「共喰い」田中 慎弥 (著)
 スポーツセンター帰路、図書館により文芸春秋に目を通したところ、芥川賞受賞作の「共食い」が載っていた。
一時間あまりで読んだが、初めから終わりまで父と愛人と産みの母と主人公のシモネタタ(異常な性生活)が続く。
受賞記者会見で、世間に触れたことが殆んどない田中の未知(無知)の世界の挑戦的態度がユニーク。 
小説、近年の都会的軟弱傾向の中で、生々しい性の世界が地方の地熱と相まって露な人間の本性を描きだしている。
主人公と私が同じ年齢で高校二年の設定が、気味悪さを増幅したようだ。 
  まずは ーアマゾンの内容紹介ー
≪ 第146回芥川賞受賞作「共喰い」――昭和63年。17歳の遠馬は、怪しげな仕事をしている父とその愛人・琴子さんの三人で
川辺の町に暮らしていた。別れた母も近くに住んでおり、川で釣ったウナギを母にさばいてもらう距離にいる。日常的に父の乱暴な
性交場面を目の当たりにして、嫌悪感を募らせながらも、自分にも父の血が流れていることを感じている。 同じ学校の会田千種と
覚えたばかりの性交にのめりこんでいくが、父と同じ暴力的なセックスを試そうとしてケンカをしてしまう。一方、台風が近づき、
町が水にのまれる中、父との子を身ごもったまま逃げるように愛人は家を出てしまった。怒った父は、遠馬と仲直りをしようと
森の中で遠馬を待つ千種のもとに忍び寄っていく....。川辺の町で起こる、逃げ場のない血と性の臭いがたちこめる濃密な物語。 ≫
 ▼ どんよりした、田舎町での父子の葛藤の物語。 数ページも読まないうちに、その世界に引きこまれていった。
  自閉症?の田中ワールドである。 その中で主人公の二人の母親と父の愛人が、いやに生々しく浮かび上がっていた。
 この作品に対して石原慎太郎が異議をとなえ芥川賞の選定委員を辞職した。 地方の性の温もりを、どう捉えるかである。 
 地方は逃げ場のない土着がゆえに、ドロッとした人間関係が渦巻いている。 その中での性の問題は深く、それぞれの小さな地縁と
 交友の中で発酵している。  
 ・・・・・・・
3641, 大地震 ーつれづれに −4
2011年03月15日(火)
  * ところであの男、大丈夫だろうか?
 学生時代の友人が、仙台飛行場の近くの阿武隈川の河口の漁村に、終の住家に選んだ。
このM9の地震津波が直撃したのでは?とブログに書いたら、それをみた友人から電話が入った。
仙台区若林区荒浜は多くの犠牲者が出ている。生きていて欲しいが・・・ いや生きているはずである!
▼ 3040,卒業40年周年か〜 −4   2009年08月01日(土)
 昨日届いた、この手紙を本人の了解無しに公開すべきかどうか一日かけて考えた上で判断をした。
私の40年ぶりの問いかけに充分に答えてくれた手紙で、自分の人生を心を込めたダイジェストとして書かれた手紙を貰うのは初めて。
私一人の心におくより、ここに記しておく方が良いだろうと勝手に判断させて貰った。‘学生時代の卒業間近に真剣に対話した延長線上’
の手紙上の対話だから魂が入ったのだろう。 それとキャリアの転勤生活で鍛えられた人生の極みの経験の積重ねがある。 
学生時代の友人との対話というより、高潔な精神と魂の対話をさせて貰ったような気持ちである。 私にとって一期一会の対話になった。 
それだけ良い学生時代を過ごしてきた証明にもなる。  
  * 奥野君からの手紙
 お懐かしい堀井さんのお便りを頂戴し学生時代の記憶が一気に甦りました、本当にお久しぶりでございます。
合気道の道場、同志社学習院への合同稽古、合宿打上げ時の泥酔・不味い学食・ご自宅に泊めていただいての佐渡旅行等々
四十年前の皆さんのお顔と行状のあれこれが懐かしく浮かんで来ました。堀井さんは当時から将来は事業家の道を目指して
行くのだろうなと私なりに思っていました。どうして? と問われれば、同僚に比べて社会経済の出来事への関心が強かったと
お答えします。その方向に真直ぐに進まれたのですね。しかも大成功されて本当にすばらしいですね。
プログも拝見させていただき堀井さんの人生の一端を垣間見ました。暖かな生活が伝わってきました。
 その後の小生ですが資生堂に入社し最初の赴任地名古屋をスダートし所沢、福岡、東京、札幌、仙台、名古屋、広島、東京、
仙台と転勤族の暮らしを送り、56歳時に早期退職をして現在地に居を構えました。最終の役職は支店の責任者でした。
50歳台に入ると親しかった先輩、同僚、後輩等が次々と鬼籍に入られるようになりその方々の浬繋のお顔を拝む都度、 
一度の人生を思うように生きられましたか、満足されていますか という思考が強くなってきました。 
仕事は化粧品の製造、販売業務なので二十歳前後の若い女性が多く気持は若く、楽しく送れた自負しています、
が人生の残り時間があとわずかになってきたと感じ始めると、時が無性に愛おしくなり、100%の自分の自由時間をはやく手に入れ、
日ごろより感じていた、生物として本来の姿、自然の中で自然と共に暮らそうと決めた次第です。 日常生活は太平洋の日の出を
ワンちゃんと一緒に拝み作った野菜を食し蔵王連峰に沈む夕陽に1日の健康を感謝する毎日です。
