「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」 石角完爾著
 知人に紹介され読んだが、解りやすい内容。 大まかに要約をすると、
≪ アメリカが国内消費を促すために下層階級の住宅資金を野放図に貸出し、そのローンを債権として組み合わせて全世界に売り出した。
プライム・ローンをベースにしたCDSである。それらが7京という途方もない不良債権として世界の国家や金融機関に眠っている。
アメリカは世界の主軸通貨の立場を利用して、ドルを刷りまくっていて、そのドルをアメリカ国債と交換し、帳尻を合わせてきた。
 加えて新興国の発展も含めて人口の急増がとめどなく進み、それが食料不足をおこしている。ドルとユーロとアメリカ国債のバブルで、
その破裂は目の前に迫っている。 ここに及んでソフトランディングは無理、ハードランディングを避けられない。
日本はGDPの二倍以上の1千兆円の国債を発行、この暴落も何時起こるかもしれない事態。家族も資産も海外に早いうちに避難すべき。
その先はオーストラリアかシンガポールが最適。 最終章は目前である・・・ ≫
 ▼ 新聞報道で連日、欧州危機の報道が続いている。 目先、問題を先送りをして凌いでいるが何時、火の手が上がるかの瀬戸際。
  ある朝、起きてみると・・ それは想像を絶した本格的世界恐慌ノロシである。印象に残った部分を何回かに分け書き出してみる。
  ◎ 第一部 パーティー・タイム− 負債の泉
「もしアメリカの人々が銀行に通貨の発行量の調節を許すなら、第一にインフレにより、次にはデフレにより、銀行と企業は成長し、
そこら中にはびこって人々の財産を奪うだろう。そして子供たちは、彼らの父親が征服した大陸で自分たちがホームレスになっていることに
気づくことになるだろう」                       −トマス・ジェファーソン(第三代アメリカ合衆浄大統領)
   ○アメリカの住宅バブル
 アメリカ人の多くは、ジュニア・ブッシュが大統領であった時代、ただで酒をふるまわれて酔いしれていた。酒の正体は、低金利
 いくらでも使えるクレジットである。 二〇〇一年の911による消費の減退を避けるため、緩和的な金融政策と減税が実施され、
 それによって金利が下がり、借金をして消費することが容易になったのだ。金利が下がったことでローンを組んで不動産を購入する人が増え、
 その結果、住宅価格は急上昇した。それ以前からアメリカにおける住宅価格は二五年にわたり上昇していたのだが、二〇〇〇年以後
 ほんの数年で価格が二倍にもなった地域もある。 2004年から2005年にかけアメリカの平均的な住宅価格は一三%も上昇している。
 しかしこの時期、この程度の上昇はスペインやポルトガルでも珍しくなかった。つまり不動産価格の上昇は世界の多くの地域で同時に
 起きた現象だったのである。 これは、アメリカの金融緩和が生み出したものだった。 アメリカが世界の他の国に比べて重要なのは、
 アメリカが世界最大の消費国家であり、過剰生産される品々を全て引き受けているからである。 アメリカ人は自分たち自身の
お金だけでなく、とくに中国、日本そして途上国がためているお金まで自分のもののように使っているのだ。
そのためにアメリカの金融緩和は世界の景気を上向かせ、資産価格を上昇させてしまう。この金融緩和はしかし、無理のある政策だった。
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3543, つれづれに ―物忘れ
2010年12月07日(火)
 * 物忘れ
 最近に物忘れが多くなった。ボケなのだろうかと、不安にもなる。
先日、大学の同級会があったが、まず乗車時間を勘違いをして一列車遅れ。乗って直ぐに携帯電話を忘れてきたことに気づきく。
その上に、同級会が終わって東京駅に着いて店にコートを忘れてきたことに気づくしまつ。折りたたみ傘は、ニケ月に一度の割りで
失くすので、1千円以下の傘しか買えない。人間は忘れるから生きていけるが、もの忘れは困ったものだ。会社も自宅でも、
パソコンに予定などはポストイットに書きつけ貼っている。また自分の掌の親指の下にメモる習慣は二十年前より実施をしている。
 * 大学の同級会
