* 父親のこと
 これまで、母親について語ってきたが、父親について殆ど書いてなかった。
父親が42歳時の時に8人の末っ子として生まれた為、父親が孫のように特別扱いされ育った。
それもあって、直ぐ上の兄に陰湿に虐められてもいた。御陰で、気が強く、常に自分の身を守ることに、
人一倍の知恵が身についていた。今回の一連も含めた危機管理などの用心深い性格は、この辺りからきている。
 大家族の中、父親が絶対的存在で、母親も、兄姉たちも、常に緊張の中で父の顔色を伺っていた家庭環境であった。
父親は骨董商の二代目。祖母が婿取りで、母が結婚した時には、当時の資産で七万ほどあったと、母の晩年になって、
語っていた。母が結婚当時、父に「うちは金持ちなの?」と、聞いたところ、「金持の目安が10万で、どうだろう?」
と答えたというが、その後、数倍に増やしたというから、資産家の部類だったようだ。 プチブルというところか。
 太平洋戦争前まで、当時のトップセールスを思い立って、津上製作所社長や、野本互尊などの上客を持っていて、
年に数回の取引で、かなりの利益を上げていたという。そして、大戦の勃発で、骨董は売れなくなり、地元からも
多くの戦死者が出ていた。その中、仏壇販売で戦中の生活を凌いでいた。それも終戦を向え、次に考えたのが古着販売。
食えなくなった人たちの古着を他より高い値で買取り、欲しい人に、安い値で販売することを思いつく。
それが拡大したのが、衣料量販店である。これも、問屋からの仕入れでは安く売れないため、岐阜、名古屋、岡山、広島
などの生産地に直接行き、仕入れることを考えついて、繁盛店として、全国的に知られるようになった。
 商売人の基礎の質実剛健をモットーに、明治気質の、真面目な人であった。顔つきも、性格も、私が、そのまま、
受け継いだが、酒は、殆ど飲まないところが、私とは違う。 趣味は、旅行と、骨董収集と、茶道と、住宅の建設。
自宅や、姉たちの新築建設に金も口も出して、そのプロセスを楽しんでいた。家も、店でも、チリ一つでも落ちているのを
嫌い、徹底的に掃除をさせていた。学歴コンプレックスが強く、自然に娘婿には高学歴の人がなっていた。
 友人の持てない人で、株屋や、保険屋の営業などしか、傍には寄せ付けなかった。兄姉も、怖れて近づかない中、
末っ子の私だけが何時も父の傍にいて、何かペットのような存在であった。法事などは、何時も私だけが出席をしていた。
 父親は、太平洋戦争を挟んだ激動期を、乗り切ったが、私は、結局は、飲み込まれてしまった甘い三代目になる。
 この随想日記も〈売り家と唐様で書く三代目〉の‘唐様で書いた’で、しかないのか。 ゙(。ノω<。)ァチャ- (-_-)ウツタ
【(後記)これを書いて、分類の<堀井誠作・シマ ワールド>を開いたところ、父親の命日などに、多く取り上げていた。
今さら、我ながら驚いてしまった! 結局、父親は私の大きな後楯の人だった、ということ。それにしても! 呆けか 】
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4423, 老後の不安で天引き預金、の良し悪し 
2013年04月26日(金)                     
 両親を近くでみていて、お金について多く学ぶことができた。 それにして、このザマ?  で、まあ、聞いて! 
