ー「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より 
  * その人の思想とは一つの行為である
 ≪ ――自分に実感がなければ、ひとを掴めるはずがない。
    心の底からほとばしって、聞いているみんなの心を
    ひたむきな感動で引っ張ってゆくのでなけりゃだめだ。
    今日も明日も机にへばりついて、膠で接ぎ合わせたり、
    他人の賞味したお余りでこった点をこしらえたり、
    掻き集めた灰のなかから 貧弱な火を吹き起したりするのでは、
    子どもや猿どもには感心してもらえるかも知れん――
    それがきみらのお望みならばだ。しかし、真実、良心から出たものでなければ、
    けっして心に達するものではない。       (ゲーテファウスト」)
  そういう声を聞くと、心を打たれると同時に、なるほどこの人はそういう人かと、そこにたしかな一個の存在を認めるだろう。
  この人物には思想がある、と。すなわち思想とは、つまりその人が断乎としてそのように考え、そのように生きる、その生き方の
  言葉や行動にあらわれたもの、ということになる。自分の生き方の全部を賭けた言動だけが、思想の名に値するのだ。
  そこから小林秀雄の、次のようなはげしい断定も出てくる。≫
 ≪ ――精神の状態に関していかに精しくても、それは思想とは言へぬ、思想とは一つの行為である。 (小林秀雄『私の人生観』より)
  口で言うのならどうにでもなる、とよく人はいい、これはとくにわが国では支配的で、政治家の言口葉などはその標本のようなものだが、
  そんなふうに言葉=意見を弄んでいる者は、ついに真の自己に達することはできないだろう、というのである。なぜなら、ひとは自分が
  しんから正しいと考えたこと(それはその人の生き方から出た必然の思想である)を口にする時、己れの全存在を賭けてそれを言うのであり、
  それが周囲に認められ、あるいは否認されることで、己というものを知るのだから。≫
 ▼ 11年間、ここで書き続けてきた効用は、この実感がないことは逆に、書けないということ。だから出来事に直面したときの実感を、
  その場で文章化して頭に残して置いて、記憶に残す習慣が出来てしまった。写真家は、シャッターチャンスを待つが、その間、頭の中で、
  その場の光景の実感を文章化しているという。写真に添えられている文章は、だから写真を引き立てる薬味になる。 思想とは、真実、
  良心から出たものでなければ、心に達しないのである。心にとどくのは、自分だけの頭で考え、経験し、感じた実感である。
  読書日記より、書くネタがなく仕方なく捻り出した「閑話小題」、「つれづれに」のテーマの方が面白いと言われるゆえんである。
   ・・・・・・・
3698, 自己を見つめる −19
2011年05月11日(水)
                 「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  人生は、難しい。老いの時期に、それまで生きてきた過程で問題処理を誤って置き去りにしてきた過去が吹き出てくる。
 これは万人に言えることだが、肉体の衰弱と、精神の衰弱が、それに加速させていく。特に、現在、これまでの家制度が崩壊、
 老後は、親子が支えあうシステムは消えようとしている。その中にあって、自分(の世界)を長年かけて作っておくしかない。
 しかし、「こんなはずではなかった、まさか!」が、人生である。 誰の身にも形を変えて、突然現れ出る。 
  * 老いについて ー?    ーP272
【 こうして不動の英知を得た、落ち着いた老年は、死を覚悟しながら、自分なりの人生のまとめを試み、知恵を磨いて、認識を深め、
 哲学的知性を研ぎ澄ます恰好の時期となる。 キケロが言ったように、無分別は青春につきものであり、反対に、分別こそは、老熟に
伴ってようやく熟成する。 およそ、知性を錬磨して、労作や仕事に励む老年には、老化は寄りつかないのである。老年になって恵まれた
晴耕雨読の田園生活こそは、人間に幸福をもたらす。自然のなかで草木を慈しみ、書籍を読んで知性を鍛える田園生活は、人間に精神の
安らぎを叶えさせる。あらかじめ美徳善行の想い出を蓄えることに努力を傾注して、精神的に満ち足りた円熟した老年にとっては、こうして、
時きたってこの世を去るのは望ましいことである。自然の摂理に従い、生命に定められた限界に従って、従容と死に赴くのは、
人の使命だからである。 セネカの説いたように自然の定めに従い、それに即して自己を形成することが、何よりも大切であろう。
心身を健全に保ち、見識を蓄え、運命の贈り物は活用しながら、しかしその奴隷にはならずに、乱されない自由な心と剛毅な精神において、
不屈の力をもって、公正に生き、道義を守り、克己心強く、高潔に、そして調和をもって優美に、善行に励むことのうちに、人生態度の
基本が据え置かれねばならないと、セネカは捉えた。 人間は、老境においてこそ、いよいよ、こうした人間のあり方に熟慮を傾けて、
人生の実りを念頭に置きながら、自己自身に相応しい生き方の拡充努め、最期の時に、備えなければならないであろう。】
 ▼ 長生きはしたいが、老醜は曝したくない。この溝が老年の大問題になる。他人のドブ沼は垣間見ることはできても、自分になると! 
