このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に
帝国バンク支店長のインタビューで「新潟市内のマンション建設が、この数年で3000室も供給された。
しかし売れたのは700〜800室しかない。 いずれダンピングが始るだろう。
団塊の世代の定年退職者の退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・・ 云々」
 マンション業界では100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。
それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が倒産し、
新潟の信濃川の川沿い大きなマンションが宙に浮いた状態にある。それを長岡の行きつけの居酒屋店主に話したところ、
「東京にいる息子が先日、5200万のマンションを1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは
半額のものもある」と、息子が言っていたという。 それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にある

マンション、4室もあって1200万円で買えるらしいよ。」という。
大型マンションは、土地の仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、その間に世界が劇的に
変わってしまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。
 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。 その間に、時代は激変をする。
単品を売り続けないとならない商売、恐ろしい事業に手を出してしまったことが今になって分かってきた。
新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収されるから何とか帳尻が合いそうだが。 
まさか、ここまで激しく時代が変わるとは、思ってもいなかったことも事実。
 自宅の周りに建設15年〜20年のアパートが多くあるが、ほぼ空である。 新しいアパートは、何処も初めは満室。
ところで最近、アパートを建て信託で10〜20年は保障しますというのがあるが、これほど危険なことはない。
この激しい時代の中に、その会社が、それまで存続しているかどうかである。 柏崎のゼネコンが、
それを始めて間もなく倒産した。 しかし、それが大手では無いとはいえない時代である。
 日本を一家に例えるなら、400万弱しか収入がない過程が、予算900万の予算を組んでいる。
借金は9000万もあるが、資産と資金は、まだあるから大丈夫と嘯いているが、それすらどうなることか?
 年末になると、このところ毎年のことだが冷え冷えした空気になる。
  ー後記 たまたま三年前の随想日記に似たようなことが書いてあった。

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3147, 地方経済惨状の一現象

2009年11月16日(月)

 このところ、たびたび地方経済の惨状を書いている。 先日の読売新聞の新潟県版に
帝国バンク支店長のインタビューで「新潟市内のマンション建設が、この数年で3000室も供給された。
しかし売れたのは700〜800室しかない。 いずれダンピングが始るだろう。
団塊の世代の定年退職者の退職金をあてにしたものだが、それが全く当てが外れてしまった・・・ 云々」
 マンション業界では100室クラスのマンションで、最後の1〜2室で、やっと利益が出るかどうかの世界。
それが4分の1しか売れてないとは、惨憺たるもの。 数ヶ月前に大手のマンション販売会社が倒産し、
新潟の信濃川の川沿い大きなマンションが宙に浮いた状態にある。それを長岡の行きつけの居酒屋店主に話したところ、
「東京にいる息子が先日、5200万のマンションを1200万の値引きで4000万で買った。しかし、売れ残りのマンションでは
半額のものもある」と、息子が言っていたという。 それと、「大手大橋の向うのショッピングセンターの真ん中にある
マンション、4室もあって1200万円で買えるらしいよ。」という。
大型マンションは、土地の仕入れから建設期間をいれれば3年〜5年はかかるが、その間に世界が劇的に
変わってしまうから難しい。 といって、仕込み、造り続けないと会社は存続しない。
 ところでホテルは、計画から資金回収まで20〜30年のスパンときている。 その間に、時代は激変をする。
その中で単品を売り続ける商売。 恐ろしい事業に手を出してしまったことが今になって分かってきた。
新潟駅再開発の道路拡張で4棟のうち、二棟が買収されるから何とか帳尻が合いそうだが。 
まさか、ここまで激しく時代が変わるとは、思ってもいなかったのも事実。それも面白いといえば面白いが!
 自宅の周りに建設15年〜20年のアパートが多くあるが、ほぼ空である。 新しいアパートは、何処も初めは満室。
ところで最近、アパートを建て信託で10〜20年は保障しますというのがあるが、これほど危険なことはない。
この激しい時代の中に、その会社が、それまで存続しているかどうかである。 柏崎のゼネコンが、
それを始めて間もなく倒産した。 しかし、それが大手では無いとはいえない時代である。
 日本を一家に例えるなら、400万弱しか収入がない過程が、予算900万の予算を組んでいる。
借金は9000万もあるが、資産と資金は、まだあるから大丈夫と嘯いているが、それすらどうなることか?
 年末になると、このところ毎年のことだが冷え冷えした空気になる。
  ー後記 たまたま昨日の三年前の随想日記に似たようなことが書いてあった。

