* 朝青龍の引退
 朝青龍が引退をした。限界を遥かに超えた所業の数々、同情する向きは少ない。
「一人横綱を4年続けたプレッシャーは想像を遥かに超える。それを一年経験しただけでも押しつぶされそうだった」と、
横綱の曙が新聞で述べていた。 解らないでもないが、それでも次から次へと問題を起こしてきた。
優勝パレードでモンゴル国旗をかざすのを何回か見たが、「あれは変だ」とマスコミは口を噤んでいたのは肯けなかった。
私が見てきた歴代の横綱の中では、ずば抜けて一番強い力士であった。あの全身から出ている気合も、これまで見てきた
力士には無かった。 来場所から、彼の姿を見ることが出来ないが、もし残留しても同じような問題を起こし続けるはず。
引退をしてしまえば、ただの??な大男でしかない。その段差に、数年は自分でも如何したらよいか悩むだろう。
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 * ツイッター、その後
 ツイッターを初めて、一月以上になる。ブログが社会に与えた影響は計りしれないが、それ以上に、この社会に与える
インパクトは大きくなる。要はモバイル用ブログだが、知れば知るほど奥行きの深さには驚かされる。
多くのブロガーが、ツイッターで多くの人と繋がる機会が爆発的に増えることになる。写真や動画を気楽に
受発信できることがよい上に、140文字に制限されていることとが、ずばり本音を語るしかないのが逆にプラスに働くからよい。
無作為にチャットの相手を選んで話すサイトもある。オノヨーコなど有名人のツブヤキもリアルタイムに見ることも可能である。 
ここ、暫くはツイッターを通して娑婆を覗いてみるつもり。軽薄もまた、良いものである。
ジックリと哲学書も読んだ上にすれば、更に良いのだろうが。
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 * 昨夜は、中学校同期会の幹事会
 幹事会といっても、20人が集まるのだから凄い。以前は同級会だったが、亡くなったり、転居、そして??で、
何時の間にか同期会に代わってしまった。 その三分の二が女性。 地方の街中の中学校だったことあり、
どちらかというと派手だが、堅実なタイプが多い。 長女か長男で、「家に縛られ大学に行けなかったのが残念だった!」
というのが、大方の愚痴。 当時の大学進学率は15パーセントで大卒は少ない。あの人と付き合っていたとか、
デートをしたとか昔の何の暴露のしあいがリアルで、ほのぼのする。 
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2864, 「要約力」を要約する
2009年02月06日(金)
  「要約力」         ー読書日記
 あらためて「要約力」という視点でみると、この随想日記は要約日記と言い換えることも出来る。
 毎日の学びや読書や思いなどの痕跡を文章で「要約」して遺すことである。
 8年間、欠かさず書き続けたために「要約力」がついたことは間違いない。
 この「要約」の力を一般の人は持っていないようだ。 決断の場面が少ないのだろう。
 決断をする時に、何度も、対象を要約して冷静に見つめる作業の繰り返しが必要だからだ。
ここで「情報の要点をつかんで手短に集約し、かつ全体像をしっかり理解すること」
 「要約」という作業を「正しく効率的にできる能力」と「要約力」と定義した上で、
 「要約力とは情報を論理的に把握する能力であり、自分の考えや意見を論理的に構成し、表現する能力」としている。
 −要約には1.ストックと2.フローと分け、
 1.は情報の圧縮。 2.が目的に応じて整理・統合され強化されたものと分類し、要約カプセルと名づけている。
  −要約力強化には要約メモの習慣を勧めている。
  「要約」のポイントとして 要約すべきところを箇条書きにして(50字以下.箇条書 10項目以下)
  前後の因果関係・相互関係から全体の文脈が見えるようにするのが良いようだ。
 更に印象に残った部分を抜粋すると
 ・要点という「点」を、論理という「線」でつないで全体像を理解すること
 ・記録力には感想力と要約力があるが、どちらもバランスのとれた人間形成のために必要
  感想力は、自分の思いや情緒を表現する「個性を感情面で育てる力」です。
 ・真の意味で要約力の高い人とは、必要なものを瞬時に抜き出し、統合することができる
 ・要約情報とは、連想や関連づけなど同時並行的な思考から生み出される情報のエッセンスとし
 ・要約思考を呼び起こすきっかけワードとは「なぜだろう?」「そういえば…」「とどのつまりは…」
