* 老いと勘違い         「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日 武彦 (著)  
 ここで、著者は長いページをさいて、中原文夫の「本郷壱岐坂の家」を紹介しながら、「老いと勘違いを」書いている。
 その概略を紹介しながら、現在の私の心境と、老い、そのものを考えたい。
≪ 主人公は多摩川沿いで大会社でないとしても、180人ほどの会社を持っている会長。 息子が社長で、妻も元気で、事業も順調である。
ある日、涼子という20歳の女子社員が給湯室で三人の女子社員から詰られている場面に出くわす。その時、70年前の記憶がよび戻る。
14歳の時に家に家政婦できていた、同じ年代の中山スズとう娘を思い出す。別に女性として意識はしてなかったが、何故か意地悪をする。
その女性に似ていたことと罪滅ぼしの感情もあり、強引に自分の秘書にする。そして会長職もあり、仕事内容は私用が中心になる。
妻とともに、その女性を身内同様、可愛がっていた。ところが、ある日、会社で火災が発生する。息子の社長の話だと、どうも、涼子が
火を放ったらしい。 彼女の話では、その間接責任は主人公の会長にあるという。 総務部長の自宅に電話をしてきて「勤務以外の時間に
私用で拘束し、休日は自宅に呼びつけ調理をさせたり、女中代わりに使っていた」という。 すべての好意が歪曲され、悪意で色づけ
されているのに呆然とする。
 その彼女から電話が鳴る。罵詈雑言である。その頃、苛めた中山スズの娘から、一通の手紙を受け取る。スズは既に亡くなっていたが、
死後に、手紙を届けて欲しいと言われていた。その手紙の内容では、あまり幸せでない生涯だったが、主人公と、その父親に対する深い
感謝の言葉が並んでいた。あの二年間が人生で一番幸せだったと。 そこで思う、「俺はどういう人間なのだろう。思い当たる節もなく、
他人から慕われ、そしてまた、かくも憎まれるということは、これは立派な罪ではないか。 ・・・主人公は、これ以上ないおぞましい
感情を突き付けられ、縋るように本郷壱岐坂の家とスズのことへ、思いを寄せる。スズという過去の娘と涼子という現在の娘、それぞれ
互いに感じ考えていたことが全く違っていた皮肉を綴っている。 ・・・精神科医の立場のコメントは、涼子のような女性は世間に一定の
割合で偏在している。ある種の人格障害には、まぎれもなく彼女のように「最初は普通に見えたのに、ある時、豹変して相手に憎悪を
ぶつけ、今までは耐え忍びつつ演技をしてきたと言い放つ」といった類型が存在をする。それは往々にして相手に深い精神的ダメージを
与える。それによって、もはや人間そのものを信頼できなくなってしまう。・・・ ≫
 ▼ 現在の私の置かれた立場は、オセロゲームで、最後のコマが黒になり、それまでの白が一挙にクロに変わってしまったようなもの。
  しかし、いざ、そこで見据えてみると、自分より、他の人たちの豹変を冷笑し面白がっている視線がある。人生など、全て勘違いと
  思い込みで出来ているに過ぎない、その自明なことが漫画的に現れ出るからである。 そういえるのは、リスク管理をしていて、
  目先の生活に困窮しないで済んでいることもある。事業を立ち上げることは、強力な思い込みを形にすることである。そこには、
  当然、勘違いも多く付随するが、消化していくしかない。しかし、最後がクロになると、全ての出来事は、クロの要素になる。
  といって、それも物語である。要は、後悔しないよう務めるしかない。人生は本来、勘違いで成立している。気づきたくないが!
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3716, ジャズについて −10
2011年05月29日(日)
         ー 「音楽の本」三枝成彰著 より
   □ 黒人アーティストからの反撃  ー「ハード・バッブ」って何 ?
