閑話小題 

 * ツイッター、その後
昨年暮れにツイッターを一月続けてみようと思い立ち現在に至っている。 ブログを維持するのが大変だが、
ツイッターなら誰でも直ぐに出来る。ツイッターはチャットとブログを足して二で割ったようなミニブログで、
ブログを維持するほどのエネルギーを要さない。ブログの文章はテーマを考え、文章を書くが、
ツイッターはテーマは必要なく自然のツブヤキを書く。キーワードはネット上で選んでくれる。 
 私のブログのテーマは、殆ど「つれづれに」である。したがって内容は【つぶやき】に近いもので、
その時に自然に発生してきた思いを書いている。ツイッターに写真を貼り付けは可能だが、
分類の仕分けは出来ない。 世界のツブヤキが地域を越えて行き交うとは面白い時代である。
ブログから『ツイッター』へ多くの人が移行しているというが分かる。
私の携帯はiPhonだが、ここでツブヤクと、そのままツイッターの書き込まれる機能もあるようだ。
撮った映像をツイッターに載せるサービスもある。どこからも発信できるので、現場の臨場感のある
映像が瞬時に発信される。自分のブログを常に文章に貼り付ける人が多い。連動するので親子ブログのようになる。。
  〜〜
 * 日本航空の破綻
 天下の「日本航空」が破綻するなど、5年前など考えられなかった。
それが、アッサリと破綻してしまったのだから、驚きである。
地方の赤字路線でも飛ばさなければならないことなどが重なったからである。
また組合が多くあり、複雑な内部事情もあった。 アメリカの航空会社が触手を出しているが、
何とか日本政府が主導権を持って立て直すようだ?。 航空会社の世界的不振は、情報化により
人的移動が劇的に少なくて済むようになったこともある。 日本の場合は、欧米のような
過酷な競争が少なかったことが、逆に体質を弱めたことになった。 この破綻は景気に与える心理的影響は大である。

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2841, 雲頓庵 −2
2009年01月14日(水)
 とにかく、この寺は何ともいえない磁力があり、新鮮だった。
勝沼という若い僧侶がいたが20年前に行ったところ新井石龍の養子?に収まり、副住職になっていた。
この坊主が面白い人物だった。次回に彼について書いてみる。まずは石龍禅師から・・・
 ーS63・07 新井石龍禅師に学んだ事 ー?
夜十時頃、一人で本堂より三百m先に入った禅堂で坐禅のマネ事をしていた時の事。
我慢で時おり襲ってくる恐怖感に耐え、そろそろ本日の終了と思った矢先。
誰もいるはずのない堂内に何かの気配!雲水に因縁めいた話を聞いた事も手伝い恐怖のどん底に落とされました。
私の人生で二回の超恐怖体験の一つです。 大声を出し、逃げ出したいのをこらえ震える足で本堂にたどりつきました。
雲水と“医者の卵”と“弁護士の卵”と四人で、懐中電灯と棒を各々持ち、恐々禅堂にその正体をたしかめに行ったところ、
猫位の大きさの獣物だったのです。逃げられないように禅堂の戸閉まりをして翌朝に持ちこみました。
再び四人で棒を持ってその獣物の正体をたしかめに行ったところ、何と“モモンガ”だった。
そこで“生け取り”と追いかけ回したのですが、途中から反対に歯をむき追いかけられる仕末。
野生の獣と直接対峙したのは初めてでしたが、その殺気には驚いてしまった。
その時騒ぎを聞きつけた老師が我々の一人の棒をとりあげるや、一撃でモモンガをたたき殺してしまった。
その気合のすごさに本当に驚いてしまいました。二十才そこそこの大の男が四人逃げまわっているのに、
九十近くの禅師が何のためらいもなくただの一撃!
