マネー大動乱

         「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐
 世界の激動する国際金融危機を解りやすくダイジェストに俯瞰した内容である。著者の視点で日本国内のついての悲観論と、
 欧米や新興国についての楽観論に対して、まだ日本はマシと論じている。 それぞれの章ごとに、ポイントになる部分を
 書き出して、それについて論じてみる。 世界のマネーは動乱に入ってしまった。
   ー 第一章 アメリカは財務省ウォール街複合体に潰される?! 〜上位一パーセントの総取り!
【 2007年で、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセントを所有しており、次の19パーセントの人口が
 50.5パーセントを所有している。要は、二割の人口が85パーセントの資産を占めている。逆に連邦政府が定める貧困ライン
(4人家族で2万2千ドル=180万)以下の生活をおくっている人が4620万人。人口比にすると15パーセントも存在する。
 信じられないことだが、生活保護フードスタンプ低所得者向け食料配給カード)など、国や州の援助がなければ
 生活が出来ない人が47〜8パーセントもいる。失業率は2008年初頭で5パーセントだったのが、リーマンショック
 10パーセントを一時期超えたが、去年の秋には8パーセントまで下がってきた。ではオバマの失業対策が上手くいったかというと、
 そうでなく、職探しを諦めてしまった失業者が、労働人口から外れた「無業者」になって、失業調査から外れてしまっただけ。
 ・・・アメリカの実質世帯所得は5万ドルで日本円すると400万円。これも下落傾向にある。】
▼ ネットでその辺を調べたところ、「全人口の上位1%の税引後世帯収入の割合は1979年の約8%から2007年の17%に上昇、2倍になった。
 全人口の上位5分の1の富裕層が受けとる税引後世帯収入は、1979年の43%からさらに上昇し、2007年には53%だった。言い換えれば、
 上位5分の1の富裕層の総額は、他の5分の4所得を超えている。」とあった。 現在の日本も、同じ傾向にあるようだ。
 特に地方の衰退は激しい。世界的みて富裕層といわれる人は100万ドル、日本では1億前後の流動資産を持っている人をいう。
 だいたい1・8パーセントの世帯が入るとか。50数世帯に一世帯というと、なる程、そうか?である。身辺を見渡してみて、
 豊かそうな人は、その位は持っていそうである。そういう人たちは、何があっても、しぶとく豊かさを守る知恵がある。
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3759, ユング ー 2
2011年07月11日(月)
       < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー② >
 あまりに有名な幻覚?だが、序文の冒頭から以下のような刺激的な内容から始まっている。 ーまずは、その部分からー
【 ユソグは六八歳のとき、日課の散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折った。その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた。
彼は病院で酸素とカンフル注射で生き続けた。ユソグに付き添っていた護婦は後に、「私は、死にかけている人が一種の白熱光で
取り囲まれているのを見たことがありますが、あなたもそういう光で取り囲まれていましたよ」と彼に語った。
この状態でユングは、生と死の間をさまよった人々によってしばしば述べられてきた幻影のようなものを経験したらしい。
その第一は、約千マイルの上空から見られ、青い光に浸された海と陸地のある地球の幻影だった。彼は、赤味を帯びた黄色のアラビアの
砂漠や雪でおおわれたヒマラヤ山脈を見分けることができた。つぎにそのそばに、彼は阻石のような巨大な石の塊を見た。
 しかしそれは、彼がインドで見たことがある、ある寺院のようにくり抜かれていた。その入口の近くに、一人のヒソズー教徒が
結珈趺坐め姿勢で坐っていた。ユソグはこう言っている。近づくにつれて、「私は、あらゆるものがはがされて行くかのような感じがした。
私が目指したか、欲したか、あるいは考えたあらゆるものや、走馬灯の様な地上の全ての光景が、消え去るか、私からはぎとられて行った。
それは、この上ない苦痛の過程だった」。そして彼が、そのヒンズ教徒によって、灯心が一杯ともっている寺院内部に案内されたとき、
