「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
  ー 境遇について
【人生においては、私たちは、それぞれの境遇のなかで、様々な経験をしながら、自己自身の人生の有意義性を目指して、
 日々努力を重ね、永い人生行路の過程を歩み進んでいる。そこに、自己自身の生きた時間的な軌跡が形成され、その人なりの
 自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。
 人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール(旅する人)」だと語られる。
 しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何であろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに
 籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・・・・・
  遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。格言に言われるように、可愛い子供には
 旅をさせねばならず、異境に出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、私たちの人格は、
 大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて
 見守らねばならない。こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、裏切ることのない、
 誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みのすべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、
 貴重な人間的経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる人間にとっての、最も崇高な、
 道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】
  〜
  神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型である。それは、自分の魂にとっても同じこと。
 異質なものとの出会い、そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に出て、他流試合に揉まれ、
 異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、
 人格は大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。
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3313, 対話について
2010年04月21日(水)
  「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留
 * 対話について
 プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。
以下は、そのエッセンスの部分である。 プラトンと、ソクラテスの立場を簡潔に分かりやすく述べている。
 ーまずは、その部分から (p28)
ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」として書いた。
ソクラテスプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと書くことのへだたりと「対」として現れる。
ここに、哲学成立の秘密がある。 対話とは、人と人との出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく営みである。
それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる
特定の生きた状況、時と場を離れてはありえない。 会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と言葉が吟味により明るみに出し
対話する人の生そのものである。 そして、人と状況は、その対話を通じて変化していく。 対話を交わした人のあり方は、
もはや以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を形作るものである。
そして、対話は、二度とくりかえさることはない。
 これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか起こりえない対話を書き物に結晶させた時、
それは時を越えて反復可能なものとなった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、それを読むことが対話を反復させる。 
私たちの心のなかには、思りという新たな対話が生み出される。 そうして書かれた対話篇において、対話は対話者たち、さらに、
著者プラトンの手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる著者と、それを再び時間において
くり返す対話者。対話篇を読む私とは、そのようなもうひとりの対話者なのである。 しかし、ソクラテズが従事する生きた対話と、
それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的なへだたりがある。このギャップは、「パイドロス」で、エジプトの神々の対話
という形をかりて語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のためのすぐれた発明であると自慢する
テウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに
すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。 書かれた言葉は、問いかけても何答えない。
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 対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。 学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を
読んでいたが、何を理解していたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。
 反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と一度限りの対話があった。
その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。 そして自分の壁を破壊してくれていた。
現在、ツイッターが爆発的に広まっているが、あれは会話?でしかないのか。
それとも、人によっては対話になりえるのか? ブログでは対話が成立していると思うが! 
 議論すること、それを書き留めること! その青さを持ち続けること!  チロリチロリだけでは、だめか?
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2938, イエスマン
2009年04月21日(火) 
 先々週にシネマに行ってきたが、そこで「イエスマン」という面白そうな映画予告をしていた。
そこでネットで調べてみた。 ーネットの紹介文には、
《 人生において常に「ノー」を連発してきた後ろ向きな男が、どんなときでも「イエス」と言うルールを自分に課した
ことから騒動が巻き起こるコメディー。・・・ ある人に「もっとイエスって言わなきゃ」と言われ、半年間、
“イエス”と答え続けた経験を回顧録にまとめベストセラーに。スパムメールの怪しい広告や平和運動への誘い、
週末シンガポール旅行、車のセールス、すべてに“イエス”。「もう1杯?」と聞かれなくなるまで飲み続けた。
ダニーはその日々を「とにかく楽しかった。楽しいパーティでも、つまらないパーティでもいい人に出会える確率は同じ。
パスしていたら始まらない」と振りかえる。誘われたり、勧められたり、頼まれたり、あるいは決断を迫られたり・・。
人生は毎日がYESかNOかの選択の連続。面倒なことや厄介なことはできれば回避したいし、まったく興味のないことや
絶対に無理なことにはNOと言うのが賢明な選択ーなのかもしれないけれど。でも、もし、それらのすべてにYESと
答えたとしたら?  その結果、全てが好転し始めたとき、思わぬどんでん返しが待っていた・・
全てに“YES”と言ったらどうなるのか、を実際に試してみたBBCラジオのディレクターの体験実話が原作の
イエスマン “YES”は人生のパスワード』。全米では08年12月に封切られ、初登場1位の大ヒットを記録した。
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 これを読んだだけでも、是非とも観たくなったが。数ヶ月もすればDVDが発売されるので楽しみにしている。
オバマが選挙キャンペーンに使った言葉、「イエス、ウィ、キャン」に通じるところがある。
「ノウマン」の本当に多いのに驚かされる。「ノウ、ウィ、キャンノット」である。
誰に頼まれて、ノウばかりいっているのだろうかと?  ○○が強度のノウマン。
必ず、秘境旅行の行き先を決定する時は「絶対に、そんなところは行かない!絶対に」から始る。
仕方がないので、一人で行くと手続きをとる瞬間に、しぶしぶ「仕方がないので行く」とのたまう。
何時ものことだが、不安が人生の枠をはめてしまう。強固に反対した旅先ほど、よい結果が待っている。

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2574, 我々は 井伏鱒二山椒魚?
