中学校の同級・同期生は「選りすぐり前の色いろな社会の原型」を見ることができる。
地方・城下町の駅周辺とくれば尚のこと。 サラリーマンの家族より、商売人の長男・長女で、
家を継いでいる人が多いのが特徴。ここにきて地方都市の衰退の影響を直接受けて、全体的に沈んだ雰囲気である。 
200年近い老舗を廃業した人が「廃業させてしまったプレッシャーが大きく心に圧し掛かっている」と、語っていた。
新潟県は公共事業王国だった反動は大きく、農工業も中国などの輸入品に押され県全体が悪化している。
それに従い、高齢化も含めて元気が無くなってきている。同年齢の姿を見て、自分の年齢にハッとする。
たまたま、4年前の昨日の随想日記にあった「老いのキー概念」が、同じ年代の置かれた状況から見えてくる。
(1)居場所がない                  (2)社会的役割の喪失
(3) 貧困と孤独                   (4)生と死の間のさまよい
(5)青春への希求ー自分に青春がなかったという疑問等 (6)老年危機ー生きる意味の喪失            
(7)枯れへの悶え                  (8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答) 
(9)ボケと過敏                   (10)成熟と衰え   
  その一歩手前というところ? どれもこれも、これから誰も直面する問題が羅列されている。
還暦を過ぎてから (8)矛盾する心性(自分の人生の肯定・否定の自問自答)が覆いはじめている。
それ以外は、まだだが、いずれじわじわと、くるのだろう。 人生70歳代が一番良いというが、準備をしてきたかどうか?
 中学校、そして高校と30年近く同期会が毎年のように開かれているが、地方だからこそ可能。
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2866, 大相撲が神事? 
 2009年02月08日(日)
大相撲が日本人力士の大麻吸引で、ますます面白くなってきているが「大相撲って実のところ何だ」というと、
いかに曖昧である。「国技」?法的には何もない。ただ税金は全面的に免除されていて、理事以上の利権のネタでしかない。
スポーツ、武道、格闘技それぞれの一面を持っているが、何か違うのである。
歌舞伎のようにチョンマゲを頭の上に乗せて、神主姿の行事が仕切り、その周りを審番が勝負を見守る。
政の神事の時の余興で力自慢をしたのが由来という説と、朝鮮から入ってきたモンゴル系民族が
騎馬で日本を制圧、その時にモンゴル相撲も入ったとも考えられる。その面では天皇と深い因縁がある。
神前の儀式での力自慢が徐々に見世物としての芸能になり、大相撲になったのである。
力自慢には、それぞれ大名などの贔屓がついたのがタニマチとして現在も残っている。
相撲部屋とは、その力自慢を囲い込んでいたところ。元々、そう上等のものではない。
その歌舞伎+格闘技+興行の混ざりこんだ男芸者衆の芸事?に、近代を持ち込んで批判すること自体がおかしい。
国技、神事とか、真面目な顔をして説いているのは、大相撲パラサイトの飯の種。
八百長など、当たり前のこと! これは芸事。 まともに勝負をするから最近、怪我人が多くなったのである。
フェアだというが、それは欧米の考えでしかない。
プロレスの観客は、あれは芝居ということを知ったうえ、悪役をどう倒すかの物語を楽しんでいる。
相撲も真剣勝負の妙味もあるが、力士の15日間の勝敗の星勘定と昇進、陥落の物語を楽しんでいる。
初場所では朝青龍という名ヒール役の復活の物語を喜んだのである。
神事、国技というなら、外人を入れるべきでない。面白くするために必要なら、国技などという名をすてるべし。
税金を払うべし。そして、横綱審議会とかいうのを即刻止めるべし。
恥ずかしげもなく、よく出てくる姿は微笑ましくもあるが。
息抜きの話題には丁度良いが・・・レベル的には週刊現代のネタというところだ。
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2008年02月08日(金)
 2501, 無くてはならぬもの −8
 おはよ〜(>ω<。)!!