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2782, 浅井さん

2008年11月16日(日)

 十年前の「随想集」の中にあった、「浅井さん」という文章である。
 ホノボノとした三人の人間性が雀の雛を通して伝わってくる。
 「随想とは、こういうものだ」と、教わるようだ。
 −−−
ー浅井さんー          諏訪崎はるえ
 数か月前、我が家の隣の古い家屋が取り壊された。 隣は軒先に雀がよく巣をつくるので、子雀達はどうなるのだろうと、
私は気がかりだった。ブルドーザやシャベルベルカーが現れて、一時の間に家は壊われた。 日暮れ近くになって、
庭に若い作業員が二人、敷地の隅に駆け寄って行ってしゃがみ込むのを見た。
「雀?」 フェンス越しに私が問うと、ヘルメットが頷いた。  掌に渡された子雀一羽に、私はうろたえた。
うぶ毛も生えていない赤裸の雀である。何とかしなければ……と、気持ちの焦る中で、ふと、以前に浅井さん夫妻が
雲雀の子を育てて巣立たせた事があったのを思い出した。電話をかけてみると、雀の子育てを引き受けて下さるという。 
折よく在宅だったご主人の運転で、お二人揃って車で雀を迎えに来てくださった.
 その数日後、浅井さん夫妻には長女の方の嫁ぎ先へ行かれる用事ができて、雀は一時我が家へ帰って来た。
我が家には猫がいる。猫どもに気づかれぬよう、私は鳥籠を二階の押入れへ隠した。
餌をやる時には、金庫でも取り出すようにお出まし願う。
 浅井さん夫妻は、遠路を二日ばかりの滞在でとんぼ返りされて、また雀を迎えに来てくださった。"
私は、肩の荷を下ろした。と同時に、浅井さんのご苦労が思われて、期待をかけて負担になっては…と、
「煮るなりと焼くなりと、浅井さんにおまかせします。どうせ、助からなかった命ですから……」と、そんな事を言って、
あとは電話もしなかった。 それから、どのくらいの日数がたっただろう。浅井さんの奥さんからお電話を頂いた。
すっかり(雀が)育って近々巣立たせるから、是非見に来てやってください、とのことだった。
私は出かけて行った。 雀は、軒先に見るような雀になっていた。奥さんにすすめられて鳥籠に手を入れると、
雀は、親し気に私の肩や腕に止まった。「アラ、助けてもらった人はよくわかるのね」と、奥さん。 とんでもない…。
 障子の向うで、もう一羽の羽音がするのである。 奥さんが笑いながら話されるにはー。 雀を預って頂いたすぐあと、
今度は次女の方がお勤め帰りに燕の子を拾って帰られて、それもご夫妻で育てたということだった。…私は、言葉も出なかった。
雀も燕も、同じ年頃(?)とあって、二羽とも飛行の訓練に余念がなかった。お茶をよばれながら、「それでね……」などと
話していると、障子の向うの二間続きのサンルームを燕の羽音が過ぎて行く。向きを変えて帰って来る。障子のこちら側は雀……。
私は、おかしくてたまらない。 そこでー、奥さんがまた楽しい話を披露してくださる。
雀には練り餌を、燕にはミジンコようの虫を餌にするのだが、あるとき試しに雀にもミジンコを与えてみた。
雀は、ミジンコは食べない。食べないながらも、ミジンコは離さないでしっかりと嘴にはさんでいる。
燕が寄って行って、「頂戴!」というように首を傾げるのだけれど、雀はやらない。
くるりと後ろ向きになったりして、意地悪をするのだそうだ。 やがて、雀も燕も無事に浅井家を巣立って行った、
と報告を受けた。 鳥の行方を心配気に見守る浅井さん夫妻と娘さんのまなざし。 
軒端の上のぽっかりと透いた青空まで、目に見えるようである。
 −−
  ところで、この雀、生きていけたのだろうか?私の知る限り無理だと思うが!最期まで飼うのがベスト? 
    庭に籠を置いて、入り口をオープンにしておく方法もあるが。要らぬ心配か!

