* 「孤人」の誕生   『音楽を愛でるサルーなぜヒトだけが愉しめるのか』正高 信男 (著)
 これは「ウォークマンiPodが、グーテンベルグの印刷に匹敵するインパクトを世界に与えた」という説。
読書は目からの視覚情報手段だが、ウォークマンは手軽な音楽の楽しみ手段になった。それまでは、ラジオ、
レコードや、公共の場で集団で聞いていた音楽を、コンパクトな情報端末として個々が持ち運び可能になった。
それが、一般大衆の「孤人」化の傾向を劇的に進むことになる。それが今ではPCの携帯化とネット化である。
  ー内容をまとめると、以下のようになる。
≪:何気なく音楽を聴いているが、実は音楽に喜びを見出せるのは人類だけ。他の霊長類には音楽への感性が
 備わってない。なぜこのような違いが生じたのか。人類出現とともに社会的なコミュニのツールとして誕生した
音楽が、言語と分化し、ウォークマンiPod、「ひとりカラオケ」など個人で愉しむものに変わるまでの音楽の
起源と歴史、機能から、人類の進化の謎を解き明かしている・・・
グーテンベルク以前は、書物という代物はたいへん重いもので、移動するのはほとんど困難。
 手書きのオリジナル版が僧院や図書館に保管されていて、読むためにはそこに出かけるしかなかった。
借り出すことはできないので、気になる記述に遭遇すると筆写するのが常だったが、活版印刷で状況は一変する。
薄い紙にぎっしりと文字をつめ込み、大量に製作することで、安価でハンディな活字本ができあがった。
時期を同じくして、ヨーロヅパ世界では英国を皮切りにして(乗り合い馬車という世界初の公共交通機関が出現。
乗客たちが、この使い慣れないシステムを活用するにあたり、活字本を持参して移動中の所在ない時間をつぶす
という行為を思いつき、それが普及したとき読書という習慣が社会に流布した。 まず最初は貴族が始めた。
彼らがとりたてて知的欲求が高かったと考えるのは、やや早計だろう。乗り合い馬車のなかの狭い空間で、
身分の異なる見知らぬ者同士が顔をつき合わす、その気まずさに平民よりも貴族が耐えられなかったことが、
大きく影響したのかもしれない。しかし本を持ち込んで、読書をすれば(または読んでいるふりをすれば)、良い。
グーテンベルクに遅れることと五百年で、かつて中世で起こったのと同じことが音楽でも見られるようになった。 
ポータブル・オーディ・プレーヤーの最大の特徴は、いつでもどこでも、セットをすれば一人で音楽と向き合える
という点に尽きるだろう。なるほど当人の視線は拘束を受けていない。だが本人の注意が視線の先にないことは、
誰にも見てとれる。耳から伝わつてくる、その源に行っているのだ。結果として、「私の今の関心は、目の前には
ありません。文字通り、「心ここに在らず」の状態ですよ」というメッセージを強烈に発信する機能を果たす。
しかも機能的には書籍より格段にすぐれている。手をふさぐこともないし、電車に乗ぞいるときばかりか、通りを
歩いていようと、あるいは走っているときでさ、彼らは公共の場にいないことにされてしまうのである・・ ≫
▼ 視覚だけでなく、音楽を手軽に楽しめる視覚活用に、大衆がウォークマンで気づくことになる。
 数年前から、更にパソコンが手の平サイズの携帯に収まって世界的に普及を始めた。それで、ネットで孤人が
結ばれたのだから、孤人は、それまでと違った「?人」に変わろうとしている。「?」は「弧」「拠」「壺」・・・?
今では現実世界の上にネット社会が出来て世界を激変させている。 グローバル・ネットの住人の呼称は?
