「ぼんやりの時間」辰濃 和男 (著) 
   * 「閑」ー逆茂木に囲まれて
  森の生活(世俗)を抜け出て、ご隠居(サバンナ)の世界に入った現在が、まさに逆茂木の「閑」の世界である。
 閑の字は、門の中の一本の木がある。それが、ぼんやりの世界である。 ーその部分を抜粋し、考えてみるー
《 とげさかもぎ刺のある木の枝をならべて積み、垣にしたものを逆茂木という。トゲトゲの垣を周囲にめぐらせておけば、
「邪魔者はたやすく突破できない。逆茂木の内側では、人はのんびりと過ごすことができるし、閑をたのしむこともできる。
それが閑という字の意味だ。 およそ、そんな意味の文章が『閑適のうたー中華愛諦詩選』の冒頭にあった。・・ 
 だれにも知られていない宿でぼおーっとして過ごすとか、めったに人の来ない尾根道で二時間も三時間もぼんやりした
ときをもつとか、そういうのが逆茂木に囲まれた「閑」の状態といいうのだろう。
 閑は時間であり、空間である。 それはときに逆茂木の内側という空間を表し、同時に逆茂木の内側に坐りつづける
時間を表す。そして、「閑」と「ぼんやり」は表裏の関係にあるといってもいい。現代人にとっては、隠れ家を逆茂木で
囲むには、それなりの工夫が必要になる。 白居易の詩『閑適の詩』に、こんなくだりがあった。
    心足る(みちたる) すなわち 富(とめる)なり
    身暇なり(からだひまなり) すなわち貴(とうとき)なり 
(中略)・・ やがて吉井勇は、こんな歌をうたうようになる。
    目を閉ぢて半珈を組みて或る夜半はほのぼのとして涅槃おもふも
 苦しみ、楽しみながらたどりついた一つの境地が、この歌にはある。
(中略)・・旅をすること、自然度の高いところに隠ること、日々、散歩をすること、温泉に入ること、閑をもつこと、
独りになること、雑事から解放されたこと、すばらしい土地の人びとに会えたこと、そしてたっぷりとぼんやりする時間に
恵まれたこと、勇は、高知の猪野沢温泉で、そういうぼんやり道の骨子になる部分の実践をしたことになる。
そのよみがえりは偶然のことではなかった。》
▼ 「せめてミニ書斎を持て!」とは、この閑の独りだけの時空を持て、ということになる。現に、この二m四方の、
 この空間は私だけの世界で、BGMが流れ、2台のパソコンからは、欲しい情報、知識の殆どを手に入る。今では、
 タブレットなどのモバイルPCという優れものもあり、何処へにも持ち出し可能である。とはいえ、やはり自分の空間も
 必要である。雪もとけ、自転車散歩(ポタリング)を再開したが、信濃川の土手の休憩で「ぼんやり」を意識的に
 始めたが、これがなかなか良いが、難しい。先を急ぐ気持ちが、勝ってしまい、直ぐに立上がってしまう。木の下や、
 ベンチで30分でも一時間でも、小春日和の中、寝転べば良いのが分かっていても、気が競いてしまう。
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4406, 大丈夫、なんとかなるさ
2013年04月09日(火)          
   * よい先生、わるい先生     ー「大丈夫、なんとかなるさ」近藤勝重著 より
 著者は毎日新聞論説委員をしており、「文章をうまく書く秘訣」などのレポートを読んだことがある。
「随想は想いを書くもの。その想いを書くとは思い出を書くこと。多くの経験の中で、記憶として残っているのは、
その人にとって大きなインパクトのあったこと、それを書きなさい」という論に、ハッとしたもの。
 これは、毎日新聞の夕刊に「しあわせトンボ」に5年前から二年半の間、連載されたエッセー。なかなか味わいがある。 
  ーまずは、心に響いたものから、取り上げてみる。
 ≪ 司馬遼太郎さんが学校嫌いで図書館が好きだったことは有名だ。それは中学一年の英語リーダーで先生にニューヨークの、
