「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
 還暦もとうに過ぎ、更に65歳になったとたん、事業は、これ。 それは本格的な老いへの第一歩を踏み込んだ現象だろう。
歳には勝てない現実が誰にも待っている。それに対し抵抗を諦め、従うしかない。それが老いと著者はいう。
そして、それが恵まれた状態で向えようが、悲惨な状態であろうが、直ぐにやってくる死を前にすれば、
誰も彼も大して変わらないことは、今更言うまでもない。それぞれの年齢の老いの景色は変わっていくが、
殺風景になっていく経験も辛いものがある。しかし、それでも、生きているだけでも有り難いと思えるうちは良いが。
  * 老いについて ー①    −P262
【 老いは、端的に言って、心身の変化や不調、障害や不全、病気や悩、生計の面での困難や窮迫、人間関係における亀裂や別離、
忘恩や裏切り、さらには長年の人生遍歴における事故や災害、対立や紛争などの側面の出現といった、ありとあらゆる不幸な事態の
顕在化という姿を取って、人生の暗い側面を表す顛末の様相を帯びながら迫ってくる傾向が強い。もちろん、明るく幸せな老年という
ものも存在するであろう。 けれども、老いは、もともと死の予感とも結びついて、悲惨な様相の影を本質的に内在させている。
老いは、総じて、誰もがそこから眼を背けたがる暗黒の象徴を含むものとして受け取られる面を含んだ現象であることは否定する
ことができない。 実際、ショーペンハウアーも指摘したように、年を取って、生計に困り、病気がちとなったら、その人の晩年が
暗いものとなるのは必定である。したがって、誰もが、早くから、その点に留意して、自分を守る必要がある。
しかし、いくら用意周到を心掛けても、予測しえない出来事の起きるのが人生である。 老いと高齢化の行く手は、誰にも
予測することができない。むろん、老いとともに円熟する人生というものも考えられる。しかし、人間は、受肉した自分自身を、
自分自身の思いどおりに、させたり、若返らせたり、あるいは好きな姿で老化させたり、終わらせたりすることはできない。
自己の自然的かつ社会的な存在のうちには、自分の思いどおりにならないもの、いわば自己の根源的受動性が潜んでいる。
自己は、自己を越えた宿命の定め委ねられた側面を、その根底に抱えている。 いかに自発性に富み、能動的で、いわゆる勝ち気で、
理性的な人といえども、自分の老化と死を、自分の思いのままに支配することはできない。 人は、老化と死の歩みを停止させる
ことはできない。それどころか、老化し、瀕死の身となった自分自身を自己は、自分で処置することもできず、
そこでは自己の能力の限界に突き当たってしまう。】
 ー
 定年などを切欠に、職を終える時期に、人は、老いの段階に入ったと認識させられる。特に定年制は、まだ活力のある逸材を含めて、
一律に世の中から排除する一種の姥捨てとして、世代交代の作用にもなる。姥捨ても見方の一つだが、現実には山中で悲観にくれる
のも辛い。 二人称である親族、知人などの最期を傍でみていても、壮絶である。そこに向かって一日一日が歩みだした自覚を
持ったとき、本当の老いが始るのである。 起承転結でなく、起承転々というが、これが難しいはず。老いと向き合う時期に入ったか。
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3330, スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」
2010年05月08日(土)
 「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −3
   * スモールハッピネスの「少年ジャンプ世代」
 いまの日本を語る上で、以下のように著者独自の観点で世代を分けている。
≪ 偏差値の次に指摘するのが「少年ジャンプ世代」である。この世代は「偏差値世代」より、さらに考えることが出来ない世代。
 彼らが育った1980年代後半は、「少年ジャンプ」が部数的に大飛躍した時代で、1990年に入ると、実に600万冊以上も売れた。
 その「少年ジャンプ」で描かれるのは、編集方針である「努力・友情・勝利」という、3つの要素の入った物語。
 この3つの要素で1つの物語が完結をする。 しかし、その物語というのは、‘近くのラーメン屋の娘と仲良くなれたらラッキー’
 というふうな世界である。 勝利は社会的な勝利ではなく、極めて身近な勝利である。小さな夢と身近な友だち、そして幸せ。 
 それもいいが、言い換えれば、「非常な内向き」ということになる。 このような、外向きでない人間たちがいまの日本の
 働き盛りの中核を占めている。 これは憂うべきことで、日本だけの閉じられた世界ではグローバルは立ち行かなくなる。
 少年ジャンプの世界は、最後は勝利である。 そこには、ものを考える余地がなくなっている。 2000年代に入ると、
 その少年ジャンプが部数低落に歯止がきかなくなってしまった。主人公が努力している姿を見ても面白くなくなったなど、
 色いろ分析されている。 この世代に続くのが、「ゲーム・キッズ世代」である。 ≫ 
ー以上が要旨だが、国が衰退するときは、頭と尻尾から腐ってくる。 それにしても幼稚である。草食系は、アメリカと、
その手下の自民党社会党、そして官僚の長期政策の結果だったのである。ここで思い切った政策の変更を根底から変えなければ
ならない時期に来ているが、果たして可能かどうか。
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2955, マネーはなぜ暴走したのか?
