人生、60歳を過ぎて、そろそろと考えていた矢先に、この百年か五百年に一度の大恐慌である。
最後のレッスンを神が与え給ってくれたのかと取り組んでいるが、それでも弱気になると、
「自分の人生とは果たして何だったのだろうか」という原点的な問いかけが出てくる。
一応、人生の課題は無難に? 解いてきたつもりだったが・・。 ところで何度か新潟中央図書館の哲学のコーナーで、
この本を手にしたが、何か暗いので借りる気がしなかった。 しかし先日手に取ったところ、
 ー「人生の課題」という幻想ー という言葉が飛び込んできた。 そこで、目次を見ると初めから終わりまで虚無的な言葉で
埋まっている。 さてと思い迷ったが借りることにした。 要旨といえば、「宇宙からの視点でそろそろ本気になって、
これまでの見方を逆照射をしなければ!」である。 そのことをジックリと考える時期に入った、ということだ。
 著者は私と同じ年齢で、9年前にガンで亡くなっている。 私の中・高校の同級生が、この10年間で多く亡くなっている。
その彼等の天国からの代弁とイメージをして読むと、なかなか味わい深い内容として聞こえる。
 死者の視線で見れば、人生の課題も何もかもが幻想でしかないのである。それが虚無ということ。
  * 「人生の課題」という幻想  の項目の一部を抜粋
「時々、宇宙における自分たちの位置を思い出してみることで、我われを幻惑する我われ自身の分泌物たる通念を
 相対化してみるのは、どうであろうか。 『人生の課題』というのは一つの幻想である。
 事業といっても世間に流通している貨幣や評判を集めているだけである。
 国事に奔走するといっても、特定のサル集団と利害を共にしているだけのこと。マイホームの夢は巣作りでしかない。
 有名になることは多くの人に個体識別されるという意味である。もちろん、そうした目標は馬の眼の前にぶら下げる
 人参ほどの効果はあるだろう。馬が走るには、何らかの動機が必要で、少なくとも何かから逃げるといった走り方より、
 何かを目指した走り方が元気が出る。人参を追っている馬は、虎から逃げている馬より、幸せだろう。
 何よりも重宝するのは、このような鳥瞰的な視点を得ることは、われわれが『人生の課題』達成に敗れたり疲れた時に
 それを天空から鳥瞰して、それほど大したことがないと達観することを容易とする。どれもこれも宇宙の一大事にはほど遠い。
 われわれが失恋したり、事業に失敗して大騒ぎをすることも、宇宙から俯瞰すれば似たようなレベルでしかない」(p116)
ー幻想としても、目先の課題をキーワードに解決すること、それが「骨になる間」のお勉めでは?と、思うのだが。
 それも、これも、「衣食たって礼節を知る」が、あってこそ云えるのではないか。これも、幻想か?
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2908, 「ドレス」という名のクラブ?
 2009年03月22日(日)
 二年ほど前に、クラブの新規開店の案内と一緒に1千円の割引券入りの同封された封筒が手元にきた。
「ドレス」という名が印象的で、「同じドレスなら『赤いドレス』の名のほうがインパクトが強いのに」と
思いつつ、記憶から着えてしまった。 その一年後に、開店一周年記念の案内が再びきたのでチャンスがあったら
一度行ってみようかと思いつつ、これもまた記憶から消えてしまった。ところが、先日連れの人と居酒屋で飲んだ後、
何時ものスナックに向かって歩いていたら、「ドレス」が入っているビルの前で、そのことを思い出し、入ってみることにした。 
そこは高級そうなクラブといった佇まい。まだ開店直後のため、ドレスアップした若い女性が三人、丁寧に迎えてくれた。
ドレスの似合う女性は少ないから、お客にとって満足である。30坪ぐらいの店だが、初めて入る店はカウンターに
座るのが飲み助の常道。前に立った女性に、「案内書と割引券を貰って来ようと思っていたが持ってこなかった」というと、
少し顔色が変わったのが分かった。 「あの案内は、数軒のホテルしか配ってない。
何処のホテルから貰ったのか教えて欲しい」という。 その辺をはぐらしながら飲んでいると、
次々と背広族の連れ同士の客が入ってくる。上手くいっているかどうかは、月曜日の時間帯からみて分かる。
ドリンクを注文する際に、ここはウイスキーコースと焼酎コースがあり、ウイスキーコースは4000円、
焼酎コースは3500円という。 なるほどサラリーマンが平日に関わらず次々とくるはずである。 
高級クラブ風にして、ドレスアップした女性を置いて、二時間で3500〜4000円ならお客は満足する。
