* 新規事業の構想とは
 新規事業は《「①現金商売で、②箱物を絡めた、③妻子などの親戚を入れない、④転売可能で、⑤手堅いこと」
を前提に、自らを捨石と割り切る!》と、自分にダメ押しをした。 そして、千葉・千城台ビルと、長岡郊外の
更地を売却をして、新潟駅前の更地一点にエネルギーの集中を、第一歩とした。それに躊躇があるなら、
覚悟が出来てないことになる。 独り落下傘で敵地に舞い降りる決死の覚悟だった。まずは、千葉と長岡と同じく、
孤独、孤立からの出発である。 不安と緊張の中で、漆黒のような闇に向かって、ただ一歩ずつ進むしかない。
 ところで、ホテル名は、学生服メーカーのブランドを付け『ベンクーガーホテル』にした。その上にツイン、
ダブルルームをカットしたシングル専門にして、税・サ込3980円の価格破壊を仕掛ければ、成功確率は500%!
の確信が生まれていた。これで15年間の準備は一応、出揃った。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」とは
《新しい内容や思想を表現するために、それに応じた新しい形式や方法が必要であるということ。すなわち、
いつまでも古い形式にこだわってはならない、というたとえ。》をいうが、創業も同じ。まず第一歩は独りになり、
己を無にして市場に聞きながら、踏出すのが基本。 
 事前調査で、ビジネスホテルは月〜木曜日が、ほぼ満室、金土が5〜6割、日曜が3割、平均稼動は8割が目安。
それに対し、学生服は平日が閑散日で、土日が、その三倍の売上げの世界。 平日はフロントに、土日はショップに
シフトをし、回わせば、究極の合理化になる。その上、学生服の荒利が4割近くで、値引きはゼロ。軌道に乗せれば、
大いに利益貢献をもたらす。 しかし、学生ショップと、ビジネスホテルの融合は、短期的にはプラスに働いたが、
長期的に失敗。学生服は制服の自由化で右下がりの衰退が始まっていた。 ホテル名にするなど、言語道断と、
十年近く経って気づくことになる。しかし、創業時の二ヶ所の土地転しと、学生ショップの利益は、二、三棟目の
ホテル開業に大きく貢献していた。これはこれで、良かった? それにしても、何だろう、この男? ドンキ?
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4494, 怒らないって本当は恐い! ー9
2013年07月06日(土)
   * なぜ世界中でデモが起こるのか
 現在、北アフリカと中東をはじめ世界中でデモが起きている。デモは集団による政治のメッセージである。
ここでは、格差問題が若者を中心に怒りとして燃え上がった。その背景には携帯電話という情報機器の普及で、
体制側の腐敗と貧富の格差の情報が隅々まで流されることがある。日本のデモのようにお祭り騒ぎで練り歩くだけでは
怒りは伝わらない。怒りが伴った暴動こそ、その意思が伝わる。  ーまずは、その辺りからー
 ≪ 議論と同じ意味で怒りを道具になるのは、メッセージを伝える感情だからである。つまり行動である。その中で、
一番わかりやすいメッセージの伝達行動は、デモでないだろうか。 通常、デモは政治的メッセージを発信するために、
集団で練り歩く行為をいいます。デモンストレーションの略ですが、語源は「示す」という意味を持っている。したがって、
デモの本質は、人々が自分の意思を示す行為である、と言えるのである。しかし漫然と歩いているのでは効果がない。
怒りが示されると俄然と効果が現れてくる。世界で変革を求めるデモが起きているが、それはもっと非日常的な非常事態であって
しかるべきである。しかし先進国のデモは、そうでない。特に、日本のデモは、どれもお祭り騒ぎである。それは去勢されたから。
安保闘争の時に圧倒的な取締で潰えた後、すっかり大人しくなってしまった。それでも、唯一怒りを伴ったデモらしきものは
反貧困を掲げた運動だった。派遣切りをはじめ、人をモノ扱いにするような新自由主義的な自民党政治に対し、さすがに人々が
怒った。この運動で自民党政治の行き詰まりもあって、ある程度効果があって、一度政権が交代した。そして、誰もが、貧困が
解消されたかに見えたが、実際は自民党的体質を変えることは出来なかった。反貧困の湯浅誠が、内閣参与という形で迎え
いれられることで去勢されてしまった。・・ ≫
 ▼ 携帯電話、スマホは、国境を超えて情報を一瞬のうちに世界に行き来する。今さらグローバル化を元に戻すことは不可能。
 それは情報を通して、世界が平準化していくことを意味するが、様々な格差の拡大を生む。その怒りが世界中に噴出するのは
 避けがたいことになる。現に中国が年間十数万件も暴動が起きている。それが一斉に起きてないから内乱になってないだけ。
 社会には、貧困、格差問題は常に存在する。問題は、グローバル化が貧困、格差を拡大する力になるからである。
 ということは、世界各地で起きているデモや暴動は、ますます激しくなっていく。時の権力者は、その矛先を自国より
 弱い周辺国に向けるため、国境問題を操作する。グローバル化は戦争の機会を促進することになる。