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2007年11月16日(金)
2417, よく生きる −2
 ´       ・ω・)ノはよー
                              −読書日記ー   
   この数日の間、この4つの問題を私の経験を照らして考えてみた。自分は本当に「 よく生きてきたのか? 」
   という自問自答である。 やはり、根本的なところが欠けていたいたようである。
  「万人が、そのはず? 気がつくかつかない人もあろうが」と自己弁解をしながらだが。
   無神論に近いが、やはり最期は「絶対者の元へ帰っていく」という確信は必要ではなかろうか?
   生きてきた過程で現在、こう在らしめている何か=Xを、神として心の底に置かなければならなかったのでは?
   という自問自答である。真面目に、健全に、前向きに生きていれば良いだけだが・・・
    まずは、4つの問題の二つの要点をーはじめにーの中から抜粋してみる。
    −− 
  ーはじめにー
旧友のクリトンが「無実の罪なのだから逃亡すべきだ」と脱獄をすすめにきた時に、語られた言葉です。ソクラテスが言うには、
(字数制限のためカット 09年11月16日)
・・・・・・・・
2006年11月16日(木)
2053, たとえ他人の過ちが90�であっても
                 才八∋ウ_〆(∀`●)
   いいですか、たとえその人のあやまちが90�であり、あなたのあやまちが10�であるにしても、
   あなたは90�のことを考えることより何も得ることはできません。 何故かと言うと、
   あなたはそのことをどうすることもできないからです。
   ところが10�からは、とても大事なことを学ぶことができるでしょう。   (ユング
   ーー
   ある本に引用されていたユングの言葉が心に残った。ユングフロイトの理論に共鳴して精神分析を始め、
   フロイトも自分の後継者をユングと期待していた。しかし途中から二人の意見の食い違いが大きくなり決別してしまった。
   そこでユングが考えたのは、「互いの理論の誤りは人間のタイプの違いによるのではなかろうか」ということである。
   同じ現象でも、感情によって判断する人と、理性によって判断する人は、受けとめ方も違ってくる。
   それぞれが、それぞれの理由や合理性があるはずである。 かりにどっちかが間違っていたとしても、
   相手の考えを変えることが出来なくとも、自分の考えを変えることは出来る。
   理論の対立だけでなく、我われの日常のことでも使えることだ。隣の人が教えてくれるような忠告だが、深い内容である。
   この理屈を少しでも実践すれば、家内などとの些細な事などに、いちいち対立することも激減していただろうに・・・
   些細なことなど、相手に従いなさいということになる。「他者不可知論」と同時に、深く考えなければなるまい!
   熟年期を向かえて何の準備の出来ていない同年代の群れの悲哀の姿が、あまりに生々しい。
   ・・それも他人の90�の誤りと思い込んでいるでしかない。それぞれのタイプがあるのだから。
   家内相手に、これを実践したら毎日の生活では隷属することになるんじゃないかい?
   夫婦間で超然としているわけいかないだろう? 心の奥で思っていればよいことか!
     (;´-`).。oO (ぇ・・マジ!)
                     (。^0^。)ノサイナラ!
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2005年11月16日(水)
1688, アメリカ資本主義 "実体は巨大な政府"

 数日前の読売新聞のトップページ「地球を読む」というコーナーに時々、米国の未来学者のトフラー夫妻が寄稿をしている。
 今回のテーマが何と「アメリカ資本主義”実体は巨大な政府”」であった。
 目を疑い内容をジックリと読んだが、間違いなくそのテーマを論証するものであった。                 
  ー以下はその概要であるー        
 ドイツやフィンランドの細々した規制社会とは違い、アメリカは規制の少ない警官も少ない国というイメージとは全く違った内容。
 ほかの国と違うのは、「アメリカだけが、規制の少ない自由の国として紹介されていることだけ」という論旨である。
                         (o ・д・)ツ⌒□ 号外!!号外!!
 (以下、字数の関係でカット2008年11月16日)

