* アメリカの産業の現状は?
 ー 以下は、中央公論中岡望のレポート[アメリカ、失われたバラ色の未来」の抜粋である ー
アメリカでは金融業界を「ウォール・ストリー」というのに対して、製造業などの産業のことを「メイン・ストリート」という。
現在、ウォール・ストリートは急速に回復しているが、メイン・ストリーや地方経済の低迷の色はさらに濃くなっている。
アメリカ経済の衰退はもはや避けがたい状況となっている。 デトロイトでは、自動車産業の衰退で都市そのものも機能
しなくなっている。工場労働者だけでなく、高学歴のホワイトカラーの雇用調整もかつてないスピードで行われている。
自動車会社のビッグ・スりーは工場労働者だけでなく、2006年末から今年の六月までに3万人のホワイトカラーを解雇。
かっては最強の労組と言われたUAW(全米自動車労組)も、雇用維待するための戦闘力を失ってしまっている。
その結果、ミシガン州の6月の失業率は15・6%と.全国平均の失業率を大きく上回っている。デトロイトの失業率は17・7%と
さらに高い水準になっている。同州の労働者の20%がフルタイムの仕事を探しながらも、パートタイムでしか働けない半失業の
状況に置かれている。 デトロイトの住宅市場に回役の兆しはなく、七月時点で住宅価格はピークを付けた2006年初と比べて
45%下落し地域杜会の荒廃が続いている。 同州では、高賃金が期待できる防衛関係や代替エネルギー関係や医療関係の
企業の誘致を進めているが、目立った成果は見られない。 職を失った人は悲惨である。
あるクライスラーのエンジニアは年収11万ドルを稼いでいたが、早期退職をした現在はパートタイムで働いており、
週給はわずか500ドルである。クライスラーの製造開発の責任者であった男性は、年収10万ドル以上あったが、
早期退職をして得た現在の仕事の年収は3万1千ドルである。職を失う影響は収人の滅少に留まらない。
アメリカの健康保険制度は企業が提供しており、仕事を失うことは健康保険も失うことになる。
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 アメリカ社会の深刻な問題は、貧困と格差である。最も豊かな国でありながら、貧富の格差は深刻。
その貧者に金融危機が直撃をし、その格差をますます大きくしたのである。貧困率は一年で12・5パーから13・2パーセントへ
拡大した。「1人暮らしで100万円、4人暮らしで200万円」以下で生活する人は4000万人と一年で、250万人も増えたという。
医療も、教育現場もガタガタで日本とは事情が全く違う。あと1〜2年後の地方が、これに近い状態だろう。
 これらをみると、アメリカ一極の時代の終焉を示している。 それだけ、この金融恐慌の影響は大きい。

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2813, ビッグスリの救済は正しいことか?
2008年12月17日(水)

 アメリカのビッグスリーを政府が公的資金投入の検討を始めたというが、中長期的に見たときに正しい判断かどうか?
アメリカ国内のGMの一人当たりの人件費が、トヨタの1・3倍。 そこまで賃金を下げるべきという議会の案に、
 組合が反対という。従業員の数も、全米で GM25万人に対して、トヨタが7万人。
 その結果、利益はGMの一台あたりマイナス11万に対して、トヨタは6万円の黒字。
 売り上げ台数が両者、同数。役員の年俸が、トヨタ1億に対して、GMが何と13億という。
・車種もビッグスリー合計で、15ブランド130種類に対して、日本の三社合計で7ブランド59種類で、二倍以上。
 販売店がビッグの14000店に対して、日本三社で4000店で三倍以上。これをみただけでも、子供でも
 何が問題か一目瞭然である。その上に、アメリカ車の工場は、大型車の生産向けに造られていて、簡単に時流と
 なっている小型車、エコ車への反転攻撃は難しいから、如何にもならない事態である。
 しかし、明らかなことは、一度倒産させて再生のプロセスを踏まない限り赤字を垂れ流すしかない。 
 誰が、こんな会社の車を買うものか!である。 といって、倒産させれば数百万の失業者で溢れかえることも事実。
 日本や欧州の自動車メーカーにとっても、下請けが倒産すれば、部品の一部が入荷しなくなることもあり、痛し痒しである。
 ところで、これは先進国といわれる国家の縮小版でしかないのでは?