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4120, オニババと、粗大ゴミ
2012年07月06日(金)
    * 女の変容                  「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門
 流石に20歳年上の書いた老いについての話は参考になる。 奥さんが曽野綾子なら旦那に対しても厳しいはず。特に、
「男から見る女性の、対男性の態度に四つの時期」が面白い。女性は更年期を過ぎる頃から第四期のオニババ化が始まる。 
  ーその辺りを抜粋するー
≪ 男から見ると、女の対男性の態度に四つの時期がある。
・ 最初は男を敵視し、警戒し、ことさらに無関心を装う思春期。
・それから特定の男あるいは男たちには打ち解けて、彼のことに心遣いを示し、男としては、うん、この女は優しくて、
 オレの世話を何くれとなく見てくれる、と思わせる。これを青春期とする。これは結婚しても数年は続く。
・第三期はオバサン期である。オバサンは家庭の主として独裁権を振るう。それに従わない者は、子供であろうと亭主であろうと
 容赦しない。彼女の独裁権が及ばないのは、舅と姑だから、彼らへの鬱憤は専ら、亭主にむけられる。舅、姑は亭主の親だからである。
・第四期がオニババだが、こうなると、彼女は世を呪い、人を恨み、身のまわりのあらゆる物が、自分の意図と違う状況にあると、
 すざまじい勢いで叱りつける、そのくせ、自分は何もしない。人に指図してやらせるだけである。この場合の指図される相手は、
 多くの場合い、亭主しかいないから、オニババの夫としては、少なくとも肉体的には健康であることが望ましい。≫
▼ 数ヶ月前に、色いろあって自宅の名義が家内に変わった。予測はしていたが、急に態度がオーナー然として、私は宿六扱い。
 ペットに餌をやっていたのを見て、「居候が居候に餌をやっている」だと。オニババ化の一場面である。この数年で、団塊世代
 大量に定年を向かえ家の滞在時間が多くなった。現在、日本中がオニババと団塊粗大ゴミがイガミアッテいる。私など平均4時間は外出。
 ちらほら愚痴が聞こえてきているが、当人にとっては切実の問題。 以前読んだ、あるエッセーにあったが、 定年になった時に、
「食事以外は外出するか、自室以外に出ないよう」妻に言い渡されたという。まあ、現在の私も似たようなもの。
 家が大きいので、まだ助かっている・・ 更年期を過ぎ、身体が老化を始めると過去の思い出が大きな比重を占めてくる。
 人間の記憶の大部分がマイナーで占められている。記憶は主語が消えてしまうので、そのマイナーを身近の人に見ることになる。
 その槍玉が連れ合いになり、オニババ化が進んでいき最悪、熟年離婚になる。せっかく、会社の嫌な上司から解放された挙句に、である。
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3754, ワシも族か〜  ー�
2011年07月06日(水)
  あるブログにあった「ワシも族」、によると、
【 ・定年で毎日が日曜日状態になった父さんが、・家でやることもなくゴロゴロ 
  ・妻がどこかへ行こうとすると「ワシも一緒に」と着いて来る男性を指す。
 一般的のサラリーマンは、「定年になったら、あれも、これもやりたい」と考えるが、何をしても中途半端で飽きてくる。
 定年で急にはじめても、アマチュアになるには遅すぎる。最低で10年の準備が必要。 そこで、妻に縋るしかない。
  TVのワイドショーで「ワシも族・度」が紹介されていた。
1)近所で人当たりが良いが、家では無口    2)夫が家事をするのは「手伝い」と思う
3)妻の予定や行動をよくチェックしている   4)妻にはつい、つらく当たってしまう
5)妻の家事に手は出さないけど、口は出す   6)妻のお出かけにはよくついていく
7)妻子を養ってきたとの自負がある
【判断基準】・3個以下:とりあえずは大丈夫? ・4〜5個:ワシも族の素質、十分です ・6個以上:要注意!見捨てられるかも
  会社人間の習性で、「自分では手を出さずに、命令すること」「部下が作成したものを批評し、自ら積極的に行動しない」が
  習慣化しているからだ。 】
▼ 「ワシも族」といえば、私の夫婦間では、家内の方が前より「私もやりたい」と、言う方。女なら、それは愛嬌だが。
  私がネットに夢中になれば、見よう見まねでネットで情報をとったり、ネット・ショッピングに夢中になったり。
 海外旅行といえば、初めは反対するが、私が申し込む直前に「私も行く」と、のたまう。大反対をしたもの(ハンモック・チェアーや、
 健康機器)を良さそうかどうかを見極めてから、都合の良い理屈をつけて始める。 それが、今度は逆転である。
 私も暇時間のつぶし方は得意だが家内には敵わない。相手は38年、年中である。 一般的には仕事にネルギーを奪われ、
 ライフワークの趣味を作り上げてこなかったツケが、定年後にくる。でも、それでも妻の後についていくだけ、まだましか。
 いくら東京が好きとはいえ、5日連続とは!驚くより呆れる。「ツアーに出ているよう」だと! 内容からして価値あるツアーだが!