地名の意昧を質問したことからはじまる。なんと先生は「地名に意味があるか」と怒声を上げたというのだ。司馬さんは帰り道、
市立図書館に寄ってニューヨークの意味を知る。独学癖がつくようになるそもそもだが、一方で「いい先生につくに越したことは
ない」とエッセーで言い添えている。
 いい先生というと、アメリカのある学校で数学を教えていた先生の話を思い出す。その先生は数学を教えることが自分の
仕事だと思っていたが、ある日、「私の仕事は子供を教えることである」と思い直す。つまり科目「数学」から科目「子ども」
へのチェンジである。「数学」を教えていれば子どもに完全な答えを求める。しかし「子ども」を教えるのだとなると、
それは最終の目標ではなくなる。 やがで子どもたちも変わってきて、成績がぐんぐん伸びたエディという子はこう答える。
「先生に習うようになっでから、自分が好きになったんです」 「こころのチキンスープ」で知った話だが、・・・ ≫
 ▼ 「数学を教えるのではなく、子供を教えるのが仕事」は、さすが。 この随想日記、「自分のために、同調したこと、
  心に響いたこと、記憶に残したいことなどの雑記帳・記録帳」と割り切っている。 忘却のためのメモ帳ということ。
  そう割り切ってしまえば恥も外聞も何もない。「偉そうなことを書いている割に全然、成長の跡などみえないじゃないか」
  と言われれば、「全く、その通り!」である。未来の自分は、現在、そして過去の自分の子供と想定。 その子供のために
  書き残すと思えば、逆に手が抜けなくなる。「未来の自分は、現在と、過去の子供」という言葉、我ながら言い得て妙。
  とすると、過去の自分は現在の親になる。あまり良い父親ではない? まあ、いい、この子(私)を見れば、仕方がない! 
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4032, 「人生の知恵」ノート ー4
2012年04月09日(月)                    
   ー 人生を成功に導く言葉ノートより ー
* 先延ばしは命どり
 「仕事で失敗する理由で一番多いのが先延ばし。一度やりはじめれば意外と簡単に片付く。とにかく先取りで問題を解決すること。
* 尊敬など、されようと思うな
 孤高の姿が敬意を呼ぶ。無理に尊敬されようとしないこと。
* ツキを見極める
 新しい事を始めるときは、運の風向きに敏感になり、好機を待つ間に準備を進めよう。
* 引き際を見極める
 勇敢な攻撃と同時に退くこともたたえれるべき。引き際のタイミングが大事。幸運の女神は、
 その頂点が高いほど、期間が短くなる。 絶頂期を見定めたら、引き際を考えるべきだ。
* 欠点を直すこと
 人は他人の欠点を見逃さない。あなたの実力を点検した上で、欠点だけに注目し、悪し様に言い立て、他の長所をかすませる。
* 二回目の挑戦を必ずする
 一度失敗しても、必ず二回目の挑戦をすること。一回目の失敗を取り戻せる。成功より失敗の方が多いが、
 二回目に成功する確率は一回目より遥かに高い。多くの挑戦は二回目に成功が多いという真理を知っておくべきだ。
* 現実的に生きるべし
 賢者は思ったふうに生きられないとしても、できる限りのことをする。運命が与えてくれないものを惜しむのをやめ、
 運命が与えてくれたものを大切にすべきだ。現実が理想を支えることを知ろう。現実の土台が弱ければ、理想は単なる重石となる。
 未来の理想の自分を明確にしたうえで、現在すべきことを確実に実行する。賢人は現実で未来をコントロールする術を知っている。
* 忘れるべきは忘れる
 「人が一番良く覚えているのは、忘れた方がいいことである。」嫌な記憶は楽しい思い出で吹き飛ばせばよい。反省をしたら、次へ。
 ▼ 引き際は、最も大事な決断。最高値の引き際は無理だったが、最後の最後は断崖絶壁での引き際。 いや、どうだか? 
