ー抜粋のつづき


 彼は貴族ではない。清国と日本の支配階級を対比しているのではなく、市井の人々のこまごまとした暮らしぶりの中から、
 日本の庶民や下級武士、坊さん、はては花魁に至るまで、きれい好きで潔く、親切な人々を事細かく書き残しているのである。
 彼は、玩具、織物、刀剣、象嵌細工、木彫り等々を見て、日本の工芸品は蒸気機関を使わずに達することのできる最高の
 完成度に達していると評する。 教育についても、「ヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。
 アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対し、日本では、男も女も皆仮名と漢字で読み書きができる」
 と称賛した。 彼のために、彼の目が日本びいきであるために曇っていたのではないかという疑いを晴らしておきたい。
 幕末当時、日本には1万5千の寺子屋があり、武士は100%、庶民男子50%、女子20%、江戸市中で70%の識字率で、
 当時のロンドンの識字率30%などを断然凌駕し、何百年も世界一を続けていた事を申し上げておきたい。
 彼のたどり着いた疑問は二つ。
《 一つは深奥なる体系的な宗教が存在しないこと。
 もう一つは、「ここでは君主が全てであり、労働階級は無である。にもかかわらず、この国には平和、行き渡った満足感、
 豊かさ、完璧な秩序、そして世界のどの国にもましてよく耕された土地がある 》という到達点であった。
  シュリーマン旅行記が今密かなブームを呼んでいるという。 失いつつある懐かしい日本の原風景に触れることができる
 からであろうか。 最後に本書の訳は素晴らしい。気品と気骨に満ちた石井和子さんという老婦人の訳である。
 たまたま旧知の関係だったご子息にお聞きしたところ、数年前ご逝去されたとのこと。
 お会いできなかったのは誠に残念である。 以上   【文芸春秋 誌7月号 但木敬一著】
 〜〜
 戦国時代、そして幕末・明治初期に日本を訪問した外国人の旅行者の報告書は、この旅行記とほぼ同じである。
日本人が清潔で、礼儀正しく、親切で、勇気と正義感を持ちっており、教育熱心で識字率が高く、日常の生活用具や
工芸品などの技術水準が高い。 また武士の倫理観の高さである。 日本人は中世の頃から誇り高く、質実剛健で、
教養が高く、公平な社会を築いていた。 しかし、戦後60数年のアメリカ占領教育で、それらが多く失われてしまった。
NHKが「天地人」や、「坂之上の雲」などを放送するのも、あるべき日本人像に立ち返るべき時と、言いたいからである。

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2802, イングランド・ツアー 
2008年12月06日(土)
 *集団スリに狙われて

観光地には、必ずといってよいほどスリがいる。何度か危ない場面はあったが、隙さえ見せなければ大丈夫と思っていた。
イングランドコッツウォルズブロードウェーの自由散策時間も終えて、バスの待っている駐車場に行ったところ、
添乗員が少し時間があるのでトイレに行ってきてくださいとのこと。200メートル先のトイレに一人で向かったところ、
誰も居ないトイレの前に30歳過ぎの男達が三人、私を見ている。大きな駐車場に我われのバスが一台。
少し危ない雰囲気だったが三人の横を通り過ぎて、トイレで用を足して帰ろうとすると、男が一人、何時の間にか手洗いにいる。
危ないと思いながら外に出て、残りの二人の横をすり抜けようとした瞬間に、トイレの中にいたはずの男が後ろから
大きなヒャーと奇声をあげた。ハッと後ろを振り向くと、右手にマジックを持って反対の手の甲に英語で何か書け?と、
早口で捲くし立てている。 瞬間にチンピラの因縁づけと判断、無言で目を睨め付けたまま後ずさりをして、
クルリと振り返って帰ってきた。 私がマジックを持ったら何かするつもりのようだった。ただ突然に不意打ちである。
次の瞬間に他の二人が、その男を制しているようだった。 その場では、「あれは何だったのか?」理解が出来なかった。
家内に言うと、「薬を飲んでラリッテ、絡もうとしたのでは!」と、添乗員は「酒でも酔って声でもかけたのでは?」という。
でも何か、あの雰囲気は犯罪一歩手前の何かだった。 翌日のロンドンの現地日本人ガイドが、
「最終日の自由時間でピカデリー広場に行った時、集団スリに十分に気をつけてください。
彼らは、あらゆる手段で仕掛けてきます」と何度も念をおした。 その時に前日の出来事が何だったか気づいた。
一人がトイレに入ってきて私の背後にまわり、二人の近くに来たとき、奇声をあげて後ろを向けさせたのである。
次にマジックペンを握らせ、手の甲に勢いで書かせた瞬間に手を移動させシャツにマジックをつけさせて、
脅しをかけているうちに、背後から財布を抜き取る算段だったのだ。それなら、辻褄があう。
あの場合は、相手のペースに乗らないのは、経験上よく知っている。ミラノで家内がショッピングの時に、
広場をブラブラして鳩の群れを見ていた。 何時の間にか若い男が横にいて、トウモロコシの豆をスッと突き出してきた。
アワヤ手に取りそうになったが、手を引いて、その場を移動した。そして、他の場所から男を何気なく見ていると、
他の観光客に同じようなことをしていた。初めは手に取ったときに一ユーロ位を要求するタカリだろうと思ったが、
後ろに仲間がいた。トラブルを起こしている間に財布を抜き取ろうというのだ。 しかし、瞬間に、その人も手を引いたので、
スリの現場を見れなかったが。家内はスイスのユングフラッホで、財布を全く気づかずに摺られたことがあったが・・・