人生を振り返ると全く、恥ずかしきことのみ多かりき!である。
自分の輪郭がハッキリして、その卑小性に独り嫌悪感に陥る瞬間が多くなる。
これが人生の秋口の心の風景なのだろう。早くいえば基礎教養は足りなかったのである。
俄然と読み始めたのが20歳位だったのが、遅かったためだろうか。40年以上は、一日2〜4時間は読み続けてきた。
しかし思春期の読書量が足りなかった。それも、家庭文化のレベルということもあるが。しかし子供のころから葬式などで
法話を聞き続けてきたし、書画骨董の一流品を見続けてきたし、それでも両親や兄姉から色々な教えを受けてきたし、
生き様を見てきて、このレベルである。 独り溜息をつく日々である。 後は、どう自分と折り合いをつけるしかない!
ただ面白かったが・・・この一点が救いである!若き時の自分の声のように当時の沁みた言葉が、本を通して語りかけてくる。
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P−37
アンドレ・ジイドの『狭き門』という小説は諸君のなかにも読んだ人が多いだろうと思うが、
あの狭き門という題は聖書の有名な言葉からとったものである。イエスの言葉である。
「狭き門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。
そして、そこからはいって行く者が多い。命にいたる門は狭く、その道は細い。
そして、それを見いだす者が少ない」(マタイによる福音書七の13−14)
この「命にいたる門」ということも、ほんとうの自己を見いだす門という意味である。
私たちはすぐにあの夏目漱石の『門』という小説を思い起こすであろう。
あの漱石の『門』の主人公は、友人の妻を奪って自分の妻にするのであるが、
そのエゴイズムのなかで苦しんだあげく、鎌倉の円覚寺に行って坐禅をして悟りを
ひらこうとするのだが、どうしても救われないでまた門をあとにして舞いもどってしまう。

諸君は、ほんとうの自己を見いだすために、どのような門からはいろうとされるだろうか
門はたくさんあるようだけれども、他に道はないのかもしれない。
「求めよ、されば、与えられるであろう。捜せ、されば、見いだすであろう。
門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」(マタイにょる福音書七の七)とまた
エスはいうのであるが、道を求めるという心を起こすことが先決問題であるだろう。
 ーー
P−38
「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
多くの人が、この黄金律を人生のモットーにして生きてきたことを告白している。
自分が幸福になるために、人から多くのことをしてほしいという思いである。
それなら、人々に対してもそのことをしてやるべきである。
人から親切にしてもらって嬉しかったら、人にも親切にしてあげるべきである。
この黄金律は、本当の人生の旅路において幾らでも応用のきくルールである。
だから黄金律と言われるのである。
 −−
*「求めよ、されば、与えられるであろう。捜せ、されば、見いだすであろう。
  門をたたけ、さればあけてもらえるであろう」
*「何事でも人からしてほしいと望むことを、人々にもそのとおりにせよ」
*「自分を愛するように、隣人愛しなさい」
*「右の頬をはたかれたら、左の頬を出しなさい」などの黄金律が40年近く経って、
 その意味の深さが少しずつ理解できるようになったということだ。 でも、難しいが、
 ことあるごとに口にしていれば、少しは実行をするだろう。ボランティアか〜。 
 群れてでも、しないよりよいのか?群れる何処が悪いのか? 群れることは、それより悪いのか?
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2007年02月08日(木)
2137, 占いと、細木数子について −2
       b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
細木数子には、驚いた!        
