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我が家にやってきて8ヶ月になるルリハ・インコが最近、芸をするようになった。
小鳥のストレス解消用に、枝の棒に「小鳥用起き上がりこぶし」を付けてあるが、時々、狂ったように攻撃する。
しかし錘で、その都度、棒を一回転し元に戻ってしまう。 ところが最近、インコも真似て枝を回転するようになった。
そこで、その都度拍手をして笑いかけていたら、インコを見つめる度に回転するようになった。 また籠から離れようとすると、
回転を何度もし、傍にいて欲しい意思表示をする。 今までは鳴声と籠にしがみついて見つめての意思表示が、棒を回転する
芸で注意を引くことを覚えた。 一年前に飼っていた中型のコガネインコが、人間的?で個性が強い鳥だったので、今回は、
オウム科で最小(雀ぐらい)の大きさの性格の穏やかなルリハ・インコにした。 幼鳥のうちは大人しかったが、最近になり、
その個性を見せ始めてきた。 必死に何度も何度も枝を回転する必死な姿に愛情がわいてくる。
最初はペットを毛嫌いしていた家内も、最近、その回転するインコに見入り、頭を撫ぜるようになっている。
コガネ・インコと同じく、頭と喉を撫ぜると喜ぶのは犬猫と同じ。コガネ・インコは一年余りで、風邪で死なせてしまった。
それもあり冬に向かって、このインコは、死なせる訳にはいかない。改めて雀など野鳥が厳寒の中で越冬する能力に驚いてしまう。
このインコにとって、鏡の中の自分の姿と、起き上がりこぶしの小鳥と、家内と私と、時々帰ってくる長男が、このインコの世界。
ストレス解消用の玩具を幾つか籠に入れているが、フルに使って遊んで最後は壊してしまう。それでも、時どきヒステリックを起こし、
籠の中を狂ったように飛び回る。 とにかく、籠の外に出たがる。 また本能的に音に敏感で、私が車で帰ってくると、感知する。
駐車場を一台貸しているが、それには全く反応しない。「あんたインコやってんだ。私は人間やってんだ。」という感じにが面白い。
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3495, お金の教養
2010年10月20日(水)
ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
図書館で借りてきた本だが、具体的な内容が面白い。 学校では「学問教育」と「職業教育」は教えるが、
その取り扱い方は教えてくれない。日本は「お金は不浄なもの」という思い込みがあり、社会でも家庭でも、
お金について教えてくれることはあまりない。武士は食わねど高楊枝、という風潮があるのが日本である。
学校では「成績表」「通知表」を受け取っているが社会に出た後に「お金の成績表」を受け取ることはない。
実は、預金通帳こそ学校の「通知表」という。 お金に対する能力とは、「貯め方」「(小さなお金の)使い方」
「(大きなお金の)使い方」「稼ぎ方」「増やし方」「維持管理」と、「与えること」。
・「貯め方」は、著者は収入の2割を貯金にするというが、これは以前から言われていること。
・「使い方」は、*要は節約と、*買う前に払う価値があるもの・サービスかを考えよ。
・あとざっくりな記録で現状を把握せよ、
1、お金の管理する仕組みを作る 2、6:2:2の法則 3、領収書の分類
2の6:2:2の法則は、まず2割の預金、2割の自己投資、そして最後に残りを使う法則をたてよ、である。
領収書の分類ボックスに入れた後に、それぞれをスクラップするのも良い。若いうちに知って実行していたら良かった。
▲ ところで、逆もある。私が両親をみていて考えたことは、
「残したところで、それは通帳の数字の桁が増えだけのこと。使える時に使わないと、それは通帳の数字でしかない。
そこで、40歳から60歳まで、年間に???万は使い切ることを決めた。 そうすると使えるのである。
贅沢できる金額でもないが、一点豪華主義で秘境ツアーに絞り憑かれたように家内と行ったが、こういう時代になり、
また歳を重ねると、つくづく正解だったと思う。 気力、体力、金力、時代背景、環境などが揃ってないと、そうそう
続けることは出来ない。歳をとると、行動範囲が狭まれる。 最近は、こういう類の本が書店に多く並んでいる。
しかし、のっけから2割の天引き預金を実行となると、なかなか難しい!