 大学の同期会が学校の事務局主催で10年に一回ずつ行われている。20,30,40周年の会には出席した。
(10周年の会は、会そのものが行われていなかった) その都度、二次会、三次会と盛り上がり、色いろな人生を垣間見る。
4百人、3百人と、参加者は少しずつ減っていくが、出席者のメンバーは、ホボ同じである。教養課程の1・2年の同級会は
首都圏在住の人たちで開かれていたが、去年から誘われるようになった。 迷ったが、往復の汽車賃は二次会、三次会の飲み代と
割り切れば、色いろな世界を見れるのもよいと出席した。他の用件と重ねれば、隔年ぐらいの参加は良いだろう。
あまり会合には参加をしないが、学校関係だけは第一優先にし出席してきた。学校は進学する都度出会う人の地域が広くなる。
小、中学、高校、大学と、出会う人の出身地が広がっていくのが面白い。幼稚園は駅前の商店主の子供の世界。小学校は
駅前から、その範囲が10倍のテリトリーになり、中学校は商店主の子が主だったのが、先生やサラリーマンの子供、
そして越境入学がいた。 高校は中越地区に広がり、大学は全国区になる。その都度、自分の過去の世界が小さくなっていく。
そして、就職・・・  だから、同級会は、その年齢の自分に出会うようで、何とも感慨がある。それにしても数奇の人生がある。
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3168,人生に関する閑話小題 ー2
2009年12月07日(月)
 * 孤独な老人
 毎朝、散歩をしていると色いろな人とすれ違う。犬と組み合わせでみると、より人生を垣間見ることができる。
80歳半ばの老人が小型コリー犬を連れて土手を散歩している。 その犬が10m位の距離にくると緊張で固まってしまう。 
通りすがるまで、その犬を老人が宥めている。 何度すれ違っても、それが変わらない。
観察するうちに気づいたが、その人が固まるから、犬も固まるのである。2〜3度挨拶をしたが、その都度犬が吼えかけてきた。
それを宥めているが、「いいこ、いいこ、ほえないの」と毎回言っている。 何か二つの生命体に孤高の空気が漂っている。 
 * ある人生 
 三年前に奥さんを亡くした70歳代半ばの御父さん。 列車で30分ほどの近くの市に在住だが、定期券を買って、
長岡に毎日、通っているという。 たまたま知人の同級生だった人の御父さん。 時々同じ時間の列車で見かけたので、
知人に聞いたところ、寂しさを紛らわせる?ためという。 土・日曜日も休みなしで三年も通っているため、
車掌とも顔なじみになった。 長岡駅の喫茶店でコーヒーを飲んで、街を一回りをして、駅内のスーパーで買い物をして
帰るのが日課という。 小さな街の小さな世界から一歩でも毎日、外に出たいのだろう。
そういえば、この数年、家内が1〜2ヶ月に一度、JRの格安の乗り放題のチケットの売出時に一人で、東京の散策が趣味にしている。 
ポイントは一人であることと、ネットで充分にスポットを下調べをすること。八時半過ぎに乗車、十八時過ぎの新幹線で帰ってくる。 
往復4時間かかっても、六時間を東京や銀座や六本木など、色いろ回れるという。 価値は充分ある。 その御父さんも、
長岡のスポットを回っているのだろうか。 来春に駅裏から15分のところに大型SCが出来るので行動範囲が広まるだろう。
それも人生である。定期を買うことで、習慣つけるのも良いこと。 夜のスナックより良い。それぞれか!
 * 鬱病、欝症について
 何々病と何々症の、違いは、周辺に迷惑をかけるかどうかが基準でしかない。
境界は、いい加減だが、慢性化しているかどうか、重症かどうかもある。 精神も肉体と同じで、傷ついたり、疲労もする。 
この不況でリストラされたり、疎外され、ストレスが蓄積し、ガスが充満もする。自殺者の多くが鬱病という。その反対に躁がある。 
多かれ少なかれ、人間は躁と鬱の波の上で生きている。ニュースといえば、だいたいマイナーを報じる。また聞くほうもマイナーの
話題を好むから、まともに受け取っていたらマイナーな情報に多く影響を受けることになる。時代は、100年に一度のマイナーである。
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2803, イングランド・ツアー ?
