「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ー3
 
 * 偏差値導入が日本人を劇的に変えた
 大前健一は、改憲論者であると同時に新自由主義者である。また「安保闘争以降の偏差値による選別教育が日本人の愚民を
押しすすめる結果になった」と主張。 偏差値による選別教育の年代とは 現在の40歳代前半から20歳後半である。
ーまずは、その部分を抜粋してみるー
 日本で、詰め込み教育、受験一辺倒教育、偏差値による選別教育が始ったのは1960年代後半の安保・大学紛争以後である。
今から考えると、あそこが分岐点であった。 あの紛争で、政府は、過激な学生運動に非常に強い危機感を持った。
ここで、国民教育を民化政策に転換した。その象徴が「偏差値教育」である。・・・・
 本来、人間の能力は自分で判断すべきである。自分のやりたいことは、その判断に基づいて自分で決めること。
ところが、日本の子供たちは、自分の能力の判断をする大切な時期を偏差値に支配された世界で過ごすため、
自分で自分を判断する力をなくし、やりたいことも自分ではなく、偏差値で決めることになってしまったのである。
こうなると本人も偏差値による数字を先生に言われることで‘予定調和’して、「自分はこの程度」と簡単に思ってしまう。
学校や塾で「この数値では、この学校は無理だ]と、繰り返し言われれば、目標を上にあげることなぞ無理になる。 
これが、偏差値教育の持つ最大の弊害である。
 これは工業化社会の確立を目指す政府には非常に都合のよい政策である。それぞれが、能力に見合った位置で仲良く
協力しあってやっていくことが必要とされるからだ。 こういう飼いならされたロボット人間が、大量に必要なのが、
工業化社会であって、そのために、偏差値による選別有効に働いた。これは、個人個人から意欲というもの、
アンビションを奪ってしまったのである。現在の40代前後の偏差値世代の人たちは、非常に従順なのが多い。
彼らは共通の思い込み「偏差値が高い=頭がよい」と子供の頃から植えつけられていて、そこから抜け出さないのである。
クラスメート、同級生といった狭い範囲で考えてみると、自分たちより数値の高い人が、マスコミに行ったり、
役所に行っているのを見て、彼らは偏差値が高いから頭がよい。だから、彼らの言うことは正しいと、勝手に思い込んでいる。
 〜〜
 この年代が社会の中心になってきたのが、この日本の不況の隠れた真実である。 この年代の人たちと、この十年来、
ツアーなどで一緒になる機会が多かったが、前頭葉がゼロというほど思いざるを得ないと感じていた。 
勝手に自分たちの階級を決め付け、それ以外には一切を無視をする。 無視なら、まだマシだが、否定をしてくる。
 次回になるが、その後の年代を大前は、「少年ジャンプ世代」、「ゲームキッズ世代」と分けているが、それは次回。

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2952,スリルな瀬戸際だった日々 ―2
 2009年05月05日(火)
前回の凍りついた二日間で思い出したことがある。 《まずは、以前書いた文章を御覧あれ!》
 ーH0905 魂が万代橋の上を彷った話 ー
第2新館の役所の検査の直前の話である。担当の設計士が顔をひきつらせ青い顔をして言うには“今回の検査はパスしない!...”
一瞬耳を疑ったが、次の瞬間頭の中は真っ白、地獄の底へつきおとされた思いであった。
“それが本当であれば、あの建物は単なるゴミの山、そして私は?、会社は?...‘パニック状態’である。 
それも夕方の飲み会の直前である。まあ明日の話として、頭も冷やすという事も含めて、そして焼け酒という事で浴びるほど飲んだ。
そして、その夜は満室という事で事務所の長椅子に仮眠した。恐らく長椅子が不安定という事と、頭がパニック状態という事と
酔いを含めて妙な夢になった。魂が身体より抜け出し、さっきまで飲んでいた古町より万代橋までを、目線が5mの高さでプカプカ
浮遊しているのである。“ああ自分は浮いている。 それも魂が”という感覚であった。 
そして目が覚めて!「魂が浮いていたのはたしか夢か!でもあの話は本当である!
