* 孤島としての老い         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
≪ それにしても、独りぼっちになってしまった「おじいさん」の孤独感とは、どれほど辛いものであったのだろうか。
 気まずさ、寂しさ、自己嫌悪、そのようなものに苛まれつつ彼は残りの入生を送っていかねばならなかっただろう。
どうしてそんな目に遭わねばならないのか。 基本的に、世の中は弱り目に崇り目、弱者はそのことでなお追い詰められ、
不幸は不幸を呼び寄せるーそのような意地の悪い仕組みになっているといった認識がわたしにはある。すくなくとも医師として
様々な形の不運や不幸を見てくると、今述べたような感想を抱かずにはいられない。不遇であることは、それを帳消しにするような
出来事が不意に訪れる可能性よりは、なおさら足を引っ張るような「思いも掛けない無情なエピソード」に絡め取られる危険のほうが
遥かに高い。 だからわたしは負けたり失敗したりすることが嫌なのである。たとえ些細な敗北や過ちであろうと、それが運命に
「付け入る隙」を与えることになりそうで怖いのである(おかげで人生は疲れることこの上ない)。そして老いることもまた、
悪意に満ちた運命が付け入る隙のひとつとなり得るように思われて、意気消沈してしまうのである。しょぼくれた老人であれば
それに相応しい不遇が訪れるであろうし、無理に若さに執着するような老人にはそれを嘲笑するかのような不幸が駆け寄ってきそうな
気がしてならないのである。 ・・・老いを孤島になぞらえることは適切なのだろうか。いや、人間は誰もが孤島のような存在だと
主張することもできよう。だがおじいさんとおばあさんの二人暮らしなどを見ると、あたかも融合してひとつの島であるように映りつつも、
潮の干満によっていつの間にか二つの別々の島になっていたりするものである。その微妙な加減が興味深い。いつしか片方の島は水没し、
まさに絶海の孤島となってしまったとき、むしろ老女のほうが淡々としかし粘り強く生きていくようである。「ええなあ」とのんびりした
口調で羨んでみたり、妄想に生きてみたり超然としたり、とにかく生き抜いていく。老女の独り暮らしというものには、
わたしが漠然と思っている以上に精神の働きの多様性が示されているらしい。≫
 ▼ 老い、弱り目になると、祟り目が嫌でも待ち構えている。それなら、一日一生の思ひで、一日を消化するしかない。
  だから何ごとも一期一会ので生きるしかない。 最近特に気まずさ、自己嫌悪が強くなってきている。問題は、その毒を貯めないよう、
  日ごと処理しなければならない。現在、一日三時間の運動と、TVやシネマで映画を一本はみている。それでもフラッシュのように、
  色いろの後悔する記憶が次々と浮かんでくる。なる程、老化とはこういうことなのである。孤立というより、孤島にただ独りという
  実感が老いの寂しさになるだろう。生まれてくるときも、死ぬときも、ただ一人。 まだ背後から死が追いかけてくるような感覚が、
  あと数年もしないうちに、目の前から死がジワジワと忍び寄ってくる感覚になってくる。 それにしても暗い顔をした老人が多い。
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2011年05月31日(火)
3718, 閑話小題
   △ 現時点の関東大震災と、今回の震災の比較は?
 現時点でみて、1923年の関東大震災と、今回の大震災、どちらが日本にとって打撃が大きいのだろうか?
関東大震災は東京が、二次災害の火災で10数万人が亡くなった。死者の数は、あまりに多かったため、混乱が生じて、
確かな数値は、推定しかないようだ。首都東京が壊滅的にやられたのだから、大打撃だったはず。 
更に、その数年後には世界恐慌にも巻き込まれている。 今回はまだ原発の事故が収束に至ってない。
今後どれほど日本にとって大きな影響をもたらすか、まだ未知数。 したがって関東大震災ほどでないとは、いいきれない。 
首都圏に近い上に、本州壊滅の可能性も充分にある。失われた20年という長期的不況に見舞われ、その上にリーマンショックである。
日本経済は深刻な事態の上の、これである。決して、楽観視は出来ない状況である。そうこう考えると、現時点の判断は、
10年スパンで考えると、今回の方が遥かに大きい震災と考えてよいのでは。 変な民主主義が蔓延っているから、なお深刻である。
  △ ジャズは、早朝のサイクリング(でiPodで聞く)によい!