 2008年12月07日(日)
  * 集団スリに狙われて −2
 前回に集団スリの話を書いて、これまでのスリや偽札交換詐欺について思い出した。
ブラジルのリオのカーニバルイグアスの滝に行った時のこと。「ショッピング・センターには少年の集団万引きに
注意してください。特にウィンドウ・ショッピングの時に囲まれて、後ろポケットの財布を抜かれるケースが多い」という。
面白そうなので、後ろポケットにサングラスのケースを入れて、通路を歩きながらウィンドウ・ショッピングをした。
腕時計のウィンドウを見ていたら15歳位の少年が三人、両側と後ろに囲まれた。子供が腕時計を見るわけがない。
これが集団万引きと直感し、スーッと離れて後ろを見ると、私を見ていた中年の男と目があった。 その男、ニヤリと笑ったので、
わざとメガネケースを出してカラカッタことを知らせてやった。ただ、それだけのことだが・・・・・
 万引きといえば、スイスに行った時のこと。電車の乗り継ぎで、駅の土産店に入ったところ、人で身動きが
出来ないほどだった。他のグループの日本人が「この店中に女の万引きが居る」という話し声が聞こえてきた。
そこで自分の財布に注意しながら万引き女を探すことにした。初めての経験である。その場合、見るのは‘目’と気づいた。
30人位の人混みなら直ぐに分かる。 三十歳ぐらいの女で、中年女性のバックをジッと見ている。これだなと、
その瞬間を待った。 しかし連れに店外から呼ばれて、せっかくの場面を見ることが出来なかった。
  * 旅行の全てを楽しまなければ
「せっかくの旅行、高いコストを出して行くのだから、勿体ないじゃないか」 これは人生と同じである。
特に移動時間をいかに過ごすかである。 三十回目辺りから、機内の席の12時間の移動の苦痛が最小になった。
特に初日の成田から目的地の機内がキツイ。キツイが反面、自由な時間が幾らでもある。それを楽しむには、音楽かTV。
最近は、座席の前面に液晶TVと音楽、そしてゲームが出来る。家内も行き帰りの、この時間が一番楽しい!という。
帰りの機内で、最新の映画を4本も観たという。私は、持っていったiPodの音楽を休み休み聴いて過ごした。
その御陰かどうか、殆ど疲れが残らなかった。今回の機内のTVが最先端のものだった。映画や音楽などがネットで結ばれていて、
無数の中から選択可能なのだ。現実にも可能なのだろうが、実際に使って初めて情報の進化を実感できた。凄い時代なのである。
世界の広さと、深さを、家でも無限に手軽に入手できるのである。 これまでは本とマスコミが中心だったが・・・。
それなら情報機器を可能な限り利用して使ったほうがよい。ipodで旅行先に選択した2千曲を持っていけるのだから。
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2007年12月07日(金)
2438, 犬は鏡で自己を認識できるか?    (`・ω・。)っノXXXXXXX>C【才ノヽ∋―】
 随想日記で何度か「動物の中で一部霊長類とイルカだけが、鏡の中の自分を認識できる」
ということを書いた事があった。ところが池田晶子の本で、飼い犬が鏡の中の自分を認識していると述べていた。
少し頭の良い犬なら自分を認識するのも肯けるが、さすがに哲学を専門家、見るところは鋭く観察している。
でも、犬が自己を認識して、しげしげと自分の顔を見ている姿は何か不思議な気持ちになるだろう。
  {考える日々?  池田晶子著  ー鏡の中に「私」はあるか?}より抜粋
 ーー
 ある動物園では、チンパンジーが退屈するので、大きな姿見を与えてみたという。最初は驚いたり恐がったりしていた彼らは、
やがてそれが「自分である」ということを認識をし、表情を作ったりして遊び始めた。おかげで大いにストレス解消の効果あり、
ということらしい。鏡の中の自分を「自分である」と認識するのは、動物の中では、オランウータンとゴリラだけだと番組で言っていたが、
しかし、これは違う。たとえば、私の(賢い)愛犬だが、彼は仔犬の頃、初めて鏡に「自分」を見出した時、慌ててその裏に囲って調べた。
同じ頃、ステンレスの専用の水飲みで盛んに水を飲んでいる最中、いきなり跳び退いてびっくりしている。そうして、こわごわ器の中を
覗き込んでいる。器の底に、自分の顔が映っているということを、発見したのである。今では、鏡というものの「意味」をすっかり認識し、
時折、何が面自いのか、しげしげと自分の顔を眺めていることがあるし、私がその後ろで手を振ってみせると、振り返ってニカッと笑う。
鏡像認識は、霊長類に限らないようである。で、ここからが今回の本題すなわち問題なのだが、鏡の中の自分を自分であると
認識するというのは、どういうことなのか。右の話の伝でなら、鏡の中の自分を自分であると認識できるほど知能が高いということに
なりそうだが、じつを言うと、私は、鏡の中の自分を自分であると認識できない時がある。いや正確には確かに自分であるはずなのだが、
どうもうまく実感できない。とくに、真剣に思索モードに入っている時など、通りがかりに洗面所などの鏡に顔を見つけ、「コイツは誰だ」
「なんでコイツがこれなのだ」そういう感じになる。考えてみてほしい。人はなぜ自分を自分の顔や身体と同一と思っているのか。
なるほど、人は「私は」と言って、自分の鼻の頭を指すけれども、この場合、指しているのが「私」なのだろうか、指されているのが
「私」なのだろうか。それを知ろうとしているのは、では誰なのだろうか。「私」は、どこに居るのだろうか。鏡の自分を自分と同一と
思うのは、じつは未だ進化の途上なのであって、意識すなわち自己意識というのは、さらに進むと、もう一回ひっくり返って、
「自分」以外を自分だとは思わなくなるのである。確かに、顔や身体は、「自分の」顔や身体ではあるけれども、それを自分の顔や身体だと
思うためには、その先に「自分」が知られているはずだ。で、ここでこそ正等に「自分とは何か」。
これこそが、猿でも犬でもない「人間」の問いなのである。  では「われわれ」とは?