やるか、やらないかの決断だが。 あとは、その人の人生観もある。
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3120, 再び、読書について 2009年10月20日(火)
* 書斎は未来の図書館
森本哲郎が読書についてに、次のように書いている。
≪ 私は読書は何よりもまず本をさがすこと、探して買ってくること、買ってきて本棚に飾ることと確信している。
実際に本を読むのは、いつかでいいのだ。書斎とは、この意味で「未来の図書館」というべきだろう。 ≫
全く、その通りである。この言葉を知っていたら、より豊かな時間を書斎で過ごしたはずである。
本屋で気に入った本に出あっても、いま読みかけの本で手一杯ということで見逃した本が、あまりに多い。
書斎を、そのように位置づけていたら、自分の書棚には、その蓄積があったはずである。
決して、読まないでも、その本に囲まれて休日を過ごしているだけで、充分に幸せのはずである。
開高健が「古本屋歩きは釣りに似ているところがある。ヤマメを釣ろうか、フナを釣ろうかと目的をたてることなく
歩いていても、たいてい、一歩店に入っただけで、何となくピンと来るものがある」というが、そうして買った本を
書斎の一角に納めておいて時どき手に取るのもよいだろう。 あまり本を読まない人にとって、読書をするのが
勉強をすることと勝手に思い込んでいるようだ。しかし本来は楽しみとして、集めた本棚の本を、独りで早朝や深夜に
読むことである。 そのとき、そこは、自分ひとりの安住の場、かつ別世界に浸る時間になるのである。
ショウペンハウェルは、彼の読書論で、「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければその価値は疑問で、
量では断然見劣りしても、いくども考え抜いた知識であればその価値ははるかに高い。何か一つのことを知り、一つの真理を
ものにするといっても、それを他のさまざまな知識や真理と結合し比較する必要があり、この手続きを経て初めて、
自分自身の知識が完全な意味で獲得され、その知識を自由に駆使することができるからである。」と語っているが、
それも独り、書斎の中で考えてこそ可能になる。
選定、書棚に納める、そして独り読み、考える、そしてメモ、等々、その一連で読書は成り立っている。
旅、読書、芸術鑑賞、談笑、散歩、そして家族との団欒は、人間の行為としてベストの習慣。
その中でも、読書は必要欠くべからざることである。
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2755, 閑話小題
2008年10月20日(月)
*一昨日は高校の同級会
高校の同級会が一昨日あったが、25年間ほぼ毎年開かれている。大体、20人位があつまるが、この10年近くで4人が亡くなった。
他のクラスの人が参加をしたりの入れ替わりはあるが、7割は固定メンバーで、和気藹々と時間を忘れる一ときになる。
最近の話題は年金と、病気と、不景気と、孫と定年の話が中心になる。「今回は年末は金融恐慌のため深刻になるだろうから、
早く開いた」と冗談ともいえない幹事の挨拶があった。ギリギリまで出席しようか止めておこうか迷ったが、この年齢になれば
一年後に無事でいられるかどうか、目先のことは積極的に参加することと出席した。 まあ、面白かった!
*今年の旅行は?
さてと、今年の旅行と思った途端に、この金融恐慌である。何があっても一度は海外に行くと決めているが、
歴史的な重大な状況に気合が入らない。最後にとっておいたアメリカ西海岸の国立公園巡りか、英国辺りかの最終判断の段階。
この20年近く憑かれたように旅行に行ってきたが、今後10年の大不況を考えると良かった。
数年後からはロングステーも考えていたが、どうなることか!