額は小さいとしても、三十年近く給与の範囲で使い切ってきた。また増築も含めてビル建設八棟と古ビル購入で35〜6億は
つかった。土地仕入れを含めたビル建設の面白さは何にも変えがたい。これらを現在も所有していればオーナーだが、
手から離れれば、使い果たしたことになる。大金持ちがヨットに、車に、別荘に、買物に35億使ったのと、35億のビル建設の
道楽?と大して違わない。それらを所有していようがいまいが車と同じ。ある期間を過ぎれば下手に所有してない方が良い。 
 父が死ぬ直前いっていた言葉が今でもハッキリ残っている。『数千万の貯金通帳の数字と、この紙に書いた数字と何処が違う。
何にも違わない。買い集めた骨董が倉庫にあるが、これも同じ。二度と箱を出さないものばかり。あるのは持っているという
満足感だけ。だから、使える時にしっかり使っておくべき。 金は商売を楽しんだ後のカス。カスを目的にするから失敗をする。
そのカスで自分を飾り立てたりしないこと。』と。
 それでも、茶道を楽しむため新たに自宅を建て、茶道具を中心にした骨董品集め楽しんでいた。しかし、無駄と、見栄の
ための出費はしてなかった。その家を建てること自体、見栄でもあったが。 それを見ていたこともあり、40歳過ぎから
収入は家内への給与分以外の全額は、使うようにしていた。酒、海外旅行、投資の失敗位だが。しかし秘境旅行などは10年、
20年続けると、なかなか良い思い出が蓄積されていく。それもあって現在、あまりしたいことはないし、金もさほど欲しいと
思わないし、買いたいものもないし、遣り残した思いも少ない。 
 で、仮りに徹底した節約をして年に400万ずつ30年、毎年積み立てをしていたとする。30×400=1億2千万。
投資で二倍として2億4千が残る。しかし長期的事業の個人保障で万一のことが発生すれば、この程度の額は数年でゼロ。
ということは、その範囲で、その時節に使っておいて正解だったことなる。人間は収入減に比例し支出を落とせないのは、
現在の日本国家を見ればわかる。そこで「別名義で一割程度は積み立てをしておくべき」ということになる。
 その長年かけて積み上げた金も信用も、失うのは一瞬。これは事業と同じ。あの世に持っていけるのは行蔵だけ。
こつこつ貯めるのと、こつこつ使って楽しむことの両立は難しい。何と金は使えるうち。後悔先に立たず、である。 
その辺を巧妙に仕掛けてくるのが保険屋と株屋。長年のスパンで積み上げた金を、彼らは狙ってくる。
 都会の年金暮らしのリタイア組みは、収入の7〜8割しか使わず、残りを預金しているとか。その殆どが亡くなった後、
子供に相続される。老後の不安で使うことが出来ないため。彼らは理詰めで考えないで、ただ不安に流されているだけ。
その不安は、「今・ここ・私」が確立されてないため生じている。 まず、それに気づくこと。
直ぐに泣く時が来るなら、今、笑うしかない! 腹から笑えるのは訓練で出来る。笑うから可笑しい。人生、笑って何ぼ!
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4049, 一時停止 ー7
2012年04月26日(木)                  
 * 公共広告「あなたが大切だ」について  (ふくろう通信一2008年春) 「一時停止」谷川俊太郎ー自選散文ー1955〜2010
≪  命は、たいせつだ。 命を、たいせつに。 そんなこと、何千何万回言われるより、
   「あなたが、大切だ」 誰かがそう言ってくれたら、  それだけで生きて行ける。
 不思議ですね。このコピーは不特定多数に向けられた言葉なのに、まるで誰かが私に向かって言っているかのように感じられる。
この短い文章の中で「命は大切とい一般論が、「あなた」という、ただ一人の人間に向けられた言葉に変換されたからでしょうか。
コピーに添えられた写真の少女は、もう何かを訴えかける元気もなく、孤独で病的な表情でこっちを見つめています。
この少女にとっては、一対一で自分と向き合ってくれて、自分のことを本気で気に向けてくれる誰かが言う「あなたが大切だ」
という言葉が、「魔法の言葉」なのではないでしょうか。
「元気になる魔法の言葉」は、もしかすると本や雑誌やテレビ番組の中にも見つかるかもしれませんが、何よりも身近な人の
言ってくれたこと、書いてくれたことにひそんでいるのではないかと私は思います。たとえば大切な人と別れなければならないとき、
別れの悲しみと苦しみが深ければ深いほど、どんな言葉も自分を元気づけてはくれないし、慰めてもくれないと思いがちです。
でも、もう言葉が何の役にも立たないと感じられたときにも、私たちのこころとからだの奥底で言葉はもがきながら生きています。
だから言葉にならない自分の悲しみ、苦しみが言葉になったとき、私たちは元気になるきっかけをつかむことができる。 
同じように、誰かが苦しみ、悲しんでいるとき、私たちはその人のこころとからだにひそんでいる言葉と共振する言葉を探します。
それはとても微妙で繊細な作業ですから、場合によっては言葉を探さずにただ黙ってその人のそばにいて、その人を抱きしめる
だけのほうがいいこともあるでしょう。辞書には載っていない「魔法の言葉」は、変幻自在ですから。   ≫
 ▼ 本を読むということは、書き手の意図を、自らに対する言葉に切り替える作業でもある。 一人も「あなたが大切だ」と、
  言ってくれなくても、著書を通して書き手から、私にとって自分自身が最も大切だと受け止められれば良いのではないか。