私自身その時、合気道を三年近くやり、少し逆せていた時だけに、その迫力にショックをうけてしまった。
結局武道も禅よりみると枝葉でしかないのか?等々。禅師の一面をみた事件でした。
 −−−
 当時の日記が残っている、書き残すということは生きた痕跡を残すことである。
写真もしかりだが、日常の何気ないことほど細かく残すと数十年後に、それが網のようになり、
多くの記憶が戻ってくる。過ぎてしまえば4年も40年も同じである。
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−1968年8月31日日記帳より
今日雲頓庵(禅寺)に来る。卒論の勉強の為だが、予想どうりのところだ。 早速座禅をくんでみる。
足が痛くなり無我の境地にさほど遠い。現在の自分が求めていたもののヒントを与えそうだ。
ここに慶応大学を卒業して弁護士の試験勉強をしている高橋さんと、立教女学院の短大生が10人位いる。
面白い人ばかりで明日帰ると言う。帳面を忘れてきた。これから当初の目標の計画立てだ。
  ー9月1日
朝5時に目が覚める。鐘の音が聞こえてくる。6時半に起き早速掃除をする。
朝食前に高橋さんと裏山に登ってみる。昼、彼女らが帰る。昼飯時にこの寺の後見人という人と話す。
午後は離れの一室で「流通革命」を100ページと「流通機構の話し」を60ページ繰り読む。
勉強の集中力が足りないのがいらだつ。明日より気を入れなおさなくては。夜は10時にうとうとしてしまった。
 後記ー独りで夜30分禅堂で座禅をくんでみる。ロマンチックな感がする。誰も見ていないので自分との闘いだ。
  ー9月2日 六日町 雲頓庵
朝6時に目が覚める。6時半に顔をあらい掃除をする。食事の後、「流通革命」を後半100頁を読み終える。
そして昼飯。小千谷の根本医院の長男がやってくる。二浪とか「つらいだろう!」
13時から17時半まで「流通機構の話し」を読む。中央公論の流通の切り取りも読む。
何か集中が足りない。21時半に禅堂にいって座禅をくむが、何かごそごそという音がする。
こわごわ見ると猫みたいなのがいる。一瞬凍りつく!よく見ると小さなイタチみたいだ。
皆を呼びにいく。全員でそれを追いかけまわす。逆に歯をむいてくる。とりあえず戸締りをして、次の日にする。
  ー1968年9月3日
目が覚めるが時計が止まっていて何時かわからない。本堂に行くと6時10分、顔をあらっていると、
住職が昨日の動物を退治しようと長い棒を持ってやってくる。
そして気合もろともその動物をたたき殺す!凄い気合だ。よく見るとイタチでなくモモンガであった。
顔を見ると可愛い顔をしている。少し気の毒に思った。
昼飯後、住職とわれら3人組で裏山に茗荷を取りに行く。それが結構面白い!かごで3杯とる。
午後の勉強は3時になる。急に将来のことを考えると、不安が押し寄せる。相変わらず、読書のペースが遅い。
  ーー
 40年の時空を超えてというのも、自分のことだから実感できる。書いてあるからである。
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008年01月14日(月)
2476, 閑話小題                ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
 *大相撲初日の感想!*
大相撲の年三回開かれる両国場所の初日が、それも初場所の初日が特に面白い。
それが昨日であった。朝青龍の復帰の場所と、時津風部屋のリンチ殺人事件が、大きく取り扱われている
タイミングもあり異様な感じが漂っていた。幕下の取り組みから、若手有望力士を見分けてやろうと見たが、
有望なのは旧ロシア圏とモンゴルの若手だけ。元アマチュア世界チャンピオンなど、
一〜二年後に三役間違いない力士が4〜5人、横綱間違いないというのが、二人もいた。そのうち、
半分は怪我で潰れるが・・幕下、十両に有望な力士の厚みが、全体のレベルにつながってくる。
 (字数の関係で、中間カット09年01月14日)
ーところで「パンデミック」をWeb辞書で調べてみるとある感染症が世界的に流行することを言う。感染爆発。
これに対して感染症が一部地域で、あるいは散発的に流行することは「エピデミック」「地方流行」と呼ばれる。
  歴史的なパンデミックとしては、
・14世紀にヨーロッパで流行した黒死病(ペスト)、
・19世紀から20世紀にかけて地域を変えながら7回の大流行を起こしたコレラ
・1918年から1919年にかけて全世界で2500万人(4000〜5000万人という説もあり)が死亡したスペイン風邪などがある。
現在の世界は、航空機などの輸送機関の発達によりパンデミックが起こりやすい体制になっているため、
検疫を行うなどして感染症流入を防ぐ対策がとられている。近年東南アジア諸国で発生している
高病原性鳥インフルエンザウイルスH5N1型によるトリインフルエンザにより、現在でもパンデミックが起こる恐れがあり、
世界保健機関が途上国を中心に対策を立てている。日本では、厚生労働省を中心に地方自治体が対策をとっている。
                (Оゝ∀・О)バイバイ!