2008年04月21日(月)
山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることが
できなかったのである。 ー『山椒魚』本文より?岩屋から出られなくなってしまった山椒魚が、孤独のあまり岩屋に
迷い込んだ蛙を閉じ込めてしまうという、井伏鱒二の「山椒魚」を読んだときの衝撃が、今でも鮮明に残っている。
学生時代に読んだ時の私の解釈は、「岩屋」を自分のつくった固定観念と、因縁に縛られてしまった現実(生活レベルの環境)
ということであった。岩屋に入った後に、自分の体が大きくなり、その入り口から出れなくなった悲哀である。
人生の縮図のようで、何か残酷にさえ思えたものだ。身近な壮年・老人の一生が山椒魚に重なって見えたのである。
家業に縛られた長男、長女の立場も岩屋にたとえることが出来るが、ただ誰もそのことにすら気づいてないのが、
悲しいといえば悲しい!しかし考えてみれば、全ての人が同じではないだろうか?
頭が大きくなりすぎて出れなくなったならよいが、腹?(中年太り、出来ちゃった婚の子供)が大きくなって出れなくなって
云々で一生、岩屋で過ごしてしまうのが人生だろう。といって山椒魚が大河や大海をすいすい泳ぐこともない。
所詮は岩屋から出たり入ったりをしているので、同じことかもしれないが。 その後人生を重ねて自分を振り返ると、
自分も同じである。これを読んで、ピンとこないのは鈍い?山椒魚の場合、岩屋に餌が紛れ込んでくるが、
最近は岩屋には餌が激減しているようだが。それでも最近は、インターネットという代物が出てきたため岩屋でもけっこう面白か!
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2007年04月21日(土)
2209, 反時代的毒虫 ー4
   U(^(ェ)^)U おはようございます!  ー読書日記ー
「反時代的毒虫」ー河野多恵子奥本大三郎との対談ー『人の悲しみと言葉の命』から
P-153
奥本:お金を恥ずかしがったり、汚がったりするのは、日本独特のことじゃありませんかね。
河野 やっぱり武家社会の影響だと思います。 武家社会はお米が給料でしょう。
奥野:武家の負け惜しみ。
河野:武家は、一種の俸給生活者。それでお米をお金に替えたりするわけだけど。お金というものに縁遠かった。
奥野:商人階級を特に分離して、それを卑しめる。しかも時代とともに苦しくなって、
   それに頭を下げなければならない悔しさ。 そこから不浄感が余計に出てきた。
P-156
車谷:「お金がないということが生きることの原動力になっている人と、それが無気力を呼び込んでしまっている人と、
   ふた通りありましたね。 前者はなりふりをかまわず、金さえあればっていう考えで生きている。そういう人たちの
   顔色は溌剌としていた。ニヒリズムというか、絶望感というか、そういうものをはっきり意識していた。」
車谷:「(無気力組のほう)つまり金がないということの行き着く先は、浮浪者というかホームレスという形になっていくと
   思いますね。比喩的な意味では、この世での居場所を失うということです。じゃあ気力がある人はどうなるかと言ったら、
   ドストエフスキーの『罪と罰』みたいに人を殺すんです。ラスコーリニコフみたいに人を殺すとか強盗に入るとか」
奥本:「気力はあるが、判断力がないんじゃない。」
車谷:「判断力のある人は、だいたい水商売に行くんです。なぜ水商売に行くかといったら、
   この日本社会では保証人になってくれる人がない限り、水商売以外では、暮らしていけないからです
   私も多分にもれずに、水商売を、9年もやった。水商売の場合は、タコ部屋というのが用意されていますから。
   そこでともかくねどまりをする。 だからそれは判断力のある人。
    (09年04月21日 字数制限のためにカット)
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解)お金に関しては、ここで多く書いてきたが、また小説の中での「金に関する扱い」もシビアで面白い。
 金と女(男)は、人間の煩悩の元である。車谷の「人の偉さは限りがあるけれど、人の愚かさは底なしの沼です。
 僕は人間の本質は相当にタチが悪いものだと思うんです。業が深いというか。 
 文学の原質は、世俗の中の下品な、血みどろの欲望の渦巻く、煩脳や迷いが流れ出るようなものだと思うんです。」
 という言葉が深く染みる。私自身も父親の影響を受けたため、金に関してシビアの方だ。
 父は「人間の金に対する建前と本音」の乖離を冷たくみていた。特にひ弱な教養人と自認している人間の、
 腰の弱さ、底の浅さ、うそと安っぽさを見抜ききっていた。 問題は、それを直視するかどうかである。
 世の中は、やはり8割は金で解決できるのだろうか? 「猫に小判」という言葉もある!   