 「でも、本当にそうなの?」「なるほど」
 ・ビジネスでは「起承転結」が「起結承転」になる
 ・共感意識は、要約に欠かせない「もう1つの視点」をつくる
 ・自分自身の感情にネーミングしてみる。 5分位の要点読みをして概略を把握、仮説要約をした上で、
  各論に入るのが速読法にあるが、これは訓練と習慣で身につけることが出来る。要約は「20対80の法則」ということ。
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2008年02月06日(水)
2499, 無くてはならぬもの −7
  ? 一度だけの人生  ―どこに根を張るかー  〜2
P−197
私たちは子供に向かって、「大きくなったら何になるか」と聞くが、それはよくない。
「何をするか」ということを問題にすべきである。
自分の職業を選ぶかということは、つまり自分の人生で何をするかを選ぶことである。
自分は何をするかを選んでから、どういう学問をするかを選ぶべきである。
一流大学でなければいいところに就職できない、など寒々しい気持ちで進学をしてほしくない。
自分が何かをしたいと決めて、そして、あの先生を決め、そして大学を決めてほしい。
あなたの人生で何をするかということは、世間や親が決めてくれることではない。どこまでも貴方が決めることである。
 解)ここで著者は、意志、志をまず持ってから学問を目指すべきと言っている。
 学問は、その意志ー目指すべき人生を学ぶことでもあるから、一概には言えない!、
 それでも、目指すべき人生は何か?を学びたいという意志も、学問の効果になる。
 −−
P−206
 *人生に意味をもて 
生きることに希望を持ってない現代人は、また人生に意味を感じられなくなっているように
思われる。意味がないから、生きることがたいくつなんだ。これほど忙しさを売物にしながら、
これほど人間が生きることに退屈している時代はなかった。
人間が人間であるゆえんは意味のない生活には耐えることができないことにあるのではないか。
耐えることができなくなると、それから逃げ出したいという欲求にかりたてられるのである。
・・・私もまたしばしば現実のさまざまな苦しみにうちひしがれることがある。
しかし、私はもはや人生に絶望しないであろう。「生きよ」と私をうながしてやまない声があるのだ。
祈りを通して、答えてくれる声である。祈るとき私はイエス・キリストの前に立つ。
祈るときキリストは私の前に立ちたまう。私は独りではない。人生に意味を失っている友のうち、
キリストが私に与えてくれるひとりの友のそばによって、「生きよ」という力強い声を伝いたいのである。
解)「生きよ」という言葉! それは知識を持ってしまった人間に対し、神を信じろという言葉に等しい。
その人によるのだろうが、やはり神しかないのだろうか?
40年近く前の文章だが、現在の社会に対する警告が深く含まれている。
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2007年02月06日(火)
 2135, 時間についての一考察 −2
        b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
前回につづき「今ここ」について、「哲学はこんなふうに」(スポン)の中の
『第10章 時間』から更に書き出しながら考えてみよう。時間は「自分」を考える上で意味が深い。
直感としての瞬間としての、「今ここ」の垂直に立ち上がる、永遠を考えると奥行が深い!
  ーーーーー
現在がすべてだというのに、我々は現在の外に出ることが出来るのだろうか?
精神でさえも現在に属しているというのに、どうして我々がそんなことを望むのだろう?
人生は、我われを脅かす運命や猛獣のように、未来の中に潜んでいるわけではない。
天国や約束のように天空の中に隠されているわけでもなく、
牢や檻の中にあるような過去の中に閉じ込められているわけではない。我われの人生はいまここにあるのであり、
いま現にあなたが生き、おこなっている当のものであり、存在のただ中にー現実として生きていることの
果てしない嵐の中にーあるのだ。
 セネカによれば、「生きることにとっての最大の障害は、期待を持つことだ。
・・将来のことすべては、不確実の領分に属している。いますぐに生きるべきだ」
今日を楽しめ!ということなのだろうか?それだけでは足りない。日々は過ぎていき、一日たりとも残りはしないのだから。 
むしろ現在を楽しむことだ。 現在は変わりながらも連続しているのだから。だから、永遠を楽しめ! 