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2007年01月14日(日)
2112, 塩野七生が「日本の政治と政治家」を語る −2
                才八∋ウ_〆(∀`●)
 ローマ帝国の歴史を熟知している欧米の政治家からみて、日本の政治家の演出があまりにも乏しくみえるのは解る。
 国家連合を1400年も維持してきた政治センスは一朝一夕で出切るものではないが。
 しかし、真似ることも、学ぶ事もできるはずである。また国家のために一身を投げ打つ覚悟が出来ているかどうかもある。
 −−−
*民主主義の仕組みの中で、理想的な政治家は生まれるのでしょうか? 果して民主主義は絶対的な善なのだろうか?
  塩野:私は日本人に少し違和感を感じるのは「民主主義を信じすぎ」ということです。
   民主主義は万全でない、デマゴーグに左右されるのです。
*政治家の粒が小さくなったと言われますが、どうですか?
  塩野:それは政治家を使い捨ての存在だと思ってないからです。
   使い捨てだと思えば、その人の一番いいところがどこだと考えて使います。
   権力は「必要悪」でなくて、何かをやるために「必要」なのです。この頃の政治家は面白くない
   という議論は、20歳そこそこの若い女性が「この頃の男は面白くない」というのに似ています。
*政治家は善人には出来ませんね
  塩野:安部のような旦那様にはできますがね。一度だけ小泉元首相会ったことがあります。
   彼は私が書いた「マキャヴェッリ語録」の最後の「天国に行くのに最も有効な方法は、
   地獄へ行く道を熟知することである」という言葉が一番好きだと言いました。
   「政治家は地獄へ行く道を熟知していて、国民を天国になるべく連れて行こうとするが、
   自分は地獄へ行ってしまうのです 一歩間違えば地獄に行く可能性があるから我々は注意するのに、
   「天国にお手てつないで行きましょう」と言って、地獄を忘れさせてしまう。  ( ̄▽ ̄)■]~~~ 珈琲TIME♪
*阿部首相は就任後、印象が変わった。首相を演じているように思えますが。
  塩野:日本の政治家はTVの使い方が変だと思います。TVの前で話す時、カメラの前に何千万の人がいるいると
   考えるのではなく、たった一人のひとを相手にしている思えばよいのです。
   一人に分ってもらえればよいと思い書いている。そこを小泉さんは分っていた。
   一億を相手にしている思えば「俺は死んでもよい」なんていえますか。
*文章や弁論でも、戦っていると迫力がありますね。
  塩野:ある政治家が「政治家は有権者のニーズをくみ上げて・・・」と言うから、私は、
  「有権者は自分のニーズをはっきり分ってない。あなた方が喚起すればいい」と言ったのです。
    有権者が「そう言われればそうだ」と反応すれば勝ちである。
 ーーー
 文章も、演説も同じである。
 一人を相手に書く、自分に対して話しかけるのがポイントである。小泉は罰一で、阿部は「あの上さん」がいる。
 独りになる時間が圧倒的に少ないし、上さんにエネルギーを取られてしまう。
 小泉は、常に独りで自問自答している言葉で、効果的なものを言えばよい。その差が画面にそのまま現れている。
 日本は早急に大統領制を取り入れ七つ位の州に国家機能を分割して、思い切った改革をしないと、
 国家衰退を止めることができない。それと天皇制もあり方も、根本的に考えないと・・・ 
 厚生年金が最近まで世界トップの22万円だった。それが欧州の何カ国に追い抜かれ、30万円以上の国が出てきたのだ。
 その鍵が、円がユーロに対し数年前の70数?になったからである。 国家が衰退していくということは、
 円の価値がドンドン下がっていくこと。 日本人の力のある人は、チャンと先手を打って財産を海外に移動している。  
 放置していた政治家と国民の責任であるが、国家が衰退するということは、一人一人の財産や、
 生活が衰弱していくということになる。   まあ、先がそれほどあるわけではないからよいが・・・               
                 ホンジャ \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・・ 
2006年01月14日(土)
1747,新潟駅・駅再開発が決定!