それも夢であってほしい!」と念じた事を今でもはっきり覚えている。(2001/07/04 )
 ――
 これも担当設計士の思い違いだったが、この時の恐怖は・・・ 魂が身体から抜け出し浮遊するのも当然であり、
夢とは言えない現実味のある経験であった。 もっと凄い経験を、それまでも経験をしたが・・・・。 
その都度、必死になっていたので、危ない場面も危ないと思わなかっただけ。これは「役所の手続き上の問題の一つの範疇」
として書いただけ。 自分で事業を起こし、続けることは一見面白そうだが、極めて危険に晒されることになる。
人は忘れるから生きていけるのだろうが! 20歳の時に、父親のような生き方=起業を思い立ったのだから、
危険は当然のことである。それでも準備に準備を重ねて万全を確認?をしても、振り返ってみると冷や汗ものである。 
生きていれば誰もが際どい経験しているのだろうが!
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2588, 閑話小題
 2008年05月05日(月)
 *パペット
パペットとは、手や指を入れて遊ぶことができるぬいぐるみのことをいう。
他には影の人物や国に操られる人間や国を指す。日本などは、ある意味でアメリカのパペットとである。
以前に「新潟県を活性化する会」を何度かやらされたことがあった。いい様に操られる猿回しのエテと気づいて、
さっさと役割を降りたが・・。3?4回まで!と始める前に約束をしたが、それを了解をしておいても、
「縛り付けをして役割から抜けられなくなるのが世の常」チャンと、そういう役割の英語「パペット」という
専門単語があったのである。それが仕事ならパペットとして納得するが。
地元のために発展を考える中小企業の社長という役の振り付けで、ボランティアだとか。
それを知っていて巧妙に役割に収めようというのも、その人の仕事なのだろうが、私は何の価値もない。
乗りかかる私も甘いが、いや三回ぐらいなら面白いと割り切っていたから、甘くはないか?
それ以上は絶対にやらないこと位見抜けなかったのか? いや、見抜けないか?
パーペットのサル。 そういえば、周りに多い。パーのペットということだ。地方大名に多いが。 
実際には利権が絡んでいるのだろうが。ということは、私に利権が無かったということだ。
無いから出来ることもある。 政治がらみのことはお断りであるが、普段は垣間見ることの出来ない面白い
世界の一端が何とも愉快であった。でも東京駅からの直接の日本海乗り入れの新幹線、造っておくべきだったことは
間違いないことである。  歴代の政治家の怠慢である。そして現在の政治家も。
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*HP開設、まる7年!
昨日で、このHPが開設して、まる7年になる。これを作った直後から「ブログ」なるものがアメリカ発で、
ブームになった。個人用HPで、キーワードで互いにネット上でリンクするもの。
5年もしないうちに世界中の数千万、いや数億?のブログが出来上がってしまった。
これに「Web2.0」という情報公開の流れが出来て、あらゆる情報がキーワードで
簡単に得ることが出来るようになった。そして、これが世界を根底から変え始めた。
ウェブの世界は、時間とエネルギーをかけることしかない。それと奥行きが深い。
「自分をグーグル化せよ」といっても、そのグールの世界は私のレベルから見たら魔界といってよいほど、
深く迷路のように感じるのである。 実際に情報革命の先に何が起きているかも訳が解らないほどである。
IT格差という言葉を目にするが、間違いなく情報量の質と量が、圧倒的に変わった。
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2007年05月05日(土)
2223, HP開設、6周年
          [○´・ω・]ノオハヨウ!
毎年のように、開設記念日に感想を書いていた。今年も二日遅れになるが書くことにした。
実のところ、全エネルギーを入れて書き続ていて複雑な気持ちがある。ネタ(テーマ)を選ぶだけで神経を
集中せざるを得ない。それと、ネタ切れになるので、何処かからネタを探してこなけかればならない。
しかし良寛の発句「焚くほどは風が持てくる落葉かな」の、落ち葉と同じように何時の間にか湧いてくる。
その感覚とスリルを楽しまないと続かない。考えつく全てを吐き出して何も書くことが無くなれば、
その境界の外に出ざるをえない。それが、この随想日記を書き続ける一番のプラスニなる。
書くために読む、書くために考える、書くために本を買う、そして借りる、そしてウソも吐き出す。 
それが限界という塀の上にいるから見えてくる。 こういう日常を六年間続けていると、
他人の脳が合せ鏡で見える瞬間がある。「考えること」を殆んどしていない?と・・・
自分が経験したこと、そして知りえたことの範囲が、そのままバカの壁になっている。
書くという行為は、そのバカの壁を自覚させてくれ、脳の底ー本質を刺激する。
書くということは、考えるということである。誰もが考えるだろうし、書いているだろうが、
更に書き続けることがー考え続けることが如何に大事かということが6年間の経験上、身に沁みて解った!