ボックスで隣に座ればビールかドリンクを女性に頼むことになるから、自然に5000円以上になるが、
雰囲気からみて廉い。 お客に支持される店は、それなりの知恵でお客のニーズを満たしている。
 3〜4年前から事務所の至近距離の店が一軒、繁盛していると聞いたので、ある会の帰りに一人で寄ってみた。
見ていると若いアルバイト?女性を、一組あたりに短時間にして回転させている。
更に店の売りが、ナポレオンとジョニクロが飲み放題で4千円である。この辺が決め手のようだ。
これなら、御客は行くだろうと納得。 私の向きではないが・・・ 
 しかし、この不景気、勝ち組?の店でも四苦八苦のはず。
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2544, パリ高級娼婦館女主人の告白 ?2
2008年03月22日(土)
ともかく内容が異世界である。だから面白いのだが。こういう人間のベース?の世界を、真っ只中の人物が
書いているのだから、一言一言が生々しく小説のようである。 特に性欲からくる人間的な本性がリアルである。
人間研究という面で、顕わで可愛いが、人間の一番、弱い側面でもある。 娼婦の後ろにヒモの存在が、あまりに悲しい。
髪結いの亭主とか、似たような男は周辺に幾らでも居る。「娼婦に殆どヒモが居る」というのは始めて知ったが。
こういう連中が都会には蠢いていて、鵜匠のように見えない糸を操っている。
 次の内容を少し脚色を変えた物語が、今でも現在進行中なのである。。
   ーー
  *娼婦はヒモがつくる
彼女たちの大部分は、田舎からパリにお手伝いの口を探しにやってくるのです。
当時 ジュロと呼ばれていたヒモは、金持ちのようにしゃれた身なりで、彼女たちの到着を駅で待ち伏せしていました。
娘たちは小さなスーツケースを持って、ちょっと途方に暮れた様子で、プラットホームに降り立ちます。
手に雇い主の女主人の住所の書かれたメモを握りしめ、とまどっています。男は何らかの口実を見つけて、
娘たちに近づくのでした。こうして、娼婦獲得のため、お定まりの小粋なラブストーリーが始まるのです。
「地下鉄はあそこですよ。でも、その前にコーヒーでも飲みませんか」田舎の雌牛たちになれ親しんできた娘にとって、
都会のざわめきはいらつきを覚えます。カフェの中で初めて出会った男に自分の行く先を説明するのでした。
彼は驚いて 「へえ。君の行く先って、あの夫人のとこ,.」「あなたはその方のこと、ご存じなの?」
と、娘はさほど驚きもせずに尋ねます。「もちろん、彼女を知らない人なんかいないよ。
パリにはああいった女性主人というのは多いよ.こう言っては何だけど、とても意地悪な女だよ」と、
ジュロは大声で笑いながら、そして、しばらくこの娘に考える時間を与えてから、保護者気取りで言うのです。
「お嬢さん、気をつけてな。マダムは頑固だけじゃなくって、金払いも悪いからな…」「ええ、じゃあ……」と、
娘は呆然とつぶやきます。実際、娘にとっての第一日は不運に始まりました。この見えない罠に満ちた大都会に、
彼女はおじけついてしまったのでした。ジェロは、そんな娘の動揺を見すかすように、やさしく言うのです。
「でも考えがあるんだ。僕の母親がお手伝いを探してるんだ。彼女ってとても素晴らしい女性なんだ。
彼女の家でなら、うまくやっていけよ」そしてランチタイムになりました。ヒモは、この不幸な娘を安心させるため、
大衆的なレストランに誘い、定食を上品そうに選び、ごく少量のワインを飲むことをすすめ、ちょっと人を小ばかに
するような物腰と、田舎娘にとって魅力的なパリなまりを使って、調子のいいことばかり言ってだますのでした。
それから充分「出来上がった」と感じ取ると、彼は母親役を演ずる手先の女の家に連れて行きました。
娘を女の家に住まわせ、ジュロは、母親役の女と二人三脚で、娘が自分自身に身も心もゆだねるように、仕向けるのです。
甘い香りの花束と恋のささやき。ドレスと靴のプレゼント。ヴァカンスはコート・ダジュール。ホテルは娘が好みそうな
清潔でおしゃれなところを選びます。そして、ちょっとぜいたくなシャンデリアの下でのディナーで感激させるのです。
翌日は船でレラン島へ。そこで、を「君を愛してるよ」と、胸に手を当てながら告白するのです。
田舎出の娘は、こうした言葉にもうひとたまりもありません。こんなやさしくて粋な男性にかつて一度も会ったことが
ないのですからー。パリに戻れば娘は恋するあまり、ますます‘母親’に気に入られように家事の手伝いに励むのです。
さて、そうした後に、いよいよジェロの本領発揮です。涙まみれで、ヤクザにだまされた、事業に失敗した。・・・・
 ーー