           オッハヨ〜
        (((。・-・)从(・-・。)・゜・。・゜゜・*:           
 昨日、市役所に駅再開発の経過を聞きに行ったところ「最終決定された!そして近々に公示。
 年度内(三月末)着工に向けて最終の詰めに入っている。」という。
 昨年末に市と県のそれぞれの審議会で、計画案が通ったという記事はHPで見たが、
 市役所で決定を直接聞いたので間違いだろう。 (_ー_)逆ニヤリッ!!  ー ̄) ニヤッ
 当社にとって待ちに待った朗報である。これから十数年は工事関係の長期滞在の宿泊が見込める上に、
 駅周辺の地価の下げ止まりと同時に、これまでの急激な値下がりの反動が見込める。
 着工前と、着工後というくらいの大きな断層になる。  新潟県下越の一極集中は新潟駅周辺になる。
 これで、とにかく「生存レベル」ではクリアする。
 当社にとって4棟のホテルと200坪の駐車場が道路拡張など計画案のど真ん中に入っているので、この決定は大きい。
 いずれにしても再開発のプラスのエネルギーが当分つづくことになる。 年度内着工のおりには内祝である。  ^
     _^)/q□☆□p\(^_^ ) カンパァーイ            
                     クゥーッ!!”(*>∀<)o(酒)" (酒)
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2005年01月14日(金)
1382, 23歳の日記ー8  ー9月01日 1969年
 (字数の関係でカット2009年1月14日)
・・・・・・・・
2004年01月14日(水)
1015, 一人と独り
度々この言葉の書き方を迷うことが多い。私の場合は、状況から「疎外感を持っている状態」を「独り」と書き、
数名の一人の場合を「一人」と書いていた。独りは、独身や孤独などの置かれた状況をいい、一人は、
一が人についている状態で孤立とは違う。したがって独りという言葉とは少し意味が違ってくる。
数字で言うと一人は「一」で、独りは「ゼロ」ということか。
 辞書で調べると
・ 独り ー単独、孤独「独りになりたい」
・一人 ー人数「息子が一人います」となっている。
状況と数の違いということだ。凍りつくような独身生活と青春を謳歌している独身生活とは同じ独りでも、
また意味が違ってくる。老人の自殺は、凍りつくような独り生活に耐えられなくなるケースが多い。
生涯を通じて、自分独りの楽しみを創ってきたかどうかだ。しかし連れ添いや子供を失った喪失感は、
それでもカバーできない場合がある。この随想日記も早朝、独り居間で書いている。
全く寂しいとか、辛くて書いてはいない。どちらかというと面白い。「独り」は「真我」といってよい。
自分の中心点の奥の「正一点中心無」といも言えるだろう。
ー以下はインターネットで調べた内容をコピーしました。ー
 ー「独りって…」
  ある人が言ってたよ。 一人と独りは違うとね。私はその言葉にうなずくよ。私は独りだけど独りじゃない。
  私には、友達も仲間もお母さんもいる。でも、私は独りです。どんなに幸せな時間が流れても さっきまで、
  仲間と笑ってる時間があっても独りの寂しさはやってきます。 人間、しょせん独りなんです。
   ーーー
 −ひとりでいるのは寂しくない?−
  誰かに聞かれたことがあった。「一人は寂しくなんかないよ。」たしか俺はそう答えたはずだ・・・
  でも  ―――独りは怖い―――
  心ではそう思ってはいたが、外に出すことはしなかった出しても気付く人はいなかった 
  「一人」と「独り」の区別を知らない者・・・
 彼らは幸せ
「独り」の寂しさを知らないから「独り」になったことのない”幸せ”な人たち
”孤独”という単語は知っていても理解することは出来ない者達、そう彼らは知らない  
 知らないから”幸せ”でいれることを

 けど知ってても幸せになる方法を 教えてくれた人がいた『一人は怖い?』
 ――怖くないよ。ただ嫌になるだけ――

『独りは嫌い?』
 ――嫌い――
『じゃ、一緒にいよう? だったら独りじゃないよ』そういったのは誰だっけ?