ーー学生時代、何時も部屋の机の前に鏡を置いていた。 あまり見るので、鏡の像の自分が解らなくなることがあった。
この人は誰とさえ思うことがあった。40年近く前の話である。 女性は、恐らく多く経験しているはずである。
現在経験するのは、鏡の先に見るのは死んだ父そのものである。それも、日ごとおう度、自分から父の顔が前面に出てくる。
気持ち悪くさえ、なることがある。先日も、スナックで父を知る人に全く同じことを言われた。   ((´_`○)ノ ノヾィ♪
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2006年12月07日(木)
 2074, 寝ずの番           才八∋ウ_〆(∀`●) 
先週の金曜日の昼休みに、近くのレンタルDVDショップで何気なく「寝ずの番」を借りた。
落語家の大御所の葬式にまつわるコメディーで面白そうであった。そして事務所に帰ってきて30分もしないうちに
義母の死亡の連絡が入った。その夜は生通夜、翌日が通夜、そしてその翌日が葬式とつづいた。
何かの因縁だろうと、土曜日の納棺・通夜の出発まで時間があったのでDVDを見ることにした。 
くしくもそれが通夜の内容で、下ネタのヒットパレードである。不謹慎と解っていても、2時間近く爆笑であった。
(字数制限のためカット 2010年12月7日)
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2005年12月07日(水)
1709, 耐震偽造問題について 
 マンションとホテルの耐震強度偽装問題は、あまりに悪質である。これまで「建設業界そのものが、
政治、官公庁がらみの構造汚職体質」と、このHPで辛らつの批判してきた。その末端の一現象が、そのまま露出したにすぎない。 
さらに大きな広がりが、日ごとに出てくるだろう。~匸Pヽ(・ω・`)今回の偽造が発端になった物件は、総研という
ビジネスホテルの開業指導のコンサルタント会社が偽造の設計主導をしていたというから、問題が深い。
 ー先日の地元の新潟日報によると、以下は字数の関係でカット(2007年12月07日)
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2004年12月07日(火)
1344, 面白くない日は一日たりともつくらない
 (2008年12月07日 字数の関係でカット) 
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2003年12月07日(日)
 977, 「開運!なんでも鑑定団
 この番組み、いつも楽しみにしてみている。代々、実家が古美術商であった為に両親の収集した古美術品に 囲まれて育った。
(両親は戦後になって衣料量販店に転業)しかし衣料量販店で成功したお金で、趣味で骨董を買い集めていた。
 古美術の世界では「目利き」という言葉がある。この世界では「騙しは悪いことでない」一般から観れば異様の世界である。
・「傾むきかけた旦那様から骨董を詐欺同然で買取る」のが仕入れになる。まずは仕入れで大儲けをして、
・反対に「旦那様」に可能な限り高く売りつけて、儲けるのだ。
その為には、ほぼ太鼓持ちに近い状態になる。如何に良い旦那様に贔屓にされるかが腕になってくる。
父のお客は当時軍事産業で勢いを持っていた「津上製作所」の津上退助、山本五十六、互尊文庫の創設者の野本互尊翁などなど、
そうそうのメンバーだった。 一年に一個売れば、一家が充分に生活ができる稼ぎであったという。
 両親を見ていて、その買い方の凄さにタダタダ驚いた。「蔵出し」という言葉がある。事業が傾いた家が、道具屋と組んで
蔵の古美術品を売りに出すのだ。 事業が上手くいっている人が、事業を失敗した家に乗り込んで買い取る場面に両親に連れて行かれて
何回か見た。修羅場もいいところである。子供ながら、そのことは解っていた。私が異常に「痴呆名士や、その??息子」を嫌うのは、
こういう場面を両親に意図的に見せられていた為だ。「蔵出し」とは、商売の勝ち組が負け組みからただ同然で財産を買い叩くことだ。
勝てば官軍、負ければ賊軍の凝縮された場面である。絶対に負け組みになってはならない。昨日、「開運!なんでも鑑定団」を
十年近く見てきた中で、一番すごい場面をみた。「光悦」の茶碗が出てきたのだ。 嘘だろうと思ってみていたら、何と本物であった。