  孤独の群集、孤独の流離い人が、気楽に、それぞれ結ばれる面白いネット社会になってきた。
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4555,横尾 忠則の老人論 ー2
2013年09月05日(木)                    
   * 人生の目的 ―バルザックの場合         「猫背の目線」横尾 忠則 (著)  
 ー良く遊び、良く学び、良く働く。その他に、「空白=虚」の領域を持つことー これが私の人生の目的。
その虚の領域が、バルザックの人生の目的の「休息」になるのか?生前、死後に取り囲まれた『自分』の外(虚空)
を常に意識をするため、休息が必要ということか? 欧州のバカンスで1〜2ヶ月も休暇をとり、生活圏から離れ、
ただボッとする。それが彼らの休息。日本にも湯治というシステムが昔からあった。軽井沢や那須などの別荘地は、
娑婆から隠れるためにある。  ーまずは、その部分からー
《 彼は「芸術家にとって暇が労働なのだ」と言う。つまり芸術家は常に規則に従うことを拒絶し、自らが自らの
 規則に生きることを本懐としているのである。世の中の潮流や流行は意に介さず、無頓着でいなければならない。
社会や他人の支配に従うのではなく、その時の気分(そう、この気分が大事である)に従うのを第一義にしなければ
ならない。バルザックも「芸術家は自分の好きなように、またはやれるように生きる」と語っている。
 「人生の日的は休息にある」というバルザックは、芸術家は例外としてもこの彼の目的は万人に通じる。
先に彼は「芸術家にとって閑暇が労働であり、労働が休息なのだ」と言ったが芸術家は何もしないでボーッしている
瞬間にも、作品の構想を頭の中で練っている。だか休息中でも働いているのだと言っているのである。働くといえど
肉体労働ではない。知的というか創造的労働を体を休ませると同時に行っている。「芸術家は休む時がないですね」
と言われそうだが、確かにそうだ。でも画家の立場からすれば描いている時は結構休んでいる。考ているようで
考えてない状態、三昧世界に入っているのである。バルザックが「人生の目的は睡眠にある」と言ったらヤバイが
「休息」と言うところがさすがである。つまり休息こそわれわれが無意識になれる最もベストの状感だからである。
またこの無意識の状態こそ最も健康な状態といえるのではないだろうか。常に頭を使ったり過度な肉体労働をする
ことは健康を害することに結ぴつくことがある。バルザックが人生の目的を「休息」と言ってのけたところには
人間の究極の幸せがあるように思う。大半の日本人は人生の目的を手に入れるためには多忙を極めなければ
ならないと考えているのではないだろうか。「休息」を目的にしたらきっと落ちつかないに決まっている。
「休息」の背後には芸術家バルザックの優雅な生活というのが存在しているのである。
貴族趣味で家中を金目の物で飾り付けるという優雅さでなく、自由に心の向くままに生きることこそ優雅な
人生の目的であるということを「休息」を通して学び直す必要があるとぽくは思うのです。》
▼「休息は死後にすればよい」というが、「激しく生きた後の死こそ人生の目的」と言いたいのか?