*我が家の庭
最近、早朝のウォーキングの帰宅後に我が家の庭で時間を過ごす習慣がついたが、そこで庭が生きていることに気づいた。
両親が魂を入れた庭が、二人とも亡くなっても、そのまま生きているのである。 それも時間とともに変化している。
父が石と木、母が花を入れたが、それが四季と共に変化をし、段々と深みを増しているのである。
それに気づきだしたのは両親が庭をつくった年頃に、私が到達したということか。
母が亡くなった時に、この家を処分をして新潟市に移動しようかと考えたが、決断できなかった。
このまま家にいて本当に良かったと思えるようになった。 春夏秋と、両親が植えた草木の花が、何処かで咲いている。
家には、それぞれ家霊がいるというが、庭をみていると合点がいく。
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2007年10月20日(土)
2391, 哲学と心の病 (っ´Ι`)っ { おはよう
図書館から度々、月刊誌「新潮45」を借りてくる。月刊誌としては人気があって最近の本は殆どが貸し出されているが、
時にタイミング良く借りることが出来ることもある。お目当ては中島義道「哲学者というならず者がいる」のコーナーと、
ご存知、中村うさぎ「セックスという教養」。 これに、あと一つ中味が濃い特集などの中に面白い記事が必ずある。
たまに読むには良いが、毎月というと毒が強すぎる。今回の中島義道のテーマ「哲学と心の病」が、これまた面白い!
いま問題になっている「ひきこもり」の問題の根本を鋭く解いている。
ー面白そうな部分をコピーをしてみる
「哲学と心の病」というテーマで講演会の講師をしたおりのこと。・・・初老の紳士が手を挙げた。引きこもっている息子に対する
相談である。 「どうしたら生きがいを見つけてやれるのでしょうか?」という質問。 私は「生きがいなんて、みな嘘っぱちです。
人生は凄まじい修羅場ですし、そのあげく、どうせ死んでしまうんですから」と思わず叫んでいたが、こういう父親にこそ、
言いたいことが山のようにある。彼は知的で温厚そうな紳士であり、自分のごまかしを、汚さを、ずるさを微塵も恥じている
風には見えなかった。 そこが問題なのである。 その言いようもない鈍感さに、息子は全身で抗議しているのである。
・社会のルールに従って、仕事において評価され、結婚して家庭を守ることが そんなに立派なことなのか?
それがあんたの「生きがい」なのか? それに何の恥も覚えないのか!
・想像力をたくましくして、自分は極悪人かもしれない、と思うことが人生において一隣でもなかったのか!
それほどあんたはおめでたいのか!そのえらい顔を引っさげてこの俺を「導きたい」のか!息子が思っているのはこのこと。
私は誤解しては困るが、こういう青年達が掛け値なしに「正しい」と、思っているわけではない。
哲学に身体の芯までボロボロに侵食された者が、単純きわまる人生観をもっているはずがない。
私は、そういう両親を攻撃している息子もまたずるいと思う。そんな、反吐が出るほど軽蔑する奴の庇護の下に
ひきこもっているのだから、同じ穴の狢である。そう叫んで家を出、放浪の旅に出てこそ、彼の言葉は輝いてくる。
だが、ひきこもりの青年はそうしない。勇気がないのか? それだけではない。 ひきこもりとは両親に対する復讐に
ほかならないからだ。両親がおろおろすればするほどおもしろい。 途方にくれるほど、喜びがくみ上げてくる。
彼は、じわじわと相手のの心身を滅ぼしていく復讐の喜びをもって、人間として最も卑怯な輩に転落したのだ。・・・
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中島自身のことを書いているから、この辺の洞察は鋭い! 彼の文を読んでいると、決して家庭円満ではない。
息子の、そして自分の、その辺の狡さをチャンと見ているから、これだけ抉るように書けるのである。
引きこもりの息子など叩き出せばよいだけなのである。ただ、それが出来ない弱点を息子が見抜いているだけでしかない。
マイナスの循環の時は、そう理屈のようにならないものだが。浪人生活をすると逆に独りで部屋に引き込まなければならない。
自分が招いた日陰の身である。引きこもりは社会に適応できないのが理由。そこで如何に意欲を持ちえるかどうかだが・・・
敵が身近な人の場合は、それを打ち破るのは膨大なエネルギーを要する。いずれにしても生きるのは大変なことです。はい!
それを肌で体験させる戸塚スクールの肯定派です。それが無理なら、せめて見学でもさせろ!親子して!