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3389, 911・考えない・日本人  ー6
2010年07月06日(火)
            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
■ 自問自答が知性を磨く (Pー189)
  他者との対話とは別に自分自身との対話=自問自答がある。
    著者の考える=「哲学する」についてが、なかなか面白い。
≪ 哲学について、ポール・ソシャールの『言語と思考』には次のように書かれている。
*「子供は三歳半ごろ自分を指す代名詞〈私=I〉を使いはじめ、そのときに動物心埋の水準をはっきり乗り越える。
 …つまり反省意識という人間の段階は、言葉に結びついている。思考が内言語(註:個人の頭の中だけに聞こえている言葉)
 であるからこそ伝達できるのであり、意識状態の科学である心理学もできあがるのだ」
*「(I)の言語化と(you)のそれとは切り離せない。それは対話の言語化である。自己の想像した対者との対話も含んでいる」
*「人間では、言語は外言語であると同時に内言語でもあるので、外言語としてはコミュ二ケーションの役を果たし、
  内言語としては思考と反省意識を確保する」
*「人間を理解し、その水準を見定めようとするものは、言語問題に取り組まなくてはならない」
*「言語は人間の発明したもののうちで最高のものである。人間は話すからこそ知恵があるのだ。人間の身体は原初から
  何も変わっていない。変わったのは精神の働きだけだ。人間は言語のおかげで自己を完成し、知性を発展させてきた」
*「言語の無限の能力は単なる感情や状況を示す信号だけでは満足しなくなる。…… 言語は対象を離れ、独立する。
  本質的にコミュニケーションの手段ではなくなり、思考の道具となるのだ。人間だけがこの〈内言語〉を持っている。
  内言語はもはや言語ではない。発音されないからだ。音情報は脳に移動され、自己の意識化を助ける」
*「人間は言語化されていない思考を心に浮かべることはほとんど不可能である」
 まだいくらでも引用したい文章はあるが、読んでいてもつらくなる。なぜなら言語段階から見ると日本人が人間として
いかに未成熟かが歴然としてくるからだ。特にこの「反省」「内言語」の段階は幼児並みに思えてくる。
 どうやらわれわれの大脳皮質は、前述した角田説の逆作用で、成長を停止しているとしか考えられない。
饒舌な内言語の会話が知性を磨く。連続的な自問自答である。われわれは内言語失語症を起こしている。
だから「失理症」に陥る。主語のない「味言語」は、結局主観と客観の区別がつかない。
それが「無反省」、つまり精神の言語化、あるいはまた逆に言語の精神化を妨げる。 ≫
▼ 子供が、(自分)という言葉を持った瞬間から人間になるというが、そこから、自分に対するyouが出現する。
 いや、youが(自分=I)を創出する。それが、動物と人間の境目になる。人間の記憶が、その辺から始るのは、
自分という言葉を語るからで、その時から人間は飛躍的成長が始る。また日記が人間の成長に大きな役割を果たすのは、
それを一度、ノートに外に出すことで内語を外語とする作業の中で考えることになるからである。サルトルの対自、即自である。
  偶然だが、去年の今日、同じようなことを書いていた。 面白いものである。
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3014, 魂とは何か
 2009年07月06日(月)
  「魂とは何か」ー池田晶子著 −2
 何度か魂については、ここで何度か取り上げてきた。 
先日、「戒名は自分で付けよう」という本を読んで自分と、家内と、二人の息子の戒名を作ってみた。
そのためか? 近くの図書館で池田晶子の「魂とは何か」という本を見つけ借りてきた。池田は二年前に亡くなっているが、
この本は10年前のリメーク版である。ここで頭脳明晰な池田晶子が、魂となると歯切れが悪い。それもあってか、
この一週間は、「魂」漬け。 魂というと、「霊」と「私」「精神」「心」が浮かぶ。「心」は、TPOSで変化するが、
「魂」は「それを見守っている、産まれ、死ぬまで変わらない自分そのもの」。池田は、ヘーゲルなどの論を借りて、
〈魂〉は「考える」より「感じる」ものだと、「思考感覚」という。魂の表現を、無理を承知で言葉にしている。
  《その一部を抜粋してみる。》
ーひょっとしたら「〈私〉が魂」なのでなく、「〈私〉の魂」という言い方もなく、「魂の〈私〉」に近い。ー
  *この部分も鋭く、というより頭の底からひねり出している。
ー以前、誰だったか神秘主義者の本を読んでいて、ひとりの人間を構成するものは、「肉体と精神と魂」という
 言い回しがあって、深く腑に落ちたのだったが、それは正確だろう。 肉体とは個別だが物体であり、
 精神とは物体ではないが非人称であるなら、その人を他の人ではなくその人たらしめている当のものとは、
 他でもない、〈魂〉ということになる。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。 あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。 内容のない形式とは、
 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。内容のない形式とは、