 そうすると、この世界恐慌?は、100年、いや500年単位の世界システムの自然崩壊でもある。
 中国、ロシア、インドが近代化に本腰を入れたと同時に、地球が持たなくなったのである。
 そうこう考えると、この一連の金融危機は世界を一度、根こそぎ破壊するエネルギーを持つことになる!
 
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2007年12月17日(月)
2448, コマツの「コムトラックス」には驚いた!
                  ('-'*)オハヨ♪
一昨日の朝、何気なくBS・TVに回すと、コマツの社長が出ていた。見たのは最後の10分位だったが、
「コムトラックス」というシステムを紹介していた。思わず、その内容に引き込まれてしまった。
ブルドーザに機稼動管理システム「コムトラックス」を標準装備し、遠隔での効率的な車両管理や
きめ細かなサポートサービスを提供する。
建設機械の内部に組み込んだセンサーで車両のあらゆるデータを収集して自動的に送信するシステム。
365日24時間、本社へコムトラックスから絶え間なく送られてくる情報は、コマツ自身、販売会社、顧客の誰にとっても
「宝の山」であるという。それを顧客・販売会社に公開してお互いに有益に使うのがミソである。
一種のWeb2.0型企業ともいえるが、そのシステムなどで、現在では利益率で米キャタピラーを追い越し、
今後とも業績の向上が期待できる見込みが高いという。TVの画像には、宇宙衛星により大きな地図上に世界中の
稼動しているブルドーザの現在地が表示されていた。 更に、それぞれのマシーンの情報 ーガソリンの在庫や、稼動状況、
機械の自己診断の記録、運転状況などのデーターが自動的に情報センターに送られてくる。それらの記録を販売会社、
顧客が交互に使用できるという。運転手のサボりは勿論、ガソリンの不正使用や、盗難も即座に把握できるという。
「何で小松のブルドーザが売れるのか?」と思っていた矢先、納得をさせられてしまった。
顧客にとってブルドーザの状況は一切、機械自身が発信して本部が管理してくれる。機械自身がブログを持ち、
自動的に発信するマシーンといえる。これも情報化社会の先取りの事例ということである。こういうシステムは
今日明日出来ることではない。長年の企業全体のシステムの構築の結果できることである。ただただ、驚いてしまった。
せめて人間もブログは持たないと!IT革命は人類の20万以来の潮流の変化であり、身近に感じ取れるのは
個人的立場からみればブログと携帯電話だろう。
                       バイバイヽ(*´∀`)ノ
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2006年12月17日(日)
 2084, 森の生活  
 (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ
        『森の生活(ウォールデン)』岩波文庫
        
現在、世界において「シンプルライフの生きかた」が見直され始めているが、その元祖といえるソローが
再び注目され始められている。1817年生まれのソローは、1845年の独立記念日を機に、故郷のボストン郊外の
ウォールデン湖のほとりに移り住む。そこに20代後半の2年あまりの間ひとりで過ごした生活を記したのが、
『森の生活』である。シンプルライフの元祖といえよう。ソローは、この森の生活の中で、
人間が生きるために必要なものは、「最小限の持ち物と最小限の労働だ」という結論に至っている。
ソローの‘自然のなかで質素に生きる’を至上とする考え方は東洋的である。
自然との共存を図ろうというソローのメッセージは、効率良く、便利な生活になった反面、
混沌として複雑化する世の中にあって、単純化した生活のあり方を提示している。
森林生活や農業の専業の人からみたら、何を今さら!と思うだろう。
あちら側(都会)の人が、二年余り遊びに来た戯言でしかないと。
しかしソローが読んで欲しいと思う対象は、そういう連中ではない!まあ、そういう穿った理屈はやめておこう。