「私の真の仲間であるすぺての人々」にまさに会おうとしている様だという確信と、自分の生命の意義と自分が、この世に送られて来た
理由が突然わかったのだという確信をもった。そのとき、ヨーロッパの方角からなにかが彼のほうへ浮き上がって来た。彼は、それが
自分の治療をしていた医者だということがわかった。しかしこの医者は古代のコスー医療の神、エスクラピウスの寺院のあるところーの
支配者に変わってしまっていた。その医者はユングに、「あなたは死ぬことが許されないでしょう。少なくとも三〇人の女性があなたが
この地球を去るという計画に抗議をしています」と説明した。ユングは、その幻影があせるにつれて、深い絶望感を感じた。自分は
しぼらくの間死んでいて、それから生によびもどされると確信していた多くの人々のように、ユングはもどらざるをえないことに憤慨した。
その医者が古代の王の形をしてユングのまえにあらわれたので、彼は、この医者は死のうとしている ー実際その医者の死が、彼自身の
死の代わりになるのだろうーと信じた。一九四四年四月四日、ユングがベッドの上に坐ることを許された最初の日、その医者は熱のために
病床につき、その直後敗血症で死んだ。ユングが、彼の最後の患者だった。 それは幻影の時期であった。
「毎晩私は、もっとも純粋な至福な状態のなかに浮いて驚いた」。朝が近づくと、彼は「今灰色の朝が再びやって来ると、今灰色の世界が
その贈り物の箱をもってやって来る」と感じたものである。そして彼が肉体的により丈夫になるにつれて、幻影は止んだ。ユングは幻影を、
ある形の夢か幻覚とみなさず、根本的な現実に対する洞察とみなした。「それは想像の産物ではなかった。幻影と体験はまったく
現実的なものであった。それらについて主観的なものはなにもなかった。それらはすべて、絶対的な客観視をもっていた」。 】
 ▼ これは、まさかと思えるほど衝撃的だった。ということは、私には父親が亡くなって10年ぐらい、妙な霊感が身に備わった。
 しかし、その直後に結婚し、様々な事業体験で極限の経験をしてきた中で、その新たな感覚が増強されていった。この感覚は他人に
 言っても信じてくれないことは(自分が経験してない時を考えれば)分かりすぎるほど分かっていた。その中で、この文章である!
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3394, おテレビ様と日本人 ー1
2010年07月11日(日)
 この本はテレビの与える弊害を書きつらねている。それも「7人の家族」「鳩子の家」テレビ・映画の脚本家として
活躍した人だから説得力がある。 テレビ局からの一方的な押し付けで思考力を奪ってしまう弊害は大きい。
 4万年前の洞窟の絵文字から、人間は考え、それを他人に伝えてきた。その中から、他者の持つ複雑な考えの意味を理解しようと勤め、
自分の考えを進化してきたのである。そして人間は、「考える動物」として、他の動物と違って、飛躍的に文化・文明を蓄積してきた。 
それが、テレビ様の御かげで、根本から破壊された。人間が創りあげたテレビという機械に、人間は勝ち目のない戦いをし、
それに隷属されている。 人生は短いのに、日本人の総白痴化が、ここで顕著になっている。 経済、政治について語る日本人の
内容の浅いのも「おテレビ」のお蔭という。 「911・考えない・日本人」と合わせ、納得させられう点が多い。
 ーまずは、要約部分からー
≪ テレビのない時代、人間が余暇を過ごした方法の一つは読書だったから、テレビと本を比較すれば言いたいことがわかるだろう。
知的な刺激を求め、人間が本と親しんだその時間の大部分は、今テレビに奪われている。 本には良書と悪書の区別があった。
だが今、テレビに「良番組」「悪番組」などの識別をすることはない。あまりにも一過性で、人に判断の余裕を与えないからだ。
この番組はコマーシャルをはさんで、すぐ次の番組に移る。 焼け野原の都市に、本屋の数は少なかった。 古本屋はアリババの
洞窟のような魅力があった。実際本の起源は洞窟から始まっているのだ。 約四万年も前に、柔らかい岩や粘土に刻み込まれた
絵文字によって。人間は自分の考えを他者に伝えたい本能を持つようだ。また同時に人間は、他者の持つ複雑な考えの意味を
理解しようと努力を始め、自分の考えと同化させる努力を始めた。同意・同感するたびに、あるいは異論を抱くたびに、
人間は人間らしくなっていった。その結果、何万年もかけて地球上でたった一種類の珍種哺乳「考える動物」が誕生したのだ。 