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2007年12月06日(木)
2437, ファッションを哲学する
                       ヾ(≧∇≦*)ゝおはよんよん♪
 哲学者の鷲田精一の「ファッション」論が面白い。人は、とりわけ女性はファッションに多くの金をつぎ込むが、
 その割りには「ファッションとは何か?」を哲学者も社会学者も取りあげない。鷲田は哲学仲間から呆れられながら考察する。 
 言葉と衣服は似ているのである。ファション衣服は何ぞや?を、考える前に衣料とは何ぞや?を取上げる。
 「なぜ服を着るのか」「なぜその服でなければならないのか」を考え、ファッションを通じて、「私」や
 「私の身体」について考察する。「ファッションはいつも愉しいが、ときどき、それが涙に見えることがある。」
 という彼の言葉は痛烈である。  更に、そもそも人は何のために服で体を隠すのか?
 隠すべきものの実体は?等々、身体論を含めてわかりやすく説いている。
   −−−
ー彼の論を簡潔にまとめるとー
・まず人は「らしい服をまとって人は『だれか』になる」という。警官は警官の制服、そして兵隊は軍服、
 そして消防士は消防服をきて、制服の中味になっていく。 社会的なコードとして一番わかりやすい。
・ファッションは社会の生きた皮膚として端的な表現をする。
 流行の服を着るということは、過去を捨て、未来のことも考慮に入れず、まさに現在だけを考えるということ。
 流行の服を追う事というのは、今を生きるということでもあるし、刹那的でもある。
・身近で加速するハイブリッド現象と捉えることができる。
 Tシャツであれ、ジーンズであり、衣服は国境や、民族文化の境界をやすやすと越えて浸透していく。 
 哲学者や社会学者が異文化理解の可能性を説いている間にも、ファッションは確実に文化のハイブリッド化を加速する。
 カルチャーとサブカルチャーが世界を激しく横断する。
ー印象に残った部分を抜粋してみるー
 そういう虚ろな<像>を補強するために、われわれは他者とともに安定した<像>の様式をスタンダードとして作りあげ、
 それにしたがって自己のイメージを構成したり、ときには取り繕ったり、偽装したりもする。
 それをさしてロラン・バルトは、「モードは人間の意識にとってもっとも重大な主題(《わたしはだれか?》)
 と遊んでいる」と言ったのである。男性らしい服、子どもらしい服、会社員らしい服、喪の服……をまといながら、
 ひとは社会のなかで「だれか」になっていくのである。ひとが自分の身体的存在をイメージするときのその回路を、
 衣服の社会的コードが拉致する。ちょうど、現代社会では病める自分の身体への関係が医学と医療制度に
 よって全面的に謀介されているのと同じように。 こうしてファションは、社会の生きた皮膚として、
 ある時代における社会の成員の自己同一化の構造を解読するための恰好のテクストとなるものである。
  −−−−
衣料品店に生まれ、ホテルの一角でファッション学生服も含めたら20年も携わっていた。
とにかく、市場とメーカーの架け橋のシステムを如何に日々作りあげ、
作り変えていくかに全てのエネルギーをかけないと、一瞬に不良在庫の山になる。
ファッションとは何かなど考えている暇は無かった。知っていたところで、システムつくりには関係なかった。
しかし、衣服とは、そういうものである。社会的コードであり、社会成員の自己同一化の道具でもある。
劇をしようとしたら、まずは服装から始めることを考えれば解ることだ。 昔から「馬子にも衣装」と言った。
今だったら「馬子にもブランド」?  ( ̄∠  ̄ )ノ サラバジャ! 
 後記)偶然の一致とは!面白いものだ。後の方に貼り付けてあるが、
6年前の今日に「ブランド」というテーマで書いたあった。度々あることだが・・・
   