2009年05月08日(金)
 * アタリの経済危機を考える 
NHKの連休の二日間のジャック・アタリのインタビューの内容が考えさせられた。
 二時間近い内容を、頭に残っているまま思い切って要約すると、
《 この経済危機の大きな要素は、ベルリンの壁の崩壊である。これは人類3千年かけて望んできた
(自由)と(個人)を最終的に獲得した画期的な大事件。その結果として、まずは経済のグローバル化が始った。
 それが市場原理主義と情報化がマッチして世界の流れになってしまった。
 しかし、それには絶対的なルールが必要であったが、アメリカの金融関係の連中が自分の利益を追求するあまり、
 ルールのできる前に金融工学とかいう美名を楯に世界中に得体の知れない金融債権をばら撒いてしまい、
 再起不能なほどの金融危機を起こしてしまった。
 その結果、今後10年、20年、30年と、大きな津波が押し寄せることとなった。
 第一の波は、アメリカ一極支配体制の崩壊(アメリカは、一極支配は捨てても、決して弱体化はしない。内向きになるだけ)
 第ニの波は、多極支配体制への移行
 第三の波は、グローバルな超帝国の波 ー市場そのものが帝国化して、国単位では規制不可能になる
 第四の波は、超紛争の波 ーあらゆる武器が開発され、誰もコントロール不能になる
 第五の波は、超民主主義の波 ー人々は利他主義に気づいて、その力が加速して結果として、プラスの流れが出る。
       アイデアは他人に与えても減るものではなく、むしろプラスの相乗効果が出てくる。
 世界の人は、自家用のヘリコプターを持っていても誰も賞賛しないが、持っている者を惜しみなく人に与える人を
 賞賛するようになる。それこそ、人類が求めていたもので、合理的利他主義という。 紛争や、移動の簡易さで、
 ノマドといわれる遊牧の民が増えていく。 ノマドにも三種類あって、?超ノマド=世界中を気楽に何処にでもいける人、
 ー下層ノマド ーバーチャルノマド=誰もがなれるが存在してくる。 第一から第四の波は、多くの痛みが出てくるが、
 その結果として、第五の超民主主義が出てくるというのが、 楽観的といえば楽観的だが、それはインターネットが
 大きな役割を果たすことになるだろう。 こうして要約すると、この流れは当然起こって然るべきことと納得できる。
 流れの背景は、やはり世界の人は「自由」と「個人」という言葉を獲得したのである。
 その最も有効に働いたのが、インターネット、携帯電話である。これは、どんな権力者も阻止できない流れとなってしまった。
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2591, 日本壊死
 2008年05月08日(木)
三年前なら、読み過ごしたが、サブプライムローン問題が大きく露出した現在では、この本の内容は決して
絵空ごとには思えない内容である。特に、ここにきて日本がアメリカの属国とう著者の論は、的を得ている。
彼の主張していることは、彼からすれば当たり前のことで、誰も現実を直視しようとしないだけなのか。
安部前首相、福田首相の姿を見ると、数年後の修羅場が目に見えるようである。
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「日本壊死」ー新しき人目覚めよ   船井 幸雄, 副島 隆彦 (著)
ー 表紙裏の説明文
アメリカ帝国主義とロックフェラー支配の終焉、1ドル60円時代の到来、ユーロの台頭、借金1000兆円国家・日本の地獄絵図、
財務省の重罪、預金封鎖と老人税の導入、行革が進まないワケ、脱米入亜の可能性、次世代国家を作る新しい人たちの登場
 …日本が歩むべき道を徹底討論。
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 *面白そうな部分を抜粋してみた。
副島隆彦
・「米国債400兆円を買わされ、さらに毎年30兆円分買おうとしている日本」
・「金融緊急処置令」というのは日本の敗戦時の1946年2月17日に発令された
 「新円切り替え」と「預貯金の引き出し制限」のことです。この二つを合わせて「預金閉鎖」といいます。
 緊急の統制令を出して、預貯金に支払い制限を設ける、一人につき一月500万円として、新札の切り替えが一段落をしたら
 「旧円は使えません」という統制手段に出るわけです。この預金閉鎖は2005年から数年以内に起きます。
