* 平等こそが生き延びてきた知恵! しかし欲望が人間を変えた
 実験によると、チンパンジーは平等に非常に敏感。これに仲間内の力関係が絡むので、集団は非常に複雑でデリケートで、
その研究から人間の本質が垣間見ることが出来る。 平等原理はアマゾンなどでは生きていくために必要なこと。極限の生活で
生きていく上で、常に分かち合うのが合理的であるからだ。しかし、文明の進化?が、社会的階級と富の独占を生み出し、
さらにグローバル化が、それに拍車をかけている。 
≪ たけし〕 関野さんはいろんな未開地に行っていますが、変な話、人食いとかカニバリズムは見たことがありますか。
 関野〕 うーん、少なくとも、僕は見たことがないですね。
たけし〕 よく「人食い人種」とか言うじゃないですか。アマゾンやニューギニアでも、そうした風習はなかったのかな。
関野〕 例えばマヤとかアステカで生贄の人間から心臓を取ったりしたことはあったけれど、それを食べたかどうかは分からない。
 生贄にする人間は、誰でもいいわけではなく、強い戦士でないといけない。勇気をもらうとか、そういう意味があるんです。
 しかし、アマゾンで生き延びるために相手を殺して食べるということは、過去にも僕はなかったと思っています。
 理由は、アマゾンの奥地で僕たち日本人はすぐに餓死するかもしれないが、彼らは餓死することはあり得ない。・・・
たけし〕 パリ・ダカールで日本人ドライバーが地元の子どもを撥ねてしまい、慰謝科として何十万円か払ったら、
 次のレースから子どもを放り投げようとして侍つている奴がいたらしい。そういうバカなことが起きてしまうんですね。
関野〕 結局、欲望が人を変えてしまう。食料や資源ということは四十年以上も前にローマクラブが声明を出しているのに、
 経済が絶対的に右上がりでなければいけないと思ってしまうのは、やはり欲望のせいでずよね。欲望が膨れ止がることによって、
 一部の人たちたけが富を独占しようとしているのが現代の社会です。アマゾンの人たちと暮らすと、これがすごく平等なんです。
 僕は人間が誕生した時に平等でないと滅ぴていたと考えています。なぜかというと、まず弱かったということが挙げられます。
 太古の人類は採取・狩猟で生きていたと思われていたんですけれども、最近は二本足で立って歩くようになった時は、
 狩猟なんかできなかったと見ている。 》
▼ レヴィ=ストロース構造主義などがある。アフリカや南米で残っている「未開人」の地に何千年も変わらない社会がある。
 そこは彼らにとって意味のある極めて合理的な社会である。決して、西欧が文明の最先端にいるのではないのである。
 その社会の特徴は平等。文明社会は変化の積み重ねの結果の産物たが、未開社会は一切変わらぬ「静かな世界」が続いてきた。
 そこは冷めた日常があり、美しさがある。変化はエネルギーを要する。その熱い社会の方が優れているという進歩史観
 促われてきたが、それを根こそぎ覆す説こそ見直す時である。特に地球資源の枯渇でエネルギー問題が出ているからだ。
  私も含めて戦後から、このかた、欧米に追いつき、追い越せで必死に生きてきた。そしてバブルの崩壊から、失われた
 20年から、30年に入りつつある。ここで、考えるべきは、未開社会にある「冷たい社会」のシステムである。
  ここに至って何が「東京オリンピック」である。あれは、追いつき、追い越せの、高度成長期の残物でしかない。
 「最後の止めが、これ!」ということが、見えてきた。とんでもない劇薬であり、最後のトドメ。 年寄の冷水(酒)か?
 「いいじゃないか、いいじゃないか、ヨイヨイヨイヨイ」ということ。 先がない私たちには、これでよいが?
 「それでは、落選した方が良かったのか?」と、問われれば、どうだろう? どのみち、大して変わらない?なら、踊るか!