それは瞬間を生きるということなのか? そんなことはない。瞬間のうちで、試験の準備をしたり、休日の計画をたてたり、
約束を守ったり、友情や愛情を築きあげることはことなどできるわけがない。
では、現在を生きるということなのか?それがただ一つの道なのだ。未来において、はたらいたり、楽しんだり、
やりくりしたり、愛したりできるはずもない。現在だけが行為の唯一の場であり、思考の唯一の場であり、
記憶と期待との唯一の場である。それがカイロス(好機、行為すべき時)であり、あるいはカイロスとしての世界である。
存在が時間の中にあるのではない。存在が持続するからこと時間があるのだ。現在を生きるということは、どういうこと?
たんに真実に生きるということだ。 我われはすでにその王国中にいる。永遠、それがいまなのだ。
  ーー
「いま・ここ、それ以外何もない、そして、たんに現在を真実に生きること」ということだ。
 そうすると、誠実に純粋に生きるということが最も大事なことになる。それが永遠の命を得るということだ。
「亡くなった人に会えなくなる!というが、それは未来の期待である。
 確かに会えなくなるのは事実だが、しかし亡くなる前よりいま・ここでは、自分の心の中では深くなっている」と、
 以前書いたが、いま・ここ、という時間を考えると、その意味が理解できるようだ。
 我われの生きている数十年など、宇宙時間から考えれば一瞬でしかない。
 それなら、50年前の一瞬と、いま・ここの一瞬と同じことではないか!
 もし30年前の「いま・ここ」に大きな感動をしていた時と、いま・現在にボ〜ッとしていたら、どちらの時間として
 存在しているのだろう。永遠へつながる瞬間をやはり求め続けなくてはならない!ということ。  
 それがカラオケで遊んでいる瞬間としても!誠実にその時間を楽しんでいるという意味で、
 何ごとも一期一会である。それぞれの時が永遠である!「現在だけが、存在している」だから、その時間を
 濃くしなくては!現在は永遠の旅人である。  で、出来ちゃった婚で、その結果 離婚?アフォ!
 次元の低い事例を出すな、まったくもう!
                   (゚∇^*)ホンジャ、バイバイ! ♪〜
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2006年02月06日(月)
1770, 閑話小題  才ノヽヨーφ(・ω・`)
ー倒産にみる地域性
倒産時の経営者に、それぞれ地域特徴があるという。
新潟県中越圏レベルの話になるが、長岡は倒産すると弁護士のところへ飛び込む、柏崎は夜逃げ、
銀行に融資を断られた帰りに首吊りか近くの川に投身自殺、三条・燕は昔から日常茶飯事で慣れたもの、
平然となすがままという。倒産は借金が絡むので、それぞれが生々しく生き死にの線上の残酷な事態になる。
身辺で何人も生々しいのを見ている。問題に直面しないで、最後まで逃げ回るから傷口が深くなる。
´・ω・`)_且~~茶 イカガ?

最近のネット上のキーワードにWeb2.0がある。数年前からはっきりと兆候を見せ始めている、
「新世代のWeb上の環境のこと」である。この環境変化を呼び込んだのはBlogやSNSGoogleAmazon
などの巨大ネット企業の数年来の行動の結果、でてきた環境である。大枠の意味合いとしては、Web1.0の静的なWebや、
Web1.5のサイトの独立性が高いダイナミックなWebとは異なり、サーバやコンテンツ同士がシームレスに連動され、
インターネットが社会的なネットワークとして動作する環境をいう。調べても、これがweb2.0と言い切っているものはないが。 
私の解釈でいうと、「住宅にたとえると、これまでは都市計画もなしにそれぞれが勝手に建てていたものが、
自然発生的に都市計画が作られつつあり、マンションや高級住宅になり、それぞれ情報システムが整ってきた状態」
という喩えは、どうだろう。 問題意識を持ち、コンセプトを確立してキーワードを打ち込めば、一瞬にして膨大な情報が
簡単に手に入る環境が整備されてきている。現在、薄型TVが家庭に雪崩れこんでいるが、これに光ファイバー
連結されると多様な情報が家庭から取り込むことが可能になってきた。 面白い時代になったものだ!