この珍種が、絶滅一歩手前にきている。本を失い、その代替としてテレビを与えられ、考えるカを失ったために。 
もうすぐ人間の最大の敵は、再び歴史以前、石器時代と同じように、他の動物、野獣たちに戻る日が来るだろう。 
考えるカがついてからの長い期間、人間の最大の敵は、無論、人間だった。それはお互いに自分の損得を優先して
考えるようになったからだ。それは単に金銭、物質の損得への考えだけではなかった。 何よりも人間は、人間らしい人生を
送ることへの損得を考えた。 短く貴重な一生を、どうすればより実りの多い時間で満たすことができるかの損得を考えた。
   ( 字数制限のためカット 2011年7月11日)
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3019.旅する力ー深夜特急ノートー3
2009年07月11日(土)
旅する力 ー深夜特急ノート ー3
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
 ー第二章 旅の始まりー
* 果たして陸路でロンドンまで行けるのだろうか? 不安を抱えたまま躊躇していた私の背中を押してくれたのは、
  1973年暮れに出た雑誌に載ったある文章の一節だった…。それは井上靖が書いた「アレキサンダーの道」という
  紀行文の連載第一回の文章であった。掲載誌は「文藝春秋」の1974年の一月号である。その冒頭で井上靖は、こう書いていた。
 《昭和48年の5月〜6月にかけて、アフガン、イラン、トルコの主として古代遺跡だけを漁って、自動車で巡った。
  約一万キロくるまに揺られた荒い旅であったが、私にとってはすべてが初めての経験だったので、面白かった。
  一行は、考古学の江上波夫、画家の平山郁夫両氏の他に、長島弘三、・・・などが同行された。これを読んだ時に
 「アフガン、イラン、トルコ」というのは、まさに私が行こうとしているルートそのもの。・・・》
    解)書物を通して、経験者が声が多くの人を動かす。経験の持つ力は、後進の人の力を喚起させる。
     だから一生を通して読書はしなければならないのである。
* 出発に際して、持ち物の「一覧表」を作った。しかし、参考になる例を知らなかったので一人で考えるしかない。
  旅先で新たに買うことも出来るものもあったが、旅先では買うのは極力抑えたい・・・・
  私はリストを作り変えることにしたが、それは無限の引き算をするようなものだった。
  これらをバックにつめ、それを背中に背負い、ショルダーバックを肩にかける。その中味は以下の通りであった。
  ・パスポート ・証明写真 ・トラベラーズ チェック ・現金 ・航空券 ・カメラ
  持っていく本は、最後に三冊に絞った。『星座図鑑』『西南アジアの歴史』、中国詩人選集の『李賀』である。
    解)旅行先では、意外と本を読む余裕はない。 その先々で、じっくりとする余裕があれば、その読書は
     特別な意味を持つはずだ。 経験主義と合理主義の二つの効果が十二分に発揮する。
     金沢の地で大本教の出口王二三郎の本を貪り読んだが、あれは私にとって鳥瞰の視点の一つを
     得た機会になった。 人生は、何がなくとも、その時々の本である。
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2654, 結論で読む人生論
2008年07月11日(金)
 「結論で読む人生論 ートルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)     ー読書日記
 古今の人生論を批評しながら著者の人生論を展開する本。
 著者の「わたしを認めよ」「まれに見るバカ」「この俗物が」を読んだが、非常に軽妙で、自虐的な文章が私の性に合って面白かった。
 この人生論も、勢古の人生論批判で、「結局何なんだよ?」という彼の主観が面白い。まずは、アマゾンの内容紹介文と、まえがき、
 の一部を紹介して、次からは、それぞれの章の面白そうなところを抜粋しながら、考えてみる。
  人生論は、哲学と同じく読まなくてはならない。そこで培われたものが自分の人生の司令塔になるからである。
 ーまずは、この本の概要からー
  ー内容紹介ー
 (字数の関係でカット09年07月11日)
 後記) 勢古の本を数年、読んでなかった。その間に多くの本を出していた。
何処にもいる普通の才能の人が、自虐的に書いているから、親しみを覚えるのである。
特に古今東西の人生論を、彼の目線で書いているから,同調するのである。
( 字数制限のためカット 2011年7月11日)