 二年近く冬期間をのぞき、信濃川に早朝、サイクリングに行っている。これまでサイクリングでiPodでクラシックなどを
聴いていたが、最近、ジャズを聴いている。ジャストいえば、夜の喫茶店か、スナックのイメージだが、朝の土手のジャズが意外とよい。
2ビートが、早朝の心と身体にリズムをつけてくれる。 鳥の鳴き声や海やせせらぎの波の録音などアルファー波が自然と出る
単調なリズムのものを聴いてきたが、ジャズを早朝とは・・・ 
 ジャズといえば、ルーツは黒人の霊歌で、明るさと暗さの境目が、その背後にあるため、夜明けにあっているためである。
その上にスポーツ・ジムでもiPodでジャズを聴いている。 これも運動に2ビートがあっている。
「聴覚を人はもっと活用すべき」というが、そのとおりである。ジャズはリズムとテンポというが、運動に本来あっている。
にわかジャズファンの誕生だが、これまではクラシックファンだったが、これは中途半端。 演歌に、クラシックに、ロックに、
カントリーに、何でも好きだが、これは!というのがなかった。 そこで1200曲がiPodに入ったからジャズに絞るか? 
というのも、何か軽すぎる? しかし、軽くて結構。門前で拒否するより遥かによい。 特に、こういう落ち込みやすい時期には。
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 2010年05月31日(月)
3353, 何で25坪の店に6人の従業員?
 一昨夜は、長岡駅中の鶏料理店「鶏陣」に行った。25坪ぐらいの店に男5人、女1人、合計6名の従業員。 
首都圏など人口密度の高い好立地なら別に不思議ではないが、地方の駅中の鶏専門店で異様な多さ。 
ガラスばりの向うに見える厨房が異常に大きい。 焼き鶏弁当、鶏肉の炒め、鶏ハルマキ、ビール2杯に、酒一本で、
二人で4000円なら安い。 土曜の17時半にしては客が少ない。 また隣の「朝日山」より従業員がなぜか多い。
そこでHPをみたところ30店舗ほどのチェーン店。 一晩寝て起きて、同じ駅中にあるファーストフードと惣菜販売コーナーに、
焼き鳥販売店があったことを思い出した。週に一度は隣接しているスーパーで酒の肴を買ってるから前を通っている。
ただ、高いから一度も買ったことがなかった。 そこで改めてHPをみたところ、店名は「鶏せい」と違ってはいたが、同じ系列。
思ったとおりであった。 100メートル離れている居酒屋の厨房がセントラルキッチンを兼ねているのである。
焼き鳥店の店頭で焼き鳥の販売をしている店を見かけるが、駅中の至近距離に飲食店と販売店を効率よく運営していたのである。
厨房が店のわりに大きい理由は、そこにあったのである。
 その隣にある「朝日山」に先々週に入ったが、ここは以前からある店が移転開店をした店。10年以上は入ってはなかったが、
酒造メーカーの朝日山の直営店で、直送のため酒そのものが美味しいのを売りにしている通向きの店である。
こういう時代には、何か仕掛けがないと経営は難しい時代である。そういえば、新潟駅に隣接している再開発のビルに
1Fで蕎麦屋、2Fでスナックを経営している人がいるが、これは関係ないか? 2Fは居抜きの店だから何とかやれるのだろうが。
個人経営の飲食店は、どうしても進化が遅れてしまう。 だから代替わりを繰り返すしかない。
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2009年05月31日(日)
 ゆれる雇用・日本の20年間
NHKの「アーカイブス」で放送された、この20年間の〈ゆれる雇用・日本の20年間〉を幾つか放送して、金子勝などが
検証する番組である。1993年、2001年、2006年、2009年と再放送をしていたが、後半になるほど、内容が深刻度を
増していくのがわかる。 その都度、自助努力というが、その言葉が空しい。ここで再放送されていた4回分全てを
過って見ていたが、改めて時系列に連続して見せつけられると、日本衰退の姿が赤裸々に見えてくるようだ。
  ーまずはNHKのHPの、この番組の紹介からー
バブル経済が崩壊して以降、私たちを取り巻く雇用環境はめまぐるしく変化してきた。
終身雇用、年功序列という働き方は最早当たり前ではなく、パート・フリーター・派遣など、
必要な時に、必要な人数をかき集めるという労働力確保の方法が幅を利かせる時代になっている。
一見、合理的にも見えるこうした雇用のあり方。しかし、ひとたび不況になれば、中高年層、
非正規社員など、弱い立場の人から次々と職を失っていくのが現実である。
何が、これほどまでに雇用環境を悪化させてきたのか?NHKアーカイブスに残る各時代に苦境に立たされた
人々の姿と、経済学者・金子勝さんのお話を通して、バブル以降、揺れ続ける雇用のあり方を見つめ直す。
  ーゲスト:金子勝さん(慶応大学教授)/司会:桜井洋子アナウンサー&林家三平
■NHKスペシャル「平成不況・中高年管理職の憂鬱」  1993年放送
