* 焼鳥屋、鳥梅
 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間である。
ある日の午後、そこに遊びに行くと、今から思うと焼き鳥の串さしの仕込みを、御父さんがしていた。子供なりに、仕事の場には
近づいてはならないことは知っていた。ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を差し出してくれた。 そして、食べて驚いた。
その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、噛み切れないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。
その後、成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 私の幼馴染は何があったか分からないが、
店から引退し、姉さんと、奥さんが店に出ていた。 その店の前を二月ほど前に早朝のポタリングの帰りに通ったら、店の看板が
無くなっていた。そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き掃除をしていた。 そこで、長岡の夜の博士と自認している?人に、
聞いてみたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。
それにしても、幼稚園時代の記憶の原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
  * 11月7日になると
 毎年、11月7日になると思い出すことがある。私が27歳で初めて貸しビルを完成、その一角で養老の滝のFCの居酒屋を
オープンした日である。 まだ生々しく憶えているが、開店直後からパニック状態でオロオロし、身体は硬直し、冷や汗が出て、
茫然自失とは、あの状態である。一週間は使いものにならない廃人状態。 後で分かったことだが、20年、30年の経歴を
持っていた人でも、殆ど同じ状態になるという。 それを聞いて安心したが、あの切なさは言語を絶している。
それでも両親の創業時の姿からみれば、全く甘いもの。実際に自分が現場で七転八倒をして、両親の苦しみの一端を知ることになる。
酒飲みの酔った時の異常な振る舞い。カウンターの内と外側の一歩の大きな差。 立場が変わった時の風景の違いを、そこで思い知った。
 数ヶ月は、朝7時から夜11時までの世界。千葉の郊外のニュータウンの真ん中で、ズブの素人が、顔色を変え醜態を曝していた。
その二年後に、隣の一角でベーカリーの立ち上げを始めたのだから、振り返って我ながら驚いているより、呆れている。
しかし商売の原点を、肌で学んでいた日々になる。 思い返せば、ジャスコも、その次に勤めた会社も、創業のプロセスにあった。
そこは究極の異常世界。 仕事の現場は、どの世界でも厳しさは同じ。創業は、捨て身で全てのエネルギーを叩き込まなければ、
一つの生命としての事業は生まれない。 振り返ってみると、「人生は、良いことが51に、悪いことが49」ということか。
その辺の輩が一現象だけをみて、分かったようなことを言うが、一つの現象の背景には、多くの血と汗が隠されている。馬鹿さもだが。
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3514, ペットロス ー2
2010年11月08日(月)
 インコの死で、何か家の中がシーンとしてしまった。 僅か一年だったが、存在感のあったインコだった。
呼びかけた言葉を憶えてしまい、居間のガラス戸越しに、その言葉で必死に呼びかけてきたからである。今までにない経験である。
ここで、ペットロス症候群というウツ病を知った。ペットの死で幼い子供の死と同じぐらいのショックを受け、立ち直れなくなる欝症。 
先日、私のブログでペットの死を知った友人が「飼い犬の死に際の逸話」を聞かせてくれた。
「15年間飼っていた犬が、あと一日で死ぬときに、県外にいる三人の子供全員が別れのため帰省してきた。
ところが友人は私と酒を飲んでいて午前様になってしまった。ところが、犬は帰ってくるのを待っていたかのように本人が
頬ずりをした直後に息を引き取った」という。 うちのインコが長男が知らせを聞いて駆けつけてきて撫ぜてもらった直後に、
死んだのも偶然だけではないと思っていたので、丁度よい内容であった。 動物も、人間と同じようなことがあるのかどうか。
休日だったこともあり死に際に立ち会えたが、ペットが一日かけて死んでいく姿も人間のようであった。何度も危篤になるが、
頭を摩りながら呼びかけるとハッと我に返る。そして時々、餌場から下に堕ちてしまい、力を振り絞って金網を登ってくるが、 