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4184, 閑話小題 ーつれづれに
2012年09月09日(日)
   * 元IBM社長が・・・
 ネット以外は、あまりマスコミでは流れなかったが、元IBM社長がiPhoneで女性の下着の盗撮をしたとか。
男は50歳までは多かれ少なかれ異常性欲者?たまたま超エリートが少し変わった趣味だったに過ぎない、という同情もある。
前科があったかどうかだが、その後、マスコミが騒がないのは悪質で無かったためか。超エリートが、その危険をかえりみず
盗撮をするスリルの快感は本人しか解らない。私など、最近、時どき深酒で、ある時間から記憶が無くなることがある。
「ハッとして起きてみたら留置場の中」なんてことがあっても不思議はない。ネットの写真じゃ、満足できないのは分かるが。
それにしても・・ これだから娑婆は面白い。常にデジカメを持って歩いているが、気をつけないと!
  * 「あと20年以上生きそうな感じがする!」には驚いた
 中学校の同級会で隣に座った男の言葉。私など不摂生もあり、あと5〜10年が限度と思い込んでいたので、実のところ驚いた。
飄々とた何か仙人を思わせる雰囲気を漂わせているが、この感じなら、さもありなんである。節制をしているから言える言葉。
そこで自分を振り返ると、どうみても十年以上は無理、せいぜい75歳あたり。 まず、そこを目標とすると、あと8年4ヶ月。
2021年1月15日である。何とか節制をすれば? しかし、現在の酒量からみて明らかに無理。毎日の晩酌が美味いのである。 
最近、20歳位の人を見ると、「私より50年以上も長く生きるんだ」という思いが先に立つ。 去年春の一連の出来事、人生の
側面からすれば、人生の整理に入るためにフリーハンドになるため。それにしても、その自覚は薄い。で、幾つまで生きたいのか、
自分に問うてみた。80歳である。そこまで生きるべく節制するか、一年一年、二倍濃厚に生きるかである。
それとも、80歳を目標に節制しながら二倍以上濃厚に生きるか? 濃厚に生きなくても、実際に濃厚だから、このまま?
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3819, つれづれに
2011年09月09日(金)
* ドル安がジワジワと景気に影響をしてくる時節に入った。 それと新米の問題が出てくる。
 もし県内の何処かで汚染米が出たら、全ての県内米に影響を与えることになる。
 ヒヤヒヤだろう、農業関係者は。 それと輸出業関係者もギリギリのはず。
* ドル安と同時に、ユーロも110円を割ってきた。
 ECもピッグス=PIGSポルトガル、イタリア、ギリシャ、スペインなど)を抱え、
 足元が揺らいでいる昨今、100円を割る可能性がある。これも数年前から、破綻すると言われていたことが。
 そのため、金(ゴールド)が一年で5割以上も値上りをした。 金が上がったというより、
 欧米を中心とした紙幣の価値が下がったため。 これは株式と国債が暴落につながってくる。 
* 9月、10月のある日、欧州か、アメリカ発の株式大暴落の可能性が大。
 日本国民は東北大震災で大打撃の現在、世界経済の変調の動きに鈍感。
 三年前の9・15、そして、十年前の9・11ダブルの津波の波が、いかに甚大なものか、
 イメージが出てこないのか。 大震災の直後、識者も今更騒ぎ立てることもできない。
* 恐らく現在も事業を続けていたら、売り上げは更に3~5割減の筈。資金ショートで、業者や給与も払えず倒産の頃。 
 悪い倒産の惨状は地獄。 地方経済は、その一歩手前。 世界の何処から火の手が上がるか、木、金曜日は要注意。
 ギリシャ国債金利が20パー、ということは実質破綻である。欧州経済は、導火線に火がついた。
  { 何か、極度に悲観的のようだが、まだまだ言葉が足りない。 最悪に備えているかである。}
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3454,  つれづれに −政治談議 
 2010年09月09日(木)
* 民主党党首選挙について
前にも書いたが中長期的にみたら、やはり小沢がなるしかない。 管首相は選挙管理内閣で終わるべき。まず、その器でない。
それが役割以上のことをすれば、それは国害になる。左翼運動家上がりが、さらに過激派だった男を官房長官に据えれば、
舵取りを間違えることは誰の目に見ても明らか。 実質オーナーの小沢を首班指名をされた途端に手の裏を返すとは、