 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。なぜ〈私〉は、この人間なのか・・・ー
▼ 魂を明快に表現出来るなどありえない。それでも何度か読み返しているうちに、少しずつ、その中心に近づいていく。 
我われは、大自然に触れたり、世界的な芸術作品をみた時に〈魂が振動した〉という。実際に私も何度も、いや何十回も経験している。 
あの時の「魂の振動」という時の魂とは何だろうか? べネゼイラのテーブル・マウンテンのキャンプで見た夕景。
あの荘厳な景色で感じた魂の響き。 人間を遥かに越えた大自然の時間の蓄積と、美と、荘厳な一瞬に、自分が、その中に融けて
永遠と共鳴し、「私が、いや私の先祖が産まれる遥か前から存在している命と魂が共鳴している」瞬間の「魂」とは何だろう。
登山好きの人は、早朝などに独りで、それを直感しているのだろう。  宇宙の響きというのだろうか?
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2649, 閑話小題
2008年07月06日(日)
 *凄惨な事件のあとのマンションは?
昼飯に喫茶店に行って週間ポストを読んでいたら、以前から知りたいと思っていた記事に出くわした。
最近、週間ポストが面白い。 定年を迎えたシニア(団塊の世代)にも客層を広げたようだ。
セレブのバラバラ殺人や、江東区の凄惨なバラバラ殺人事件の部屋が、既に他の住人が入居をしているという。
まずは、セレブの殺人現場になった部屋は、女性が入っているという。家賃は20万円だったが、5万円ダウンの15万円。
江東区の方は2万引きの7万円で、これもまた入居済み。こういうイワクつきのマンションの販売価格は大よそ2割のダウンが相場。
こういう事件があると、わざわざ値下がりを期待して部屋探しに来るという。 何とも感じないらしい。家主の方からしたら、
事件のほとぼりが冷めるまで待つより、何割か下げて貸した方が得と判断するようだ。地方なら、嫌がられるかもしれないが、
都会は冷めているということだ。いや借りる方に変わった人がいるということだ。絶対数が多いということか。
 *深刻なスタグフレーションへ突入?
  (字数制限のためカット 2012年7月6日)
 *ツタヤのネットレンタルに入会してみた
 (字数制限のためカット 2012年7月6日)
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007年07月06日(金)
2285, バーナム効果
 詐欺師や占い師や、健康食品のネズミ講などで、相手を信じこませる言葉のつかい方に、「バーナム効果」という手法がある。  
  ーネット百科辞書の「ウィキペディア」によるとー
「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象」
という。アメリカ合衆国の興行師・バーナム にちなんで(心理学者のポール・ミールによって1956年に)命名された。
アメリカの心理学者バートラム・フォアの名をとってフォアラー効果ともいう。
 ▼ 被験者に何らかの心理テストを実施し、そのテスト結果を無視して以前に被験者とは無関係に用意した
「あなたはロマンチストな面を持っています」「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」といった
診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものと感じてしまうが、これはバーナム効果によるものである。 
  (字数制限のためカット 2010年7月6日)
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2006年07月06日(木)
 1920, 浮かれる景気   \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 「浮かれる景気」ー 読書日記
ー株式会社第二海援隊 浅井 隆 
 (字数の関係でカット2008年7)                ☆゜+.バイ!
・・・・・・・
2005年07月06日(水)
 1555, 将来の不安ー3
不安について考えてきたが、図書館で島田裕己の「不安を生きる」という本があった。2005年・4月10日発刊というから最近の本である。
  (字数制限のためカット 2010年7月6日)
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2004年07月06日(火)
1190, 大丈夫!ー2 
 * 哲学についてー13
  ー不安の哲学ー キエルケゴール
「大丈夫!」を繰り返していうことで、漠然とした不安感が半減したと前に書いた。
   (字数制限のためカット 2013年7月6日)
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2003年07月06日(日)
 823,ある時間の断片ー30
ー11月2日 1968年
10時起床、食事後12時半まで床屋。13時頃から「早稲田祭」に行く。 14時半頃に帰ってくると深井が部屋に来ている。
(字数制限のためカット 2013年7月6日)
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2002年0706
旅行中
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2001年0706
旅行中