 趣味は海釣りとゴルフです。自宅のすぐ目の前が海です。阿武隈川下流域にて魚影が濃く、黒鯛、サヨリ、ヒラメ、
カレイ、海タナゴ、アイナメ、スズキ、ハゼ、イシモチ、アナゴ等々を釣ってきては命をいただく感謝をしながら食しています。
季節とともに変わり行く波と風と海水の濃淡をみて釣り時をきめます。時の刻みが止まっているように思える一時です。
ゴルフはシーズン30-40回といったところです。自己目標が年1回以上30台のスコアーをだすということでやってます。
ちなみに今季は5月に38が出て満足しています。 家族状況ですが29歳の時妻を娶り子供は息子が一人です。 
妻は若かりし時準ミス瀬戸で容姿はそれなりだったのですが6年前に○○○○を発症し・・・。
最新治療を受診しているのですが○○疾患の為大変厄介な病気です。現在私のサポートが少々必要な状態です。
 そんな事情で立教会や同窓会といった宿泊のともなう集いは参加を断念しています。息子は堀井さんの八と同じように
名を新八(しんばち)といいます。丸の内の○○生命国際投資部で海外債権の売買業務に携わっています。
平均睡眠時間は4・5時間との事です。親より出来がよかったのはカミサンの弟が岐阜大の教授を
やっているのでそのようなDNAをすこしばかりひきついでくれたのかなとおもってしまう親馬鹿です。
ざっとした近況ですが一献傾けながら積もる話をしたいと思いつつ先の事情でそれもかなわず拙文とあいなりました。
状況が好転したらぜひお会いしたいですね。  堀井さんとご家族のご健康をお祈りいたします。  7月28日 奥野和男
  ―――
 * 奥野君への手紙        2009年07月22日        (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。
ブログに同月同日に毎日載せたものです。 従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。
その時に、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに訪ねてきて、これから社会に出るにあたって
多くを語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。 
 先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。 
三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できていて、2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。 
 ところで私は、その後
ジャスコに一年在社後に、
産業能率大学に途中編入をし、
・その後金沢の「いとはん」(その後ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、
 やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを二年間従事(その当時に結婚)
・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、何とかやっています。
  どちらかというと、創業屋的な人生だったと思います。 
 30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたというところです。
ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。
資生堂に入社して、都会にドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 
実際のところ、東京のアスファルトジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観があるでしょうが) 
何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 
あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。     堀井八郎  
 追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。検索に堀井八郎を入れると出てきます。
    当時の写真や、先日のクラブや、同級の二次会の写真があります。 
    分類には当時の私の日記があります。  〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜
    ー−
 ー11月19日ー 1968年
・11時起床。
13時半に同級の奥野君が私の部屋に突然くる。1〜2年の時、席が隣のこともあって親しかったが。
専門課程になってから疎遠になっていたのに。話をしたかったのだろう。人生について、倫理観について、