あまりに露骨で稚拙である。まだしも愚衆の目を欺く演劇なら分かるが、本気でやるとは思いもよらないこと。
それが、あの官房長官と財務長官の指名である。 それにしても、あの世論調査ってのは何だろう。 
現在の政治と内閣は「世論調査内閣」といってよい。 世論調査で政治の行方を左右するなど、亡国の極まりである。
100・250・500年スパンの世界的激変の時代に世論に動かされる舵取りなど、とんでもないこと。
タイタニックの船内の連中に海原の向こうの大波が見えるわけがない。 それを彼等の顔色に従って舵取りをするなど、最悪。 
船内で揚げ足を取りの経験しかない彼らに船の舵取りを任せた国民も問題あり。 間違いに気づいたなら、早く政界再編をして、
体制を作り変えないと国家破滅になる。それはアメリカにとっても、中国にとっても望ましいこと?自民も駄目、民主党も駄目なら、
それを解体して新しい枠決めをしなければならない。また政治家の二代目、三代目しか、政治の表舞台に出れないシステムも、
変である。明治維新後、学歴を自力で上り詰めれば、誰でも出世のチャンスが、日本を短時間に飛躍的に国力アップにつながった。
どうも、こうも、日本は気がつけば戦後65年で、頭から尻尾まで、腑抜けにさせられてしまった。
それでもネットでは小沢の支持が八割という。世論調査とかいうのは、どうも誘導されたマヤカシでしかないと考えた方がよい。
蓋をあければ、小沢が間違いなく勝つだろうが、それでも、この国の民度が異常な低下からみると、管首相の続投も有りえる。
その時は、間違いなく政界再編成しかない。いずれにしても、あと数日で大きく政治も動き出す。
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3079,不況景色 −12
 2009年09月09日(水)
 この御題目で書くのは6月1日以来で3ヶ月あまりになる。その前に「世界恐慌に入って、まる7ヶ月」というテーマ名で二回書いている。
「不況景気などを今さら書くことでもないだろう」だが、そこが生き物、ジワジワときている。9月に入って落ち込みが始った。
こういう先ぶれが居酒屋とホテルに最初に来る。 現場段階は十数兆のバラマキで何とか小康を保っているが、何が起きても不思議でない。
重体患者を緊急の大量輸血で持たせているようなもので、集中治療室にいる事態は変わりない。衆院選挙が8月末まで延びたため、
株の暴落や経済の大混乱が来年2月まで延期しただけのこと。まだ東海地区の輸出産業は、この数年間の好況の蓄積があるが、他の地方は
体力を使い果たし、大きく弱体化している。これに悪質のパンデミックでもなれば、大きな波乱が起きるのは必定である。 週に数回は、
通勤の帰りや、家内のお供にスーパーや、駅の専門店街によるが、実際に売れてない。TVのワイド・ショーで、「はしっこ食品」や
訳あり商品」の特売などを特集をしていた。ハム、カステラ、魚などのスミの切り落としが半額から三分の一になるのだから客は殺到する。
そういえば最近、生ハムや鳥肉の燻製の『切り落とし』を、安さにつられて買ってしまうことが多い。 新潟駅前周辺の飲食街では、
潰れた店の後に出来るのは「ホルモン焼き肉屋」が目立つ。「安く、小じゃれて、腹が一杯になる」のが必要条件だが、時代が変わったもの。
 当社も、長期のミニ団体が何組かが途切れずに入っていたが、それが少なくなっている。 夏場の稼ぎ時は別腹と期待していたが、
この冷夏で結果は芳しくはない。 それでも9月下旬から10月にかけて国体があるので、数字は何とか例年に近い数字は作れそうだが、
甘くないことは事実。  町内会の役員の人から聞いた話だが、新潟市内の町内連合会が、急激な売り上げの悪化に、駅再開発計画を
改めて説明会を開いて聞いたという。 今さらであるが。(10年遅れである) これに北陸新幹線開通という2014年問題がある。
新潟県にとって大打撃になるが、それを誰も真剣に考えない。20年前に既に新幹線を新潟空港まで延長、その沿線に環日本海都市としての
機能をコツコツと造っておくべきだったことすら、誰も気づいていない。 飛行場の直接乗り入れも大きい要素だが、
日本海に東京駅直結の新幹線の乗り入れ」が良いのである。 僅か5〜10キロの延長で済むのにである。 
そこに新幹線駅沿線のサッカー場と野球場をつくり、野外スポーツなどのレジャー施設を長年かけて造るべきべきだったのである。 
更に夢のある高齢者向けの施設と、本格的な中国人街もである。金沢が関西と関東を後背に新日本海都市創りを始めるのは目にみえている。
 不況景色から少し話が逸れたが。