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3666,  節目どきに
2011年04月09日(土)
 先月末から一週間、この30年来と違った生活に入った。リタイアになる。 以前も、そうだったが、それまでの生活と
全く変わってしまったが、抵抗感はない。 肩の荷がおりたためか、何か地から浮いているような、ふわふわした気分である、
独りになったためか縛りがなくなり、まずは足が軽くなり、直感的に新しい習慣つくりを始めている自分に驚いている。
30年前、40数年前の自分に戻ってしまったようである。 装置産業の装置に縛られていた、それからの開放ということか。
今は興奮状態だが、2〜3ヶ月たつと「より戻し」がくるようだ。 問題は、これまでのエネルギーを、どの方向に向けるかである。  
 同じ一日なら、充実した時間を過ごさないと! で、イメージとして
・市営の福祉センター1Fにあるスポーツジムと、初心者向けのスポーツジムに入会。 平日、この二つを隔日に使い分ける。 
・これまで通り図書館通いと、信濃川沿岸の早朝のサイクリングとウォーキング。 さらに月に一回のシネマの通いと、
 月1〜2度、居酒屋でクダをまく?。 更に、これから探すが、何かのカルチャー・センター通い。
 その立場にたつと、新しい世界が開けるもの。 とはいえ、当分は謹慎の身であることは事実。 元もとアウトサイダー
 自認してきたので、こういう切り替えには抵抗感がない。 それと世間様とやらの何は今さらである。 
 マイナーの方々の暗示にさえ乗らなければ落ち込むことはない。 居間に中村天風本を手元に置いておくか。  ー つづく
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3301, 日本経済は死ぬのか
 2010年04月09日(金)
 先日の週刊現代の新聞広告の見出しを見て、つい買ってしまった。 週刊誌の見出し以上の内容が無いのは知っているが、
それでも何か目新しいことが?と ・・で、あるわけないがジックリ恐慌本を読む機会のない人にはダイジェストとして丁度良い。
 その中で、野口悠紀雄が、「もはや日本経済は死に近づきあることは間違いありません。まず、日本経済の落ち込みの原因を
「米国の金融危機」と考えていますが、それは正しくありません。悪化原因は米国にあるのではなく、極端に外需に依存してきた
日本の産業構造にある。戦後最長といわれた2002年から08年の日本の好景気は、米国のバブルに乗ったものです。米国の住宅価格の
バブルによって、結果として日本の輸出が伸びたという現象が起こっていたのです。当時の米国では3パーの物価が上昇していたが、
日本では0パーセントことが円安に拍車をかけていた。・・そのバブルが弾けてしまったのだから2002年前の水準に戻るのが当然。
数字で言えばピーク時の07年度に対し輸出で20パーセント、GDPで10パーセント減になる。09年の2月の輸出額は3兆5300億、
これは1984年度3月と、殆んど同じ。 この事態に、政府はエコポイントで家電や自動車などの購入を支援している。
これは今の製造業が、政府の支援にしがみついて生きている状態である。これも期間が終了をした時には反動として跳ね返ってくる。
それは時限爆弾になる。 日本の潜在的失業率は14パーセントというが、これが打ち切られれば、失業率が10パーセントを越える
可能性が高くなる」等々、刺激的内容である。彼の著書「世界経済危機ー日本の罪と罰」をダイジェストとし述べているといってよい。
欧米の失業率が10パーセントに対し、これだけ悪化している日本が5パーセントは、明らかに変である。それが一挙に二倍、
三倍になると、どうなるか考えただけで恐ろしくなる。 他人事では決してない。まだ日本の消費税を5パーセントに抑えてあるから、
少しは救いがある。これが、既に欧州並みの20パーセントで、これだけの赤字なら救いがない。 したがって早めに政界再編成をして、
消費税のアップが必要である。ただし国民を納得する上にも国会議員、地方議員も定数を半数か、三分の二にしなくてはならない。
 スマトラ沖地震津波の映像で、向うから大津波が来ているのに、浜辺で海水浴をしている観光客を思い浮かぶが。
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2926,中沢新一の『三位一体モデル』 −5
2009年04月09日(木)
 『三位一体モデル』中沢新一著  −読書日記
  *「三位一体モデル」を読んだ人たちの座談会