 * ソニー・ロリンズセロニアス・モンクチャールズ・ミンガスのユニークな活躍
【 五〇年代中盤以降、ニューヨーク周辺のビバップの流れをくむ黒人アーティストの間から、クール・ジャズの知的な弱々しさを
 圧倒するかのような、たいへんに勢いのある力強くエモーショナルな演奏スタイルが生まれてきた。
  これを白人ウエスト・コースト派に対する黒人イースト・コースト派の巻き返しととらえ、一連の傾向を「ハード・パップ」と呼ぶ。
 4ビートがより鮮明になり、アフター・ピートも強調される。ハード・パップ・スタイルの特徴を一言でいえばこうなるであろうし、
 「ファンキー」とか「ソウル・ジャズ」と呼ばれることもあるが、レッテル貼りはさておき、この時代に活躍したアーティストについて
 見ていこう。 一九五六年に有名な三つのアルバムがリリースされた。 ソニー・ロリンズの『サキソフォン.コロッサス』、
 セロニアス・モンクの『ブリリアント.コーナーズ』、チャールズ・ミンガスの『直立猿人』である。
  ソニー.ロリンズ(一九二九〜)はチャーリー・パーカー亡きあと、即興演奏の可能性をさらに押し広げたテナーサックス奏者である。
 『サキソフォン・コロッサス』は日本のファンが「サキコロ」などと呼ぶ定盤中の定盤。彼の演奏は、豪快でおおらかなトーンの中に
 時折ユーモアのセンスも感じさせ、なによりもヒューマンな魅力に満ちあふれていた。
  セロニアス・モンク(一九一七〜一九八二)は、ビバップ創始者の天才であるが、孤高の道を歩む。マイルスとのレコーディングで
 大喧嘩をしたという逸話が残っているほど、彼のピアノ・スタイルはずば抜けてユニークであった。ソロ・アルバムが多いのはそのため。 
 彼は私生活でも時折、意味不明のことを口走るような変人といわれ、七〇年代はじめに 重病で倒れたあとは、二度と世間にその姿を
 見せることはなかった。しかしモンクには好き嫌い抜きで聴ける「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」「ストレート・ノー・チェイサー」
 などの有名な曲もあり、その評価は後年に高まっていくことになる。ユニークな音と性格という点で、ぺース奏者チャールズ・ミンガス
 (一九ニニ〜一九七九)も負けていない。こちらは喧嘩っ早いことで有名。 気に入らない評論家や 共演者に怒りをぶちまけるだけでなく、
 六三年のアルバム「黒い聖者と罪ある女』では、ジャズというジャンルそのものに喧嘩を ふっかけ、レコード会社に自作を「民族舞踊音楽」
 として売ることを要求した。その激しい怒りは社会へも向けられ、五七年の曲「フォーバスの寓話」では、人種差別にまつわる事件で
 白人側に肩入れしたアーカンソー州知事の名をタイトルに冠し痛烈に批判している。】
  ▼ ハード・バップという言葉自体、ここで初めて知ったが、何か当然出るべくして出てきた流れである。黒人と白人の交互の
   主導権争いのような、微妙なジャズとしての正・反・合があるようだ。それらを知ると、ジャズの深い魅力に取り付かれるのが、
   分かるような気がする。   ーつづく
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3351, 3339, 2011年新聞・テレビ消滅  −4
 2010年05月29日(土)
  * さあ、次はテレビの番だ!