 馬鹿に金を持たせても、ただ見ているだけのヤツ多いね、ホント!
   m(_ _)m       使い切るヤツよりいいか? どっち?
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2006年04月21日(金)
1844, ローマから日本が見えるー4       ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
 第二章 かくしてローマは誕生した。  
以下は、ウィキペデェア百科辞書から「ローマ誕生」について抜粋したものだ。
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ー建国伝承ー
 狼の乳を吸うロムルスとレムスの像ローマ建国までの伝説は、次のようになっている。
トロイア戦争で敗走したトロイ人の末裔(アエネイアスの息子アスカニウス)が、イタリア半島に住みついた。
この都市をアルバ・ロンガという。時代がくだり、王の息子アムリウスは兄ヌミトルから王位を簒奪する。
ヌミトルの男子は殺され、娘レア・シルウィアは処女が義務付けられたウェスタの巫女とされる。
ある日シルウィアが眠ったすきに、ローマ神マルスが降りてきて彼女と交わった。シルウィアは双子を産み落とすが、
怒った叔父の王は双子を川に流した。双子は狼に、その後羊飼いに育てられ、ロムルスとレムスと名づけられた。
成長し出生の秘密を知った兄弟は協力して大叔父を討ち、追放されていた祖父ヌミトル王の復位に協力する。
兄弟は自らが育った丘に戻り、新たな都市を築こうとする。
しかし兄弟の間でいさかいが起こり、レムスは殺される。この丘に築かれた都市がローマであった。
ー王政ローマの制度ー
 初代ロムルス王以来、多くの一族を抱える有力者は「貴族(パトリキ)」として終身の「元老院」を構成させ、
王の「助言機関」とした。人類の社会史上ローマにのみ見られる特徴として、他国から一族郎党を引き連れて
移民してきた者や、戦争で破った敵国の有力者も一族ごとローマに強制移住させ、代表者を元老院議員にすることで
味方に取り込み勢力基盤とした。これは、エトルリア人都市国家やアルバ・ロンガなどのラテン族都市国家に囲まれた小さな
「寒村」ほどの規模から出発した新生ローマでは、最大・喫緊の課題は「人口増加策」であり、人口が増えないことには、
自衛のための兵力すら維持できないからであった。さらに、奴隷や一時居住者以外のこれら自由市民は「ローマ市民」として
王の選出を含む国家最高議決機関である民会で投票する権利を与えられた。もっとも、この市民による王の選出は共和政期に
共和政の歴史を古くに求めるために作られた伝説とする説もある。ローマ建国の王であったロムルスも治世の途中で、
この民会の選挙で選出(この場合信任)され、改めて選挙で選ばれた王となった。 王の任期は終身。しかし原則として
世襲制はとらない。王の最大の責務はローマの防衛であり、そのため自由市民が「輪番」で兵役を勤める
ローマ軍全軍の指揮を担当した。(全軍とはいっても草創当時は2,000名程度であったと推測される)(。・・)_且~お茶どうぞ
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以上だが、面白いのはロムスルは王になっても権力を独占しようとしなかったことだ。
彼は国政を、王、元老院、市民集会の三本柱で支えるという制度を定めた。
 (2010年04月21日 字数制限のためにカット)
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 2005年04月21日(木)
1479, 『知りたいことがなんでもわかる 音楽の本』ー1
クラシック、ジャズからワールドミュージック、日本のポップスまで、幅広く網羅した、
音楽の基礎などが書いてある本である。ほぼ全てのジャンルの歴史が詳しく分りやすく書いてある。
入門書に留まらず歴史的な考察も入っている。一冊にこれだけ音楽の体系をまとめてあるのに感心した。
この一冊で、音楽の世界を鳥瞰したような気分になれる。「人生を肯定するもの、それが音楽」というが、
どん底の時に何度も音楽で救われたことがあった。むしろどん底の方が、音楽を受け入れることができるようだ。
音楽の奥底から感じ取られる作曲家の気持ちが通じやすくなるためだ。ボーズのステレオを買ったのをキッカケに、
音楽の世界に急に興味をおぼえ始めたに過ぎないが、先ず知りたいのが歴史と分野の体系であるから、
 (2010年04月21日 字数制限のためにカット)
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2004年04月21日(水)
1114, 「ライフ・レッスン」 ー5
 ー力のレッスンー