・・・・・・
2003年01月14日(火)
 646, 教育を考えてみた
昨日は成人式だった。少し硬い教育を考えてみよう。過疎の学校の生徒の成績は普通の学校の生徒よりかなり落ちるという。
学校の統合や廃校で父兄が反対運動をするが、これは生徒の側から見たらマイナス。
常識的に考えれば、一人当たりの先生の比率が圧倒的に多い過疎の方が成績が良くなってよいはずだ。
それが反対に悪くなるのはどういうことだろうか? いろいろな問題が含まれている。
あまり管理が行届いて、子供の遊びや工夫の目を摘んでしまう事や子供同士の動物的刺激が最小に済んでしまうからだ。
小学校高学年から中学にかけての虐めや、ライバルとの闘いが意外と人間性の基礎をつくっているのかもしれない。
多くの人間との接点の中より人間の基礎がつくられるのが真実ということだろう。
小学校5年までにその人の能力の基礎は確定してしまっている。そこのベースより抜け出せないともいう。
小学校や中学を見渡しても、大化けした同級生は全くいない。逆はいくらでもいるが。
これからの時代は、今までのような学業の成績だけでは判断されないから難しい。
自分で自分の特性を早く見つけて、自己育成を早い段階で積み上げなくてはならない。
昨日の成人式でノーベル賞をもらった小柴さんが「やりたいことを見極めて」と言っていた。
「自分のやりたいことを見極めることは、そう簡単なことでない。
食わず嫌いせず、いろいろな事を自分で試してください」と。もう遅いのか?最後のチャンスなのか?
「あなた何がしたいの?」とある若い人に聞いた。「何にもない!ただ流されるまま生きていければよい。
この時代何をしても上手くいくはずがない。時代が悪いのだ。」
開いた口が塞がらなかった!でもこれが若い人の半分以上を占めている感覚である。
大学を卒業しても就職口ない時代、自棄になるのは解らないでもないが。
そういえば地元の?? 問屋の??2代目が同じことを言っていたのを母から聞いた事を思い出した。
親父が「俺なら幾らでも創業のネタがあるが、ああなっては人生終わりだ」という内容。
「人生どんな時でも前向きに切り開いていく能力」が教育の基本だが。
今の日本の中途半端の挫折がこういう雰囲気をつくっている。最後は悲観的になったが、教育はすべての基本だ。
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2002年01月14日(月)
 300、「心と合理化」
「合理的とは最小の資源で最大の効果を求めることである。
しかし心構えとして必要なことは、最大の努力で最小の効果である」若いときに出会った言葉である。
そして全てに対してその気持ちの構えでとり組んできたー精神論もいいところだ。これは知る人ぞ知ることである。
意外とこれは落とし穴かもしれない。それを可能とするのが、本当にそれが好きかという根本で決まってくる。
「好きと嫌いはどれほど違う、命ただやるほど違う」という都都逸があった。
好きなことをしての一生と、そうでない一生では天と地の位の差がある。
私の場合、事業と箱作りービル建設である。したがってこの30年、全く苦労した感はない。
周辺に波乱万丈の人生を生きてきたとかいう人がいるが、それが何なんだとつくづく思う。
好きなことをやってきたという人生こそ大事なことだと信じていきてきた。他人の批評は所詮他人の脳の歪みでしかない。
この前ベトナムに行ったとき、定年直前のバスのドライバーが二人できていた。
本当に楽しそうに旅行を楽しんでいた!子供のとき自動車に憧れ、大人になったら
ドライバーになると決めていた。本当に夢がかなってよかったとシミジミ言っていた。
決して社会的に高いわけでないが、人生の後半にそれを言えることが最も大事だと思うようになった。心とはそういうものだ!
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1月14日 1969年
11時過ぎに起床。 食後、卒論の最後の仕上げだ。 16時に酒井君がくる。
佐藤の友人で早稲田の男で何か気が合う。酒を買ってきて、佐藤と三人で飲む。
酒井君に「私は防御が強すぎる。そして直に針を出して、人から自分を守ろうとする。
如何でもよいことまでも突き詰めてしまうと。自分をあまりに大事にしすぎだと。もっと自分を下から見るべきか。
・「観念構成のために最もよい燃料は経験である。 直接的な経験は一番上等な燃料になる。
 こういう経験はいつまでも身についてくるし、必要な時にはドンドンでてくる」
・「賢人の最も美しいあり方は、きわめて控えめな言葉を使って、きわめて強烈なことを言うことにある」
・「自分自身の考えを信じること、人知れず深く考え、自分にとって真理であることは全ての人にとって