 ・この本を読み、・Youtubeを本格的に見て、・高機能のHDRハードディスクレコーダー)を設置して半年たった。
テレビ局が消滅か大幅なダウンサイズする現実を実感するようになった。 新聞社もテレビ局も風前の灯である。 
まず驚いたのが、HDRである。大容量のHDSを半年前に買ってWoWoWを中心に、番組をどんどん入れているが、まだ容量が残っている。
もちろん見たものは消しているが、それ以上に録画している。取りあえず満杯になるまではと思っていたが、満杯にはならない) 
録画されているのは見たくとも見切れない面白そうな「私にとって90点以上」のものばかり。 面白そうな番組が無いときは、
それを見ることになる。 それはタイムシフトをして見ていることになる。 これまでは、面白くないが他にないから見るか〜
というのが皆無になったのである。 次に最近、急に興味を持ちだした YouTube。 面白くない時は、だいたいは居間にある
パソコンを向かっているが、それが、時々YouTubeを見だしたのである。 これが面白い! キーワードを入れると面白い映像が
次から次へと出てくる。 数年前に、そのYouTubeを買収したGoogleが、ソニーと提携をして、ネットパソコンを
共同で開発するというから、TV局にとって致命傷になる。 さらに、タブレット方式のパソコンの普及がある。
これは居間と部屋で釘付けにされていた視聴パターンが変化することになる。台所や、庭、そして外で見ることになる。
そこにはネット経由の映像が流れる。 これも、さらに総合テレビ局にとってマイナスになる。だらだら流し見していた
テレビの見方が変わることを意味している。その結果、スポンサーはTV局から、サイトの方に変化する。
NHKもさえも大きな岐路に追い込まれることになる。情報革命はテレビ局でさえ飲み込んでしまう。iPadの出現は更に世界を変える!
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 2976,縁は異なもの  ー2
2009年05月29日(金)
「縁は異なもの」 河合隼雄 白州正子 対談集   
  * 能とは
 能といえば高校時代に講堂で学習の一環として見せられたが、「奥行きの深い、そして面白いもの」と感動をした
記憶が鮮明に残っている。その後、TVで何度か観たが初めほどの感動は無くなっていた。生とTVの違いもあるのだろう。
 ーこの本の中の、白洲正子の「能」の説明が解りやすいー
《 能はその昔、「猿楽」といって、平安時代ごろから行われた民俗芸能でしたが、室町時代になって、当時流行していた、
ほかの舞踊や流行歌を取り入れ、ひとつの芸能に集大成したという意味です。 そういうふうにして総合されたお能は、
大きく分けますと、舞と歌によって構成されています。歌の部分を舞もしくは謡曲と呼び、芝居の脚本に相当します。 
が、ふつうの、台詞は少なく、歌の部分が戯曲や脚本とちがうところは、あくまでも歌いものですから歌が大半をしめている
ということです。謡曲は、それだけでも独立した歌いものですが、能になると舞をともない、伴奏に、大鼓と小鼓と笛、
はなやかな曲には、太鼓も入ります。伴奏のことを囃子といいますが、他に、地の文を合唱する人々を、地謡と呼びます。
 謡いの文章は、音楽の拍子に合いやすいように、七五調を基本にしており、散文より詩歌に近いといえましょう。
近いどころか、謡曲は、和歌の伝統のもとに作曲されているといっても過言ではないと思います。
題材を、古い物語や歌集に得ているだけでなく、枕詞・掛詞・縁語などを、たくみにつづり合わせて、叙情的な雰囲気を醸しだす。 
   (字数制限のためカット 2010年5月29日)
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2612、 佐藤優の速読術について
 2008年05月29日(木)
国家の罠」「自壊する帝国」の外務省のノンセクション作家である佐藤優の「速読術」の方法、考え方が面白い。
ーまずは、その概要を私なりにまとめてみた。
・速読法は、基本書を完全にマスターしているから可能であり、基本データが完全にインプットされていない分野では、
 無意味である。ヒンズー語を知らないのに、その文献をいくら捲っても理解できないのとおなじことである。
