* クライストチャーチ
ニュージーランドはチョットした旅行やショートスティーには良いところだ。
オーストラリアの右下にある日本の北海道と九州が上下に並べたような島国である。
北より南の島の方が見るべきところがおおい。私には非常に良い印象が残っている。
今回の地震があったクライストチャーチは南の島のオーストラリアよりにあり、ロッキーのバンフに雰囲気が似ている。
この国は、こじんまりとした自然豊かだが、冬はかなりの寒さになる。近くにあるクインズタウンの小さな街並みがすばらしい。
クライストチャーチは観光地だが、最近は日本人学生の語学研修に人気がある。クイーンズタウンから6時間ほどにある氷河の
ミルフォードサンドが印象に残っている。山あり、氷河あり、港があり、高原ありで、日本人が好む国である。
一見、豊かそうだが、実際はそうでもなさそうだ。そういえば、現地人の姿は全くといってよいほ見かけなかった。
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ーニュージーランドのバンジージャンプー H7・05
四十三mの渓谷の吊橋より足首に一本のゴム紐をつけて飛びおりるゲーム。
まさに“身も氷るおもい”そのものであった。あの飛びこみ台は死刑台と同じ感覚ではないかとその瞬間思えた。
立って下を見た瞬間まさに金縛りそのもの。自分は何でこんな事をしてしまったのか。 まさか自分がここより飛びおりる?
…本当に恐怖のどん底とはあの瞬間であった。そういえば現地の日本人ガイドが私の申し込みに、四回も私の目をみて
念をおしたのも頷けた。また、その後にのったジェット・ボートの現地の運転手が、その事を聞き真面目な顔で“クレージー”。
(ニュージランド、クラフトチャーチ)
* ‘ありがとう’と‘ごめんなさい’
人間の精神活動の根本に、この二つの言葉がある。 これを使いこなせれば人間関係は、よりスムースにいくのだが。
それが意外とむずかしいのである。 子供に対する躾で、この二つの言葉を素直にいえるようにするのが、まず第一歩。
それと、‘おはようございます’‘こんにちは’‘おつかれさま’‘ごくろうさま’は社会人の初めに訓練される。
そういえば最近の若者に、この言葉が聞かれなくなっている。 今年の学卒の3割は、就職ができないが、
正社員とアルバイトの差が、この辺の一年間の訓練、躾が入っているかどうかの大きな分岐になる。
フリーター癖のついている人は、まず挨拶がまともに出来ない。 これは20歳前後までに訓練されないと
なかなか組織人として長年生きていくに難しくなる。 ありがとう、ごめんなさいは、互いの心を開かせる働きがある。
外国旅行では、サンキュー、ソーリーはイエス、ノーより頻繁に使う。互いに迷惑をかけないが、基本にあるからだ。
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3264, 哲学者は神について、どのように語ったか ー1
2010年03月03日(水)
神について「一神教と多神教について」以外はは書いたことは殆どなかった。 書けるほどの知識も宗教体験もない。
そんな恐ろしいことがかける訳がないし、結果として無知を曝け出すことになる。今さらだが。
それなら、哲学者が神について、どのように書いてきたかなら調べることが出来る。
もし、あと半年しか命がないとしたら、永遠の命の存在としての神について、真剣に考え救いを求めるだろう。
「あの世は、あるのだろうか」「生まれ変わりは」「この私の人生とは何だったのだろうか」
「神が存在するとしたら、自分は、その大元に帰っていくのだろうか」等等・・・・
古代のプラトン、中世のトマス・アクィナス、近代のカントなどの哲学者が、神について書いている。
* まずはプラトンのイデア界(本物の世界)の考えが面白い。
【 我々が生きる、今ここは、人が真に生きる世界ではない。 前世のイデア界の世界で、完全な美や真実を目にしている。
しかし、生まれてきた現世では、そのことを忘れていて、この「世」の美しいもの、真実、良いものをみると、それを思い出す。
このイデア界の憧れは、この世ならぬ完全なものへの憧れで、この世の中での有限なものの恐怖と表裏一体としている。】
* 次にローマ帝国期のAC3頃のプロティノスは、
【 プラトンの哲学の流れをくんで、プラトンのイデアと同じく、この世に根拠を与えているものを想定し、
それを一者(ト・ヘン)となずけた。それは絶対的な超越者であり、人間が把握することも、表現することも出来ない。
それは一者でさえなく、存在に先立ち、すべてを含む完全なものという。一者は完全なるがゆえに、力が満ち溢れ、
外に溢れ出る。世界は、一者からの流出物と位置づけている。この一者からヌース(精神)が生まれる。