 バブル経済の崩壊により、いわゆる企業戦士として会社の成長を支えてきた中高年世代を早期退職という名の
 合理化が襲った。 定年まで勤め上げることを前提に人生設計をしてきた中高年管理職。
 その戸惑いを通して、私たちの働き方の大きな転換点となった終身雇用の崩壊を検証する。
■NHKスペシャル「ワーキングプア 働いても働いても豊かになれない」  2006年放送
 働いても働いても生活保護の水準以下の収入しか得られない「ワーキングプア」。
 都会には定職に就けない若者があふれ、地方では税金が払えないほどに困窮する自営業者が急増している。
 彼らの悲痛な叫びを通して、行き詰った社会のあり方を考える。
■NHKスペシャル「リストラの果てに 日雇いに流れ込む人々」  2009年放送
 リストラされた中高年、派遣切りされた非正規社員が今、日雇い派遣の仕事に殺到している。
 しかし、違法な派遣業者が横行し、2010年4月から日雇い派遣は原則禁止となる見込み。
 最後の受け皿を失った労働者たちは、どこへ向かうのか・・・。
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 以上だが、それぞれに色いろ事情があるが、一度、坂を転げ落ちると、浮かび上がるのに、大きな壁が
出来てしまうのが現実である。 身近に色いろの破綻を見てきたが、何時、自分に降りかかってくる可能性がある。
最悪のケースでも何とかなる準備はしてあるとしても、今は世界恐慌の序曲である。 どうなることやら?
失業率が5%を超えたと騒いでいるが、10%、15%となる可能性がある。 現在の失業者が大よそ350万人。
一時給付金でワークシェアリングをしている人、250万人というから、実質8%ということになる。
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2008年05月31日(土)
 2614, 東京湾 漂流死体は語る ?1
図書館で見つけた本だが、それぞれの死体が語りかけてくる刺激的な内容が初めからつづく。
深い悲しみが、その死者の追跡から浮かび上がってくる。ホテルの自殺の場合、当事者として刑事が自殺の原因とか、
家庭の事情を知ることとなる。横浜港の漂流死体の場合、原因を追究していると不幸な生き様が垣間見えてくるという。
読んでいても、行間から人間の業の深さと、その結果としての悲しみが胸に突き刺さってくる。
ここに出てくるのは世間を騒がすような猟奇的な事件ではない。しかし、一人悲しみが死体として漂流している人間の結末から
叫びとして突き刺さってくる。死ぬには死ぬなりの事情が、それぞれあるのである。娑婆には亡霊が彷徨っていても不思議ではない。
これを読んでいてつくづく思ってしまった。一つ間違えば誰にも、ありえるのである。
この本が出版されて14年にもなろうとしているが、現在も同じような仕事に従事している人がいるのである。
アメリカのTVドラマのシリーズで、「CSI・科学捜査班]という刑事ものがある。
死体から、犯人を追い詰めていく内容だが、この本は、人生を追いもとめるもの。
だから、読むものの心を引き付けるのである。 あとがきーに、この本の要約が明快に書いてあった。 
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 豪華客船、貨物船、タンカーなど、世界各国の船が出入りし、あらゆる人種が行き交う世界最大級の海の玄関口、
横浜港……。 経済大国ニッポンの大動脈を担ってさ様ざまな船が往来する東京湾
……この現代社会の縮図ともいえる東京湾をはじめ、太平洋の荒波が打ち寄せる房総東岸など、
関東近隣の海を舞台に繰り広げられる犯罪の捜査、取締まりの最前線で私は働いてきた。
そして、この手で揚収した漂流死体も数え切れないほどである。
海上での「漂流死体情報」に接するや、私はなりふり構わず巡視艇や監視取締艇で飛び出していく。
死体との出会いは一刻でも早い方がいい。風や潮流で流され、それだけ発見揚収が難しくなるからだ。
現場に直行し、死体を発見揚収し、合掌ののち、他殺か自殺か、あるいは事件死なのかといった、
いわゆる事件がらみの死体かどうかをはっきりさせるため捜査活動を展開する。
 死因、死亡時期などを明らかにするため検視を行い、解剖に立会い、また、これらと並行して死体の人相、特徴、
着衣、所持金など手掛かりとなるものを頼りに身元を突き止め、さらに死者の肉親、友人などから事情聴取をすすめ、
「なぜ漂流死体となったのか」を徹底的に調べていく。 それは「死者の生前の旅」を辿っていくことに等しい。
  (字数制限のためカット2010年5月31日)
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2007年05月31日(木)
2249, 耐震偽装 ー5              (o゚▽゚)o オハョ?