 それぞれの職業の立場で考え出した三位一体モデルの事例が面白い。これからみても思考モデルとして充分に使える。
 私の思考法として利用しているのが、この随想日記である。 テーマ選定から始まり、それを起承転結にまとめあげる、
 そのプロセスで頭の中を整理していく。第三者から見れば、私の脳の中が少しは見ることができるのだから面白いだろう。
 =その事例から=
ー広告代理店の勤務ー
 「精霊(代理店)」と、「子(お得意先の企業)」は、一緒になって、見えにくくなった「父(理念)」を
 探しにいく旅に出るということでしょうか。 父は「企業の社会的価値」と理解できる。 
ー中学校の教師ー
 自分(教師)を「子」とすると、父が「法則」「原理」「先人の知恵」。
 そうすると、まずは<成功や幸福という概念>が「父」だと思われます。
 分かりやすくいうと予備校の教師群こそが「精霊」なのです。
 資本主義社会では予備校こそ一番分かりやすい「三位一体モデル」です。
ー音楽業界にいるものー
 先ず「子」として、音楽家とする。そして私たちは音楽産業を「精霊」の場所とする。
 父の部分を逆算して「歌われるべきもの=神の意思」と。この原型になるのに教会音楽がある。
 神の思し召しを、バッハが音楽を通して地上の民に伝えてくれる。それを伝える場所が教会であった。
ースポーツ業界にいるものー
 ルールが父なんです。見えないけど絶対の「神」です。「子」が選手です。
 「霊」の中には、「競技場」とも「観客席」ともいいし、「テレビ」でもいいと思います。
 いっそ、「スポーツ業界」ともいえる。いまの時代に、もっとも考えられているのが、この部分です。
 一番のポイントは、装置化した「霊」の部分が、「子」の材料を探してくることです。
 スポーツでは、三位一体は考えやすいのです。何しろ「父」が確固として存在しているからです。
ー料理人ー
 レストランでは、前から「三位一体」を「味」「料理」「ムード」といってました。。
 今回の、この「三位一体」を読んだことで、「美味しい幸せ」が父。
 それを作り出すのが「料理人」というのが「子」。そして、「お店とムード」が「霊」に変わりました。
  ――
 スポーツ業界のルールが親には驚いた。コーチとか、父親・母親ならわかるが。
  次は、身近な知人の職業を『三位一体モデル』で演習をしてみる。
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2562, ドル覇権の崩壊 -1
2008年04月09日(水)
 図書館で借りてきた本だが、この本が出版されたのが、去年の7月の末である。
 それから半年もしないうちにアメリカのサブプライムの問題が表面化をして、この本の大筋のとおりになってしまった。
 かなり刺激的な言葉に満ちているが、サブプライム問題で株とドルの暴落を目の当たりにすると、納得するしかない。
 この著者の本は何度か買って読んだが、何時も刺激的・悲観的な内容で一貫している。
 そして、指摘しているほどの事態に世界はならなかった。しかし、この本に関する限りアメリカのサブプライムが 
 表面化したために、決して悲観過ぎではなかった。 この一連の金融危機、考えれば考えるほど、
 恐ろしい近未来が待ち受けているようだ。 年々ジワジワと悪くなっているのが身に沁みる。どうなるのだろうか?
 まずは、この本の表紙裏の 「説明文」と 目次を コピーしてみる。
 これだけで、この本の半分以上の要旨が書いてあると言って過言ではない。
  ーー
「ドル覇権の崩壊」?静かに恐慌化する世界  副島隆彦
 ー背表紙裏の説明文
ドル暴落を見越した資産逃避(キャピタル・フライト)が始まった
2007年5月からの「三角合併方式」での日本企業への買収の真実は"ドルの逃避"である。 
日本企業をただ単に乗っ取ることよりも、真の動機は、ドル資産の保全、ドル暴落からの避難、外貨建て資産でのリスクヘッジ
という考えに変わりつつある。日本の大企業を買収する利益は、チョップ・ショップ方式による、荒っぽい
自動車泥棒・解体屋の手法ではなくて、これからは、アメリカ本国からの資産逃避(キャピタルフライトである。
  ー 目次 ー
(字数の関係でカット2009年04月09日)
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2007年04月09日(月)
2197, ファンタジー文学の世界へ ー3     ( ^3)?♪ オハヨウゴザイマス!
 「ファンタジー文学の世界へ」  ー読書日記
 P-154 「さいはての島へ」(ゲド戦記?)