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2006年12月06日(水)
2073, 金は人を幸せにするか?
           才八∋ウ_〆(∀`●)
 お金に関しては、何度か書いてきたが・・先日の書評「金は人を幸せにするか?」は題材として面白い。
毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』=W・バーンスタイン著の書評で、その内容が紹介されていたが、なかなかよい。 
建前でいえば、「お金で幸せが買えるかって?冗談じゃない。幸せは心の問題だろう。
それが金で買えれば、世の中の金持ち全部幸せのはず。質問そのものがナンセンス」が正論である。しかし本音のところ、
「金は何でも買うこともできる自由の塊、何でそんな建前をいうのか?
そんなことを言えるのは充分ある人のこと。」と、陰の声がささやく。
「貧乏の極みで家庭は崩壊、借金で高利貸しに追われ、最後は不幸のどん底、投身自殺を図ったが死に切れず・・・」
これなど不幸のカタチで何処にもあるパターンである。 倒産や失業では金欠が当面の切実の問題になる。
人間の品性は「金欠と女性問題」で露わになる事例を山ほどみてきたので、間違いなく「金のないのは、人を不幸にする」
ということだけは断言できる。幸せになるのもいるが、それは珍しいから小説の種になる。 私の持論は、
「金で80?の幸せは買えるが、あとの20?は金で買えない。その20?こそ一番大切なことである。しかし80?は買える。
幸せとは、したいことがあり、それをやり遂げた心のさまである。それは金では確かに買えない部分もあるが、
しかし金=自由であるから、やり遂げる手段としては、最有効になる。」である。
                    (*´θ`*)金、欲しい!
理屈として、「買えるものは買えるし、買えないものは買えない。買えるものは金があればこそ買える。
金が無ければ‘買えない’範囲が広くなる。そのぶん自由度が狭くなる。自由は人間にとって非常に大きい幸福の要素である。
自由度を大きくするには、より多く金が有ればよい。生存レベルで必死の人にとって、{生活手段としての資金の確保から
解放されることが幸せである}のは当然のことであり、お金は資金確保からの解放を意味する。
生存レベルの資金確保の束縛から解放された人は逆に幸福感が「生活資金確保の段階」からアップスケールしているのだから、
身近な世界の人との比較や、違うレベルの欲望の達成の幸福感でなくては、幸せなれなくなる。金が無くなって
「お金だけが人生ではないお金は決して人を幸せにはしない」と、言うに丁度よい言葉の羅列にはなるが。
ー先日の毎日新聞の『「豊かさ」の誕生…』の詳細は、‘サロンのコーナー’にコピーしておきました。                                         *^ワ^*)i バイバ
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2005年12月06日(火)
1708, 戦略ノート −1
          −読書日記
また斉藤孝である。        ~~匸Pヽ(・ω・`)
 ただし、この本は訳者としてだが。 俗にいう「夢・枝もの」である。
 『夢』-目標・戦略ーを持ち、それに対して『枝』ー戦術ーと 根ー教養ーを長年かけて養えば、
 いつの間にかほとんどのことは叶う、という手のものである。実際のところ、その通りだが80?の人が初めから
 興味を示さず、残りの20?うちの5?の人しか、長年にわたって努力をしない。 これが人間の固定観念のなせる業だ。
この本では、成功とはなんだろうか? 富は成功の付属物にすぎない、から始まり、
  ー 成功を以下のように定義する。  φ(・ェ・o)~カキカキ
  1、自分の人生の目的を知り
  2、潜在能力を最大限に発揮するために成長し
  3、人のためになるような種をまくこと  (n´∀`)η゚・.。. .。.:*・
   ・自分の心の奥底から望むことは何か? ということを熟考して
   ・自分の後ろ盾、強みは何か? を把握
   ・何でも屋ではなく専門家になれそうすれば優先順位が明確になる
 更に 次の5つのステップで夢を見つける
  1、自分は成功できる! という強い信念を持つ
  2、プライドを捨てる。プライドが高いと能力よりも外見にとらわれ、安全圏を出れない
  3、不平、不満を建設的なアイデアに変える
  4、マンネリ習慣から脱却する
  5、いつもやる気満々で仕事に向かえ      ょしゃ∩(´∀`)∩
   そのためにバックアップしてもらえる人や、     yaruzo!
   情熱の火を消さない知人を持つことも重要。勝者の思考回路を徹底的にまねる 事も重要だ。
    ‖┓  ((  
     (_)  匚P 
     ━┻    
  ー自分の可能性を最高度に発揮する7つの習慣 ー  
 ー字数の関係でカット(2007年12月6日)ー
       