                  Byeヾ(;ω;)Bye
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2005年02月06日(日)
1405, まよったときは運命を信じなさいー3
 −三つの部屋の物語ー
寝る前に「迷ったときは運命を信じなさい」の光のトレーニングをして半月以上になる。
以来、夢が次から次に出てくる。現在抱えている問題や過去が、夢の形で迫ってくる。
心の奥に閉まってある問題が、現在の問題と何らかの形で繋がって短編の物語になっている。
人生、59年も生きていれば、多くのことがある。 今まで袋に入れて、入り口を紐でしっかりと
縛って出さないようにしてきたが、過去の日記を書いたり、本を読み込むうちに溢れ出始めたのだろう。
そして傷口が傷むのだ。怒りは見えない形での傷口の悲鳴の変形ではないだろうか。怒りは、その傷口からの叫びなのか。
潜在意識とは、つくづく複雑で深いものである。心理療法の映画を見ていると、心理カウンセラーが心の傷を探して、
その傷口を治療するプロセスを面白おかしくストーリーにしてある。
「迷ったときは運命を信じなさい」の中のギリシャ神話の神の「光りのイメージト・レーニング」は、
自分の原型探しの他に、自らが光りのイメージになることが、癒しにとってリアルで驚くほど効果的である。
ところで、私のストーリーをつくってみたくなった。 私の心象風景でもある。
 ーー
ー三つの部屋の物語ー
地下へのトンネルのあった家から一度出て歩いていると、古びたレンガつくりの田舎風なホテルがあった。
そこで、そのホテルに泊ることにした。何か魂が休まるような感じのよいホテルである。
案内されたホテルの部屋は思いのほか広い。見渡すと隣の部屋へのドアがあった。
家族連れなど大人数の為に二室を使う時のドアである。そのドアが半ば開いていた。
中を見ると小さいスペースがあり、光り輝いていた。一歩入ると、自らが光りになったような感じになった。
そして更に三室のドアがあり、それぞれの部屋の名前が書いてあった。
「未来の貴方の部屋」「亡くなった縁故者の部屋」「無限宇宙空間の部屋」
そこで先ず「未来の貴方の部屋」に入ってみた。何と10年後の私と、20年後の私と、
生まれる前から亡くなった後も包み込んでいる私が立っていた。先ず10年後の私が、
肩に手をかけてソファーに優しく導いてくれた。そこで、緊張をしている私に向かって、にこやかに話し始めた。
彼は、「これから先の貴方の10年間を全て経験してきた」。そして、慈愛の目で私の心の奥を覗き見るようにみて、
「私を知りたかったら、十年前の自分を見つめなおしている今の貴方が、そのまま私である」と、語りかけてきた。
                 ー づづく
・・・・・・・
2004年02月06日(金)
 1038、「わたしは悪い不動産屋」−2
以下の内容は、この本の書評というより、仕事で不動産にかかわってきた
私の目から見た不動産業に対する批判と知識である。
この本を読む限り、不動産屋とかマンション屋は全て悪徳のように思えるが、実際はそうではない。
真面目な不動産屋が大部分である。しかし、20??は悪徳に近い。80対20の法則がここでも当てはめることができる。
その20?が80?の悪さをする。しかし、それを素人は見抜けるわけがない。
80?の善良の不動産屋にも20?の悪徳要素が含まれていると考えた方がよい。
完全な物件は無い、それをよい部分だけを誇張していまうのだ。
知り合いに面白い善意の不動産屋がいる。自分は何もそれが彼の仕事である。
ところが、それを親しい人間にも、それをしている。そのことを自分で全く解ってない。
純粋で、善意で、無意識で、人間の瑕疵をさがしてしまている自分に気が付いてない。
その瑕疵を純粋に相手を変えて言ってしまう。悪意なしの無意識の世界の恐ろしさの深さがある。
ー商売性格形成論を今度かいてみよう。
不動産業の業よりも、誰もが持っている人間の業であるが。人間は誰も善意の悪党の要素を多く含んでいる。
人間論になってしまった。まあ他人事でない。違うカタチで自分の生き方で、同じことをしていたのだろう。
生きるということは、こういうことなのだろう。純粋性の恐ろしさと、深さがある。
不動産屋は、なるべく相場より安く値づけをして早く商売を成立させたい。
その為に対象のケチとあら捜しをするのが習性になっている。
不動産取引は、情報の売り買いである。長期物件の売買で生きていく糧を長年かけて網を張っていく世界だ。