都会生活につかれ田舎の生活に憧れている自然派にっとは、桃源郷のような生活と思えるのだろう。
     ーー
 ーまずは、印象的なところを抜粋してみるー
「私が森へ来たのは、思慮深く生き、人生の本質的な事実のみに直面し、
人生が教えてくれるものを自分が学び取れるかどうか確かめてみたかったからであり、
死ぬときになって、自分が生きていなかったことを発見するようになりたくなかった。
人生とはいえないような人生は生きたくなかった。 生きるということはそんなにもたいせつなのだから。
深く生きて生の精髄を吸出し、もしそれがつまらなかったら、それをつきとめて、そのつまらなさを世の人々に伝えよう。
それがつまらないものであったら、それを身をもって味わい、その真相を報告できるようにしたい」(上巻162-164頁)
「われわれは存在するように見えるものを、存在するものと思いこんでいる。
 ・・永遠の時間には、確かに真実で崇高なものがある。けれども、そうした時間や場所や機会はすべて、いま、ここにあるのだ。
 ・・・『自然』そのものと同じように、一日を思慮深くすごそうではないか。
 ・・・一日を精一杯、楽しく生きようと心にきめて。
 ・・・生であろうと死であろうと、我われが求めるものは実在だけである」(上巻172-176頁)
  「春の到来は、『混沌(カオス)』からの『宇宙』の創造であり、『黄金時代』の到来であるかのように感じられる。」
   (上巻256頁)
私は私の実験によって少なくともこういうことを学んだ。
「もし人が、みずからの夢の方向に自信をもって進み、頭に思い描いたとおりの人生を生きようとつとめるならば、
ふだんは予想もしなかったほどの成功を収めることができる、ということだ。
そのひとは、あるものは捨ててかえりみなくなり、目に見えない境界線を乗り越えるようになるだろう。
新しい、普遍的でより自由な法則が、自分のまわりと内部とにしっかりとうち立てられるだろう。・・・
生活を単純にするにしたがって、宇宙の法則も複雑でなくなり、孤独は孤独でなく、貧しさは貧しさでなくなる。
・・・・君の生活がいかに見劣りのするものであろうとも、それにまともにぶつかり、それを行きよ。
それを避けたり、けなしたりするな。それは君自身ほど悪くは無い。
それは君が最も富んでいるとき、最も貧弱に見える。あら捜し屋は天国でもあら捜しをするだろう。貧しくとも、
君の生活を愛したまえ。賢人らしく、菜園の野菜のように君の貧しさを耕せ。
衣服でも友人でも新しきものを手に入れようと焦るな。
古いものに目をむけ、古いものに戻るがいい。事物は変わらない。我われが変わるのである。
君の服を売り払い、君の思想をとっておきたまえ。」  (下巻276頁)
ーーー
ソローにとって、「自然」と向き合うということは、「自己」を見つめることでもあり、人生の探究は、
遠い幻想的なものでもなく、「いま、ここ(現在)」の世界で「自己」を実現させることにある。
彼の「実在」は、現在の生活そのものの中にある。森での生活は彼の、それまでの日常生活の狭い限界を乗り越え出て、
「自己」を解放させ、楽しみながらの労働によって生計を立てる営みが、心からの喜びに充たされる生き方であるか
どうかの実験であった、と言えよう。彼にとって「生きること」は、「哲学すること」である。
自分の、一度しかない人生を真剣に考え、その考えに自信を持って従い、
幻想から抜け出し、いかなる現実をも直視し、ありのままに生きることが、
彼自身の人生をより良く生きるあり方であり、森での生活を通して、さらに確信を得た生き方の方法であった。
「ところで、インディアンが、この文章を見たら何と思うだろうか?日本の地方に住んでいる人でもよい。
東洋には、老荘思想があるじゃないか。二年余りのお遊び?でしかなかったともいえないかい。
しかし、これが理想なのだから、それでよい!都会という束縛する反自然があればこそである。」
みる人、立場、視点で、同じことでも全く違ってくる。しかし、そうわかっていても彼の言葉は時代を超えて、
に突き刺さってくるのはどういうことだろうか? 次の言葉がよい!