・「息子だけは、絶対に会社に入れては駄目です。銀行の融資と信用だけはつないであげる。
 それ以外は自力でやれ。そして、それで成功してこい、と。他人の飯を十年食わせた、とかも駄目です。
船井幸雄
・「いまの世界は、アメリカのロックフェラー一族によって大半が支配され、唯一の対抗勢力が欧州のロスチャイルド家という
  構図になっている。これは公然の秘密で、下手にいうと抹殺されかねない。
  たとえば、いまの日本で起きている銀行再編にしても、UFJを吸収する東京三菱がロックフェラー系であり、
  それに対抗する三井住友系がロスチャイルド系というと解りやすいと思います。
  その他の政・官・財、そしてマスコミまですべて、いくら偉そうなことを言っても、所詮は逆らえない。」
・「戦争も政治の一種なのだという考えが、いまでは当たり前の発想になりつつありますが、戦争は経済活動でもある(P.181)」・・・
・「日本にも、勤勉の精神が日本を豊かにしたという山本七平氏や、私の先生の小室直樹説がある。
  しかし、もう信じられない。勤勉と才覚で金持ちになったのは初代の創業者までの話で、二代目、三代目の資産家には
  そんなものはありません。やはり、近代資本主義をつくったのはユダヤ商人たちだったのだと、私は断言します(P.183)」・・・
・「彼(副島氏)と話していると、60%くらいは同じように考えていることが分かります。30%くらいは新鮮なこと、
  しかも肯定できることが教えられます。10%くらいは「本当かな?」と思うことですが、それらは調べていくと肯定したくなる
  ことばかりです。 私(船井氏)にとってこのような人は、日本人でいま活躍中の男性では神田昌典さん、本田健さん、
  森田健さん五日市剛さん、坂本政道さん、北原照久さんなど何人かいますが、
  彼らとともに私を元気づけてくれ教えてくれるのが副島さんです(P.236)」・・・
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  この本は三年前の刊行だが 8割?は当たっている。
  この十年間については、悲観論を主張していれば、そのスポットが来るのは当然だが。
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2007年05月08日(火)
 2226, いい男とは? ー2             (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァヨウ♪
この本「女は男のどこを見ているのか」で一番面白く印象に残ったのが、次の一節である。
〜「先ほど、猫との約束でも守らなくてはダメと申し上げたが、一回くらいの約束を破っても許されるだろうと考えるのは、
浅はかです。これもダメです。釣り銭をごまかすのも、小額だからとか、誰にもばれないのだから一回くらいは許される
だろうというのもダメです。今月はお金がないから釣り銭を余計にもらっても許されるのではないか、
という言い訳もダメで、たった一回のの言い訳や裏切り行為が、あなたの心をダークにしてしまうからです。
一回の悪い行いは、100回の良い行いに相当します。やると決めたら徹底して清く生きないと効果ありません。
たった一回の不誠実な行為が、心を汚し、気持ちの悪いサインとして、貴方の体から発信されてしまうのです。
自分に対する信頼というものは、100?でなくてはならないのです。もし、ここにスリル満点のジェットコースターがあって、
100回に1回は脱線してしまうとしたら、貴方は乗るでしょうか。約束を守る、とはそういうことです。」 (p154)
解)「一回の悪い行為が百回のよい行為に相当する」は、多くの示唆がある。経営がそうである。どんなに巧く運営していても、
少しのミスで全てを失ってしまう。チョッとした運転ミスが致命傷になる自動車の運転ミスと同じである。〜
  ーー
ー今ひとつ面白い部分を紹介してみよう。
「『スターウォーズ』の二作目の[帝国の逆襲]のなかで、ルークがヨーダという900歳のジュダイの指導者と修行する場面で、
≪字数制限のため、カット2010年5月8日≫
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2006年05月08日(月)
1861, グーグル Google            おっ w(゚Д゚)w ハァョ?