細木といえば、週刊誌やTVに30年位前より出ては消えを繰り返していた。
ところが、ここに来て復活。歯に衣着せぬ物言いで、芸能人を斬りすて、
バラエティ番組に引っ張りだこの女性占い師ということになっている。
 (字数の関係で中間カット2009年02月08日)   
  ーーーー
  この書を書くにあたり彼女から数々の脅しや圧力もあったという。
  暴力団関係には定評のある溝口しか、書けなかった本でもある。 "o(▼皿▼メ;)o"
                 ●´ノω`) ケッコンシナサイ♪
  ーー
 ーあるHPに載っていた島倉千代子とのエピソードが、女ヤクザの一面を
  端的にあらわしているー
    彼女の過去を紹介するエピソードに、島倉が借金まみれだった1977年、
    細木が彼女の後見人となり事務所を設立し、借金返済に尽力した美談がある。
    借金まみれの島倉の前に現れたのが、赤坂などで水商売を立ち上げていた細木。
   「細木は、ある暴力団の組長と昵懇で、その筋にも顔が利くということで、
    島倉は細木にマネージメントのすべてを任せた。
    細木は、77年、島倉の個人事務所を設立し、島倉と二人三脚で借金返済のために
    芸能活動をスタートさせた。当時は景気もよく、島倉クラスのタレントなら、月に400〜500万円は稼げた時代。
   「島倉は初めて地下鉄移動を経験し、大好きなパチンコも制限して、
    必死に借金返済に努めた。ところが、細木に返済を任せていた借金は、
    いつまでたっても消えずじまい。島倉は「もしや細木とその筋が示し合わせて、
    金を吸い取られているのではないか?」と疑念を抱き、細木と別れる。 等々である。
    ーー
まあ読んでいるだけで、悪臭がプンプンとしてくる女ヤクザの経歴を持つ。
人間の本質を知る上で、女ヤクザとしての熟成されたテクニックを使った、
竿の先の針の餌としての占いとしてみると即興劇を楽しめる。
何で、こんな女をバラエティー番組に出すのだろうか?そこまで日本が病んでいるということだ!  
でも、この履歴は面白い!履歴をみるかぎり、塀の向こうには落ちてないから強かだ。
          ーまだ  つづく ¥(*^_^*)\バイバイ
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2006年02月08日(水)
 1772, “サラ川"入選100作品  おはよ〜(>ω<。)!!
この時期に毎年の恒例になっている「サラ川」が発表された。
私が選んだベストファイブは
・48   セキュリティ 一番手薄な 妻の口    無給警備員
・57   散髪代 俺は千円 犬 一万       下流の夫
・59   鬼嫁も 居るだけいいよと 励まされ   物は考えよう
・64   人生の 第二職場は 妻の部下      世の常人の常
・81   マイブログ 立ち上げたけど 話題なし   磯仁
 私の場合48は 「セキュリティー 一番手薄な 俺の口」
     になるが、どれも切ない話題ばかりだ!
ーまずは読売新聞の記事を     ~~旦_(^O^ )お茶!どうぞ〜
 ーー
“サラ川”入選100作品、家庭などの“悲哀”映す「刺客だと 言われ遠くへ 飛ばされた」――。
第一生命保険は6日、昨年11〜12月に募集したサラリーマン川柳コンクールの入選100作品を発表した。
今年も、サラリーマンの家庭や職場での“悲哀”を世相とともに映し出した秀作がそろった。
中でも、「小泉劇場」の流行語を生んだ昨夏の衆院解散・総選挙をテーマにした作品が目立った。
ー「チルドレン 昔『かすがい』 今『刺客』」と、子どもの心をつかみかねる父親の心情から、
ー「総選挙 家では妻が 総占拠」と家庭での孤立を描いた作品もあった。
 また、「熟年離婚」も人ごとではないようで、
ー「離婚劇 昔成田で 今熟年(シニア)」
ー「年金の 出る頃妻は 家を出る」との不安を抱いており、
ー「妻準備 いい日旅立ち 退職日」 とならないことを願うばかりだ。                      
 このほか、
ー「我が社では 部長のギャグが クールビズ」  ((((;-”-))))さ 寒い・・・・・・
ー「檄とばし 部下のヤル気も 消しとばし」 と上司への愚痴は相変わらず。     
 また、景気は上向いてきたとはいえ、
ー「“軽くヤバイ” ぜい肉よりも 我が会社」とサラリーマンの心配は尽きないようだ。
                   (σ・ω・)?