  とはいえ、それが出来る人は僅かとすると、やはり直接、誰かに言われたいもの。幼児期に両親から愛情を多くそそがれた人は、
 「あなたが、大切だ」という気持ちがシッカリと根付いて、その人の人生の土壌になる。 両親の愛情は大切である。
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3683, 自己を見つめる −7
2011年04月26日(火)
                 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  昔ほど、生甲斐という言葉を言わなくなったが、そのかわり、「好きなことを見出し楽しめ」というようになった。
 生き甲斐は、それなりの覚悟と追求のエネルギーを要するが、「好きなことはを楽しむ」には、それほどの重さはない。
 生き甲斐について、著者は以下のように納得できる説明をしている。
  * 生き甲斐の探究
【 私たちは、この世の中を生きるとき、なんらかの形で、生き甲斐を求めている。生き甲斐のない人生を好んで求める人は、
 考えることができない。 生きるということは、みずからが、そこに意味を見出し、なんらかの有意義性の成り立つことを
 信じることのできる道程を発見して、そこに自分の人生の基盤を据えて、自己の時間的な生成過程と、振幅を含んだ多様な遍歴の道を、
 辛苦や労苦を越えて、歩み進もうとする覚悟にもとづいて初めて成立する。 それを可能ならしめるものが、生き甲斐にほかならない。
 むろん、その生き甲斐という問題は、さまざまな局面を含んでいて、けっして単純ではない。 けれども、生きる意味を信じ、
 自分の人生を肯定できる道程を発見し、そこで自分の人生の充実を図って生きる、という構造を含まないような人生設計や
 人間活動というものは、人間の生き方として、考えることができない。意味や有意義性は、ディルタイがすでに指摘したように、
 私たちの生を構成する最も基本的なカテゴリーなのである。 そうした生き甲斐とは、それを最も強い形で言い表せば、
 自分の死に場所を発見することと同じだと言えるであろう。 その道を突き進んで、その果てに自分はもう死んでもよいと
 言えるような生き方とその内実を発見したときに、その人は自分で自分の人生の充実を図って生きる、こういう構造を含まないような
 人生設計や的活動というものは、泰然自若、自己であることに安らうはずである。 たしかに、「人生、いたるところに青山あり」
 である。 しかし、ほんとうに死んでもよいと思える場所と生き方を、最終的に見出すことは、けっして容易ではない。
 何人も迷いを免れがたいもの。けれども、人間は、最後には、自分を捨て、そこに自分を埋めてもよいと覚悟できる人生の
 住処を求めている。】
 ▼ 「生き甲斐とは、自分の死に場所を発見することと同じ。その道を突き進んで、自分はもう死んでもよいといえる生き方と、
   その内実を発見したときに、泰然自若、自己であることに安らう」は、納得する。 本当に自分の好きなことを見つけ、
  全霊を傾けて自分のエネルギーを叩きつける時に、生甲斐が生じる。 それがない人生は、空虚な喪失感が付きまとう。
  しかし生甲斐は、そう簡単に得ることはできない。極限の中にこそ、生じてくる。生甲斐を感じているときが、自分の心の芯に
  いる時であり、自分である時である。家族の為に我を忘れて必死に働いている時、振り返ってみた時に、生き甲斐を見出すのである。
  そこには、意味も意義も充分にある。 全身全霊をかけて対象に取り組んでいる中に生き甲斐が生まれてくる。
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3318, 悲しみ、苦しみは人生の花
 2010年04月26日(月)
 「悲しみ、苦しみは人生の花だ。悲しみ苦しみを逆に花咲かせ、楽しむことの発見、
  これはあるいは近代の発見と称してもよろしいかも知れぬ。」これ坂口安吾の言葉である。
 それなら喜び、楽しみは果実というところか? 60数年の人生を振り返り肯定的に眺めれば、そうかもしれない。 
 私の実感は、悲しみ、苦しみ人生のレッスン=学びである。 近代の発見とは、目標の発見と解釈できる。 
 また花咲かせるとは、目的、目標の達成である。 目的達成のプロセスこそ人生の花というのも肯ける。「花も嵐も踏み越えて」
 という歌の文句があるが、人生とは挫折を乗り越えてこそ、その先の喜びも大きくなるもの。「悲しみ、苦しみは人生の花!」は、
 なかなかいえない言葉だからこそ、心に響くのである。 自分の子供に先だたれた親に、この言葉が当てはまるのだろうか。
 それも運命と割り切って受けとめることも人生なのだろうか。 「災い転じて福と成す」これが人生の真髄というが。
  大きな時代のウネリの中でこそ、味わいたい言葉である。 過去を振り返ると、一番のどん底の時ほど、周囲の人の苦しみや
 悲しみに対して鋭敏になり、優しい言葉をかけていた。 その時ほど多くの人と心が通いあっていた。 言い換えると
どん底の時期は人生の花の時期」。「一番苦しかったけれど、一番楽しい時だった」と、気づくかどうかである。 
 私の場合は「人生、面白かった〜!」が実感だが。「喉ぼと過ぎれば熱さを忘れる」で、それなりに人生、色いろある。
 「人生、当たり!」と自己暗示するしかないか〜 
「悲しみ、苦しみは人生の花」と、心の底から思えたら、それは一種の悟りだろう。   あれが花?