この春、ある収集家が自信を持って出したものが全部、贋物であった。その本人がリベンジで出てきた。
10年前400万で買った「光悦」の茶碗の鑑定だ。もし本物なら、国宝ものである。 結果からいうと本物であった。 
光悦の作品が17点あることは知られていて、今まで8〜9点の存在は確認されているという。
新たに不明の一点が出てきたのだ。 鑑定の値段は「5千万円」であったが実際は値がつかないだろう。
ー最近、話題はTVか、レンタルDVDの映画が多い。どうしてもカウチポテト族になってしまう。
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2002年12月07日(土)
603,ある時間の断片-17
 10月8日 1968年
10時起床。12時40分に上野に向け出発。 六日町の雲頓庵へ。 久々だ雲頓庵だ。 計画はこうだ。
6時半起床、一時間掃除、食事、30分間座禅、9~12時勉強、昼飯後、13時から15時勉強、
30分休憩後、17時30分まで勉強。食後30分座禅の後、19時半から23時半まで勉強。24時就寝。
卒論の大筋をつくり、目次を第三章までまとめる。 小項目をそれぞれ書き込むこととする。
  ー追記ー  2002年12月06日記
この時に書いていた卒論の内容について書いてみる。
ー卒論 「流通革命について」
 私の卒業論文は「流通革命」であった。 内容は今のスーパーの出だしのころで、そのころ主流を占めていた
百貨店や一般小売店やデスカウントハウスに変わり、チェーン店の時代がくるという論証であった。
その為にアメリカのチェーン店を引き合いに出して、その組織や業態を事例に出して、これからは
今までの流通経路と全く違ったバイパスとしてのチェーン店の時代の到来を、渥美俊一
林周一の流通革命という書物を種本にして纏め上げようとしていた。今なら一月もしないうちに、いや二週間で
軽く書き上げることができるが、基礎となる文章の書き方も知らないで、もがき苦しんでいるのが手に取るようにわかる。
 ・今なら結論は何だ!と決める。その30~40語をまず決める!
 ・その結論を導き出す3〜4の項目をたてる。それに集中する。
 ・あとはそれぞれのキーワードを3〜4つさがす。
 ・あるべきスタイルをアメリカのチェーン店にモデルをさがす。
 それと日本の現状の差を見つけて埋めるプロセスたてる。 以上を繰り返し書き直しを重ねるだろう。 
34年経った今、その当時の雄であったダイエーが国家管理でになってしまった。
ジャスコも今はよいが、10年後は存続は5分5分の状態。 面白いものである。
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2001年12月07日(金)
262,強請りーその手口
ーヤクザ対処法ー
この仕事をやって20年、前面(現場)には一切立たない。現場は危ない部分があったが、危ない人に一円たりとも
支払った事は一度もない。暴対法ができてからチンピラやヤクザも大人しくなった。しかしその以前から殆どない。
現場に「すぐ警察に電話をするよう」と指示してあるからだ。2ヶ月位前、本屋で「ヤクザの実践心理術」
という本を買った。どうということのない本だが、面白い内容であった。
 (字数制限のためカット 09年12月7日)
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 ある時間の断片
12月7日(土曜日)1968年  
 12時過ぎに目が覚める。 何となく時間が過ぎる。 18時に、山岡さんがくる。
先日のバザーのお金を受け取ってないという。 私はただ言われたまま無料奉仕をしただけだ。 
20個の歯ブラシ代を永田さんがポケットに入れたままだと言う。何で私が責められなくてはならないのだ。
11時過ぎに深井を呼ぶ。この前、ドタキャンに対して強く彼を責める。言い過ぎたようだが、これでよい。
夜半の0時に駒村と米林と3人でのみにいく。駒村が、かなり酔ってしまった。私のことを寮の先輩として
尊敬すると褒め立ててきた。お世辞でも嬉しい。この時、思わずオーストリアに行った河路先輩を非難してしまった。
また満田先輩もだ。寮から抜け出れない姿勢が問題であると。学生気分から抜け出れないのだ。逃避で寮に来ているだけだ