 先日、新しいCDを出すと、ツアーで同行したミュージシャンから販促を兼ねた手紙がきた。西アフリカの
バスツアーでひたすら海岸線を南下する日程だったが、そこで、「この旅行は、私にとって仕事。異国のツアーが
私に創造を喚起する。しかし税務署は、これを経費と認めてくれない」と言っていた。芸術家にとって休んでいる
時が、創造状態にあり、それをカタチに移行する状態が、むしろ休んでいる、遊んでいる状態というのは、納得できる。
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4180, 復讐するは我にあり
2012年09月05日(水)
復讐するは我にあり』は、キリスト教の言葉で、‘我’というのが神様(イエス)のこと。復讐はまた新たな復讐を
呼び”憎悪の連鎖”が生まれてしまう、それを断ち切るために復讐は神に預けて神の裁きにまかせると言う意味。
この言葉を知らしめたのは、第74回直木賞を受賞した佐木隆三の小説で、5人を殺害した西口彰事件を題材にした
作品【復讐するは我にあり】。1979年に映画化したストーリーとは、≪ 昭和38年。当時の日本はたった一人の男、
榎津巌に恐怖していた。 敬虔なクリスチャンでありながら「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」
と豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網を
かいくぐり、78日間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。≫ である。
 この「復讐は神に預けて神の裁きにまかせること」の意味を知って以来、怒り心頭になると、この言葉を呪文の
ように唱え、気持ちを収めてきた。逆に、私の逆鱗で多くの人の心を傷をつけてきたが、それ故に何倍も返り矢で
傷ついてきた。その時も、この言葉の意味を痛いほど実感した。年齢を重ねるにつれ、この言葉の重みを感じている。 
要は因果応報で、報いは一番、当人が受けているから、あえて怒りの感情に支配されることもない。怒りの感情は、
相手を毒する以上に自分を害する。復讐となれば更に毒が自分に向かう。とはいえ、家族が殺されたり、致命的な
裏切りの怒りは癒しのしようがない。この言葉を唱えるしかないことになる。逆に祝福を積み続けた人に神は
幸運を与える。「積善の家に福来る」である。しかし、この言葉こそ、ニーチェは弱者の怨念の原因となるという。
領土を奪われた国民が『復讐するは我にあり』と信じ、他力に頼ろうというしたら、国は滅びる。人を恨めば穴二つ、
という格言があるが、復讐は長期的潮漬けにするしかない。「江戸の仇を長崎で討つ」ということ。
グローバル化は弱肉強食の世界になっていく。怨念が世界に満ちることになる。
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3815, 哲学人 ー⑨
2011年09月05日(月)
                     ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  * ー経験の裏側には、常識ではまったく感知できない真理と現実が数多くあるー
 人生の比較的前半で、経験、そして現象の裏側に一般では感知できない真理と現実があることを、垣間見てきたつもり。
私たちは表側の一部だけの事象を見て判断している。知りえる範囲でしか見えない。旧約聖書の世界の創世の物語は
7千~8千年前。当時は、そこまでしか想像が出来なかったのである。それも我々が住む地球が球形で、宇宙に無限に
近い星があることも分るはずがない。現在の我々は、現象の中にある真実を知ろうともしないで日常を流れている。 
その範囲のイメージ内でしか生きるしかないのである。 ー以下の部分が、その辺のことを明快に表現している。
【 現代科学によって明らかにされつつあるように、日常の世界における、そのときどきの経験の裏側には、常識では
まったく感知できない真理と現実が数多くある。 それはしばしば人を愕然とさせるうえに、直観に反したものである
ことが少なくなく、真実であるとわかったところで、とうてい納得できない場合もある。  例を挙げると、
・私たちの周囲にあるどの物体も、分子と原子から成立しており、その原子を構成する素粒子の一部は不規則に
 運動している。これらはすべてエネルギーに変換可能なのだが(あらゆる物体は力に満ちた空間である)、
 こうしたことは常識的なものの見方とは全く相容れない。
・私たちのまわりの空気は、テレビやラジオの微量の電波など、情報を運ぷ見えない波動に溢れており、
 そのほかにも数々の分析可能の属性を有している、という事実にしても同様である。 
・私たちは巨大な球体の表面で暮らしており、その球が表面上では時速千六百キロで自転していると同時に、