 「生まれ活き、老い、その結果、長く生きている分、多くの病を経験して、最期は死んでいく。これが人生。」
 そう、綺麗には人生を終わることはできようがない。事業も同じ。綺麗に引きたいは妄想。これからが、本番、長い日々が待っている。
 清く、正しく、美しい人生もあるのだろうが?? これほど詰まらない人生もないだろう。 それは私の偏見か?
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3333, 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民
2010年05月11日(火)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー大前研一 (著)  ー6
* 「○」と「×」の標識の間を漂流している国民
 ここで小選挙区制度の欠陥を大前はシビアに指摘をしている ーそれをダイジェストに、まとめてみたー
≪ 2005年9月に「郵政選挙」で自民党は歴史的大勝を果たし、2007年7月では「年金選挙」で自民党は大敗し、
民主党が大勝した。そして去年の9月には衆院選挙でも、自民党は惨敗をきした。 2005年の郵政選挙は、
郵政民営化に」賛成か、反対かの二者択一の選挙であった。年金選挙は、国民は民主党に勝たせたいという訳でなく、
年金の不祥事に自民党に「ノー」を突きつけた選挙。これも二者択一の選挙であった。 この二つの選挙で言えるのは、
争点が単純化できれば選挙は勝てることを証明した。さらに言えば、「国民は複雑なことは考えられない。
単純なことしか通用しない」ことが、二つの選挙で証明されてしまった。その時点で、郵政3事業はその歴史的役割を終え
廃止すべきであった。 道路公団も整理・廃止すべきものであった。小泉元首相は、歴史にも逆らったことをやり国民のための
ものでなかった。 改革と称し、その政策をほぼ官僚に丸投げし、つぶすべきである道路公団や郵政を生きながらえさせたのだから、
ほとんど詐欺。しかし国民詐欺行為を国民は認識していない。現在の日本国民は「〇」と「×」の標識の間を漂流しているに過ぎない。 
標識の間を漂流しながら、本当の答えは求めてもいないし、求める方法も知らない。 さらに、求めるための正しい質問もしていない。
これが日本国民の「知の衰退」の実態である。≫
▼ 現在の民主党政権の政策を国民が支持したのではない。 あくまで、自民党の長期政権にノーを突きつけただけ。
 しかし連立の社民党民主党内の隠れ元社会党の輩が、この時とばかりに時代遅れの社会主義政策を本気にやりだしたから、
 とんでもない事態になっている。 これこそ、○×の標識の間を政策が国民と共に漂流している姿である。
 それでは自民党に政権を戻せば、間違いなく土建屋的利権を復活してくることは目に見えている。
 国家衰退は、全てがマイナスに働く。 どう立て直すのか、当分の間は迷走するしかないのか。
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2958,人はどうしてオヤジになるか? ー4
2009年05月11日(月)  
 * 時たま見かける恐ろしいオナゴ
 アフリカ旅行で、イスラエル旅行で、そしてetc..見かけた「離れオバサン」。
「離れ○○」の離れとは、アフリカで恐れられている水牛である。 群れから少し離れて一匹で居る「離れ水牛」で、
人間やジープを見ると見境なく襲ってくる凶暴な奴。 現地人が一番、恐れている水牛である。 一人参加か、時に二人参加だが、
その場合は一人は小使いのように隷従している。とにかく唯我独尊我。自分のペースを他の人に強要し、自分の旅行自慢をするが、
他人の話は一切聞こうとしない。もし従わない場合は喧嘩腰で攻撃してくる。 その恐ろしいこと。兎に角、その毒は強烈である。
独身のため夫婦・親子連れは目の仇になる。 アンハッピーだから癒しに来るのだろうが・・・
 独りの強さ、弱さを知り尽くしているから、どうもこうもならない。 「ヌーの河渡り」のツアーに参加した時には、