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2943電動式ステッパー
2009年04月26日(日)
 スーパーやホームセンターで、「自力式のステッパー」を見ていたが、知人が毎日使っているが、非常に良いとは聞いていた。 
ところが電動式ステッパーを家電店でみつけたので売り場で使ってみたが、なかなか良い。 足の部分が勝手に動くものだが、
しかし13万円もする。数ヶ月前に電気ウエーブ・マッサージを見つけたが、12万円もする。そこでネットで廉く小さいのを探したら
1万4千円のものがあった。さっそく買って使っているが、これが大当たり。 朝晩使っているが腰と胃腸と血流に非常に良い。 
 それなら電動ステッパーも廉い簡易式のがあるはずと「電動ステッパー」と検索を入れたら、アマゾンやビックカメラのネットで、
29800円のものがあった。さらに価格ドット・コムで調べたら最低価格が7665円(送料別)があったので、さっそく注文した。
   (字数制限のためカット 2011年4月26日)
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2579, 連鎖する大暴落 -2
2008年04月26日(土)              (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 サブプライム問題は、予測できることであった。だから、逆張りも出来たはずだが、それも振り返ってみればの話。
オバマが大統領になると断じているところが面白い。民主党は(クリントンは新鮮味がないので)オバマとしても、
共和党のマケインとは互角だろう。しかし民主、共和党が10年ごとに交代することに話がついている、というのも肯けること。
この本の通り、日本がアメリカの属国と割り切ってみると、日米関係が改めてシビアに見えてくる。
世界中の物資を、ドル、アメリカ国債などの紙切れの偽札モドキで交換しているに過ぎない。
特に日本などは、それで高い兵器を言値ねで買わされているのだから哀れなもの。この本を読むと、ドルが60円台、
株が3000ドルも、なんら不思議ではない。ー前著同様に、この目次だけでも内容が充分に要約されている。
[目次]
第1章 私の予言はなぜピタリと的中したか
 ・サブプライムローンの破綻はすでに2007年の5月にははっきりしていた
 ・アラン・グリーンスパンFRB議長は2005年に警告を発していた 
 ・ニューヨークもこれから三ヶ月ごとに大暴落していく
 ・返せそうもない人々に無理矢理お金を貸し付けたのがサブプライム  
第2章 大暴落がこれから3カ月ごとに襲い来る
 ・専門家と称する詐欺師たちが金融の八百長をやってきた
  (字数制限のためカット 2011年4月26日)
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2007年04月26日(木)
2214, 中国人移民の話       <(_ _)>  オハヨウゴザイマス            
 去年、新宿周辺を知人の車で案内してもらった時、青梅街道などに韓国人商店街や、中国人商店街が出来ていたのには驚いた。
アメリカをはじめ、何処の国の首都には中国人街がある。 朝鮮人街も時には見かけるが、日本人街は殆ど見かけない。
中国人街を見るたびに、中国人の海外居住者は何人いるのだろうか?という、素朴な疑問を感じていた。
 ー先日の毎日新聞に中国人の移民の記事があった。
 それによると、海外在住移民の数が3500万人!  こんなもの?と思ってしまった。
 シンガポールや、インドネシアが果して入っているかどうかは、この記事には無かったが。 
総国民の3%が多いか、少ないかだが。「イタリアのミラノ市で、移民と警官隊が衝突」という見出しであった。
これによると、ミラノでは1平方?の地区に500軒以上の店がひしめき、20年前の500人のミラノ在住中国人が13000人と、
26倍も膨れ上がったという。イタリア人は欧州でも働かない国民性で、中国人の「勤勉・活気」に妬みと軽蔑の気持ちが強く、
互いの軋轢が出てきている、という。 その横の関連記事として、中国人の移民の実態のレポートがあった。
その内容を要約すると、
・大陸出身中国人は、151ヶ国に3500万人              ・2000年から2005年間だけで、アメリカへの移住者が35万人。