以下の文を読む限り「アパ・グループ」は非常に??な集団である! 片耳の内容を一方的に信じるのは何だが、
社長が安部首相の後援会副会長で、それ故にまだ存在しているのだから、開いた口が塞がらない。
しかしネットで、この事実は全国津々浦々まで浸透し続けている。これは抑えることのできない事実である。
検察まで加担した事実を昨年暮れに藤田が外人記者クラブで披露しているビデオもネット上に公開されている。
ウヤムヤの幕引きは絶対にない! そんなバカなことがあって良いわけがない。
私が知る限り日本は、そんな非常識が通る国ではない。今年の後半は大きな嵐が国内を吹き荒れることは間違いない。
もしそうでないとしたら日本は救いようがない。{ こう書きながらでも、もう救いようがなくなっているのでは? 
という疑問がわく!しかし・・・・・??}  ??の孫という血筋だけで首相の座が転げ込んだ甘さが、この耐震偽装疑惑事件に
象徴的に出ている。政治は一寸先は闇である。 この男が、憲法改正をやらないで、誰がやるというのか?全く!
P-408
そうした中、2月14日頃であった。会社の真志尾から「報告したいことがある」と、僕に内線があった。
手に資料を抱えながら、「新たな偽装物件が発見されました」と声を上げた。
僕はまた姉歯関係かと、と思った。しかし、その予測に反し、「姉歯ではありません。
田村水落という、アパグループの構造設計を一手に行っているところです」と。
「今のところ、三棟です」と、付け加えた。もう、大抵のことには驚かなくなっていたが、
アパグループの名前が出たときには、「ヒューザー以上の大問題になる」と思わざるを得なかった。
(以下字数の関係で中間カット09年05月31日)
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信じられない内容である。非常にたちの悪い会社であり、行為そのものが犯罪的である。
この本は、もう全国にばら撒かれマスコミが底辺で動き出している。それよりネットで飛び交っているから
何時どこで発火するかだ。 恐ろしい!と時代の変化の凄さを知るのは、彼らだろう。
建設関係の人から聞いた話だと、マンションそのものに疑いを持ち始め、買い控えが始まっているというが・・
私は元々アンチ・マンション派だが。     つづく       ☆^(*≧ω≦)ノ~~~βyё
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2006年05月31日(水)
 1884, 家電の買い替え期間   (。・∀・)ノ゙オハヨウ!
家電の買い替え期間は、大体どのくらいのものだろうか?と思っていたら、先日の日経新聞の中にあった。
・冷蔵庫    10年      ・洗濯機    9年
・掃除機    7年
・エヤコン   10年      ・カラーtv    9年
・ビデオカメラ 6年半      ・DVDプレーヤ 4年半
デジタルカメラ 3年      ・パソコン   4年半
・携帯電話   2年半
  以上であるが、我家の実体は大よそだが、
・冷蔵庫は  20年近く    ・洗濯機は  15年
・掃除機   10年      ・エヤコン  10年と25年
・カラーtvは 7~8年     ・DVDは  5年
・パソコンは 3年      ・携帯電話  3年
・電気釜   10年
家電には当たり外れがある。使い方にもよるだろうが、同じラインの中でタマタマ工程の中で
偶然仕上がりが良いものと、悪いものが出る。 これは致し方ないものだが。
私の経験からみると、TVに関することだがソニーはよい。シロモノは松下電器は外れが少ない。  ヾ(^ω^*) バイ                  
・・・・・・・
2005年05月31日(火)
 1519, 知らないことを知らない恐ろしさ!