・・・・・・・・
2004年11月16日(火)
1323, まさか、地元で大地震!ー13 
                    Σヽ|゜Д゜|ノ┌┛☆【びっくら!】
やっと収まったと思いきや、昨日も震度三の地震があった。しかし三週間以上も余震とは、全くシツコイ。
道路などの公共施設の損害が約2000億円と発表されたが、まだ膨れあがるだろう。学校や役場なども酷い状態とか。
民間を含めたら、その倍だろう。「被災地の多くの家の躯体は大丈夫だが、内部が目茶目茶で使えない」
というのが実体だという。 屋根瓦が雪国用に厚く作られている為、重量がかかって押しつぶされている。
青いシートが多く屋根にかかっているのでよく分る。特に長岡の悠久山よりの住宅に多い。
新幹線も、「トンネル内部などの損傷が激しく実体を発表できない状態」との話も洩れ聞こえてきた。
1〜2年、いや数年、という事も考えられるが、これだけは予測が付かない。
まだ高速道路が通るから救いがあるが、何といても新幹線の影響は大きい。
長岡、新潟駅の専門店など如何なるのだろうか。 いや他人事ではない。

            • -

メルクマール  堀井 
11月12日
・今朝方はAM2時半位に震度1〜2の地震あり。何だこの程度か、せっかくなら、せめて3~4位になれと!思う余裕も出てきた。
 これは被災の大きい人達に悪いと考え直したり。それでも一時であるが大雨が降ってきたが、ダムの土石流は大丈夫か心配になる。 
・東京に出張を控えていた人達が、そろそろ出張に行きはじめた。長岡を新幹線で朝6時40分に出たら、10時に東京に着いたとか。
 来週、仕事で東京に行くとか。バスが一番手ごろのようだ。それにしても、駅は可哀想なぐらい人が少ない。
 毎日のように長岡駅の専門店に通勤の帰り道によって、大幅値引きの弁当や酒の肴を買っている。
 売れないため、スーパーの半額以下。いや、もっと安い。 せめての贅沢?である。可愛いものだ!
 ーーー
11月11日
・2〜3日続いた夜半の余震が無かった。 寝ているところを突然揺れると、少しは動揺する。
・幼児の頃、よく両親に連れて行ってもらっていた成願寺温泉ホテルが、この地震で倒産と新聞に出ていた。
 子供の頃、すぐ上の兄と姉と三人で遠足に行ったことを思い出す。
 およそ片道5^6キロの道を2~3時間以上もかけての遠足だった。モルモットがいたのが印象に残っている。
 130年以上続いた湯治場の旅館だったという。
・新幹線は相変わらず人が極端に少ない。年末まで開通が、JRの本音だろうが。年末の帰省者も躊躇するだろう。
 新聞に数千億規模の復興投資がおこなわれるとあった。 阪神大震災は九千億、普賢岳の時は、1000億というから、
 まちがいないだろう。 既に、県内の職人の数が足りないという話も出ている。

・・・・・・・・
2003年11月16日(日)
956, ハイビジョン超特急

 昨日の昼、NHKハイビジョンで過去3年間の「ハイビジョン番組」90本を5分以内にまとめて、4時間ぶっとうしで放送をした。
デジタルだから可能なのだろう。様々なジャンルの番組を繋げて放送するもので、息をつかせない内容であった。
未来の一部を垣間見たような時間であった。そして、至福に近い4時間であった。元々ハイビジョンの内容は、
選りすぐりのものが多い。 その二時間を5分にまとめて、次々に放送するのだから一瞬も目を離せない。 
年末に再放送をする予告編も兼ねていた。 音楽スーパーライブ、美の回路、お祭り、サッカーなどのスポーツ番組、動物、
自然、宝塚、歌舞伎、遺跡などなど次から次へと出てくる。7割は見た番組だったからこそ、更に面白かったのだ。 
これからは、こういう番組が多くなるのだろう。ワールドカップのサッカーも5分にまとめてあるのだから目が離せないのも当然。
スポーツ、遺跡など、それだけを集めて5分にまとめて放送する番組も出てくるだろう。
 印象的なものとして、「長野オリンピック」「源氏物語・絵巻師との対話」「エチオピア」「イグアスの滝
ベネチアの仮面祭り」「ワールドカップ」「謎の深海大峡谷アメリカ西海岸・モントレーの神秘」「ミレニアム・オリンピック」
リオのカーニバル」「青森ねぶた祭り」「天空への道」「南極大紀行」「大砂漠ラクダキャラバンーテネレ砂漠」
永平寺」「九さい溝」「リビア」 どれ一つとっても非常に興味をひかれる内容である。
ハイビジョンの良さは遠くの背景がしっかりと見て取れることだ。すごい時代である。