 受動的勉強を充分に勉強した上で能動的な速読法ならわかるが、そうでないのは無理がある。
・読書術として、難しい本に二種類あって、*一つは理論がでたらめで難しいフリをしているもの。
 *いま一つは議論の積み重ねで構成されているから時間がかかるが、読んでいけば知識が得られるもの。
 何故、速読術が必要かといえば、読むに値しない本を見分けるためです。 速読法とは、自分の周辺に押し寄せる、
 いい加減な情報を波打ち際でたたく方法である。 つまり一年でどれだけ熟読できるか計算をして成り立つ。
 月二冊熟読するのが限度でしょう。その本を熟読するために他を速読するという逆転の発想です。
・速読をすれば知識がつくというのは嘘です。知識は熟読によってしか得ることが出来ません。
 速読は自分が持つ知識以外のものが出ているかどうかのチェックする手段に過ぎません。
 速読術は熟読術にあるということです。読まなくても良いものを精査するためのものです。
・速読術には厳密に分ければ「速読術」と「超速読術」の二種類あると思います。
 速読術は鉛筆を使って判断しながら読む方法で、400〜500ページの本に2〜3時間かかります。
 超速読術は、飛ばし読みで、純粋に新しい単語を拾って、大づかみで内容を把握する方法で、
 10〜20分ですみます。最初と最後、そして目次を見ること。
・「興味力」の赴くままに濫読すること。何でも興味を持つことが重要。
   =「国家と人生」寛容と多元主義が世界を変える= 竹村 健一 佐藤 優より
▼ 熟読によってしか知識は得ることが出来ない、というのは良くわかる。 もう一つは「繰り返し」である。
 ところで私も似たようなことをしている。 長岡と新潟の図書館に週二回行き、面白そうな本を借りる。
そして、これはと思うものは、直ぐにアマゾンで発注する。そして、本に取りあえず織り込みを入れる。
自宅の居間と会社の机の上に三十冊は並べておいて、とにかく超速読をする。そして、その中で、これはというのを、
この随想日記のネター読書日記に書く。熟読するものはトイレにも置いておく。 だから、ネタにはならない。
私の場合は、とにかく繰り返し本を開くことにしている。だから、居間にも常に本を横に置いている。
せっかく地球に旅に来ているのだから、地球上のことを知らないと。それが、動機である。
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2007年05月29日(火)
2247, 女性の品格            (*´・ω・)ノおはよー
 NHK/TVを見ていたら「女性の品格」の著者の坂東真理子氏のインタビューがあった。昭和女子大の副学長で「女性の品格」
という講義もおこなっていた。私自身はさておき、品性のない人間は大嫌いときている。学歴や肩書きや収入とかでなく、
その人の持っている生まれながらの品位は、どうしようもないものである。その人のもって生まれた何かである。
この本の中で、強く、優しく、美しい女性になるための「66の法則」を挙げているが、
ーその中で幾つか選んでみたー
 上品な女性は、
・礼状が書ける  ・約束をきちんと守る  ・型どおりの挨拶ができる  ・長い人間関係を大切にする
・流行に飛びつかない  ・姿勢を正しく保つ  ・贅肉をつけない  ・プライバシーを詮索しない
・よいことは隠れてする  ・愛されるより愛する  ・得意料理をもつ  ・恋をすぐに打ち明けない
・人に擦り寄らない  ・礼を尽くす
 などなど、ビジネス、装い、話し方、恋愛にいたるまで、女性としての振舞い方を具体的に示してある。
何げない日常の立居振舞いに、女性の生き方と品位はおのずと表われるもの。
自分を卑下しすぎず、もちろん、うぬぼれず、「等身大の自信」を持つことである。
「強く優しく美しく、そして賢く」と示しているが、人間として「凛とすること」である。
    (字数制限のためカット 2010年5月29日)
 女性の品格?装いから生き方まで   PHP研究所 ・坂東 眞理子【著】 (*・ω)ノβψε★βψε
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2006年05月29日(月)
 1882, 新潟県活性化案ー2  おっ w(゜Д゜)w ハァョ?