 駅には、カラスという手合いが、屯している。ホステスの斡旋業で、一人引く抜くと何万円かになる。
クラブも、ある意味で、こういう女性の隙を捉えて間接的?売春をさせなければ
お客は何万も出して通わない?? その意味で、夜の世界は深く、危ない世界でもある。 
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2007年03月22日(木)
2179, 親の仕送り
            才八∋ウ  _〆(∀`●) 
 先日の新聞に
「首都圏の私大に昨春入学した子供を持つ家庭の家計負担」の実態の記事があった。
私の息子二人が一年間だけだが、自宅外通学で関東の大学に在学した時期がある。
みるみるうちに貯金が目減りをしたのを記憶している。あれから10年になるが、当時は「一年間は仕方ないか!」
ぐらいしか考えてなかったが・・ 学費とアパート代と生活費など、年間400?500万はかかっていた。
少子化問題というが、現在の日本では多産なぞ出来るわけがない。 
 ーその内容を、まとめてみるとー
:平均借り入れ金額が170万円台に達し、自宅外通学者は207万円、過去最高になった。
:毎月の仕送りは初めて月額10万円を割り込んだ。6年続けて下がり続けており、
 家賃をひいた生活費は平均は3万9千円。
:自宅外通学者の初年度の負担が307万円。
:入学費用の銀行からの借入者が30・7?。207万円。自宅通学者で25?の世帯が借り入れをしていて、
 138万円という。自宅外と自宅の通学者平均174万円。
  ーーーーーー  
これからみても、厳しい実態が窺える。両親にしてみれば、胸突き八丁というところだろう。
苦労して育てても、結婚すれば嫁か娘婿に疎んじらる。これも順番であるから仕方ないが。
40年前になるが、昭和40年前半の頃、私の寮費は水道・ガス・電気代込みで4千円。
学費は家から学校に直接振り込み。家賃も大家に直接振り込まれ、生活費が郵便為替で1万5千円の送金。
生活費と交通費と小遣いで、手元には何も残らない程度であった。使いすぎて生活費に困ったことは一度もない。
家からは、父親が3ヶ月に一度位に、米と柿の種と、インスタントラーメンを送ってくれていた。
手元には常に子供の頃から貯めていた10万円の現金が部屋に隠し置いてあった。
(当時としては現在の70万円位か)今から考えてみると、一種のお守りみたいなものだった。
都会では誰も助けたり、優しくはしてくれない。最後はお金であると、かたく信じていた。
しかし、手をつけたことは一度もなかったが・・・卒業の一年前になって、急に父が寮に寄って、
寮の貧乏暮らしの実態に驚き、仕送りを二倍にしてくれた。これで大學生活は急に華やな舞台に様変わりをした。
このとき、お金の有り難さをいやというほど知った。気持ちの上で、これだけリッチな気持ちになったのは人生で初めて。
少なくとも一年間は一挙に二倍の収入アップで、小さな段差の幸せを味わった。
まあ、恵まれていた!ということか。 人生を振り返り、恵まれていた!
と言い切れることこそ、豊かな人生ではないかと、学生時代の断片を振り返って実感できる。
この程度でだが! 解釈、解釈、考え方、受けとめ方!         
                    ヽ(´π`)ノばあ?い
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2006年03月22日(水)
1814, WBC?まさかの、日本が優勝!
                  才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
WBCで、日本が優勝するとは誰も思っていなかっただろう。韓国戦で二連敗をした時には、こんなものだろうと
白々とした諦めの気分になった。この冬期オリンピックで、日本の最低の負け様を見せつけられたからだ。
今回の勝利は日本のスポーツ界にとって、今だかってない偉業といってよいだろう。
まさか大リーグの選手が多くいるアメリカと中米のチームの中で、日本が勝てないのは誰の目にもあきらかであった。
4勝33敗のキューバに寄せ集めの日本が勝てないと思うのは、当然である。
中盤まで勝っていたとしても土俵際で軽くウッチャリと過去の経験が示していた。
それが・・・・   何と勝ってしまった!       \(^ ^)/ バンザーイ (v^ー°) ヤッタ!
日本の野球にとって、歴史的な勝利で、球界の神風になるだろう。この勝利はアメリカにとってプライドが地に落ちてしまった。
審判に怪しげな人物を配置したり、ルールをアメリカに有利にしても、敗北したのだから!
