* 意志の決定
 倒産から一年経つ。 過ぎてしまえば、アッという間だったが、ハードランディングであることは間違いない。
一年間は頭を冷やすということで事業総括をしなかった。 9・11テロ以来の10年間の年計グラフの数字が、時代の大きな断絶、
「20世紀型既存業態の事業は全て終わった」と、語りかけていた。 ネット世界が、もう一つ、現実世界の上に出来上がり、
グローバル化を促進、NO・?しか事業として成立しえない世界が現れてきた。そう見極め判断すれば、割り切るしかない。 そして、
リーマンショックと、東北大震災である。 私にとって40年近い事業が、この結果に終わったことは致命傷。
しかし事業人生の総括を一年経った現在、しておかなければならない。 元々、実家が商家であり、終戦直後に生まれた時から、
創業の真っ只中が幼児期だったため、激しい日々が3つ児の魂に刻まれていた。 そして20歳の時に、自分も創業をしたい!
という気持ちが立ち上がってしまったことを以前ここで書いていた。 まずは、そのコピーから
  * 20歳の頃ーある教授との出会い-1 2002/02/25
≪ この頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いていた田舎の青年が、それを必死に振り払い
 「自分に目覚め始めよう」としていた時期であった。キリスト教倫理の教授に「将来の自分の設計」というテーマを夏休みに与えられ、
「生まれて初めて」に真剣に将来を考たレポートを出した。 その内容に対し心の入った文章の返事が返ってきた。200人の学生に対し、
これだけ長い心のこもった返事を書くもかと感激をした。それとも「自分の熱意を込めた内容に対する特別の返事」だったのか? 
鈴木教授という名前と、授業内容が心のこもった内容であった事を憶えている。 私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容。
初めて第三者に自分の心情を書いた。いや書かされたのかも知れない。 要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさ厳しさに
しり込みをした。そして安易な生き方を選んだが、自分は父の生き方を選ぶことにする。 今になって特に「父の生きかた」
に男として魅力を感じるようになった。もしかしたら、「兄二人が20歳過ぎ不幸な死に方をした」ことも書いたかもしれない。
心のこもった返事とは「その中で、よく父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方の決心が心から嬉しい。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したこと、そのことが素晴らしい!」というな内容。この時点で自分の行き方が変わった。
いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。 俄然それから目標がハッキリした。
「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!≫
 ▼ それから45年後に倒産に至ったが、傷は、それほど深くない。ハッピーエンドとしても、大して変わりがないというと、
  虚勢になるが、しかし私の人生は肯定するしかなし、充実はしていた。 これを書いた夏休み以降から俄然、日々が面白くなった。
  まずは、自分づくりが始まった。 志を立て、目標を持つと人生は変わる。そして授業の科目を見渡すと、全てが、そのための学問。
  そして、寮の先輩も同僚も、全てが個性的人間に見えてきた。 丁度、将来に目覚める時期だった。