この活性化案をベースに5月16日、私の事務所で14名が休憩二回をはさんで5時間にわたり議論をした。
利害と直接関係ない新潟県に対する危機感を持った参加者が多かったため、内容は濃いものとなった。 
色いろな職業の人がバラエティーに散らばっていて、それぞれの立場からの視点が丁度よいバランスになっていた。
内容としてベストといってよかった。2010年の富山まで北陸新幹線開通後の新潟県の危機は深刻である。
さらに2014年には金沢までオープンする。その時、上越新幹線は北陸三県を背後にした北陸新幹線の枝葉になってしまう。
何故飛行場まで新幹線を通さなかったのか?アジア大陸の窓口としての拠点都市つくりをしてこなかったのだろうか?
この議論をした翌日、新潟東港?新潟空港?トキメッセ?寺泊を見てまわった。特に新幹線の延長可能な「廃線した貨物線」
をみたが、そこを生かせばそれほどのコストはかからない。20年前に新潟空港まで新幹線を開通していれば、
日本海拠点都市宣言をして都市づくりをしていれば、全く違った展開になっていたはずである。
今さら遅いといっていられない事態である。高崎から新潟県に新幹線を開通させるという大プロジェクトではない。
あと10キロ足らずの新幹線を延長させるだけで「全く違った性格を持つ世界稀なる首都から直接乗り入れの新幹線になる」
ということが解らないのだから、角栄以後の政治家のレベルの低さに呆れてしまう。飛行場周辺と新潟駅の一体化を図るべきだ。
そのためには、骨太の奇策と思える計画が必要である。新幹線の延長したレールを共有して新交通システム新潟駅~新潟空港間に
動くエレベーター(新交通システム)をつくり、一体化すればよい。ただしコストを安くすること! 
羽田の新交通システムも周辺住民が多く利用しているではないか。新潟空港周辺をみてまわったが、その自然環境は素晴らしい。
そこと新潟駅周辺の集積された商業集積を結びつければよい。テーマパークのロシア村をつくったり新潟駅の再開発に千数百億も
投資するなら、せめて10年前に飛行場に新幹線を乗り入れ、その周辺にサッカー場や、流通団地、専門学校や大学の特区地区などに
集中投資すべきであった。岡目八目ではないが、私の知人が呆れるのも解る。  
  ー以上、新潟県活性化案を補足するものである。     ゝд・) ノ バイ バイ!
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2005年05月29日(日)
 1517, 酒中日記ー2
この本の面白そうなところを抜粋してみる。 作家の文章を書き写すということは、文章のレッスンをしていることになる。 
絵でいう写しをしていると同じことである。「上手い文章を書いているな~!」と、読み過ごすことと、書き写すことは全く違う。
写すということは、主体的に変化する。だから、このように時間をかけるのである。
ーその後の文章を抜粋してみます。 それにしても作家の文章は上手い!
ーー
黒岩重吾
ー飛田にひとり
某月某月
大阪の西成界隈をバックにした小説を書くので、久しぶりに飛田の近くに飲みに行った。
(字数の関係でカット09年05月29日)
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2004年05月29日(土)
 1152, 「老い」を考えてみる ー2
昨日の新幹線で読んでいた藤沢周平の「海鳴り」の中に、老いに対する思いが偶然そのまま書いてあったが、
彼の思いがそのまま伝わってきた。 (実際こういう偶然があまりにも多く、自分でもびっくりする)
何も考えないで精一杯生きてきて、ふとポッカリと心の穴に落ちた心情はこんなものであろう。
特に夫婦間の亀裂がのっぴきならない状態で、家族に忌み嫌われた亭主はこんなものかもしれない。
あまりに迫真があったので、何回も読み返してみた。実際の荒涼感は、こんなものより深く絶望的であろうが。
北欧の老人の自殺が多いのは、こういう心象風景の果ての絶望感と孤独感が底知れずあるからなのだろう。
この下書きを昨夜書いたためか、夢をみた。何処かの海岸線のリゾートに一人いて、店とか海岸で、
その世界になじめない。一人ウロウロしているじぶんがいる。まあ、早速こんな夢をみるとは単純なものだ。
