日(水)
 一昨日の産経新聞 【正論】の ー ノーベル賞で「銀メダル」の日本 ーが、面白い! 
 その中で、今後の日本のノーベル賞の候補を何人か挙げていた。
 アメリカの国力を感じるが、日本も満更ではないことが窺える。
  ーーー
 ●≪政府の50年目標も有望≫
 アカデミーが南部陽一郎小林誠益川敏英の3氏の日本人に2008年のノーベル物理学賞を授与すると発表し、
翌日には同化学賞を下村脩氏に贈ると発表した。日本人がノーベル賞を受賞するのは、2002年の田中耕一氏(化学賞)と
小柴昌俊氏(物理学賞)以来6年ぶりで、同じ分野の賞を3人で共同受賞するのは初の快挙である。
この結果、自然科学系のノーベル賞を受賞した日本人は13人となった。
今回の快挙を含めて、最近ノーベル賞での日本人の進出が目立つ。 化学賞は2000年から白川英樹野依良治田中耕一
の3氏が3年連続で受賞しているから、下村脩氏で4人目となる。
物理学賞についても小柴昌俊氏と今回の3氏を合わせると4人が受賞。9年間で8人の日本人科学者が受賞したことになる。
 1901年に創設されたノーベル賞を20世紀に受賞した日本人科学者は物理学賞が湯川秀樹朝永振一郎江崎玲於奈の3氏、
化学賞は福井謙一氏と白川英樹氏、医学・生理学賞が利根川進氏の計6人だった。
それが21世紀に入ってわずか8年なのに、すでに7人が受賞した。100年分を8年で超えてしまったのだから驚異的といえる。
日本政府は科学技術基本計画で「50年間で30人以上の自然科学系のノーベル賞受賞者」という数値目標を掲げたが、
このペースでいくと可能性がある。
  ●≪医学・生理学賞も圏内≫
 これまでの自然科学系受賞者の国別ランキングをみると、トップは224人の米国、次いで75人の英国、68人のドイツ、
29人のフランス、16人のスウェーデン、15人のスイスが続き、13人の日本はロシア、オランダと並んで7位である。
ところが、今世紀に入ってのランキングは、30人の米国は別格であるが、7人の日本は何と英国と並んで2位を占める。
21世紀の自然科学系のノーベル賞争いで現在、日本は銀メダルという素晴らしい成績である。
 さらに、今年の医学・生理学賞は日本人の日沼頼夫氏が受賞する可能性があった。 中略・・・
  ●≪他分野でも世界が注目≫
 これからもノーベル賞のラッシュが続く予感がする。物理学では青色発光ダイオード中村修二氏、カーボンナノチューブの飯島澄男氏、
巨大磁気抵抗効果の十倉好紀氏、光ファイバーの中沢正隆氏、化学では鈴木・宮浦カップリングの鈴木章氏、炭素繊維の遠藤守信氏、
医学ではiPS細胞の山中伸弥氏、抗コレステロール剤スタチンの遠藤章氏、先天免疫の審良静男氏、ニューロサイエンスの菅乃武男氏
と多士済々である。・・・・・
 最近の日本人の活躍は自然科学者だけではない。2003年には宮崎駿監督が『千と千尋の神隠し』でアカデミー賞の長編アニメーション賞
を受賞し、漫画でも『ドラゴンボール』『ポケモン』『ナルト』が世界を席巻した。 日本の文化が国際的に認められているのだ。
戦前の日本は米国や英国と肩を並べる軍事大国となり、戦後は米国に次ぐ経済大国となった。 これからの日本が目指すべきは、
かつての軍事大国や経済大国への道ではなく、文化大国という新たな挑戦ではないかと思われる。 (なかはら ひでおみ)
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 これとて文化勲章と同じワッペンでしかない、ワッペンはワッペンだが、一緒に喜ぶことが大事! ただ、それだけのこと。