これが一者の思惟の世界。これがプラトンのイデア界にあたる。そして、プシュケー(霊魂)が生まれる。
さらにこれが、ヌース(精神)からイデアを受け取り、物質と結びついて、我われが感じ取る感覚の世界をつくる。
これが世界をつくられる。流出のプロセスである 】【 一者は、流出を行っても完全性を損なわない。太陽の光が
どんなに照らしても、その力を失わないのと同じである。ただ、遠ざかると太陽のように光も熱も弱まるように、
そのレベルが低くなる。ヌース、プシュケ、物質の順に、一者から遠い存在になる。】
【 人間は、物質である肉体を持ち、そこに霊魂を持っている。その物質に逆行して、一者を目指すのが人間のあるべき姿である。
それは忘我の境地でなされ、そこで人は知性の光に満ち溢れる。一者のことをプロティノスは「神」ともいう。
忘我の境地になれば、人間は神と神秘的な合一が果たせる、という 】
ー 以上だが、プラトンにしろ、プロティウスにしろ、説得力がある。
プロティウスの論理と、そのイメージは、キッチリと頭に叩き込んでいた方がよい。 いざという時の
生から死へのイメージが沸いてくる。般若心教と同じような感覚として、安らかな気持ちになれる。考えぬかれたイメージである。
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2889,プーチンのリスト
2009年03月03日(火)
一昨日の三月一日のNKKスペシャルの「 揺れる大国 プーチンのロシア《プーチンのリストー強まる国家資本主義?》 」が、
今後の世界の方向を暗示する内容であった。アメリカもまたAIG、シティ、GMなどを政府管理下において建直しを図ろうとしている。
ーまずは、NHKのHPより、その番組説明をコピーしてみるー
オイルマネーの流入で、いちやく経済大国となったロシア。 去年秋の金融危機以降、プーチン首相のもとで進む経済対策、
支配の強化によって、財界はかつてない大混乱に陥っている。ロシア経済の繁栄を支えてきた外国資本が一気に去り、
頼りは国家が貯めこんだ資金だけとなった。ソ連邦崩壊後、市場経済化の中で急成長してきた新興財閥は巨額の負債を抱え、
国の支援を受ける代わりに国から送り込まれた監視役を受け入れざるを得ない状況に陥った。
プーチン首相は、国家が蓄えた巨額の資金を振り分ける企業を選別する「プーチンのリスト」の作成を指示。
財閥たちはリスト入りをかけて熾烈な争いを繰り広げ、そのことがプーチンによる財界支配を強化していく。
取材班は、リーマン・ショックの前から財閥に密着。激動の瞬間をカメラに収めながら、ロシアの内部で起きている知られざる
闘争と変貌を見せていく。この20年、社会主義から資本主義へと転換し、国の財産を我がものとした財閥が跋扈した時代から
再び国家の統制する時代へと舵を切ったロシア。そして今、「プーチン流の国家資本主義」ともいわれる
異質な大国へ姿を変えようとする様を、経済の最前線の取材から明らかにしていく。
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ロシアの富豪の昨年9月の金融恐慌の「前と後の段差」を時間の流れとともに追いながら、ロシア経済のバブルの膨らみきった画面と、
その後の生き残りの姿が生々しい。1000億の個人の資産を持つ大男が個人の所有するジェット機内で、世界を駆け巡っている姿と、
金融危機を境にプーチンの国家管理の会社に自らを売り込まなければならない凋落の姿が、現在のロシアを象徴している。
プーチンは財界支配を強化して国家資本主義をとって、この難局を乗り切ろうとしている。オバマが現在、チェンジと叫んでいる
行き先も「国家資本主義」ではないか?と思われる。異常の事態には国家管理を強化して戦時体制的で乗り切らないと、
他国に隙に乗じられるしかない。現在のアメリカが日本の預金・年金を狙っていることから見ても理解できること。
窮したロシアが北方四島を売るふりをして、何か引き出そうと画策を始めてもいる。
「日本は世界に先駆けて恐慌に入った」が、世界は踏みとどまれるかどうかの土壇場である。
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2525, 国家を斬る
2008年03月03日(月)
「 佐藤優 国家を斬る 」 佐藤 優 (著), 宮崎 学, ー読書日記ー
佐藤優のみならず、、イーホームズ・藤田東吾社長、そしてヤメ検の田中森一の本を読んで国家の腐敗、
特に官僚の腐敗の実態に、ただただ驚く。それが司法の検察まで及んでいるのだから救いがない。
元々、腐っているのが、露見しただけということも言えるが。