 空間を驀進しているといった、ごく基本的な事柄でさえ、(私としてはどうしても言っておきたいのだが、猛烈に)
 直観に反しており、真理であるとわかっていても見たり触れたりすることはできない。この事実はあまりに
 常識はずれであるため、これを最初に発表した人々は、いまからほんの数百年前のことだというのに、ふざけた
 空想家か危険な嘘つきとして糾弾され、そんな途方もない嘘を人々が信じたとしたら、あらゆる真の宗教と
 (それゆえ)真の道徳にとって害になると非難されたほどである。
このように、常識は私たちの置かれている状況を適切に解き明かすどころか忠実に説明してくれそうもないという
ことを、私たちは事実として知っている。さらに、特殊および一般相対性理論によって明らかになったもろもろの
ことや、量子物理学によって明らかになったもろもろのことが示しているように、私たちがじかに触れている物理的
環境は、近年まで人間には想像もつかなかったほど奇怪であり、あまりに常識とかけ離れているため、どれだけ聡明な
研究者だろうと、こうした問題を理解するのは至難のわざ。このような状況のなかで常識的な世界観の擁護を試みても、
やる前から結果はわかっている。この試みはきわめて想像力を欠いたアナクロニズムと蒙昧主義にほかならない。
それは最も粗悪な時代錯誤なのである。 なるべく失礼にならないよう控えめに述べるなら、常識的な世界観は思慮の
浅い人々の形而上学にはなりうるだろう。ラッセルは、それを「野蛮人の形而上学」と呼んだ。ラッセルの言葉で私が
何よりも頻繁に引用してきたものは、つぎに挙げる『哲学の諸問題』(『哲学入門』社会思想社)の一節の最後の文である。
「・・そうなると常識はも、もう役に立たなくなり、私たちは物理的対象の本性について、五里霧中におちいりざるを
えない。そこで物理的対象を正当な理由で心的なものとみなせるとしたら、ただ奇妙に思われるというだけでそういう
説を否定することは正しいはずがない。物理的対象に関する真理は、奇妙であらざるをえない」 】
▼ 歳を重ねると、軽くなっていくか、重くなっていくかである。私の知る限り、教養を積んできた人ほど
 軽くなっていく。生きてきた月日の出来事が所詮は粟粒、チリの様に消え去っていく事象でしかなかったことを
知っているからである。
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3450 秘・異郷の旅、よもやま話 -7
2010年09月05日(日)
 * アフリカに魅せられて
 私がアフリカに興味を持ったのは、私の高校時代の友人がケニアのサファリから帰ってきて、その写真を
見せてもらったことに始る。100枚以上の、ライオンや象、ヌー、そしてチーターの写真が数多くあった。
それだけの写真が、その男が実際に写真に撮ってきた事実が受け止められないのである。そこには、
バルーンから動物を撮った写真もあった。なんで一回のツアーで、これだけ多くの写真が撮れるのだろか?
実際に彼が撮った写真だろうか? 狐に摘まれる感覚であった。 どれもこれも、これまで見たことのない
活き活きした野生動物のエネルギーが写真から溢れ出ていた。丁度、カナダのロッキーに行って、大自然
魅せられたばかり。なら、アフリカの大地と、野生動物が次のターゲットとして良いだろうと考えた。 
しかし、17〜8年前にケニアのサファリというと、大きな抵抗感がある。
とはいえ、あの写真を見せられた上には、行かない訳にはいかない。そして、初めてケニアのマサイマラの
平原にサファリカーで乗り入れたのである。 平原をしばらく走っていると、遥か彼方に、動物が走っているのが
見えてきた。事前知識は全くないので、期間中にせいぜい数匹のライオンか、シマウマを見れれば儲けもので、
テレビで撮影された動物は、普通は見れないものと、信じきっていた。それが、シマウマが走っているのである。
そして、その後は、次々と、ヌー、ガゼルの姿を見ることができるのである。現地のドライバーが、無線とか、
行きあう仲間同士で、何処にライオンの群れがいるとか、チーターがいるかを連絡しあっている。
そして、夕刻に象の20頭位の群れが一列になり寝ぐらに帰っていくのに出くわした。 夕陽の中に、黙々と
隊列を組んで進む姿が何とも絵になっている。そして、翌朝は、早朝サファリである。この時の参加者が4名に
添乗員が一人。我われ夫婦に40歳ぐらいの中年の男の一人参加が、二人のため、ペースは我われ夫婦になる。 
これほど、都合の良いサファリのツアーは今だかってない。どの場面をとっても、強烈な印象が残っている。 
最初のサファリは、誰にとっても、そうらしい。
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075, 父は疲れてしまったのです!