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2004年12月06日(月)
1343, 雪下ろしの雷

今朝方の夜半の2時から、大きな雷が30分ほど鳴り響く。特徴は、落雷の時間の長さである。
落ち始めてから十数秒?も鳴り響いて、それが何度も続いていた。これだけ長い時間の落雷の音を聞くのは
初めてである。さらに明け方になって、再び駄目押しの雷が鳴り響いた。おかげで、寝不足である。
今の時期の落雷は「雪下ろしの雷」といって、雪がまじかに降るというお知らせである。
雪も降るときには降ってもらわないとスキー場や冬物商売に差支えが出てる。新潟県は雪で一年の3分の1か4分の1は
閉ざされてしまう。反面、その雪が天然のダムの役割を果たして豊かな水をもたらす。
そのため中越地震の被害を受けたところは、内福のところである。魚沼米とか、錦鯉とか、闘牛の山古志牛とか、
地味だが内福を絵に描いたようなところといわれている。見たと聞いたとこれだけ違う所も少ないだろう。
贅沢をしない県民性もあるが。雪下ろしといえば、最近は温暖化のためか雪の量が年々少なくなっている。
子供の頃は、3〜4メートルの雪など珍しくなかった。柏崎の原発が出来てから、さらに顕著になったようだ。
住んでいるほうは、少ない方が生活をしやすいが、自然のバランスからいえば降るべき時には多く降ったほうが良い。
雷といえば、学生時代に自衛隊に合宿した高崎の雷を思い出す。数十メートル先に何回も落雷があった。
二段ベッドの鉄の手摺りが、落雷の電気が走ったのをアリアリと憶えている。

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2003年12月06日(土)
976, 新婚さんいらっしゃい ! −2

この5月に、このテーマで書いたが、再び書く。人間関係の、いや人生の凝縮が結婚と親子関係である。
特に結婚は全く違った人生を生きてきたもの同士が、一つの家庭の中で生活をするのだから大問題が生じて当然。
まずは二人だけの権力闘争がはじめるのだ。そして、底知れないドブ沼が二人の間にできてくる。
その入り口に立った二人が、熱にうなされ発情している状態が面白い。‘我まま’丸出しの女が出てきて、男を奴隷の
ように扱っている姿を見ていると、その男の中に自分の姿を見ているようで、我を忘れて感情移入をしてしまう。
 先日みた番組では、週の小遣いが500円という。500万円の収入があるのに、月に2000円の小遣いである。
「何で、そんなに少ないの?」と桂三枝の質問に「貯金が私の趣味なの!」と答える??女の答えが可笑しい。
亭主の昼飯が月曜日から金曜日まで「かけうどん、かけうどん、かけうどん、かけそば、かけうどん」という。
凄いものだ。本人はやせ細っていた。旦那が小遣いの値上げを懇願していた。せめて5000円というなら解るが、
900円で喜んでいた。また数年前になるが、パキスタン男と結婚した女は亭主を奴隷のように扱っていた。
まあ「愛の奴隷」のうちはよいが、「人種差別」による奴隷のようだった。
この時も月に2000円か3000円であった。会場からは怒声が聞こえてきた。
番組みの関係上、下ネタを明け透けに話すが聞きなれてくると「いやらしい」感じないのがよい。
それにしても新妻?が恥じらいもなく話すのには驚いてしまう。書いていて気がついたが、この番組みの主役は新妻だ。
「高校三年生」の流行歌を聞いて育った年代としては、女性の変容に時代の流れを感じる。
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783, 新婚さんいらっしゃい ! −1
2003年05月27日(火)
 (字数の関係でカット2008年12月06日)
 