この本は著者自身の裁判経験を交えた公演とJR労組の活動や松崎氏への評価をJR労組主催の講演で語った内容をまとめたもの。
宮崎学との対談を中心に著者の思想、言論展開もあり、国策捜査や外務省官僚の生態などを織り交ぜながら国家論を綴っている。
思いもよらなかったことは、有償講演をしないとことだ。こういう捨て身だから、何でもいえるのである。
3桁の額の講演の誘いもあるが受け入れないのは、原稿を書かなくなってしまう恐れがあるから、という。
この本の構成の内容といえば
・反権力自由主義者としての佐藤優/宮崎学 ・「国策捜査」と時代の「けじめ」/佐藤優
・現代日本の官僚階級/佐藤優 ・対談:官僚階級の相貌/佐藤優・宮崎学からなっている。
ー宮崎学の次の言葉が印象的である。
「佐藤は、国家権力による「国策捜査」の犠牲になり、それに抵抗することで反権力の立場に立つようになった。
といっても、かつての左翼にありがちだった<権力=悪>という先験的な反権力ではない。佐藤は国家主義者で、
国家が社会を正しく秩序づけることを考えているのであって、<権力=悪>とはとらえない。
しかし、<正しい権力>と<悪い権力>とがあって、国家は<正しい権力>にならなければならない、という国家主義者でもない。
権力はつねに必要悪であって、悪い作用もするのだが、それも含めて必要なものだ、という立場なのだ」
ー著者の次の言葉も事実だろう。
「私が逮捕されたのは、私が鈴木宗男氏と親しかったからである。警察は私の逮捕を突破口に外務省と鈴木宗男氏を
結びつける事件を作りたかった」。そして、それならば、鈴木宗男はどういう政治家であったかについて、
「小泉政権成立後、日本は本格的な構造転換を遂げようとしています。内政的には、ケインズ型公平配分政策から
ハイエク型能力配分新自由主義の展開です。外交的には、ナショナリズムの強化。鈴木宗男氏は内政では地方の声を
自らの政治力をもって中央に反映させ、再分配をちゃんとする公平配分論者で、外交的にはアメリカ、ロシア、
中国との関係をバランスよく発展させるためには、日本人が排外主義的ナショナリズムに陥ることはかえって国益を
穀損すると考える国際協調主義的な日本の愛国者ともいえる。」
ーー
この本に影響されて、図書館から「国家の罠」「国家の自縛」を借りてきたが、
あらすじ読みをしてみて、とにかく辛らつで面白い。
それにしても、佐藤優のすごい能力には驚かされる。
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2007年03月03日(土)
2160, 今日は息子の結婚式! 、おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ
今日は花婿の父である。結婚式のその役割りの一つを演じるのも滅多にないこと。
その辺が面白そうだが! とにかく目出度いことである。 *⌒ヮ⌒*)ゞ
まずは、最後の来賓への挨拶のメモより
ー新郎の父親の挨拶ー m(_ _)m
新郎の父、堀井でございます。堀井家・高橋家、両家を代表し、お礼の挨拶をさせていただきます。
本日はお忙しい中、遠路はるばる 崇史、みな子両名の結婚披露宴に来ていただき誠にありがとうございます。
お忙しい中、ご出席いただきました皆様のおかげで、無事に結婚式を挙げることができましたことを、
心より感謝申し上げます。先ほどより、新郎新婦には、温かいお祝いの言葉、お褒めの言葉をいただき、
親としてましては大変ありがたく思っております。去年、崇史から結婚したいと話を聞いたとき、
子供だと思っていた息子が、やはり大人になっていたのだと感じた瞬間でございました。
嫁となるミナコさんを見て、私は人目で品性の良さと堅実な人柄を感じ、二人の結婚をすぐに快諾した所存でございます。
私自身は娘が欲しかったのですが、これでやっと「娘を持つ願い」が叶いました。「自分の家庭で平和を見出すものが、
もっとも幸福な人間である」といいますが、次男の崇史も、その点だけは大丈夫に育てたつもりです。
理想的な家庭人に必ずなることと思います。これから新しいスタートとなります二人に、どうか皆様のご指導、
ご鞭撻をお願い申し上げたいと思います。 本日は誠にありがとうございました。
−−−
自分の息子が家庭を持つというのも不思議で複雑な気持ちである。孫ができるち、何か自分が老けこんでしまう感じがするが・・
花婿の父の役割をただ目立たないように果たすことだ。 こういう役割、実をいうと好きである。
それも明治記念館なら、なお面白そうだ!会社の社員の結婚式の挨拶で、一度もトチッタことがない。
しかし自分の息子の場合は、どうなることか? 少しトチッタほうが場がもりあがるのだろうが・・やってみるか?