 第一生命は3月17日まで投票を受け付け、5月上旬に「ベスト10」を発表する。
             (2006年2月6日22時11分 読売新聞)
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ー“サラ川”入選100作品ー51以降は字数の関係上カットしました。
1 ウォームビズ ふところ常に クールビズ     環境財務大臣
2 わが家にも 抵抗勢力 妻(つま)むすめ・・  家住(イエス)まん亭主
3 健診日 前夜だけでも 休肝日          −ひろみ−
4 「はい」と言え 俺は家でも 言ってるぞ     オレ亭主
5 ウォームビズ 顔まで みごとに 厚化粧     税多苦
6 片付けろ! 言ってた上司が 片付いた      清掃業者
7 ご主人様 たまには家でも 呼ばれたい      メイド好き
8 メイドカフェ 冥土のみやげに 行ってやる    うちのじいちゃん
9 一点で 二転三転 志望校            七転八起
10 「買っていい?」 聞く時 既に 買ってある   エレキ猫
11 妻準備 いい日 旅立ち 退職日         谷底 紳士
12 ダイエット 食費以上に 金かけて        蓮華
13 耐震の 強度増すのは 妻ばかり         実里
14 待つことが 愛だと知った 地球博        しゅう
15 フォー!に萌え〜 意味は知らぬが 言ってみる  果報者
16 サラ川は 世相と本音の 早見表         風刺委員会
17 刺客だと 言われ遠くへ 飛ばされた       閑人
18 子はゲーム 家ではパパが 無視キング      昔は虫博士
19 チルドレン きっと来る来る 反抗期       ミチカパパ
20 年金は いらない人が 制度決め         元平社員
・・・・・・・
2005年02月08日(火)
 1407, 大雪について
この大雪が、19年ぶりという。逆にいえば、1〜2mの雪が積もるのが19年ぶりでしかないということだ。
子供の頃は、毎年のようにこの程度の雪は降っていた。それが38豪雪(昭和38年の豪雪)以来、
年々積雪が少なくなってきた。そして、19年前の豪雪を最後に暖冬が続いてきた。
温暖化現象の一つだが、近くの柏崎原発が直接的な原因である。19年前の雪は、いやに記憶に残っている。
東京で、学生時代のクラブの集まりがあって、ブーツで東京に行った。
その時に銀座で飲んだが、そこのホステスが帰り際にかなり厳しい一言を言われた。
「銀座に長靴で来る田舎者がいる」と。こういうことしか憶えていないものだ。
それと長岡に帰ってきて30年間で一回だけ、屋根の雪下ろしをしたことだ。
それ以来は、積もっても1m位の為か、長靴は殆どはいてない。今年もこれでおしまいである。
ブーツを履いて出勤したのは三日間だけ。ニュースで見るほど大変でもなんでない。
駅から近いということもあるが、何処も住んでいればプラスもマイナスもある。
19年ぶりでも、この程度だから冬国のマイナスなど何ということはない。町なかに居るから言えるのだろうが、
といって大して変わらないだろう。表日本の人が持つイメージと現実は全く違う。
・・・・・・・・
2004年02月08日(日)
 1040、ドタ勘
ある経営者の言葉の「ドタ勘」が印象に残った。ドタキャン(土壇場でのキャンスル)をもじったのだ。
土壇場の勘を信じて、決断していくしかない時代になった。そこまで日本経済は追い込まれている。
ぎりぎりのところで、思い切った現場からの叩上げの勘と判断を信じて実行をしろといっているのだろう。
その感覚が今の日本に欠けているという。自信を失っているのだろう。
その場限りの対策しか立てられなくなっているのが、日本が現状だ。
アメリカ従属国家の末路のこの時期、日本に必要な開き直りの言葉でもある。
何度か創業を経験をしてきて、実際のところ格好いい理屈はなかった。
ドタン場の勘で、発狂状態?になって突き抜けてきた。崖っぷちに立って初めて知恵と勘がでてくる。
集中せざるをえないからだ。積極一貫とは、前向きに極み(崖っぷち)を積み重ねることである。
しかし、その極み立つためには緻密な計画と長年の準備が必要である。
それが見えるのは、それをしてきた人間だけである。その他の人には、それがドタバタ「勘」にしかみない。
ついているという「運」の良さにしか見えない。運が良いとは勘が良いということである。勘が良いとは、
経験からくる暗黙知が良いということだ。暗黙知とは崖っぷちで積み重ねた知識と研ぎ澄まされた深い眼である。
それこそがドタ勘である。 解ったような事をいえた柄でないか、本当!