何と三人もいたが、常連で徒党を組んでいた。 親分肌の50代後半の独身オバサンは、毒の塊。10年は経つが、
今でも忘れることができない。老いた母親がいて婚期を逸したと他のオバサンが教えてくれたが。
アフリカ専門ツアーの代理店に申し込みの電話をした時に、受付の女性が「何か歯に挟まったイワクがありそうな雰囲気」
(えっ参加するの!)の意味を、アフリカのサファリカーの密室で初めて知った。 面白い旅行には何かにマイナスがある。
旅行をしていると、その人の人生の一端をみることになる。 不幸な状態?は、その本人が作り出した我慢のなせる業。
人生を60年以上生きてきて思うことは、如何なる場合でも貧してはならないこと。 《貧すれば鈍する》ということ。
《鈍すれば貧する》も真実。 《鈍》は何とか努力で克服できるが? どうも、そうでもなさそう? 結局、オヤジと同じで、
「我慢の人生を生きている」からである。「でも、多かれ少なかれ人は我慢の人生を過ごしているんじゃないか?」 
もちろんお釈迦様が看破したとおり、四苦八苦の娑婆の中で過ごすのが人生である。但し、努力や知識で少なくすることが可能。
それが教養ということ? 何か教養が足りない人生を過ごしてきたようだが?? オヤジ度と、オバサン度の高いのは、大嫌いなだけ。
「ちょっと!離れオバサンなど、アフリカなど行かなくても何処にもいるよ!」 そうか・・。アフリカにぴったりなだけ!
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2594, 最高の人生の見つけかた
2008年05月11日(日)
 昨日、「最高の人生の見つけ方」という映画を観てきた。期待した通りの内容で、「それ以上でも以下でもない」
というのが感想。死を宣告された末期がんの最後の死に様を軽妙に扱っているところが良い。
   ーまずは、その内容を主観的にまとめるとー
 ーーガン末期の病室で知り合った70歳位の二人が、人生の最後の‘やりたいことリスト’を紙に書いているうちに、
   意気投合して、それに基づき、残りの人生を生き生きと駆け抜けるストーリーである。
一人は
 ・哲学的、思索的でクイズ番組が大好き人間。
 ・頭が良いが、妻が妊娠した為にやむなく学者志望を諦めて自動車整備工になった人。
 ・妻一筋。浮気など無縁で、自分より家族を優先する。
いま一人は
 ・理論より行動の実践型で、仕事が趣味で一代で千億円という財産を作った。
 ・プレイボーイ。結婚も3回したが、今はひとり。何より自分優先。
この対極にいる2人が同じ境遇で病院の同室に入ったことから物語は始る。そして、その対極のある二人が、互い補完をしあって
人生の最後を過ごす。原題は「棺おけリスト」。 棺おけに入る前に、やりたいことを書き出す。
真面目な前者のリストの一部は「荘厳な景色を見る。 赤の他人に親切にする。 涙が出るほど笑う」
大金持ちのリストは「スカイダイビングをする。 ライオン狩りをする。世界一の美女にキスをする」などなど。
最近は、かなり際どいドキュメントがあるので、より軽いタッチの内容にホッとした。
▼ 「棺おけリスト」という言葉がよい。20歳前後に作っておいたほうが良いだろうが、差し迫らないと直視しないことである。 
哲学は、その根本問題から問いを立てている。社会的な成功や達成など、「やりたいことリスト」の達成から見れば
些細なことでしかない、という事実を軽く表現しているところが良い。 それは人生の余白を埋めるリストでもある。
死は、この137憶光年の宇宙空間の外にでること。 本人にとっては消え去る、なぞというほど甘くはない。
生まれる前のことなどと気休めを考えても仕方が無い。同じようなことだが? 私の墓には 「死んでしまえば、それまでよ」
と書くつもりである??  父親の口癖だった言葉だ。まあ、このHPも墓のようなものだが。
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2007年05月11日(金)
2229, 人生張っています ー2
 (σ・з・)σオハYO!!
   『人生張ってます』  ー読書日記
 対談を終えてのインタビューの感想がまた面白い!