    −−
 私は大部分の時を孤独で過ごすのが健全であるということを知っている。
 最良の人とでもいっしょにいるとやがてうんざりしてくる。 私はひとりでいるのが好きだ。
 私は孤独ほど気の合う道ずれを持ったことがない。たいていは部屋にいるときよりも外の人々の間にいるときのほうが
 孤独である。 考えごとをしている人間、仕事をしている人間は、どこにいようが孤独である。
 一度、畑で草取りをしているとき、ちょっとの間、私の肩に雀がとまったことがある。
 私はそのことによって私のおびることのできるどの勲章・肩書きよりも素晴らしい名誉を与えられたような気がした。
 リストはすっかり馴染みになり、時おり、それが一番近道のときは私の靴の上を踏んで歩いていった。
 ーー
 この本は一読も二読もする必要がある、特に都会の人間関係で疲れている人ほど!それぞれが自分の行き方をみつけ、
 自分自身になることこそ必要であると、彼が魂を込めて伝えたかったことである。
 人まねでなく、自分自身と対話することが、自然の教えであるということを!!
               (*^○^*)ホンジャ、マタ!
ーーーー
2005年12月17日(土)
1719, 熟年離婚
          おはよう!v(=∩_∩=)v
 TVで松坂恵子と渡哲也が夫婦役の『熟年離婚』の連続ドラマを放映していた。
 そのうちの二〜三回しか観ていないが、考えさせられる問題であった。
 作家が悪いのか脚本が悪いのか、離婚理由が希薄で現実離れしていた感があった。
 男の立場からみると、渡哲也役の亭主が気の毒すぎるように思えた。
 停年の日に家族の前で突然離婚を申し立てるのはドラマとはいえ不自然である。
 しかし、最終回(12月8日放送)の視聴率が21・%と、同ドラマ9回中で最高を記録、平均視聴率も19・%と、
 この木曜ドラマ枠では過去最高だったという。             ~~匸Pヽ(・ω・`)コーヒーデモ…   
 テレ朝が調査会社に依頼したアンケートでも、2年後に定年を迎える団塊世代(1都3県、男女各100人)で
 「離婚を考えたことがある」と回答した女性は38%(男性23%)だったとか。 周囲でも熟年離婚の話をよく聞く。 
                           """(_ _,)/ mou iya
 あと二年すると団塊の世代が定年をむかえ、それまでの離婚待機組(退職金と年金待ち)が多く控えている。
 知人で離婚をした人をみると、女性の自立は困難を極めている。 一人、老後を生き抜くのは並大抵ではない。                
  インターネットで調べてみたら、 同居期間25年以上の熟年夫婦の離婚は、ここ10年で2倍以上に増え、
 同居期間30年以上に限ってみると3倍近くになる。この増え方は、離婚全体の増加率の2倍にもなり、しかも、
 そのほとんどが妻からの申し立てによるものという。
  何か解るような気がする。相手の話をよく聴こうとしない人種があまりにも多い。
 以下はスポニチのネット記事のコピーである。
 ーーー
熟年離婚」共感呼んで20%超
 テレビ朝日のドラマ「熟年離婚」(木曜後9・00)の平均視聴率が、10日放送の第5話で20・3%
(関東地区、ビデオリサーチ調べ)を記録し、番組開始以来初めて20%の大台を超えた。
 
  ・・・・・・・
 2004年12月17日(金)
 1354, 私の宝物
「私にとっての宝物」とは何だろうと考えてみた。
これだけはというものはないが、秘境旅行のアルバムと、その先々で買ってきた小さな置物人形と、
その都度社内報と随想日記に書いてきた旅行記である。 底は浅いが。旅行だけは私として、
金とエネルギーを使ってきた。いま全額のお金と、旅行のどちらを取るかといえば旅行経験である。
そうすると旅行経験と、それにともなう写真と人形と旅行記が「私にとっての宝物」ということになる。
37〜8年のスパンの、わずかなライフワークである。
現在、23歳の頃の日記を書きうつしているが、その時、初めてで最期の手紙を両親に書いていた。
転勤で通帳からお金が引き出せないで、手元のお金がゼロになって住所の移動の知らせと、お金の無心をしていた。
母親が死んだ時に寝室を整理していて、その時の手紙が出てきた。「子供の思う心と親心の差」を、
その時おもい知った。両親にとっての宝物?だったのだ。
現在の私の宝物といえば、「この随想日記」である。何せ一日3時間近くのエネルギーが、
この文章に時間を入っている。1350×3時間=4千時間の圧縮である。
