■
* ユングの能動的想像とは? ー2 〈 ユングー地下の大王 コリン・ウィルソンー? 〉
コリン・ウィルソンは、ここで能動的想像の実例を幾つか取り上げている。この内容からみると共同意識の世界まで入り込んでいる
ようで、夢の世界の奥行きの深さを感じさせられる。 私も夢で数知れないほど、奥の深い内容のものをみてきた。
【ーP/242ー もう一人のユソグ派の分析家J・マーヴィン。スピーゲルマソは、母親と娘と老賢人に出会った洞窟での「空想」で、
24歳のときに能動的想像の技法を獲得し始めた。ある日騎士があらわれ、母親と娘をさらって行った。その騎士は、自分は話すべき
いくつかの話があり、また話を口述させたい「数人の他の人が自分の国」にいると説明した。 それからスピーゲルマソは数年を費やして、
騎士、尼僧、色情狂の女性、老いた中国人、その他の人々が口述したいろいろな話を書き留めた。これらは、四巻の本になって出版された。
あきらかにスピーゲルマソはブラッド・アブセッツと同じ技法 ーつまり「別の自己」が内気を克服して自分を表現するがままに任せる
方法を用いた。そしてその結果は、多くの点で似ていた。 このシリーズの第四巻『騎士』(「一九八二年)のなかで」スピーゲルマンは
きわめて重要なことを観察している。すなわち、能動的想像を実行するのに成功すると、「共時的な事件が規則的に起こり、きわめて
神秘的な方法で世界とかかわりあえる」ことを観察した。 起こることは、内部的な仕事によって世界との関係がともかく変わることだと、
スピーゲルマンは言っている。それから彼は、雨ごい師の重要な話 ーもともとはリヒアルト・ヴィルヘルムによってユソグに告げられた話
を述べている。< ヴィルへルムは、旱害に苦しんでいる遠い中国の村にいた。雨ごい師が遠い村から招かれた。 彼は村のはずれにある
一軒の小屋を所望し、三日間そこから外に出なかった。 その後土砂ぶりの雨になり、ついで雪が降った。これは一年のその時季には
前例のないことだった。・・ヴィルヘルムは老人に、「あなたはどういうふうにして雨を降らしたのか」と聞いた。
老人は、自分がそれをしたのではないと答えた。「私はあらゆることがきちんとしている国からやって来ました。雨が降るぺきときには
雨が降り、晴れが必要になれば晴れます。人々自身がきちんとしています。ところが、この村の人々はみな、道からはずれていますし、
自分自身からもはずれています。 私はこの村に到着してすぐに、それにうつり(感染し)ました。それで、私は一人になれるように、
村のはずれの一軒の小屋を所望したのです。私がもう一度道にかなうようになったとき、雨が降りました」と。「道と自分自身にかなう」
と老人が言っていることは、ユングが個性化と言っているもの。脳の二つの半分の間に適切な交通があった。> 雨が降らない村の人々は、
左脳の自我で支配されていた。左脳の自我は、もろもろの問題に過剰に反応する傾向にある。・・アメリカのハワード・ミラーは、
人間には既に、ある形の能動的想像を持っているとミラーがいっているのは実際には、右脳は オーケストラ、左脳が指揮者だということだ。】
▼ 連続シリーズの夢は、一種の能動的想像になるのだろうか。人は夢日記をつけると、つけないとでは、大きな違いが出てくる。
夢は、潜在意識を覗く手立て。それを記録にして書き残す習慣は、考えてみれば自分を知る一番の方法である。
父親の初七日に、父のベッドでみた夢(以前にも書いたことがあったが)。父親の魂が私に入れ替わってしまった夢である。
父がガン末期で、死の恐怖と闘っていた時に、傍にいて、それが直に伝わってきていた。そして、初七日に、その恐怖心が、
そのまま夢で、体感したのである。問題は、それから。ハッとして目覚めたとき、父親の自分が、私として存在している
奇妙な実感である。 それから、私に10年以上、変な感覚が身についてしまったのである。今から思うと、その感覚を使って、
もっと見るべき世界を見てきた方が良かったが、それは今だから言えること。自分の内なる沼には、底知れぬ深さがある。
・・・・・・・
3410, この国の終わり −6
2010年07月27日(火)
* 日本の余命はあと僅かである (P・107)
どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに超えていた。 彼らの悪辣さの度合いは、
日本人の常識ではとてもついていけない。そのため私たちは、世界を覆っている真実に対し、考えることを放棄し信じることをやめる。
福沢諭吉は彼の『文明論之概略』の中で、開国を迫る列強の真意を次のように要約している。
≪ 即ち彼ら毛唐(=「外国人」の蔑称)の本音は、要するに「自分たちと商売をせよ、さもなくば殺す、と言っているのだ」と看破。