13時半過ぎに家族紹介、そして14時半に挙式。 (*'∇')/゚・:*【祝】*:・゚\('∇'*)
披露宴15時半、17時半?18時に終了。新幹線に19時半に乗車、21時半から長岡で二次会、23時半に帰宅!予定。
幸せな楽しい一日になりそうだ! さてと、明治神宮に向け出発の用意だ! ヽ(゜∀A)ゞ イケー!
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2006年03月03日(金)
1795, 心に効くクラシック?2
っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。) ー 読書日記
ー音楽がもたらす効用ー
音楽がもたらす効用は多大なものがある。まずは感情伝達の効果をあげることができる。
私も音楽で何度か人生の危機を救われたことがあった。最後は目をつぶり静かにしているしかない時、
何げなくかけた音楽が心の底で魂を包み込んでくれた経験を何度かしてきた。
気分が滅入ったとき、励ましてくれる凛々とした曲を聴いているといつの間にか気持ちが立ち直っていることがある。
(字数制限のためカット 2010年3月3日)
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2005年03月03日(木)
1430.危ない格言 5
・死後の世界は、もっぱら、まだ生きている人間専用にある。
ーmy感想ー
死んだ人間のためにも、必要なのに? 死後の世界を信じて死ぬのと、信じられないで死ぬのと、ドチラガよいかが、
その人の信仰の突き詰めた原点では? 信じたほうが気楽なのに。
・釈迦は、水の上を歩いて見せるような奇術を弄さなかった。インドにはその手の奇術を見せる輩が沢山いたので。
ーmy感想ー
存在していたかどうかさえ定かでないのに・・・まあ、やめておこう! 宗教は必要です。
・信仰が確固として成り立っているなら、信仰の対象は実在する必要がない。
信仰が人間の精神、関係、社会統制にもたらす効果は、その対象の実在がもたらす効果は、
その対象の実在がもたらし得るかもしれないそれを遥かに凌駕する。たとえ、その対象が全能の神であろうと。
ーmy感想ー
「信じるものは救われる」ということか。
・霊魂は不滅であってもかまわない。さて不滅を信じ、主張するものたちにとって不幸なことは、それが何であるかを、
彼等は全く説明できないということだ。 何だかわからないものは、勿論不滅であっても、なくてもかまわない。
ーmy感想ー
霊魂は言葉の中にもあるから、どう解釈してよいのか?
ーー
・神というのは、信じる者たちの敬虔さと信仰を欠く者への強烈な敵意と
憎悪による脅しが除かれてしまえば、むしろ滑稽な観念のつぎはぎ細工にしか見えない
ーmy感想ー
イスラム教徒を、遠くから見ると全くその通りである。キリストも、ユダヤも同じか?