■目的と存在  ー「ある人生と、する人生」について
 第三巻は、壮年になったゲドが王子アレンとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る物語です。
 これから本格的に冒険が始まろうとする前夜、ゲドは、以下のようにアレンに語りかけます。
 「よくよく考えるんだぞ、アレン、大きな選択に迫られた時には。 まだ若かった頃、わしは‘ある人生’と
‘する人生’のどちらかを選ばなければならなくなった。わしはマスがハエに飛びつくように、ぱっと後者に飛びついた。
 だが、わしらは何をしても、その行為のいずれからも自由にはなりえないし、その行為の結果からも自由にはなりえないものだ。
 ひとつの行為が次の行為を生み、それが、またつぎを生む。そうなると、わしらは、ごくたまにしか今みたいな 時間が持てなくなる。 
 一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、ただ、「ある」という、それだけでいられる時間、あるいは、
自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間をね。」ここでの「ある人生」とは人間の存在を意味し「する人生」とは
人生の目的を意味する。 人間の全体性を哲学的に分析すれば、この存在と目的という観点は重要な切り口である。抜粋にあるとおり、
若きゲドは「する人生」に飛びついたという。目的は若者の特権としても、目的だけの人生には、常に、危ないものがつきまとう。
目的を持つことと、それを目指す行為とは一体のものだから。目的と行為の一体性には、何ら問題が無いように感じるかも知れない。
しかし、往々にして行為のみに追われだすと、行為という活動に実在感を得て、何もしないことや、何もできないことが自分にとって
否定的に感じてしまう。とにかく「動く」ことのみ専心してしまいがちになる。活動のみに追われて、その意味を考えることが
鬱陶しくなってくる場合が多くなる。先の抜粋の中の『一つの行動と次の行動の間の隙間のような「する」ということをやめて、
ただ「ある」という、それだけでいられる時間、あるいは、自分とは結局のところ、何者なのだろうと考える時間』が大きな意味を持つ。
この休止時間こそ最も大事な時間である。この時間の中で、一に戻って考えることこそ、個々人の心や魂と向き合うことになる。
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 ゲドも、世界の危機を救うさまざまな冒険を成し遂げ、魔法学院の長である大賢人となるが、本人はそれを喜ばない。
そして曰く「わしのほうは、うむ、いろんなものになった。いちばん最後が、そして、おそらく、いちばんつまらないものが、
この大賢人というやつだ」と。河合隼雄が著書「生と死の接点」の冒頭「ライフサイクル」の中で、人生の「後半の問題」を解説する。
ユングフロイトへの批判をして、「フロイトは人生の前半の問題(自我の確立といった言葉で表される)
しか相手にしていない」としている。「人生後半の問題とは、自分なりのコスモロジーを完成させることである。
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2006年04月09日(日)
1832, グーグル完全活用本 ー1      ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★  ー読書日記
 この本は「ウェブ進化論」と同じ位の、お勧め本だ。(ちなみに「ウェブ進化論」はベストセラーになった)
この随想日記を読んでいる人なら、検索を多用していると思うが、グーグルの「検索」を勧める。
ウェブ進化論の影響があるが)
もしパソコンの検索機能や、Yahooの検索を使っているなら、直にでも切り替えたほうがよい。
別に洗脳されたわけではないが「ウェブ進化論」と、この「グーグル完全活用本」を読めば分るはずである。
30万台のパソコンが24時間、世界中のネット上にアップされた情報を収集しているという。
もう5年も、グーグルの検索を使ってきた。キーワード入れれば、アクセスの頻度の高い順に出してくれる。
これがキーポイントになる。 この本を読んで殆どの検索の便利さを知らなかったことが解った。
   (字数の関係でカット2011年04月09日)
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2005年04月09日(土)
 1467, おしっこ
雑誌に面白い歌が載っていた。なかなか面白いので、詩を書き写してみた。おしっこをしている時の顔はみんな哲学的である。
「水を飲みながら、おしっこをすると妙な気持ちになる」と何かに書いてあったので、試みたこととがある。
(字数の関係でカット2008年04月09日)
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2004年04月09日(金)
 1102, つもりちがい十ケ条
 高いつもりで 低いのが教養     低いつもりで 高いのが気位
 深いつもりで 浅いのが知識     浅いつもりで 深いのが欲望
 厚いつもりで 薄いのが人情     薄いつもりで 厚いのが面皮
 強いつもりで 弱いのが根情     弱いつもりで 強いのが自我
 多いつもりで 少ないのが分別    少ないつもりで多いのが無駄
        そのつもりでがんばりましょう      天台宗別格本山 両子寺
  (字数の関係でカット2011年04月09日)
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2003年04月09日(水)
 735, ホームページを開いて二年
このホームページを開いてあと一ヶ月足らずで二年になる。旅行以外は随想日記を一日も欠かさなかった。
脳内の何パーセントを汲みだした感覚である。その時その時の興味が移り変わっていくのもわかる。
(字数の関係でカット2008年04月09日)
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2002年04月09日(火)
 371,花見
いつもこの時期、福島江と悠久山の花見に行く。といって朝の散歩で行くのだが。今年の桜は当たり年のようだ。
(字数の関係でカット2013年04月09日)