              ー読書日記
「グーグル Google」 文藝春秋  著者 佐々木俊尚
  (字数の関係でカット09年05月08日)
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2005年05月08日(日)
1496, いま・現在について?4
 「記憶のない男」ーDVDレンタル
レンタルDVD で観た「記憶のない男」が、「いま」と「私」を考える上で面白い内容であった。
 ー知らない街に仕事を捜しに来て、暴漢に襲われて記憶を全て失った中年男の物語ー
それぞれの人の「いま」は、それぞれの過去を背景を持っている。過去が記憶喪失で失われた場合、その人の「いま」は無いに等しい。
ストーリーの中では、そこまでは表現しつくしてはいなかったが。しかし、その空白を「いま・現在」という現実の中で、必死になって
埋めようとする主人公の心を、静かに淡々と映し出していた。過去の想起がなければ、[私]は存在しないに等しい。動物に[私]はない。
それは想起ができないからである。もし自分が過去の記憶をなくしたら、「いま」という感覚は希薄になる。
青年時代の日記を偶然倉庫で発見。それを、悪趣味的?に、この随想日記で露わにした。その過去の「いま」を、思い出せば出すほど、
現在の「いま」との重なりが見えてくる。そして現在の「いま」がより濃く深くなっていく。それは現在が過去より成立しているからだ。
過去や、未来より、「いま」が全てだと考えがちだが、過去も未来も重要であることを教えてくれた映画。
{「いま」を人間の手とすると、過去と未来は人間の身体}と例えると解りやすい。手は手としては存在し得ない。
手はあくまで身体の一部でしかない。記憶喪失とは、「手そのものしか自分を感じ得ない」ということだ。
身体全体が失われた感覚は想像しただけで恐ろしい。そこ(いま)には、「私」はないに等しい。
[いま]に集中するということは、過去と未来にそして「楔」を打つことである。楔を打つことは最も重要な行為である。
しかし全体の構造を考えて打たなくてはならないのである。今上の人生、来世のことは考えない方がよいのか? 
それとも、来世のために今生を生きるか?やはり「いま」に全てを傾けるべきである!?「どうせ死んでしまう」のだから。
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2004年05月08日(土)
1131, 「藤沢周平」ワールド
この一年以上、藤沢周平にはまっている。新幹線では、行き帰りの半分以上は藤沢周平を読んでいる。
庶民のひたむきな生き方を真摯な目で見つめているのがよい。小説の多くは似たような内容であるが、
それでいてストーリーが面白い。生きることの重みと哀しみを知り抜いた人でしか書けない内容である。
彼の本を読んでいると、いつの間にか藤沢ワールドにドップリ入ってしまう。原風景の中に、忘れさっていた子供の頃の純粋さ、
ひたむきさを感じる。彼の文章の中のところところに何気なく書いてある言葉に胸をうたれる。彼の作品に出てくる女性が
すべてよい。慎ましく、無垢で、深いいたわりのある、暖かい心の美しい女性である。
平凡な何処にでもいそうな、しかし滅多にいない、毅然とした気品を持った女性である。
彼が若き時になくした妻の昇華した女性を、彼の作品で描いているように思える。
忘れていた人生の一番大事な原点を、静かに思い出してくれる優しさが、小説の中から滲み出ている。
人生の波をいくつか乗り越えてきて、つくづく自分の卑小さや、醜い姿を何度かみて自嘲を繰り返したすえに、
昔の汚れてなかった昔の自分に出会った感である。自分に厳しい日本人の原点がそこにある。苦悩のすえに掴んだ優しさがある。
 以前書いた藤沢周平の文章をコピーしておきます。
  (以下、字数の関係でカット2,008年05・08) 
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2003年05月08日(木)
764, 「カリスマへの階段」
いまマスコミで連日報道されている白装束の集団「パナウエーブ研究所」を見ていて、誰もが「何故真っ当な大人?が、
かくも幼稚な教祖様の御教えを信じてしまうのだろ?」と首をひねる。マインドコントロールというヤツで洗脳されてしまうのだ。
7~8年前に『オウム真理教』が騒がれていた時に、図書館でコリンウイルソンの「カリスマへの道」を借りてきて、
あまりの面白さに蔵書として買ったのを思い出して、また読み返した。何度読んでも面白いものは面白い。
9年前にスイスのカルト『太陽寺院』のメンバーの集団自殺がおき、その前後して麻原の『オウム教』の問題が出てきた。
彼らは決まって終末思想がある。そして、その信者だけが救われるという教えを繰り返し教え込んでしまう。
オウム教のそれは『世界の終末は1997年に起き、オウム真理教の信者のみが救われる』と説く。
 この白装束の主張は
・この5月15日に何処かの流星が地球に衝突する
・また共産ゲリラが彼らに電波で攻撃を仕掛けているという。
このような幼稚なカルトに何故ごく普通の人たちが、妄想にひた走る「メシア」様の命令を唯唯諾々と従うものか?