その性温厚にして軟弱な江戸時代までの日本人にとって、この考え方は常識をはるかにはずれた奇想天外の暴言であり、
だからこそ福沢もわざわざその事実を本の中でコメントしているのだ。 しかし彼らにとっては常識も常識、至極まっとうな
言い分であり、数万年の歴史をそれのみ集中して生きてきたといっても過言ではない。
そのような「彼ら」が、いままでは局地的な侵略と征服のみで過ごしてきたのは、ただ単に地球を一極支配するだけの能力が、
いま少し足りなかっただけのことである。 あるいはIT革命、情報革命といった、新しい最終的な手段が出そろっていなかった
ためでもある。 彼らはそれらが出そろうまで、辛抱強く臥薪嘗胆してきた。虎視眈々と、いまに見ていろと舌なめずりをしながら、
それでもその時々にできうる最高の手段で、一極支配の地ならしをしてきたのである。 そしていますべてを手中にし、
すべての条件が整ったというわけだ。 福沢は彼らの言い分を「商売をせよ」と、当時の日本人がやっとフォローできる表現を使って
解説したが、本当はそんな生易しいものではない。 彼らが歴史で実証していることは、「自分たちの奴隷になれ、さもなくば殺す」
ということなのだ。 商売は、金儲けは、とっくに済んでいる。 金儲けの最終段階は、いまも昔も奴隷制度の貫徹である。
さらに、究極の奴隷化とは、頭脳の奴隷化なのだ。つまり、マインドコントロールのことである。 いまこそ彼らは堂々と宣言する。
「我々の家畜になれ、奴隷になれ、ロボットになれ、さもなくば殺す」 それが最後の「お触れ」なのだ。≫
▼ それが30数年前から始めたアメリカの金融戦争である。 ドル一極支配下に入れ、さもなくば叩き壊す。
その際たるものが、この金融恐慌。 これで欧州連合のユーロは風前の灯である。たしかにドルも傷ついたが、
胴元の被害は、早々に元に戻る。 更には中国もドルを1兆ドルも持たされた。そして、数年後には、それらを
アメロとかいう新ドル?でチャラにする。 それで日本は、その最大の被害者になるのである。家畜の運命は、そんなものか。
・・・・・・・
3035,「顔」を哲学すると
2009年07月27日(月)
「顔」について哲学をしている文章に殆ど出くわしたことがない。 特に女性の場合、その造作で人生を変えてしまうほど大きな
要素になるのにである。そこでネットで調べてみたが、これはというのが、やはりない。それでは自分で考えてみることにした。
古代よりクレオパトラや小野の小町など、美人は特別に扱われてきた。 考えてみれば顔の部分のバランスと、全身のバランスが
整っているだけで、何で?と誰も疑問を持たない。 そこで考えられるのが、顔が露出した全身の凝縮した表出であるからだ。
また眼は内臓が身体の外に、そのまま出ている唯一の部分である。「眼は口ほどに、モノをいい」というほど、内面が現出しやすい。
さらに顔は何代もかかって作られる。更に、年齢を重ねると苦労とか、感動、感激の蓄積した内面が、そのまま現われ出てくるから、
人間は顔に興味を抱く。どんな人間も顔にはドラマが書いてあると大作家が語っていたが、その通り。 男の顔は履歴書で、
女の顔は請求書とは、よくいったものだ。徳岡球子が歴史上の人物の顔をモチーフにした「面構え」シリーズで多くの作品を残している。
漫画的の描き方で、その人間の内面の味を炙り出している。 晩年の顔ほど、その人の人柄が出るからだろう。その意味で写楽の絵が、
その典型である。 一月前にWoWoWで「写楽」を映画でみたが、これが面白い。 ところで若い女性にとっては、美人かどうかが一大問題。
そのために整形もするし、高い化粧品をつかい、毎日、数時間も鏡の前に座り、化粧品をぬったくり、色いろな表情をして魅力を
高めようと明け暮れる。「美人」の「美」とは、バランスが取れていること。 美男美女の顔は「左右のバランスにある」という。
他のバランスを含め、その調整ために化粧をするのであって、決して肌を覆い隠すためではない。
先日、「清水次郎長顔が日本から消えた」というテーマで書いたが、内面から滲み出てくるほどの危機がなくなってきたこともある。
田中角栄や吉田茂、そして佐藤栄作のようなドスのきいた顔は現在の政界には見当たらない。 人の顔は、経験の重なって出来るもの。
「40歳過ぎたら自分の顔に責任を持て」とは、そのためである。 数年前になるが、高校野球をTVで見ていたら、慶応高校と
四国の高校生の野球試合の応援団の生徒達の顔つきの違いに思わず笑ったことがあった。 都会面と、田舎面の違いが明確だったからだ。
一見、都会面のほうが良さそうに見えたが、良く見ると、都会面は個性のない画一顔。 それに対して田舎面の方は一人ひとりが
個性が滲み出ていた。船頭の息子とか、百姓の倅の農村の味である。 顔は手相と同じで、万人が違う、だから興味を持つのである。