・カナダ在住中国人は1988年の3万人から、2002年に30万人に激増。  ・日本では、韓国、フィリッピンについで28000人
・観光などの旅行により中国本土からの出国者は昨年で3450万人で、2001年の3倍近く拡大したという。
 旅行先では、「世界中には、何処にいってもネズミと中国人はいる」と言われていて、飲食街では殆んどの都市で
中華料理店を見かける。それが、また美味しい店が多いの。(日本料理は外れが多いが、中華料理店は外れは少ない)
いずれにしても、世界の人口の2割を占めていて、バラバラの国民性が携帯などでネット化すれば、侮れない存在に
なっていくだろう。人口が多いほど、個人の存在が小さく思われがちだが、逆に個性的でなければ、生きていけない。
没個性的な日本人とは、相性が悪いのは致しかたがないことである。     Σ( ̄∇ ̄|||  バイ!           
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2006年04月26日(水)
1849, ローマから日本が見える?6      ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
第三章 共和制は一日にしてならず
 ー王から執政官へー
紀元前509年、尊大なタルクィニウスを追放し、王政を廃止するに至った中心人物はルキウス・ユニウス・ブルータス。
これより460年後にカエサルを暗殺したマルクス・ブルータスとは血縁は全く無い。王を追放したブルータスは、ローマ市民を集めて
「今後一切、ローマ人はいかなる人物であろうとも王に就くことを許さず、いかなる人物もローマ市民の自由を侵させない」
と誓わせた。ーここからが面白い!ブルータスが考えたのが、「執行官」という最高指導者である。
王と同じく、市民集会で選ばれて、ローマ内政の最高権力を握ると同時に、有事では指導者として軍隊を率いる。
とはいえ、アメリカの大統領とは違い、当時は実際に最前線で指揮をとるのが常であった。このような大きな権力を与える一方、
執行官が将来の王にならないように歯止めをかけた。その制度とは「執行官はかならず市民集会によって二人選ばれ、
その任期を一年とする」ということであった。これでは王のように振舞えないと考えた。 しかも、執行官を二人にすることで、
更に保険をかけた。二人の執行官には上下がなく、それぞれに拒否権が与えられていた。 しかし、これには弱点もある。 
任期が一年なので、長期の政策ができなくなる。そこでブルータスが考えたのが、元老院の機能の強化であった。
100人の元老院を三百人に増やした。 当時、三百人まで増やすということは、殆どの有力者を網羅することになった。
                   まあ、茶でも!~~旦_(-ω-`。)
    (字数制限のためカット 2012年4月26日)
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2005年04月26日(火)
1484, 24歳の日記ー2         
  ー1970年3月22日
朝11時に、実家の店に手伝いに行き、17時まで手伝う。よく売れるのに驚かされる。
今日、大鵬を見ていておどろいてしまった。再起不能といわれながら、努力で再起をして優勝をしたのだ。
 (字数制限のためカット 2010年4月26日)
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2004年04月26日(月)
1119, 北朝鮮の怪?
 今回の北朝鮮の大爆発の事件,何か不可解な事件である。数百メートルが瞬時吹っ飛んでいたのに、
どうして電線から引火をしたのが解るのだろうか?組織的な大掛かりのテロ?
(字数制限のためカット 2012年4月26日)
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2003年04月26日(土)
752, SARSの不安
 もしアルカイダーか北朝鮮のテロなら!と考えると、背筋がゾッとする。
発生源が特定しているからまだよいが、そうでなかったらテロと疑われパニックになるところであった。

(字数制限のためカット 2011年4月26日)
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2002年04月26日(金)
388, 温度差
3~4年前の将棋の米長棋士の講演会で聞いた話だが、丁度北海道拓殖銀行がつぶれた直後で彼の講演がそこの主催で入っていた。