その原理を「カリスマへの道」では歴史を遡って書いている。
その中で一番面白く本質をついていると思われるところを以下に書き写した。
 ーーー
 西暦1666年の初頭、全欧州が人類の歴史上の最大イベントを待ち構えていた。ユダヤ民族を昔日の栄光に導くメシア登場である。 
この神の使者はサバタイ・ゼビという40歳のユダヤ人。今はスルミナに住んでいるが、やがてトルコのスルタン(皇帝)を打倒し、
龍に乗ってエルサレムに入城する手筈なっている。そしてその後は戦いで次々と敵を倒して世界の王になる予定。
ユダヤ人が『我々が今にあなた方の主人になる」と言うと、 キリスト教徒も心配を始めてた。・・・
 大都市の多くではこの期待は早くも混乱を生みつつあった。ユダヤ人社会が商売を止めて最後の審判の準備に入ったため、
まずは商業が機能停止になった。ハンブルグでは人々は家と土地を売り至福千年期に備えた。・・・・・・・・
だが年も押しつまる頃に信じがたい噂がながれ,歓喜は落胆に一変する。イスラムにサバタンが改宗したという。
サバタンが若いメフメト4世の前に引きずり出され「イスラム教に改宗するか、さもなくば生きたまま串刺し」と二者択一を迫られた。
これに応じたメシアのサバタイは直ちにユダヤ帽を地に投げ捨て唾を吐きかけ、白いターバンが頭に巻きつけられるに任せた。
そしてスルタンー皇帝はこの改宗を優雅に受け入れと新しい名前と門番の職を与えた・・・
ーーー 
 こういう新興宗教のメシア様の色いろな内容が次々と出てくるのだ。
神の名での教祖様のハーレムがつくられ、組織内での多くの殺人が繰りひらかれるのだ。
宗教ごっこならよいが、セックスと殺人が終末思想の元で日常になって自己破滅を始めていくのである。
オウムのようなことは、宗教の創立期にはどこでもつきものである。
理想社会は教祖様にとっての意識下の世界でしかない。95?の従順タイプの更なる他人志向を求めている人は、
その理想社会の空想社会の餌にごく簡単に飛びついてしまう。そして全財産を剥ぎ取られてしまう。
世界中がそれに満ちているといってよい。精神的に傷つき癒されたい人が、それだけ多いのだ。
自分で本を読みつづける中から癒されるのが、一番効果があるのに!! それしかないのに!?
 「カリスマへの階段」コリン ウィルソン (著)
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2002年05月08日(水)
400, 末っ子はつらいよー2
姉が見たら、なにをいっているか!と怒鳴られそうだ。「両親に、兄姉にみんなに可愛がられて!とんでもない」と。
確かにそれもそうだ。特に両親にとって、いつも傍において置きたいペットみたいなものであった。
死ぬ時もしかり、傍にいた。そして遺言も財産に関しても、一番有利に書いて亡くなっていた。
また両親が死ぬまで常にお手伝いがいる家だった。チヤホヤされてきたことも事実だ。 末っ子の特権を充分享受した。
それと孤独に強くなる。一人で何かいつも遊んでいた。長姉がいうに、いつも一人で三輪車で遊んでいたという。
今も殆ど同じ一人遊びが好きだ。ノイローゼになる人は一人遊びの出来ない人だ。ーできればノイローゼにはならないが。
花よ蝶とはいかないが、そういう立場にあったことは否定できない。幼児期・少年期は事業の立ち上げ時で、非常に刺激的な環境。
そういう意味で「三つ子の魂百までも」である。それぞれの性格はその時代の背景と、血液型と家族関係と両親の年齢などによって、
微妙に決まってくる。長男には長男の立場、末娘ならその立場で決まってくる。
すぐ上の兄は、私の影的存在で?少し大人しい性格。「積み木崩し」というあるタレント手記があった。
長女、次女の次に男が生まれると、その次女がひねてしまい非行に走るケースが多いという。
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2001年05月08日(火)
 BSTVについて
BSハイビジョンTVを入れて5ヶ月、その鮮明さに驚いている。8年前にハイビジョンTVを入れた当時その鮮明さに驚いたが、
今は一般放送が前のハイビジョンなみになり、今のBS放送は格段に良くなった。映画を見ると劇場にちかい感覚といってよい。
白黒TVとカラーTVが1000万台普及するのに10年かっかたがBSTVがそれを超えるのに4〜5年といわれている。
それとBS放送の局がそれぞれ特化しており、選びやすいのも良い。それとBSラジオもよい!それぞれのキーワードで
放送がなされている。音楽がまた素晴らしく、それにあわせて映像が流される。茶の間生活が一変した。
これにCSハイビジョンが流され、光ファイバー通じると今の情報量の1000?3000倍が家庭に流れてくるという。
それも4〜5年以内に。今からわくわくしている。