業際(ごうさい)いや限界を、それぞれの人生経験と知識で乗り越えるかが、バカの壁を乗り越えるポイントになる。
この程度で思っているのだから、何をか言わんかだ。そろそろ、ブログに移行過程に入る時が来たようだが・・・
ブログというロングテールがドンドン大きくなっているが、それが、世の中の根底を更に変えている。
ブログがどう進化するかが、見ものである! ビデオか?ライブ映像か?はたまた、映像チャットか?
                          byebyeヽ(o・ω・o)ノ
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2006年05月05日(金)
1858, ローマから日本が見える?10
                      ォ'`ョ━━(。・∀・)ノ゙━━ゥ★
この本を読んでいると史実を読んでいるというより、壮大な歴史小説を読んでいるようだ。
一人一人がそれぞれの立場をわきまえて役割をこなしている。当然、ローマに敵対する英雄もいる。
カルタゴの英雄ハンニバルである。まずは第5章のハンニバルの挑戦 の概略を抜粋する。
 ー第5章 ハンニバルの挑戦 ー1
ポエニ戦争や、ハンニバルを書いていたら中途半端では終えることができない。
当時のローマ(BC264年頃)のローマは地中海では新興国もよいところ。
ようやくイタリア半島を統一したまではよいが、もとが農牧民族のため航海術さえ、ろくに知らなかった。
ましてや海を渡ってカルタゴを征服など夢にも考えたことがない。そのような時代にポエニ戦争が始まった。
当時の地中海ではカルタゴは圧倒的な力があり、経済力の差は全く違っていた。
それでは何故大国カルタゴと新興のローマはポエニ戦争を戦うことになったのか?
イタリア半島の先にある、シチリア島であった。その半分の支配下にあったカルタゴが、
残りの半分を支配下に置こうとしたことが、きっかけになった。
もし、全島を支配下カルタゴが置けば、ローマの防衛体制が瓦解する可能性があった。
{著者の塩野のいうとおり、ポエニ戦争を軽く書き飛ばすことなど不可能なので、
 なぜカルタゴハンニバルが強かったのかを書いてある部分を抜粋してみる}
  (字数の関係でカット2,008年0505)
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2005年05月05日(木)
1493, いま・現在についてー1
 「人生の贈り物」ー読書日記
「ゾクゾクするような生き方ができないのはなぜだろう。」「一日一日が何かが足りない。」「なんだか面白くない。」
多くの人が、そう思っているようだ。そのような人に、大きな「ヒント」をあたえてくれる本である。
 ー大筋を書いてみるとー
少年がいました。ある日、老人から不思議なプレゼントの事を聞きました。
「かけがえのないプレゼントだよ」「それは、贈り物なんだ」と老人はおだやかに言いました。
少年は若者となりかけがえのない贈り物を捜しつづけて、かけがえのないプレゼントとは、
プレゼント=現在のことだとわかったのです。過去でもなく、未来でもなく、かけがえのない現在ということです。
現在の瞬間というのは、常にかけがえのないものです。
それがまったく完全なものだからではありません。完全に思えないことの方が多いくらいです。
現在がかけがえのないのは、その時点では、それがすべてだからです。あるのままの状態が。
現在とは、ありのままということで、それがかけがいのないことなのだ。
なぜそうなのかわからなくても。現在は、そうなるべくしてなったものなのだ。
その現在を知り、現在を受け入れ、現在を生きるなら、満ち足りて、幸せになれる。
苦しみとは、ありのままのことと、望むことがくいちがっているということだ。
思いどおりにいかなかった過去を悔やみどうなるかわからない未来を おもいわずらうのは、
現在を生きてないということだ。 それは、みじめで、不幸なことだ。
過去もその時は現在であった。そして、未来も現在になる。現在の瞬間こそが、経験できる唯一の現実なのだ。
現在にとどまっているかぎり、永遠に幸せでいられる。永遠も、常に現在なのだから。
私がさがしていた、かけがえのないプレゼントとは、ただ、いま現在あるがままの自分のことだ。
それはかけがえのないものだ。かけがえのないプレゼントは、自分から、自分に与える、かけがえのない贈り物なのだ。
自分というのはかけがえのないものだから。自分こそ、かけがえのないプレゼントなんだ。
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以上が、大筋で結論である。この本は70ページ足らずのシンプルの内容だが、一番大切な「いま・現在」の大切さを述べている。