アブラハムとかいう人の発明のXに対して、白・赤・土色が都合よく創りあげた宗教でしかないのに。
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2004年3月3日 1064,つれづれに
つれづれにー今日はお笑いの日
ージョーク・ユーモア事典ー
<合い鍵>
小さい女の子が生まれて初めて母親とお風呂に入った。そして母親の下半身を見てきいた。
ーあら、それってなに? ーこれはね、天国の入り口よ。
一週間後、娘は初めて父親とお風呂に入った。そして父親の下半身を指をさしてきいた。
ーパパ、これなに? ーこれは天国の鍵だよ。
ー天国のドアを開けられるのパパだけ? ーそうだよ、もちろん。
そうすると娘は不思議そうな顔をして、父親の耳元に口を寄せてささやいた。
ーパパ・・・上の階のおじさんは合い鍵を持っているようよ。
<7歳の坊や>
司祭館から出たとき司祭は小さな男の子がタバコをスパスパ吸っているのを目撃した。
ーおや坊や、タバコを吸うのはまだ早いよ。いくつだね? −7歳だよ。吸いはじめてもうだいぶんになる。
ーエッ、なんだって?いつから吸いはじめたの? ー童貞を失った日さ。
ーいつのこと? ーもう覚えてない。あの時はへべれけだったからな。
・・・・・・
2003年03月03日(月)
698, 「都都逸」の世界
・信州信濃のしん蕎麦よりも わたしゃあなたのそばがよい ・女房にいえない仏ができて 秋の彼岸のまわり道
・嫌なお方の親切よりも、好いたお方の無理が良い ・好きと嫌いとどれほど違う 命ただやるほど違う
若い頃に、このような都都逸を知りよく口ずさんでいた。今でも「その味わいに感激した」のが印象に残っている。
7~8年前まで、いまは亡くなったが、近くの不動産の社長と古町の料理屋で、芸者を上げて彼が都都逸を歌っていた。
なんともいえない雰囲気と味があった。十数年通ったか?インターネットで調べてみたらもっと味がある都都逸がでてきた。
何ともいえない味がする。そろそろ小唄か都都逸を年増のお師匠さんのところに習いにいく歳になってきたのか?
芸者でも上げて座敷で歌ったらおつなものだろう。都々逸は「七七七五」の二十六字詩。 起源は、寛政十二年(1800)
名古屋の宿場遊里・東海道宮の宿のお仲という熟女が唄い始め、三十余年経て東漸したというのが定説である。
名古屋市熱田区伝馬町裁断橋のそばに「都々逸発祥之地の石碑がある。
その囃し詞 から、どどいつ節といわれる様になったという。
・お酒飲む人しんから可愛い 飲んでくだまきゃなお可愛い
・淋しがりや一本提げて 淋しがりやに逢いにくる
・私にはしらふで言わせてそのくせずるい あなたはお酒に言わせてる
・可愛い女の寝顔にただの 水がしみじみうまい夜
・弱虫がたった一言ちいちゃな声で 捨てちゃいやよいった晩
・9分と9分と互いに許した心と口に はっきりいえないあと一分
・朝から嬉しく立つ茶柱に 逢える布団を陽にあてる
・酒の相手に遊びの相手 苦労しとげて茶の相手
・赤い顔してお酒を飲んで 今朝の勘定で青くなる
・諦めましたよ どう諦めた 諦めきれぬと諦めた(伝:都々逸坊扇歌作)
・あついあついと言われた仲も 三月せぬ間にあきがくる
・色はよけれど深山の紅葉 あきという字が気にかかる
・色が黒うて惚れ手がなけりゃ 山のカラスは後家ばかり
(以下字数の関係でカット09年03月03日)
http://www.ne.jp/asahi/rokusekitei/kamigata/doditu.html
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2002年03月03日(日)
348,否定の否定の落とし穴
「マイナス言葉+ない」という言葉のトリック。「苦しくない」「悲しくない」・・・
これは意外な落とし穴がある。否定語を否定するとプラスにみえるが、それが常態になると、否定語が勝ってしまう。
私の嫌いな「子狐」を例にとる。否定を否定しているが、そのうち子狐が勝ってしまうのである。
悪貨は良貨を駆逐するのは真実だ。悪貨から離れるしかない。従ってどうしたらいいか。父が教えた
「近所の人と親しくなるな!」である。これ以上書くと差し障りがあるから、書いてはいけないが。
近所は否定語の最たるものだ?ー意味深長! 空間は早々変えることができない、真空にしておくべきだ。
一年に一度ぐらいが最高レベルの付き合い限度と、ある本に書いてあった。言葉は難しい、そのトリックに知らないうちに
落ちてしまうからだ。人間関係も然りだ。「いやよいやよも好きのうち」の最たるものだ。嫌いなら離れるべきだ。
人間にもプラスとマイナス要素をがある。プラス要素の多い人となるべく付き合うべきだ。マイナス要素(多い)の人は
長期的に付き合っていると、必ずマイナスの毒を飲まされる。今更いうことがないが。よどんでいる所、人にはガスが溜まる。
マイナスの要素の否定は、その否定よりマイナスが勝ってしまう。更に否定そのものが、マイナスの加勢する。