韓国の女性は、日本人と比べると、大きな割合で整形手術をしているという。 考えて見れば変である。
でも、見とれるほどの美人は、好きである! めったに居ないが・・・
・・・・・・・・・・
2670, おばさん、の話
2008年07月27日(日)
「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力があるという。
ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」「老化のバランスの崩れに対して
抵抗しなくなった女性」「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、書けば幾らでも要素が出てくる。
女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。 女性が一番美しいのは、40歳前後という。 おばさんへの、
折り返し地点であるからだ。演技を止めようか、それとも最後の濃艶な女を演じようか、その際が光輝くからである。
一子(長男、長女)の子どもから手が離れ、少し余裕が出てくるが、多くの問題が一挙に押し寄せる時期。
(字数制限のためカット 2010年7月27日)
・・・・・・・・・・
2007年07月27日(金)
2306, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙 ー1
祥伝社 チャールズ・J・アクイスト ー読書日記
このようなプレゼントを、かって聞いたこともなかった。そのユニークな依頼に誠実に答えてくれるアメリカ人が素晴らしい。
成功者は、何かの共通した言葉を持っている。過って一歳だった自分の子供へのプレゼント!という、思いもあるのだろう。
彼らのシンプルだが真髄をついた言葉には感動するものが多い。米国の弁護士の著者が、息子の1歳の誕生日のプレゼントとして
「世の中で成功している偉人から、人生で成功するための助言をもらう」というアイデアを思いつき、1年近くかけて実行。
依頼をした「成功者」のジャンルは、政治、経済、芸能界、スポーツなど。大統領、大リーガーなどの著名人からの素晴らしい
アドバイスが届けられた。本書はそもそも、極めてプライベートなものとして依頼されたもので、「本にする」というアイデアは、
依頼者の一人のリチャード・ブランソンが、出版のための依頼だと勘違いして手紙に書いてきたところから思いついたもの。
その為に出版にあたっては、返信してきた全員に再度依頼して承諾書をもらった。その結果、95%の人は快諾し出版に至ったという。
この本の利益は全て寄付をするという言葉も書き添えたところが良い。
著者が送った質問は次の通りである。
*どうすれば人生で成功できますか? *世界で一番大切なことはなんですか?
*愛とはなんですか? *幸せとはなんですか?
(次回、私のこの答えを書いてみようか?)
これに対する答えが、回答者の価値観を浮かび上がらせている。上記質問に対して、空欄に答えを書いて返信してきた人、
書ききれず別途に長文を書く人もいた。 著名人だけあって、自分専用のレターパッドを使っている人もいた。
レターパッドにタイプ打ちして、自筆のサインを見ると、この人はこんなレターパッドなのか!とか、サインはこんななのか!とか、
普段あまり目にすることのできない、側面を見ることができる。
読んでみると、なかなか心のこもった座右の銘が多い。 次のことは、その中で多く見られた言葉である。
一番のベースとして、大事なことばかりだ。「ベストをつくせ」「家族と友人を大事にしなさい」「愛とは、見返りをもとめないこと」
「決してあきらめない」「誠実であれ」「好きなことを極める」「親のいうことをきけ」等々ある。
以下、印象的な人の言葉を抜粋してみる。
●良い判断を下すには情報が必要だ。
●すべての善人に過去があり、すべての罪人に未来がある。
●自分の性格判断の簡単な方法は、何もしてくれない人にどう接しているかを知ることだ。
●言いわけはするな。 友人には必要ないし、敵は信じないから。
●信仰心に栄養を与えて育てれば、疑念は飢えて死ぬだろう。
●勝とうという意欲より、勝つために努力しようとする意欲の方が大切である。 モーガン・ウーテン(高校バスケットの名コーチ)
●ぼくのアドバイスは、‘毎日を最後の日と思って生きよう、そして自分を信じよう’ リチャード・ブランソン(実業者ー冒険家)
●自分の身に起こることを常にコントロールすることはできないが、起こったことに対する反応をコントロールすることはできる。
失ったものはあきらめ、負けないすべを学ぼう。 フィル・ニークロ(元大リーガー)
まだまだ、面白いもの多くある・・・ ?つづく
(○´ω`○)ノ**SeeYou**again!