その都度、衰弱してくる。しかし目は虚ろになり、たっているのも難儀になり、蹲ってしまう。呼吸が苦しくなりヒューヒューという
息遣いが聞こえてくる。そして、時々大きな深呼吸をする。意識が遠くなるが、その都度、何かを待っているように戻ってくる。
最後は、長男が喉を摩っている中、ドッサと下に落ち、息絶えてしまった。長男も、家内も、涙を流していたようだ。
 ところでペットは何故、あれだけ人をひきつけられのだろうか。 それは彼らが無条件でなついてくれるから、
人間の方も無条件で受け入れるのである。 それが愛情の原点である。 愛情とは無条件だからである。人間は子供の頃は無条件だが、
時間とともに自立していくほど薄れていく。 しかしペットは、何時までも無条件で愛情を求めてくるため、人間も何時までも愛情を
無条件で与えることができる。したがって幼くして亡くなった子供の悲しみとペットロスの悲しみは酷似するほど深くなる。
 特に子供たちが結婚などで巣立っていった中高年の家庭では、ペットは実際の子供と同じように愛情をもたらしてくれる。
それだけ、悲しみも深くなるものである。それが犬や猫を10数年も飼っていれば・・・
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3139, 「法則」のトリセツ −4
2009年11月08日(日) 
* フット・イン・ザ・ドア・テクニック
    ー小さなウソの積み重ねー
 OKしやすいことからはじめて、そのOKしてもらった内容を少し変えていきながらクロージングする方法。
よくあるのが「お試し」。「どうぞ、ちょっと試しに着てみてください」と言われて試着すると、あの手この手のほめ言葉で
いろいろと買わされてしまう。 アメリカの心理学者スティンプソンたちが行った実験で、女子大生たちに環境に関する
アンケートを実施し、それに回答した者に、さらに難題を要請するというものがある。
最初の依頼、「環境問題に関する10の質問に答えてください。」
第2の依頼、最初の依頼にOKしてくれた女子大生を対象に、「環境浄化に協力をして下さい。
 指定の場所 (大学から数マイルはなれている)に、苗木を植えてもらたいのですが、お願い出来ますか?」
いきなり、2番目の依頼をすると半数以上の人が拒否をしたにも関わらず、このステップを踏むと、承諾率は80%近い
ところまで跳ね上がった。 このテクニックは、通販広告(ダイレクトレスポンス広告)で良く利用されている。
サンプル無料提供、モニター募集、などである気軽に試乗してください。 よろしかったら一度試着しませんか、
というセールストークもこの原理を利用している。 1番目の依頼と2番目の依頼のバランスがポイントである。
この2つの間にあまり大きな開きがあってはいけない。 そしてこの心理を応用した説得の方法を言う。
 ――
 こういう手口は、過去経験の中で、幾らでも転がっている。その事例を幾つか。騙す本人も知らないで?
使っているケースが多々ある。そう解釈したい。もしかしたら、成り行きで自分も? 動機の問題もあるが・・・
 * ゼネコンが受注する時が、ほぼ、この手段を使う。完成品を買うわけではない。 素人の隙の部分をねらう。
   要は、追加工事である。ダムとか道路工事の計画もしかり。出来っこない計画で着工させ、初期工事の途中で
   到底無理と分かっても誰も指摘をしない。
 * 倒産間際の資金繰りに窮して身内や知人からウソを積み重ねて借金。初めは小さなウソの積み重ねも、
   積もり積もると立派な詐欺行為。刑事事件にならない際のウソの繰り返しは見ていて人間観が変わるほど。
   まずは自分の創作した物語に自分自身が酔ってしまう。そうでもしないと、他人を引き込めない。
   倒産劇からの親戚を巻き込んだ借金話のもつれほど、ストレスなものはない。 
   他人を騙す場合、まずは一番の身近から始める。 これを知っておくと知らないとでは大きな違いになる。
   もう一つ最近にもあった。生生しいから書けないが・・・、 倒産は人間の本性を露出させる。
 * 「まあ、私を信じて下さい!」が殺し文句の男がいる。 この人、ウソを重ねている自覚がない?から罪深い。
   すべて、いざとなると、この言葉で煙をまく。それも何度、騙されても、つい信じさせる技の蓄積がある。
 * ネット上のマッチポンプも、居る。 何年も続ければ立派な『犯罪行為』。  
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2774, 仮説思考 −1
2008年11月08日(土)
  「仮説思考」 内田和成 著         −東洋経済新報社
   実のところ、これを読んでショックであった。 私の場合、仮説を多用してきたが、ある課題があると、
  問題点を幾つか探して、対案を幾つか考える。その対案を仮説と思っていた。しかし、早い段階の「仮の答え」を