「いま・現在」こそ、永遠である。「いま」までの「いま」の積み重なりが自分である。その「いま」というプレゼントを、
その時その時に大切にしなくては、「自分というかけがえのない人」に申しわけが立たない。たまたま同時に借りてきた 
「どうせ死んでしまう」という哲学書に「いま現在」について解りやすく書いてあった。
近々に、中島義道の、この本の読書日記を書いてみる。
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2004年05月05日(水)
 1128, 「ライフ・レッスン」ー10
ー忍耐のレッスン
「耐えることは信じることー信仰をもつことーに似ている」という著者キュープラ・ロスの言葉がよい。
耐えることによって、その信仰は深く強く根を地中深く入っていく。『石の上にも三年』も、
耐えることの重要性をいっている。耐えることによって、はじめてレッスンにまで高めることができる。
『耐えがたきを耐える』のが忍耐になる、いずれは、うまくはいくのだからという信念をもって。
忍耐にも、じっとしているべき時にじっとしている忍耐と、積極的に立ち向かいながら耐える忍耐がある。
また絶望に中で、その絶望を受けいれる忍耐がある。それぞれの忍耐を経験するのも人生では必要なことだ。
 ー以下は抜粋である
・忍耐の要諦は、すべてはいずれはうまくいくものだと悟るところにある。
宇宙の計画を信じる力を養うことだといってもよい。でも、その悟りはすぐに忘れられる。
だからこそ自分が思うとおりのタイミングで進行させるべく、状況をコントロールしようとする人が多いのだ。
・忍耐はある意味で、筋肉のようなものである。普段からつかってないと、いざという時に役に立たないものだ。
日常の生活の中でささやかな忍耐の筋肉を使ってなくては。・「結果でなくてプロセスを大事にすること、
自分の感情とつきあうこと、起こっている事態が送ってくるメッセージに耳を傾けることを学んだみたい。
宇宙の力と自分自身の力を信じることもね。自分の中にこんなにつよい力があり、必要なときにそれを使うことが
できるなんて、考えてもなかったもの。何を変え、何を受け入れるかも学ぶことができたみたい。」
・人生は経験の連続だ。たとえそのときの自分がわからなくても、すべての経験には理由がある。
何らかのメッセージがある。だが、いらいらして「これはまずいぞ!この事態を変えなくては!」
と思っているうちは、そこからレッスンを学ぶことはできない。現におこっている事態を否定したり、
泣言をいったり、変えようとしたりするのでなく、黙然とそれを経験すればよい。
・時間は楽しむためにあるって思えるようになったんだ。そう考えれば、楽しいことはいくらでもある。
この世界には力がある。みえなくても、気づかなくても、すべてのものごとは善の方向に向かっている
ことを信じてほしい。それが信仰というものである。耐えることは信仰を持つことと同じことなのだ。
いかなる状況、いかなるときにあっても、宇宙があなたの人生にもたらすものは、あなたがそうなることに
なっているような人になるために必要な経験である。 真実の鍵は信じること・・・耐えることにある。
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  【-忍耐について-】
・忍耐は仕事を支えるところの、一種の資本である。 ?エドマンド・バーク
・天才とは強烈な忍耐者である。          ?トルストイ
・艱難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ず。  ?「新約聖書-ロマ書5章」
・忍耐??肉体的な小心と道徳的勇気の混じり合い。  ーハーディー
堅忍という美徳は、しばしば頑固と混同される。   ーコッツェブー
・君の心の庭に忍耐を植えよ、その草は苦くともその実は甘い。?オースティン
・我々は現在だけを耐え忍べばよい。過去にも未来にも苦しむ必要はない。
 過去はもう存在しないし、未来はまだ存在していないのだから。 ?アラン
・重要な事はなにを耐え忍んだかという事ではなく、いかに耐え忍んだかという事だ。 ?セネカ
・世の中の事はなんでも我慢できるが、幸福な日の連続だけは我慢できない。   ーゲーテ
・忍耐??それによって凡人が不名誉な成功を収めるくだらない美徳。     ?A・ビアス
・大いなる精神は静かに忍耐する。           ーシラー
・現在我々は悪い時期を通過している。 事態は良くなるまでに、恐らく現在より悪くなるだろう。
 しかし我々が忍耐し、我慢しさえすば、やがて良くなる事を私は決して疑わない。 ?チャーチル