・ほんとうの力はその人の社会的な地位、銀行の高額の預金残高、華麗な肩書きなどから生まれるのではない。
 それは自己の内なる真正さ、つよさ、誠実さ、いさぎよさから生まれる。どんな人にも内奥には宇宙の力があるのだということに、
 わたしたちは気づいていない。一粒のタネがたくさんの花を咲かせ、毎日、太陽を大空をわたっていくのをみて、そこに力を感じ取る。
・感謝をする人は力のある人である。感謝が力を生み出すからだ。世にある豊かなものはなんであれ、いまあるものに感謝する気持ちに
 根ざしている。真の力、真の幸福、真の幸福は、感謝という高度の技術の中にみいだされるものだ。いま与えられているものに
 対する感謝、ものごとがそのようにあることへの感謝、自己が自己であることへの感謝、生まれてきたときに自分が
 この世界に持ち込んできたものへの感謝。 自己の唯一無二性への感謝。たとえいまから100万年経ったとしても 
 自分とまったく同じ人間は現れない。自分と同じように世界を眺め、同じように反応する人間はいない。
 感謝の種は尽きない。「感謝の筋肉」を鍛えたことがない限り感謝をすることはできないのだ。
 「もっと」というゲームをやめて「もう足りている」というゲームをはじめよう。
・人間は内部に大きな力を持っているが、その使い方には無知同然である。
 真の力は、真の自己を知り、世界のおける自己の立場を知ることより生まれる。
  ー感想
 力のレッスンに感謝ーありがとうーがあるとは思ってもみなかった。しかし考えてみれば、内奥の力は
 今あるものに対する感謝・気づきから出発することを考えれば至極当然のことである。
「感謝の筋肉を鍛える」という言葉も心にのこる。感謝は長年のトレーニングが必要ということだ。
 毎日「ありがとう」という言葉を繰りかえすのも、トレーニングで感謝の筋肉を鍛えあがていることになる。
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2003年04月21日(月)
 747, 散る桜残る桜も散る桜ー2
ー雨中の花見
 昨日、散歩がてらの悠久山の花見に行ってきた。毎年のこの時期の恒例の一人花見である。もう十年以上続いている。
他の場所はどうか解らないが、長岡は4~5年に1度があたり年である。季節の微妙なバランスが影響しているのだろう。
今年は例年並であったが、満開時期に雨が続いたという点で外れの年と言ってよいだろう。
 午後一番に悠久山に向かって出発したが、小雨がダンダン大粒の雨になり、丁度悠久山の参道に到着したと同時に
大雨になってしまった。いまさら帰るわけにもいかないし、とりあえず瓢箪池に行く。それでも、いろいろな団体が
テントの中で「やけ花見?」をしていた。雨が桜にとっての天敵ということが散歩をしていて解った。
それまでは大風と思っていたが、雨も桜の花を叩き落してしまう。最近の桜では6年位前に2~3年に大当たりが続いた。
その時に早朝、悠久山で写真を撮っていると、中年の男の人が話しかけてきた。「自分はこの近くに住んでいるが、
これだけの桜は初めてだ!」という。それだけすばらしい桜だったのを憶えている。
ここで桜を見ていると、子供の頃家族で夜きたことを思い出す。参道の両側に多くの屋台がならんで華やかな雰囲気であった。
もう50年も前のことだ 花見こそ一期一会である。吉野とか京都の名所のあたり年の桜は、魂を吸い取ってしまうのだろう。
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2002年04月21日(日)
 383,チンパンジー
TV のドキュメントや本などでチンパンジーの生態の研究が面白い。人間そのものである。まずはその社会、ボス争い。
彼らの社会は厳格な序列が決まっていて、常にその力関係の争いと緊迫が漂っている。特にボス争いが熾烈である。
また2番手3番手の力バランスが、人間の政争とそっくりである。鼻が詰まった時など鼻の穴に小枝を入れ、
くしゃみを誘発したりもする。蟻の穴に棒を入れ蟻を抜く行為もする。 ボスのいない隙に浮気をしたりもするし、
子供期の遊びと虐めも人間とほぼ同じ。嫁いびりや集団リンチなどもある。京都大学の霊長研究所の代々の名物教授が、
数十年にわたりその研究を続けている。その内容がいろいろ出版されている。またTVでそのドキュメントを数年に一度づつ
放映している。今アメリカの研究所で、チンパンジーの一番人間に近いボノボというチンパンジーの研究が進んでいる。
数回そのドキュメントを見た。 言葉の研究やゲームの姿を見ていると「人間との差は何処にあるのだろう?」
と考えさせられる事がある。日本でもアイコという雌チンパンジーとその子供の研究がすすんでいる。
今ではヒトを「第三のチンパンジー」と呼ぶべきという動物学者も出てきている。
人間は狂ったチンパンジーパンジー(猿)というが、言葉を持った猿の欲望の無限の拡大のなせる業か。