  仮説というから、驚いた。リーマンの倒産直後に、大恐慌が始ったと書いた。 その時は、違うかもしれないが、
 8割方は間違いないと。確信はあったが、それでも半信半疑で、そう書いてしまった。 
 ところが、その視点で現象を見据えると、明らかに恐慌であり、その後の経過から現在は多くの人が、
 そのトバグチに立っていると信じている。「あと一週間で死ぬとしたら何をしますか?」という問いかけも
 分かりやすい仮設である。そうすることで、現在の「いまここ」の重要性に気づくことになる。
   間違いなく恐慌と確信したら、現在すべきことは全く違ってくる。
 「まずは結論から言いなさい。そして、その結論に至った理由を三つ分かりやすく説明しなさい」と、よく言う。
  それを思考に使うということだから世界のコンサルトは違うものだ。この本は必見に値する。 勘の鋭い人は、
  この文章だけで充分だが。
  ーまずは、この概要をまとめてみた。ー
 仮説思考とは何なのかというと、 情報収集の途中や分析作業以前に持つ「仮の答え」のことである。
『情報の少ない早い段階で結論を出し(仮説)、問題解決の筋道を大体決めてしまえ』というアプローチをいう。
・問題の課題の洗い出しをし 
・課題を発見したときも原因の追求をする、
・そして解決策を考える。
 この3つのプロセスにおいて事前に仮説を構造化していれば、漏れなく、早く、本質を当てることができる。
 大切なことは仮説を立て、仮説を構造化することである。
 仮説を構造化するために  So What?を使用する、訓練を行うために "Why?を5回繰り返す" などがある。
「仮説思考は、頭が良いとか、手法を多く知っているというのとは異なる」。
 誰もが日常生活の中で無意識に行っている思考方法。 それが仕事になると
「右脳的な考え方はいけない。もっと網羅的に理詰めで考えて結論を出さないといけない」とスイッチが左脳に切り替わる。
 だが、経営や仕事においても日常的な仮説思考を行った方がむしろ効率的で良い結果をもたらす。
  著者は「高速道路で渋滞にはまったとき」を例に挙げる。
「左車線は初心者など運転が遅い人たちが多いから、追い越し車線を選ぼう」「そう考える人が多いからここは左車線を選ぼう」
「この先はインターチェンジがあるから、そこまでは追い越し車線を行って、その後左車線を行こう」これは仮説思考そのもの。
  また雨の週末に外食に行こうとして「今日は雨だからすいているだろう」「雨とはいえ週末だから混んでいるだろう」
 と考えるのも日ごろ良くやっている仮説思考として取り上げている。
 ▼ 後記)レーガン米大統領が、「報告書には問題と、その問題の構造を大項目三分類、そして中項目を三分類ずつ九項目と、
   分かりやすくまとめたものにしていた」という。 成るほど!と感心したが、早い段階の「仮の答え」とは面白い!
   この効果は2〜3倍ではなく、10倍になるというから、若いうちに知っていたら違う人生を送っていただろう?
   それにしても、今になって知ることが、知ることがあまりに多い。 無知の涙か?・・・      ーつづく
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2007年11月08日(木)
2410, 「あたりまえ」ということ
 金子みすず の「不思議」という素晴らしい詩がある。
*不思議
わたしは不思議でたまらない 黒い雲から降る雨が 銀に光っていることが
わたしは不思議でたまらない 青いクワの葉食べている 蚕が白くなることが
わたしは不思議でたまらない たれもいじらぬ夕顔が 一人でパラリと開くのが
わたしは不思議でたまらない たれに聞いても笑ってて あたりまえだということが
ーーー
我われは、いとも簡単に「あたりまえ」と思っていることでも、少し考えてみれば、不思議なことばかりである。
自分が現に存在していること自体が、「あたりまえ」ではない。偶然の一致の重なりで現在の自分が存在している。
その現在の自分が存在している宇宙そのものが不思議である。 それに気づくかどうかである。
 (字数制限のためカット10年11月8日)
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2006年11月08日(水)
2045, あたりまえなことばかり −2
   「 あたりまえなことばかり」 池田晶子著  ー 読書日記    (。^0^。)オッハ〜                
 この本の面白そうな項目から取りあげてみると「考えるとはどういうことか」になる。
「考える」とは、実際のところなんだろうか? 言葉の羅列?それとも、思いつき?、
 それともそれらを対比し、その差異と同定をしながら掘り下げること? 
 まずは、この本の面白そうなところを抜粋しながら「考えて」みる。我慢して最後まで読んでください。それも何度も!