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2002年12月06日(金)
602,ある時間の断片-16
 1968年 
 10月6日  日曜日
朝10時半に起床。 部屋の大掃除後、洗濯屋に行くため部屋を出ると、大妻女子大の5人と出くわす。 
この前に来ていた人もいた。彼女たちの会いに来た相手がいないので、私の部屋で一時間ほど過ごす。
昼飯後、風呂に行ったり、音楽を聴いて時間をすごす。0時に先輩で代議士秘書をしている永田さん部屋にくる。
何か自分中心で好感が持てなくなってきた。自分のことしか見えてないのが嫌だ。のんびりした一日であった。
10月7日
9時半起床。10時半に学校に出発、ところが学校は休み。図書館もやってない。
校庭の4丁目にいると、クラブの加藤と古市と会う。彼等が変わっていたのに驚いた。
12時過ぎに石川と待ち合わせて会う。 ウエストサイドで3時過ぎまで話す。 
辛らつにお互いの批判になる。自信過剰で視野の狭い人間だといわれた。かなりこたえた。
その後本屋に寄り、寮に帰る。音楽を聴いていると、後輩の米林君がくる。 頭のよい吸収力のある男だ。
明日から卒論のまとめの為に新潟の六日町の雲頓庵に行くが、そこで大筋と構想をまとめてみようと思う。
石川について ーかなり自尊心に傷をつけられた。 もともとお互どちらが正しいとはいえない。
割り切って付き合わなくては。 それにしてもこの自分の動揺はどういうことか。

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2001年12月06日(木)
261,ブランド品

ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。それも不釣合いのノーコーデネート。一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
  −野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。したがって大金持ちの贅沢遊び!
  収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。
  したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。
 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。
 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い! それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。
 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2〜3年か それ以前の「投げ捨て商品」。 
 その筋のシンジケートから「売価の一〜二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の6割か7割の家賃を
 取っていることで、それが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。 大手の旅行代理店がそれを熟知、
 それで一時は荒稼ぎをしていた。 黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象だった。

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12月6日 1968年
 朝7時半目覚まし時計がなる。しかし起きることが出来なかった。やっと10時過ぎに起きた。
タクシーで学校へ。11時20分にやっとのことで、食事をしてゼミの「工場見学」に、時間ギリギリで間にあう。
新宿から京王線で府中へいく。NECの工場だ。事業所長の説明後、工場の見学だ。アカデミックな感じがした。
雰囲気が知的で、コンピュータが部屋せましと並んでいた。 16時から、工場所長と人事部長補佐など数名と労務管理
ついて話し合う。積極的に話したのは、石川・田島・植本君の三人であった。 それに質問者の横井さん以外誰も無口であった。
 18時から腹がすいて苦しかったが、19時に天丼がでる。 19時半に終了。その後マイクロバスで府中へ。
解散後、田島と河村と三人で井の頭公園へ行く。 それから荻窪へ行って、喫茶店で話をする。
 田島がよく話す。彼は先まで一緒だったゼミの石川に腹を立てていた。彼が10月頃から大きく変わったと言った。
彼は「寂しい、ずるい、ゆわい人間だ」と指摘していた。私が感じていることを、そのまま言葉にして田島が言った。
 ゼミの個性派同士の対立というべきだ。大人しい河村も石川を否定したということは、彼はやはり異常と言ってよいのだろう。 
人間性が崩れているというのが共通項であった。自分で墓穴を掘ったのか、それとも自己の創造性を見出したのかは判断できない。
何か話していて、その姿が自分の姿でもあることに気がつく。