・・・・・・・・
2003年02月08日(土)
 675, ぶざまな人生ー3
ーおれ様の人生と馬の骨の人生ー
この本にはなるほどと合点する面白い内容がいくつもあった。
 人間の存在とは
1、この世でたった一人しか存在しない人間ー「自分」・・「自分様・オレ様」
2、他人から見ると、その他大勢のなかの一人 ー「自己」・・「馬の骨」
この二つを同時にもつ存在である。この二つの認識を持つことが重要である。
個人主義とは、もともと集団的価値よりも個人的価値を上位に置く対集団的な考え方だが、
それが個人に向けられた時には、たった一人のオレ様である。お互いに馬の骨同士「個人」であるがゆえに、
お互いの唯一性を尊重することになる。それが個人主義であり、その領分を守るのが自分ー自らの領分である。
利己主義は、自分だけがこの世でたった一人しか存在しない人間としか認めない。
他人と自分の領分も理解できない輩である。以上が「オレ様と馬の骨論」である。
人と話していて驚くことがある、ある二代目が皮肉交じりに「お前は金儲けだけは上手いからな!」
と私に言ったことがある。この言葉の論外に「オレ様の仕事は金儲けでなく、お前ー馬の骨のやっていることは
金儲けでしかない」という自惚れの気持ちがありありであった。
「人間とは自分に都合のよいように自分を買い被っている存在に自分で気がついてない」と、呆れたのを憶えている。
この手前勝手さは誰もが、勿論自分も形を変えて基本にある。それがこの馬の骨論で、ずばりと書いてあった。
「みんなが大将!というところか。私が怒ると知らずと「あの馬鹿が!」とか、「あの馬鹿どもが!」という言葉が
頭をよぎるが、おれ様という意識がそう言わしめるのだろう。以前「世間様」論を書いたことがあったが、
世間様とは自分の領分をわきまえない集団主義者のことである。いや集団主義というより仲間主義の連中である。
・・・・・・・
2002年02月08日(金)
 325、いまによくなるさ!必ず!
こういう時代だから、この言葉が大事だ!といって、これは手を打っての話だ。
「最善をつくして天命を待て」の時の言葉だ!考えてみたら、心の奥で何時もこう呟いていた。
歌に「明日がある、明日がある、明日があるさ・・・」とかいう歌があった。「明日がある」も似た言葉だ。
「何とかなるさ」も同じ意味か。今更、一休和尚の話しをしても仕方がないが敢えてする。
「死んだ後どうにもならなくなったら開けよと、一通の封筒を残して死んだ。
そしてどうにもならない時に開けたら(どうにかなるさ!)と書いてあった」
実際今まで生きてきて何とかなってきた。そして良くなってきた。
実際起こりうることより、それに対する不安の方が10倍は大きい事は、誰も経験済みである。
海外旅行ほどその段差を実感する。今の悪い状態に対して悲観するのでなくて、よくなる方策を考え抜き
実行すればーーーー「今によくなるさ!」「今の日本はそれをやっているのだろうか?」
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2月8日 1969年
小林が寮に約束どおりに訪ねてくる。彼と話しているうちに、若さとエネルギーの新鮮さに
感化されてしまった。私の卒論を見せると、構成のいい加減さをつかれる。昨日日以上にショック。
一年がかりに書いた卒論も基礎と基本のいい加減さを見透かされた。自分の為の自分の作文でしかなかったのか。
根本からやり直すことは今更むりである。 先日の反撃をしたかったのだろうが。
いま気がついたことは、破ったと信じていた殻から、全く出てなかったことだ。
友人の批判に耐えられないレベルということか。批判者は批判者で気にすることはないが、隙をつかれてしまった。
動揺が一日一日と激しくなる。卒業間近というのに。いや間近だから動揺しているのだ。