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2714, 大相撲が面白い! −2
2008年09月09日(火)
 せっかく、面白くなってきたところで、北の湖は辞任。三重の海の武蔵川が理事長に選ばれた。
そしてロシア人二人は解雇。 当然のことである。起訴猶予になった若の鵬を含めた三人をロシア政府は急遽帰国させるだろう。
  (以下、字数制限のためカット09年9月9日)
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2007年09月09日(日)
 2350.ベナレス・・・6
 2,ヒンドゥー教とは
ヒンドゥー教は紀元前一五〇〇年頃に西方からインド亜大陸に移住してきたアーリヤ人
信仰していた祭祀中心の宗教を核にして、先住民のもつさまざまな民間信仰を融合して発展してきた。
それ故・この宗教には開祖が存在しないが、そのかわり『バガヴァッド・ギーター』(神の歌)など、
人びとを宗教的な道に導く数多くの聖典が編纂された。 ヒンドゥー教は基本的には多神教であるが、
それらのうち主要な神のどれもが最高神と考えられるという独特な神観念を持っている。
   (以下、字数制限のためカット09年9月9日)
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2006年09月09日(土)
1985, ハイデッガー
       (。^0^。)ノオッ*^○^*)ハ〜 ヨウ             
10年来、トイレに常に哲学書が置いてある。そして一年に一度位の間隔で、入れ替えをする。
そして、普段も必ず哲学書のいずれかは私の鞄か机の横にある。歳を重ねた経験の裏づけが哲学の言葉を噛み砕いて
くれるようになった。哲学的大問題の「死」に向き合わなくてはならない歳になったこともある・・・
「首切り役人の日記」とか、このHPの随想日記で辛辣に死について書いている。哲学にしても宗教にしても結局は、
 ー人間いかに生きるべきか? そして最後の最後は、いかに死ぬべきか?ー ということだ。 あと何があるのか?
 もし知っていたら教えて欲しいもの! 『面白がって死ぬことだ!』という黒鉄ヒロシの言葉位か、面白かったのは!
「ヒーヒー悲鳴を上げてジタバタしている最後の自分の姿をみるのが何で悲しいの? 
こんな面白いことが何で?」彼ならでの言葉だ。冷静に自分を見ていなくては笑えない!
ハイデッガーは、「その死を意識的に見ないようにして日常をすごしている我われの姿を、そのまま直視。 
見ないようにしている死が、我われにマトワリついていて、それが不安という漠然とした心理になっている」と看破している。
彼は不安とは現存在として最も根本的な気分であるとし、現存在は世界内存在として理由もなくこの世界に投げ出され、
そのつど、何らかの気分に規定されていると・・ 日常性の中に埋没されて生きている非本来的あり方から、
本来的自己を呼び覚ますきっかけとなるのが不安であると・・とりわけ「死」の可能性の前にしての不安において、
現存在としての根源的開示がはじめて生起する。我われはいつか死ななくてはならない。「この私」の死を誰も変わってはくれない。
その死を痛感する時、人は日常から引き離され、単純化し、自分自身と対面せざるを得ない。
その死を見つめることによって、その可能性に「先駆」することによって、初めて本来の自分を取り戻すことができる。
おのれの実存をたえず知覚させてくれる気分として「不安」を考察した。恐怖と不安は違う。恐怖は対象を持つが不安は対象を持たない。
ハイデッガーは「私は何が一体不安なのか?」という問いをする。「私が存在そのものが不安なのである。」という。
「私がある」こと自体が不安の発生現場で、私の存在は「無」の中に沈みこんでいくのである。それが不安の時である。 
不安は人間そのものの根源的な性格なのである。 彼は「人間は、日常性の中に存在の本来性を忘れている」という。
われに現存するのは「他人の死」のみである。「死、それはまだまだ自分の番ではない!」と思っているから、生きていけるのだろう。
私が死を度々とりあげるのは、その死を直視することで、生とは何か考えるためであり、現存している自分を見つめるためである。
夕陽をみて人は、その太陽を自分に投影する。 一日の死である。そして、朝陽をみる、今日の生誕を感じる。そ
して、その夕陽のように沈んでいく。しかし、夕陽のように沈んでいく死だけでないのが、人生の妙味であるから面白いのである。
                        (。^0^。)ノホンジャ、マタ!  あの世で! いや明日!