・・・・・・・・
2006年07月27日(木)
1941, ローマから日本が見えるー16 \(^▽^*)おはよう
第七章「創造的天才カエサル」?2
ー植民都市の建設ー
徴収上の問題を解決をすると同時に、カエサルが行ったのは、属州にもローマ市民権を積極的に増やしていく方策であった。
ローマと属州が共同運命体になるには、属州にもローマ市民を積極的に増やしていく方策である。
彼は大きく分けて二つの方法で、属州在住のローマ市民を増やしていった。
・一つは、族州民にローマ市民権を与える方法。
「古くからローマ人は敗者も同化する」という独特な哲学を実践していたが、それを属州民にも適用していった。
ガリアや北イタリヤにとどまらず、スペインの原住民の有力者にも、ローマ市民権を与えたのです。
後世の歴史家が、ヨーロッパはカエサルが創造したとする、ゆえんである。
・第二は、カエサルはローマ市民を属州に送り込んで、そこに「植民都市ーコローニア」を造らせるという方法であった。
すでにローマはイタリア半島に防衛拠点に植民都市を建設していたが、それを属州までも広げるというやり方である。
このアイデアはカエサルの独創ではない。かってグラックス兄弟の弟ガイウスが試みて元老院に潰されたカルタゴもそうだし、
ポエニ戦役当時スキピオ・アフリカヌスがスペインに建設させたイタリカも、ローマ人が建設をした本国外の「コローニア」の例である。
カエサルは、この植民都市をより多く建設していくことだけ。カエサルのこの政策によって、属州に移住したローマ市民は8万人にも達した。
これは、あたかも棄民のように思われるが、そうではない。植民者となったのは、ローマにいても仕事の無い失業者であり、
カエサルの軍団の兵士だったからだ。 カエサルのこの「植民都市」の建設は一石三鳥の効果をもたらした。 これらの政策によって、
ローマと属州は「運命共同体」への道を歩み始めた。カエサルはローマ本国と属州との一体化を進めるための方策として、
これ以外にも 様々な政策を具体化していった。
・首都ローマと属州を結ぶ街道ネットワーク整備がそうだ。 ・また通貨の改革 ・ユリウス暦の制定もそうだ。
カエサルは元老院が造幣権を一手に握っていたのを、これを取りあげて、国立の造幣所を開設し、
そこで金貨・銀貨を作らせてることにした。ユリウス暦の制定にも、カエサルの考えが反映されている。
同盟関係にあったエジプトから天文学者、そしてギリシャからは数学者を招いて、正確な暦作りに着手する。
こうして出来上がったのが、一年が365日、4年に一回、うるう年が入る太陽暦であった。これがユリウス暦である。
これで貨幣として「基軸通貨」をつくり、暦としてユリウス暦という「基軸暦」をつくった。
歴史は一朝では作られない、数千年の時間の中で、多くの血と汗で作られている。 i (ω・`) bai
・・・・・・・
2005年07月27日(水)
1576, 次にくる波
ー2007年から、いよいよ経済大変動がやってくる
著者:浅井 隆 ー 読書日記
HPに「次にくる波」の概略が解りやすく書いてあった。これを数回読めば、買って読むことも無いだろう。
少しオーバーと割り引いて読んでみても、現在の日本は異常事態である。 何らかのクラッシュをきっかけに、
このような最悪な事態になる可能性は大きい。ゼネコンと政治家と官僚のタカリシステムをみても、絶望的になる。
初めはマサカと思いながら読んでいても、決して有りえないことでない。「これから5年 土地の価格が半値になる」
「日本壊死」「日本崩壊」と、悲観的な本を読んで、先行きを考えると末恐ろしくなる。しかし、これが現在の日本の現実である。
小さいからこそ感じるのだろうが、経営の舵取りをしていて経営環境の激変を実感する。情報化という波が、根こそぎ世の中を変えている。
ー 以下は、そのHPの要約である。
ー過去を変えることはできないが、未来を創ることはできるー
多くの人は、戦後から現在までの60年間の日本の歴史を一つの時代として認識していることだろう。
(字数制限のためカット 2010年7月27日)
・・・・・・・
2004年07月27日(火)
1211, 哲学についてー21
