大相撲が野球賭博で再び大問題を引き起こした。 不祥事が年中行事になっている。野球賭博覚醒剤とか、
一般の世界では有りえない事件が続くと、芸能ごとの別世界と思わざるをえない。大相撲は元もと神事の余興で、
神社で力自慢が祭りに競ったのが始まり。そこには当然、ヤクザまがいの連中が多かった。
地方巡業の興行というと、ヤクザが絡んでくるのは今さらのことである。 どうも、親方、理事の顔を見ていると、
彼等も何かやっていたのでは?と、思うのは私だけではないだろう。 野球賭博は40年ほど前から暴力団が始めたといわれ、
彼らの大きな資金源になっている。 新聞によると琴光喜は5年前から始めて、3千万ほどの借財があり、最近に勝った
5百万の金を返済に向けようと取り立てようとして、逆に350万を脅し取られた。更に一億を要求されたというが。
その交渉の席に親方二人が同席をしていたという。 自分から名乗り出た者は厳重注意だけで済ますという呼びかけに、
29人が野球賭博をしていたと名乗り出た。そこに親方衆まで入っていたが、元横綱の親方や理事などに
名乗り出れない立場の人もいるはず。 新聞によると「戦前の名横綱と、ある著名な親分が義兄弟の契りを結んでいた」とか。
直ぐに、誰でも分かる人といえば・・? 大鵬横綱土俵入りの化粧まわしに、○○組の?のマークがあった映像を放映していた。
今回、執拗に脅しをかけた連中は警察だけでなく、ヤクザ世界の方からも、ただでは済まされない失態。
刑務所にでも入っていたほうが身の安全だろう。 国技とかいう特権を剥奪すべき時期にきたとみるべきである。
 大相撲がつづく限り、こういう問題は付いてまわる。 これから角界を去った元力士からの実態の暴露もでるだろうし・・・
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3000、3000回か〜
2009年06月22日(月)
この随想日記が3000回になった。1000回、2000回の時ほどの感慨がない。
書き続けることに慣れてきたのだろう。 誰に頼まれたわけじゃなし、ただ習慣だから続けているだけ。
確かに、続けているとプラスにはなる。 考えざるを得ないからである。 それと、常に何か書くことがないか
注意を周囲に向けるようになった。 その現場で、キーワード探しと、その組み合わせをするようになっている。
書くことを職業にしている人は、考えることを職にしていることになるが、紺屋の白袴で・・・・?
ところで、千回、二千回の時に何を書いていたか、調べてみた。 なるほど、今回も同じような気持ちである。
ふと、気づいたが、自分とは時間の経過と同時に広がっているということ。それと心の底の変わらない‘X’が魂ということになる。
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2006/09/24  
2000, 継父
                  (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ?          
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメを
することがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。
マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。亡くなって一月後になって「人様はなんて楽な日常を
過ごしているのだろう!」と、驚いてしまった。両親の一生をみると人生の深さを思い知る。戦争は全ての国民に
深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・・
ところで母の命日なので供養として、母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。この話を故人になったが教育学者の森信三さんが
間接的に聞いて、「自分の主催している会で話して欲しい」依頼があったが、断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、
それを多くのセレブの前で話すには自分が出来てなかった。その時、是非話しておけばと悔いが残っている。
母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。(奇しくも昨日 TVのWOWOWで「世界で不幸な物語」
という映画を観た。3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)家が商売をしていたので
残った母の母ー祖母は男後家をもらうしかなった。そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。そこで何が起こるだろうか?
この設定は、言わずもがなの結果になる。義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。3人の末であった母に、
特に虐めがいったという。それが母のトラウマになってしまった。                     ーつづく
                      さて墓参りだ!
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1000, \(~o~)/千日の随想日記!
 2003年12月30日(火)
 1昨年の5月2日から今日の12月30日までは973日である。更に旅行をしていて休んだ一回分の日を加えると
約35〜40が合わない。調べてみると206ー222とか250,251辺りとか何箇所かがぬけている。
しかし小説風の「宗親日記」が大体その位の数を書いているので、合わせて一千回の到着日とすることにした。
あくまで自分ひとりの記念でしかない。
 子孫への永久保存版としてー「子供や孫に見せるように」と、また「遺言」のつもりで書いてきた
(書き始めて一年位経ってからだが)だから続いたのだろう。自分の父親や、祖父がこのような文章を残していたら、
実際のところ面白いだろう。いま考えてみると、私にとって随想日記を書き始めた日を境に自分が
間違いなく変った。一日一日が本当に充実したのだ。
会社のネットを含めると50人位の人に毎日読まれていると思うと誰かに見守られているような感覚になる。
作家などの物書きが必死になって書くのも解るような気がする。いずれにしても50年以上は残らないのだろう。
いや死んだと同時に消滅してしまうか。そうすると生前葬の遺言みたい、いや墓みたいなものだ。
 ところで実感としていうと一番勉強になり良いのが、自分であることだ。
・テーマ探しに46時中頭が1杯   ・そして構成に苦労して
・書き上げた後に、何回か書き直し  ・誤字と矛盾をさがす
このプロセスで内容を練り上げることが、思考を練ることになるからだ。といってこの程度の内容であるが。
 スッと書ける日はよいが、全く書けない日がある。それでも何とか書くからよいのだ。書きつづけていると、
自分自身が変っていくのが良く解る。書くということは、考えるということであり、考えを纏めることになる。
書き続けることは、書き重ねることになる。深層の自分は、ユングではないが万人にあい通じる部分が出てくる。
その共通面と、違う面を自分で見つめることが可能となる。少し難しくなってきたが。