(。´・ェ・`。)Bye ーつづく
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2006年10月20日(金)
2026, 戦後生まれが 80パー弱に (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
「戦後生まれが80?」と新聞にあった。
私より年上は全体からみて二割弱しか存在してないことになる。 世界からみれば一割もいないということだ。
私が終戦の半年後に生まれたので、戦後生まれの境目の年代になる。
10年の区切りごとに「戦後生まれが何?」と発表されるので、それがそのまま、自分より歳下の比率になる。
ある統計値を調べてみたら
ー私より歳下が
・10歳時点で 25パーセント ・20歳で 40パーセント
・30歳で 50 ・48歳で 66パーセント(三分の二)
・60歳の現在は 78 ・75歳で
・90パーセントが歳下になる。
それにしては地方のせいか、老年が多く目立つ。 齢を重ねるとともに、当然のことながら年上の人が少なくなり、
そして自分も消滅していく順番になる、それが人生というもの。現在の平均年齢は38歳という。
新幹線で通勤していても、背広を着ている同年輩は少なくなった。いつの間にか、歳を重ねてしまっている。
歳を重ねるにしたがい、世の中が澄んで見える反面、新鮮な感覚が少なくなっているのに気づく。
人生二度無いと何時も口癖にして、その時々にやれることを 最大限実行してきたつもりだが、
まだまだやり残していることが無限にある。 誰もだろうが・・・ \(^▽^*)バイ!
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2005年10月20日(木)
1661, 腰痛ー3
過去に何回か腰痛について書いたことを思い出し、HP内の検索で調べたら一昨年と三年前に書いてあった。
家内からは、去年の10月に腰痛になっていたといわれたので、毎年一度は腰痛になっていることになる。
例年、5月の連休前後か11月になる。今年は、イタリア旅行でなってしまった。軽い時で、二週間。
重い時は一ヶ月近くかかる。今回の腰痛は全治三週間である。痛みのピークは一昨日で、昨日の夕方から反転して
時間ごとに良くなり始めた。しかし、油断をすると直ぐに元に戻る。腰痛はきつい、そして気力が失われる。
季節要因と内臓の問題もある。特に寒さに弱い。そういえば5〜6年前に、思いで深い腰痛があった。
横になっても立っても何をしても痛いのだ。脂汗が滲み出て、うなっているしかない。一回も医者にいったことが
無いのが、腰痛に対する私の態度である。しかし、その時だけは一人で救急車を呼ぼうとした。
ホッカイロを腰に当てて、時間を稼げば半月もすれば直る経験則がある。だから、ただ耐えるしかない。
2003/11/13 953, 腰痛ー2
腰痛のことは以前にも書いたが、一昨日の朝、例年どおり腰痛が出た。
いつも季節の変わり目に出るが、私の場合は寒さで体を冷やしてしまうのが一番の原因である。
いま一つは、パソコンを座って打っていると腰に負担がかかる。今のところ時間をかけて暖めるしか方法はない。
(以下、字数制限の関係でカット)
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2004年10月20日(水)
1296, 新潟市官製談合
昨日の全国紙が数社、一面トップで「『新潟市官製談合』で強制調査」を取りあげていた。
今朝の新聞では「新潟市役所の幹部を逮捕!」と出ていた。やらないよりよいが、今さら何をやっているのかの感がする。
自民党の(土建たかり派閥の)衰退が背景にあるのだろう。このコーナーで、当初より何度か、政治家を含めた国家的犯罪を
指摘してきた。かなり、偏った見方ではないかと思われた人が多かっただろうが、こうして、スコミに出る様になった。
現在の日本は、自民党の土建族の議員を金目とした、ゼネコン・マフィアシステムが全国津々浦々まで張り巡らされいるのだ。
巧く見積もりを出したつもりでも、設備屋とか、鉄骨業者から全てが筒抜けになる。
彼等は薄ら笑いしながら、談合をしているのだ。 ちなみに仕切りは新潟県では、
・箱物は大成建設、
・土木は鹿島建設 というのは、その筋では公然の秘密?である。末端の市の幹部本人にとって、マフィア・システムに
沿って前の上司の談合汚職の手順を、ただ受け継いだだけだ。そこで今までの流れに反することをすれば、直に左遷される。