その後読んだ本で感銘したことを必死に話をしていった。特にケネデーの自伝に感銘を受けたというのが印象的であった。
見違えるように自信を持ったらしい。男っぽくなったという言葉がピッタシだ。4時間ばかりして帰っていった。
もうこうして彼と話し合うことは無いだろう。アパートから一時間以上かけてきたのだから、自分のメッセジーを伝えたかったのだ。
それにしても最近多くの人が吹き付けるように来るのに驚く。聞き役に徹していることもある。それと大学最後の時が来ているためだろう。
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276, 大暴落 サブプライムに潜む罠
 2010年03月15日(月)
一昨日、Wowowで、「リーマンショック」の映画化をした「大暴落 サブプライムに潜む罠」を放映した。
ロンドンの一人のトレーダーを通して、サブプライム問題を具体的な物語にしたもの。 
ニュースやドキュメントで返済不能になって売りに出されている住宅が度々、映像に出てきた。
その家族の姿がリアルに浮かび出されていた。アメリカは まだ物件を引き渡せば免責され個人破産においこまれないが。
(日本は破産まで追い込まれてしまう) この金融恐慌の一番の被害者は日本である。悲観的になるというより最悪の事態。 
現状は「茹で蛙」で身動きが出来ないで、ただ呆然としている状態。年金などにも関わってくるから他人事ではない。
この金融恐慌、「たまたまリーマンを潰したことが想定外の金融恐慌になってしまった。」というのではなく、
アメリカが戦略的に金融恐慌を仕掛けてきたとしか思えないのである。まだ、誰も言わないが。
  ーその番組の概要をNHKのHPにあったー
2008年9月に始まる株価大暴落。ロンドンの金融街で活躍するエリート、住宅ローンを専門に扱うブローカー、
住宅ローンを組んだ警備員、3人の男たちの人生は……。
「大暴落 サブプライムに潜む罠」は09年7月に英国BBCで放送。 米国でサブプライムローン問題が発覚する前の07年、
ロンドンの金融街シティの金融マンたちもまた、空前の好景気に沸いていた。 多くの家庭が 不動産を担保に融資を受ける中、
住宅ローンの営業マン、デイヴ(ドミニク・クーパー)は住宅ローンを組み込んだ証券を売りさばき、法外な利益を上げていた。
ある日、昔の同級生で警備員をしていたジム(ジョゼフ・モウル)に出会ったデイヴは住宅ローンの契約を持ちかける。
だが1年後、株価のフリーフォール(大暴落)はジムばかりでなく、英国中の人々の生活を一変させる…。
▼ アメリカでは、トレーラーなどに住む破産者がニュースなどの映像に映し出される。 
 まだ恐慌の入り口でしかないから深刻である。特に日本は数年間は暴風雨を覚悟をしなければならない事態。
 それにしてもシビアな具体的なドラマとしてみると、世界の金融を支配している連中に激しい怒りをおぼえる。
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2009年03月15日(日)
 2901,のど自慢全国大会
昨夜、NHKで「のど自慢大会」があった。参加1万組の中から選ばれた15組というだけあって、誰がチャンピオンになっても
不思議ではないほど素晴らしい内容。初めから最後まで涙が溢れた状態で聞いていた。彼らの歌が一期一会のステージだから。
ジェロ、北島三郎和田アキ子が、15人の歌が終わった後に歌ったが、彼らの歌に敵うわけがない。
土曜日のゴールデンタイムに歌えるチャンスは一生に一度、全てを、一曲にかけた魂の雄叫びに自然になっていた。 
盲目の少女がチャンピオンになったが、優勝をして貰った大きいトロフィーを北島三郎が代わりに持とうとするのを拒み、
最期まで重そうに抱えながら歌った場面が感動的であった。 あの重さは一生忘れることができないだろう。
恐らく専門家が15人それぞれにプロが歌と振り付けの指導をしたのだろうが、素人の初々しさに加味されて何とも
いえない雰囲気をかもし出していた。 現在は、カラオケやスナックで素人がプロ並みになっているが、それにしても上手い。 
哲学的にいうと垂直に魂が入っている(一期一会・・永遠)のである。またNHKの演出も良かったのも見逃せない。 
それぞれの歌の背景にある人生劇場を浮出していた。歌は人生劇場を情念化した時空の世界で、歌っている間は、
その世界に我を忘れて没入しているのである。現実だけでは人生は、あまりにも厳しく過酷である。
別世界を持たないと人は生きることだ出来ない。それが読書の世界であったり、酒の世界だったり、趣味の世界だったり、
それぞれある。「のど自慢」を哲学的に考えることもないが、情念の世界を無視することもない。そういえば、
月に1〜2度はスナックで、カラオケを歌うのが習慣になっている。何で人は歌いたくなるのだろうか? 
それは物語を求めているからだろう。物語を歌で辿っているのである。ミニ自己実現、そして、ささやかな宴ということだ。
また一年に一度の楽しみが増えた。 歳を重ね人生の深みが少しは見えてきたか