≪以下字数制限のためカット2010年5月11日≫
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2006年05月11日(木)
1864, グーグル Google -4    ≡≡≡⊂[ォ][ハ][ョ][ゥ]っゝд・)っ
                       ー読書日記ー
 第一章 世界を震撼させた「破壊戦略」ー3
そんな中、グーグルがサン・マイクロシステムズと提携した。この提携が注目されたのは、サンが「オープンオフィス
という無料のオフィスソフトを開発していたからだ。マイクロソフトと対抗し続けてきたサンは6年もかけて、これを開発続けており、
完成度もナカナカのものだったが、一般の普及には失敗していた。マイクロソフトの牙城を突きくずすことはできなかったのである。
マイクロソフトが3^5万したものが、無料でも突き崩せないということは、いかにマイクロソフト社の市場制覇力が強いかだ。
しかしサンがグーグルと手を組むとなると話は違ってくる。その強力なAjaxをつかってオープンソフトを改造すれば、
そしてネット上で気楽に使えるようになれば良い・・と、人々は期待した。しかし実際の発表の場では、その話は出なかった。
ここにきてマイクロソフトも、危なくなってきたのである。
マイクロソフトはウィンドウズにオフィスソフト付けてを高値で売って、膨大の利益を上げてきた。
それに対してグーグルは、すべてのサービスを無料で提供し、マイクロを駆逐しようと躍起になっている。
 ー「グーグルネット計画」ー
グーグルは2005年10月に、米サンフランシスコ全域に無料の無線インターネット接続を提供する計画を発表をした。
家庭やオフィスで使われている無線ランのアンテナをくまなく張り巡らし、市内だったら簡単にインターネットに接続できるように
してしまう計画である。日米どこでも、通常インターネットに接続しようと思ったら、接続業者と契約をして、月づき数千円の利用料金を
支払う必要がある。これが全て無料になり、しかも無線を使うことによって住宅に回線を引き込む工事も要らなくなるのだから、
この発表は驚きである。さらに、このプランはサンフランシスコだけでなく、全米に張り巡らせる計画があるという。
こうなると、これまでの有料でインターネットを接続を提供してきたブロバイダや電話会社、ケーブルネットワーク会社などに、
誰も金を払わなくなるということだ。これはアメリカの通信業界を、根底から破壊してしまう可能性がある。
グーグルの狙っている広告ビジネスの戦略は、全国を張り巡らせる中継アンテナにある。
どの利用者がどの中継アンテナを使ってインターネットを使っているかは、グーグルからみれば把握可能である。
その対象に、絞った地域密着的な広告が可能なる。例えば、あなたが神楽坂に住んでいるとしよう。
あなたが仮にグーグルネットを利用して、新宿区神楽坂6丁目の電柱から半径数百メートルの範囲に住んでいることを
グーグルは把握する。また接続サービスを契約する際に、さまざまな個人情報を登録するから、あなたが年収600万の
ビジネスマンで、妻と小学生の子供が二人いることも知っている。趣味がドライブと映画鑑賞であることも知っている。
 一方グーグルは、ありとあらゆる広告主を集めて、それらの広告主の広告を配信している。その中にもちろん
自動車メーカーや化粧品会社、果ては近くのスーパーマーケットや、個人の商店や信金なども広告主として契約している。
これらが普及していけば、折り込み広告が消滅していくだろう。
折り込み広告が将来的に駆逐されることになれば、新聞社の存在の基盤が揺るぎかねない。 ーつづく ヾ(^ω^*) バイ
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2005年05月11日(水)
 1499, 人生の敗北者とはどんな人か ー1
「人生の敗北者とはどんな人か?」という項目が、ある本にあった。読んでいてドキッとする内容で、誰かに?
ピッタリ当てはまるから恐ろしい。知人の?0?は当てはまる?(但し、このHPを見ている人にはいないが?)