ー以下字数の関係でカットー2009年10月20日ー
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2003年10月20日(月)
929, 忘れられない「悲しい話」
昨夜は知人の父親が亡くなり、その通夜であった。87歳の大往生であったが、親の死は傍目で見ているよりずっときつい。
死は直視できない。死に関しての悲しい話を書いてみる。我家の分家は二軒ある。父が長男で、弟が二人いたためである。
長岡にその一軒がある。母の7回忌にオバが来てくれた。86歳で影が薄かったのが印象的であった。
その半年後にあっさり亡くなってしまった。母の法事で「こういう会に出れるのは最期では」というのが、もの悲しい。
その時の酒席で、「人生で色いろ多くのことがあった!」と言っていた。その数年前に溺愛していた長男が自死をしていた。
そして、その数年前には近くに嫁いだ長女が癌で亡くなっていた。そのうえに、長男の葬式を取り仕切っていた長女の亭主も
数ヵ月後に自死してしまった。その時「自死する気持ちが良くわかる!」といっていたのが気になっていた。
また叔父は40年前に亡くなっていた。 そのことは触れず、ある子供の死のことを打ち明けていた。
「赤ちゃんを病気で死なせてしまった。今の技術では助かっていたのだが、当時は仕方がなかった。
病院から死んだ子供を家に一人で背負って帰る時、段々子供が冷たくなって死後硬直をしていくのが背中を通して感じた時は、
本当に悲しかった!」とシミジミ言っていた。 最後、私にその悲しみを言い残しておきたいのだろうと思った。
聞いているだけで、その時の悲しみが、そのまま直に伝わってくるようだった。 叔母は天理教の熱心な信者になることで、
その苦しみの数々を乗り切った。最期の最期は、宗教しか人間の苦しみを救うことが出来ないのだろう。
「神はあるかないかでなく、あらねばならない」という言葉が、こういう話を聞くと納得できる。
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555, 針と糸
2002年10月20日(日)
先日、25年来の知人と酒を飲んだ。
大手の支店長をしていたが、請われて奥さんの実家の専務に3年前に納まった。地元の中堅の会社である。
義弟が社長で大変だろというと、糸と針の喩えで自分が糸に割り切ってしまえば問題がないといっていた。
面白く、ずばり本質をついた喩えにいやに納得をした。 社長業を針というのも上手い喩えだ。
時代に対して一点集中で鋭く縫いこむのが社長業だ。何か耳が痛いが、もっと痛い人が今は多いだろう。
この針と糸の喩えを社長専務の関係だけでなくいくらでも云える。このテーマ随想日記もそうだ。テーマが針、
それに対しての随想記が糸である。なかなか良い針が見つからない。糸なら経験がたっぷりあるから?いくらでも材料はある。
戦略と戦術の関係もそうだし、頭脳と心の関係も、夫婦の関係もいえるだろう。
夫婦では最近はどっちが針か糸かハッキリしないが。それを使い分けるのはあくまで主体の自己ある。
最近は布ー服の流行が激しく変わっていくので大変だ。デザインの選定と工賃も厳しくなっているし、本当!
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「192」 種銭ー2
2001/10/20
物覚えのついた4〜5歳のころから、年末の31日にお年玉を姉兄揃って貰った。それが楽しみだった事を思い出す。
一旦渡しておいて、次の日に全額取り上げられるのだ。そして貯金通帳に入れられてしまう。高校になるまでそれが続いた。
そして高校に入って暫くすると、なにか株を自分で考えて決めろと言う。そしてある株を買った。その日から株式のコナーを
目を凝らしてみるようになった。子供のころから、両親に玩具を一回も買って貰った憶えがない。友達の家に行くと、
箱に玩具が一杯入っているのを見て、信じられなかった事を今でもありありと憶えている。
といってお年玉は自分で稼いだ金でないことも確かだ。株の上達の本を読んだとき、
「まずは種銭をつくれ、それも強い金でなくてはならない。それは自分が汗水を流した芯のある金でなくてはならない。
そういう金でなくては株で利益は絶対にあげることは不可能だ」これは事業でも当たり前だ。
しかしこの強い金を創るのが一番大変なのである。 父は子供たちに、我慢をしてまず種銭つくりを教えたかったのだ。
お金に対してシビアなのは、実際のこういう教育があったからだ。実際のところ、金に対してみるところあまりにも甘い。