蜘蛛の巣に情報がかかってくるのを待つ商売である。少しマイナスの視点で書いているが、それだけ深い世界ということだ。
そして無くてはならないビジネスである。
不動産屋をみていると、それぞれの個性がある。野球のバッターに例えると
・バント専門                 ・ヒットバッター
・ホームランバッター             ・代打専門と、それぞれの特性がある。
・バントは、アパートなどの仲介を中心に扱う  ・ヒットは、マンションや住宅の売買を得意とする
・ホームランは億単位のビルの取引を狙う1発屋
・代打は、そういう情報を得て、長期物件に不得意の人に代わりに時間をかけて得点を得るために三割〜半額を
もらうことを裏契約をして共同作戦をする人 等々、生臭い情報を探し求めて利益を探しだす世界である。
 自分を、その世界にサラシテ生きてきたからよく解るのだ。 トンビという仕事もある。事務所を持たないで、
情報を売り買いしているハイエナ的な仕事。饅頭のアンコという言葉もある、情報のやり取りで利益を分け合うのだ。
                   ー つづく
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2003年02月06日(木)
 673, 笑点
毎日新聞で,毎週日曜日の夕方のTV演芸番組の「笑点」を特集していた。
ー要点を書くと
・1966年から37年近い長寿番組である。
・16?の視聴率をコンスタントに上げ,時に20?を越す人気番組だ。
・過去に初代が立川談志、2代目が前田武彦、3代目が南伸介、4代目が20年前から現在の三遊亭円楽である。
・この大喜利には9人の構成作家がいる。持ち寄った100問を2週分の収録として6問まで絞り込んむ。
「旬の話題」と「同じ問題はやらない」がモットーだという。
 問題とその解答を同時に考えるという。 軽妙に答えているが、全て作家の創ったものだ。
・映画の寅さんのマンネリズムを逆手に魅力にしているという。
・長寿の秘訣は「腹8分目の姿勢」である。
(字数の関係でカット 2009年02月06日)
・・・・・・・・
2002年02月06日(水)
 323,ある時間の断片-1
ロッコマラケシュで、夜半ホテルより馬車に乗り中心街の「ジャマ・エル・フナ広場」に行った時の話。
4人のりの馬車に一緒にのったのが、同じグループの母娘であった。母親は少し初老性のボケ?が入っていたか、
もしくは「元お姫様」ではという感じの品のよい人で、一人興奮してか話しまくっていた。
その話しが面白い!といって今回の観光のピークの場面。その街の景色が素晴らしいのに、どっちに気持ちを集中して
よいのか本当に迷ってしまった。世界的に知られている「マラケシュの街並み」も素晴らしいが、その人の話しも面白いのだ!
私はマラケシュの街並みの方をとる。それは座る場所で決まるのだ。
家内はその話の聞き役をとった為、街並みは殆ど見れなかったという。
その内容とは
ー自分の亭主は日航の機長であった。以前羽田で精神症で大事故をおこした?機長と同期。
実を言うと自分の亭主が高所恐怖症。誰も知らない秘密を私だけがしっていた。
「屋根の修理で震えていた」のを見てしまった。本人に聞いたら「実をいうとそうだ!」と答えた。
こういう話がそのベストタイムに続くのだ、よりにもよってその時間に!
そのTPOSで聞くから、その話が更に面白い!家内は笑いっぱなし!
それに劣らず、その夜景が素晴らしい。まさしく小説の世界、いや映画の世界といってよかった。
同行の娘が傍でハラハラしているのが、手に取るようにわかる。母の世話に全神経を帰国するまで使っていた。
  ネタはツキマセン! このての話しなら!
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 2月6日  1969年
産関論の試験は、まあまあよかった。途中で、クラブの仲間の小林(仮名)とバッタリであう。
茶店で、彼と話す。何かチグハグでかみ合わない。ここで司法試験に挑戦をすることにしたとか。
ここにきて、思いつきで受かるほど甘いものではない。動機が浅いのが私でも解るのに。
本人は、その甘さを指摘されたことが気に障ったようだ。
8日に、再び会うことを約束をする。私の寮に来るという。
クラブで親しかったが、これも最後になるだろう。親父が不動産屋で、
取引の何かがあって刑務所に入っているとか。どういうことか解らない。