ー「海鳴り」の中の一節
妻子のために、身を粉にして働いてきたはずだった。40歳の坂を越えたとき、わずかの迷いがきた。妻子からも、家からも離れて、
一人の人間にたちもどりたいと願ったのは事実だ。だがそれは、長い道のりを歩いてきた一匹の生きものが、ふと足をとめてかたわらの
泉から水を飲んだような、ほんのひとときの憩いに過ぎなかったのだという気もする。長い道をわき目もふらず歩いてきたので、
生きものは身も心もくたびれ果てていた。気がつくと老いが忍び込んでいた。それでも道は、まだまっすぐに眼の前につづいていた。 
色彩もとぼしく荒れ乾いていた道である。道がか細く消えている地平あたりから、風が死の臭いをはこんで来るのにも気づいた。
それでも生きものは、その道を歩き続けなければならないことを知っていた。それが生きもののさだめだった。
振り向くと、通り過ぎてきた花も緑の木々もある道が見えた。しかしその道は、振り返ることも出来ても、戻ることは出来ない場所である。
(字数の関係でカット11年05月29日)
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2003年05月29日(木)
 785, 一期一会(すすき野の夜)
 昨日書いた異業種の人達との札幌のススキノの夜の話である。 二次会もバラケてしまい、残った四人で「すすき野」
に行くことにした。せっかくの札幌の「すすき野」の夜、入るなら一生に残るようなエキサィテングな店がないかと
数軒の店を覗いていたら、何か異様な賑わいをみせている店があった。すぐ団体が帰るというので少し待って入った。
空いているカウンターに我々4人が座った。 暫くすると、他の団体も帰っていった。隣には、その店の馴染みと思える
中年の品のよさそうな男性が座っていた。何かの縁かと「実は異業種交流の途中に札幌によった」と話しかけた。
「何処から来たのか?」と聞くので、新潟市から来たというと、自分は佐渡の出身だという。その場が急に同郷の会
みたいになってしまった。この店の入っているビルと、幾つかの飲食ビルを経営している専務だった。
そこにお客を送っていった美人のママが帰ってきた。二人が深刻そうな話を始めていた。「もう店をやめたら!」と
ビルの専務が言っているのだ。ママが食道癌で退院したばかりで、店に出れる状態でないが捨て身で店を開いていたのだ。
連日入院していた病院の先生も店にきて忠告しているという。その場が深刻な、微妙な雰囲気になってしまった。
その為か、ママの歌が魂のこもった素晴らしい歌が続いた。そうなると、お客全員も引き込まれて魂の歌になった。
どういうわけか、私がいやに気に入られて最後までダンスのお相手をしていたと同行の人から翌日聞いた。歌は憶えていたが、
そういう記憶はいつも昇華して消滅するのが残念である。恐ろしいような、悲しいような、楽しいような、
一生に残る思い出になった。「すすき野」の夜の人生ドラマの深さを垣間見てしまった。
その話を翌日、行かなかった人に話をしたら「なぜ俺たちを連れて行かなかった」と叱られた。
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2002年05月29日(水)
 421,世間とはー2
前回では「個人が確立されてない日本では社会が存在し得ないのでないか。そしてその代わりー世間ー存在している」と書いた。 
ある地域に生まれ育って、一歩も外の世界で住んだことがない人は、世間という枠組みから出ることができないのも仕方がない。
神話の世界でいう蛇である。その対極にある鷲に憧れを持ち、その合体の龍を創りあげた。どういうわけか世界中の神話に
龍が出てくる。
(字数の関係でカット11年05月29日)
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2001年05月29日(火)
 [35] 一人暮らしのあの頃
今日は終日長男(堀井大)のアパート探し! よくあれだけ部屋があるものだとビックリ! 部屋の中にある人生を感じた。 
一人部屋にある何ともいえない哀愁を! 私にもあった一人生活の侘しさと緊張感。いつも鏡を机の上に置き、独り言を
言っていた侘しさ。でも自由のよさ。何かタイムマシーンで三十数年前に戻った感覚であった。