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2007年07月11日(水)
2290, 「豊かさ」とは何か?、そして図れるのか       (。ゝω・)ノ☆;:*おはよう*:;☆
豊かさとは、決して経済的な豊かさだけではないが、しかし「経済的豊かさがあってこそ」というのも決して否定できない。
真の「豊かさ」とは何か?は、考えれば考えるほど難しい問題である。
そこで「豊かさとは」と検索したところ、去年の11月の「豊かさ指数」というネット新聞記事がでてきた。
ーまずは、その記事のポイントを要約してみるとー
「豊かさ指数」というのがある。 この指数とは、国連開発計画(UNDP)が1990年より
世界177ヶ国・地域を対象に毎年発表している「人間開発指数」のことをいう。
「人間開発報告書」では国民の生活の豊かさは経済的な指数だけでは表せないとして、健康、教育、
所得(具体的には平均寿命、就学率、国内総生産など)などをもとに、人間の豊かさを国別にランクしたもの。
ー2006年の報告では、
1位・・・・・ノルウェー(6年連続) 2位・・・・・アイスランド 3位・・・・・オーストラリア
4位・・・・・アイルランド      5位・・・・・スウェーデン 6位・・・・・カナダ
7位・・・・・日本   8位・・・・・アメリカ   9位・・・・・スイス  10位・・・・オランダ
ーこのほかでは
韓国・26位、ロシア・ 65位、ブラジル・69位、
中国・81位、インド・126位、最下位ニジェール(前年同じ)
ー2006年11月ー
 国連開発計画(UNDP)は9日、06年版の「人間開発報告書」を発表。経済力に教育や健康を総合して「人間の豊かさ」
を示す人間開発指数で、日本は177カ国・地域中7位だった。05年は11位で、初めてベスト10から転落したが、今年は
景気の回復も反映して再浮上した。人間開発指数は1人当たり国内総生産のほか、識字率や平均寿命などをもとに算出した。
1位はノルウェーで01年から6年連続。次いでアイスランド、オーストラリア、アイルランドスウェーデン
カナダの順。日本が順位を上げたのは、大学院などの就学率や平均寿命、1人当たりGDPがそれぞれ向上したためだ。
ちなみに日本は1990年,91年,93年ではなんと1位。バブル崩壊でその後10位以下に。(1999年は4位)
2000年?4年間は9位  2005年11位  2006年日本経済の回復から7位になっています。   
 ー以上であるが、
他のHPに 豊かな社会の構成要素を、次のようにあげていた。
1. 不幸がない社会  2. 自殺数  3. 最弱者の生活が保障される社会  4. 格差がない社会
5. セイフティネットがある社会  6. 選択肢の豊富さ  7. 時間的余裕
 これをみると、日本は到底豊かには思えないが、世界と比較すれば、まったくかけ離れて豊かということだろう。
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以上が検索から調べたことだが、日本が1990年から3年間、世界で一位とは?何を基準にしたのだろうか疑問が残るが!、
といって現在世界で7番目というのも、あながち外れているとは思えない?
この上げられている殆どの国には行っているが、順位は正しいようにも思える。
(観光旅行でわかるのか?というが、観えている部分の比較から垣間見ることはできる)デンマークが入ってないのが、
少し不思議だが。オランダとスイスは、なるほど豊かだが、イギリス、フランス、イタリア、ドイツは、移民や南北地域の格差で
民度が落ちている。そこで「豊かさとは、どういうことか」と自問自答すれば、まずは三つの側面から考える。
   ・空間的な豊かさ、 ・時間的な豊かさ、 ・金銭・物理的な豊かさ、
次は、・人的側面、 ・家庭的側面、 ・教養的側面、をあげることができる。
時間的側面は、いかに自由な時間を持ちえるか。空間的側面は、自分の置かれた空間がゆったりとしているか。
金銭・物理的側面は、自分の生活をエンジョイするに適当なストックとフローがあるか。人的側面は、友人関係や
職場で嫌な人より相性の合う人に恵まれているか。家庭的側面では、両親や兄弟、連れ合いに恵まれていたか。
教養面では、自分の心を自由、かつ豊かに保つための知識を培ってあるか。またライフワークを培ってきたか。
ー以上を自分の心でよし!といえる人が豊かな人と定義する。これも、あくまで私の定義でしかないが・・・。
ところで私は豊かかな?? 豊かかどうかは捉えかた次第だが! まあ、豊かということにしておこう!