 当たり前のことに何の疑問を感じなくなってしまっている、自分の感覚を呼び戻すためにも・・
 ー 考えるとはどういうことか ー
 *私が日がな何を考えているかといえば、考え始めたはじまりにまで遡ってみると、一言で言えば人生についてです。
  人生というと一言で敢えて具体的にいえば「生まれてきて、死ぬことです」あるいは「誰もが自分である」ということ。
  この当たり前のことが、不思議ではないですか? そんなのは当たり前といいますが、本当に当たり前と言われるが、
  それでは如何いうことか、解るのですか?生きることも、死ぬことも誰も知らないのに、どういうわけか皆知ったふりをして、
  毎日を生きているわけ。
 *キリストの言葉というものをよく読んでみると、私を信じろとはいってませんね。
  あなたの内なる神を信じよ、といっているのです。ところが、生命とか宇宙とかの不思議が本来もうどうしようもない謎を
  忘れた人たちにとっては、キリストそのものが信仰の対象になってしまうのです。 キリストだって分りませんよ、そんなこと。
  ところが自分がわからないといことを忘れているから、ただの権力闘争になってしまう。本末転倒なわけです。
 *どう考えるかという問いにあえて答えるとしたら、一言「驚け!」です。
  (字数制限のためカット09年11月8日)
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 2005年11月08日(火)
1680, 「自薦エッセイ集 魂の光景」−4
   ー「メタモルフォーゼ」ー ?
     <意識の変容>
 一万年続いていた農耕社会の重心が、工業化社会から情報化社会に移動しようとしている現在、狩猟社会の本能が再び
目覚めようとしている?のか。北極圏のインディアンに残っている狩猟社会の個人主義は、農業社会が作りあげた差別社会を否定する。
メタモルフォーゼは、情報化社会になればなるほど問われることになるだろう。
以下は「メタモルフォーゼ」ー<意識の変容>の中の文章の抜粋である。
 ーーー
直立歩行を始めてサル類から分岐した人類の先祖たちは、死肉あさりという屈辱的な低い生態的地位を経た後、
大よそ20万年前から狩猟生活を始め、平等な個人同士の対等な関係を基本とする小グループを形づくってきた。
文化人類学者の原ひろ子は「老若男女それぞれが、自分が主だと思っている。
命令口調でものを言う人間や、忠告めいたことを言う人間を極度に嫌い、馬鹿にする。
酋長といった部族全体を統率するリーダーはいない」と報告している。
彼女は「ヘアー・インディアンとその世界」という著で、さらに狩猟民族の`個人主義’について示唆を多くしている。
特に興味をおぼえたのは、彼らの生活が 「働く」「遊ぶ」「休む」の三つにわけられ、
そのうち「休む」が最も重要と考えられている、ということだ。
「休む」とは無為に寝転がっているということではなく、各人がそれぞれの自分だけの守護霊(部族と家族とも共通でない)
と相対する時間のことである。他人との関係からはなれて、ひとり静かに自分自身と、つまり自分の無意識と対話するのだが、
守護霊は雪の山野の親しい生物から選ばれるのだから、それは自然の声でもあろう。
そんな平等な個人を基本とする生き方が、農耕時代に入って、身分制社会の不平等生活へと一変したことは事実だ。
まるで高等サル類の不平等な群社会に戻ったかのように、ひたすら優位者の機嫌を窺い、身辺の人間関係に意識の大半を費やし、
一族の、村の、国の共同の神をそろって拝む。 だが農耕社会はわずか数千年来のこと。 
それに比べてわれわれは本格的な狩猟民として、最も短く見積もっても5万年もの経験を持っている。
20世紀の後半になって、農業人口が激減して、巨大な村に過ぎなかった木造的都会が、鉱物的な現代都市に変貌するにつけて、
狩猟民時代の記憶が意識の底から徐々に蘇り始めてきているように思えてならない。
 ーー
 以上であるが、現在の時代に大きなヒントが隠されている。 エスキモーの生活が「働く」「遊ぶ」「休む」の三つに分けられ、
その中で「休む」が最も重要に考えられているというのは、大きな示唆がある。 ゴロゴロ寝ているのではなく、
各人がそれぞれの自分だけの守護霊(部族と家族とも共通でない)と相対する時間というのがよい。
意識の変容は、本来の自分に戻る状態といえる。自分の守護霊と対じして、深く自らを見つめることで魂そのものと出会う。
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2004年11月08日(月)