 2009年09月05日(土)
 * 民主308議席の衝撃 ー朝日新聞ーオピニオン高橋源一郎 9月4日
 朝日新聞のオピニオンのコーナーの高橋源一郎の「父は疲れてしまった」の例えが言い得て妙。
  ー概略とは
《 今回の政権交代は、自民党が古いタイプの家父長で、国民がその「妻」、民主党自民党から生まれた「子」
と考えとわかりやすい。要するに「熟年離婚」なんですね。「妻」である国民は「夫」の自民党に何度も裏切られても、
なかなか別れることができない。離婚など出来ないと思い込んでいたからです。「夫」も、浮気をしても喧嘩をしても
「妻」は自分のいうことを聞く、過半数は取れると思い込んでいた。両者とも「離婚」という発想がなかった。
でも、05年の選挙で、投票で政治が変えられると気づいてしまった。それなのに定年に近づいた「夫」がまだ
威張っている。そこで「妻」は離婚届を突きつけた。 一方で自民党も、実は離婚を無意識で望んでいた?。 
一種の自殺願望。小泉が自民をぶっ壊すといい、安部、福田の二代の総理が政権を投げ出した。 もう死にたいという
自殺願望である。半世紀以上も政権にいたことで金属疲労を起こし、当人たちは、もうやめたいと思うようになった。
国民は「戦後」的な関心を失っているのに、自民党だけが旧言語で話している。
彼等はそのことを体感としてわかっていても、あまりにずれていて、自分ではどうしようもない。
「子」である民主党は、自民党から脱皮した形で生まれた政党。だから、いち早く「戦後」から脱皮できたのです。
自民党の大物議員に「小沢チルドレン」の女性をぶつけたのは、「家父長的な老人と若い自立した女性の戦い」
という構図を見せつけたかったからです。 民主党は、この選挙が過去と現在の戦いということを知っていた。
「いま」や「変化」を掲げて、「現在」という時空間に適応したからこそ、大勝できたのです。
自民と民主党は、いわば違う時空間に存在している、だから、「現在」の中での価値の争いとはなりにくい。
恐らく、自民はこのまま自壊していくんじゃないか。 民主党は、自民党という「父」を敵にすることで結束してきた。 
一度「父殺し」が成功してしまえば、兄弟げんかが始まり、分裂しかけない。それをどう防ぐかが大きな課題になる。》
 = 作家とはいえ、全く上手い例えを思いつくもの。ギリシャ神話のオディプスの父殺しを、持ち出すとは。
このように一度、殺されてしまえば、父への思いは何だったのか?、ということになる。
森、安部、福田、山崎拓などの権威が元に戻ることは無い。 「自民党パージ」である。
社会党の残党が隠れ住んでいるが、これらも森、山崎拓と同じ穴の狢。 
一度、分裂した後に再編成のプロセスが必定だが、少し勝ちすぎたのが時期を遅らせてしまう。
 自民党という父は疲れただけでない、殺されてしまったのである。困ったのは、本人たちが解ってないこと。
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2710, 今東光の話題
 2008年09月05日(金)
 以前に、今東光の毒舌の味と凄みについて書いてある本を紹介したが、インターネット上の検索で見つけた
「極道辻説法」の一部抜粋してみる。自分の年齢が、この人物の年齢に近づき、若い人に対する視点が似てきたのに
驚いているが、今東光の足元すら届いていない己との距離も見えてくる。今の時代が、この馬鹿な質問者よりも
レベルが下になっているのか?。彼が現代の日本に対して曰うとしたら、こんなものだろう!