それと秘境の旅行先で買ってきた小さな土産人形だ。500円から5000円位の土産物屋から買ってきた置物だ。
会社のサイドボードと、自宅の棚に置いてある。地震で全て壊れても、おそらく惜しくは思わない代物である。
しかし、それがある限りモノとして残っている思い出の塊の宝物である。

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2003年12月17日(水)
987,新潟駅周辺整備計画
先日の新聞に「駅前周辺整備計画」が少し延びそうになってきた。といって、半年から一年だろう。
自社のホテルの4棟のうち2棟が、この整備計画の道路拡張に引っかかる。10年か20年後には道路に変っている。
2〜3年前に「駅前周辺整備計画」説明会があった時に、むしろ当社にとってプラスであると感じた。
丁度設備の老朽化の建て替え時期になっていることと、分散をしている棟を一ヶ所に集めることができる。
恐らく新潟駅の現在の線路の何処かの代換地になるだろう。
その時は私は引退しているが、10年20年先の事業のデザインを考えて判断をしなくてはならない。
大手ゼネコンの営業部長の話によると「駅周辺の再開発の買収」は、焼け太りになるのが過去の通例だという。
具体的な内容が出てくるのは着工後の数年後の話だが、少なくとも地価の下げ止まりになる。
そのためか駅周辺の買いの話が多くなってきている。最近知ったことだが、買収は手付金がミソという。
これが確実な買収の裏付けの内容になるからだ。実際に工事が始まれば、雰囲気が一変をすることは間違いはない。
そして具体的な話が飛び交うだろう。その意味で一日でも早く着工をしてもらいたい。新潟も他県同様に景気は最悪である。
今ふうに言えば‘寒ぶー’である。いま新潟で残されているプロジェクトは、この再開発だけであるといってよい。
その駅周辺で事業をしているだけで恵まれているのだが? いずれにしても面白くなってきている。

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2002年12月17日(火)
613,爆笑再開発
 -新潟駅前ビル再開発
(以下字数の関係でカット2008年12月17日)
以前再開発の愚をこの随想日記に書いたが、その馬鹿世界が新潟駅前ビル再開発の完成で顕になってきた。
・・・・・・・ 
2001年12月17日(月)
272,人生は問題解決のプロセス
 ー小説・脚本の創り方と人生ー
 ジェームス三木の「脚本の創り方」という講演を10年前に経営セミナーで聴いた。
藍より青く」を創ったエピソードである。朝の8時15分の連続TV 小説の時間の身近にあるもの考えた。
「醤油と魚」である。醤油やと網元の対立に恋愛をかませる。それから「藍より青」ができた。 その子女、
子息の恋愛に対して、困難という山を次々と置き、それを主役が解決していくプロセスをドラマとして筋を付けていく。
「へー、どうということないんだ!自分でも創れる!」ということを思い出した。 主役とは「問題解決人」だ。 
水戸黄門もそうだ、勧善懲悪だから解かり易い。人生も考えてみれば、問題解決のプロセスだ。
そして一山二山越えていく事だ。 自分がその主役である。その意味で[みんなが大将!」である。
自作自演の舞台劇である。しかしそれをまた間接的に操っている存在に気づく事がある。
どうにもならない運命という奴である。それを神という存在で解決しようというのが宗教。
いづれにしても問題は派生する。そういうものだと割り切ってしまえばいい!
「その問題はその時のその人に、ピッタリの内容」と思えば諦めがつく!
その時私のおまじないは以前も書いたように「正中心一点無」だ。
問題から逃げないで、中心から目をそらさない事だ。それが出来ないのが人間だが。

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ある時間の断片
12月17日 1968年
 朝11時起床。
12時に一年先輩の佐々木さんに、クリスマスで20時以後の女性の寮立ち入りについて相談される。
私に対して軽んじている風がありありであった。その時に蒲生にもう20時以降の禁止はもう時効と面と言われた。
生意気な奴だが、2年も下なので相手にもできない。
 一度池袋に行き、学校に立ち寄って、駅で28日の帰省バスの切符を買う。
その後、千葉の検見川の姉の優子さん宅に向かう。 17時に着く。
押しかけで悪かったが、家庭内が落ち着いた感じがした。22時からよく2時まで卒論に集中できた。