1315, ビーズ・クッション
数年前、パソコンショップで椅子と腰の間に置く「ビーズ・クッション」を見つた。
早速買って使ったところ非常に良い。そこで海外旅行に持っていって、飛行機やバスの席の腰に当てて使っている。 
 《字数の関係でカット2008年11月8日≫
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2003年11月08日(土)
948, ユーモアのセンス
 このホームページにもユーモア・小話のコーナーを設けてあるが、世の中には、面白い小話、ダジャレ、
ユーモアは多くあるものだ。といって本当に面白いものは少ない。
以前もユーモアについて書いたが、当時は小話を100近く集めて知人に話した。
それが、ここの癒し系のコーナーに書いてある。  ユーモアについては、全く通じない人が多い。
「どうして?」と共通項を考えてみたが、本を読んでない人にその傾向が強い。
言葉の中にある微妙な面白いイメージが全く湧いてこないのだ。 それと、身構えて冷笑してしてしまう。
早くいえば教養のない人であるが、それをいってはお終いだが。
「じゃあ、あなたは自分の教養があると思っているのか?」と言われると答えようがない。
 全くつまらないと思うか思わないかのテストをしてみる、
ー身の上相談ー
アメリカのラジオ番組で、ある女性の回答が評判であった。あるとき、小学校のこどもが相談の電話をかけてきた。
「うちのママは、毎日、毎日、朝は早くおきなさい よく手を洗いなさい よく勉強をしなさい TVをいつまでも見てはいけません 
 夜は早く寝なさい と言って、うるさくて、うるさくてしかたがありません。 ボク、どうしたらよいのでしょうか」
  それに回答者が答えた。
「朝は早くおきなさい よく手を洗いなさい TVをいつまでも見てはいけません 夜は早く寝なさい 以上、サヨウナラ」
 (字数制限のためカット10年11月8日)
・・・・・・
574, つれづれに-学生時代のこと

  • 2002年11月08日(金)

学生時代の最後の半年間の日記を「ある時間の断片」という題で書き写しているが、そのときは34年の時空を飛び越えて
青春真っ只中の自分に立ち返っている。 記憶もそのときのことが走馬灯のように立ち返ってくる。
変わらない自分と全く変わってしまった自分がそこに見える。今時に悠長なことを思い出しているものだとも考えてもしまう。
学生時代は、
・そこで住んでいた青雲寮の生活  ・武澤ゼミと卒論   ・欧州の一ヶ月の旅行 ・影響を受けた大学の先生と授業
・クラブの先輩同僚などの思い出  ・軽井沢の友愛山荘のアルバイトの思い出   ・合コンや合宿などなど
結構多くの構成が重なっている。この4年間が人生の圧縮であった。 物理的には馬小屋のような部屋に住んでいたが、
出来事は数え切れないほどのことがあった。脱皮脱皮の連続線上にあった。20代30代は誰でもそうだが私の場合創業を
目指していたこともあり刺激の強い20年間であった。武澤ゼミ、欧州旅行、青雲寮、軽井沢友愛山荘、個性的な教授と
結構恵まれていたのは時代の背景もあったようだ。高度成長期で日本がアップスケールの真只中だった。毎日日記の中で
色々な友人と語っている内容は、これからどういう生き方をしようかという内容と、その批判である。未来が光り輝いていた。
・自分は留学しようと思う。  ・いや大手の会社に勤めようと思う。
・大学に残ろうと思う。    ・自分で事業を起こしてやろう。
そういえば結婚をしようという人は誰もいなかった。 如何しようか?という人は多かったが。
自分が何か使命を持って社会に期待されているようであった。 何かやっと自分の出番が回ってきたようでもあった
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[220] 実感の言葉

  • 2001年11月08日(木)

「自分の人生の今までの実感を、幾つかの言葉で表現してみたら?」と聞かれたら
 1、まずは「恵まれていた」これが全てと言ってよぐらいだ。(時代、両親、恩師・・)
 2、次は、「ついていた、運が良かった」
 3、第三は、「面白く楽しかった」
 4、第四が、「有難う」ー感謝・感謝・感謝である。
 5、そして、「愛こそ全て」愛情の大切さである。
 6、「もう一度全く同じ人生を!」ー
  「ありがとう、面白かった、悔いはなし」 実際のところ、うそ偽りなしの気持ちである。
   ーなんか遺言みたいだー
  (字数制限のためカット10年11月8日)