・・・・・・・・・・
582, NTTと日本の現状

  • 2002年11月16日(土)

このところ光ファイバーを会社や自宅に導入して、NTTの現状を垣間見ることができた。
自社ホテルの電話の使用売上が10年前の十分の一以下に落ちている。 携帯電話に変わった為だ。
各家庭や会社はホームベースとしての据え置きの電話があるが、使用回数が激減しているのは間違いはない。
そうするとあの電信柱から引き込まれている数兆とか十数兆の設備投資の価値が激減していることになる。
NTTの知人が「電電公社に入り、こういう目-肩たたき-にあうとは思ってもみなかった」と言っていた。
この現象が今の日本の大不況と酷似している。 新しい流れに転換できないでいるのが日本だ。
すでに電信柱からデジタルの携帯電話や光りファアイバーの変わろうとしているが、転換できないでのた打ち回っている。
不良会社の整理も当然しなくてはならない。 電信柱に例えられる旧体制がまだ抵抗している。
有線放送とかいろいろな関連会社も、その脱皮についていけないで。
駄目の者は駄目なのに。その代表が自民党橋本派である。実際に利権を握っている為現実が見えてないのだ。
NTTもNTTドコモがあるから救われるが、今の日本には殆ど見当たらないのが恐ろしい。

・・・・・・・・
2001/11/16
[222] ベトナム旅行記−1
1、 −オートバイ社会ー 
 驚いたのは街にオートバイがあふれている事である。 一家に一台の普及率で、50CCまでは免許がいらない。
 それに2〜4人が乗っており、フルスピードで街を駆け巡る。 よく事故がおきないと思えるほど危ない。
 おまけに殆ど信号がないのに、平気で十字路をお互い横切る,曲芸だ。 やはり、いや当然事故が異常に多いという。
 ー今から10年前の中国が自転車社会であったが。  今もそうか!?
2、活気に満ちてるのも、自由経済の導入の為か。 ドイモイ政策で7パーセントの経済成長。
 これでかなり物質的に豊かになった。  国民がアメリカ、日本に目がいっているという。
3、80パーセントが農業人口で占められとおり、貧しい中でも何か最低限の生活が保障されているのが解かる。
4、昭和30年頃の日本に都会は似ている。
5、貧富の差があまり感じないのは、好感が持てる。
6、人口は7800万、文盲率は20パーセント、給料は2万円とか。
 仏教が60パーセント、イスラムは6万人とか。 学校制度は5、4、3,4年制だ。
7、ベトナム料理は美味しいことで知れているが、中国風ベトナム料理、フランス風べトナム料理があり美味しい。
8、地方の風景は、日本のそれに似ている、水牛とアヒルが多くみられるのが特徴といってよい。
 ー印象をそのまま書くと
・まじめな、仏教徒国、
・農業が80パーセントの縦に長い国
・失業率が17パーセントー社会主義から自由経済の過渡期にあっての混乱期
・大体の国民は5時に起床、7時半より17時まで仕事
・過去は数百年は中国、19世紀半ばより1954年までフランスに支配される。
・そしてその後アメリカとベトナム戦争。100万人が死亡、200万人が不傷。
・今は石油が発掘。輸出の1位を占めている。小さくまとまった国。
 ー今回の旅行での出来事
・中間あたりでーダナン。ハイホンで台風にあう
ハロン湾で連れの人が目の前で、100ドル札の偽札の両替 ーもちろん意図的につかまされる。