一昨日の日曜日のNHKスペシャ
「日本の群像・再起への20年 銀行マン苦闘」が刺激的であり、怒りを感じざるを得なかった。
ユダヤ資本に翻弄されている現在の日本経済を焙り出した内容であった。その象徴として勝者のゴールドマン・サックス会長と、
敗者の元長銀会長の姿を対比させ、映し出していた。「1985年の日本のプラザ合意は、ユダヤ資本のアメリカの銀行が仕組んだもの」と、
平然と嘯いていたのには怒り心頭になった。アメリカが日本に国内消費の拡大を求め、バブルのキッカケをつくったのだ。
そして、「アメリカ国内不動産の高値掴みを誘導した」と、平然と話していた。 そして、現在は逆に「日本の落ちきった不動産を
買いまくっている」と。ゴールドマン・サックスのトップの言葉が凄い。「知らないという事を知らないで、バブルでアメリカの不動産を
買いまくっていた日本人ビジネスマンの姿が・・」その戦略的経済戦争に負けたのが、現在の日本経済の姿である。現在の日本では、
順調に業績を伸ばしている外資金融機関に日本の学生が殺到している。その反面、不良債権の処理に苦しみながら、再起をめざしている
日本の銀行の姿がある。が、両国の銀行にどんな違いがあったのか?が、辛らつなカタチで映し出されていた。
特に敗者の象徴の日本長期信用銀行の元会長が現在も、その時の貸し出しに対する裁判の係争中であるのが印象的であった。
「知らないことを知らないことの恐ろしさ」の結果が、現在の日本であろう。 他人事でないのが、恐ろしいが。
ソクラテスの「私は多くの知っているのではない。何も知らないというということを知っているだけだ」が、身に沁みる。
・・・・・・・・・
2004年05月31日(月)
 1154, つれづれなるままに
・まったく書くテーマが出ない日が、時々ある。今日はその日であるが、そういう日は自分でも嫌になる。
今までは千回まではと踏ん張ってきた。毎日書き続けることからくる習慣が重要であって、止めればエキスが失われる。
それが解っているから、休むわけにいかないから厳しい。といって、所詮は趣味の世界の話でしかないが。
・先日、自宅の台所の改装のため夕食がつくれず、近く(150m先)のファミリーレストランに急遽いった。
隣り合わせているイタメシアの「サエゼリア」とチャンコ料理屋の「江戸沢」のどちらかと思いながら、店の前までいった。 
サエゼリアはほぼ満席で、江戸沢は一席しか入ってない。両方とも100席以上の店だから、その差がはっきり見えてくる。
サエゼリアと江戸沢の客単価が二倍近くの差がある。何故お客が来ないのか、経営者はわかってないのだろう。
メニューの内容が、開店当初から全く変わってない。まあ、他人事でないか。仕方なく江戸沢に入ったが、
出てきて何か損をしたような気分であった。・今年の自宅の藤の花がほとんど咲かなかった。過去30年で二?三回目である。
そういえば毎日散歩をしていて、花と草の勢いが例年に比べて弱いのがよくわかる。
梅雨が例年より早いとTVでいっていたが、今年は米の豊作は望めない?・昨日は異常なほど暑い一日であった。 
今朝もどんよりしている。晴れる日もあれば、曇る日も雨の日もある。 天候も人生みたいなものだ。
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2003年05月31日(土)
 787, 「加熱する新潟のホテル戦争・NHK」をみて
今日のNHKの[きらっと新潟ー加熱するホテル戦争」が面白い内容だった。電話が二本入ってきた。
 NHKの何も解ってない素人が企画した内容という前提で見ていたせいか、お笑いの部分もあった。
今時にホテルで高価な結婚式をあげる時代ではない。アッパークラスの5?の人種は例外である。
     (以下字数の関係で中間カット09年05月31日)
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2002年05月31日(金)
 423, 酒の話 −1
学生時代も、勤めていた時代も、どこに行ってもすぐ見つけるのが、飲み友達と、いきつけの飲み屋である。
地元で今も数人いるが、そのうち特に飲んだ二人は亡くなったり転勤で居なくなった。
転勤の一人は新潟に出張にくる度、今でも年3回は飲んでいる。特に勤めてからのそれぞれの地方の酒が忘れられない。
やはり金沢の酒が忘れられない。なんともいえない味がそれぞれの店にあった。歴史の深みであろうか。転勤商売も苦しいだけ、
そういう楽しみもある。苦しい時期ほど、そういう居酒屋の酒がうまっかった。新潟では20年前から5年位前までの酒が、
特に美味しい思い出が多くある。大学時代の友人が、丁度その時新潟に転勤で赴任してきており飲み歩いた。
それと数年前に亡くなったが「新潟駅前の花園の町内会長をしていた不動産やの社長」と古町を飲み歩いたことだ。
有名な老舗の小料理屋や料亭を芸者をあげたりして飲んだ。数十回も。自分では間違ってもできない昔流の粋な遊びである。
亡くなってからは、当然のこと料亭などは全く行ってない。丁度「海外旅行と遊びの入れ替え」の部分があったが。
飲むほうも、その時期時期に一応一とおりのことを経験してみた。