メジャー・リーガーがゼロのキューバと、二人しか出てなかった日本が決勝戦に勝ち進んだのも皮肉である。
松井も事情があったとしても、イチロウと選手としての商品価値が大きく開いてしまった。
韓国戦の準決勝と、この決勝の緊張感はそうそう観ることはできない。
 ー今回のWBCで印象的な場面とキーポイントは
・デービットソン審判の意図的?誤審
・韓国に連敗後の、準決勝の勝利と、韓国の日本への敵対心と、その民度のレベル?の露出
・メキシコのアメリカ戦での、マサカの勝利
・イチロウのプロの執念
・短期決戦でのスモール・ベースボールの勝利
「僕の野球人生で最大の屈辱を味わった」と、韓国に二連敗をしたときの言葉が、日本の選手に火をつけた。
優勝後のイチロウのコメント「最大の屈辱を味わい、最高の気分を味あった」と、
「選手としてつぶれても、このWBCで勝つことに全てを注いだ!」が印象的であった。
 イチロウ日本の勝利といっても過言ではない。イチロウの力と、王監督が重なってチームとしてマトマリ、
 まさかの優勝になった。飛び石連休に丁度良く、準決勝と決勝が重なってくれた。  
                   βyёε('c_,'`)з゛
・・・・・・・
2005年03月22日(火)
1449, BOSEのステレオ?4
「利益は全て研究開発に投資する、投資家の配当はなし」が会社の方針というから、アメリカ的でない。
現在も株主は殆んど配当金を貰ってないのだ。音響研究開発集団をめざすことが、この会社の行き方である。
株主にとっては、目先の配当より売却時に株価で利益を得れば良いのだ。
 ー以下はボーズ社のパンフレットの要点をまとめたものー
会社の創業が、MIT(マサチュウーセッツ工科大学)の一研究室という。
若き日のDr.ボーズが、BGM用に購入したオーディオシステムに不満を持ったことがその出発点。
その研究結果から、理想的な生演奏の再現には音の来る方向の多角性とその量の均一性及び時間性がきわめて
重要であることを理論づけ、ついに22個のスピーカーを持つ8分の1の球体という空前絶後の試作機が誕生した。
そんな1959年のある日、偶然、彼の研究室にある‘不思議な物体’の正体を知った電子工学部長のウジズナー博士は、
この研究成果に感銘を受け、直ちに、ボースの「音響に関する研究」をMITの公式プロジェクトにすることを決定した。
タイムレコーダーはなく、予算があるだけ'といわれるボーズ社の自由闊達な雰囲気は、今もMITの研究室時代
そのものといってよいと言われている。アクースティマス・スピーカー・テクノロジーは、スピーカーの大きさと
音の関係における従来の考え方を一変させた。手のひらに収まるサイズのスピーカーから、
これまで考えられなかった素晴らしいサウンドが再生可能になった。
世界のGMやベンツやニッサンやホンダ、マツダの高級車に搭載されている。
また1992年のスペースシャトルエンデバー」にも搭載された。
ーーー
以上だが、ソニーとホンダ神話しか知らなかったので、この会社の研究集団の若々しさに驚いてしまった。
音響マニアからみたら、あまりにも有名な話だろうが。音の再生は、聴く立場からみれば直接肌に
伝わってくるもの、技術が生に感じて当然である。視野を広く、何にも興味を持たなくては時代について
いけないことを、この音響機器の世界で知った。知らない壁を勝手につくっていたのか、ただ馬鹿なのか。
この時代、軽く軽くも大事なことだ。情報時代なのだ。
深沈厚重第一の資源とか言っていたのがいたが、何だったのか!