ー哲学 つれずれに
「哲学について」は、読んでいる方は面白くないだろうが、書いていると意外と面白い。
自分の内面を見つめていることになるからだ。そして、自分の考えと思っていたことが、以前読んだ哲学者の言葉でしか
ないことに気づいたり、それまで考えていたことが浅知恵でしかなかったことに一人赤面をする。私たちが経験して考えたり、
脳の中で考えたりしていることなど、先人は数百年前、数千年前に既に考えていたのだ。書き連ねるほど、自分の知識と
未知のラインが見えてくる。哲学のバカバカしさと反面、深さと効用も解ってくる。
哲学をきちっと勉強をしておけば、新興宗教に引っかかったり、社会の表層に流されたりはしない。教養の背骨になっていることも
事実である。学生時代の寮に、「哲学さん」というアダナの先輩がいた。何時も一人でニヤニヤしてブツブツ言っていた。
「あまり哲学を勉強をすると、ああなるのか!」と、哲学は程々にしていたが。しかし、人間最後は一人で考え決断をしなくてならない
局面で、哲学の基礎教養は最も重要に働く。周辺に、常に人生の重要な局面から逃げ回っている人が多い。
哲学や宗教などの基礎知識がない人だが、必ず大きな壁にぶつかっている。
自分からは逃げることができないからだ。-他人事ではないが!自分と直面をした時に、哲学が始まる。
・・・・・・・・・
2003年07月27日(日)
844, パイロゲン
十数年位前に知人に紹介されて、パイロゲンという健康ドリンクを飲んでみた。
たまたま初めて飲んだ日に「飲み会」があった。 酒がそのままストレートで・・・一晩で
10回以上トイレに行くことになった。しかし次の日は二日酔いは全くなし、早速常用するようになった。
3年以上は飲み続けた。 その前後に胚芽米酵素の『ハイ・ゲンキ』という健康薬品を飲み始めた。
ところが、この二つを同時に飲むと、効きすぎの感がした。ききすぎるのか脱水が激しくなり、数ヶ月で
体重が数?減ってしまった。二つを同時に飲むのは合わないらしい。どちらか一方と考えて『ハイ・ゲンキ』を選択。
(字数制限のためカット 2010年7月27日)
・・・・・・・
2002年07月27日(土)
469,チンパンジーの話
チンパンジーの集団行動について2~3年に一度くらいTVでドキュメントを放映する。大体が京大の研究グループのものだが、違うものもある。
面白いので必ず見ている。彼らの集団は猿の集団と一緒で一匹のボスで率いられている。 常に二番ボス、三番手がいて、その序列は
実力により明確に決まっている。 ボスは常に二番手の脅威にされさてている。時に二番手と三番手が組んでボスを追い落とすこともある。
ボスも時にデスプレーとして、ヒステリックに木や石を投げつけたりして自分の存在の示威行為をする。時にボス争いで死闘が行われたりする。
その争いは政治家の派閥や権力争いに酷似している。チンパンジーの研究は人間の原点の研究でもある。ボスのいない時に浮気や
小競り合いなどある。 若い恐れを知らないチンパンジーに対するリンチ事件や序列争いも人間に酷似している。
今でもハッキリ憶えているのが、あるボスがメスに恋するが全く相手にされず遠くからメスを見ている目付きが人間のそれとそっくり。
おまけに下半身が!!しているのが、あまりに人間的だった。彼らは下痢をしたとき枯葉で尻を拭ったりする。またウンチを踏んだときも
葉っぱに何度も足を拭ったりする。風邪で鼻が詰まったときなど、鼻に小枝を入れてクシャミを誘発したりする。笑いに似た表情もする。
集団でアカゲザルの狩もする。遺伝子の研究がすすむにつれて、彼らは人間の範疇でないかという説もある。
ボノボという種類の猿は更に人間に近い。 TVゲームもできて、その姿は空想映画のようでもある。
・・・・・・・・・
2001年07月27日(金)
[89] 城と教会そして宮殿
ヨーロッパはお城と教会そして宮殿が素晴らしい!何処の街に行ってもこの三点セットはある。
それぞれの個性という点で素晴らしい!また周辺のくにを侵略して富を根こそぎ奪うのだから規模が違う!
美的センスもよい。外観を眺めているだけで充分満足できる。文化という点である時期、王侯貴族のシステムも必要であろうか?