「この馬鹿野郎!手前ら、ここまで成り下がったのか、エエ〜! アメ公の毒饅頭をまだ食べてんのかよ〜!
ブチ殺すぞ、この野郎。 頭と尻尾から腐るというが、あのパンダのようなキャスター上がりのようなオナゴが
次の首相に立候補だと、何をぬかしあがるか。馬鹿野郎! 面を見な、面構えがなってないじゃねえかよ、
わかんねえのか!程度の低い二代目が続けて首相だと、あいつらに国家が任せるしかない、日本がよ哀れでしか
思えね〜よ。たくも〜! どれもこれも腑抜けた奴ばかりじゃねえかよ、あの中曽根も、まだ生きてやがる!
それもしたり顔をしてよう。 今度は、吉田茂の孫かよ、そして何をするかとみたら、またバラマキかよ。
なんなもの。一度な〜、明治維新のことを考えてみなよ。今の日本の危機は、あんなものじゃねえんだ。解ってんか!」
大体こんなものか。 今度、今東光を私の脳に呼び寄せて娑婆批判をしてみる。「今東光語る」とかいうシリーズで!
  (字数制限のためカット 2013年9月5日)
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2007年09月05日(水)
 2346.エーゲ 永遠回帰の海ー2
この本を読むまでエーゲ海の周辺に無数の遺跡があることを全く知らなかった。ギリシャ本土はもとより、
エーゲ海に点在する島々に、そして対岸のトルコのアナトリア地方に数知れないほどの遺跡がある。
素晴らしい神殿があっても、その由来が全く解らないために、神殿A,B,C,Dなど記号で呼ばれている
ものもある。序章の中で、シチリアのセリヌンテ神殿群を訪れた時のことを、以下のように書いている。
「なぜそんなにまでして遺跡を見て歩いたのかと問われると答えるのは簡単でない。ほんものの遺跡と自分自身で
出会った事のない人にその理由を説明するのは、ほとんど不可能に近い。」
「遺跡=滅びた跡。そこに必ず、繁栄と栄華ののち、その時代の大戦に敗北して破壊され滅亡した
都市の歴史が刻まれてる」「知識としての歴史はフェイクである。学校の教壇で教えられた歴史。
史書の中の歴史。歴史家の説く歴史。記録や資料の中に遺されている歴史。
それらはすべてフェイクである。最も正統な歴史は、記録されざる歴史、
語られざる歴史、後世の人が何も知らない歴史なのではあるまいか。」
「いま自分の前にあるこれらの神殿。これだけの見事な神殿が、これだけ立派に保存されているのに、
この神殿がいかなる神殿であったか、誰も知らないのだ。記録された歴史などというものは、
記録されなかった現実の総体にくらべたら、宇宙の総体と比較した針先ほどに微小なものだろう。
宇宙の大部分が虚無の中に呑みこまれてあるように、歴史の大部分もまた虚無の中に呑みこまれてある。」
「時間は一つの方向に不可逆的に流れるものではない。円環をなしているのだ。
時が円環であるなら、初めもなければ終わりもない。過去は同時に未来で、未来は同時に過去である。
現在は永遠に過ぎ去りゆく一瞬ではなく、永遠そのものである。
現在はすでに過去に無限回くり返されたことがあり、未来においても無限回くり返される。
人はまさにこの現在の一瞬において、過ぎ去りゆく時を生きているのではなく、永遠を生きている。」
人気(ひとけ)のない海岸にある遺跡で、黙ってしばらく海を眺めていると、これが永遠なのだということが
疑問の余地なく見えてくるような気がするという。他にも、シチリアのセリアンテ神殿群、トルコのペルガモンの
大劇場、ディディマのアポロン神殿、エフェソスの大劇場・アルテミス像、聖山アトス、
リキアのサルコファガス、ヒエラポリスのネクロポスなどがある。
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2006年09月05日(火)
 1981, 歩行とダンスー2
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