しかし他人事ではない、自分の影の一部分でもある。 自分の中にも?0?か、存在している。だから面白い内容なのだが。
 ーその一部を抜粋してみるー
人生という戦いのなかで敗北をつづけている人たちは、とても容易に他人の誤った行いを攻撃します。
彼らは、周囲の人たちのずるい行いや裏切りがなかったら、自分は素晴らしい成功を収めていたはずだ、大金持ちになっていたはずだ、
大きな名声を収めていたはずだ、などと考えて、それを自分のみならず、他人にも信じさせようとして、ヤッキになっています。
彼らは、自分がどんなに騙されてきたか、利用されてきたか、評判を落とされてきたかということを、いつも口にしています。
彼らに言わせると、彼らは純粋無垢で、誠実で善良な人間であるいっぽうで、彼ら以外のほとんどの人間は、不誠実な悪人たちです。 
彼らは言います。「もし僕が、他の人たちと同じように身勝手であったならば、どんなに繁栄し、どんなに大きな名誉を手に入れたことか。
僕の人生が思い通りに行かないのは僕が善良すぎたからだ」 人生の敗北者とは、人間の本質を宇宙の善性に対する信頼を完全に
失っている人たち。彼らは、他人を見るときは悪いものを見るための目しかもちません。いっぽう、彼らが自分のなかに見るのは、
苦悩する清らかさのみです。彼らは、自分のなかで悪いものを見る意思は全くありません。彼らにとって、悪いのは常に他人なのです。
彼らの心の中で、卑劣な悪魔を人生の統治者の地位に祭りあげ、外側の世界でくり広げられている「身勝手な奪い合い」にばかり
目が奪われています。その世界では、善はつねに押しつぶされて、悪ばかりが勝利を収めているのです。
彼らは、彼ら自身のおろかな行為や無知、弱さなどには全く目を向けません。
          ≪以下字数制限のためカット2011年5月11日≫
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2004年05月11日(火)
 1134, 「空間歩行」
・学生時代、「合気道」に二年間近く熱くなったことがあった。住んでいたところが合気道の本部に近かったこともあり、
本部に一年通った。創業者の植芝盛平の姿も何度か道場で見たことがあった。合気道でも柔道でも、基本は受身である。
≪以下字数制限のためカット2011年5月11日≫
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2003年05月11日(日)
 767, 不動産屋と喩え
 不動産屋は情報産業そのものである。暴力団も情報産業の典型と聞いたことがある。
強請りのネタを見てけて陰湿に脅しをかける裏情報産業とか、このテーマとは関係ないが。
財産の大きい部分を占める不動産の移動を手伝いをするサービス業であり、
住居の貸して借り手を紹介するサービス業でもある。この不動産業業者に特性がそれぞれある。
 野球のバッターに喩えると解りやすい。ホームランバッタ?、ヒットバッター、
バンドバッター、ピンチヒッターとかそれぞれが専門化されている。
その組織の中でも、この人はホームランバッター、バントとか役割がある。
・ホームランは大型物件の売買をいう。100億の物件ならお互いから4~5億の手数料が入る。
 しかしこういうチャンスか長時間かけてじっくり獲物を待つしかない。
・アパートなどの賃貸専門はバンドバッターである。
 一年で100件の仲介をしても、8万平均でも800万10年でも8千万でしかない。
 それも色いろな苦情もアフターフォローで必要になってくる。
・住宅の売買手数料は2塁打というところか。 街の不動産屋は奥さんがヒットとバンド専門で、旦那が長打を狙う。
 彼等は意識しようがしまいが、その情報で飯を食べている。彼らの中にはトンビという役割役もある。
 自分のテリトリーの中を暇に任せて回って餌ー情報を捜す。お客の中には餌だけをとって逃げる奴もいる。
 しかし不動産屋仲間ですぐに情報が流れ情報は一切流れなくなる。
さっき述べたが、それぞれ自分の得意技を持っていて、情報という餌を捜し回る。
株屋と組んで、株をやりたそうだとかの情報を仕入れると、株屋にその情報を流す。
その見返りに確実に利益の取れる転換社債の売買で利益を得る。
調子がよくって、ボケたふうにとぼけて近づき一番の情報を取る。以前の保険屋の世界に似ている。
漁業にも喩える事ができる。近海漁業、遠海漁業。一本刷りに川釣り、海釣り男女の互いの獲得の方法論と同じ。
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2002年05月11日(土
結婚と離婚ー2  ー夫婦というもの
 お互いの性格の違いや、育ってきた環境が違ううえに、さらに互いの舅姑や小姑という人間関係が絡んでくる。
それを考えると結婚が上手くいく確立が50?というのも肯ける。 その人間関係の縺れを、常に話し合いで解いていかないと、
どうにもならない状態に陥ってしまう。夫婦間の争いは、動物的ないや生物的な二匹の権力争いそのものだ。
これがいい過ぎなら,主導権争いといってよい。そもそも出発点にお互いに惹かれるのは、自分のない部分を相手に求めるからだ。
上手くいっているうちはいいが、歯車が狂うと逆に全く性格の不一致になってしまう。
家庭は本来は子供を育て上げる‘場’である。「すまい」は鳥の巣から語源が来ているという。
そして最終的にそれが崩壊していく‘場’でもある。最近、間接的に知っている人の70歳近くの両親が離婚したという。
40年間どういう人生を過ごしてきたのだろうか? 人生の悲鳴が聞こえてきそうだ。人類最大の課題である。
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2001年05月11日(金)
 連休あけの顧客動向
≪以下字数制限のためカット2010年5月11日≫