殿様蛙には良い言葉だ。第二が磊落剛勇だと!よく言ったものだ。
モンゴル相撲の横綱にはピッタシだが。面白い時代である。
・・・・・・・・
2004年03月22日(月)
1083, 「80対20」革命 ?2(読書日記)
この本は、簡単に言えば、いま「創造的な個人を中心とした新しい経済」が出現しつつあり、つまり、個性を発揮して
新しく有益なものを作りだす『80対20人間』こそが次の時代の担い手であり、その一人になりたい人には、
どんなビジネスが可能か、そのための方法があるかを説いている。・・・・・
 特徴的なのは、
「何かを創造したいなら、まず自分の20?のスパイク(強み)を見つけ、
伸ばさなければならない。新しいビジネスをつくりたいなら、ビジネスについて
考えることからはじめてはならない。自分自身について考えることから始めるべきである」
個人の中にある20?のスパイク(強み)に対して忠実であるべきである。
この並外れたスパイクを自分で見つけ、強力に育て上げなくてはならない。
そして「取るに足りない多数」を外に外注に出し、エネルギーを「きわめて重要な少数」の20ー
に注ぐことだと主張している。
20?の人々の生産性は80?の人々の4倍ではない、何とその二乗の16倍なのである。
・農業革命(10000?7000BC)ー>
 産業革命(1750?1850)ー>
 経営者革命(1900?1950)ー>
 80対20革命(1980?2020)
 へと ニューエコノミーの時代は移行している。
・時代背景という面でみると、農業経済ー>市場資本主義ー>経営資本主義ー>個人主義 へと変化している。
 ほとんどの企業が主要な個人を中心に回る時代がやってくるだろう。
 個人のスパイクこそが重要な資源に取って代わるのだ。個人主義が資本主義に取って代わるのだ。
  −−−−
 以上は私が主観を込めて、まとめてみたものだが、優秀な個人が世の中を支配する時代になってくるのか?
 下手をすると、違ったカタチの独裁の時代になるのか?結局は動物社会と同じところに行き着くということか?
 (一番優秀な個しか生き残れないのでは?)
 等、考えさせられることが多い本であった。それもグローバルという単位であるから、
 企業も個人も激しい競争に 直に巻き込まれる時代になったのだ。

・・・・・・・・・・
2003年03月22日(土)
 717, 温帯魚
 事務所で温帯魚を飼っていた時、よく熱帯・温帯魚の専門店に餌を買いに行った。
その時に店の片隅に小さな鯉が、タライにいっぱい入っていた。場違いの存在に「何でこんなものを売っているの?」と聞いた。
店主が「餌だ」とばつの悪そうに答えた。思わずゾッとした。料理屋の生簀の魚を見ても何とも思わないのだから、
不思議なものだ。鯉は20~50万が孵化して、選り分けられて数匹以外は肥やしか、餌として売られる。
 事務所で温帯魚を飼っていたとき、2^3日に一匹の割合で魚が消えていった。不思議だと思ってみていたら、
ハリセンボンが目の前で小さな魚を追いかけていた。まさか、ハリセンボンが食べていたとは想像すらできなかった。
一匹の魚は頭を岩の間に隠したまま、尻尾のほうが三分の一食べられて死んでいた。もちろんすぐに隔離をした。
 ある種類の温帯魚だけを数匹飼っていたときに不思議な現象をみた。ある一匹が他の一匹を執拗に追いかけていた。
ところが一番大きい一匹がいつも中に割ってはいるのだ。たまたまそう見えたのではと思ってみていたが、そうでなかった。
どういうことなのか今でも理解できない。あまりにも巨大になり鑑賞用としては耐えられなくなり全て店に返してしまった。
そして現在は金魚だけである。ランチュウだけに絞り10匹を飼っている。
温帯魚を飼っていたときは、どんなに見ていても飽きないのだ。傍から見ていたら不思議な姿だろう。
・・・・・・
2002年03月22日(金)
353、流通再編ーウォルマートの進出
旅行の留守の間の新聞をみていたら、3月15日付けの日経にウオルマートの西友の買収の記事に驚いた。 
当然といえば当然だが。これでジャスコヨーカ堂ウォルマートとの3極の再編成が、この4?5年で始まるだろう。
ユニーなどの地方の準大手や中堅企業のSMも、吸収か倒産のどちらかの選択に迫られる。
この3極の一角も10年以内に倒産に追いやられるのは、アメリカのKマートの倒産を見れば当然。
自動車業界や電気業界と同じ世界に、流通もおいやられるということだ。まずはダイエーの淘汰はこの数年で必至だ。
そして今最盛期を誇っているホームセンターも3?4年先から倒産の嵐も必至である。
もちろん地元の原信やウオロクなどは、そのどこかに参加するか消滅しかない、面白い時代になってきた。
といって全ての企業がこの数年で存続か消滅の岐路に立たされている。最終的にダイエーを買収すると思っていたが、
西友とは思ってなかった。SMのスパーセンター(1500?2000坪)あたりを狙ってくるのは当然だ。
仕事人生の前半に流通業に身をおいていたから、その競争世界の激しさに震撼とする。
地方(痴呆)豪族化していたー(ペガサス主幹の渥美俊一)痴呆スパーの淘汰に入った。
ー地方豪族化を敢えて説明すると、自動車販売会社やケーブルTVとか、
印刷会社や貸しビルなど持つ??などの地方スーパーをいう。
 ーあくまで渥美談ー