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2006年07月11日(火)
1925, シャイン     \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/  ー映画観想日記
 何げなくDVDレンタルショップで借りてきて観た『シャイン』という映画が素晴らしい。今も活躍している天才ピアニスト、
 デビッド・ヘルフゴットの半生を描いた映画である。そんなことも全く知らないで観ているうちに『シャイン』の世界に
 引き込まれてしまった。
  (字数制限のためカット 2010年7月11日)
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2005年07月11日(月)
1560, トヨタ流 仕事の哲学              ー読書日記
                  若松 義人 (著)
著者は、この書で一番いいたかったことは「当たり前のことをトヨタほど徹底的にやり続けるは、何と難しいか」である。
「日々改善、日々実践」を50年以上も積み重ねこそ現在のトヨタがあるという。トヨタ流の基本は「人間はすごい」であり、
「人間の智慧に限界はない」である。トヨタの強さの源泉は、創業以来脈々と受け継がれてきた暗黙知にある。
(以下、字数の関係でカットしました。 2008年7月11日)
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2004年07月11日(日)
 1195, 授かった不思議な力
ー鈴木秀子の本を何冊か読んだことがある。先日図書館で借りてきた対談集を読んで、その中の臨死体験の話に興味を引かれた。
何かこの世には私の窺い知れない何かがあるような気がする。何回か書いたことがあるが、私の場合何回か幽体離脱?の経験がある。
歳を重ねれば重ねるほど「不思議」という言葉の奥行きの深さを感じるようになってきている。私自身「自分の接した人の運勢が良くなる」
話しは、かって聞いたことがない。神憑りである、いや今風にいうと「上げまん」だろうが、これは結婚した場合である。
有能な右上がりの人は、周囲に似た現象が生じるだろうが、全ての人の運勢を良くはしない。やはり、何かの特殊能力が臨死体験以降
身についたのだ。人間には、本来持っているが退化して隠れてしまった能力が多くなるような気がしてならない。あるキッカケで
それが飛び出してくるのだ。 以下は、ある対談集を書き写しました。 まずは、ごらんあれ!
臨死体験後、不思議なことがありました。 結婚式に招かれて待機をしていたら、背広を着た人が男性がいらして、
「あなたのような人にようやくお会いできました」っておっしゃるんです。自分は高野山の系統の住職で、生まれたときから
ひとを見ぬく特別の能力がある。そして、あなたの授かったような能力を自分も欲しかったけれどもらえなかった。
どういう能力ですかと聞くと、大きな大宇宙の力が私を通って出会う人に伝わって、
どんどんその人の運勢が良くなる能力だというんです。私も最初はその能力をまじめには信じませんでしたが、・・・≫
           (字数の関係でカット 2008年7月11日)
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2003年07月11日(金)
828, アラスカ旅行記ー3
 デナリ国立公園ーb  ーマッキンリー遊覧飛行ー
一度ホテルに帰ってきて、3時間ほど休んだ後にオプションのマッキンリーへの遊覧飛行に参加をしてきた。
230?と少し高いオプションで他のメンバーは誰も行かないが、ここまできて行かないてはない。「食事抜きのコース」を選択、
朝夕食は部屋で近くのスーパーで買ってきた果物や持っていった食料で食いつなぎ昼はスナックで済ました為に、その分の振り替えと思い、
迷わずに参加した。そして大正解であった。 ホテルまで迎えに来た車で小さな飛行場まで行って、他の白人3人と供にオモチャのような
セスナに乗った。20分ほどマッキンリー山脈の峰の間をフライトしてマッキンリー山まで行き、北米大陸最高峰の6194?ある山頂を、
下から螺旋状に30分もかけ5~6回も旋回をしたのだ。その雄姿だけでなく、山頂付近の広大な氷河の世界や、どこまでも広がる
アラスカの大地が、この世のものとは思えない景観で、今回の旅行のハイライトであった。「植村直己もこの風景を見た後亡くなったのだ!」
という思いがフト頭をよぎった。ギアナ高地テーブルマウンテンの遊覧飛行に匹敵する感動感動の連続。 マッキンリーの山頂に
200??近くまで接近をして、数十の山々を従えて神々しく聳え立つ姿を至近でみている時間は「至福の時間」であった。
思わず『ありがとう』という言葉を口ずさんでいた。この遊覧で、この旅行の価値が数倍になったといっても過言ではない。
いつも旅行で経験するのが「あと一歩を踏み出すかどうか」。本当に人生と同じである。ヨルダンのぺトラ( 字数制限のためカット 2011年7月11日)