 そういえば、明日とあの世は似ている。あると言えば在るし、無いと言えばないし!
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2005年09月09日(金)
 1620, 「仮想と虚妄の時代」
月刊誌の文藝春秋5月号の石原慎太郎の「仮想と虚妄の時代」ー援助交際と純愛ー が、現在の日本の現状と病巣を書きあらわしていた。
若者、いや現代人の携帯電話やインターネットの仮想と虚妄の実体と病理をえぐっていた。ITは確かに便利で効率は良くなったが、
人間の情緒などの一番大事な部分を失ってしまったと看破。ITは情報を提供してくれるが、人間本来の情念やエネルギーまでも伝えない。
そのため、リアリティと虚構の差が解らなくなってしまう。私の知人に、何かあると友人に携帯電話で相談する男がいる。
それも、いい歳をした大人?である。自分の頭の中で、「あれやこれやを考えること」ができない。思索を何度か繰り返した上で
相談するなら解るが、それを一切しない。いや出来ないのだ。本人を観察すると、彼は本を読んでいない。読書は著者との無言の対話である。
それを普段の生活の中でしてないから、内面の対話が出来ない。だから、何かあるとすぐ携帯電話で相談するしかない。
事態を多角的に見ることや深く掘り下げることなど、彼の世界には存在していない。
携帯は会話しか成り立たない。内面の対話をした上で、それを相手に投げかけをしあうのが対話である。
  ー石原はここで以下のように述べていているー
ー最近、問題になっているエンコーなどの新しい風俗の正当化(?)のために作られる言葉の醸し出すヴァーチャルなイメージは、
ことの本質を外れた価値判断を容易に導き出す。内質の空疎化とは想像力の枯渇であり、無個性化による自己喪失画一化であり、
人間としての尊厳の喪失の繋がり社会そのものの活力を失わしてしまうーと警告している。
現在、中高等学校の生徒の間で人気のある生徒の評価の指標が勉強やスポーツの能力ではなく、ただ携帯電話が鳴る頻度と、
いかに多くの連絡相手が登録されているかにかかっている現象は、人間関係における本質の変化を暗示している。こうした浅はかな
人間関係が何ももたらさないことを、彼等は解っていない。そんな交流の中では本気にお互いを預けあい頼り合うことができるだろうか。
 ーー
 そういう私も一日数時間もパソコンに向かい、家ではTVを3時間は見ている。情報の多くは、ITから得ている。
それから入ってくる情報は、実際のところ生の人間からも質も量も格段に上である。
だから困ったものである。この随想日記で書いている内容は、私の脳の多くの部分を占めている。
実際に会って話すより、より自分の言いたいことが顕わに書いてある。 といって、それが私の全てではないし、
誤魔化しも、虚構もある。やはり、情けの報せとして直接会わなければ伝わらないことがある。
 −−
 また、この中で触れられているホーキング博士の発言の部分が面白い。
石原慎太郎ホーキング博士の講演に行った時「地球ほどの文明を持った惑星は、どのくらいあるだろうか」という質問に
「二百万ほど」という答えがあった。それに対して、「それほどの数があるのに、どうして他の惑星の生命体を目にすることが
ないのだろう」と質問があった。 その答えが、「現在の地球ほどの文明を保有してしまうと、そうした惑星は自ら正当な
循環を狂わせ環境を破壊しつくし、文明の主体者たる生物は内面的にも極めて不安定な状況をきたして、彼らの惑星は宇宙の
時間の総体に比べればほとんど瞬間的に自滅してしまう」というという答えであった。終末論や環境論として興味深いものである。
ーー
以上が概要だが、情報化は基礎教養の蓄積があってこそ、
仮想と虚妄の世界に漂う現代人は、自分という存在さえ仮想と現実の境が無くなっている。
・・・・・・・・・
2004年09月09日(木)
 1255, ダイエットに100万円賭ける ー2
  (以下、字数制限のためカット09年9月9日)