・立派にやり遂げたことに対する最大の報酬は、それをやり遂げたことそのものにある。 ?ボルテール
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2003年05月05日(月)
 761, 歌は過去に向かって歌うもの
「歌は過去に向かって歌うもの !」先日Tvで歌手の「さだまさし」が何気なくトークでいった言葉だ。
なるほど言いえて妙である。すべての歌は思い出のメロデーになるのか?心を込めて歌うとは、その過去にタイムスリップ
をして歌うことである。それは過去の喜怒哀楽に対して歌うということだ。それぞれの歌にはその時代の背景と、
それぞれ人の人生がある。また情念を瞬間冷凍をする。その意味でいろいろな歌を振り返ってみると、
過去が地の底から浮き上がってくる。特に幼児の頃に聞いた童謡や流行歌は魂の故郷といってもよい。
その時の光景を思い出して歌ってみると、その時の記憶がどんどん湧き上がってくる。
美空ひばりは歌っているときは、過去のその時の世界に入りきっている!また、青春時代の失恋など、
それぞれ生きてきた時代ごとにの歌があった。人生のバックグランドミュージックといってよい。
笑いと歌には、心というよりもっと深い魂の世界で、行蔵のラベルでもある。それでは「こんにちは赤ちゃん」は
過去に向かって歌うのか?というが、むしろ母親が、あとの思い出としての歌うのほうが、心いや魂の歌になる。
私が生まれたのは第二次世界大戦終戦直後である。ラジオで復員兵の名前や尋ね人のコーナーがあった。
それと同時に、「異国の丘」とか、「上海帰りのリル」「みかんの花」が流れていた。
幼児期の記憶は希薄だが、歌だけは記憶にしっかり残っている。青春期はポップスの黄金の昭和40年代であった。
いま聞いても本当によい歌が多い。高度成長期の時代背景があったためである。
60歳までは過去を振り返らないことにしているが、もう数年で、その歳になる。
カラオケに手を出して失敗した時の歌や、NTTの株で失敗した時に涙をして憶えた歌など「一曲数千万円」もした歌がある!
たくもう、高くついた!話は少し変わるが、歌の先生をしていた一番上の姉の正子さんが、
ある時「人間は歌うとき、自分の肉体は楽器なのよ!」と何気なく言った事を思い出した。
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2002年05月05日(日)
 397, たとえ話ー人間の姿を犬に例えるとシビアなわけ?
以前も書いたが、たとえ話はより深い真実をあらわす。犬のたとえがシビアである。
犬は狼を数千年かけて、人間の都合のよいように作り上げた動物である。(人間に絶対服従の性格に)
社会もしかり、権力者が自分に都合のよいように作り上げた制約社会である。イスラム教のアラーの神はその発明の典型
といってよい。砂漠の中で規範が必要であった、それだけだ。宗教は一番権力者に利用される。
キリスト教は未開発国に放たれた尖兵ー細菌であった。論語もしかり孔子が権力者に自分を売り込むための教えである。
鼻声で唱和するのも、歳をとってからならよいだろう。人間は従属しか出来ない哀れな猿でしかない。
人間の95?は従属を望んでいるという。したがって狼を犬に創りあげた人間を、逆に犬に例えるとより本質的になる。
「番犬、野良犬、捨て犬、雑種、負け犬、闘犬、噛まし犬、狂犬・・」あまりにシビアに人間の被支配性の本質を顕している。
ー番犬のような男、野良犬のような男、座卓犬のような人、牧羊犬、しかしそれが自然の推理なら、それに従うのが人間の姿。 
それに気づいているかどうかである。話が変わるが、ハワイでの事、現地のガイドが日系?の事をバナナと言っていた。
外が黄色で、内側が白(白人)、いい得て妙であった。いまの日本人は正しくそうだ。
日本人のキリスト教信者もそういえる。白人の仏教信者は白瓜、アメリカの黒人は茄子か。
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2001年05月05日(土)
 連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧
連休はパソコン・ウオーキング・TV・外食三昧 である。
もっとも連休でなくても、そうであるのが可笑しいが!大型連休はほとんどそうだ。
以前は会社の自分の部屋までわざわざ行っていたが今は自宅で過ごす。
特にパソコンとBSーTVが暇を充分満たしてくれるためだ。1ヶ月後に秘境ツアーに出かける為、極力節約する。
1日1回居酒屋かファミリーレストランからーめん屋に出かけける事と、図書館に行く事がリズムをつくるみそである。
ここでインターネットとホームぺージが特に面白くなったのも、さらに連休の過ごし方を快適にしてくれる。